湖の傍にそびえ立つ洋館。
結界に覆われ、いつもなら静寂に包まれているはずのその館は、しかしここ数日はどうにも騒がしかった。
―――とはいえ、だからといって何か物騒なことがあったわけでもない。
「きゃはは、魅魔様ーこっちこっち!!」
「やっかましいよ魔理沙!あと工房の中で騒ぐんじゃない!物が壊れるだろうが!」
……単に館の主とその娘兼弟子が、日夜バカ騒ぎをしていただけなので。
紆余曲折あってようやく目標の人造人間を作ることに成功した魅魔だが、今度はその育て方に頭を悩ませていた。
「一々、初めから言葉だの動作だの教えるのは論外。かといってどうすりゃちゃちゃっと仕込んでやれるのやら…」
「???」
「お前のことだよ。」
魅魔の言葉に、赤毛の幼女――『霧雨魔理沙』が可愛らしく小首を傾げる。無邪気で暢気なその仕草に呆れた魅魔は、トンっと少女の額を小突いてやった。
結局魅魔は、魔理沙を自身の弟子とし、親代わりとして育てることに決めた。
魔理沙の肉体も霊魂も、自尊心の暴走の結果とはいえ、魅魔が本気で作り上げたものだ。
此処までしたのだから、当然魅魔も彼女には少なからず愛着が湧いている。少なくとも、ただの実験材料兼当て馬で終わらせていいような存在ではない。
故に方針を変え、自分の助手として使えるように、魔法使いとして完全に大成させることにしたのだ。
従者ならば使い魔や式神で幾らでも代用出来る。魅魔が魔理沙に求めるのは、そのポテンシャルを最大限に活かし、自分の不可能なことにまで手を回せる、自身の補佐に相応しい魔女となることだった。
……だからこそ、こうして彼女の教育方針に頭を悩ませているのだが。
今の魔理沙は、身体だけ少しばかり成長した赤ん坊である。故に世間の一般常識から魔法の知識に至るまでゼロから教えてあげねばならないが、普通に教えていてはそれこそ何年かかるか知れたものではない。
そのために魅魔は、魔理沙に手っ取り早く知識を埋め込める手段を模索している最中だった。
(強制的に精神魔法で書き込むか?いやダメだ、いくら強化してあるとはいえ間違いなく精神が破綻する。ならば……)
あーでもない、こーでもない、と稀代の大魔女が苦悩する様は、彼女の悪友である某スキマ妖怪が見たら大爆笑していただろう。あの愉悦趣味は人を煽るのが大好きなのだ。
そうして魔導書を覗きながら何千通りかの方法を脳内で組み上げた時――
「あ、これなら大丈夫かも。」
結論は、意外にあっさり構築された。
「だー、やー。」
「はいはい、ちょっと待ってなさい。」
未だ言葉も喋れない魔理沙を宥めすかし、魅魔は呪符を数千枚ほど呼び出した。そしてそのまま、精神魔法を使い自分の脳内にある知識を転写し、記録紙上に焼き付ける。
――――『
普段使う高度化や暗号化が施された言語と違い、平易な言葉で知識が黒字で書かれていく。
ほどなくして、魔法以外のほぼ全ての知識を書き終えた。
「さあて、次は…」
そして本題はここから。
――――『月光算術塔』
久々に使用する高速演算魔法が、その名の通り月光で象られた塔のような魔法陣を高く聳え立たせた。別に無くたって構わないのだが、作業がとっとと進むので使うに越したことはない。
それを用い、記録紙に書かれた内容を今度は
算術塔の魔法陣に内容を刻み、数字と記号で出力させる。言葉で書かれたものを、莫大な数の演算式で構成された
果たして完成したのは、数式と幾何学模様をびっしりと焼き付けられた大量の符。
「ほら魔理沙、横になりな。」
「だーうー!」
魔理沙を寝室のベッドに横たわらせる。本人はご主人に構ってもらえて嬉しそうだが。
そしておもむろに、魅魔は呪符の一枚を魔理沙の胸にあてがった。
瞬間。
「う…あ……!が、いっぃぃ!?」
白符が胸に吸い込まれ、魔理沙はうめき声を上げ始めた。頭を痛そうに抱え、動悸が激しくなり、少女が出してはいけないような苦しげな声が口から漏れる。
控えめに言ってもその様子は尋常ではなかった。
しかしそれぐらいは想定していたのだろう、魅魔は顔色一つ変えずに、彼女の額にコツンと杖を当てた。同時に、神経に強制的に介入する魔法が発動し、魔理沙の苦痛をブロックして和らげる。
少々リスキーだが、幼い彼女にずっと脳内を無茶苦茶にされる痛みを耐えさせるというのも酷な話だ、致し方無い。
数分を掛けてようやく苦痛が収まり、うめき声を止め、ぱちりと目を開けた赤髪の少女。それは先ほどとは、全く雰囲気が異なっていた。
その理性を見て取れる瞳は、物事の道理を一端ながらも理解する知性を持ったことを告げている。
彼女の胸に吸収された、白紙となった呪符を取り出して、魅魔は問う。
「おはよう。自分の名前が言えるかい?」
「霧雨……魔理沙……。」
成功だ。
ほっと魅魔は胸をなでおろした。
先ほどの符に書かれたプログラムは、本来ならば式神を運用する為のものだ。主人が行動や反射など、ありとあらゆる情報を膨大な算術式として素体に与え、その解をもって素体の潜在能力を最大限に発揮させる。
これでようやく、式神は主の手足として機能し得るのだ。
この時、式神は主の知性を与えられ、理性なき獣から知的生命体に変貌する。これを利用し、知性と記憶のみをプログラムし、式神に行うのと同じ要領で魔理沙に与えたのだ。
要は、式術をわざと失敗させて知識だけを与えたのである。
無茶苦茶極まりない手法な上、赤子故に苦痛に慣れない魔理沙には結構な負担がかかったようだが、魅魔が強制的に痛みと副作用を抑えればそれも何とかなった。
「私が誰か分かるかい?」
「魅魔……魅魔様!私のお師匠様!お母様!」
今度は自分についても聞いてみれば、赤髪の少女は華やぐような笑顔で元気に応える。
ちゃんと分かってくれているようだ。良かった良かった、と安堵する。
しかしまさか、自分が『母』などという呼ばれ方をされる日が来るとは思わなんだ。人類全員を殲滅しようとしていた昔に比べたら丸くなったものである。
―――まあ、悪い気はしないのだが。
「いいかい魔理沙、よくお聞き。お前にはこれから必要なことを同じように覚えてもらうよ。少し辛いかもしれんが、私の弟子なら耐え切りな。」
「はーいっ!」
本当に分かってるのだろうかこの娘、と魅魔が思うほどに明るい返事である。どうやらこの人造魔法少女、性格の方は創造主に似ずやたらと元気なようだ。
その後、数日かけて何度も式神の札を通してみたが、二回目からは慣れたようであまり苦痛を覚えずに吸収してくれた。肉体の構成からして魔法と相性がいいのだ、適応能力が高かったのだろう。
それから、魅魔と魔理沙の共同生活が始まった。
魅魔自身人と暮らすことは殆ど無い上、小娘の顔色を伺って生活するのもアホらしいというスタンスもあって、基本の生活以外はほぼ自由で放任主義の毎日である。
ただ魔理沙のアクティブさは魅魔の想像の上をいくものであったので、魅魔が相当振り回されたというのも事実なのだが。
例えば昼食。
「魔理沙ー、飯だよ。」
「今日はなあに?」
「適当に作ったシチューだよ。
食べたら皿置いて風呂入って寝な。」
「私、大盛りがいい!」
「ああはいはい、欲しけりゃ食べ終わった後適当に自分で入れな。」
「はーい!」
例えば風呂。
「私はいいから先にとっとと風呂に入っておいで。」
「はーい……て、あっつぁ!?魅魔様、魅魔様っ!このお風呂すっごく熱いよぉ!」
「そりゃ燃料に余ってた薪全部ぶち込んだからね。文句言わず肩まで浸かって百数えなさい。」
「ひーん!?」
また森の中での散歩の時。
「魅魔様、これなんて言うキノコ?」
「あん?……名前は忘れちまったね。魔法を使う時に便利な触媒になるやつだ。特に水と木のね。…ただ食うんじゃないよ、白い奴は大抵食ったら死ぬからね。」
「へえー…、あむ!むぐ、……美味しい!」
「うん?…おいコラ魔理沙ァ!口に入れるなっつったろ私は!」
ちなみに魔理沙が口にしたのはドクツルタケの亜種である。シャレにならないので魅魔が即解毒したが。
また就寝前のひと時。
「魅魔様、何してるの?」
「お前にそのうち使わせる魔導書の調整だよ。一々魔法について全部説明する気はないからね。」
「へー…、あ、そうだ魅魔様。寝る前にこのご本、読んで?」
「はあ?読みたきゃ勝手に読めばいいだろうに。」
「きゃは、ベッドで魅魔様の声が聞きたいの!」
「はあー…、まあ私ももう寝るから構わないけどねえ。」
「先に行ってるね!」
「こら走るんじゃない!」
「きゃはは!」
冒頭の一幕は、この時の魅魔がベッドに行く時の騒ぎである。
何にせよ、何とも不思議で騒がしい毎日だった。
ずっと独りで暮らしてきた魅魔にとっては騒がしく、煩わしく、しかし新鮮な日々だった。
そして、数年を以て魔理沙が、ようやく『人間の少女』として完成したその時。
彼女の「親」は、「師」となった。
東の国の、奥深く。
誰にも知られぬままに山間に作られた、人々が身を寄せ合うひっそりとした隠れ里。
峻厳な霊峰と深い渓谷に包まれたこの地は、さる都の貴人を始め、表より姿をくらませた人々が、妖怪からその身を守るべく結集して作り上げた人里だ。
都には存在を知られず、しかし豊かな自然の恵みによって、その存続を成り立たせる村である。
この地に集った退魔師や陰陽師らの力添えもあり、無秩序な妖怪のテリトリーに囲まれつつも、危うげな平穏を保てている不思議な地でもあった。
そして、霊峰が見渡す限りの紅葉に彩られ、天高く空気が澄むころ。
その隠れ里において、一つの大きな動きが、水面下でうねりを上げていた。
人里中央にある、寝殿造の大きな屋敷。
その奥の部屋にて、か弱そうな少女と大柄な男性が話をしている。
「……では、そのように。」
「ええ、お願いいたします。
「承知致しました。」
物々しい様子で男がそう告げると、少女の前からうやうやしく退出する。
見るものがいれば、大の大人が成人もせぬような少女に指示を仰ぎ、あまつさえ最上級の敬意を払っているという異様な光景に目をむくだろう。
しかしこれで良いのだ。
少なくともこの里において、彼のように歴戦の猛者たる陰陽師に指示を下せるのは、
「ふう、死に際のこの身には、間接的にとはいえ魑魅魍魎共の相手は堪えますね……」
里中に指令を伝えるべく出ていく陰陽師を見送ったその少女は、外見に似合わぬ達観した様子で体を伸ばす。
肩口まで切り揃えた薄紫色の髪に、磨き上げた紫水晶の如く輝く瞳。
透かし模様を入れた萌黄色の着物や見事な花の髪飾りは、彼女がただの市井の人間ではないことをまざまざと語っている。
――その求聞持の力にて、神代より日ノ本の一切の歴史を記憶に残す女傑。
歴史書の編纂後、身を隠しながらもその辣腕にて人里を率いる貴人。
名を、『稗田阿礼』。
後の世に実在を疑われる、伝承の存在となる彼女は、しかしその表情を曇らせている。
なにせこれから、自分を慕ってくれている人々の目を欺き、人間の敵であるはずの「妖怪」と
「さて……里の周囲を鎮圧し、秩序を維持する体勢を整え、博麗神社と交流を作る。これで宜しいのですね?……八雲殿。」
阿礼は、虚空に向かってそう話しかけた。部屋の中空、普通なら誰もいないはずのそこに向けて、独り言のように。
そこから返答が返ってくることは、ないはずなのに。
「ああ、重畳だ。十分だよ、稗田阿礼殿。」
よく通る声と共に、
夜の闇より真っ暗なそこから、ずるりとはい出てきた、大陸の術士のような純白の服と頭巾を纏う女。
その女は床に降り立つと、挨拶もそこそこに美麗な装丁を施された巻物を取り出し、机に広げる。
阿礼も驚くような様子はない。
「では始めようか。稗田殿。」
「ええ、貴女達は私を利用するべく、私は里の平穏を守るべく。私たちの約定、ここに結ぶと致しましょう。」
妖怪と人間の、異例の取引。
それは誰にも知られてはいけない、重く、固い契り。
人妖の知られざる宴は、静寂に吞まれ、夜と共に過ぎてゆく。
魔法修行関連はまた別のお話として一つにまとめたいので、該当の記述をサイレント修正しました。ご容赦ください。