the abyss of despair   作:佐谷莢

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第九十六唱——その子どこの子、父親は誰?

 

 

 

 

 沈黙が、漂う。

 顎が外れんばかりに驚いていたガイだったが、スィンの腕に抱かれた少女が口を開く寸前、どうにか己を取り戻した。

 

「……スィン、お前、いつの間に子供なんて……やっぱ、父親はヴァンなのか?」

「ガイラルディアさま。ちょっとおちついて、ひとこきゅうおいて、お話を聞いていただきたいのですが」

「おいおい、子供にまで俺のことそう呼ばせる気かよ。お前の子供ってことは、俺この年でおじさん……?」

「さしてめずらしい話ではありませんが、ちがいます。どうかれいせいになって、対話におうじてくださいませ」

「お嬢ちゃんはちょっと黙っててくれ」

 

 スィンへ向けた言葉が、すべて名も知らぬ少女に答えられている。当の本人はぼんやりと宙を見つめるばかりだ。

 先ほどからだんまりを続けているスィンに、彼は苛立ったかのように詰め寄った。

 

「どういうカラクリか俺にはわからんが、俺はお前に聞いてるんだ。答えろ、それは誰との子だ?」

「ハイハイいいから落ち着いてください」

 

 なかなか進まない話に業を煮やしてか、憤るガイをジェイドが脇へやっている。

 不満げなガイに、「ちょっと黙りましょうか」と瞳を見開いてのフルスマイルで穏便に黙らせ、ジェイドは子供を抱えているスィンの前に立った。

 

「まさか、とは思いましたが……やはりあなたが本人なんですか?」

「はい。こっちがうつせみ、本体はボク」

 

 見た目だけでなく、体のつくりそのものが幼くなったのだろうか。舌足らずなしゃべり方と今までの口調に愛らしいギャップが生まれている。

 小さな手が背後を、自分を指すその様もまた、見ている人間をほんわりとさせる風情をかもし出していた。

 だが、事情を知ってしまった以上、呑気に頬を緩ませるわけにはいかない。

 緊急事態、なのかもしれないのだから。

 

「……何が起こったのか、じっくり聞きだしたいところですが……ノエルはどこです?」

「幸いと言うか、なんと言うか、多分ぶじ。少なくとも、ボクがさそいだされた先に、かのじょはいませんでした」

 

 空蝉も腕が疲れるのか、よいしょっ、とばかりにスィンを抱え直している。

 その光景にひどい動揺を覚えながら、ジェイドはくるりとナタリアを見た。彼女は彼女で、ガイを落ち着かせようとあたふたしている。

 

「ナタリア。とりあえず、彼女にリカバーと側頭部の治療を。シンクに応援を連れてこられても厄介ですので、早めに離脱しようかと思います。なるべく急いで」

「わ……わかりましたわ」

 

 小さなスィンが現れた時点で放心していたナタリアが、どうにか我に返って少女の治癒を開始する。

 

「ときに、空蝉を仕舞わなくていいのですか?」

「おうじかねます。さいぼうだのきん肉だのほねだの、いっぺんにちぢんだらしいので今は立つことすらむずかしいんです。ちょっと時間をくださらないと、歩行はこんなんですね」

 

 ちぢんだ。

 その言葉に、少なからぬ衝撃を感じながら、ジェイドは当人を抱える空蝉を見やる。

 姿かたちはもちろんのこと、衣装や身体的特徴、表情の細部に至るまで模倣されており、一見オリジナルとの区別がつかない。

 今は人間的な反応にとぼしいこと、仕草がまったく彼女らしくないことから別人だとわかるが、その気になればオリジナルそっくりに仕立て上げることができるのではないかと推測できた。

 何故なら、先ほどシンクを脅したその手並みは、味方ですら騙される演技であったから。

 

「その気になれば──」

「はい?」

「その気になれば、私たちを騙すこともできたのではありませんか?」

 

 それを思った途端、ジェイドはどこかに感情を置き忘れてきたような声でスィンに問いただした。

 そのただならぬ様子に気づいたのか、スィンはかすかに首を傾けている。

 しかし、記憶等知能は縮んでいなかったらしく、無邪気な声で安易に疑問を解消しようとはしなかった。ただ、望まれた答えを唱えている。

 

「むいみな上にむりです。どうしてボクが、みんなにうそを言わなければいけないのですか? それに、うつせみはやっと表情をかたどれるようになったんです。自力では、まだ声が出せません」

「あら、でもさっき話していたではありませんか」

 

 治癒を終えたナタリアに礼を言ってから、「ちょっとした手品を使っただけです」と適当に流した。

 気づいてからというもの、体を起こそうとしただけで激痛が走ったのだ。仕方がないから自分の衣類に包まったまま空蝉を作成したが、いくつかの気配の接近に空蝉を隠した。

 そして彼らの到着後、スィンはシンクの接近に気づいている。彼にこの姿をわざわざ見せてやる必要はない。

 空蝉に口だけ動かさせ、動けないスィンは二十七の自分の声を作って発したのだ。

 自分で聞く自分の声と、他人が聞く自分の声には若干のずれがある。おそらくそれが、ジェイドの覚えた違和感の正体だろう。

 ノエルの無事が知りたいから、という名目で、スィンは空蝉の背に揺られて三人と共にアルビオールへと戻った。

 そこで待ち受けていたのは、困惑した様子はあるものの無事なノエルの姿、更に。

 

「か、可愛い……v」

「きゃーっ! スィンってば、子持ちだったの!?」

「すごいですの、スィンさんそっくりですの!」

「おやくそくのボケはいいから、ボクの話を聞いてくれるとうれしいなあ……」

 

 三者三様の、想定内の反応にうんざりした様子を見せながら、スィンはきちんとこれまでの経緯を語った。

 

「えーと、シンクにノコノコついてって、そしたらまちぶせされていて、ラルゴにくどかれおいかけられて、なんかくすりあたまからかぶって、気づいたらこうなってた。おしまい!」

「……もし本気で言っているのでしたら、空蝉だけに同行を求めますよ」

「でも、シノプシスはこんなもんですよ。ヴァンから伝言がある、無視するならノエルがどうなっても知らないと言われてしぶしぶしたがって。ラルゴのまってたそうこでノエルがいないのをかくにん。伝言をきいたあとに逃走げき、そのさいちゅうディストが作ったとかいうあやしげなくすりをなげつけられました」

「それが、先ほど頭に負っていた怪我のことでしょうか?」

 

 頭皮が裂けていた、未だ血糊のこびりついている髪を指してナタリアが問えば、スィンは大きく頷いている。

 

「それで、一度つかまりました。さらわれそうになったんですけど、すきをついて逃げ出してきたんです。しょうさいははぶきますけど、そのとき気を失ったんですね。次に気づいたら、もうこの体になっていました」

 

 一息に言い終えて、スィンはふうっ、と息をついた。

 一同の反応を見ずに、「そういえば」と自分の腕を差し出している。子供らしい腕には、輪っかのままの手錠がぶらり、と垂れ下がっていた。

 思えば、あのときから体が縮み始めていたのだ。

 ただでさえ鍵開けは開ける鍵の構造に熟知していなければならないのに、更に後ろ手という状況ではあれほど素早く逃げることはできなかっただろう。

 そう考えると体が縮んだのはある意味で幸運だったが……厄介には厄介だった。

 ジェイドが納得したように頷いた後で、スィンは自分の空蝉に抱えられたまま、女性陣に取り囲まれたのである。

 

「……なあに?」

「スィン。とりあえず今の体のサイズに合った衣類を調達してきましょう」

「いいよ別に。今持ってるのを手直しして、何とか……」

 

 いつも通りであるはずだが、どこかそわそわしているようなティアの申し出を却下した。

 しかし、続くノエル、ナタリア、アニスによって逃れられぬ状況へと陥る。

 

「駄目ですよ、服はどうにかなっても下着は? 靴はどうするんですか?」

「まさか四六時中空蝉に介助を頼むわけにもいかないでしょう? わたくしの行きつけで用立てましょう!」

「あたしたちで選んであげるからさ♪」

 

 ……そして。スィンはノエルを含む女性陣に半ば拉致される形で、高級服飾店へ連れ込まれていた。

 男性陣はといえば、暗黙の了解気味に留守番を強いられている。

 ただしジェイドだけは、女性の趣味による買い物が長くなることを知っていたのか、むしろ積極的に留守を預かっていたが。

 

「スィン! 手始めにこれ着て、これ!」

「スィン、こんなのどうかしら?」

「あら、これはスィンに似合いそうですわ!」

「スィンさん、こちらはいかがです?」

 

 可愛い服、きちんとした服、ぴっちりした服、だぼっとした服、ひらひらっとした服、ふりふりっとした服……

 次々と寄越される布の山を前に、スィンは頭痛を覚えてやまなかった。

 これはけして、おかしな薬を頭から浴びたから、だけではないだろう。どうにか歩けるようにはなったが、まだ体を動かすのは痛い。

 空蝉に手伝ってもらい、女性陣の要望に答えてはきたものの、そろそろ限界にさしかかっていた。

 何しろ、彼女らにはナタリアがついている。更にこの服飾店は、ナタリアが以前から愛用していた、いわゆる行きつけの店舗なのだ。ナタリアがここへ来るだけで広告となる以上、店への迷惑にはならない。

 従って、スィンが明確な拒否を示さなければいつまでたっても終わらないだろう。

 

「んじゃーねー、次は……」

「あー、みんな? ボクそろそろ、おじいちゃんのところに行かないといけないから、ね?」

 

 フィッティングルーム──試着室のカーテンをサッと開き、腰に手を当てて次の衣装を構えていた彼女らを牽制した。

「まぁ」だの「可ン愛いーv」だのといった黄色い悲鳴は聞こえなかったことにして、出ようとする。

 しかし、続くアニスの一言で、スィンは硬直を余儀なくさせられた。

 

「いいけどスィン、それにするの?」

「ん?」

 

 試着室から出ようとして、くるりと後ろ、据えつけられている鏡で自分の姿を確認する。

 考えてみれば、今まで着替えをして皆に見せることにしか集中していなかったため、己の姿にさして興味は持っていなかった。

 黒を基調に白のフリルがふんだんにあしらわれた、抑え目ではあるものの正統派ゴシックワンピース。

 胸元の大きなリボンが愛らしい。

 

「その衣装でしたらこちらも」

 

 白いレースがついた白と黒のヘッドドレス。ヒールと言わずつま先と言わず、マキビシを踏んでも平気そうな分厚いソールの可愛らしい真っ黒なおでこ靴。高価そうな絹の、ガーターベルトとハイソックス……

 

「って、こんなぶあついブーツで旅ができるか!」

「そこなの!?」

 

 その場で脱ごうとして、悩む。

 これまでは女性陣が選んだ服を適当に着ればよかったが、自分で選ぶとなるとどうしても実用性を重視してしまう。

 この、主に貴族たちが愛用している高級服飾店で、果たしてスィンの望む実用性のある衣装は存在するのだろうか。

 更に、購入物についてただいま身を包むゴスロリファッションに瞳を輝かせている彼女たちと裂けるチーズのように意見が別れるのは必死だ。

 実際に着用するのはスィンなのだから、自分が選んだものの方がいいに決まってる。

 しかし、今の彼女たちにそんな正論は通じそうにない。

 どうしたものか……

 

「ではこちらの、ゴシックロリータファッション一式にクロスベルトコートの計十点でよろしいですね。下着等は……」

「この際ですからお願いしま「って、何かってに買おうとしてるんですか!」

 

 すでに会計とやりとりを交わし始めているナタリアに空蝉を操り、羽交い絞めにする。

 

「きゃあ! 何をいたしますの!?」

「こっちのせりふです! これを着るだなんて、言ってません!」

「いいじゃないの。こんなに似合ってるんだから……v」

「たたかえないでしょ!」

「大丈夫! スィンが元に戻るまで、あたしが代わりに前出てあげるから!」

 

 ──結局。ゴスロリコス一式に加わったコートは誰が着るのかをスィンが問い詰めている隙にナタリアが会計を済ませてしまい、スィンがゴスロリコス、空蝉までもが足元まである黒いコートをまとう羽目になった。

 

「なんで、うつせみにまで……」

「だって、外套もうボロボロになってたんでしょ? この際新しいのに変えた方がいいよ」

「だからって、こんな痛ったい格好……」

「そんな心配なさらなくても、とても似合っていますわよ?」

「……ボク、二十七さいなのに……」

 

 胸元とウエストにはチェーンにかかった鍵と錠のアクセントがあり、ゴシックファッションというよりは軽いヴィジュアル系になっている。

 腰に差した血桜が、異様な雰囲気をかもし出していた。

 

「スィン、刀はコートの中に仕舞わないと」

「それじゃあとっさに抜けないよ」

「だから戦わなくていいって。それで、ペールさんのところに行くの?」

 

 強制的な衣装チェンジを余儀なくされたスィンが、空蝉の背中に乗ったまま軽く思案する。

 行くつもりだったが、こんな格好で会いに行くのはいかがなものか。スィンはともかくペールの趣味を疑われるかもしれない。

 それでも、ジェイドはペールに待機しているよう伝えたのだ。自分の無事くらい、伝えた方がいい。

 格好だけではない。軽率な行動その他について何を言われるかわかったものではなかったが、それでも会わずにほったらかすという選択肢はない。

 最も、彼女が今一行と団体行動をしている以上、ペールに報告をしなかった理由などいくらでも捏造は可能であったが。

 

「……うん、行く。皆はどうする?」

「一緒に行きましょう。今個別行動をするのは軽率だわ。十分注意しなければ」

「スィンが戦えないもんね。今スィンを一人にしたら、大佐に殺されちゃうよ」

「……」

 

 空蝉を歩かせる最中。スィンは自分だけ後ろを向いて、アニスに対し首を傾げた。

 

「なんで? たいさが何かするとしたならむしろ、一人になろうとしたボクをせめるんじゃないかなあ」

「そんなことないって! スィンも鈍いんだから」

 

 鈍い。

 

「にぶいって……まさかアニス、たいさがボクにこじんてきでとくしゅなかんじょうをもってるって、言いたいの?」

「そんな婉曲的表現使わなくても。単に──」

「やめて」

 

 面白がるアニスの言葉を一言で切り捨て、スィンは吐き棄てるように呟いた。

 

「たとえ仮定だとても、つつしんでおことわりしたいね。ネクロマンサーにあいされるって、つまりししゃへのかたみちきっぷじゃん。いやだよ、ボクまだ死にたくない」

「いや、あたし、そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」

「同じこと。それでもボクはいや。むしずが走る」

 

 愛らしい顔を嫌悪に歪めるも、それは一瞬の出来事。

 負の気配に蝕まれた感情を洗うように深呼吸をしてから、スィンは空蝉を操り先へ進ませた。

 プチスィンを背負いながらも颯爽としたその足取りについていけず、アニスが呆然としたようにその背中を見つけている。

 

「……意外。スィンって、大佐のこと嫌いだったんだ」

「好み、とは言っていたけれど……外見と性格にギャップがありすぎたからかしら」

「……ティア。それ以前にスィンは、その……ヴァンと夫婦関係にありませんでしたかしら?」

 

 ほんのりと頬を染めて事実を確認するナタリアに、あ、とアニスが呟いた。

 

「そうよね……それじゃあ、大佐を恋愛対象になんて」

「でも、わかんないよ? 人の心に鎖なんかつけらんないし」

 

 ──まったくその通りだ、と思う。

 その言葉は、ジェイドが抱くスィンへの思い云々を綺麗さっぱり忘れさせる力があった。

 人の心に鎖はつけられない。人が人に抱く感情を、永久(とわ)とさせる術などない。

 そして思うのは、やはりヴァンのことであった。

 ましてやヴァンには、リグレットが傍にいる。彼女は、同性の目から見ても魅力的で生命力に溢れた女性だ。彼女はヴァンに敬意を、余りある好意を寄せているし、スィンが傍にいたときも、ヴァンもそれを嫌がってはいなかった。

 人間である以上、異性からチヤホヤされることを厭う人間は少ない。スィンなどは、自分が欲する相手以外の好意など要らないと思っているが、彼がそうだとは限らない。

 ましてやこの状況である。今リグレットがヴァンに迫ったら、彼は……彼女を拒否、するだろうか。

 それは、どう贔屓目に見ても、考えにくい。ヴァンとて男だ。

 若くはないが、年寄りではない。生理的な欲求に負けることは、人間として恥とはならない。

 考慮して、導かれる答えは──

 

「もう、デキてるかも」

 

 知らず、言葉が洩れる。

 もしそうだったら、自分はどうすればいいのだろう? 

 答えは明確だ。干渉するべきではない。もう離縁した身だ、誰が誰とくっつこうと、知ったことではない。何なら祝福でもしてやればいい。

 人は誰しも己の考えを持つものであって、誰かの持ち物となることなど、ありえないのだから。

 ──でも。

 

(ヴァンが、リグレットと……?)

 

 ぎりっ、と歯がきしる。

 事実か定かでないくせに、制御しきれない嫉妬を表に出さぬよう心がけながら、スィンは己の拳を握りしめていた。

 

 

 

 

 




 称号:リアルゴシックロリータ(スィン)
 ゴシックファッションのロリータ。ゴスロリファッションではありません。
 これ以上の説明は不要! 


「ゴシック」は、もともと中世ヨーロッパの建築様式を示す言葉。
この場合は中世ヨーロッパの廃墟、主に教会、館、城などを舞台に繰り広げられる、ホラーの混じった冒険譚──ゴシック小説が語源。
ゴシック小説の登場人物達のファッションが元になっているとかで、ゴシック時代のファッションを再現したものではないそうです。
「ロリータ」は、いわずとしれた少女を指す言葉。諸説ありますが15歳くらいまでですかね。
元はとある小説のタイトルにして登場人物の美少女を指す。
ロリコンは「ロリータ」と「コンプレックス」を組み合わせた和製英語。マザコンと同様の過程を経て形成した略称なのだとか。


ちなみにスィンは現状、7歳です。20年若返っています。
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