夜の女王が如き月が中天を過ぎる頃。スィンは寝床を抜け出して、シェリダンの入り口で待機していた。
煌きの粒子に彩られる漆黒のタペストリーにも似た空は、時軸の移動によりその姿を薄れさせる。しかし、朝の到来は未だ遠い。
ただし待ち人は、そのまばゆい光に勝利した。
「いらっしゃいませ。お早いお着きで」
「……悪かった」
「この皮肉、わかるようになったんですね」
宿屋、そして海の臨める広場を監視していたスィンは、待ち人の到来を知り、腰かけていた高台から飛び降りた。
「……ナタリアは」
「あちらにおいでです。もうちょっと早ければ、タイミングぴったりだったのですが」
一応周囲に気を張るが、誰もいない。おそらく漆黒の翼の援助のもと移動しているのだろうが、今回彼らは置いてきたのだろうか。
その辺りに関して、口を挟むつもりはないけれど。
「どうして出てくると予測できた? それとも、誘い出したのか」
「何にもしてませんよ、今回は。人間、悩んでいると眠れないものですし?」
実際のところ、ナタリアは海を眺めるのが好きだった。
幼いルークに誘われ、バチカル城外を抜け出し、手始めに発見されにくい寂れた港跡へ連れて行って、あらゆるものをちっぽけに見せる海原を見せたのが原因の一端かもしれない。
とはいえど、幼いルークの屋敷脱出を手伝い、更に「ナタリア姫もお誘いに」とそそのかしたのは他ならぬスィンなのだが……
それを馬鹿正直に教える気もなく、適当にごまかしてナタリアの佇むその場所へアッシュを誘う。
気配を悟られない程度に近づき、立ち止まった。
寂しげなナタリアの背中は普段の雰囲気を綺麗にそぎ落とされており、ひどく儚い。
白む空をすかし、その髪は徐々にその色を明確にしていった。もう少し待てば、水平線より現れし太陽により、その髪は輝く黄金の色を放つだろう。
そんな彼女を見てどこか戸惑っているようなアッシュの肩をすれ違い様に叩き、スィンは無言で来た道を去った。
とはいえ、ただ放っておくようなことはしない。
その場を離れたのはもちろんアッシュの自由にさせるつもりだからだが、そのために状況の把握を放り出すわけにもいかなかった。
集中は足元に光の譜陣を描き、誘われるように
「三界を流浪せし旅人よ、流転を好む天空の支配者よ。偉大なる汝……」
『ちょっとぉー、いちいちそんな
突如響いた頭の中の声に、スィンは飛び上がらんばかりに驚いた。
「シ、シルフ!? なんで!?」
慌てて指を確認する。あの召喚の螺旋は現れていない。
そもそも彼らは、呼びかけに応じるか契約を結ぶときくらいしか現れないはずなのに、どうして──
『ここもアタシの力が強く働いてるから、勝手に口出しくらいならできるの。それより、なんでわざわざこんな回りくどい真似するわけ? どうせアタシの力使ってるのに』
「確かにこれは
『あっまーい! 甘すぎるよ我が主! 確かに他の、人間程度が考えたクズ術はそう。だけど、えー、コダイヒフジュツ、とか言ったっけ? それだけは別! ちゃーんとアタシたちの力、使っちゃってるよ? まあ、これなら別に何をしようが気にしないけどね。そういう契約だし』
シルフの言葉に、内心頭を抱える。
タタル渓谷で聞いたヴォルトの言葉、そして古代秘譜術の詠唱はひっかかっていたが、正直擬似的なものだとばかり思っていた。まさか本当に、意識集合体の力を借りていたとは、予想外にもほどがある。
だが、もたもたするわけにもいかない。スィンは開き直ることにした。戸惑うのは、後でもできる。
『で? どーすんの?』
「……シルフに願う、僕の眼となり耳となっておくれ」
『りょーかーい♪』
直後、スィンの目蓋の裏に一部始終が流れ込んできた。
佇むナタリア、ようやっと腹をくくったかゆっくりと彼女に近寄るアッシュ、物陰からナタリアを見つめるルーク。
(……何ゆえ?)
『あの赤毛の坊やなら、金髪の女の子が出てきた時点で追っかけてきてたよ。何あの三人、三角関係?』
(お願いシルフ、頼むから口を慎め)
スィンは本気でそれを願った。
やがて、アッシュの接近に気づいたナタリアが素早く後ろを振り返り、誰何の言葉を発する。
「誰!?」
寸前で、ルークは物陰から出していた顔をひっこめた。
気持ちはわかる。
一方ナタリアは、思いも寄らぬ顔を見つけて驚いたように口元へ手をやった。
「アッシュ……どうしてここに……」
「スピノザを捜して……ちょっとな。おまえこそ、こんなところで何をしてる」
──下手な言い訳だなー。
完璧な傍観者の立場で、スィンは思わず苦笑いを零した。
ちょっと考えれば、ベルケンドのい組の逃亡先であるシェリダンにスピノザが来るわけがない。その以前に、彼を匿った六神将……ヴァンが、それを許すわけがない。ここに彼らの拠点はないはずだし。
が、そんな推測をして突っ込めるほど、ナタリアはツッコミに長けていなかった。むしろ彼女はボケ担当だ。それはアッシュも同じことだけれど。
「わたくしは……」
「バチカルへ行くんじゃないのか?」
「知っていましたの!?」
それに答えることなく、アッシュはナタリアへ歩みを進めた。
そりゃそうだ。スィンから召集を受けただなんて、口が裂けても彼は話すまい。
「……怯えてるなんて、おまえらしくないな」
「わたくしだって! ……わたくしだって、怖いと思うことくらいありますわ」
「そうか? おまえには、何万というバチカルの市民が、味方についているのに?」
そういう問題ではないとわかっていながら、アッシュは処刑騒ぎで明白となったナタリアに対する信の深さを語っている。
深い沈黙を経て、彼女は深々とため息交じりに呟いた。
「……わかっています。そんなこと」
どれだけ味方がいようと、彼女にとってそれは大したことではないのだ。この場合において父親以外には。親と信じた人間から、切り捨てられた悲しみと恐怖に比べれば。
だからスィンは、彼女が彼女であるが所以を握る、ナタリアのアイデンティティを確立した人間を呼び寄せた。
天秤の片方に載せることができる、重さのある適任者を選んだ。
彼が、迷いつつも頭では決まっている彼女の決断を、後押しすると信じて。
「……──いつか俺たちが大人になったら、この国を変えよう」
不意に、唐突に。ぽつりとアッシュが呟いた。
歩んでいた足が止まり、海に面した柵の先を見据えるナタリアの隣に並ぶ。
太陽が徐々にその姿を現し、宵闇は隅へと追いやられた。まばゆい力が、静寂の世界に佇む二人を包み込む。
「貴族以外の人間も、貧しい思いをしないように。戦争が起こらないように」
「……死ぬまで一緒にいて、この国を変えよう」
どこか呆然と言葉を紡ぐ彼女に最後まで眼を向けぬまま、アッシュはきびすをかえした。
「……あれは、おまえが王女だから言った訳じゃない。生まれなんかどうでもいい。おまえができることをすればいい」
合言葉のように紡がれた言葉の真意を、スィンに理解することはできなかった。
が、今回スィンが求めたのは会話の内容、それに伴う意味ではない。
要は、アッシュにナタリアを励ますことができたか、更に決意を固めさせることができたか否かだ。
だから考えちゃいけない。デバガメやってる自分が最低だ、なんてこと。
二人だけの秘密に踏み入らずに済んだことを、感謝するべきだ。
アッシュに尋ねてはいけない。絶対に。
『えー。気になるー。知りた~い』
シルフの独り言は無視。
アッシュがきびすを返した直後に、ルークもまた移動を始めていた。
図らずも覗きになってしまった、その意識があるからか、行動が迅速だ。しかし。
「あ……」
宿屋の前には、ティアが立っていた。
「……立ち聞きはよくないわ」
およそティアの位置から二人の会話が聞こえるとは思えないが、ナタリアやルークのいた位置、そしてアッシュの存在を目で確かめたのだろう。あえてそれをたしなめている。
「……聞こえちまったんだよ。それに声、かけにくい雰囲気だったし」
「そう」
言い訳そのもののルークに突っ込むことなく、彼女は立ち尽くすナタリアを瞳に映した。
つられるようにルークもナタリアを映し、独り言のように呟く。
「俺が生まれなかったら、ナタリアはアッシュと……」
「あなたが生まれなかったら、アッシュはルークとしてアクゼリュスで死んでいたわね」
ティアの言葉は固かった。優しさなど、労わりなど欠片も感じられない声音で、むしろなじるようにルークの言葉を遮っている。
その声音に、溢れんばかりの悲しみがこめられていたことを、ルークは気づけただろうか。気づいたか、その声音の強さに驚いたか、ルークはただティアの名を口にしている。
「ティア……」
「自分が生まれなかったらなんて仮定は無意味よ。あなたは、あなただけの人生を生きてる。あなただけしか知らない体験、あなただけしか知らない感情。それを否定しないで。あなたはここにいるのよ」
「……うん。ありがとう」
(……ありがとう)
視界と聴覚を貸してくれたシルフに礼を述べ、スィンは自分の視覚を取り戻した。
『どーいたしましてー』
「……シア」
直後、戻ってきたアッシュの声が聞こえる。ふと目蓋を上げれば、すぐ前にアッシュが突っ立っていた。
──集中が過ぎていたらしい。全然気づけなかった。
跳ねそうになった体が、預けていた石壁にどしんとぶつかる。
「あいてて」
「どうしたんだ?」
不思議そうに首を傾げるアッシュに、スィンは背中をさすりながらごまかした。
事実を告白するのは、いくらなんでも格好悪すぎる。アッシュだけでなく、ルークのデバガメまでしてしまった、なんて。
「なんでもありません。それよか、感謝します。ナタリアもきっと、心を決めてくださるでしょう」
「……俺は伯父上が、あいつを受け入れると信じたいがな」
「うまく事が運ばなかった時のことだけ、私は考えていますから。おそらくジェイドもですが、最悪の事態に対応することをね」
何においても、あの人は和平条約の締結を優先させるだろう。ならばこちらは、ナタリアが受け入れられなかったときを考えておかなければ。
上りくる朝日が、シェリダンの町並みを染め上げた。
メジオラ突風の余韻がシェリダンを駆け抜け、立ち尽くす二人を優しく撫でる。
雪色の髪が、緋色の髪がなびき、一瞬だけ絡まりあった。それも束の間、白と赤は名残を惜しむ間もなくするりとすれ違う。
淡白な二人の今を、現すように。
「十二分にご注意あそばせ。漆黒の翼に、尻の毛引っこ抜かれないように」
「……そんなところに毛は生えてない」
「そういう意味じゃないです。失言でした是非忘れてください。というか、知りたくありませんでした」
忘れてた。
ガラやらなんやらチンピラにも扮せるアッシュではあるが、中身は王家に連なる貴族のおぼっちゃまである。
多少
こんな
「今のはどういう意味なんだ?」
「……一文無しにされないよう気をつけろ、という解釈で。そんなものしか所持品がなくても、容赦しない奴はしませんので」
興味深そうにふんふん、と頷く彼に「実践使用禁止」と忠告しておく。
また変な言葉を教えてしまった。今度は気をつけよう。
彼と出会ってからもう何回目かもわからない戒めを、スィンは口の中で呟いていた。
アッシュを街道の途中まで見送り、欠伸をしながらシェリダンへと戻る。
視線の先では、ナタリアを先頭にぞろぞろ集まる一同の姿があった。ひらひら手を振りながら近寄れば、一枚の羊皮紙を手にしたアニスがヤッホー、と声をかけてくる。
その紙切れには、「サンポ行ってきます」と簡潔な伝言が書かれていた。「どこに行っていたんだ!」と怒られないための工夫である。
「スィンー! こっちこっち!」
「おはよ、アニス。どうかしたの?」
「うん、ナタリアから話があるって……決めてくれたのかな?」
声をかけられたのを気に、ガイや他の一同とも挨拶をかわした。そして、集会場の前に立ったナタリアが一同を見渡して頭を下げる。
「……ごめんなさい。わたくし、気弱でしたわね」
「では、バチカルへ行くのですね?」
最終確認とばかりに尋ねるイオンに、彼女は決意を秘めた目で頷き返した。
「ええ。王女として……いいえ、キムラスカの人間として、できることをやりますわ」
「そうこないとな」
君ならそう言ってくれると思ったよ、と笑顔を向けるガイに引き続き、ジェイドもまた笑みを寄越している。
「そういってくれると思って、今までの経緯をインゴベルト陛下宛ての書状にしておきました。外殻大地降下の問題点と一緒にね」
「問題点? 何かありましたっけ?」
アニスが首をひねるその横で、ティアははっとしたように尋ねた。否、確認した。
「……瘴気、ですね」
「そうか。そもそも外殻大地は、瘴気から逃れるために作られたものでもあるんだよな」
ガイが呟くその先で、ジェイドもまた頷いている。
「瘴気に関しては、ベルケンドやシェリダンだけではなく、グランコクマの譜術研究、それにユリアシティとも協力しなければ解決策は見つからないと思います。でもそのためには──」
「そうだ。まずはキムラスカとマルクトが手を組まないと」
「行きましょう、バチカルへ。お父様を、説得してみせますわ」
ルークに引き続くナタリアのその一言により、一行のバチカル行きが決定した。
実際のところ。アッシュは如何にしてナタリアの苦悩を知りシェリダンへ来訪したんでせうか。
こっそりルークの視界と聴覚借りたとか?
あるいは、漆黒の翼配下辺りに一行の動向を監視させてたとか……
もう貴族じゃないのに経済力ありすぎる。スポンサーはどこだ。