時は数日前に遡る。
「ぐうっ…やはり私に残された時間は少ないですね…」
稗田阿礼は、その端正な顔立ちを苦々しく歪め、自室で体を横たわらせていた。
ここは稗田家の屋敷の奥の一室であり、阿礼の為だけに造られた彼女の書斎だ。ここには彼女の側仕えでさえも、許可なしに入ることは許されない当主専用の部屋である。明確な官位こそ持たないものの、これほどの重厚な建築が提供される程度には、彼女は里の、そして国の要人であった。
そしてこの部屋で、彼女がわざわざ昼間から床についている理由は、決して風邪になったなどという軽い理由ではない。
先の言葉の通り、もはや自身の命が長くないことを、悟っていたからである。
「私を除けば、統率を取れる者はいない。『群』を失った人間は弱いもの。果たしてこの里は存続できるのか……」
見聞きしたものを決して忘れない、完全記憶能力。
稗田阿礼が生まれ持った能力であり、彼女が歴史書の編纂を任された所以であり、そして彼女の命を削る呪いでもあった。
死ぬことが怖いわけではない。生来の強力な求聞持の能力は、魂に結びついた力であり、転生をはじめとして彼女の魂魄に大幅な異常を与えている。
その異常は、あるべき阿礼の寿命すらも歪めてしまっていた。
都の高名な薬師に見てもらわずとも、自身が人並みに生きられないことは、生まれた時より本能として承知していた。
(しかし問題は、私がいなくなった後、どうやってこの里を存続するか。この里で、いっとう地位と能力が高いのは私であり、だからこそ彼らは従ってくれていたというのに……。
稗田家唯一の直系である自分がいなくなれば、遅かれ早かれ権力闘争によってこの里の秩序は崩壊するだろう。そうなれば、陰陽師や退魔師の統率まで取れなくなってしまう……)
権力闘争などどうでもいいが、戦える人間の統率が失われることは大問題だ。『群れること』が、人間が妖怪に抗する最も効果的な手段であると、彼女は知っている。
逆に、一人一人の人間が持つ力など、妖怪や神にとっては微々たるものでしかない。如何に屈強なこの里の退魔師たちであっても、一対一で連中と戦うことなどまず不可能だ。
(どうすれば……)
私利私欲に塗れた里の上役達は知るまい、彼女が死に体で無理を押して自分たちを救おうとしていることなど。
だが、その優れた頭脳と積み重ねた経験をもってしても、里を救う打開策は浮かびそうになかった。
それでも諦めることなど出来ず、苦痛と死の予感に苛まれながらも、彼女は里一番の知恵者として、他のことが全く目に入らない程に策を打ち立てるべく集中していた。
だから、一体誰が彼女を責められるのだろう。
「お困りのようですわね。」
そのどろりとした不気味な女の声がかけられるまで、侵入者の存在に気づかなかったことを。
「なっ!?」
声がかけられた後方に、阿礼は勢いよく振り返った。そしてその女を視認する。
黄金に煌めく金髪に、異国風のドレスを纏い、日傘を持った、その女を。
明らかに異様な風体に、阿礼は女の正体を一目で見抜いた。
「妖怪……!!一体どうやってこの部屋に!?」
「ふふっ、それは内緒ですわ。まあ説明しても余り理解はされないでしょうし。」
阿礼が問い詰めても、妖怪は扇子を口に当ててはぐらかすだけ。
そういう問題ではないと、阿礼は歯嚙みすることしか出来ない。
ここ稗田家の大屋敷は、里中の陰陽師の協力を得て、妖怪の力を弾き返す強力な結界にその全域を覆われている。下級なものはもとより、中級の妖怪の攻撃であっても、その清浄な力の城壁は易々と無効化するだろう。
つまりそれは、その結界を何ら苦にすることなく突破してみせ、更には護衛の誰にも悟らせることなく部屋に侵入したこの妖怪が、大妖怪と称されるべき規格外の化け物であることを意味していた。
「おっと、名乗り遅れましたわ。私は、八雲紫。以後お見知りおきを。」
「……稗田阿礼です。」
冷や汗をかきつつも、阿礼は何とか名乗り返す。
八雲紫。
聞いたことの無い名前だが、幸いにも相手は言葉の通じる上級妖怪。結界を軽々と突破された以上、下手な刺激は避けるべきだ。
(恐らく助けを呼んでも無駄ね……
どうにかしてこの窮地を切り抜けないと……!)
「存じておりますわ、この国の根幹となる歴史書を編纂するのに力を貸した偉人だと。都では中々に評判が高いとお聞きしますが……」
「……っ!」
――公的な記録は殆ど残っていないはずだが、如何やら自分の情報は全て筒抜けらしい。
分かっていてわざわざ接触してきたということか。
「あら、そんなに怖がらずともよろしいのに。元より貴女をどうこうする気は無いのですから。」
「……では一体、何が目的なのです?私を都に対する人質にでもするおつもりで?」
「いいえ、どうしてそんなに面倒なことをしなくてはならないのでしょうか。」
胡散臭い。
回答を流しながら、意図を読ませず微笑む姿は、そうとしか形容出来ない。絶対碌なヤツではないなと直感で確信し、何時攻撃されてもいいように警戒しておく。
しかし、そんな阿礼の警戒は、次の一言で欠片も残さず吹き飛んだ。
「稗田阿礼さん、貴女の里を救いたくはありませんか?」
……その一言は、今の阿礼にとっては何よりも望んでいた、お釈迦様が地獄に垂らした蜘蛛の糸であったのだから。
「それは、どういう……!」
「言葉の通りです。貴女は今、この里を救おうと苦慮していらっしゃるでしょう?そのために、我々が手を貸そうというのよ。その代わりといってはなんですが、貴女個人に少し協力して頂きたいことがありまして。」
要するに、取引だ。
稗田阿礼を利用する為に、里の人間を妖怪の魔の手から救ってやろうということらしい。
だが生憎と、それではいそうですかと頷けるほど阿礼は楽天家ではない。当然だ、ここは隠れ里であると同時に、都の学者もどき共とは違う、本物の、百戦錬磨の退魔師たちが屯する場所でもある。
妖怪にとっては忌々しいことこの上ない出城であり、逆にここが潰されれば魍魎共は大喜びで三日三晩酒を飲みあかすだろう。
取引内容とはいえ、そこを妖怪が庇護する?幾らなんでも荒唐無稽だ。だまくらかして、ここを瓦解させるつもりに違いない。
「……誰が信用するもんですか。人間が妖怪の言うことを素直に聞くと思って?私を協力させるにしても、貴女に利が無さすぎるでしょう、わざわざこの里を守ってまで私と引き換えだなんて。
そもそも、ここから無事で帰れるとでも?」
薄命の才女は、床に伏せるほかない無力な自分を鼓舞するように、ニヤリと笑みを浮かべた。
阿礼の判断は正しい。
幾ら異常な力を持つ妖怪でも、里の退魔師たちを相手するには相当の消耗を強いられるはずだ。この屋敷から何の痕跡も残さず脱出できるわけがない、彼らは必ず侵入者に感づくはず。
そして何より、妖怪の言うことを簡単に信用するほど、人間は甘い生き物ではない。
妖怪は人間を喰いむさぼり、人間は妖怪を祓い滅する。古来より続くその関係で築かれた二種族の溝は、誇張抜きに、海より深いと言っても過言ではない。
故に、彼女の誤算は唯一つ。
そもそも始めから、相手は
「ふむ、そう…。余り貴女の命に負担をかけたくはなかったんだけど、ねえ……!」
言葉と共に、妖怪が豪奢な扇をぱちりと閉じる――
刹那、阿礼は自身が砂丘に転がる砂粒に変じたように錯覚した。
「な、か、っぐううぅぅぅっっ!!?」
重力が何千倍にもなって阿礼を押し潰しているかのように、悍ましい重圧が横たわる彼女へ容赦なくのしかかったのだ。
気圧が激変し、空そのものが降ってくるかのような、身の毛がよだつ自然の鉄槌。
手を着くことも出来ず、体を持ち上げることさえ許されない。
「残念ながら、貴女に拒否権を与えるつもりはないのよ。」
紫は何も特別なことはしていない。
ただ人間には猛毒である自分の妖気を予め抑え込んでいて、それを今解放した、たったそれだけ。
ただし、大妖、八雲紫の妖力は、ただの威圧で済むものではなかったという話だ。紫の内より溢れ出す妖気は、力の海となって部屋のすべてを満たす。空間を遍く埋め尽くす深海の如き妖気の圧は、ただただ重暗く、ただただ禍々しい。
それは脆弱に過ぎる人の子を押し潰し、彼我の格の差を錯覚として悟らせるには十二分のものであった。
(見誤った……!!こいつは、始めから里など眼中になかったのか……!!)
同時に、阿礼は今まで紫が語ったことに何一つ噓がないことを悟った。
何のことはない、その気になれば人間の里など片手間で潰せるであろう化け物が、里を破壊するために、わざわざ契約を結んでまで自分を手に入れようとする訳がない。
戦う者ではない阿礼にも、この妖怪の異常に過ぎる力量が、人に抗えるようなものでないことは察しが付いた。
この妖怪は、本当に自分が必要で、そのために気まぐれで取引を持ち掛けてきたのだ。
肺を圧迫され呼吸すら許されない中、阿礼がそこまで事態を把握したところで、フッと圧力が消えた。
「がっ……はあ、はあ……!」
「…話を受けてくれる気にはなったかしら?」
息を整える阿礼に、紫は平然と問うた。
「…ぐっ……本当に、里を存続させられるの…?」
「ええ、もちろん。」
――貴女さえ、協力すればね。
人里の賢人は、ただ妖怪の言葉を受け入れることしか出来なかった。
「それで、私に何をさせるつもりなのですか。」
数刻を経て、調子を取り戻した阿礼は、体を起こして座り直し紫にその目的を尋ねる。
即ち、妖怪の不利すらも受け入れてまで、一個人に一体何をさせる気なのかと。
「簡単です。
貴女の求聞持の能力を貸してほしいの。」
「……それは私の寿命を分かっていて言っているのかしら。」
妖怪の簡素な説明に、阿礼は胡乱な目で聞く。
彼女の命はもう長くない。後数年もしない内に彼岸からお迎えが来るというのに、今更ものを覚えても仕方がない。
先ほどの言動からして、それはこの女も分かっているはずだった。
「ええ、
「……まさか。」
全身が、ゾッと総毛だつ。
この妖怪は、来世以降まで阿礼の魂を縛り付けるつもりなのか。
「そういうことです。
時に阿礼さん、貴女は自分の魂の特異性を理解していらっしゃる?」
「……能力のこと?」
「それによる異常です。…貴女の能力は魂そのものに影響を与えている。それによって、貴女は同じ能力と記憶を引き継いで、転生するのよ。
このことはいずれ地獄の閻魔から説明されるでしょう。」
「なっ……!」
そこまでは分かっていなかった。自分の記憶や能力まで、新たな転生体に受け継ぐなど普通は有り得ないことであり、それはこれから先、阿礼が何代にも渡って前世の記憶を縛られることを意味している。
生者に、自身の霊魂の歪さが分かるわけもなかった。
驚く阿礼に、紫は更に畳みかけた。
「そこで提案です。
稗田阿礼殿、貴女にはこの地域の歴史を編纂して頂きたい。」
「この地域……ですか?」
「私は、これより里や妖怪の山、山上の神社などを覆う結界を張り、その一帯を一つの郷とします。貴女には、その内部の妖怪たちの情報や歴史を、転生以後より縁起物という形で纏めて頂きたいのです。」
「……」
突拍子もない話だが、噓を言っている雰囲気は無い。
こんな無茶苦茶な噓をつくほど、この女は愚かではないことに阿礼は感づいているし、つまりそれは今語った信じ難い事柄が全て事実であることを示している。
「その代わりに、知性ある妖怪たちには、この里の人間を里の領地を出ない限り、襲わないように厳命しておきましょう。理性も無いような下級の連中はどうにもなりませんが、その程度はこの場所の人間たちなら大丈夫でしょう?」
「……貴女なら、鬼や天狗、河童らを抑えられると?」
「そうでなければ、こんなことは言わないわ。それに、ここを襲われることは私たちにとっても不都合なのです。」
…正直を言えば、断りたい。
だが話が本当ならば、これを受ければ里の存続を一気に確実なものにできるし、何よりも拒否すればこの妖怪がどんなことをやらかすか分かったものではないのだ。
それに縁起物の編纂は、危険な妖怪の情報を残し、里の人間たちの生存の確率を引き上げることができる。決してデメリットばかりではないらしい。
「……分かりました。ただし、約束は必ず守って頂きます。」
結局、阿礼に出来ることは、自分を身代わりにして少しでも里に貢献することだけだった。
「それは僥倖。
ええ、名に懸けて裏切りませんとも。」
クスクスと考えの読めない笑みは変わらずに、八雲紫は協力を得られたことを喜ぶ。
ここに、千年を超える、人妖の誓約は相成った。
「そうと決まれば、私の式神を呼びますわ。私は他にすることがありますので、後の詳細は、あの子と共に決めて下さいな。では、御機嫌よう。」
言うが早いか、紫は扇子を薙いでスキマを開き、その中に沈み込むように姿を消した。
阿礼がスキマの不気味過ぎる見た目に、一瞬怯んだ瞬間の早業である。まあ夜よりも真っ暗な闇の中に、どでかい目玉が無数に浮かんでいれば普通の人間は怯むものだが。
それはともかく。
「式神……?」
はて、と阿礼は小首をかしげた。
阿礼の知る限り、式神とは陰陽道の使い魔である。疑似的に生命体としての振る舞いは可能だが、あくまで術者の手足となる存在であり、決して主人の話を代行できるような高度な代物ではなかったはずだ。
そんな想像は、紫が開けた空間の裂け目より出現した、一人の妖怪によって何もかも吹き飛んだ。
「――お初にお目にかかる。」
その女は、紫と似たような、純白に青い前掛けをあつらえた導師服と頭巾を被っていた。
蠱惑的な身体をドレスで覆い、白く輝くような顔は、まさしく傾国という言葉を体現するかのように美しい。
だが何よりも目につくのは、頭巾から覗いている狐の耳と、黄金に輝く見事な毛並みの九本の尾だろう。
幸いにも、阿礼はその妖怪の種族を知っていた。知っていたからこそ、ただでさえ悪い顔色を更に真っ青にしていたのだが。
「まさか……九尾の狐!?
では、八雲紫の式神というのは……」
「いかにも、稗田阿礼殿。
確かに私は九尾であり、そして紫様の式でもある。
私は八雲藍、以後お見知りおきを。」
九尾の妖狐。
神獣とも怪物とも伝えられる、この国の妖怪の中でも最強クラスの妖獣だ。その九本の尾は化け狐の頂点に立つことを意味し、遥か太古より恐れられる悪名高い白面金毛の大妖怪。
しかし何よりも戦慄すべきことは、
如何やらあの胡散臭い女は、自分の想像を遥かに超えた化け物だったらしい。
決定的に対立する前に協力を選択した自分の判断を内心で称賛しながら、阿礼は弱みを見せまいと振る舞いを正す。毅然と姿を立て直したのを見て、藍と名乗った九尾は静かに対面に座った。
「改めて、紫様の約定を受けてくれたことに感謝する。ここからは、私と貴女で明確な取り決めをしていきたい。」
「分かりました。」
式神の方は主人と違い、ちゃんとした真面目で実直な性格らしい。人を惑わす紫と比べて、話が楽に進むので有り難いと思った。
藍は袖に手を入れ、懐からするりと巻物を二本取り出す。木簡ではなく、この時代貴重な紙を使い裏地に金押しの紋様が入った代物だ。朝廷の書物などに使われていそうな高級なものである。
「取り決めは、こちらの紙に記述しておく。そちらとしても、明確に記載している方がいいだろう?」
「ええ、お願いします。」
妖怪は得てしてプライドが高く約束を破ることは滅多にないが、それでも契約は契約。書に明記された形として、残しておくに越したことはない。
「では先ずは此方からだ。――――我々は、貴女に転生後に我らの領域の歴史を縁起に編纂することを望む。縁起の内容は編纂者の裁量によるが、公表の前に紫様、或いは私による検閲を入れるものとする。異存は?」
「ありません。」
こちらに特にデメリットは無いのでそう返すと、いかなる術技か、広げられた二本の巻物にシュルシュルと全く同じように墨が走り、今の内容をきっちりと明文化していた。
「それでは次は此方からも。――――私は、貴女がたに我々の里の庇護を求めます。里の内部で決して人間に手を出されぬよう、他の妖怪を退けて頂きたい。」
「受け入れよう。ただし、こちらが可能な範囲内でだ。」
「構いません。」
阿礼の言葉を藍が受諾し、これまた墨が走り達筆な文字で盟約が刻まれる。
「我々を超えるような術者でない限りは、干渉できない特殊な文字だ。改竄は心配せずとも構わない。――――こちらは貴女の分だ。」
「頂きます。」
先程の巻物の内、一本が阿礼に渡された。
「これで一先ずの大枠は決めた。ただこの後も、諸々の調整のために何度か来させてもらうことになるだろう。―――ああ、もう楽にして頂いて構わない。」
そして藍は微笑を湛え、ふんわりとその雰囲気を緩めた。きりっとした美人の表情はそのままに、こちらに緊張を強いるような張り詰めた空気がほどけたのだ。
その意外な様子に、或いはこちらが彼女の素なのかもしれない、と阿礼は思った。
「それと、この里の庇護の為に、里の人間に幾つかして欲しいことがある。それをあなたから指示をして頂きたい。」
「この里の為に……ですか?」
「ああ、差し当たっては――――」
――――山の上の神社に、行ってもらおうか。
神社。
神道にまつわる八百万の神々を祀る祭祀の場だ。阿礼も一度加護を得ようと神宮に立ち寄ったことがあるが、あの光景は素晴らしかった、いやそうではなく。
「……神社ですか?そんなものが山の上に?いったい何のために?」
意味不明な藍の要請に思いっきり不可思議な目を向ける阿礼。というか山の上に神社があるとか初耳である。
大妖怪に対する畏敬も何もない視線に、藍は苦笑した。それもそうだろう、と思ってしまったから。
「知らないのも無理はない。山の上には廃墟になった神社があるのだがね、つい最近そこが再建されたのだ。そこの巫女に助力を請うといいだろう。まだ若いが、実力は保証できる。」
「はあ……」
廃墟。確かにそれは噂話程度には聞いたことがある。
この里を構築する際、周辺の調査をした里の陰陽師が山の頂上に不思議な廃墟があると言っていた。
原型をとどめない程に崩落して朽ちていたそうだが、まさか神社だったとは。恐らく何十年と以前に廃棄された場所なのだろう。再建された、ということは神を勧請しれっきとした祭祀施設として生まれ変わらせたということか。
「巫女……ですか。人間ですよね、信用できるので?」
「そうでなくては私もこんなことは言わない。急く必要はないが、そこに一度話を通しておいてほしい。」
「……分かりました。それでは、その神社の名前は何と?」
「『博麗神社』という。同じ姓を冠した巫女が、そこの管理を担っている。」
その気になればそこらの妖怪など一蹴できるであろう彼女がこんな事を言い出す理由は分かったものではない。が、一先ず受けることにした。
巫女とやらの素性は知らないが、里を守れればそれでいいのだから。それに、人間と妖怪、どちらの助力を得たいかなど、語るまでもない。
「お願いするよ。それでは。
ああ、その前に……」
何かを思い出したかのように藍は立ち止まる。そしてそのまま腕を振るった。
何をするつもりなのか、それを阿礼が問う前に、バリン!と硬質なものが割れる音がした。阿礼の部屋を覆う壁全体からだ。
そこから淡く輝く光の粒子が散り散りに飛んでくる。それは阿礼の目にも見えるほどの、濃密な霊子。
結界。阿礼の脳裏によぎったのはその二文字。
(ああ、そりゃそうよね。気づいてなかったけど。)
よく考えたら当たり前である。あれだけ馬鹿げた妖圧がまき散らされているのに里の人間が気づかない訳がないし、部屋が壊れていないのもおかしい。妖力も霊力も、完全に遮断するような結界を張っていたのだろう。
しかしこんな強力な代物を一体何時の間に張り巡らせていたのか。紫も藍も、そんな術を使うような素振りは全く見せなかったというのに。
「紫様が張っていた結界だ。我々がここに来たことが誰かに知られてはいけなかったからね、勝手ながら張らせてもらっていた。
それでは、また。」
そういうと、藍は主人と同じく宵闇色の空間の狭間を作り出し、そこに滑り込んだ。
スキマが閉じれば、そこは何時もの慣れ親しんだ自室だ。妖怪の存在が幻であったかのように妖力の気配などなく、穏やかな朝日が淡く差し込む、静かな書斎である。
チュチュ、ピピピッという四十雀の綺麗なさえずりで我に返った阿礼は、自分が生きていることを実感するように、思いっきり深く息をついた。
「……はあぁぁぁ……つ、疲れた……」
大妖怪二人の圧力を前に毅然と立ち向かった体と心は、今すぐにでも倒れてしまいそうなほど疲労困憊だった。恐らくこの部屋に阿礼以外の人間がいたら、私ちゃんと生きてるよね?殺されてないよね?と問いかけていただろう。
ここまで死を目前に感じたのは久しぶりだ。二人がいなくなって初めて、連中がどれだけ存在感があったか良くわかる。
「こっっわ……」
取り敢えず今日はもう寝よう。
一目でヤバイと分かる連中だったが、逆にその協力を得られたのはとても大きい。一番大きな問題である人里壊滅の危機は過ぎ去ったのだ
弱みを見せることなく対等に立ち向かった自分を褒めながら、とりあえず何もかも忘れようと言わんばかりに阿礼は布団に潜り込んだ。
数日後、妖怪の襲撃の激減への対応や縁起の準備や博麗神社への人の派遣や、八雲の連中の調整のための再訪問で一睡もできない大忙しになったのは別のお話。
幻想郷縁起は阿一の頃からの編纂だそうですが、紫が検閲するところを見ると先代の頃からこんな裏話があったのでは? というお話です。
それと、過去話の見づらいところなどを何度か修正しております。どの書式がいいか試しているので書式がコロコロと変わっているのですが、作者が迷走してるんだなーと思って頂いたら結構です。申し訳ありません。