the abyss of despair   作:佐谷莢

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第九十一唱——父親と王、彼が選びしは……

 

 

 

 

 

 翌日。

 いつも通りの時間にスィンは眼を醒ました。手早く身支度を整え、皆が集合する階下の食堂へ赴く。

 纏うのは、あのサイズオーバーの軍服ではなくこれまで着用していた黒の上衣袴である。

 誰かさんには見咎められるかもしれないが、これにはれっきとした理由があった。着替えるとしたら、納得されなかったその時だ。

 まだ誰も来ていない食堂で待つことしばし。コツ、コツと静かな足音が聞こえてきた。

 特徴的な軍靴の鳴る、柔らかな足音。

 

「おはようござい……おや? その様相」

 

 ロイヤルミルクティーの湯気の向こうには、死霊使い(ネクロマンサー)ジェイドが立っていた。

 おはようございます、と返してティーカップをソーサーへ戻す。

 

「これは、ですね……」

「大筋で予想できます。ですが、顔を変えないと意味がありませんよ?」

 

 今日の謁見にて、おそらく一行はインゴベルト王だけでなく、アルバイン内務大臣や大詠師モースとも顔を合わせるだろう。

 昨夜、直接顔を合わせ、なおかつ彼の手駒に大幅な痛手を負わせたスィンに、トチ狂ったモースがおかしな言いがかりを言い出しかねない。

 それを封じるために、そして何よりインゴベルト王が強攻策を考えていた場合、奥の手はあると勘ぐらせるための布石でもあった。

 

「もちろん。あとで許可を頂きま「おっはよーございまーす!」

 

 飛び跳ねるような足音が響く。見やれば、ひょこりと跳ねるツインテールが特徴的な導師守護役(フォンマスターガーディアン)、アニスが走っていた。

 

「おはよ、アニス」

「おはようございます、アニス」

「おはよっ、スィン。おはようございます、大佐! ところでイオン様はまだですか?」

「イオン様なら、なかなか起きないルークをガイやミュウに加わって起こそうとしている真っ最中だと思いますよ」

 

 ……それを知っているということは、彼はその騒動に加わらずのほほんと自分だけ降りてきた、ということか。

 

「そ~ですか~。にしても、いよいよ今日ですねっ!」

 

 何にしても、昨夜のことを話すには絶好の機会である。幸いにも、まだ仲間たちは階下へ降りてくる気配がない。

 事情を知るジェイドと対象者だけである今、逃せばややこしいことになるのは明白だった。

 意を決して、ちゃっかりジェイドの隣に座るアニスに話しかける。そのきっかけとなった言葉に、彼女は当然眉をしかめた。

 

「……ねえアニス。イオン様と両親、選ぶならどっち?」

「……な、何? いきなり何なの、スィン?」

「実はね……」

 

 ヤキモキはするだろうが、今回の謁見では傍観者の立場を貫くだろうアニスに、昨夜の襲撃を語る。

 モースが両親を人質にアニスを脅そうとしたことを伝えると、彼女は黙ってうつむいてしまった。

 

「モースが、そんなことを……」

「いつか本当にこういうことがあるかもしれない。そのときは……一人で抱え込まないで。僕たちじゃなくてもいい、アニスの信頼する誰かに話して、対処できれば……って思う」

「……ねえ、モースはそう言ったのがスィンだって、知ってるよね?」

 

 アニスは頷くことなく、ただそれを尋ねている。

 

「わかった」の一言が聞けなかったことに僅かなひっかかりを感じながら、頷くことで肯定を示した。

 

「そっか……」

 

 ほっと息をつくアニスに、スィンは言葉を重ねようとして。

 

「おはようございますですの、ティアさんナタリアさん!」

「おはよう、ミュウ。よく眠れた?」

「ばっちりですの!」

「それは……うらやましいですわ……ふわ」

 

 続々と降りてくる仲間たちとの挨拶、朝食にかまけて、いつのまにかそれを忘れてしまった。

 じっと考え込んでいたらしいアニスはといえば、今やすっかりそのなりを潜めて「イオン様、朝は食べないと体が保ちませんよっ!」と豪快に叱り飛ばしている。

 ルークは持ち前の寝汚さで、ナタリアはおそらく緊張で眠そうに朝食を口へ運んでおり、ティアはこっそりと付け合せのニンジンをミュウにやっており、ジェイドは優雅に足を組んでコーヒーを口に運んでいた。

 ガイは、といえばどこか険しい表情でサンドイッチをほおばっている。

 それが飲み込まれたとき、すでに朝食を終わらせていたスィンは「ガイラルディア様」と口を開いた。

 

「ん、どした?」

「……この国の行く先、気になりますか?」

 

 サンドイッチがお気に召しませんでしたか、と尋ねるのを急遽取りやめ、小声でそれを聞いた。

 彼はサンドイッチの残りを口に放り込み、もごもごと何かを呟いている。

 

「むぐむぐ、もごもごご、むぐぐぐ」

「……そうですか」

 

 ごくん。

 

「今のわかったのか?」

 

 尋ねるガイの耳に唇を寄せ、ヒソヒソとイントネーションから推測した意味を囁く。彼の眼はみるみる丸くなっていった。

 

「ガイ様。僭越ながらマヌケに見えますので、おやめください」

「おまえって、やっぱスゴイな……」

「おやおや。それは遠まわしな身内の自慢ですか?」

 

 容赦なく主をシスコン呼ばわりするジェイドにひと睨みをくれ、スィンは本題を取り出すことにした。

 

「ガイラルディア様。今度こそスィン・セシルの姿で登城します。許可を」

「そうか? わかった」

 

 許可を得て、くるりと後ろを向く。

 そのままの姿勢で、呟いた。

 

「Rey Va Neu Toe Qlor Lou Ze Rey。望むのは、望むのは、在りし日のお嬢様」

 

 大気中に漂う第七音素(セブンスフォニム)、スィン自身の保有する第七音素(セブンスフォニム)が収束し、練り上げられ、彼女を包み込んでいく。

 第七音素(セブンスフォニム)は真白の髪をガイによく似た金に染め、その面立ちも何もかもを、変質させた。

 輝きが失せる頃、振り向く。その顔は、ナタリアやルークに仕えた彼女のものとなっていた。

 複雑そうに顔を曇らせるガイに、言葉もなく一礼をする。これでするべきことはすんだ。

 

「……それでは、参りましょうか。バチカル城へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんだあ?」

 

 ルークがそう零したのも無理はない。

 一行が城前にたどり着いたとき、キムラスカの兵士たちはなにやら忙しそうに走り回っていた。

 石畳に這いつくばって何らかの作業をこなしている者、通りがかる人々に次々と話を聞いていく者、そんな部下たちの統括を行う者……

 昨日までは一行の、特にナタリアやイオン、ついでにジェイドの一挙一動をピリピリしながら見張っていたというのに、今はまったくのノーマークなのだ。不審に思わないほうがどうかしている。

 

「何かあったのですか?」

 

 導師守護役(フォンマスターガーディアン)の、ひいては己の好奇心を満たすためか、イオンはすぐそばを通った兵士を捕まえて尋ねた。

 相手が相手なだけに即答した兵士の言葉を聞いて、そのつぶらな瞳を見開いている。

 

「実は、大詠師モース子飼いの兵士たちが相次いで失踪したようなのです」

「ダアトの……神託の盾(オラクル)の兵士たちが、城から消えたというのですか!?」

「いえ、モース殿のお話によれば大所帯であったために城下の宿で待機させていたとか。それが一夜のうちに所在が掴めなくなったようで……」

 

 調査がありますので、自分はこれでと、兵士は素早く去っていった。

 

「モースの部下が……蒸発?」

「モースの奴に嫌気がさしたんじゃねえの?」

「嫌気がさした程度で騎士団を辞めるような、軟弱な兵士が起用されるわけないわ」

「不気味ですわ……このバチカルで何が起こったというのでしょう」

 

 口々に首を傾げる四人を他所に、ジェイドに事情を教えてもらったアニスがじー、とスィンを見つめている。

 二対の視線から逃れるように、スィンは明後日を向いて「今日はいい天気だなー」とほざいていた。

 遠くからは、小鳥のさえずりではなく兵士のドラ声が聞こえてくる。

 

「ええい、目撃証言すらないのか!」

「深夜、娼婦らしい女が徘徊していた、くらいしか……」

「兵士十数名の失踪に何故街娼が関わってくる!? 港に目撃情報がない以上、徒歩でバチカルを出た可能性が高い。捜査範囲を広げるんだ!」

「はっ!」

 

 ……変装した意味はあったらしい、と。

 満足そうに唇を歪めるスィンに、ひたひたっ、と忍び寄る影があった。

 

「……楽しそうですねえ、スィン?」

「そりゃ、まー、ざまみろって。これでモースが謁見の間に現れなければ、最高なんですけど」

「──詳細は後できっちり報告してください」

 

 イヤでーす、というスィンの言葉をわざと聞かず、ジェイドは一行をせかして城へと誘っている。

 兵士らが忙しい今、乗り込むのが妥当なのは誰もが理解できること。もしも強攻策を取られても、突破できる可能性が高くなるのだ。

 右往左往する兵士らと幾度もすれ違い、門をくぐる。

 滞りなく謁見の間へ通されたそのとき、滞りがないのはここまでの行程までであることを知った。

 玉座にはインゴベルト王、そしてアルバイン内務大臣やゴールドバーグ将軍、更に大詠師モースまでもが同席している。

 兵士の姿がないということは、この場はあくまで話し合いで通すつもりなのだろうか。

 マルクト皇帝の懐刀と名高い死霊使い(ネクロマンサー)がいるというのに、まさか将軍一人でこちらを全員拘束できるとは思っていないだろう。

 向けられる視線の中、一同は堂々と王の眼前へと到達した。目礼だけに留める間に、モースがぽつりと呟く。

 

「……陛下の言っていた者の姿がありませんな」

「私の部下のことでしたら、外で待機させてあります。異変、もしくは合図があったらすぐに突入するよう伝えてありますので」

 

 しれっ、と大嘘をぶっこいたのはもちろんジェイドだ。『私の』という単語がやけに強調されていたのは気のせいであってほしい。

 それに納得したかどうかは知らないが、とにかくインゴベルト王が本題を切り出した。

 

「そちらの書状、確かに眼を通した。第六譜石に詠まれた預言(スコア)と、そちらの主張は食い違うようだが?」

「預言はもう役に立ちません。俺……私が生まれたことで、預言(スコア)は狂い始めました」

「……レプリカ、か」

 

 インゴベルトの眼が、視線が、ルークに突き刺さる。

 それにどのような意味が込められているのか、今のルークに気づけないはずもない。だが、彼はそう見られるのも仕方がないと言わんばかりにその視線を享受している。

 この様子では、ティアの心配そうな視線にも気づいていないだろう。

 

「お父様! もはや預言(スコア)にすがっても、繁栄は得られません! 今こそ国を治める者の手腕が問われる時です。この時の為に、わたくしたち王族がいるのではありませんか?」

 

 その視線をさえぎるように、ナタリアが一歩進み出た。

 熱弁を振るう彼女を、再び己を父と呼んだ少女を、インゴベルトはどこか苦しげに見つめている。心情を察するなら──事実を突かれて良心が痛い、と考えるべきだろうか? よもや姦しい、ということはないだろう。

 

「少なくとも預言(スコア)にあぐらをかいて贅沢をすることが、王家の務めではない筈です!」

「……私に何をしろと言うのだ」

 

 やはり、老成した彼には、彼女の主張が青臭いと感じるのだろうか。彼はどこか苦々しく、だが自然に話題をすり替えている。

 

「マルクトと平和条約を結び、外殻を魔界に降ろすことを許可していただきたいんです」

 

 ルークがそれを提唱すると、インゴベルト同様モースにすっかり丸め込まれているらしいアルバイン内務大臣が、憤りのあまり批判を放った。

 

「なんということを! マルクト帝国は長年の敵国。そのようなことを申すとは、やはり売国奴どもよ」

「だまされてはなりませんぞ、陛下。貴奴ら、マルクトに鼻薬でもかがされたのでしょう。所詮は、王家の血を引かぬ偽者の戯言……」

 

 両名共に、ここにそのマルクト帝国の手先がいることがわかっているのだろうか? 

 と、そこで。

 

「だまりなさい。血統だけにこだわる愚か者」

 

 口出しは許さないとばかり、イオンはぴしゃりとモースの口上を妨げた。彼らしからぬ鋭さに、モースはおろか対象外であるはずのアルバインすらも黙っている。

 沈黙を破るように、「陛下」とジェイドが口を開いた。

 

「生まれながらの王女などいませんよ。そうあろうと努力した者が、王女と呼ばれるに足る品格を得られるのです」

 

 つまりこれは、ナタリアを自分の娘でなくていいから王女として見ろと、王女としての彼女の言葉を聞き入れろと遠回しに言っているのだろうか。真実は、彼しか知らない。

 

「……ジェイドの言うような品性が、わたくしにあるのかはわかりません」

 

 それを察したかどうかもわからないが、ナタリアはどうにか、言葉を続けた。

 王女ナタリアの名に恥じぬ、誇りと威厳を掲げ持ち、毅然とした態度と、何よりも彼女らしい言葉をもって。

 

「でもわたくしは、お父様のお傍で十七年間育てられました。その年月にかけて、わたくしは誇りを持って宣言しますわ。わたくしはこの国とお父様を愛するが故に、マルクトとの平和と大地の降下を望んでいるのです」

 

 沈黙が、訪れた。

 ナタリアの気品溢れるその様子に、口を挟む暇もなく誰もが沈黙を余儀なくされている。

 これは王が答えるべきことであると、その場に流れる空気が語っていた。

 インゴベルト王はどこかまぶしそうに、ナタリアを見つめている。

 長い長い沈黙。それに伴う緊張感。

 やがてインゴベルトはゆっくりと頷き、重厚にして威厳に満ちた声で、一言呟いた。

 

「……よかろう」

 

 ハラハラしながら王の言葉を待っていたアルバイン、モースの血相が変わる。

 

「伯父上! 本当ですか!」

 

 喜色に満ちたルークとは正反対に、彼らは否定を求めて見苦しく喚いた。

 

「なりません! 陛下!」

「こ奴らの戯れ言など……!」

「だまれ!」

 

 モース、アルバインの言葉を、王は老獅子のごとき恫喝で鎮まらせている。

 その剣幕に両名は言葉を失うも、次の言葉には彼女もまた言葉を詰まらせていた。

 

「我が娘の言葉を、戯れ言などと愚弄するな!」

「……お父……様……」

 

 ナタリアの声が震える。我が娘と、インゴベルトは言ったのだ。聞き違えるはずもない。

 彼は少しやつれたような顔を彼女に向け、弱々しく微笑んだ。

 

「……ナタリア。おまえは、私が忘れていた国を憂う気持ちを思い出させてくれた」

「お父様、わたくしは……王女でなかったことより、お父様の娘でないことの方が……つらかった」

 

 こらえきれなかった涙が、ナタリアの頬を伝った。

 そんな、娘と呼んだ少女を愛しげに見つめる王の目に、もはや迷いはない。

 彼は、父親であることを選んだのだ。それは、揺るぎようもない事実であった。

 

「……確かにおまえは、私の血を引いてはいないのかもしれぬ。だが……おまえと過ごした時間は……おまえが私を父と呼んでくれた瞬間のことは……忘れられぬ」

「お父様……!」

 

 ──嗚呼、見てられない。

 

 感極まったナタリアが、インゴベルトの元に駆け寄る。

 そんな彼女を暖かく迎えた、父子が互いを認め合った瞬間を、スィンは視線をそらして見過ごした。

 その視界の端で、モース、アルバイン、そしてゴールドバーグ将軍が退散していくのが眼に入る。

 感動の和解を果たした二人は、やがて互いの仕事を思い出したかのように立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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