転スラ世界に転生して砂になった話   作:黒千

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160話 過去と未来について

 

「皆、俺の話聞いてくれてありがとう」

 

 少しざわめきの収まった会議室で、レトラはふんわりと微笑んだ。レトラが笑っている、それだけで腹にセメントでも溜まっていたような不快な気分が和らぐ。

 そしてレトラはもう一度、前世の母親のことは早く忘れるよう言った。

 

「正直今でも怖いけど、もういいんだ。悪口も聞きたくない……別にいつも母さんのこと考えてるわけじゃないし、思い出させないでくれると嬉しいな」

 

 あの最低最悪の人でなしはいくら処しても処し足りないが、それは何の肥やしにもならない。レトラに辛い過去を思い出させる方が罪に決まっている。

 複雑そうに沈黙する幹部達に、レトラは穏やかな声を向けた。

 

「リグルドとリグルは仲良し親子でいいよね、見てて楽しいよ」

「ハ……ハハッ! 勿体ないお言葉を……」

「今後も父共々、レトラ様をお支えして参ります……!」

「ガビルも、アビルさんのこと大事にするんだよ。良いお父さんだよね」

「御意に……! レトラ様にそう言って頂けて、我が父もさぞ光栄でしょうな!」

 

 リグルド達に笑い掛け、レトラは次に、ハクロウ、と呼んだ。

 は……と掠れた声が返る。

 

「モミジはさ、ハクロウに会いたかったって言ってただろ。それってたぶん、カエデさんからハクロウの良いところを沢山聞いて育ったからだと思うんだ。俺は全然ダメだった。じいちゃん達はずっと父親の話を避けてたから、薄々嫌いなんだろうなって思ったら興味も持てなくて……ハクロウは良かったね。カエデさんに感謝しないと」

「肝に、銘じまする……」

 

 ハクロウは自分に子供がいたことを知らなかったとは言え、不誠実寄りな父親の立場として針の筵だったはずだが、これで少しは救われただろう。今後はモミジやカエデさんのことを思って生きればいいと、レトラはそう言っているのだ。

 

「俺は小さい頃から、母さんと一緒に暮らした方が良いって、いつか迎えに来るってずっと言われてて……母さんにそんな気がないのを知ってからも諦められなくて苦しかった。ちゃんと会いに行って、もう期待しなくて済むようになったから、無駄じゃなかったと思う」

 

 異様としか表現出来ない過去。母親を見限るためには何らかの決着が必要だったのかもしれないが、その代償に、泉には消えない傷が刻まれた。両親から捨てられたのみならず、人の心を持たない母親には生まれたことさえ否定されて。

 泉は己を無価値と認めることで自壊を防いだが──蓄積された痛みと決定的に歪んだ自己認識は、子供が当たり前に持つべき自尊心を根絶やしにした。

 

『立派にじゃなくていいから、まともに生きられたらって』

『俺は親とは違う人間だって思いたかった』

『いつまで掛かるかわからないけど、堂々と生きられるように……』

 

 一言一句の全てに反論したくなるこれは、レトラに刷り込まれた呪いだ。

 お前はまともどころかどこに出しても恥ずかしくないくらい立派だし、あんな屑親と比べること自体が侮辱でしかなく、最初から堂々と生きてていい奴なんだよ──と、いくら告げようが、今のレトラにはそれを受容する器官がないのだ。

 

「レトラ、お前は両親と違って立派に生きてる……それじゃ駄目なのか?」

「まだ駄目」

「チッ」

 

 わからず屋め、という思いを込めて睨み付けると、レトラが苦笑いを浮かべた。

 こっちは笑い事じゃないんだ。レトラは誰にも助けを求めることなく、ずっと一人で奮闘している……見守ってやる他に、どうすればお前を助けてやれるのかがわからない。

 

「それで、お前はいつも頑張ってるわけだが……具体的には何をどうしたいんだ?」

「んー……皆も、俺も、何事もなく平和に暮らせるようになったらいいなって」

 

 魔国の平穏というレトラらしい願い。今までなら俺もそう思っていただろう。だが、レトラの過去を知り言動を振り返ってみれば、一抹の不安があった。

 

『待って』

『置いてかないで』

『一人にしないで』

 

 親に捨てられるという異常体験をした子供は、()()()()()()()()()()と考えるのが普通じゃないだろうか? レトラが他人に尽くすのは、その所為でもあるとしたら? もしかしてお前は、俺達に尽くさなければいけないとでも思っているんじゃないだろうな? 

 

「前世では、何の意味もないまま終わっちゃったし……俺は転生して良かったと思ってるよ。これでまた頑張れるから」

 

 悪い想像が止められない。

 もしもレトラが、あの母親にされたように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という未来をほんの少しでも危惧しているとしたら──冗談じゃない。お門違いもいいところだ。過去の傷を引きずっているのは理解出来ても、それだけは許せなかった。

 

 焦りと苛立ちに急き立てられ、どうやってわからせてやるべきかと頭を抱えそうになっている俺の隣で──レトラは皆を見回しながら、それとあの、と控えめに微笑んだ。

 

「今世では皆に会えて、皆が家族になってくれて、それは本当に嬉しいんだ。本当だよ。俺、今度こそ途中で終わりたくないから、もうちょっと応援してて欲しい……なぁ……」

 

 家族、とレトラが口にしたのを聞いて、ささくれ立っていた気分が鎮まる。その健気でいじらしい言葉に感極まってしまった者達は、再び顔を伏せて泣き出した。

 

 ……そうだよな。冷静になればわかるが、今までレトラから俺達への怯えや暗い影を感じたことなどないのだ。まあ、だからこそ心の傷に気付いてやれなかったわけだが。

 俺は、キラキラとしたレトラをずっと見てきたじゃないか。あんなに眩しく笑う奴が、俺達を信じていないなんて有り得ない……その境遇でここまで綺麗な魂を保ってきたレトラは、一種の奇跡なんじゃないかという気さえしてきた。

 

「……わかった。だが、魔国を守るのはお前一人でやることじゃないからな。それと、もし、お前でも頑張れなくなりそうなら……その時は言ってくれ」

「うん、そうする。ありがとうリムル」

 

 安心したようにレトラは笑う。

 大丈夫だ。レトラが俺達のことを家族だと言ってくれて、ちょっと頑張り過ぎで心配だが明るい未来を見据えてくれている限り、俺はレトラの幸せを願う兄でいられる。そのためなら、俺は俺の願望だって抑え付けておけるだろう。

 

「じゃあそろそろ会議を」

「いや、会議は後日だ。これより予定を変更して『第一回レトラを応援そして頑張ってることを思い知らせる会』を開催する」

「待って待って、何か始まった! 応援してってそういう意味じゃないんだけど!」

「レトラへの激励でも称賛でも思い付くまま列挙しろ。では挙手──」

 

 ハイッッッ! と小学校の授業でもまず見られない積極性で、幹部達が我先にと手を挙げる。思い掛けない事態を慌てて止めようとしているレトラは無視でいい。言い聞かせてもわからない奴ではあるが、だったら慣れるところから始めていかないとな。

 

 だが、それでもいつか。

 もし何らかの原因でレトラの心が折れてしまって、"頑張る"ことすら諦めざるを得なくなったら──もう、一人で彷徨うための羽など要らないだろう。

 その時は、俺の手で、大事なお前を籠に入れてやるからな。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 酷い目に遭っ──いや酷くはないな、凄い目に遭った! 

 突然リムルが始めた、俺を褒め倒す会みたいなやつ……そこまで褒めてくれなくてもいいっていうか、だんだん居たたまれなくなって「悪いところも言って!」って訴えたけど、皆あんまり聞いてくれなかった……過去一番ってくらい褒められた……みんな好き。

 

 皆には伝わらない目標がある。

 リムル達の邪魔をしないで、何も間違えないで、心配事を全て終わらせて。

 この世界が原作と同等かそれ以上の結末を迎えたら、俺はようやく、俺にも意味があったんだって思えるだろう。今度こそ、生きてきて良かったと思える人生を送りたい。

 

 良い感じに来てるんだ。シオンやゴブゾウ達は原作をなぞってしまったけど、取り戻せた。何度かあったロッゾの殺意からは魔国を守れた。ガイアもミリムも元気だし……次は何だ? 俺がいることで狂う出来事は何だ? 俺は何を見届けて、何を阻止するべきなんだ? 

 

 

「──二人とも、忙しいのに悪いわね。今日来てもらったのは、この子達の成長ぶりを見て欲しかったからよ」

 

 ヒナタに呼ばれたリムルと俺は、地下迷宮(ダンジョン)にある訓練場の一つを訪れていた。

 この子達、とはヒナタに預けたリムルの教え子達。ケンヤ、リョウタ、ゲイル、アリス、クロエの五人が、久しぶりにリムル先生と模擬戦! と張り切っている。

 

 俺はヒナタや、同じく子供達の指導を務めるハクロウと並んでそれを見守った。

 いやあ、開国祭前に俺と手合わせした時より更に強くなってるね……十歳ちょっとの子供達が聖騎士に勝るとも劣らない実力を持ち、特にクロエの剣技はヒナタを思わせるような圧倒的さで、勇者の片鱗をこれでもかと見せ付けていた。

 

「あっ! 負けちゃった……やっぱりリムル先生、強い」

 

 リムルに剣を弾き飛ばされ、ペタンと座り込んだクロエはそれでも満足そうに笑った。大好きなリムル先生が強いのは嬉しいんだろうな。

 五人目まで模擬戦が終わると、続けて六人目の声が上がる。

 

「あのっ……リムル様、レトラ様! わ、わっちも戦いたいでありんす!」

 

 黒いおかっぱ頭で着物姿の、子供達と同年代の雅な少女。俺は知ってるけどその狐耳! 狐尻尾! 喋り方! どこを取っても九頭獣(ナインヘッド)のクマラである。

 クマラのこともヒナタに頼んでいたリムルだが、あのかわいい子狐が人型に変化出来るようになり、新設された学校(魔物も人間も区別なく通える)でケンヤ達と一緒に勉強していることは知らなかったようで驚いていた。

 

「じゃ、クマラの相手はレトラでどうだ?」

「俺? いいよ、クマラもいい?」

「はい! お願いしますでありんす!」

 

 開始の合図と共に、クマラは九尾のうち八本を魔獣に変化させ、解き放つ。

 おお! 魔獣達も少し成長したみたいだ。リムルに名付けの上書きをしてもらってたもんな。しかし成長途中ではあるようで、以前から二足歩行の白猿(ビャクエン)やガタイの大きい雷虎(ライコ)を除けば、ほとんどの子達はまだ小動物ってところだ。

 

「うわっ……八体同時かよ」

「ほっほっ、一度に相手をするとなかなか手強いのですじゃ」

 

 観戦しているリムルとハクロウの声がする。

 うーん、じゃあ俺も増えようかな。『強化分身』で、俺を四人に増員──するとケンヤが「すげー! 影分身じゃん!」と大喜びだった。確かにそうかも。

 

「俺達は鬼ごっこしようか。行くよ!」

 

 八方からの連携攻撃を、こちらも四体の連携で切り崩す。今回はウィズに予測計算と分身体の操作を任せた。オートモードより遥かに信頼出来るからな。

 物理攻撃、属性攻撃、状態異常攻撃の全てを躱して中和して、無力化させた魔獣をひょいひょい捕まえていく。四人必要だったのはこのためだ。火を纏う炎鳥(エンチョウ)は触れても俺を燃やすことはなく、病魔をバラ撒く黒鼠(コクソ)も腕の中でチュウと大人しくしていて良い子達だった。

 

「う、ううー……レトラ様! わっちもいるでありんすよ!」

 

 最後に飛び掛かってきたクマラをポフンと捕獲し、俺の勝ち。気のせいでなければ、今クマラは俺に抱っこされに飛び付いてきた感があったな……まあいいか。

 

 鬼ごっこは終わり、クマラが魔獣達を尻尾に戻す。

 四人の俺に子供達が駆け寄ってきたので、右から二番目の俺が「俺の本体はどれかわかる?」と聞いてみた。リムル達には魔素量の差や魂の繋がりから分身体がバレるけど、子供達にはクイズになるかな? と思ったら、全員が一斉に左端の俺を指差した。

 

「せ、正解……! 何でわかったの?」

「だって一人だけ全然違うぜ!」

「すっごく楽しそう」

「一番イキイキしてたもんね」

「他のレトラさんはあんまり笑わないので」

「すぐわかるよね」

 

 ウィズー! 笑顔だってさ! 今後の課題な! いや見破られないためには、俺本体がクールを保った方が早いのか……? 

 

「レトラさん、次はオレと勝負してくれよ!」

「あ……ごめん俺、仕事があるんだ。もうすぐ行かなくちゃ」

「えっ! 今度こそ、私の人形でレトラさんに勝とうと思ったのに!」

 

 あれ? 俺もちょっと人気者では? 

 ふくれる子供達を、ごめんまた今度と宥めている横でクロエの声がした。

 

「──リムル先生、ヒナタお姉ちゃんとどこか行くの?」

 

 おっ。

 リムルとヒナタがルベリオスでの演奏会について話しているのを聞き付けたクロエが、「私も行きたい!」と言い出した。つられて子供達もクマラも行きたいと口にし始め、折れたリムルが皆を連れて行くことを約束する。

 

 俺が予定を詰めてまでリムルについて来たのは、これを見届けるためでもあった。元々クロエ達は演奏会に来る予定じゃなかったので、もし何かが狂ってこの話が出ないようなら俺から話題提供するつもりで。良かった良かった。

 

 

 

 安心した俺は、もう少し模擬戦を続けるというリムル達と別れて退室した。

 ここはダンジョン利用者の目に触れないバックヤード側で、修行用の部屋や多目的室をラミリスに複数用意してもらっており、必要に応じて使用出来るようになっている。そんな訓練場の一つを出た先のフロアまで、俺を追い掛けてきた者がいた。

 

「レトラさん」

 

 クロエ。

 ドキッとした。正確にはギクッとした。

 クロエには初めて会った時から違和感があった。俺の知識にある印象と少し違うというか、俺への笑顔が妙というか……笑顔にはポジティブな意味の他にも、緊張や動揺を隠すためというものもある。クロエのあれは何だったんだろうか。

 

「レトラさん、お仕事があるのにごめんなさい。ちょっとだけ……」

「大丈夫だよ。どうしたの?」

 

 俺は最近、俺がクロエのようにループしていることに気が付いた。だったら例の過去には、未来から来た俺が存在していた可能性が高い……推測のための材料が欲しかった。クロエの態度によっては、大きな手掛かりになるだろう。

 

「あのね、私、変なこと言うんだけど」

 

 視線を落としたクロエには迷いがあった。言葉が途切れ、間が空く。

 クロエがそっと顔を上げると、その瞳が露わになる。

 

「レトラさんって、本当に……リムル先生の弟さんなの?」

 

 背筋が凍り付いた。

 突如として浴びせられた現実。

 クロエの目から感じ取れたのは、疑惑の感情。

 

「私ね……リムル先生には、兄弟はいないような気がするの」

 

 ……そうだよ、としか言えない。

 リムル=テンペストに弟はいない。

 それが真実だということを、一番よく知っているのは俺だ。

 

「どうしてかわからないけど、リムル先生もヒナタお姉ちゃんも、この国の人達も、何だか懐かしいの……アリスちゃん達みたいに、ずっと前から一緒にいるような……」

 

 クロエには断片的な記憶がある。パラパラと、絵本のページがめくれるように……そこに描かれているのは、これまでの繰り返しで過ごしてきた日々だ。その積み重ねがクロエにデジャヴを抱かせることは全く不思議じゃない。そして、その中に俺は────

 

「でも私……レトラさんのことは、知らないと思う…………」

 

 そうか。俺、いないのか。

 そうだよな。いるわけがない。いなくて当然だ。

 クロエが正しい。リムルに弟なんていない。魔国にレトラ=テンペストは存在しない。それなのに突然ここにいる俺は、クロエにとっては不吉の象徴でしかない……

 

 違和感の正体は、疑心と警戒だったのだ。

 クロエはまだ子供らしさの残る態度で、しかし、芯の強さを感じさせる声で。

 

「あなたは……誰なの?」

「俺、は……」

 

 俺は異物。部外者。本来ここにいるはずのないもの。

 忘れるなと、釘を刺される。心臓が痛い。俺は砂なのに、前世で覚えてしまった痛みは否応なしに蘇る。何で俺は、本当に、どこで生まれてもこうなんだ……? 

 

 

 でも、

 

 でもさ。

 俺が出会ったリムルは────

 

 

「俺は……リムルの弟だよ」

 

 

 声は震えていなかっただろうか。

 きっと、大丈夫だ。嘘じゃないから。

 

「最初に会った時は違ったけど……弟ってことにしないかってリムルが言ってくれて。それから俺達は兄弟になったんだよ」

 

 正しくないけど、事実なんだ。この世界に限っては。

 クロエの瞳が俺をじっと見つめる。

 

「レトラさんは、リムル先生の味方?」

「うん」

「本当に本当?」

「うん」

「先生にひどいことしない?」

「う、ん」

「今ちょっと迷った!」

「ごめん違う! ひどいことしたくないの間違い! すいませんでした!」

 

 俺ってあんまり、リムルの言うこと聞かない奴じゃん……リムルにひどいことしないって言い切るのは、嘘吐くなって感じするし……! 

 

「──レトラ様。御歓談中に失礼致します」

 

 薄緑色の神秘的な光が舞った。転移で現れたのは樹妖精(ドライアド)のアルファ。

 トレイニーさん達三姉妹を含めて樹妖精(ドライアド)は十名ほどおり、全員がラミリスのために働くことを希望して霊樹人形妖精(ドリュアス・ドール・ドライアド)に進化している。他、百数十名の樹人族(トレント)は培養カプセルの依代に憑依することで肉体を得たので、ラミリス一派の人手不足は解消していた。

 

「打ち合わせ場所が第三多目的室に変更となりました。開始時刻は予定通りです」

「わかったよアルファ。ありがとう」

 

 お礼を言うと、事務的な微笑みだったアルファがにこりと表情を溶かして笑った。ドライアド全員の依代人形を作ったのが俺だからか、まだ経験の浅い者も俺には自然な笑顔を見せてくれるのだ。アルファは俺に一礼し、再び光を纏ってその場から消える。

 

「それじゃ、クロエ。俺はそろそろ」

「うん……ごめんねレトラさん。急に変なこと言って」

 

 この空気では、クロエも引き下がるしかないだろう。

 俺の方も、ひとまずは仕事、仕事……受けたショックは小さくはなかったけど、気持ちを切り替えないと。クロエに背を向け、歩き出しながら『万物創生』。依代を黒の短髪姿に変え、顔を隠す布と軽装備を整えつつフロアの奥へ────

 

 背後で、小さな声がした。

 

 

「…………トウマ…………?」

 

 

 足が止まる。

 呼ばれたことへの反射だった。

 

 今、俺の名前を。

 トウマって。

 

 クロエが…………? 

 

「あっ、あれ……? え……レトラさん? 私……?」

 

 顔の布を下げて振り返った先では、クロエが俺より混乱していた。その姿を見て冷静さを取り戻し、俺は少し開いた距離を戻ってクロエに近付く。

 

「そうだよ、トウマ。俺は迷宮では冒険者トウマを名乗って、探索士(シーカー)として指導員やってるんだけど……よく知ってたね。リムルに聞いたの?」

 

 繋ぎの会話だ。実際はどっちでも良い。

 俺に問われたクロエが、更に慌てふためいて捲し立てる。

 

「あっあの、違うのレトラさん! 私、ただ……黒い髪が英雄トーマに似てるかなって!」

「……トーマ?」

 

 少し記憶を探るとすぐに浮かんできた、原作知識にはない名前。

 

「ま、魔道士トーマのこと?」

 

 この世界の過去の英雄──魔道士トーマ。

 リムル達と一緒にマルクシュア王国へバカンスに行った時、初めて知った名前だ。魔法使いの国であるそこでは、数々の魔法理論の確立に関わった魔道士トーマは人気があって…………

 

 俺は、へえーと思った。それだけだった。その時は。

 だけどもう、事情が違う。俺は過去にいるかもしれなくて、俺の知らない人物が過去にいる……しかも名前はトーマ。そしてクロエのこの反応……ここまで情報が揃ってしまうと、どうしても連想せずにはいられなくなる。

 

 えっ、何、魔道士トーマって俺なの? 

 過去に? いたの? 俺が? 黒髪の……藤馬泉の姿で? 

 トウマを名乗っていた俺が、トーマとして語り継がれたってこと……? 

 

「で、でも……レトラさんは、魔法使いじゃないもんね? 違うよね? わ、私何言ってるんだろ……ごめんなさい、それじゃ!」

 

 パニック真っ最中のクロエは、逃げるように皆の元へと引き返して行った。

 余裕がないのは俺も同じで、これ以上は時間がない。俺は空間転移を発動させ、今日の迷宮体験コースのスタッフミーティングがある多目的室を目指すのだった。

 

 

 

 

 …………なんか、クロエから重要な情報を得たな。

 俺が過去へ行っていた場合、この世にまだ"レトラ"が生まれていないことを考慮して、別人の姿を取るのは充分有り得ることだった。俺ならやりそう。そして、世間的には砂妖魔(サンドマン)であることを隠していたんだろう。人前で『風化』を使わず人間の振りして戦うなら、魔法の『造形』は有り得る手口だ。俺ならやりそう。

 

 クロエは、以前の魔国には俺がいなかったと認識している。だから存在しないはずの"リムルの弟"に違和感を持った……だが俺の見たフラッシュバックは、一度や二度のループで抜け出せるような簡単な問題じゃなかった気がする。あの様子なら俺は何度も繰り返しをしたはずで……この矛盾は何だ? 

 

 クロエは、"レトラ"よりも"トウマ"の方に見覚えがある……過去の英雄"魔道士トーマ"の存在を踏まえれば、それが俺だと考えるのが自然だろう。長く一緒にいたなら"トウマ"の方が馴染み深い理由にもなる。ただし俺は"藤馬泉"の構成情報を持っていない……俺はどうやって"トウマ"をやってた? 

 

 必ず、説明の付く答えがあるはずだ。

 俺を知っているとしたらクロエというかクロノアなので、クロノアに聞けばわかりそうなことが多いけど……俺はクロノアの復活前に自分が何をしたかを読んで、過去と未来を破綻させないように行動を決めなきゃならないんだよなあ……! 

 

 

 

 

 




※兄の地雷を回避(n回目)
※更新を一時停止します。元々ここまでやる予定でしたが、遅れてすみませんでした。



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