魅魔様見聞録   作:無間ノ海

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虐滅 ~Unparalleled Slash

 

 

 無造作に振り下ろされた幣。何の変哲もないはずの単なる木の棒に、しかし土蜘蛛の本能は今までにないほどの警報を鳴らした。妖怪といえど所詮元は野生動物である、肉体は本能に無条件に従い転がるようにその一撃を回避した。

 だがことここに限っては、紛れもなく英断であったと言えるだろう。

 

 

 その一閃は、触れた大地を地の底まで削り飛ばしたのだから。

 

 

(冗談だろう!?)

 

 思わず脳内で叫んだのもむべなるかな。小娘の、本気でもない棒切れの斬撃が、大地を砕き割るなど普通はまず有り得ない。しかしどれだけ否定しようと、事実は事実。

 

「逃がさないわ。」

 

 驚愕を覚える土蜘蛛を前に無感情の声が響く。地が割れる踏み込みと共に、同等以上の威力を持つのだろう閃戟が豪雨の如く降り注いだ。

 

「チィィッ!」

 

 悪態をつく暇もないまま、土蜘蛛は次々と空間を駆け巡るお祓い棒を回避していく。外皮の一寸先を掠める幣は、身体には触れていないというのになお此方の肌を抉るほどの勢いで飛んでくる。反撃すら許さない、隙間なき暴力の嵐。

 このままではじり貧、押し負ければ真っ二つにされて死ぬ。

 

(ならば……)

 

 迷いは一瞬。追い詰められながらも頭の一部で冷静に判断を下した土蜘蛛は、自慢の武器を一本、()()()ことに決めた。

 

「おおぉぁっっ!!」

 

 袈裟切りを辛うじて避けたその時、土蜘蛛は靈夢に柱が如き黒の巨脚を迫らせた。鋼よりもなお硬く鋭い土蜘蛛最大の武器は、衝撃波をまき散らして華奢な少女の肢体を貫かんとする。

 それを。敵は。

 

「児戯ね。それで私を倒せると思う?」

 

 ()()()()()()()

 

 文字通りの一撃で、陰陽師達が束になっても傷一つつけることも叶わなかった黒鉄の剛槍が、何の抵抗すらも感じさせずスパリと断ち切られたのだ。この時点で、土蜘蛛の攻撃が相手にはほぼ通用しないということが、身をもって分かってしまった。

 ……だが土蜘蛛本人は、そんなことは折り込み済み。

 

 再度巫女が振り返った先にはもう、冷たい風が寂しく吹き抜ける、薄暗い森が広がるばかりであった。

 

「って、いない…?アイツ何処行ったのよ。手間とらせてくれるわね、全く。」

 

 もとより、一時の時間を稼ぐデコイとして使えれば、それで良かったのだから。

 

 

 

 

 

「ぐうっ…!派手に、やられたね…!」

 

 その土蜘蛛といえば、稼いだ時間を使って全力で逃げ馳せていた。そして少し離れた未開の森の中、自らを休ませ治癒に没頭する。

 あの大脚は単なる囮。自慢のそれを一本使い潰してでも、心を落ち着かせ体を癒す時間を欲したのだ。

 

 一般的に妖怪の体は非常に頑丈で、尚且つ優れた再生能力を有する。ある程度以上の格の妖怪であれば、腕を砕かれようが首が吹っ飛ぼうがすぐさま再生するほどなのだ。

 ―――そのはずなのだが。

 

「傷が、治らんっ……!」

 

 上半身を覆う裂傷と火傷、そしてズッパリと滑らかに斬られた大脚。その全てが常からは考えられぬほど遅々とした修復しか見せず、血のように妖気が傷口から漏れ出し激痛を訴えかける。

 ただ負傷しただけならこんなことにはならない。その理由は唯一つ。

 

(治癒の妨害術式か、あの陰陽師め…)

 

 一番初めに目覚め、命を賭して最期の一撃を撃ちこんできたあの陰陽師。地面を根こそぎ抉り大質量の大波とするあの攻撃は、致命傷ではなくとも決して少なくない傷を土蜘蛛に与えていた。

 それだけならまだしも、霊符を通してその攻撃に付与された術式は、回復封印。破れかぶれに見せかけて、妖怪の最大の脅威たる治癒能力を封じていたのだ。

 

(これさえ無ければ、あの娘の動きにも少しは対応できたのにっ)

 

 強かな人間に悪態をつきながらも、思考は止めない。最優先で対処すべきはあの巫女だ。

 

 とにかく速く、鋭い。人間では有り得ない程に。

 一応タネは分かるのだ。恐らくは霊力で身体能力を跳ね上げているのだろうが、それにしたって馬鹿げている。そもそもあれだけの強化を施して、身体が自壊していない方がおかしいのだ。

 

 認めよう、あいつは強い。自分を追い詰めるほどの力を持った人間が現れるとは思ってもみなかった。それが正直な感想だ。

 

 だが対抗策が無いかと問われれば、話は変わる。自分には、妖怪として恐れられる『能力』があるのだ。

 

 久々に強者ではなく、弱者としての戦い方を曝け出そう。その判断を下すのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 木々の間をするりと抜けて、暗鬱の森を疾走する影。華奢な体躯をしならせ紅白を翻すその姿は、言わずと知れた博麗の巫女。

 

 あの後すぐに隙を突かれて逃げられたことに気付いたが、一旦追撃は後回しにしていた。流石に共闘関係にある以上、倒れている陰陽師の面々を放置することはできなかったのである。

 

 まず負傷の少ない癒者を叩き起こし、自分の霊力を大幅に割いて譲渡する。取り敢えず全員を治癒するのにこれだけあれば足りるだろうという、かなりのどんぶり勘定だ。

 餅は餅屋、回復は専門の知識と技術を持ち合わせた者に任せれば良い。

 

 更に襲撃を防ぐ結界を、倒れた人々を覆うように張り上げ、後顧の憂いを断ってから追撃に走り出したのだ。

 

「さーて、何処まで逃げたのかしらね……うん?」

 

 土煙を上げていた足を止める。

 

 ――密林の中。嫌な匂い。静かすぎる夜。そして、風切りの響き。

 

「っ!」

 

 ギャリィンッッ!!という甲高い音を立てて、お祓い棒が何かを弾いた。硬質で、鋭い音。まるで、鍔迫り合う刃物のような……

 

「……糸?」

 

 雲の隙間から差し込んだ月光に照らされたのは、鍛えた鋼を延ばしたような美しい銀の糸。半端に蜘蛛の巣を編んでいるそれは、無惨にもお祓い棒に引きちぎられていた。

 

 そして。

 

 ごおっ、という音と共に風が吹き込み、あっという間もなく靈夢の周りを毒々しい紫煙が覆いつくした。妖気に満ち満ち、不気味な紫色に輝く濃密な瘴気は、まあどう見ても焚火の煙ではない。

 

「これで倒れなっ!」

 

 この事態の下手人であろう土蜘蛛の声が背後から響いた。だが遅い。気付いた時にはどうしようもない。

 

 これぞ土蜘蛛の能力、病を自在に引き起こす妖煙。妖力をばら撒くだけで致死の重症を百単位で拡げうる力を、土蜘蛛は瘴気という形で人間一人に差し向けたのだ。瘴気は一秒と経たず、哀れな小娘を吞み込まんと森に溢れ満ちる。

 

 おまけに先ほど飛んできた切断力のある鋭い糸も、風に巻かれて流れてくる。頑丈な蜘蛛の糸に妖力を纏ったそれは、欠け散った刀身が飛来するに等しい。

 

 それを知ってか知らずか、自身に対する明確な脅威を、生まれて初めて認識した瞬間。

 靈夢の唇は動いていた。

 

 

「『通さない』」

 

 

 たった一言。

 その言葉を発すると同時に、靈夢の四方を覆うように白光する巨大な結界が展開された。半透明に薄っすら輝く防壁は、妖精共の弾幕を防いでいた不格好な霊力の鎧とは訳が違う。土蜘蛛の放つ毒煙を完璧に凌いで見せた。

 

 言霊。

 本来は単なる空気の振動でしかないはずのそれは、彼女の並ならぬ膨大な霊力と、巫女としての天賦の才覚により、術式要らずの霊術として昇華された。

 

 それを見て、土蜘蛛は()()()

 

「術にも『病』はあるだろうよ!」

 

「っ!」

 

 朽ちる。

 

 朽ち果てる。

 

 完全に外界を隔絶していた結界が、ボロボロに浸食されてきていることを、靈夢の霊力感知が如実に感じ取った。

 人や生き物に病を齎すだけだった能力は、妖力に満たされ一点に圧縮されたことで、今や無機物や魔術すら喰い破らんと変質を遂げていたのだ。ベキリ、ベキリと異音を鳴らして、白壁を黒煙が見る見る覆いつくす。

 

(獲ったっ)

 

 確信した。

 

 人間に対してこの上なく刺さる能力を、ありったけの妖力を使って差し向けたのだ。奇襲は成功し、もはや逃げ場はない。結界を解けば猛毒の空気に感染して即死、壁を上張りするのも、術すら食い尽くす瘴気の中では不可能。

 

 完全に詰みだ。絶対に抜け出せない。

 

 

 ―――そのはずだった。

 

 

 靈夢にはそこまで詳しいことは分からない。だが少なくとも、このままでは自分が負けることは察した。

 であれば、遺憾だが()()()()()()()必要があるだろう。

 

 ……ことここに至っても、彼女は命の危機感を抱いていなかった。あるのはただ、何時ものような非現実味と倦怠感のみ。

 

「ああもう、面倒くさいわねー……はあぁっっ!」

 

 烈帛と共に、ガシャアンッ!!と硬質のものが砕け散る音が響いた。

 

「何を…?」

 

 一体何を考えたか、巫女は自分の結界の一面を体当たりで砕いたのだ。当然、穴が開けばそこから瘴気は流れ込む。

 死を前にして血迷ったか、と土蜘蛛が嘲笑しようとして。

 

 爆発的に上昇した気配に、笑みを飲み込んだ。

 

 

 体を捻る。捩る。ギリギリと、軋みを幻聴する程に。

 

 霊力を高める。昂る。霊気の圧が、周囲に罅を入れる程に。

 

 ドクンッと、震える霊体に耐え切れず、虚空に鼓動が一つ鳴り響いた時。

 

 

 

 

 ――――回転。貫通。そして蹂躙。

 

 

 

 

 横薙ぎの竜巻が、全てを粉砕した。

 

 結界に開いた大穴から、暴風を纏い飛翔する靈夢が回転砲弾と化し、瘴気も結界も木々も全て巻き込んで、壊し尽くしたのだ。

 

 体を覆う超高密度の霊子は、触れる瘴気も妖力も一切合切消し飛ばした。進行方向にあった全てのものが、手に持ったお祓い棒に斬り潰された。蒼白の霊力の暴圧は、存在そのものを許さない焦熱。

 それは、正しく竜巻そのもの。極小の暴風圏。

 

 奥義でも何でもない。どこぞの九尾の回転飛行を参考に、その身のポテンシャルを少し本気で行使しただけの、ただの思いつきの技。それだけで、絶死の状況が覆された。

 

 されど、土蜘蛛がその理不尽に臍を嚙むことはない。

 

 竜巻は土蜘蛛へ向けて爆進し、気づいた時には残る六本全ての脚が刎ねられ、その妖生に王手を掛けられていたのだから。

 

 

「あんたみたいな、人間の皮を被った鬼みたいな奴がいるなんてね…。冥土の土産に覚えておくよ。」

 

「あらそう、まあ好きにするといいわ。どうせ此処で終わりなんだしね。」

 

 脚を剥ぎ取られ、抵抗の手段すら奪われた土蜘蛛の態度は、存外に真摯なものであった。殺傷とは無縁に思えるほど、両者の空気は穏やかなもの。

 しかしそれは、ただの雰囲気による錯覚に過ぎない。勝者はその権利を行使し、敗者は結果をただ受け入れるのみ。

 

「それじゃあ、さよなら。」

 

 何の気概も抵抗も無く、無慈悲なまでに清廉な大幣が、妖の頭を薙いだ。

 

 

 その瞬間。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

「これは……?」

 

 脈絡無く視界が完全に封じられ、流石に靈夢が困惑の声を上げる。先程まではちゃんと月明かりと星の輝きで十分に目が見えていたのに、いきなり一寸先も見えない真っ暗闇と化したのだ。

 

 同時に、たった今斬られたことに気づいたかのように、ズルリと土蜘蛛の頭蓋がずれる。人を苦しめた病魔の化身は、その熾烈な生き様に似合わぬほど、あっけなく退治された。

 だが、既に靈夢の眼中にそれはない。あるのは、この事態を引き起こした下手人への興味と敵意。

 

(目は完全に役に立たないか。)

 

 辛うじて自分が立っていることは分かるが、それ以外を認識するのは今まで盲目になった経験の無い彼女にとっては至難。

 ご丁寧にも殆ど物音がなく、下手人は完全に奇襲暗殺を遂げるつもりらしい。

 

 まあ、それで靈夢に通じるかと問われれば、別の話なのだが。

 

「……そこね。」

 

 不意に獣のような反射で振り返り、懐の霊符が投擲される。唐突に投げられた御札は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そんな、噓っ!?」

 

「本当よ、潰れなさい。」

 

 直後、振り切られたお祓い棒から放たれた霊力波が、声の上がった場所を粉々に叩き潰した。

 

 

「ぎゃああぁぁぁぁっ!」

 

 皮膚を霊子の猛炎で炙られ悲鳴をあげながらも、必死の限りで恐怖の権化から距離を取る、もう一人の妖怪――夜雀。

 

 歌声で人間を狂わせ盲とする鳥の怪は、意気揚々と村から出て来た馬鹿な人間共を狩りつくし、大事な食料として味わうつもりであった。実際にその計画は、途中までは順調に行ったはずなのだ。

 己の協力者である土蜘蛛が、目の前で易々と殺されるまでは。

 

(何、何あれっ!人間じゃない、あんな人間いるはずないっ!)

 

 いっそあの女が妖怪であれば、どれ程良かったことか。しかし相手は、紛れもない人間。身体を焦がす混じり気のない霊力が、何よりもそれを酷薄に教えてくれた。

 ……そして人間が天敵たる妖怪に容赦をする理由など、芥子粒一つ程もありはしない。

 

 夜雀は未だ生まれて間もなく、妖怪としての格も然程高くない。だから妖怪としても高い力を持つ土蜘蛛と組んだのだ、自分の能力で罠を仕掛け、確実に一網打尽にする為に。

 その狩人が、殺された。

 

「うぅ…あああぁぁ!!」

 

 やけっぱちで、残る妖力を全て掌中に集めて放つ。散弾銃すら及ばない数の弾丸が、夜を彩るグラデーションを描いて死神に襲いかかった。

 

 撃って、撃って、撃って。

 掠めて、掠めて、掠めて。

 

「何で…何で!」

 

 当たらない。

 何処まで撃っても弾は服を掠め、地面にめり込むだけ。目の見えていないはずの紅白の人間には、全くもって当たりやしない。身体を僅かに傾げ、軽くステップを踏む、ただそれだけで。

 

「目が…見えてる!?」

 

「違うわよ。」

 

 思わず口走る言葉に、怨敵が言葉を返した。

 

 

「私が避けてられているのは直感。まあ、要するに勘ね。アンタの弾、分かりやすいんだもの。」

 

 

「……は?」

 

 その言葉を理解した瞬間、追い詰められているのも一瞬忘れ、夜雀は呟いた。

 

 靈夢の直感は、シャーマンとして最高峰の身にあるからこその、この上なく理不尽なものだ。ほぼ神託に近いそれは、運命を、世界の外側を覗き見る必中の代物。

 

 だが悲しいかな、夜雀はそんなことは知り得ない。

 

 勘。勘?

 何だそれは。ふざけるな。そんな不確かなもので、私の攻撃を悉く封じられ、逆に私は殺されようと追い詰められているのか。

 余りにも理不尽な理屈に、苛立ちが口を突きそうになった。

 

 未来予知の領域にある彼女の勘は、その瞬間を見逃さない。

 

「隙あり。」

 

「ぎゃぐうっ!?」

 

 針に糸を通すような疾走で弾幕を駆け抜けた巫女が懐に入り込み、膨大な霊力を一閃に込め、夜雀のふわふわとした綺麗な翼を――真っ二つに切り裂いた。

 

「その羽根があっちゃ、すぐにでも逃げられそうだしね。先ずはそれから頂くわ。」

 

 まるで焼き魚の骨を取るとでも言うように軽妙な台詞。だが、その対象にされている夜雀からすればたまったものではない。

 

「こん…な、こんな、終わりなんて……!」

 

 死にたくない。

 

 それが、神を嘲笑う妖怪の、初めて抱いた祈り。

 奇しくもそれは、彼女が喰らってきた幾十の命の、今際の祈り。

 

 

 そして、祈りを踏み躙る者の祈りが。

 

 

「ひ、ひぃっ――やめ……!」

 

 

 天へと届く、道理は無し。

 

 

「悪いわね。私は妖怪の神じゃないわ。ただの――巫女よ。」

 

 

 ―――轟音と共に、土塊と肉片が飛散した。

 

 

 

 

 血の雨が降る。

 妖気と、砂埃と、血漿の舞う、凄惨の雨。

 

 見事、里を脅かす天敵を『退治』した巫女は、その雨を微動だにせず浴びていた。

 

 それは、今すぐに里の人々を助けに行く必要を感じられなかったから。

 あるいは。

 

「ギギッ…ギジャオオオォォォ!!」

 

「五月蠅いわね、そんなに叫ばなくても聞こえてるわよ。」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 靈夢は、少し離れた木々の裏に更なる妖怪が潜んでいることを、今し方退治した連中と戦っている時から気づいていた。

 まあそもそも、ビリビリと肌に刺さるような殺気と、喧しいほどに感知に引っかかる妖力。まず感づかない方がおかしいのだが。

 

 改めて、森から飛び出して来た化け物を見遣る。

 

 形はまんま蝗だ。大きな複眼、太い脚、立派な触角。これ自体は見慣れたもの。

 

 もっとも、体長二丈、六メートルを超える超巨大昆虫を蝗と言っていいかは、怪しいところではある。

 

 そして人化できず、人語も解さない。当然意思疎通も不可能だ。

 唯々妖力を撒き散らし、本能のままに人を、物を喰らうことしか頭に無い、醜い獣。

 

 そのどす黒い瞳には、知性の色は欠片も存在しない。

 

 土蜘蛛と夜雀は中級以上の妖怪故に違ったが、低位の殆どの妖怪は得てしてこんなものだ。ただ強いだけの獣、彼等は己の業に従うことしか知り得ない。

 

 そんな者にしてやれることは、一つだけ。

 

「来なさい。せめて、静かに死なせてあげる。」

 

「ジャガギャァァ!」

 

 その憐れみを、宣戦布告と受け取ったか、それとも餌の鳴き声を聞き取っただけか、或いはそんなことを認識する知性すら無いのか。

 

 どちらにせよ、秒と経たず、死線は開かれた。

 

 

 

 節の入った緑の皮膚と、槍のような幣が激突する。

 小手調べとは言え、土蜘蛛の脚を掻っ捌いたのと同等の威力はあるはずなのだが。

 

「えらく硬いわね…」

 

 どこか機械的に憤怒の叫び声をあげながら、こちらに突っ込んでくる大蝗。

 それをいなし、お祓い棒の一撃を叩きこんでも、傷一つついていなかった。

 

「知性も持たない低級な存在のくせに、力だけは無駄に大きいのね。」

 

 面倒なことだ、と溜息をつきながらも、靈夢はお祓い棒を繰る手を止めない。大地を叩き割る強靭な後ろ足での蹴りを、軽々とした身のこなしで回避していく。

 

 元来、農作物を無茶苦茶に荒らすことから、蝗を始め「蟲」の妖怪は殊更恐れられるものだ。

 自分たちの衣食住に直結する大切な財産を、連中は何の前触れも無く、大群でもって食い尽くすのである。

 

 「恐れ」は妖怪の力にして存在意義。

 たとえ生まれたばかりの赤子同然であっても、その種族としての格は如何ともし難い。

 

 暴れ狂う大蝗に何度も攻撃を仕掛け、その悉くが弾かれる。

 千日手となりつつある状況に、遂に靈夢がしびれを切らした。

 

 

 動きを止める。

 

「アンタは今までの連中みたいにはいかないのね。……聞いての通りよ。コイツ相手なら、使っても問題は無いでしょう?」

 

 

 ねえ、紫。

 

 

 少女は虚空に話しかける。気配はしない、だがどうせあの趣味の悪い師匠なら、覗き見ているはずだと考えて。

 

 返事は帰ってこない。だが()()が笑ったのが分かった。

 

 

 音も立てずに、懐に手を入れて、霊符を抜き出す。

 巫女服と同じ紅白のそれは、これまでの結界用のものとは全くの別物。すなわち破魔の札、攻撃の術式。

 

 ――同時に、抑えていた封を解いた。

 

 蒼白の霊気が極大の瀑布となって立ち昇る。天を衝くほどに眩い柱と化すそれは、靈夢の持つ本来の霊力。今の今まで、封印し隠してきた本来の力。

 滅する。ただ、その為に。

 

「ギッ!?ギイィィィ!」

 

 大蝗の本能が、これまでにない警告を上げた。

 理屈は分からない。だが、「アレは駄目だ」と、そう告げるように。

 

「今度は手加減抜きよ。一瞬で……散らしてあげる。」

 

 空の左手が霊気の紋を刻む。背中に、後光の如く九字が浮かぶ。

 

 霊符を、差し向けた。

 

 

 

 ――――『九字靈撃・神仙』

 

 

 

 蒼白が、蝗の皮膚を砕く。

 生来の硬さも、鎧代わりの妖力も。一切合切を区別なく、破魔の力を得た霊力の激流が押し潰し、粉砕した。

 

「ギャアアアァァ…!!」

 

 彼には、何が起きたか分かるはずもない。ただ認識できるのは、眩しい不可思議なものに自分が砕かれ、焼かれていることだけ。

 そしてこのままでは、死ぬということだけ。

 

 逃げよう、その判断は早かった。

 意地も矜持もない、生存本能に従った脱出。

 

 後ろ足に渾身の力を込め、濁流から辛うじて身を外して。

 最期にその複眼が捉えたのは。

 

 逃げた先から、罅割れ焼けただれた自らの額に、お祓い棒を振り下ろす『紅白』の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…住民には何と知らせるべきでしょうかね。」

 

 以上が、奇跡的に全員生還できた退魔師・陰陽師達から受けた報告と、靈夢の話を総合して阿礼が把握した、此度の妖怪退治の顚末である。

 

 はっきり言って荒唐無稽、平時なら一笑に付す戯言なのだが、よりにもよって全て真実なのだから性質が悪い。

 

 帰ってきた靈夢の、あの一周回って笑えてくるほどの馬鹿げた霊気を見れば、誇張などでは決してないことも察せられる。

 

「取り敢えず緘口令は出しましたが……」

 

 たとえどれだけ強かろうと、人間を人間が恐れるようでは話にならない。

 今回の一件は、現場にいた当事者たちには、決して漏らしてはならぬと口封じを強いた。

 

 なにせ里周辺の妖怪を皆殺しにした後、損耗していたとは言え中級・大妖怪を相手にして圧倒できる戦力だ。

 恐ろしくなるのも分かるが、それで先方の機嫌を損ねたらシャレにならない。八雲との約定のこともあるし、味方に付ければそれこそ安泰である。

 

「とはいえ、私だって怖いんですよ…?」

 

 言いながら、自分の掌を見つめる。それは、厳冬の寒気に晒されたように震えていた。

 

 

 妖怪への本能的な恐怖ではない。神々の威容への崇敬でもない。

 

 ――ただただ、圧倒的な強者への、畏怖。

 

 

 阿礼の心中を支配しているのは、ただそれだけだ。

 そして、里の者が抱くものもまた同じだろう。緘口令があっても、人の口に戸は立てられない。

 

「はああぁー……」

 

 「どないしよ」と、この見た目だけ若い椿花の貴人が、頭を抱えるのも仕方のないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありゃあ、駄目だね。」

 

 一部始終の無双劇を見届け、開口一番に魅魔は断じた。

 

 

 先の光景を見ての第一声がこれである。きっと他に人間がいれば、この女の正気を疑っただろう。アレをどのように見たらそんなことを言えるのか、と。

 

 残念ながら、もう一人の観戦者はその反応を期待して、この魔女をここに連れてきた張本人なわけだが。

 

「何をもって、そう言い切ったの?」

 

「確かに、人間にしては強い。未完の割にあそこまで地力に溢れる人間は、ここ最近じゃあの娘くらいでしょうね。」

 

 そう。人間、常人としては。

 

「けどアンタがあの娘に求めてるのは、理想郷の調停者だ。この時代でその役割を果たすには、まだまだ未熟で粗削りすぎる。」

 

 妖怪の賢者が博麗の巫女に求めるのは、己の対極たる『人間』の調停者。

 

 人と、妖と、神と、その他大勢の人外達を抑えこむには、博麗靈夢はまだ若く、そして未完成だった。

 

 彼らの実力などピンキリだ。ただ在るだけで平然と理不尽を振りまく連中を相手にするには、靈夢にはまだ早い。

 

 

 

 ……そして何より、もう一つの問題点。

 

「不自然に世界から『浮いてる』わね。才能に溢れすぎた結果か。どちらにしろ、あれじゃ『人間』ではいられないよ。」

 

 博麗の血、空を飛ぶ力。

 境界を見定め、空を、地を、理を、世界を飛び越える破格の能力。

 

 数百年前は魅魔も散々に苦しめられた、博麗の秘儀である。

 

 靈夢の場合、なまじっかそれが殊更に強く影響するせいで、精神も半分浮世離れしているのだ。

 おまけに暴走する能力の余波に反発し、無意識のうちに大地から足を離せなくなっている。飛行ができないのもそれが原因か。

 

「やっぱり、あの子が飛べないのは飛行に致命的に相性が悪い訳じゃないのね。」

 

「寧ろ元からふざけた適正を持って生まれた弊害だろうさ。制御出来ない力は毒になるからね。」

 

 博麗の力に、これまでにない高い適正を持って彼女は生まれた。

 それを操るには、彼女は未だ遠く、若い。

 

「たとえ同じ生まれでも、精神が己と乖離し過ぎている者を、人間は『人間』と認めない。私としちゃどうでもいいけど、それはアンタには不都合なんでしょう?」

 

「その通り。あの子には、それを克服してもらわないといけないのよ。」

 

 博麗の巫女は、人間側でなくてはならない。箱庭の守護者の座にある者が人間以外では、その任を果たせない。

 

 紫が魅魔との対決を望んだのは、そこに解決策を見出したから。

 

「難儀なもんだよ、本当に。」

 

「それはお互い様でしょうに。」

 

 紫がこの気難しい悪友を呼び出したのは、方向性こそ違えど、彼女ほど『人間』を知り尽くした者もいないからだ。

 紫は気が遠くなるほどの時間で人間を愛し、魅魔は気が遠くなるほどの時間で人間を憎んだ。

 

 この二人ほど、人間という種族に精通する人外もそう居ない。

 博麗と人間への恨みさえ除けば、彼女は頼りになる賢人であった。

 

 

 

 スキマを再び閉じ、薄暗く七色の無限空間が戻ってくる。

 

「じゃあ帰りましょうか。」

 

「ああ、もう用は無いからね。」

 

 そうして、互いに帰路につこうとして。

 

 

「そう言えば、一つ聞いていいかい?」

 

「何かしら。」

 

「お前さん、あの娘に枷をかけてたろう。わざわざ攻性の術を使うなって言い含めてたのか。」

 

 靈夢が最後の最後、近接攻撃の殆ど通じない大蝗という強敵が現れるまで、ずっとお祓い棒一本でやり合っていたのは理由がある。

 

 実はこのスキマ妖怪、本当に必要になるまで攻撃に霊術を使うなと、固く言いつけていたのだ。

 使ったら報酬没収だと、わざわざ脅してまで。

 

 ちなみに彼女の忠実な式たる金毛九尾は、これを聞いて呆れかえったという。

 

「一つは見極めね。無茶な相手に無鉄砲に殴り掛からないか、ちゃんと敵を見据えられるか、その確認。」

 

「もう一つは?」

 

「―――極限まで制限されてこそ、あの子は光る。未完の大器でありながら、あの子の輝きは既に無二のもの。あの子の成長の余地は、海の淵より深いのだから。」

 

 

 ならば。

 ニチャリ、と形のいい唇を歪ませ、境界の支配者は嘯いた。

 

 

「もっともっと、成長する所を、靈夢が輝く所を、見てみたいとは思わない?」

 

「……お前にまともな感性を期待した私が馬鹿だったよ。」

 

 成長を見守ると言えば聞こえは良いが、つまりは宝石に力尽くで圧力をかけ、磨きだして悦に浸るに等しい。

 

 

 怨敵の末裔とはいえ、この超越者の愉悦趣味に付き合わされる娘に、魅魔は思わず深く同情する。

 

 如何に情に厚く、慈悲深いといえど、妖怪の趣味など所詮こんなものであった。

 

 




一度データが吹き飛んだ挙句テストが重なって、かなり期間が開いてしまいました。待ってる人がいらっしゃったら申し訳ありません。

靈夢さん無双。この時点でも人間の中でも強い方ですが、紫さんの目標からするとまだまだこれからです。
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