ホムンクルスを完成させるべく、『幽魂の宝典』のページをめくり続けて数日。
「……ほう。丁度いいのがあるじゃないか。」
そう魅魔が言った時、開かれていたページに書かれた魔法は、霊魂に小規模の傷を付けて欠けさせ、そこに術者による任意の改変を与えるというもの。
言うなれば切り貼り、または移植手術に近い。
最初から魂を変質させるのに比べるとかなり手段が荒っぽいが、四の五を言っていられるほど選択肢は多くないのだ。
「よし、これにしよう。少し厄介だがどうとでもなる。」
魂を輪廻の内から連れて来るのは、魅魔からすればそこまで難しくはない。
彼岸の審判と浄化を終えて、冥界にて転生を待つ霊魂をこちらに導くだけだ。
「早速始めよう。あまり時間をかけたくはないしね。」
なにせ魂魄に対する直接手術だ。是非曲直庁に感づかれると面倒なのは間違いない。
拙速に越したことはないだろう。
魅魔は傍に寝かせてある、器となる肉体に視線を向けた。青い穏やかな光に包まれた少女の体は、作られて数日経ったとは思えないほどに完璧に保存されている。
あの後呪いを併用して魔力の消費を抑えたが、劣化しないようにずっと肉体の時間を止めておくのは、やはり消耗が激しいのだ。
早いうちに生物として完成させる方が望ましい。
計画を立てた魅魔は、すぐさまそれを実行に移すことにした。
まずは魂の呼び出しだ。
と言ってもすることは単純。冥界に空間を繋ぎ、純粋無垢な人間の魂を器に宿らせるのである。
何時もの杖を呼び出し、大きく前方に向けて円を描く。
すると円に沿って正八角形の魔法陣が浮かび、輝き出した。
「幽明の境よ、今を持ってその姿を顕界に現せ……」
八角形が幽玄な桜色の光を溢れさせる。
死者達の憩いの国たる冥界の、死の冷気が流れ込んできた。
ひゅるり、ひゅるりと、生者を凍えさせる黄泉の風が、冥界の桜の花弁に彩られて吹いてくる。
『オオー……オオーー……!』
死者の声だ。霊子密度の低い顕界側へ引き寄せられてきたのだろう。
魔法陣は冥界と顕界の境を穿つもの。極小の異界を介して、此岸と彼岸の空間を繋いだのだ。
完全に穴を開けてしまえば、そこを起点に幽明の結界が崩れ現世に癒着してしまう。故に魅魔は、魂が通れるほどに境目を薄くするだけに留める。
静かに静かに、魅魔は門を維持し続ける。
彼岸の者にも悟られぬよう、静かに。
転生を待つ魂が、こちらに迷い込んでくるまで。
「……来た。」
小さな小さな純白の霊魂が、こちらに流れ込んできたのを魅魔は感じとった。すぐに門が閉じられ、桜の花弁も冥府の冷気も姿を消した。
結界を修復して魔法陣を消し去る。
そして漂う魂を、極小規模の結界で覆った。
立方体の魔力の檻に閉じ込められたそれは、何の穢れも知らぬとばかりに白く輝いている。
球体に魅魔と同じ形の足を付けたその姿は、正しく人魂であった。
勝手に他のものに宿らぬよう、厳重に封じ込める。
「さあて、本番はここからだよ…。」
流石に面立ちを硬くして、魅魔は呟いた。
――そもそも霊魂というものは、とかくデリケートなものだ。
実体のある肉体と違い、余計な真似をすればすぐに壊れてしまう。
魅魔自身、悪霊という霊体の存在であるので霊魂の扱いは人より優れるが、それでも魂を大胆に傷つけ継ぎ接ぎするなどという荒業は如何に彼女でも難しい。
先の肉体を作った時より遥かに厄介だ。
「それでもここまで来たならやるしかないんだけどね。……起きろ。」
開きっぱなしだった『幽魂の宝典』が宙に浮かぶ。
人魂と同じく汚れ一つない、美しい純白の書物が記すのは、精神を司る霊魂魔法が秘奥。
他人の魂に傷を入れ、そこから入り込んで魂魄を自在に弄ぶ外法。
――――『魂魄奪胎』
名を唱えると共に魔導書に魔力を巡らせ、魔法陣が動き出す。
びっしりと文字紋様で埋め尽くされた、正六角形の陣が純白の光を纏い始めた。
それをちらりと眺めると、魅魔はそのまま結界に封じた霊魂に掌をかざした。ページと同じ紋様が、掌に、そして霊魂の前にも輝きだす。
じわじわと、自分の魔法が魂に穴を開け、穿孔しているのを感じる。
少しずつ、水に晒される岩のように霊魂が欠けていく。
―――目を閉じる。静謐に浸る。
自身の意識を、浮かぶ魂の奥底に沈み込ませた。
――――そこは、'空白'と呼ぶに相応しい場所だった。
得体の知れない白い大地が広がるばかり。他には文字通り、何も存在しない土地だった。
人の精神、魂というのは、言わば非常に小さい異界に等しい。精神世界という単語は、決して間違ったものではないのだ。
そこに一つだけ存在する、異物。
翠色を靡かせる、魔女。
『まあ分かってたけど、やっぱり何にもないか。冥界で転生の準備を終えてたんだし、当然だけどね。』
魅魔はそこに、自分の精神を滑り込ませていた。
この霊魂の中には何も存在していない。精神世界は真っ白、空っぽであった。
これは、魂が彼岸にて浄化を終えたことを意味している。
地獄の炎で焼かれ、冥界をさすらい、生前の穢れを綺麗に洗い流すことで、次の体への転生を可能とするのだ。生前の罪業を流すというのは、それ即ち記憶も知恵も流すことを意味する。
だからここには何もない、全てを洗い去ってしまったから。
とはいえ、今回はその方が好都合だ。好きなように魂を弄れるのだから。
『さて、取り敢えずは容量を大きくしないとね。私と同じだけとは言わないけど、せめて大妖怪と同レベルの魔力には耐えられるようになってもらわないと。』
言うは易く行うは難しとはよく言われるが、魅魔の発言はそれ以上である。
元は普通の人間の魂を、世界をただ在るだけで変貌させる、生粋の化け物共のソレへと改造しようというのだから。大妖怪や修羅神仏とは、そんな規格外極まる存在なのである。
とはいえ、そんな無理無茶無謀を幾度も押し通してきたのが、魅魔という更なる怪物なのであって。
『―――拡大。』
外側の自分の身体の魔力を魂に一気に流し込む。
それを内側に潜り込ませた自分の意識で誘導し、『幽魂の宝典』の陣を介して霊魂に改変を加えていく。
魂の空間を少しずつ少しずつ、押し広げていく。
白い大地が広がりだした。
じわじわと、厳冬の海が少しずつ少しずつ、凍りつくように。
同時に、天に向かって何本もの巨大な白い柱が立ち、上にも空間を拡大していく。
まるで、この無垢なる世界を一つの宮殿に作り変えるように。
更にそれには飽き足らぬと言わんばかりに、縦横無尽に同じく白い柱が数え切れないほど生えてくる。小さい浮島のような霊魂の世界は、純白の石柱によって押し広げられ、引き延ばされ、支えられる。
複雑ながらも規則的な石柱は、この世界を決して崩れさせないと思わせるような堅牢さを持っていた。
この柱は、魅魔の魔法でもって作り出した霊魂の支柱。これを使い、魂の拡大と強化を同時に行っているのだ。
恐らく彼女以外には不可能であろう、狂気じみた緻密さと速度をもって行われる魂への施術。
―――体感では数十分、或いは数時間経った後。
未熟で小さな精神世界は、何千何万という柱に支えられた、巨大な宮の如き、美しき水晶の洞の如き世界へと変貌していた。
そこまで確認したところで、魅魔は意識を浮上させた。
「ぐっ…うぅ…!はあっ、はあっ……!」
意識を現実に戻した途端、魅魔は恐ろしい倦怠感に襲われた。
息が辛い、腕が上がらない、頭が響く。
霊体を変異させた疑似的な肉体から、どうっと玉の汗が噴き出した。
「ぐう……、やっぱり無茶が過ぎたかな…」
なにせ他人の魂に割り込んだ挙句、絶対に傷がつかないように拡大するという無茶苦茶をやってのけたのだ。コンマ一秒と気が抜けない、繊細に過ぎる作業を限界ギリギリまでしていたのだから当然と言える。
目を開けば、景色は意識を沈める前と何ら変わっていない。
立方体に閉じ込められた霊魂と、光に包まれた少女の器。そして何時もの工房。
息を整えて一息つき、意識をしっかりさせてから目を見開く。
そこには疲労の色など欠片も残っていなかった。
「さあ、最後の仕事だ…!」
一連の最後の大仕事。
魂を肉体に埋め込み、魂魄を馴染ませ、一つの生命体として完成させる。
指を鳴らし、肉体の劣化をとどめていた時間停止を解除する。魔法をかけた張本人なら解呪は容易い。
結界に包まれた魂を器に近づけ、皮膚に触れた所で結界をほどいた。
慎重に、慎重に、肉体の中に魂を誘導する。少女の薄い胸板の上から魂が入り始め、数十秒で完全に魂が入りきった。
だがまだ終わっていない。
「よし、『霊体の観測鏡』。」
小さな魔法陣が魅魔の左目にモノクルのごとく浮かび、魂魄の様子を写してくれる。
これがなければ、肉体に入った霊体の観測は出来ない。
観測鏡の写す光景を確認しつつ、器に魔力を流し込んでいく。
肉体と霊体の形が完璧に合い馴染むまで、魔法を使って調整するのだ。霊体の形を、一寸の狂い無く器の形に整えていく。
――シナプスが発火する――
――神経が信号を走らせる――
――肺が空気を取り入れる――
――心臓が鼓動を鳴らす――
今まで置物でしかなかった器官が火を入れられ、各々の役割を果たし始める。ただの肉塊が、生命体として起動した瞬間だった。
今度も非常に難しい作業だが、霊魂自体に干渉した時ほどではない。ものの数分で作業は終了した。
そしてこれにて、ホムンクルス作成の全工程が終了したことになる。
「ふうー……、終わった…」
ようやく大仕事を終え、魅魔は大きく安堵の息をついた。
ここまで疲労困憊になったのは、彼女の体感では数百年は遡る。普段なら全力どころか本気の片鱗も出さずに物事を片付けてしまうが故に、久々の大仕事は魅魔の精神を必要以上に削り取っていた。
―――だがそれだけのことをした甲斐はあったと言えよう。
意識を持たないながらも、深く息を吸っては吐くその姿は、人形ではなく人間のそれだ。
魅魔は安らかに過ぎる可愛らしい寝姿を見て苦笑する。
「全く、私にここまで苦労を強いるなんてね。その分ちゃんと役には立って貰うよ?」
見た目は人間。
脆弱な肌理細かい柔肌も、呼吸で命を保つ姿も、強固とはとても言えない精神の構造も、どれもまごうことなき人間のもの。
だからこそ、鋭い者ならばそのおかしさに気付いたはずだ。
人間であるはずの躯体から、無尽蔵に魔力が湧き上がるという、その異常に。
例えるなら、しがない一匹の蟻が、クジラやゾウと見紛う存在感を放っているようなもの。矮小なはずの存在が醸し出す、不釣り合いな圧迫感。
…それはまさに、異様だった。
彼女は魅魔の持つ魔法と技術をつぎ込んだ、生物として最高傑作と言える。
種族として人間でありながら、その身が持てる力は人でなしのそれ。矛盾という言葉を体現したかのような、不可思議で理不尽な存在だった。
「人間の相手なら人間に限る。紫の言うことからして、向こうのも相当人間として完成されてるだろうしねえ。私の傍につくならこれぐらいでないと。」
この少女は魔法使いではなく、人間だ。
弱い人間の肉体でありながらも規格外の魔力を持ち、軽々とそれを扱えるように魅魔が仕立てたのだ。魂の拡大だけで施術を終わらせ、その有り様にまで手を加えなかったのはそのためである。
わざわざこんな回りくどい手段を取った理由は単純。
人外としての魔法使いとして作っていたなら、紫の言う人間のライバルとはなりえない。あくまで『人間』でありながら、最強の魔女のポテンシャルを持たせなくてはならないのだ。
人間という種族は何処まで行っても未完成でありながら、未完故に幾らでも成長できる能力を持つ。個として完成された半永久の妖怪とは別方向の、閃光のように生きる強さ。
忌々しくも、その強さを魅魔は誰よりも認めていた。
人間として生み出し、その強さを遺憾なく発揮させる。
そうでなくては、魅魔のプライドが許さない。
「私の心血注いだ魔法使いが、あいつの育てた奴に劣るなんて許せないからね……」
―――要するに、意地であった。
とにもかくにも、これにて完成。
そして生命を生み出したからには、その造物主として名をつけなくてはならない。
未だ白い肌を晒した裸体で眠る少女を見やる。そして立ち昇る魔力の質を、その慧眼で見通した。
「ふむ……こいつの気質は『霧雨』か。そして属性は闇に通じる『水行』…」
存外、この子は水に縁近い性質らしい。
そして、魔法使いとは細かな理を繋げて魔法とする生き物である。
「……よし、決めた。」
名は体を現す。
そのあるべき姿と気質から、魅魔は彼女の名を決定した。
「霧雨の天候。そしてお前は、理を億分の一にも裂いて生まれた魔道の子…」
――――今日からお前は、『霧雨魔理沙』だよ。
魔法と紅夢より生み出された、小さな人間の魔法使い。
彼女はこの日、世界に生まれ落ちた。
旧作ではステージタイトルに副題がついていることから、それに合わせてサブタイトルを大幅に改訂しました。こうしないと後で酷いことになりそうなので…。
それと、幾つか見にくい所を改訂しています。ご了承ください。