魅魔様見聞録   作:無間ノ海

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長らくお待たせ致しました。


征伐 ~Humans Battlefront

 

「……あれが『博麗の巫女』、ですか。」

 

 稗田阿礼は、つい先ほどまでここにいた紅白の少女を見送ってから、恐怖で震える体の力を抜くように大きく息を整えた。

 

 

 八雲藍。あの金毛九尾の言う通りに神社に人を送ってみれば、確かにそこは再建されており、そこを管理する者もいたという。彼女が阿礼に語ったことは噓ではなかったということだ。

 

 であれば、とりあえずは神社の管理者に会わなくては話にならないのだが、体が弱い阿礼が直接神社に出向くなど無謀を通り越して論外である。この時代、山は過酷な環境の中妖怪が跳梁跋扈する魔境であり、一人前に鍛えた者でさえ気を抜けば一瞬で命を落としたのだから。

 

 故に失礼には当たるものの、先方に人里に来てもらうことにしたのだ。どちらにせよ、新しく神社が現れたのなら、里のトップとして神職の者には顔を合わせる必要があったのだから。

 

(……一体どんな方なんでしょうね。やはり強そうな男の人でしょうか。)

 

 この時、藍から実力を保証される人間であり、尚且つ妖怪が居つく山の中一人で暮らす者ということで、阿礼は若々しい偉丈夫の想像をしていた。そして、普通ならその想像は大いに正しい。妖怪と戦うのは大抵身体能力に優れる若い男性だ。

 

 

 ―――だから、障子を開いて入ってきたのが女性、それも未だ十になったか否かほどの少女だったのだから、一瞬目を疑うほど驚いたことは言うまでもないだろう。

 

 

 紅色の袴に純白の装束。この国には珍しい黒紫の髪を大きな赤いリボンで飾った少女。

 まるで日本人形のように端正な美貌であるのに、何故か雰囲気からは人間らしさが溢れている、そんなだまし絵のような不思議な女の子。その様相も相まって、狐狸にでも騙されているのかと冗談抜きに思った。

 

「なっ……貴女が、博麗神社の神官なのですか?」

 

「私じゃダメなの?」

 

 後から思い返せば、凄く失礼な発言である。せっかく来てもらったのに相手の身分を疑ってしまったのだから。

 

 少女は博麗靈夢と名乗った。どうやら間違いなく山上の神社の神職であるらしく、博麗の巫女として神社を管理しているのだとか。

 阿礼としては、再建の為の人手はどうしたんだとか、そもそもいつあそこに来たんだとか、色々ツッコミたい所はあったのだが、今回の用件は全く別。グッと我慢した。

 

「それで、靈夢さん。改めてお願いがあります。事前に話は聞いていると思いますが……」

 

「里の周りの妖怪を潰せばいいんでしょう?どんな感じにすればいいかは聞いていないけれど。」

 

 余りにも気負わない少女の答えに、阿礼は、妖怪退治に行くのに軽すぎやしないか、そもそも本当にこんな幼い子が戦えるのか……などなど、里を治める者として、そして一介の大人として思ってしまった。だがその時、ふととある違和に感づいた。

 

 瞳だ。玻璃玉のようなその瞳には、正しく何の色も浮かんでいない。恐怖も、焦りも、そして嘲りも慢心も。それだけならまだしも、人間として必須であるはずの喜怒哀楽すらほとんど読めない。いや、抱いていない。

 ()()()()()()()()()()、彼女は自分に相対し、妖怪を滅すると言っているのだ。

 

 ゾワリと、体が凍りついた。彼女は妖怪をなめてなどいない。いや、それどころかもはや心も何も無い。ただただ妖怪を退治するという決定事項を伝えているだけ。

 活発で喜怒哀楽が激しそうなのは、見た目だけ。純粋で、そして真っ直ぐな強い光を映すだけの彼女の瞳は、そのことを何よりも如実に語っていた。

 

 その時の阿礼の思考を一言で表すならば。

 

 ――――コレは、何だ?

 

 

 

 結局、靈夢には周辺の雑魚妖怪の掃討を依頼して、人里の他の陰陽師と共に送り出した。それは神社を一人で切り盛りする靈夢の腕を信用したのもあるし、何よりもあの尋常ならざる風体に気圧されたのだ。

 どちらにせよ、彼女の様子は対妖怪の客将として雇うに十分だと判断したのだ。

 

 そして結論から言うならば。

 

「……本当に彼女は人間なのでしょうか。」

 

 阿礼がそう口走るほどには、彼女は強く、そして異常だった。

 

 

 

 

 里から出る退魔師や陰陽師は、何人かでまとまって群を作り遠征する。

 

 子供ということもあって、周りの陰陽師たちからは奇異や疑惑の目で見られるまま、里を出て妖怪退治に入った靈夢。お目付け役の陰陽師に至っては彼女を新手の自殺志願者に疑う始末であった。それでも仕事は仕事、式神を複数飛ばして周辺の様子を探らせながら山の中へと入りこんでいく。

 そしてほどなくして、靈夢は彼を瞠目させるような正気を疑う行動に出たのである。

 

 化け化けや妖精は、事あるごとに里に迷惑をかけてくるからか、里の近くに馬鹿みたいな数の集団で屯していた。そこに彼女は、あろうことか身一つで躊躇なくその中心に飛び込んだのだ。

 

 連中は地力こそ人間に満たないほど弱いが、集団で襲い掛かって来られれば話は変わる。妖精の悪戯で人が死ぬこともないわけではないのだ。流石に無謀が過ぎると、それを見ていた陰陽師が助けに入ろうとした。

 

 ――まあ、そんな暇などなかったのだが。

 

 妖精は光弾を放ち、化け化けが憑りついて心を狂わせようとしたのだろうが、靈夢はそもそも相手の攻撃をまともに受ける気はなかった。

 

 妖精は何十も固まって、自然の妖力や魔力を玉としてどんどん打ち込んでくる。幾ら個々は弱いと言っても数が数、暴力的な物量で押し潰されればどうしようもない。だからこそ妖精たちも本能的にそのようにして靈夢に向かっていったのだが、残念ながら致命的なまでに相手が悪かった。

 周囲から飛んでくる黄色や赤の弾丸を、まるで風にあおられる蝶のように、ふわふわ、しゅるしゅると避けていく。余りにも自然、天衣無縫なその動きは、里の者に、戦場で一人少女が幽雅に舞っているように錯覚させるほどのもの。靈夢が弾を避けているのではなく、舞いを捧げる少女を彩るかのように、弾が勝手に避けて掠めていくようにすら見えた。

 

 化け化け、つまり怨霊の精神攻撃は妖怪も人間も狂わせる恐ろしいものだが、こちらはそもそも靈夢には届かない。うっすらと靈夢の周りで光る、霊力の壁。結界ですらないような不格好なそれは、しかしどういうわけか、強力な負の念である化け化けの攻撃を完膚なきまでに遮断していた。無意識下で張られる薄っぺらいだけの城壁が、いっそ残酷的なまでに、ただただ硬い。

 

 そして少しでも間隙ができれば、振舞われるのは札弾と封魔針の嵐。身体を捻ってできた空間に少女の右腕がぶれる度、音の壁を引き裂いてお札と針が飛来する。術式を刻まれ祈禱にて加護を得たお札は、人ならざる者に触れた瞬間その力を封じ込む。霊力を纏い貫通力を大幅に増した銀の大針は、当たり前のように数十体の妖怪共の身体をまとめてぶち抜いた。

 

 人間が、妖怪に数で勝るのではない。その逆、圧倒的な個の人間が、圧倒的な数の人外を蹂躙する。

 

 余りにも現実離れしたその光景。援護に回っていた陰陽師にも、その姿は何よりも鮮烈に刻まれた。

 

(これが、これが十にもならぬ小娘だと!?)

 

 未だに農村で遊んでいるのが当たり前の歳の童女が、そこらの退魔師など歯牙にもかけない実力で人外を殺していく。

 その小さな体に向けられる何千もの攻撃を一発たりとも掠らせず、逆に彼女から放たれる攻撃は平然と妖精も怨霊も等しく滅していく。幻覚を見せられているという方がまだ説得力があった。

 

 自分ならばどうだろうか。確かに妖精の群れ程度なら同じように殲滅することは可能だが、それはちゃんと事前に準備をして高度の術で纏めて始末する場合だ。間違っても、あんな真正面から大群に喧嘩を売って蹂躙するやり方などではない。真似しろと言われても無理がある。

 

 この時、その陰陽師はようやく思い知った。彼女は伊達や酔狂で死にに来た小娘ではない。その双肩に妖怪退治と人間守護の任を負った、確かな実力を持った巫女なのだと。

 自分たちと同業の、頼れる援軍なのだと。

 

 ……()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

 

 妖精たちの掃除は二十分余りをかけて終了した。正直途中から数えるのも億劫になるほどの数だったが、それでも靈夢と陰陽師たちはやり遂げたのである。

 これだけやっても一回休みになるだけでその内復活してくるだろうが、少なくとも里に大群で奇襲をかけられるという事態は避けられるはずだ。

 

「博麗殿、助かりました。いかに妖精と怨霊とはいえこれだけの数、里になだれ込まれてはどうなっていたことか……」

 

「別に構わないわ。どうなろうが興味もないしね。」

 

 見ようによっては淡白すぎるその態度。齢を考えれば生意気だと怒られそうな反応に、しかし礼を述べた陰陽師は頼もしいなと苦笑するだけだ。

 

 靈夢はあれだけの大立ち回りをやってのけておきながら、まるで消耗していなかったのである。他の陰陽師たちの休息の時間は必要であったので、これ幸いとその間の見張りは彼女に任されたのだ。

 そんなわけで、現状自分たちの安全を確保してくれている靈夢の態度は余り気にならないというわけである。その人情味に欠けた態度も、彼女はそんなものなのだと受け入れてしまったのだ。

 

 ……なおどう考えても人間のスタミナではないことは指摘されていない。周りの者も考えることを放棄した。

 

 

 休息を終えて、式神を周辺に飛ばせるだけ飛ばして索敵を行いながら、更に山の奥の奥へと一歩ずつ進んでいく。まさか里周りの連中が妖精や人魂だけのはずはない。必ずや、人間を襲い食らう妖怪がうろついているはずだ。少なくとも、彼らはそう確信していた。

 そして勘が当たったのか、そう何里もしない内に新たな妖魔の気配が伝わってきたのである。

 

 何度目かになる人型式神の回収。一度周辺に派遣したそれを一斉に回収し、おかしなものがあれば式神が教えてくれる手はずになっている。

 そして此度のそれは――

 

「むっ、これは……」

 

「瘴気、或いは厄気ね。しかも相当凶悪な…。厄神か土蜘蛛でもこの辺りにいるのかしらね。」

 

 触れることすら躊躇われるほどドス黒く変色した式神。進行方向のやや左寄りから帰ってきたそれは、この先に靈夢の語ったような、非常に厄介で凶悪な能力を携えた妖怪が潜んでいることを如実に教えてくれた。

 

 なんてことのない風に言う靈夢だが、里の陰陽師たちは厳しい顔。元より人間よりも妖怪の方が地力が上なのは当たり前だが、それに加えて今しがた予想した連中は能力が悪辣なのだ。根本的に人間には相性が悪い上に拡散性も強いので、少しでも里にちょっかいを出されたらえらいことになる。放置はできない。

 かといって、倒すのもこれまた難しいのだ。単純に相手が強いのである。土蜘蛛であれ厄神であれ、その地に名を轟かす英傑が複数集まって相手にするような化け物どもだ。本来ならこちらが数で上回り、徹底的に相手の弱点を突くことでようやく倒せるような連中である。

 

「撤退して里に知らせるか?」

 

「いや、ここまで来ておいて引くわけにはいかないだろう。叩ける内に叩いておかねば。」

 

「しかし準備などしていないぞ?上手くいくか?」

 

「だからといって、ここで目を離して逃げられたらどうする?いつどこに現れるか分からんぞ!?」

 

 やいのやいの、援軍を呼ぶかここで仕掛けるかの議論が続く。どちらの考えも頷けるのだが、こと今に関しては水掛け論で浪費する時間はない。この中で最も陰陽師の経歴が長いまとめ役の老人が、鶴の一声で決定した。

 

「―――行くぞ。ここは多少の犠牲を許容してでも相手を探るべきだ。あわよくば倒せずとも弱らせることぐらいはできるだろう。里には連絡用の式神をできるだけ多く飛ばしておけ。」

 

 選択は、吶喊。

 その一言で決意を固めたのだろう、全員の目には恐怖をも捩じ伏せる炎が宿っていた。

 

 里まで式神の耐久力が持つ可能性は低いが、それでも一応連絡は飛ばしておく。狼煙が使えればいいのだが、それでこちらの居場所がばれたら本末転倒だ。

 

 それに加えて、邪魔を入れられないよう周りの妖怪を抑えなくてはならない。そしてそれは、先ほど圧倒的な力を見せた今回限りの援軍が適任だろう。

 

「申し訳ありませんが露払いをお願いできますかな、巫女殿。」

 

「ここまで来たら最後まで付き合うわ。私の神社の周りをうろつかれたら面倒だもの。」

 

 清々しいほどに自分のことしか考えていないが、それでも頼れる一戦力だ。里の陰陽師で使い慣れた陣形を組む。力で劣る人間が、全員で負担を分散する鉄壁の布陣。

 

 紅白が風を切って宙に踊り、一瞬で夜闇に沈んで見えなくなる。彼女の心配は全てが終わった後だ。

 

「さあ、行くか。」

 

 その決戦に喊声は上がらない。しかしそれに勝る気迫を出しながら、帰るべき場所を守るために彼らは死地に赴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――戦いが始まって、どれほど経っただろうか。

 少なくとも、そこまで経ってはいないはずだ。月が昇った辺りから自分たちはあの妖怪らに喧嘩を売って、未だに月は天に輝いているままなのだから。

 

 ……だというのに。

 

 どうして、既に自分たちは立つことさえままならないのか。どうして、もう戦える者が残っていないのか。

 

「ぐうっ……あぁぁ…!」

 

 男はボロボロに叩き壊された自らの身体を引きずり起こす。へし折れた体中の骨が軋み、体を覆う火傷に痛覚が悲鳴をあげるが、今ばかりはその一切を無視して上半身を起こす。

 そして、周りを見まわした。

 

 

 ―――地獄だった。

 

 

 そうとしか言えなかった。別に見渡す限りの業火があるわけでもないし、針山が聳え立っているわけでもない。そもそも男は死んだこともなく、地獄を見たことなどありはしないのだ。

 

 ……それでも、苦悶の声と焼け尽きた森と、そして何よりも無残なほどに叩きのめされた同僚の体で満たされたこの場所を『地獄』以外にどう形容しろというのか。

 

 呻き声をあげる同胞の陰陽師たち。幸い気を失っていてもまだ死んではいないらしい。しかしここまで無力化されたのだ、皆殺しにされるのも時間の問題だろう。

 

 そしてその中心部に立つ二つの影。

 

 一つは女性の細長いシルエットにスカートのようなふんわりとした下半身。そして背部からのびる、一本が屋敷の大黒柱ほどもありそうな巨大な漆黒の脚。

 もう一つは小さく、知らぬままに見れば幼子と勘違いするほど。しかしそんな甘い考えは、小さな体に不釣り合いなほど大きい後ろの翼を見れば吹き飛ぶだろう。

 

 ―――土蜘蛛。そして夜雀。

 

「やれやれ、人間が一斉に屯して襲い掛かってくるから何事かと思ったけどそんなもんかい?だとしたら期待外れだね。病にろくに耐えられない、力も情けないほど弱い。そんな奴が私に勝てるものか。」

 

「まあせっかく来てくれたんだ。貴女たちの肉は私たちが美味しく頂いてあげるわよ。」

 

 勝負を仕掛けてきた里の者たちを軽々と蹂躙した怪物共は何でもないかのように嘯く。所詮は人喰い、その思考も食欲のことしか頭にない畜生同然である。

 そんな連中が抗いようのない馬鹿力を持っているからこそ、なお性質が悪いのだが。

 

(くそっ、一体だけならどうにでもなったものを……!)

 

 予想通りというべきか、式神の示した方向にいたのは土蜘蛛であった。話に聞く通り大きな塚を作ってそこを縄張りにしており、まどろんででもいるのか近づいても反応すらしなかったのである。

 

 これ幸いと周囲を取り囲み、感づかれる前に塚ごと封印してやろうとしたのだが……よりにもよって最悪のタイミングで邪魔が入ったのだ。

 

 それこそ、さっきからこちらを煽ってくる夜雀である。一体いつ来たのか、奇襲をかけようとした人間たちに歌声で逆に奇襲をかけることで横槍を入れてきたのだった。

 

 夜雀の歌声は聞いた者を鳥目にする。昼ならば視界が暗くなる程度で済むが、不味いことに今は夜。里の陰陽師たちはその声によって、一発で全盲にまで追い込まれてしまったのだ。

 

 視界を奪った不届き者を潰さなくては複雑な封印など出来るわけがない。なので目の見えないまま何とか倒そうとしたのだが、目の前でそんな大騒ぎをされたらどれだけ暢気な者でも飛び起きるに決まっている。

 

 結果、陰陽師たちは夜雀に視界を封じられたまま飛び出してきた土蜘蛛とやり合うという羽目になった。

 

 当然そんな状態で伝承に残るほど腕力に優れる土蜘蛛に勝てるわけがない。舞台は敗北必至の戦場となり、こうして目の前の惨状が出来上がったのだ。

 

 更には、満足に戦えなかった原因は夜雀の妨害だけではない。 

 

(体がっ…動かない……!)

 

 男に出来るのは、上半身を起こすことだけ。神経も筋肉も完全に麻痺して、更にはそれを使うための体力すらない。体が恐ろしく発熱して寒気が走り、皮膚は真っ黒にただれ切っていた。

 明らかに外傷だけでなく、体の内側から徹底的に病に侵されている。それもただの風邪なんぞではない、致死性の流行り病を一気に振り掛けられたような惨状。

 

 原因は分かり切っていた。あの土蜘蛛だ。

 

 『病を司る程度の能力』。

 これこそが、土蜘蛛が人間に対して相性最悪な理由であり、放置できなかった理由。疫病は人間には太刀打ちできない最悪の天災の一つであり、同時に死そのものとして見られるほど人間を簡単に殺戮する代物。

 そしてそれを操る怪物が、人間に簡単に倒されるわけがない。

 

 

 「……この、化け物がっ!」

 

 自分以外の声が響き、男はハッと振り返った。見れば、男の同僚の一人が立ち上がっている。男同様にボロボロになった体と服の袖を引きずって、されどその瞳には恐怖は無い。あるのはただただ、仲間を甚振ってくれた憎悪と、人間を害する外道共に対する怒り。

 

 ……そして二体の返答は、冷たく無感情な視線。生意気にも抗い盾突く蟻を冷徹に見下す色。

 

「おや、まだ立てる奴がいたんだ。あれだけ嬲ってやったのに大した根性だね。まあそのせいでお前が最初に死ぬんだけど。」

 

「どうせだし、貴方は一番丁寧に殺してあげる!心を狂わされて死ぬか、真っ二つにへし折られて死ぬか、どっちがいい?」

 

 氷を思わせる冷たい土蜘蛛の視線は羽虫に対するような鬱陶しさだけを孕み、夜雀はもはやまともに戦うことすらできない人間に嘲笑と狂笑を浴びせかける。

 彼ら彼女らにとって、決死の思いをもって人間が立ち上がることは、餌が無謀にも抗いの意思を見せた以上の意味など持たないのだから。

 

 そして人間にとってもまた、天敵の抜かすことに興味などない。

 

「っ、そういうことは……こいつを食らってから言え!」

 

 陰陽師は化け物どもの戯言には耳を貸さず、袖から一枚の札を取り出した。何の変哲もない、茶色の地に血の陣が描かれた霊符。

 妖怪たちは今更一体何をする気やら……という呆れた眼差しを向けて―――すぐさまそれは瞠目へと変化した。そしてそれは、味方である男も同じ。

 

 その体から、今まで見せたものとは明らかに質が違う濃密な霊力が吹き出し、札に注ぎこまれたのだ。くすんだ茶色の符は過剰な熱量を受け取って、煌々と白く輝いている。

 それが自分たちを害し得るものだと妖怪は直感する。しかしどれだけ早く動いたとしても、もう手遅れだ。

 

 死に体の陰陽師に今更そんな術を満足に扱える体力があるわけもない。凄まじい負荷に耐えられず口や鼻から血が噴出する。文字通り身を削り、自らの命を繋ぐ最後の生命力すらも糧として、術を撃つつもりなのだ。

 

 ここで刺し違えてでも討つ。人間の持つ、執念の一撃。

 

「お前、まさかそれ……!」

 

「死にやがれ、妖共!!」

 

 咆哮とともに霊符が地面に叩きつけられた。

 

 

 その瞬間、地盤が爆発した。衝撃波によって何十メートルと地面が叩き割られて吹き上がり―――そしてその無秩序なはずの破壊の力は、刻まれていた陣によって指向性を持つ。

 地面の土が、岩盤の岩塊が、地上の大木が、力の奔流に巻き込まれて巨大な波動と化す。更なる質量の増加によって破壊力はますます増大し。

 

 結果、霊力の暴風による陸の大津波は、術者の狙い通りに土石の激流と化して仇敵たる妖怪たちに襲い掛かった。

 

 

 人為的な土石流に巻き込まれた一帯は、完全に地盤から掘り起こされた荒地と化した。当然、巻き込まれた妖怪たちの姿は見えない。

 

「はあ、はあ……ゲホッ!……どんなもんだ……っあ!?」

 

 どさり、と。

 

 見事仇に一矢を報いた陰陽師は、しかしその体を仰向けに横たえた。

 

 体力が尽きたのだ。自分の体の最低限の機能を保つ余力すら、攻撃に回してしまったから。それこそもはや受け身をとる余裕もなく、頭から倒れ込んでしまうほどに。

 

「っ!大丈夫か!」

 

 不幸中の幸いは、寸前で目覚めてそれを見ていた男がいたことだろう。呆けた頭を振り払い、仲間を助けるべく痛んで碌に動かない体を今だけは全力で動かす。激痛が走っても無視だ。

 

「……ごほっけほっ……!味方、か……?」「待ってろ、今治療してやる。」

 

 ほぼ掠れたノイズにしか聞こえない陰陽師の言葉をよそに、男は懐から符を取り出す。残り最後の装備である回復用の呪。攻撃用のものはもう使い果たしてしまった。

 

 符を胸に当て、それを介して霊力を通す。外傷は後回しだ、まずはエネルギーを使い果たして力尽きかけている体をどうにかしなければ。

 

 ぽうっ、と陰陽師の体は輝き始めた。男の霊力を介し、霊体が修復されはじめたのだ。尽きかけた体力を補充されて弱り切っていた脈動が復活しはじめ、痙攣を繰り返していた肺の動きは少しづつ正常に戻りだす。

 

 そして、男も残った力を使い果たすころ。ようやく、陰陽師の体は正常に機能し始めた。

 

 峠は超えた。後は自然の治癒力に任せておけばいい。そうして安堵して、男も座り込もうとした、その時だった。

 

 

 ―――引き裂く。

 

 

 ずぶりと、男の腹から()()()が飛び出した。

 

「あっ……え?」

 

 理解する暇などなく、漆黒の爪撃が臓腑を貫き、早贄のごとく空中に吊り下げられて――ようやく男の体と頭は、迸る激痛と状況を認識した。

 

「ごっふ…が、ああぁっ!?」

 

「痛い、痛い、痛い……。全く、あんたのお仲間はよくもやってくれたね。ここまで傷を付けられたのは久しぶりだよ。」

 

 煮えたぎる溶岩を思わせる、沸騰する苛立ちと憎悪を隠し切れない低い声。それは間違いなく、先の決死の術で押し流された土蜘蛛のもの。

 

 しかしその姿は、先ほどの様子とはまるで違う。

 

 土石流に飲み込まれれば如何な妖怪でも無傷ではいられなかったのだろう。

 皮膚は半分以上が引き剝がされており、ぐじゅりぐじゅりと生理的嫌悪を煽る音を立てて体液と組織がこぼれている。いたるところの欠損から、病を引き起こす瘴気と共に毒々しい妖力が吹きこぼれていた。

 

 人間ならば間違いなく致命傷。だが再生能力に優れる妖怪にとっては致死の傷とはならない。

 

 つまりは、殺せていなかったのだ。仲間の命をかけた一撃もこいつらにとっては「痛い」で済むものだったのである。

 

 そして格下の種族に傷を負わされて黙るほど気性の良い妖怪などいない。

 

「決めた。あんたたちは此処で全員殺す。その後あんたたちの村も見つけて全員殺す。」

 

 その目には何の感情も浮かべていない。そこにあるのは清水のように透明な殺意。体と誇りに傷を付けられた土蜘蛛はここにきてあらゆる油断と慢心を消し去り、人間たちを『獲物』でも『玩具』でもなく、『敵』として認識していた。

 手負いの獣は恐ろしいというが、それは妖怪にも通じるものだったらしい。

 

 血が抜けたせいか、目の前が暗くなる。もう腹を貫かれた痛みも感じなくなってしまった。

 

 自分はここで終わる。里はこいつに滅ぼされる。諦観と眠気が『死』と共に迫ってきていた。

 

「死ね。」

 

 端的な一言。二本目の巨脚が愚かな人間の頭を穿ち潰そうと、音を超えて唸り――――

 

 

 

 

 

 ――――フッ……と。空が斬られた。

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 その困惑の声は尤もなものであった。

 自分が振るおうとしている四肢の感覚。それが知覚することもないまま消失したのだから。

 

 理解不能。全くもって把握できない現状に、脳が理解することを放棄する。さながらそれは、コンピューターが知らないデータを打ちこまれ、エラーコードを吐き出すかのように。

 

 それでも反射的に自分の脚に目を向けたのは生物としての本能故か。

 

 ―――既に、そこにあるべき黒鉄の如き脚は消し飛んでいるというのに。

 

 自分の鉄塊すら超える強度を持つ脚部。それが根元から見事に真っ二つにされ、綺麗な断面を晒していたのだ。認識した瞬間、削ぎ取られた苦痛が流れ込んできた。

 

「――馬鹿なっ!?」

 

 一体何時の間に?否、それ以前に一体誰が!?

 

 答えを探すべく、痛みを無視して土蜘蛛の眼球は回る。誰がやったのだと、見えない敵への警戒と恐怖を隠すことなく。

 

 そして、それはすぐ目の前に。

 

「――――女?」

 

 振り返った先。そこに巫女服を纏い目を伏せた一人の女、否、童女が、その長い髪を晒して佇んでいた。

 

 人間の中でもさらに弱者に当たるはずの、その矮躯。しかしその姿を認識した瞬間、土蜘蛛は一切の音と景色が消えたように錯覚した。それほどの、怪物じみた存在感。

 

 『死』が言葉を紡ぐ。

 

 

「……あんたかしら?」

 

 この人たちにケガさせたのは。

 

「何だか知らないけど、その人たちに傷つけるんじゃないわよ。」

 

 私の仕事が増えるんだから。

 

 

 身の毛がよだつほどの霊力が込められたお祓い棒が、絶死の刃となって振り下ろされた。

 

 

 

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