the abyss of despair   作:佐谷莢

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第八唱——運命と偶然と奇跡の違い

 

 

 

 

 

 

「スィン! しっかりして!」

 

 ラルゴが地響きを上げて、廊下へ横倒しになる。

 ジェイドの持つ槍が光の粒子となって消える頃、そのラルゴから大量の出血が確認できるほどとなっていた。

 血溜まりが、ルークの顔を映す。

 人が刺されるのを目の当たりにして、彼はスィンの安否を気遣うどころか、身動きすら取れなかった。

 

「……うー。油断したー」

 

 押し殺した声音で、スィンがむっくりと起き上がる。

 

「お、お前、無事ならさっさと起き……」

 

 倒れたラルゴから目をそらすようにしてスィンに文句を言いかけ、黙った。

 彼女は腕のあたりを押さえ、ぷいと横を向いたからである。

 覆った左手からは、かすり傷とは到底思えないほど血液が溢れていた。

 

「ティア。お願いできる?」

 

 ルークに背を向ける形でティアと向き合い、左手を外す。鋭く息を呑むティアの表情を見て、その様子は推し量れた。

 それでもティアは怯える様子を見せず、しかし痛ましげな様子で治癒術を行使している。

 

「イオン様はアニスに任せて、我々は艦橋を奪還しましょう」

「でも、大佐は封印術(アンチフォンスロット)で譜術を封じられたんじゃ──」

「えっ!?」

 

 封印術(アンチフォンスロット)、という単語を聞き、スィンは驚いたようにジェイドへ走り寄った。

 彼のすぐそばに転がっている奇妙な箱を拾い上げ、交互に見る。

 

「あの、大佐。動けますか? 確かこのタイプは体内のフォンスロットを強制的に閉じる上に、対象者の体へ多大な負荷をかけるから譜術が使えない、だけでは済まないかと」

「そうなのですか? まあ、確かに体が重いのは事実です。これを完全に解除するには数ヶ月以上かかりそうですが、あなた方という戦力があれば奪還は可能だと思いますよ」

 

 没収していた武装をスィンへ渡す。

 戦えるか否かを問うが、彼女は平気です、の一言で片付けた。

 ざんばらになった髪を、器用に片手でぞんざいにまとめている。

 

「ティアの治癒術に合わせて第七音素(セブンスフォニム)を上乗せしたので、何とか」

「でも、無理はしないでね。──行きましょう、ルーク」

 

 呆然としているルークに声をかけ、ティアとジェイドは階段に足をかけた。

 スィンだけが駆け寄ってきて、そっとルークの肩に手をやる。

 

「ルーク様。参りましょう」

「あ……ああ」

 

 ラルゴに極力目をやらないよう、ルークは二人の後に続いた。

 目の前で人が刺されたら、民間人がごく当たり前に示す反応である。そのくらいは、スィンも想像できていた。

 しんがりを務めて甲板へ出る。

 ルークは肺の中のよどんだ空気を洗い流すように深呼吸していたが、他の二人は何事もなかったかのように会話をしていた。

 

「彼らが導師イオンを攫おうとするのは、やはり和平交渉の妨害のためですか?」

「どうでしょうねえ。確かにキムラスカ・マルクトへの影響力を考えると、イオン様の存在はかかせません。イオン様をバチカルへ近づけない、というのは一番の妨害策ですが、軍用艦を襲撃するほどのことを考えると……」

「裏があると?」

「推測だけで断言はできませんよ。この場を収めたあと、ゆっくり考えましょう」

 

 会話を耳に入れながら、スィンは控えめに咳をした。

 それを咎めと受けたのか二人は押し黙ったが、ルークはちらちら来た方を見ながら呟くように言う。

 

「なあ……あのラルゴとかいう奴、死んじまったのかな」

 

 ──どうもさっきの姿が脳裏から離れないらしい。

 

「殺すつもりで攻撃しましたが、生きているとなると少々やっかいですねえ」

 

 ルークの問いの内容が理解できていないのか、理解していて言っているのか。とにかくジェイドは含みをもたせるような声音で答えた。

 

「何も殺すことはなかったんじゃないか?」

 

 どこかすがるように訊くルークに、どこか馬鹿にするかのような、呆れたような様子でジェイドが返す。

 

「おやおや。あちらは我々を殺してもよく、こちらは相手を殺すのはよくない、では道理が通りませんねえ」

「けどよ!」

 

 イヤミに動ずる余裕もないままルークが声を荒げると、ティアはルーク、とどうにか辛抱している、といった様子で語った。

 

「これは軍事演習とも、剣術の稽古とも違うわ。相手の命を気遣う余裕なんてない」

 

 まったく納得することなく、ルークが言葉を重ねようとする。

 一時しのぎにしかならないとわかっていながら、スィンは口を挟んだ。

 

「──お二方。言っていることは承知できますが、ルーク様は民間人です。二人とは戦場の経験も、人の死に対する衝撃も、あまりに違う。ほんの少しでいいから、理解を求めます」

 

 その言を聞き、気まずげに黙るティアと表情が読めない大佐を横目に、スィンはルークへも説得を語る。

 

「されど、二人の言っていることはこの状況において真実です。殺さなければ殺されてしまう。どうしても、たとえ命を失ってもご自分の手を汚したくない、と仰られるなら──腰のものを棄ててください」

 

 色違いの瞳に見つめられ、ルークも言葉を失くした。

 その光景を見て、ジェイドがふむ、と頷いている。

 

「擁護するだけではなく、諌めることもできたのですか。忠実な番犬では失礼でしたね」

 

 それに応じることはなく、甲板全体を眺めるように観察した。

 魔物や兵士がたむろし、ティアの譜歌ですべて昏倒させるのは難しいように思える。

 

「あのー、これを突破するんですか?」

「ご冗談を。いくらなんでも体力が続きません。他の兵を呼んでしまうでしょうし」

 

 非常経路を伝って、艦橋へ続くもうひとつの扉の前へと移動する。

 通常使われない扉だけあって警戒は薄く、見る限りたった一人しか兵士はいなかった。

 一行の姿を認め、兵が身構える。スィンが飛び出し、その隙にティアが譜歌を詠った。

 清らかな歌声が周囲の空気を震わせる。兵士は剣を抜いた直後に昏倒した。

 フルフェイスに刻まれた音叉形の隙間から、兵士の素顔がのぞいている。

 

「……アホ面して寝てやがる」

 

 殺さずにすんだことの安堵を内心に秘め、ルークは馬鹿にしたように兵士を見下ろした。

 そのそばでミュウが「ティアさん、すごいですの!」と歓声を上げている。

 

「さて、タルタロスを取り返しましょう。スィンは周囲を見回ってきてください」

「はーい」

「ティアは譜歌で艦橋内の敵を一掃、ルークは……そこで見張りをしていてください」

 

 足手まといと認識したのか、ルークは鼻を鳴らして拗ねている。

 

「ルーク様。すぐに戻ってまいりますので、くれぐれもお気をつけて」

「単なる見張りで子供扱いすんな、さっさと行ってこい!」

 

 苦笑混じりで彼に聞こえないようにはいはい、と呟き、スィンは走り去っていった。

 ジェイドがティアと共に艦橋へ入っていく。

 その場にはルークとミュウ、アホ面で眠っている兵士だけが取り残された。

 

「しかしまー、あんな攻撃でどうして寝ちまうのかねぇ」

 

 自分も睡魔に襲われたくせに、それを棚上げしてルークは独り言を呟いた。

 それを自分に話しかけられたと勘違いしたミュウが、舌っ足らずのカン高い声で答える。

 

「ティアさんの譜歌は第七音素(セブンスフォニム)ですの」

 

 ルークの気持ちなどまったく汲まない、常に明るい声がなんとなく苛つく。

 内容がわからないことも関係していた。

 

「またそれだ。第七音素(セブンスフォニム)って何だよ」

「何って、七番目の音素ですの。新しく発見された音の属性を持つ音素ですの。ローレライ教団の始祖ユリアは、チーグル族から第七音素(セブンスフォニム)を学んだですの。特別ですの」

 

 の。の。の。の。

 スィンやジェイドのものと変わらない敬語なのに、そのはずなのに。

 なぜかこいつから発せられるこの言葉はムカつく。

 

「だーっ! お前のしゃべり方、うぜーっつーの!」

 

 苛々の高まったルークは、ミュウの柔らかな耳を片方つかむと、めちゃくちゃに振り回し始めた。

 

「ごめんなさいですの~!」

 

 本心はともかく、とにかくこの状況から逃れるためにミュウは謝罪を口にした。

 遠心力で判断力が鈍ったのか、なぜかその口から火が零れる。

 ──と。その炎が風にあおられ、昏倒した兵士の鼻先をあぶった。

 びくん、と兵士が上体を動かす。

 

「おわっ!?」

 

 その様子を目敏く発見したルークが、息をのみ兵士を見つめた。

 放り投げられたミュウは強風に乗って、遥か先にいるスィンの元へ転がっていく。

 スィンがミュウを抱き上げた。それを視界の端に認めながら兵士を凝視するが、動く気配はない。

 

「お、驚かせやがって……一生寝てろ、タコ!」

 

 激情をそのまま、足で兵士にぶつけると、その衝撃で気づいた兵士の剣が空を薙いだ。

 その様子を見たスィンが顔色を変え、ミュウを肩に乗せたまま駆けてくる。しかし、距離がありすぎた。

 

「うわ、おっ、起きやがった……!」

「し、死ね!」

 

 兵士が再び剣を構えなおす。

 譜歌の効果でいまだ兵の足取りが重いのが幸いし、ルークには剣をひきぬく時間が与えられた。

 

「ひ、く、くるなっ!」

 

 鈍い斬戟を払うものの、それで相手があきらめてくれるわけがなく。

 

「うおおおっ!」

 

 引きずるように持っていた剣を、兵士は思い切り振りかぶり、剣の重みをもってルークに斬りかかった。

 

「くるなっ……くるなぁっ!」

 

 目を閉じる。殺さなければ殺されてしまう。スィンの言葉が蘇った。

 あちらは殺してよく、こちらは殺すのはよくない。ジェイドの声。

 相手の命を気遣う余裕はない。ティアの──

 いつまで経っても予想していた衝撃が来ないこと、自分の持つ剣が弾力のある何かを貫いていく感触にいぶかしみ、ルークは目を開いた。

 その目が限界まで見開かれる。

 鍛えられていた故に体が反応を見せたか、彼の剣は神託の盾(オラクル)兵士の腹──鎧の隙間を貫通していた。

 粘性を帯びた液体が剣を伝い、ルークの手のひらを濡らす。

 

「ぐぅっ……」

 

 ルークが剣を手放す前に、兵士は最後の力を振り絞って剣を振り下ろした。

 

「ルーク様!」

 

 ようやく現場に駆けつけたスィンがその剣を払ったが、とどめを加える前に兵士はそのまま倒れた。

 まとう鎧を己の棺桶とした兵士の絶命を悟り、ルークが慌てて剣を手放す。

 尻餅をついて震えながら、ルークはまだらに染まる己の手を凝視した。

 

「さ……刺した……俺が、殺した……?」

 

 激しい動揺を見せる元主を落ち着かせんと、スィンが傍へ寄る。

 しかし片手に握られた剣を見た途端、「うわあっ!」と悲鳴を上げて振り払った。

 バタン、と扉が開いてティアとジェイドが飛び出してくる。

 

「な、何が起きたの!?」

 

 仰向けに倒れている兵士と突き飛ばされた状態で痛ましげな表情を浮かべているスィン、血に濡れた両手を見つめ震えているルークを素早く見比べた。

 まずい、とジェイドが呟く。

 

「今の騒ぎで譜歌の効果が切れ始めました」

 

 遠くから、鎧が奏でる不協和音が風にのって運ばれてくる。

 そして、その音を掻き消すかのような怒声が響き渡った。

 

「──人を殺すのが怖いなら、剣なんて棄てちまいな! この出来損ないがっ!」

 

 ハッとしたようにティアが上空を見る。

 数瞬遅れてそれに倣ったルークだったが、降り注ぐ巨大な氷柱の直撃を受けて昏倒した。

 ただし、他二人の反応は素早い。

 

「流石は死霊使い(ネクロマンサー)殿。しぶとくていらっしゃる」

「……」

 

 間一髪逃れたジェイドは、デッキに降り立った赤毛の男と向き直った。

 一瞬だけ曇らせたその表情は、しかしその向こうにある見慣れた顔を見つけ、にこりと微笑へ変える。

 

「……僕はノーマークですか?」

「気づいてないだけだと思いますよ」

 

 自分の背後から聞こえてきたその声に、彼ははぎくりとした様子でとっさに振り向いた。

 よくよく見てみれば、人影は四人あったはずなのに、昏倒しているのは二人、逃れて目の前にいるのは一人。

 振り向き様剣を引き抜けば、重い衝撃と共に刀身から火花が散った。

 

「……あ」

 

 金色の髪に縁取られた顔が、驚愕の表情をかたどった。

 間近に迫った色違いの瞳に激しく動揺しながら強く睨みすえ、思い切りはじき飛ばす。

 

「っと!」

 

 それをうまく受け流し、スィンは彼と距離を取ると見せかけて近距離から何かを放った。

 しかし剣で払われ、それはころころとデッキを転がる。

 

「──スィン。ルークを護るのではなかったのですか?」

「……つい、体が反応してしまって」

 

 ラルゴがまとっていたものと同じような黒衣の青年を警戒しながらルークに駆け寄ろうとすると、神託の盾(オラクル)兵がやってきて倒れた二人を取り囲んだ。

 

「あ、ルーク様! ティア!」

「人質にされてしまいましたねえ」

 

 緊張感のないジェイドの声にかぶせるように、兵の一人が二人の処遇を尋ねてきた。

 

「殺せ」

 

 はき捨てるように言うのと同時に、

 

「アッシュ!」

「ええっ!?」

 

 スィンがおおげさに驚いた。

 新たに現れた同僚らしき女性が青年──アッシュをいさめている間にも、二人の会話は続く。

 

「何を驚いているんです?」

「だって、殺せって。この人そう言いましたよね?」

「この人は失礼ですよ。確か、六神将の一人、鮮血のアッシュ、でしたか」

「殺すつもりなら、手加減なんて初めからしませんよね」

 

 心底意外だとでも言うように、スィンはアッシュをまじまじと見つめている。

 

「ああ。多分本気だったのでしょうが、命を奪うには至らなかっただけだと思いますよ」

「なーんだ……」

 

 生け捕りにするつもりなのかと思った、と肩をすくめているスィンと、面白そうにその彼女を見つめているジェイドを顎で指し、アッシュは盛大に怒鳴った。

 

「あそこでだべってる二人も捕らえて船室に監禁しとけ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兵士による武装解除にしぶしぶ応じるスィンを横目で見ながら、アッシュは彼女の投擲したそれを拾い上げた。

 ナイフではない。先端だけが尖った黒い棒で、投げて突き刺すことができるよう重心が安定している。

 棒の部位に特殊な刻印がされてあるそれを、珍しすぎるスィンの瞳の色を、アッシュは確かに見たことがあった。

 これは──

 

「おい」

 

 後ろ手に拘束され、連行されるスィンとジェイドの背中に声をかける。

 

「女のほうに用事がある。寄越せ」

「はっ」

「ハア!?」

 

 どんっ、と突き飛ばされたスィンの二の腕をつかみ、艦橋へ引きずっていく。

 

「いっ……!」

「あ?」

 

 アッシュが掴んでいるのは、先ほどルークをかばい、ラルゴの大鎌を受けた側の腕だ。

 危うく寸断される手前だった腕は治癒術によってどうにか繋がっているものの、完璧に癒えたわけもなく。

 掴んだその箇所から傷口が破れ、出血している。

 

「……ちっ」

 

 それに気づいた時点で二の腕を離し、痛みに耐えるスィンに自主的に歩くよう促した。

 引きずられた勢いで腕が千切れなくて本当によかった。

 それに安堵している間に、ルークやティアまで搬送されていく。

 彼らがどこへ連れて行かれるのか。せめてそれを見届けようとして。あらぬ方向を見ていたせいか艦橋に続く扉の横に背中から強く叩きつけられ、大きく咳き込んだ。

 咳が収まったところで胸倉をつかまれ、アッシュの顔が接近する。

 

「答えろ。こいつはどこで手に入れたものだ?」

 

 眼前に突き出されたのは、スィンの放った棒手裏剣だった。

 アッシュの手の中で、それはくるりと一回転する。

 

「どこで……? 製造場所なんて知らない。ある人がくれたものだから」

 

 ある人。

 その単語を聞いて、アッシュは考え込むようにして押し黙った。沈黙を経て、質問が飛んでくる。

 

「──そいつの名は?」

 

 その名が回答され、耳にした途端。アッシュはスィンの両肩を激しく揺さぶった。

 

「そいつは今、どこにいる!?」

 

 両肩が軽くきしむのを感じながら、スィンは「知らない」とだけ答える。

 落胆を隠し切れないアッシュに、彼女は一言付け加えた。

 

「ときどき連絡は取ってるけど、居場所なんて聞いたこともない。だから、知らない」

 

 その返答に、アッシュはしばし黙って考え込んでいたが、再び歩くよう促した。

 抵抗することもなくついていくと、階段を下りる途中で不意に小さな囁きが聞こえる。

 

「……に会ったら伝えろ。鮮血のアッシュが連絡を取りたいと」

 

 やがてある部屋の前に連れて行かれると、扉が開くと同時に突き飛ばされた。

 たたらを踏んでいる間に扉が閉められ、アッシュの足音が遠ざかっていく。

 

「無事でしたか」

 

 幾分ほっとしたかのように見えるジェイドの顔を見て、更に無事な様子のティアとルークを見て。

 スィンもようやく息をついた。

 

 

 

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