the abyss of despair   作:佐谷莢

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第九十唱——陰謀に歯止めを、不埒者には死の制裁を

 

 

 

 

 

 城下に降り、宿を取って一息つく。

 なんとなく男性陣が宿泊する予定の部屋に集合した矢先、ティアが憂いに満ちた質問をした。

 言い出しがたいが、確認しないわけにはいかない問題である。

 

「明日、もしもインゴベルト王が強攻策に出てきたらどうするつもり?」

「……いや、説得する。なんとしても」

「だが、陛下が簡単に納得するかな」

 

 力押しでどうにかなる問題ではない、とはわかっているが、説得だけしか考えない、というのはあまりに危険だ。もしものときの対応策は、こさえておくにこしたことはない。

 突如勃発した対応策の論議に、ナタリアが参入した。

 

「そのときは、わたくしが城に残り説得します。命をかけて」

「ナタリア……!」

 

 何を言い出すんだ、と言いたげなルークを、続く言葉で納得させる。

 

「愚かでしたわ、わたくし。アクゼリュスや戦争の前線へ行き、苦しんでいる人々を助けるのが、わたくしの仕事だと思っていました」

 

 確かに彼女は、スィンが名代となったにもかかわらず、立場をわきまえることも忘れて無理やり一行に同道した。

 強すぎた正義感と世間知らずにも押された使命感のもと、ルークを脅してかなり自己中心的に親善大使の一団に加わっている。

 だからナタリアはインゴベルトと同じ考えに染まらず、国を思うその思想をモースによって歪められなかった。

 どちらかといえば彼女の行動はこちらに有利に働いているが、それは結果論でしかない。

 インゴベルト王を止めることができた可能性を持つ人間として、彼女は責任を感じている。

 

「でも、違いましたのね。お父様のお傍で、お父様が謝った道に進むのを諌めることが、わたくしのなすべきことだったのですわ」

 

 ただ、たとえアクゼリュス救援の際、城に残ったとしたもこの事態は引き起こされたかもしれない。

 世間知らずであること、本当の王女でないことをいいことに、自分の国のことだけ、自分の保身のことだけしか考えられない無能にされていたかもしれない。

 それを考えれば、まだインゴベルトと直接話す資格を持つ人間としてこちらにいてくれたことはありがたかった。

 ナタリアがあの気性でなかったら、もっとややこしいことになっていたのではないかと思う。

 

「ナタリア。やっぱりあなたはこの国の王女なのね」

「そうありたい……と思いますわ。心から。わたくしは、この国が大好きですから」

 

 会話が、途切れる。

 男性部屋の扉横で壁越しに会話を聞いていたスィンは、ふぅっ、と息をついた。

 

「……加わらなくて、よろしいんですか?」

「ナタリアには悪いけど、僕はあの人嫌いなんです。加わろうにも、嘘を宣うことでしか参加はできません」

 

 ちら、と視線を上げて声の主を見る。

 そこには、宿に着くなり外出を告げたジェイドの姿があった。

 

「嫌い……ですか。それはホドを滅ぼした人間だから、ですか?」

「いいえ。それより眼鏡、拭ったほうがいいですよ」

 

 スィンの差し出した懐紙を受け取り、赤い飛沫の付着したレンズを拭う。乾いて赤黒くなりつつある飛沫は簡単に拭われた。

 

「こっちに異常はありません。いかがでしたか?」

「確認した限り、尾行者は単独でしたが……街中につき撃退にとどめておきました。今夜はおそらく、荒れると思います」

「そうですか……まあ、そうですよね」

 

 返却された懐紙を丁寧に畳み、腰に提げた血桜を撫でる。今夜に備えて手入れしたほうがよさそうだ。

 

「ところで……」

「大佐も人が悪い。彼にホドを滅ぼした罪を着せる気ですか?」

 

 言葉を遮り、軽く首を傾げてみせる。

 ジェイドの眉が、ほんの少し動いた。

 

「ご存知でしたか。もしやガイも……」

「いいえ、ガイラルディア様はご存知ありません。これから仕えるであろうお方に対して、余計な悪感情を抱いてほしくないんです。知らなくてもいいことなら、知らないままの方がいい」

「……そうですか。ですが」

「大佐の言いたいことはわかります。ですが、それならそのとき当事者の口から語っていただきたいものです。僕も大佐の反応を見るまで、確信は持っていませんでした」

 

 最後の一言に眼を丸くし、素早く彼女の顔を盗み見る。もちろん、スィンは滅多に見せないニヤニヤ笑いを浮かべていた。

 ただし、眼がまったく笑っていない。

 

「ホドを、フェレス島と共に崩落させたのが誰なのか、知らないとは言わせませんよ?」

「……油断のならない人ですね。どこでそんな情報を仕入れたんですか」

「忘れましたね、そんな昔の話」

 

 知ったのはつい最近ではない、とのニュアンスを含ませ、ジェイドと視線を絡めぬまま続ける。

 

「そのあたりでキムラスカの人間を憎むなら、むしろファブレ公爵の方です。イの一番にホドへ侵入し、ガルディオス家を蹂躙した挙句、旦那様の首と剣を持ちかえったのは彼その人ですから」

「ならば、インゴベルト陛下は関係ないのでは?」

「まったくの無関係ではありませんけどね……夜伽を所望された際、かわすのに苦労したんですよ」

 

 ナタリアにだけは聞かせたくないその答えに、ジェイドは苦笑いを零しつつも「なるほど」と頷いていた。

 深くを追求しない辺り、紳士を自負しているだけはある。

 

「ところで、皆には話さなくていいんですか?」

「警戒してもらうにこしたことはないのですが……気が進みませんね。特にナタリアは、明日に備えて英気を養ってもらいたい」

 

 思いの他まともで最もな意見に、スィンもまた同意を示した。

 

「それもそうですね。ナタリアだけを除外して話すのは難しそうだし。内々に済ませますか」

「では、よろしくお願いします。最近年のせいで早寝早起きが習慣になってしまいまして、明日起きられるか不安なんです」

「不規則な生活を強いられる軍人が何ほざいてるんですか。起きられないのが心配なら、僕が永遠に寝かせてあげますよ」

 

 嫌なら楽しようとするな、とスィンが続ける前に、廊下からの声を不思議に思ったアニスに、立ち話を発見される。

 この話は一行が寝静まった深夜まで中断することとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 月が白々と中天を飾る刻、不意に流れた薄雲が、その優美で儚い姿をやんわりと覆った。

 覆い隠されてもなお届く月光は、にじりよる光と闇を描き、その闇にまぎれて移動する影が十数人ほど視認できる。

 いずれも黒の、体にぴったりとした衣装をまとっており、足音も深夜だというのに耳を澄ませなければ鼓膜を震わせない。

 十数人分の影は、バチカルの中央にある宿屋の前でひたり、と動きを止めた。

 やがて、影たちとは正反対に突き出た腹を揺らしつつ、のしのしと現れた人影が、粘っこい声が上がる。

 

「ここなのだな? 導師及び、偽王女一味の潜伏している宿泊施設は」

「はい。間違いありません……」

 

 一応潜めているらしいが、受け答える人間に比べれば大きすぎるその声は、まさしく大詠師モースのものだった。見覚えのある集団もさることながら、やはり彼が出張ってきたか。

 こつこつ、とわざとブーツで石畳を叩き、彼らの注意を引いた。

 案の定、彼らは驚いた様子で警戒し、モースに至っては「誰だ!」と誰何の声を上げている。直後、少女の声が道端に反響した。

 

『モース様。こんな夜更けにどうされたんですか? 特務師団の連中なんか連れて』

「おお、アニスか! ちょうどよい、導師を奴らから隔離するのだ。あの偽王女一味は、こちらで処理をする」

 

 予想通り、彼はこの少女の声をアニスと判定している。表向き導師のサポート役であるモースのこと、現在奏長の位置に立つアニスのことをきちんと把握しておいたのだろう。

 しかし、導師守護役(フォンマスターガーディアン)としての優先順位はなんと言っても導師イオンのはずだ。イオンが望まないことを、果たして彼女が従うだろうか。

 

『……どうして私が、あなたの命令を聞かなければいけないんです? パパたちに聞きました。私は今、イオン様直属の兵士として動いているのに』

「私の、この大詠師の命令を拒否するのか、アニス? 私はおまえの両親の借金を肩代わりしてやっているのだぞ」

 

 それは一応知っているが、現在タトリン一家は教団に務めて、給料没収をもって借金返済に明け暮れているはずだ。このように恩を着せられる筋合いはない。

 そもそもその肩代わりした資金は、モースの給料と同じく教会から捻出されたものであろうに。モースの肥やした私腹だったとしても、それが綺麗なものとは言いがたい。

 

『……だから?』

 

 それがどうかしたのか、と言いたげな声音に、これまで声を抑えていた大詠師はついに声を荒げて少女を恫喝した。

 

「私が一言命じれば、おまえの親の命など塵に等しいのだ! 親の命が惜しくば私の命を聞け、アニス!」

「……汚らしい。堕ちるところまで堕ちているよ、あなたは」

 

 これ以上耳に入れたくないとばかり、吐き棄てるように呟いた声音の主が、姿を現す。

 現れた影は予想されたものよりも長身で、その髪は淡い月明かりに反射し、真白に光り輝いていた。

 

「何……!?」

「確かにアニスなら、頷くしかないでしょう。アニスならね」

 

 月を包み込む薄雲のベールが、一陣の風によって散らされた。

 月光に照らされた姿は、水上の帝都を象る青の軍服を纏い、その面立ちをあらわとしている。

 

「『採魂の女神』ブリュンヒルド……! ヴァンの情婦か!」

「しょ……初代師団長!」

 

 ざわっ、と走った動揺を、モースによる「黙れ!」の一言では消しきれなかった。

 一方でスィンは、情婦呼ばわりにも顔色を変えず淡々とそのやり口をけなしている。こんな奴相手に怒りを示すのは、時間の無駄だと言わんばかりに。

 

「何か仕掛けてくるとは思っていましたが、こんな手段とは。街中の人斬りは罪ですよ。聖職者が侵して良いのですか」

「ふ……インゴベルト王が賢明にも私の言葉に耳を傾ける今、揉み消す手段などいくらでもある。女が不注意にもふらふらと夜道を出歩き、暴漢に襲われ行方をくらましたなど、さして珍しい話ではない」

 

 耳が腐るかと思うほど厭らしい喩え話である。スィンは露骨に顔をしかめて嫌悪をあらわとした。

 

「こじつけもいいところ。そんな預言(スコア)は詠まれていませんよ」

「この場で確認するがいい、シア・ブリュンヒルドよ。かつては特務師団を束ね、主席総長と同格の地位を得ながらそれを棄て、偽の王女、ひいてはマルクトなど、滅ぶべき運命を告げられし国につき、そなたに何の益がある?」

「……私の事情なぞ知ったことではないでしょう。どうしてそこまで、捻じ曲がってしまったあれを崇拝するのやら」

 

 ためいきと共に吐き出した言葉を、モースは失言として受け取っている。

 

「まだだ。今からでも遅くはない、これから預言(スコア)に詠まれた通り修正すれば、我らは繁栄を得ることができるのだ!」

「あれに記されているのは滅亡への道のりなんですがね。それで、預言(スコア)を修正するために新たな事例、私の殺害を敢行してもそれはよろしいので?」

「そなたを殺しはせぬ、ヴァンを裏切りし死霊使い(ネクロマンサー)に尻尾を振った情婦よ。一度裏切るも二度裏切るも、そなたにしてみれば大した差ではあるまい」

 

 まるでスィンが、ここで皆を裏切ることが決まっているかのような口ぶりである。もしかしたら、今夜詠まれた預言(スコア)を曲解して、スィンが裏切るものと本気で思っているのかもしれない。

 しかもその口ぶり、まるでスィンがヴァンに愛想を尽かしてジェイドをたぶらかしたような言い草である。

 ガイとスィンどころか、ヴァンとスィンの実際の関係すら知らない彼がそのように解釈しても不思議ではない。

 ……下劣で豊かな想像力さえ、働かせれば。

 

「話し合いの余地、なし……と」

 

 対話は、本気で時間の無駄だった。

 話し合いとは相手の話を聞き、理解しあい、歩み寄ることのできる両者によって成立するもの。こんな預言(スコア)狂いに一縷の望みをかけた自分が莫迦だったと、己の愚かさにため息をつく。

 貴重な睡眠時間を浪費したと、後でジェイドにねちねち言われそうで、想像するだけでも苦痛だった。

 

「特務師団諸君。刃向かうならば覚悟しろ、そして祈れ。己が魂の安寧を」

 

 血桜を抜き、硬直していた影たちを睥睨する。

 特務師団の歴史は浅い。彼らは、もともとは教団が、表沙汰にできない事態を処理する兵隊たちである。しかし彼らは表に出せない、家族にすら何の仕事をしているのか教えてやれない立場だった。

 統括する者がいなかったためでもあるが、それ以外に仕事をしていなかったため、教団が日の目を見させるのを嫌がったのである。

 その集団を、主席総長ヴァンの子飼いと言う形で出張ってきたスィンが、これまた表沙汰にできない存在だったアッシュと共に引き受けた。

 表向き教団の仕事とはまったく関係ない──「暇だから遺跡の調査とかしましょう」と言う鶴の一声でどこそこの遺跡の調査やら雑用やらを行い、その実績を元に特殊部隊『特務師団』を設立したのである。

 その過程で眠っていた浮遊機関を掘り起こしてシェリダンの技師たちに託したのだが、それはまた別の話。

 無論、それまで引き受けてきた秘密裏の役目を引き受けることは忘れていない。

 バチカル追放処分期間を過ぎてからはガイの傍にいることを選び、それまで自分のしていた仕事を全部アッシュに押し付けて──もとい任せて、スィンは教団を去っている。

 はっきりとした統率者のいなかった特務師団となる前の集団を、スィンは信頼や絆ではなく鞭と飴とコネでどうにかまとめていた。

 当時年若く、更に女であったスィンを認める人間など皆無であり、スィン自身も彼らと仲良くしよう、などという気持ちは皆無だったのである。

 どうせ仮の仕事、自分が彼らと親しくなるよりはアッシュを兵隊たちと同じ環境に置き、彼自身の才覚で自立を促し、他者との付き合いを、人の世で生きる知恵を学ばせた方がいいとスィンは考えたのだ。同時に、その立場が彼の居場所となればいいと、勝手な望みまで託して。

 師団長をアッシュに名指しし、文句のある奴は実力で引きずりおろせと言い残してからその先は知らないが。スィンの顔を見て動揺が走ったということは、当時の特務師団兵は何人かいる、ということだ。

 考えてみれば、まだあれから二年しか経っていない。

 スィンの推測を裏付けるように、影たちは躊躇っているように見える。

 

「何をしておる! そやつはそなたらを虐げた元師団長であろう! 今こそ、そなたらが夜叉姫とすら呼んだ女に制裁を……「ははははっ!」

 

 突如響いた男の明るい笑声に、スィンはげんなりと、それ以外はぎょっとして周囲を見回し始めた。

 

「そこ、笑うところではありませんよ」

「いや、失敬。夜叉ときましたか。普通は鬼師団長だの言われそうなものですが、夜叉姫……ふふっ」

「……むかつく」

 

 男は、未だ姿を見せない。

 しかし耳がいいのかただの感か、モースはそれが誰なのかを正確に言い当てている。

 ひょっとしたら感心するところなのかもしれない。

 

「その声、貴様ブリュンヒルドに誘惑された死霊使い(ネクロマンサー)か!? 偽王女を立て、我らが導師を引き込み、何を企んでおる!?」

「……とりあえず、そのような事実はない、と答えておきましょうか。私が本当に彼女に愛されたなら、当にヴァルハラへ連れて行かれているでしょうから。私が今企んでいるのはただひとつ、あなたやヴァンの企みを潰すことですよ」

 

 古代イスパニア神話にひっかけてのジョークも、あまり笑えるものではなかった。

 立ち去る気配もなくここにいるということは、事前の打ち合わせ通り、周囲を見回って来たに違いない。

 血の臭いや音素(フォニム)の乱れも感じられなかった、ということは、襲撃組は彼らだけに他ならなかった。

 それならば──この手だ。

 

「其の荒ぶる心に、安らかな深淵を──」

「むう!?」

 

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Lou Toe Ze──

 

 深夜に奏でられた古の譜歌は、大詠師モースのみを眠りの淵へと誘った。

 戦闘となればただのデブオヤジである彼に、スィンの譜歌を抗う力はなく、あっさりと路上に倒れ伏す。

 ごん、というすごい音がしたが、曲がりなりにもユリアの譜歌。肥満体特有のいびきのような寝息は途切れない。

 そんなことをしなくても一思いに屠ってしまえば、とも思ったが、街中で先に手を出すのはあまりにも早計で、お粗末だ。

 これが一番、平和的なのである。

 

「さあ、大詠師の命に従うか? はたまた彼の保護を優先するか?」

 

 影たちはしばし、じっとしていたかと思うと唐突に動き出した。

 一部がモースを抱え、一部が通行人など通らないか見張っていた人間たちを呼び、またジェイドと遭遇して昏倒させられた仲間の回収をしていく。

 なかなか迅速な動き、流石は特務師団だ。引き際はきちんと心得ている。

 やがて影がひとつもなくなり、静寂が駆け抜けたそのとき、暗がりから微妙な拍手が聞こえてきた。

 

 ぱふ、ぱふ、ぱふ。

 

「いやあ、お疲れ様でした」

「全然疲れてませんがね」

 

 それが社交辞令だと気づけないスィンではない。適当に相槌を打つ。

 

「しかし、こんなところであなたに親近感を覚えるとは思いませんでした」

「……あなたに親近感を持たれるとは、思いもしませんでした……」

 

 これはおそらく社交辞令ではあるまい。しかし、歓迎できることではなかった。

 それを言葉とし、ぶちぶち呟きつつ、宿屋の扉を押し開けるジェイドの背中を見やる。スィンが動かなかったことを察したのか、ふとジェイドが振り向いた。

 

「……眠らないのですか?」

「お先にどうぞ」

 

 促され、ジェイドが宿の中へ入る。一呼吸置いて、スィンはそれに続くことなくきびすを返した。向かった先は、撤退していく彼らの背中だ。

 全力疾走で彼らを発見したとき、特務師団所属兵士たちは昇降機に乗り込んでいた。

 物陰に隠れ、シルフに頼んで彼らの会話を探る。

 

『……ふぅ。何とかなったな』

『これであの夜叉姫ともども終わりだな』

『まさか、第二陣が来るだなんて思ってもいないだろ』

『なあ、どうせ殺しちまうなら、両手両足叩き折ってからさー……』

『おまえそれヤバイって!』

『いやいや、よく聞けよ。んで咽喉笛切って譜術も使えなくさせてから……なあ?』

死霊使い(ネクロマンサー)もいるんだろ? 生かしておけるかなあ』

『俺、なんだったら死体でもイケるぜ? なんせあんないい女なんだしさあ』

『おいおい……マジかよ?』

『でも案外いいかもしれねえなあ。美人だし、プロポーション抜群だって噂だったし』

『いやいや、それなら主席総長の妹だってひけはとらねえぜ? あのメロン! 死後硬直する前に揉んでみたいよなあ?』

『なんたってあの主席総長殿の情婦だぜ? 下手なわけないだろ、絶対上手いって!』

『んじゃ、こっそり女だけ隔離しとくか?』

『おいおい、女ってあの導師守護役(フォンマスターガーディアン)もかよ。まだガキじゃねえか!』

『おーい、こん中にロリコンいるかー? でなくても試してみりゃいいじゃねえか』

『んじゃ俺は王女サマ……いやいや、王女の名を語る不届きな女にお仕置きを』

『おまえパツキン好きかよ』

『ぎゃはははは……』

 

 はあああ。

 嫌なものを聞いたとばかり、ため息と共に解除する。すると。

 

『やだー、きもーい。ねえ我が主、やっちゃいなよ』

(そういう感性お持ちなのですか。というか、そういうこと仰っていいんですか)

『シルフは変わり者だし、考え方が人間の女寄りだからな。生物のオスが繁殖を求めるのは自然なことだと思うが』

『ばかぼると、あれは繁殖欲じゃなくて、単なる欲まみれなだけ。あと、あたしは何にも言ってないってことで!』

 

 まさか、意識集合体とのやりとりが清涼剤となる日が来ようとは。

 しかしやはり、世の中そう甘くはなかったか。それにしても、ジェイドを置いてきたのは正解だった。

 この自分を騙そうとしたことへの報い、更に、状況を知るためとはいえ、あんな下劣な会話を聞かせてくれた礼はぜひこの手で、全力でせねば気がすまない。

 どうしてか、それはジェイドにも仲間の誰にも、もちろんガイにも、見せたくなかった。

 

(シルフに願う。最上階まで運んでください)

『おっけー!』

 

 深夜だというのに、変わらず元気なシルフの返事が脳内に木霊する。同時に体がふわりと浮かび上がり、ゆるゆると上昇を始めた。

 バチカルの荒い風が、びゅうびゅうと真横をすり抜けていく。シルフの張ってくれた結界のおかげで寒さは感じなかったが、少し息苦しい気がした。

 思うままに暴れてしまったら、自分たちの首を絞めてしまう。だから、綺麗さっぱり消すしかない。それがわずらわしいからか、はたまた存在も知れない彼らの家族への、罪悪感だろうか。

 ……考えるだけ無駄である。スィンはそれ以上、息苦しさの理由を知ろうとしなかった。

 最上階の階段に降り立ち、シルフに礼を述べてから城のほうを伺う。

 夜の闇が帳を降ろしており、見にくいことこの上なかったが。どうにか兵士の一団がいることだけを確認した。

 キムラスカの鎧をまとうものはいない。大半が神託の盾(オラクル)騎士団、一部が黒装束を身に纏う特務師団の兵たちだ。モースは城の中に運び込まれたか、姿が見えない。

 ……あの大詠師がいないのは少し残念だが、今から侵入して暗殺するのはリスクが大きい。彼らの始末を優先させるが良策だ。

 まずはするべきは消音、念には念を入れて変装である。

 悲鳴やらその他の音を聞きつけられた際、目撃情報でスィンにひっかかる要素を万が一にでも残してはまずい。

 その場で軍服を脱ぎ捨て、事前に用意しておいた薄衣──夜着といっても差し支えがない、太腿がほぼ丸出しのキャミソールを着て、素足になって髪を黒く染め上げる。少しでも目立たぬために、だ。くくっていた髪をほどき、ざんばらに散らして顔を隠す。

 もし誰かに見つかっても、この姿なら多少の眼くらましになるはず。

 まるで街娼のような姿になってから、第三音素(サードフォニム)系統術──風製の結界を張り巡らせた。これで悲鳴を聞きつけられることはないだろう。

 外した血桜と共に軍服を道の隅へやり、スィンは幽鬼のような足取りで、ふらふらと城に向かって歩き出した。

 手を前方へ突き出し、譜を唱える口が見えないよう、うつむき加減になって。

 

「……奏でられし音素よ、紡がれし元素よ」

 

 覚束ない足取りで接近してくるスィンに、兵士たちは哀れにも気づいた。

 気づかなければ、何もわからず幸せな死を迎えるものを。

 

「……なあ、あれなんだ?」

「人間、みてぇだな。まさか幽霊とか?」

「どっかの貴族の娘が、夢遊病になってるだけじゃねえの?」

「んじゃ、保護してやろっかなー」

「おまえ、手ぇ出すことしか考えてねえだろ! 何指わきわきさせてんだよ!」

「いや、保護してやるんだから体で謝礼払ってもらおうかと──」

 

 聞くに堪えない。

 

「穢れた魂を浄化し、万象への帰属を赦さん……ディスラプトーム」

 

 瞬間。結界に包まれた世界は、無への回帰を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふう」

 

 風製の結界を解き、閉ざされた世界を開放する。

 吹き込まれる新たな風は、その場に立ち尽くしたスィンだけを歓迎した。

 それ以外には、何もない。

 ただ、降り積もるような静寂が支配するのみであり、本当に何もなかった。

 同じルートを辿って軍服血桜を回収、再び身につけるのが億劫でそのまま帰還しようかなという考えが働く。

 ひゅう、と体を撫でまわすだけ撫でて去った風は、いやに寒々しかった。巡回する兵士たちに気づかれぬよう、もそもそとキャミソールの上から軍服を身につける。

 手直しこそしたがサイズオーバーの軍服。そういえば、いつまでこれは着ていなければいけないのだろうか。

 そんなことを考えながら、ほてほてと宿屋へ向かう足取りは、ひどく重たかった。

 それは、憂う心のせいだけではない。それだけは断言できる。

 今の術──第零音素(ベースフォニム)使用術ディスラプトームは、体に極度の負担をかけるからだ。

 第零音素(ベースフォニム)とは、古代秘譜術を研究する最中でスィンが発見したもの。第一から第七まで、発見され名のある音素(フォニム)のどれとも当てはまらない音素(フォニム)を仮にスィンが呼んでいるだけである。

 意識集合体が存在するかもわからないこの音素(フォニム)についてわかっているのはただひとつ、術を発動させる際のみ、スィンが感じられる程度には出現し、対象の元素を崩壊に導くことだ。

 発見者であろう彼女がきちんと研究をしなかったために、どのようなものなのかは感覚的なものしかわかっていない。

 第零音素(ベースフォニム)が超振動とよく似た現象を引き起こしていることはわかっている。

 だが、これが超振動だとはどうにも認めがたいのだ。超振動にしては、あまりに規模が小さすぎる。

 マリィベルの姿では発動すらできないとはいえ、通常譜術と同じくスィンに制御可能な術であることも認めがたい要因だ。

 超振動は条件さえ合えばホドすら崩落に導けたが、同じことができるとは思っていなかった。

 大体超振動は、確か互いの発する音素振動に干渉しあうことで、音素同士の結合を解放させる、という代物であり、元素崩壊を促す第零音素(ベースフォニム)とは、効果は同じだが働く力がまったく違う。

 ともかく、その術を使って特務師団の一部──人数的に見て総員ではなかった──及び神託の盾(オラクル)兵士十何名かを文字通り消滅させ、散らばった元素のひとつひとつはこの世界に還元されたのだ。

 確かに血は流れなかった。悲鳴も上げさせなかった。彼らは何がなんだかわからないうちにありていに言う『死』を迎えたはずなのだ。

 

 ──どこまでも、どこまでも。自覚することが恐ろしいほど、傲慢な行為だった。

 

 叶うなら、安らかな死を? 

 どうせ殺すのなら、未練を残す暇もなく、何かを思う時間すら与えず、感情すら抱くことを許さず? 

 そして自分の都合のために、証拠を、この世で生きた痕跡を残させずに? 

 

 どこまでも想像でしかないが、少なくとも苦しめ虐げられた挙句の死よりは、マシではないかと、最近までは思っていた。

 人は命を食らって生きているのだから、殺すことそのものは必然だとスィンは思っていた。

 殺して、食らって、生きて、殺して。そのサイクルの中で、自分もまた殺される。それが人とは限らない。魔物に、謀略に、そしてこの体を蝕む毒素に──あるいは、未だ途切れぬ想いを抱く人に。

 けして安らかに、寿命で没することなどできはしないだろうと、漠然と考えていた。いつか、自分もこの命を奪われる日が来る。それでいいと、考えていたはずなのに。

 みし、と体の奥がきしむ。痛みに体を丸め、その場に座り込みそうになって、路地裏に滑り込んだ。

 胸を押さえ、壁に背を預けるが、足から力が抜けていく。ズルズルッ、と音を立てて尻が固い石畳と接触した。

 

 苦しい時間が、日を追うごとに増えていく。

 迫りくる死の影は、少しずつ、確実にスィンを侵食してやまなかった。

 

 何がユリアの生まれ変わりか、何が採魂の女神か。結局は、迫り来る影に怯えて、自分もできるだけラクに死にたいから、今更偽善を働く──他者はなるべく生かし、それが叶わぬなら自分の理想とする死を押し付けているだけではないか。

 なんて醜い、エゴの塊でしかない行為。そんなものが叶うわけがないのに。

 早々に純潔を失い、自分の独断で他者の人生を狂わせ、愛する人を裏切りあまつさえ刃を向けた。身も心も、これ以上ないほど穢れきっているというのに……! 

 ネガティヴな思考は、下降する螺旋を描いて過去の汚点を記憶より引きずり出していく。

 屈辱と悲憤の追憶は、これまで歩んできた道を、歩み続ける道の灯火を消し、ただ深い深淵へと、スィンを突き落とした。

 このまま意識を手放せたら、どんなにラクだろうか。

 だが、これまで尋常とは程遠い人生を歩んできた彼女が、彼女の体がそれを許すわけもなかった。

 頭を振って、まとわりつく下降思考を振り払う。

 望みもせず思い出してしまった後悔の数々を再び記憶の奥底へ封印し、発作が治まったことを確認して立ち上がった。

 街灯で照らされる朧な道が、一瞬暗くなった後にしっかりと浮かび上がる。

 ぺしん、と両の頬をはたいて、階段を登っていくと。

 

「おかえりなさい」

 

 宿の扉に背を預けていた人影に迎えられた。

 なんとなく予想はついていたものの、街灯の下あらわになったその顔を見て、思わず呆れ声を洩らしてしまう。

 

「まだ起きていたんですか」

「ええ。誰かさんが無駄に時間を使ってくれたもので」

 

 だから第一陣を追い払った後で、あなたを先に休ませたのに。

 口をついて言葉と成そうとした思いを、寸前で押し留める。

 言い訳こそ、時間の無駄だ。さっさと切り上げて、休息を取りたい。華麗に紡ぎだされるであろう厭味と文句と刺々しい言葉を、可能な限り受け流そうと身構えて。

 

「お疲れ様でした。嫌な役目を押し付けてしまいましたね」

 

 意外すぎるその言葉に、スィンは思わず眼を見開いた。

 

「……何の、話ですか?」

「思い出したくないのなら、それで結構。明日を楽しみにして、もう休みましょう」

 

 あっさりきびすを返して、さっさと宿の中へ入っていく。

 その背中を半ば呆然と見送って、スィンは「……え?」と思わず呟いた。

 

(あの反応……もしや気づいてる? ンな馬鹿な、いくらなんでもあんな開けた場所で尾行されたら気づかないわけがない。それとも単に責める気がなくなるほど眠たかった? まさか死霊使い(ネクロマンサー)なだけに、人間の構成音素が大量に消失したのを気づいた──)

「……スィン。いい加減にしないと、今度こそ寝込みを襲いますよ」

 

 その場に佇み、悶々と考えることに明け暮れていたスィンが、ギギギッ、というわざとらしい扉のきしみに気づく。

 

「それとも、朝までくんずほぐれつと行きますか? この年で徹夜は疲れますが……スィンがどうしてもと言うなら「わ、わかりました。寝ます」

 

 扉から顔を半分だけのぞかせ、眼鏡を妖しく輝かせる死霊使い(ネクロマンサー)を前に、悩める彼女は慌てて駆け寄ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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