二代目死者の国の王(予定)なイデア・シュラウド(26)が弟の全部を河に流す話。仄かし程度にハデイデ要素を含みます。※リズミックとフルボイスが合わずチュートガチャにも辿り着いてない実質未プレイ者が書いてる

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ゆらぎの名前

 この水面、苦悩(くるしみ)悲嘆(なげき)燃焼(もえて)憎悪(にくみ)──そして、忘却(わすれる)、それを、イデア・シュラウドなら人生と呼ぶ。死者が水に流したあらゆる感情、生きていた者たちが生きていた証の煮詰まる先を「死の河」と呼ぶ人々を、屍衣(シュラウド)の嫡子は愚かしい者だと見下げていた。

 

 今日、イデアはカローンに渡すための銀貨を、ポケットに三枚忍ばせている。自分が憎悪の河(ステュクス)の向こう岸へ行くための一枚、もしかしたら何百年か後に現世へ戻るための一枚、そしてもう一つ。弟を、ただしく冥界へ送り届けるための銀貨を、十五年越しに。

 

 イデアが冥界へ下るまで、オルト・シュラウドの魂を解放する(てばなす)まで、本当は百年かかるはずだった。冥府の石榴を百年掛けて食べながら、少しずつイデアは死者に近づくはずだった。ただ、誰もが知るようにイデアは冥府の王に大きすぎる負債があった。かの「見えざる御方」がそう望めば、イデアの方が拒めるはずはない。

 

 あの日、イデアは神と契約した。

 

 オルトは、魔力こそイデアよりも少なかったが、それ以上に体が弱かった。到底、冥界の血を引くシュラウドの青い魔力に耐えることは叶わないと、誰もが分かっていた。イデア以外の、誰もが。イデアだけが、それを分かっていなかった。

 

 オルトの魂が肉体から離れて、その間を繋ぐ細い糸がふつりと切れるのを見た瞬間、イデアの中でも何かが切れる音がした。それは自制の糸だったのかもしれないし、人に当然備わるべき倫理観であったのかもしれない。あるいは、それこそが人間(イデア・シュラウド)に割り当てられた運命の糸だったのかもしれない。

「オルトの魂は、僕のものだ」

 そう囁いて、呪いを。それはあらゆる魔法のうち、最も根源的なもの。魔なる立法。神の権能の一端でさえあった。人が使うにはあまりに過ぎたそれを、イデアはなんとかして決行しようとした。

 

 魔法式は組めた。この魔法石のブロット蓄積量は汎用マジカルペン規格の百倍はある。排出ブロットは気にしなくていい。それでも魔力はどうしようもない。イデアの魔力は人間にしては多い方だが、この奇跡には到底足りなかった。

 

 だから。

 無意識に、新しい魔法を組んでいた。契約術にして召喚術。高位存在の魔力だけを喚び出す術を。

 

 足りない魔力を、死者の国の王から借り受けた。その膨大な死の魔力に耐えられない脆弱な肉体が、耐えられるようになるまで変性していくのを感じていた。肉が冷えていく。拍動が遅くなって血が淀む。青い魂の内から溢れる魔力が形を取って、髪が長く伸びる。そして何より、視界が。人の魂だけではない、魔力が、情念が、冥界へ渡った死者が置いていってしまった魂の残滓のようなものさえもが、イデアの金の瞳に今や映る。

 呪いのように青く染まった目元が、契約の証だった。必要なだけの魔力を、それに耐えられるだけの体を、死せる者を地上に留め置く権利を。その代わりに、来たるべき時にかの神を地の底から解放することを。

 

 その日から、イデアの未来は一つに収束した。死者の国の王。冥界の要石。そういうものに。少年は十一歳だった。

 

 たったの十五年でその日が来るとは予想していなかったけれど。

 

「オルト、おいで」

 誰かを騙すように、それだけを言った。この八年間、夏の度に通っている道を歩く。今年は、今年だけは、二人で。嘆きの島の地下洞窟へ。

 

 憎悪の河の畔へ。

 

 本当は、オルトを冥界に送るなら、わざわざ嘆きの島の地下からステュクスの岸辺へ歩いて行かなくても、もっと簡単な方法がある。イデアの燃える髪の向こう側は、それこそ冥界に続いているので、ほんの数秒で済む。

 ただ、その道は、その道こそが、十五年前にオルト・シュラウドが通ろうとした道だったから。あの日の続きを、どうしてもイデアは完遂できそうになかったから。こうして、シュラウドの人間さえ滅多に使わない地下の道を下っていくことにした。二人で。

 

「兄さん、ここ、死者の国じゃない?」

 小舟が近づいて来る。最近は自動化されているものもあるが、今日はカローンが乗っていた。銀貨を二枚。

「……そうだよ」

 

 ステュクスの向こう側は、死者が住む場所だ。実体なきものたちの住まう土地、死者の国。

 

 オルトの機体は、地上のものでも地下のものでもない。地下から産出した金属と半導体を、地上で加工して、命のない機械(アーティフィシャル)の心と体。だからこうして、地の奥底、死者の国まで連れてくることもできた。生きた人には冷たすぎるこの場所まで、揃って来ることができた。

 

 これは祈りだ。機械のオルトは、イデアの形持つ祈りだった。プログラムされた精神。イデアが設計図を引いた体。正しくオルトであれ、という願い。正しく我が弟たれ、という呪い。イデア・シュラウドという人間にもしも何か価値があるのなら、それは機械でできた少年の形をしている。

 

「どうして」

 わけがわからない、という声だった。あれほどオルトを完成させることに心血を注いでいた兄がこうして未だ発展途上のオルトを死者の国へ連れてきたことも、既に肉の体から切り離されている自分だけでなくイデアまでが舟に乗っていることも。

 

 この先にある新月の夜よりも冷ややかで暗い場所こそが、イデアの居場所だった。今よりずっと前だって、きっとそうだった。

 

「時間切れ」

 柔らかに言う彼はいっそ、微笑んでいるようにも見えた。それでも、それ以上何も言おうとはしなかった。船頭が無言で振るう櫂の水を裂く音と、河の流れが岩砕ける響きだけが満ちている。死者の領域に、舟が届く。

 

 イデア・シュラウドに地上は眩し過ぎた。漂う魂、互いに絡みあう情念、陽光のように煌めく生命、そのすべてがイデアの金眼には、自身に宿る青火などより余程明るく輝いて映る。目が潰れてしまいそうだと思って、イデアは自身の領域に閉じ籠ることを決めた。最低限以外の灯りを、霊魂と同様に排した部屋に。魔法と神秘の削ぎ落とされた電子の海に。

 

「こっちだよ」

 弟の手を引いてイデアは歩く。慣れた様子で、まるで生きているかのように振る舞うゴーストたちをいないものとして歩く。流石に国一つを徒歩では越えられないので、馬車の駅まで。

 

 ゴーストは。肉体と魂を繋ぐ精神の糸が切れないまま、彷徨い出した霊魂だ。肉の形を忘れられないまま、喰われて腐って砕けて燃える肉の体に縛られたまま、この世にしがみ付いている魂たち。彼らは、ある意味でまだ生きている。糸の切れてしまったオルト・シュラウドとは違って。

 

 御者はゴーストではなかった。実体を持つ彼女は、オルトの目には妖精族のように見えた。バンシーだろうか。

「冥界まで」

 馬ではない幻想のいきものが牽引する車が、一直線の舗装路を行く。死した魂たちの居るべき場所、生きていた魂たちの傷が癒える場所、彼らの王が住むところへ向かって。

 

 ガスで燃えるオルトの髪は、魂が抜けても変わらない。それはイデアが作った部分だから。髪色を決めるのは感情ではなく、炎色反応と酸素量だ。あれは工学の産物だから。使用ギアを換装する時、頭部パーツのメンテナンスをする時、水に濡れた時、炎は消火されて全くのゼロになる。これはイデアがかけた形だけの呪いだ。

 

「兄さん、説明して。何をするつもりなの。もう、僕は要らないの?」

 兄は、オルトの方を見ていた。オルトの、顔ではなく胸元を。灯る炎の色形を憶えておこうとでも言うように、じっと。

 

 オルト・シュラウドは悲しかった。それがたとえプログラムされた電子の動きに過ぎないのだとしても、そう感じていることだけは本当だ。我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)。それは裏を返せば、オルトの実在を知っているのはオルトだけと言うことでもある。

 

「そうじゃないよ……オルトと別れるわけじゃない」

 あるいはその方が、幸福なのだとしても。イデアは、意図して言葉の矛先を逸らした。

「地下で暮らすだけだよ。何も変わらない」

 元より、腐ることを知らない体の弟と、冥府の石榴に侵された死体擬きの兄だ。冥界にて過ごすことは、知己に会えないこと以外地上と殆ど変わりない、はずだ。

 

 イデア・シュラウドは自分が天才と呼ばれる部類の人間であることを知っている。幼き日のイデアは才智に溢れていた。人の技を、人の業を以って人の道から外れてしまえたくらいに。

 

 今やこの身が怪物に、神々に、天災にたとえられる側の存在であること、努力ではどうしようもない魔の性質の部分でヒトから遠いことを知っている。この髪が、魔力と魂──冥府の揺らめく青い炎が地上の誰より濃いことを自覚している。それでも。イデア・シュラウドだって殺せば肉で、燃やせば灰だ。そうあって欲しかった。

 

 それが、それだけのことが、最早叶わないのだと知ったのは、カレッジを卒業するよりも前のことだった。

 

 それが夢だとわかっていた。冥府の底の底、煌々と焚かれる青炎の只中にイデアはいた。肉よりも真実な魂だけで、奈落の淵に立っていた。

 

 自分という形が、揺らいで崩れて青に熔ける。莫大な魔力の渦、糸杉の子らが還る先、見えざる方の断片。青く冷たく燃える慰霊の炎へと。くずれて、ほどけて、そのなかで声をきいた。人ではなかったように思う。

 

 そんな夢を、何度か見た。その度に魔力は僅かずつ増えていった。僅かずつ変わっていった。魂も魔力も髪も、この炎はいっそう、青く濃く眩く燃えるようになった。治癒も防御も益々苦手になって、人を殺せるような魔法と、それから金属の錬成だけが残った。死者の国の王は、地下資源の守護者でもある。

 食べなくていい、が、食べられない、に変わったのもこの頃だった。冬以外の体温が、外気温よりも冷たくなりだしたのも。ほんとうは人魚(おなかま)だったのか、と部活の後輩には聞かれた。彼は冥界と同じくらいに日の光から遠いところ、海の深いところの生まれだった。

 

 その夏からだ。地下洞窟の先へ降りるようになったのは。苦悩と憎悪の果て、悲嘆と忘却の隣、炎の燃える地の底、地下の主人の元へ一年ごとに通うようになったのは。

 

 口移しにされた(プシュケー)は魂で、肌の上に撒かれた体液は魔力の塊で、溶け合う青い炎は冥府の支配者の権能そのものだ。シュラウドにしても随分早くその頃には既に老いを忘れたこの身体は、それらを吸い込むようにして変質を進めた。脳髄(からだ)(たましい)とが変わっていくのに引き摺られるようにして、精神(こころ)が歪んで外れて、人の道から転がり落ちる。

 

 空が、月のない夜でさえ、苦手になった。海を、凪の夕べですら、避けるようになった。生きている人に、触れなくなった。イデアの死の色をした魔力も、心臓の脈打つ人間の体温も、お互いに毒になる。締め切った部屋に、魔力を満たすようになった。あれほど嫌っていた青い炎がなければ、息ができなかった。もう息を吸う必要もなかったけれど。

 

 馬車が止まる。辺りは静かだった。休む場所を探して流れ着く魂の他には、ゴーストでさえ、此処へは滅多に来ない。冥府それ自体、死者の国も嘆きの島も、何かを探して自分から来るような場所ではない。どうしようもなくなった最後に辿り着いている場所が此処だった。冷たく凍る地下の最果て、燃える星から一番遠い場所。天高く輝くことのなかった平穏と凡庸とがゆきつく先。冥界は、すべての特別でない死者のための場所だ。たとえば、イデアのおとうとのように。

 

 コップが一つ。石榴が二つ。

「オルトのだよ」

 石榴の一つを手に取って、コップに視線を向ける。オルトは電子機械の例に漏れず水濡れに強いとは言えないが、魔法薬の成分を分析する時のように僅かに口に含むことはできる。

「そうなの?」

「僕は飲まずに来いって言われてるから……」

「そっか」

 兄のその言葉に、納得したように弟は頷いた。イデアは、イデアの嘘を見抜く機能を、イデアの言葉を疑う機能を、オルトにつけていなかった。

 

 忘却の河(レーテー)の水に記憶(ムネーモシュネー)を一滴。名前と役割だけを残して、未練と執着と心残りを水に流す。そして冥界の石榴を丸一つ。百から享年を引いた年だけ、屍衣の子は冥界で働かされる。

 

 イデアが石榴に歯を立てたのと、オルトが忘却を口にしたのとは、ほとんど同時だった。

 

 胸の炎が大きく揺らいで、また灯る。今度は、機械の器の外側に。燃える青が揺らめいて、一つ残った石榴に重なる。冥界の石榴は、魂で摂食するものだ。死に縁深いシュラウドの魂を冥界へ繋ぎ止めて、肉を持たない冥神の裔に形を与える為の。

 

 百年後には青炎に還るこの魂の、行き着く先が自分でなければいいと思った。そうすれば千年後にもオルトがイデアとは別のものとして生きていられるような錯覚が。

 

 オルトの記憶と精神が忘却の河(レーテー)に流れていく。その知識も、その意識も、いつか記憶の泉(ムネーモシュネー)に湧くことだろう。

 

 石榴がなくなるのと一緒に、テーブルは風に溶けるように消えた。其処に、影のような青年が立っている。イデアの弟が。魔力の青く燃える髪と、冷えた金の瞳を瞬かせて、けれど記憶を流し終えた彼の名前を、イデアはどうしても呼べなかった。知らない歳の、知らない声の、弟がそこに立っている。じっと。

 

 こうなることを知っていた。いや、願っていた。忘却(レーテー)の祝福を、冥府に流れる唯一の慈悲を、オルトが受け取ることを。イデアの罪を彼が忘れてしまうことを。

 

 (イデア)の手が神に届くまで、五十年は必要だった。まだ三分の一にも足りない。だから、だから、「オルト」に魂はない。燃える青は、高温のガスだけだ。

 それでも、魔導工学のプロメテウスが(ほんもの)の所業に届くには足りなくても、異端の天才がヒトの最果てへ辿り着くには、26年は長すぎるくらいだった。

 

「……記憶領域の初期化に成功しました。再起動中です。機械・魔法的操作を行わないでください」

 声が。「オルト・シュラウド」の声がする。イデアがつくった、声がする。

「おはよう、兄さん。データにない場所みたいだけど、ここはどこ?」

 オルト・シュラウドは、イデアの最高傑作は、そこらの接客用ロボットなど及びもつかないくらいの、その内側の魂がなくても動くに十分なくらいの、機械仕掛けの精神(アーティフィシャル・インテリジェンス)を積んでいる。そうしたのは、違いようもなくイデア自身だった。

 

「……おはよう、オルト。冥界だよ。こっちで働くことになったんだ」

 まっさらになってしまった弟から目を逸らして、イデアは「オルト」にそう言った。イデアがつくった正しきもの(オルト)に、そう言った。ポケットの中の記憶装置(ストレージ)から意識を逸らす。この機械(オルト)を、今度こそは(オルト)にしてしまわないようにしないといけない。もはや魂収める器である必要もない以上、出来ることはずっと増えるのだから。たとえば複数の機体(ボディ)を同時運用することだとか。

 

 きみ、と弟へ呼びかける。正規性(オルト)の名で、自分を兄とは呼ばないだろう彼を呼ぶことが、イデアにはできなかった。

「どこへ行けばいいかわかるかい」

「はい。問題ありません」

 それは、やっぱりイデアの知らない顔と声だった。さっきまでオルトに宿っていたのと確かに同じ形の魂を、弟と全く同じ色の魔力を、燃やしている彼は、けれど全然別のアルゴリズムで動いているようだった。

「……なら、いいんだ。“オルト”、行こう」

 不可視の兜を受け取りに。見えざる方の冠を受け継ぎに。奈落の淵へ。

「うん。兄さん」

 

 神が人を救わないことと、神に救われる人がいることを、同じくらい明瞭な事実として知っている。神が救うのではなく、人が勝手に何かに救いを見出すのだ。

 

 イデアの救いは、青い髪と金の目の少年の形をしている。イデアがつくった、もう弟ではないイデアの救い。正しく扱いさえすれば千年後にも動いて語るだろうイデアの、形あるもの(イデア)の子。(ニュクス)地下(エレボス)の子(タナトス)が今なお冥府(ハデス)に仕えるように、苦痛(ペイン)恐慌(パニック)恐怖(ディモス)敗走(フォボス)正規(オルト)は並ぶだろう。


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