①リムル【100話 聖魔対立~魔都リムル①】
魔国へ向けて出陣したヒナタ達への対処を、皆で話し合った日の夜。
スライム姿になって庵で寛いでいた俺の所へ、レトラがやって来た。
レトラは独自にファルムス王国や聖教会の思惑を探っていたようで、その意見には聞くべきものがあったが……やはりレトラは今でも、襲撃事件を防げなかった自分を責めている。
そんなことはないとレトラは否定していたが、握り締められた拳が痛々しかった。
レトラはよく幸せそうに笑う奴だが、時々とても苦しそうに見えることがある。
もし感じる喜びや幸せが人一倍なら、感じる怒りや悲しみも人一倍、ってことはあるんじゃないだろうか。
苦しいなら言えばいいのに。何でなんだろうな、言いたいことがありそうなのに、すぐに一人で我慢しようとするのは。言わない、言えない、言いたくない……レトラにどんな事情があるのかは知らないが、そうやって抱え込まなくていいんだと言ってやりたかった。
何がそんなに許せないのかと尋ねた俺に、レトラは答える。
「俺は、魔法装置を壊さなかったかもしれないんだよ」
いやいや、待てよ。
何言ってんだこいつは……?
揺るがぬ事実として、レトラは魔法装置を破壊している。
あの時、町に"
「もしあの日を何百回繰り返そうが、お前は絶対に魔法装置を壊しに行ったよ」
「……何でそんなこと言えるんだよ」
「何でって……お前だぞ?」
オークロードやカリュブディスといった外敵との戦闘だけでなく、町や国作りという大きな括りから、住民達の相談事などの細やかな案件まで……これまでレトラが皆のために行動しなかったことなど一度もない。そんなレトラが、何で魔法装置だけを見逃すんだ。有り得ないだろ。今日までのレトラの全てがそれを証明してるってのに、本当に何言ってんだろうなこいつは。
「町に危険が迫ってるかもしれない状況で、お前が動かないわけないんだよ。自分で気付いてなさそうだから言っといてやるけど、お前ってそういう奴だからな?」
「…………」
黙り込んでしまったレトラに、変化があった。
大きな琥珀の瞳にみるみる涙が溜まり──えっと思った次の瞬間、ボロッ、とそれが決壊したのだ。
「うおっ……!?」
突然の異常事態に、俺はビクリとスライムボディを跳ね上げた。
レトラは声を殺すように口を結んで、その瞳からはボロボロと大粒の涙が零れ続ける。
「お、おいレトラ? 大丈夫か?」
どう見ても大丈夫ではない。
慌てて机から降り、人化してレトラの傍へ寄る。
だが俺にはせいぜい、レトラの背中をそっと擦ってやるくらいのことしか思い付かなかった。
レトラは声を上げずに泣き続け、しばらく経って、サラリ……と身体を砂に崩した。溢れた涙はどこへ行ったのやら、完璧に乾いたサラサラの砂が丸まって、一匹の砂スライムを形作る。
「レトラ……?」
恐る恐る声を掛けるが、反応はなかった。
無言で動き出した砂スライムが、隣の寝室に敷かれた俺の布団にもそもそと潜り込む。
どうやら、ここで寝て行くつもりらしいが……
こいつ……今のをなかったことにしようとしてるな。
恐らく、涙を見せてしまったことが気恥ずかしいのだろう。話し掛けられたくない、という気配をレトラからヒシヒシと感じた。だが出て行こうとはしないので、ここに居たくないわけでもなさそうだ。
何でいきなり泣き出したのかはわからないが、泣き止んでくれたなら、まあいいか。
珍しく砂スライム形態のレトラを追って、俺も珍しく人間形態のまま布団に入る。
何となく、レトラを撫でてやりたいと思ったからだった。頭まで布団を被り、特に息苦しくもない暗闇の中で、手に触れた丸い物体をさらりさらりと撫で続ける。
レトラは何も言わなかったが、嫌がる素振りもなかった。
やがて胸元に寄り添ってきたレトラを抱え、俺は目を閉じる。
まったくレトラは、ちょっとやそっとじゃ自分を認めようとしない困った奴だが……それがレトラだと言うのなら、納得出来るまでやればいい。今回のように、考えていることを話しに来てくれたら俺はいくらでも付き合うし、またおかしなことを言い出したら違うだろとも言ってやる。
俺の望みは、皆が笑って暮らせる豊かな世界を創ること。
その中には当然、大事な弟であるレトラも含まれているのだ。
お前が笑って生きて行けるなら、俺は、それでいいよ。
*****
②ルミナス【105話 和解の宴②】
魔都リムルで開かれた宴にて、妾の目の前には見慣れぬものが多く並んだ。
その一つが、天麩羅という名の料理。山菜や魚介に衣なるものを付け、油で揚げた料理……との説明を受けたが、重要なのは工程ではない、その味じゃ。
添えられていた箸という道具を上手く扱う自信がなかったため、堂々と指で摘まんで口にしてみれば──美味い。外側の衣のサクリとした食感に、まだ熱い内側からは濃厚な海老の旨味が滲み出し……グラスに注がれた黄金色の酒が口内の油をサッパリと洗い流す……計算し尽くされた、絶妙な組み合わせじゃな。
食事を堪能していると、魔国の国主たる魔王リムルが妾に声を掛けてきた。
「俺達の料理は口に合ったかな?」
「うむ、気に入ったぞ。料理もそうじゃが、酒が良い」
次々と出される酒のどれもが、妾にとっては目新しく、そして美味いものだった。
まさか新興の国でここまでの持て成しを受けるとは……妾でさえこうなのだから、聖騎士達などはすっかり魅了され、広い宴会場のあちらこちらで魔物達と歓談する様子が見て取れる。
少し離れた席では、魔王リムルの弟レトラとヒナタが酒を飲んでおった。
うむうむ、微笑ましいものよ。良き光景じゃ。
「お、レトラがカクテルを作り始めたぞ」
「泡の出ているあの水は何じゃ? あれも酒か?」
「炭酸水だな。酒じゃないけど、あれで酒を割ったりするんだ。というか、レトラが炭酸ガスを開発してくれたお陰で、ビールを熱処理せず後から炭酸を加えることが可能になってな……それでウチでは、生ビールが楽しめるようになったんだよ」
リムルが得意気に語っていた内容はよくわからぬが、スッキリとして美味い
以前から思っていたが、レトラは何をさせても万能であるようだ。クレイマンを圧倒するほどの実力を持ち、魔国の王弟として国を治める為政者でもあれば、美味い酒造りの立役者でもある。あの忌々しい邪竜が昔とは比べ物にならぬほど思慮深くなったのも、愛し子であるというレトラのお陰なのだろう。
そして妾は、ここで再び、レトラの優秀さを噛み締めることになる。
リムルやヴェルドラと共に、レトラの作る飲み物を皆で味わっていたところ……酒を使ったカクテルをいくつも飲み比べていたヒナタが──ほろ酔い加減となったのだ!
「……ふう、少し暑いわね」
ヒナタは己に厳しく、またあまり酒を好まぬため、こんな姿は妾でも見たことがない。
桜色に染め上がった肌はしっとりと汗ばんで艶めかしく……乱れた着衣の胸元から覗く、まろみを帯びた柔らかな双丘……まったくもって絶景じゃった。
リムルと頷き合っていたレトラが、チラリと視線を寄越す。
よくぞやってくれた、という万感の思いを込めて、妾も頷いて返すのだった。
ではヒナタの次は、酔ったレトラを見てみたいと思うのが世の常であろうな。
幼いレトラは酒を嗜むのか? という懸念はあったが、レトラは宴の開始と同時に慣れた手付きで
しかし、レトラには一向に酒に酔う気配がなかった。
飲んでいる量からすれば、そろそろ酒が回ってきてもおかしくない頃合いなのだが……痺れを切らして酒を勧めてみると、なんとレトラは兄のリムル共々、酒に酔う方法を知らぬと言うではないか!
これほど質の良い酒を作っておきながら、自分達は酔えぬなど、呆れた者達よ。美味い酒と食事で気分が良かったこともあり、妾は二人に『毒無効』を弱める方法を教えてやった。
リムルはすぐに勝手を覚え、訪れた酩酊感に喜んでおったわ。
「クァハハハ! リムルよ、その程度のこと、我はとっくにマスターしておったぞ!」
喧しい、貴様は黙っておれ。
トカゲはさておき、レトラは何やら少し手間取っておったが…………
「ふぁぁ……暑い…………」
レトラの頬は、先ほどまでの透き通る白さが嘘のように色付いておった。
身体が温まって眠くなってきたのか、小さな頭がユラユラ揺れて、ふふ……これは可愛らしい。今すぐに床へ連れて行き、寝かし付けてやりたくなるような幼さじゃのう。
ヒナタは給仕係から冷水を受け取り、酔いを醒ましに行ってしまった。
珍しく隙を見せたかと思えば、ヒナタはすぐこれじゃ……しかし今日は良いことを知ったぞ。ヒナタは甘い酒ならば飲む──今後のために、しっかりと覚えておかねばなるまい。それと、そういった酒の販路を確保することも忘れずに、じゃな。
ヒナタが中座したために、空いたレトラの隣は妾が手に入れることとなった。
レトラがニ、三度の瞬きをして、妾を見上げる。
「あのー、ルミナス様……」
「どうした?」
レトラは
そこには何ら警戒の色はなく、ここまでレトラに懐かれているとは、正直意外であったわ。
「俺、つい最近
ほう……?
夢魔がどういうものか知りたいと?
それを、"
ならば、褥の中でゆっくりと──とは、流石に言えぬな。
古き魔王の妾であっても、それが罷り通らぬことくらい弁えておる。
「そうじゃな……ではレトラよ、お前を我がルベリオスへ招待しよう」
まずは焦らず、レトラを誘い出すことからじゃ。
そっと撫でたレトラの頬は、熱を孕みつつもサラサラとすべやかで、触れていると心地良い。トロンと力の抜けた表情の中、潤んだ琥珀の瞳の何と愛らしいことか。
そしてレトラは、蕾の綻ぶような笑みを浮かべ…………
「遊びにいっていいんですか? じゃあお願いし」
「ストップ! レトラ、ストーップ!」
チッ、邪魔者が現れおった。
反対隣に座るリムルが、妾と話していたレトラを背後から両腕で抱きかかえ、誰にも渡さぬとでも言うように妾から遠ざける。
まったくコヤツは……妾がレトラに"
「何だよ、リムル……何でダメなの……」
レトラも不満げな顔をしておった。
わかるぞ、レトラ。妾にもギュンターという、小うるさい執事がおるからな……
かつて敵対していた勢力の王であったギュンターは、配下となった今では支配体制の構築や政に秀でた男だが、何かと妾を心配して口出しばかりしてくる。今回も、魔国へ向かったヒナタが危険だとの報せを受け、妾はルイとギュンターと共に急ぎ駆け付けたわけだが……騒動が片付きリムルの町への招待を受けた妾に、ギュンターのヤツめ、無用心ではないかとぬかしおったのだ。
妾への忠誠心は嬉しく思うが、毎回毎回こうも口うるさくては息が詰まる。これでは宴を存分に楽しめぬと思い、ギュンターは一足先に帰らせた。
レトラよ、お前も煩わしく思う時は、ガツンと言ってやるが良い──……
と、思っていたのだが。
行くなとリムルに懇願されて、レトラが折れた。
レトラは呆れた声を出してリムルの腕を抜け出すと、礼儀正しく妾に頭を下げる。
「すみませんルミナス様。ルベリオスへ遊びに行くのは、またの機会にさせてください」
「それは残念じゃ。次は良い返事を期待しておるぞ」
本人に断られてしまっては、今回は諦めるしかあるまい。
しかし妾は見逃さなかった。妾の誘いを断るよう仕向けて成功したのだから、本来は喜ぶべきはずのリムルが──少々の後悔を混ぜた硬い表情をしておったことを。
リムルだけではない。周りの配下達も皆、気遣わしげな視線をレトラに送っていた。
さては、これは……よくあることなのじゃな?
レトラがどこかへ行きたいと願っても、今のように引き止められ、それを諦めるということが。
とても信じられぬ素直さだが、それがレトラの性格なのだろう。
そしてリムルも配下達も、それを後ろ暗く感じておるということか……
申し訳なく思うのならば、行かせてやれば良いだろうに。我がルベリオスには危険など……まあ、妾としては丁重に、丁重にレトラを扱うつもりではある。本当じゃぞ。
『…………"魔王リムルの籠の鳥"』
ともかく忠告の意味を込め、そっと思念を送る。
リムルは確かに動揺していた。
『愛しき弟を思う余りに──その手でレトラの翼を手折ることのないよう、くれぐれも願っておるぞ』
これで良い。
リムルに自覚があるのならば、考え方を改めるきっかけとなろう。
レトラをルベリオスへ迎える計画も、そう遠くなく実現することになりそうじゃ。
その暁には、たっぷりとレトラを持て成してやるとしようぞ。
ふむ、そういえば、レトラが好んで飲んでいたあの弾ける水……寒冷な地方で採れた葡萄から作られたという、泡の立つワインに似ておるな? あの発泡ワインを山ほど用意して……そうじゃ、レトラに似合いそうな衣装も作らせよう。可愛らしく着飾ったレトラと、心行くまでワインを酌み交わすのじゃ。
そしてあわよくば風呂を共にして、それから夜は…………
おっと、落ち着かねば。
急いては事を仕損じる……物事には順序というものがあるのじゃ。
レトラと過ごす至福の時のためには、妾も多少の我慢をせねばなるまいな。
そして、もう一つ。
浮かれてばかりもいられぬ理由があった。
世界を取り巻く状況は、妾の聞いていた話とは既に大きく異なっている……
親愛なる友との約束を果たすため──
無事に皆が揃い、笑い合える日のために──
"レトラ=テンペストとは、何者なのか?"
その問いには、慎重に答えを出さねばならぬのだ。
①「うっかり泣いてリムルを困らせてしまった」に関する、ボツになったリムル視点です
②ルベリオスへ行くのは危険(色々な意味で)