「ガイ! お主、
ペールの怒声、更に玄関の騒ぎに何事かと駆けつけたラムダスの活躍により、ガイは酒池肉林の恐怖から解放された。
「た、助かった……」
「何を暢気な! スィンが……!」
眦を吊り上げて口走ったその言葉を取り消すように、彼は口を押さえている。
スィン、という言葉を耳にして、尻もちをついていたガイは、ガバッ、と立ち上がった。
「スィンが、どうした?」
「……」
事の次第を囁けば、彼は血相を変えて自室へと走っていく。
なんだなんだと一行がついていけば、彼が赴いた部屋の中はもぬけの空だった。ただ、床に血桜がころん、と転がっている。
「ガイ、スィンに何があったのです?」
「……誰かに誘い出されたらしいんだ。一体どういうつもりで……」
近寄り、血桜を拾い上げる。
と、そのとき。ペールが部屋の隅に転がっていた筒状の音機関を拾い上げた。
カチカチと操作し、何らかの動作確認を行ってからガイに差し出す。
「儂の拙い説明よりは、こちらを聞かれたほうがよろしいかと」
ガイはすぐさま音機関をひったくった。
『……すが、だね。気配は消してたのに』
「これは……」
『……こんにちわ、烈風のシンク。こんな場所で、午睡でも? 優雅だねえ』
「やっぱりシンクの声!?」
どよめく一同を、「静かに、聞こえません」の一言でジェイドが黙らせる。
『御託はいいよ。アンタに話がある。顔、貸してもらえないかな』
『……話だけなら、ここで聞く』
『他人に聞かれちゃ困るんだよ。総長からアンタに向けての伝言なんだけど』
『今は、僕たちだけしか聞いてないよ』
『そんな屁理屈、通用するとでも思ってるの? まあ、聞きたくないならそれでもいいけどね。飛行機関の操縦士がどうなってもいいなら、さ』
「ノエルが人質になってるのか?」
『……どこまでオリジナリティに欠ければ気が済むんだ。恥ずかしくないのか? よりによってディストと同じことするなんて!』
『……こんなところでお説教なんか聞きたくないよ。文句があるなら、僕を捕まえてからにしなよね』
『あ、ちょっ……』
がさがさっ。
葉擦れの音。それをかき消すように、スィンは罵声を放った。
『待ちやがれこのクソガキ! 行き先くらい教えろよ、見失ったらどうしてくれる!』
『安心しなよ。アンタがついてこられるかどうかなら、ちゃんと確認するから』
『くっそー……馬鹿にしやがって。僕はもう若くないんだぞ! おばさんを労われや、ガキンチョ!』
『はいはい。総長と互角に張り合った人間が、何不思議なこと抜かしてんだか』
『ぐっ……互角……勝ってもないし、もちろん負けてないし、い、言い返せない。グゥの音しかでない~』
『アハハ、アンタ顔に似合わず面白いね。でもさ、あんまりグズグズしてるとラルゴが何するかわかんないよ? あの操縦士、結構イイ体してるしさあ』
『ラルゴまで来てるのか! ……って!! 子供が何を言って……! ん、何その紙切れ。カンペ? カンニングペーパー!?』
『……鬼さんこちら、手の鳴る方へ』
ぱん。
シンクの手が鳴らされたらしい。反論がないということは、図星なのか。
『待て待てぇ、こいつぅー……なんて誰が追っかけるか、そんな見え見えの……』
『おまえの主は男狂いー』
『ふざけんなクソガキぃっ!! てめぇガルディオス家断絶させる気か! せめてバイセクシャルくらいで! って、違う! 不吉だから訂正してけ! 言い捨てて逃げるなクソッタレぇ!』
がつっ、という音がして、大きな棒状のものが床を転がる。
どうやらここで血桜は放り出されたらしく、直後カチ、という音を最後に、他は何も記録されていなかった。
「窓枠にひっかかって、外したようですね」
「思ったより時間を稼げてはいますが……結局二人の行き先はわからずじまい、ですか」
転がっていた血桜の謎を解いたイオンの言葉を受け取り、言葉少なに思案していたジェイドだったが、やがて呆れたように息を吐き出した。
「しょうがない人ですね、たかだかガイの中傷を言われたくらいでカッとして」
「たかだか……」
たかだか呼ばわりされて少し傷つくガイだったが、フォローしてくれる人間はいない。
強いてあげるなら、困ったように彼らのやり取りを見守るペールくらいなものだった。
「まあ、ガイのことでスィンが怒り出すなんて日常茶飯事だけどな」
「そうね。ちょっと馬鹿にされるとすぐ怒り狂う誰かさんとは大違いだわ」
ルークとティアによるにらみ合いはさておいて、アニスがポツリと呟いている。
「……私は、少しわかる気がするな。イオン様の悪口言われたら、私だって多分冷静じゃいられないよ」
「アニス……」
ルークとティアのにらみ合いとは対照的にほのぼのしている二人もさておいて。
「そうですか? 私も陛下に仕えている身ですが、中傷を叩かれたところで平気ですがね」
「それは仕える者の資質と、主に対する尊敬によってまた違うものになるのではありませんこと? 現に大佐は、スィンやアニスと違ってピオニー陛下とは違う意味で親しくあられるでしょう」
「親しく、ですか……それと血の繋がりがあることは、果たして無関係なのでしょうか?」
ぴくり、とペールがわずかな反応を見せる。突如話題をひるがえらせたジェイドに、全員が注目していた。
そして彼の視線は、ペールへと向かっている。
「スィンが不在というのは都合がいい。ご老人、何故二人は主従の関係なのですか? 半分とはいえ、二人は……」
「
「……なるほど。ガイや私たちがメイドの大群に気を取られている間に話したのですね……」
あの場は追うべきだったか、とばかり小さく舌打ちをしたジェイドだったが、幸いにも聞いている者はいなかった。
スィンだったら、気づいて突っ込みのひとつも入れそうですね。
人差し指で眼鏡のブリッジに触れながら、浮かんだ苦笑を手のひらで隠す。
そしてジェイドは一同を見渡した。
「仕方がありません。あのじゃじゃ馬はともかくノエルが心配です、捜索しましょう」
身もフタもない提案に、主に二名がいきり立っている。
「ジェイド!」
「まあ、なんて言い草ですの! 大佐はスィンが心配でないと……!」
「もちろん、心配などしていません。彼女は自分の面倒を自分で見る人ですから、必ずや切り抜けるでしょう。ただ、相手はグランツ謡将を含むかもしれない六神将少なくとも二名ですから、無傷で、というのは難しいかもしれませんね」
滅多に聞くことのできないジェイドの断言に、ガイ、ナタリア両名は思わず苦情をないことにしている。
直後、怒涛の選抜指令が下った。
「さて……では、二人が負傷しているかもしれないことを想定して治癒術士を分けます。ティアはルーク、アニス、イオン様と共にアルビオールへ戻ってください。ノエルがどうなったのか、痕跡を調べてほしいんです。ノエルが自力で逃げ出さないとも限りません。ナタリアは私、ガイと共に二人の捜索をお手伝い願います。ペールさんはもしもスィンが戻ってきたときのため、ここに留まっていただきたいのですが……よろしいですか?」
「は、はい」
実戦さながらの、命令に近い指示である。マルクト帝国軍第三師団師団長の名は伊達ではない。
普段とはまた違う雰囲気の、ひどくきびきびしたその手際に、ルークが眼を丸くしてズレた感想を零していた。
「すっげー。軍人みてぇ」
「もともと大佐は軍人だって」
そしてアニスに突っ込まれて「あ、そっか」と頭をかいている。
「ではお先に。アルビオールで合流しましょう」
そしてジェイドは、ガイ、ナタリアを率いて足早に去っていった。
一陣の風が過ぎる。
部屋には、ルーク、ティア、アニス、イオン、ペールが残された。
「どうしたのかしら? 大佐、妙に焦っていたようだったけれど……」
「え~? ティアったら、そんなの決まってるじゃない」
不思議そうな彼女とは裏腹に、アニスはとてつもなく邪推に満ちた笑みを浮かべている。
しかし、不思議そうにしているのは何も彼女だけではない。
ペールを除いたお子様二人もまた、不思議そうにしている。
「何が決まってるんだ?」
「スィンだよ! 大佐、口じゃああんなこと言ってたけど、ホントはスィンのことが心配で心配でたまんないんだよ」
「でも、ジェイドは彼女のことを自分の面倒は自分で見る、と……」
「それはですねー、イオン様。大佐はスィンが自分に頼らないからむくれてるんですよ! どうして相談してくれないんだ、どうして自分だけで抱え込むんだ、って……」
止める人がいないことをいいことに、アニスの一人芝居がどんどん加速した。
「じゃなかったら、マルクトの軍服なんて着込んでる大佐が積極的にバチカルを歩き回ろうなんて考えないよ! それに、あれは絶対ガイのこととも関わってる。スィンってば事あるごとにガイ優先だし」
「でもそれは、スィンがガイの従者だから……」
「それはわかってる。でも時々、勘違いしたくなるくらいガイの側につくよね? ルークが親善大使だったとき、あたしたちがルークの態度に辟易してた。でもスィンは、従者だからってそばにいた。まるでガイがルークに味方してやれないから、自分が代わりに味方する、みたいにさ」
過去の自分を取り出されて、ルークは酢でも飲まされたような顔をしている。
しかしアニスは気にしなかった。
「ユリアシティについたときも、ルークとアッシュの決闘に立ち会ったんでしょ? 前にミュウ、言ってたよね」
「はいですの。スィンさん、ハラハラしながら見守ってたですの!」
「その後、ルークの迎えにこそ行かなかったけど、ルークが戻ってきたとき嫌な顔ひとつせず『おかえりなさい』って言ってたし。スィンはルークをかばって怪我もしたし、言われて嫌なことも、傍から見てて可哀想なくらい言われてた。それでも怒らなかったのって、スィンがガイの従者だったからじゃないの? ガイのご主人様だったルークに口答えしたら、きっとガイに迷惑がかかるから、って……」
「俺……そんなに嫌な奴だったのか……」
打ちひしがれるルークにミュウが「大丈夫ですの、ご主人様」と励ましを送っている。
「……何がだよ」
「スィンさんは優しい人ですの。ご主人様が誠心誠意、平謝りして土下座して靴の裏舐めれば許してくれないこともないですの!」
「そこまでしなきゃなんねぇほどにキツいこと言ってたのかよ、俺は!」
じーざす、と言わんばかりに頭を抱えて天を仰ぐルークはイオンに任せることにして、ティアはふとペールを見やった。
彼はルークに駆け寄るイオンを見ているようにも見えるし、イオンに必死の慰めをされているルークを見ているようにも見える。
そして、嘆くルークの足の裏で「み゛ゅう~……」と呻くチーグルを眺めているようにも見える。
意を決して、ティアは彼に話しかけた。
「……あの」
「なんですかな?」
「どうしてスィンは、ガイのことになるとあんな……態度を豹変させるのですか? スィンは自分が従者だからだ、と言ってはばかりませんが、ガイはそれにあまりいい顔をしていません。二人の間には、何が……」
言葉を選びながら質問するティアを微笑ましく見ながら、彼はゆったりと口を開いている。
優しげな眼は、どこか彼女を懐かしく見つめていた。
「お嬢さんには、生きがいというものがおありかな?」
「生きがい……?」
「もう随分昔の話になる。スィンは、自分がどうして生きているのか、それがわからないと儂に尋ねたものじゃ。自分だけではなく、何故命は生き、そして死ぬのか。どうせ死ぬなら生きる意味などないのではないか。などと、無茶苦茶を抜かしての」
「どう、答えられたのですか?」
「『人は、自分の為すべきことのために生きている』──成長の過程で自分なりの真実を見つけてほしいと祈りながら、儂はこう答えたのじゃよ。後にガルディオス家の従者となることを知りながら、そのときスィンが『自分の為すべきこと』が何なのか、思い込むことを見越してな」
人が生きる理由など、それこそ星の数だけある。
大切な人のため、もちろん、自分のすべきことのため、あるいは自分の、命の存続を願う人々のため。
そして、なにより──自分自身のため。
血は繋がらなくても、スィンはペールの孫だ。本当は、時間をかけて自分の理由を見つけてほしかった。
しかし、彼もまたガルディオス家に仕える騎士の一人である。
まがりなりにもナイマッハの人間である彼女に、間違っても騎士、従者以外の道を歩ませるわけにはいかなかった。
そして彼女は今、ガルディオス家の騎士でなくなってしまったヴァンの分まで従者としての役割を果たそうとしている。
「マリィベル様のことは聞き及んでおられるかな?」
「……ガイの、お姉さまのことですね」
「あ奴の言葉を信じれば、マリィベル様はガイを護るよう言い残し、ご逝去されておる。フェンデ家の長男坊にそれを伝え、それを承諾したように見受けたが……今となっては、そちらも事情は知る通り。マリィベル様を看取った者として、お嬢様の遺言を受けた者として、必要以上に気張っておるのじゃろう」
ルーク、イオン、ミュウ、そして途中参戦したアニスの様子を見ながら、彼はどこか沈んだ調子で締めくくった。
間接的に兄のことを言われ、ティアの心がぎゅうっ、と縮こまる。
思い込みもさながら、スィンはヴァンによってもガイに、ガルディオス家に縛られていた。
彼女にその自覚はないし、そう告げられたとしても、スィンはけして嫌な顔はしないだろう。
自分にはするべきことがあると、自分は生きていていいのだと、喜ぶのだろう。
人が生きていていい理由なんて、あるわけがないのに。
人が生きる資格など、生まれてきたそのときから当然のように持っているものなのに。
言葉少なく首肯していたティアを気遣うように、ペールは小声で彼女にだけ囁いた。
「お嬢さん。フェンデの名を持っているからといって、あなたがこちらの事情を気にかける必要はない。あなたはあなたの問題に集中なさるといい」
「!」
その言葉に、ティアは切れ長の瞳を大きく見開いている。
「ご……ご存知だったのですか!?」
「兄君との特徴もさることながら……フェンデ家の奥方によう似ておられる」
紅潮した自らの頬をティアが押さえている間にも、嘆いていたルークはそろそろと復活を遂げていた。
「……やっぱ、謝ったほうがいいよな。うん、スィンが戻ってきたら謝ろう!」
「蒸し返さない方がいいような気もしますが……」
「その意気ですの、ご主人様!」
自己完結したルークに冷静なイオンが意見するも、ミュウによってかき消されている。
こうなったらもう、行き着くところまで止まらない。
「ほら、ルーク! そろそろアルビオールへ行かないと!」
大佐がおっかないよ? と、落ち込ませたのは自分のくせに、アニスはルークをせっつきだした。
「そうだな。じゃあペール、またな!」
「いってらっしゃいませ」
勢いよく去って行く彼らに、ティアがぺこり、と辞儀をして慌てたようにその後を追う。
わずかに開いた扉から、こんな会話がペールの耳に届いた。
「どうしたんだよ。顔、真っ赤だけど」
「な、なんでもないわ。それより早くアルビオールへ……」
未だ冷めやらぬ紅潮を指摘され、彼女のごまかす様子がありありと伝わってくる。
その様子に、照れ屋さんの域をぶち抜いている孫の姿を彷彿とさせながら、彼は窓枠に残る靴の痕を眺めていた。