魅魔様見聞録   作:無間ノ海

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幻想郷 ~Next History of Lotus Asia

 

 

 幻想の楽園。

 そう謳われるべき、未だ遥かな理想郷。

 

 

 ―――妖は願う。それが自らの望みの架橋とならんことを。

 

 

 ―――神は願う。それが護る者らの平穏の苑とならんことを。

 

 

 ―――人は願う。それが魍魎災禍亡き楽園とならんことを。

 

 

 

 遥かな太古より、変わらず大地を照らし続ける白燐の星――月。

 

 その慈しげな光を浴びながら、博麗神社の朱色の鳥居に、二つのシルエットが腰掛けている。

 

 境界の妖怪、八雲紫。

 絶対秘神、摩多羅隠岐奈。

 

 遂に地上の賢人達は、理想郷創設という大望に手を伸ばすべく、その重い腰を上げようとしていた。

 

「巫女の様子は如何だ。」

 

「ぐっすりよ。後でちゃんと仕事出来るように寝かせたわ。」

 

 そう言いながら、本殿に目を向ける。今日の主役の一人である彼女は、今頃そこですやすやと眠っているだろう。後で起こすのがちょっと心苦しい。

 

 彼女には、結界を張るのを手伝って貰う。その霊力を起点にすることで、巫女による結界の調整を容易にするのだ。

 

「では頼むぞ。私は後戸の国から手を加える。」

 

「お願いするわ、隠岐奈。」

 

 山吹色の秘神が姿を消す。彼女の本拠である、後戸の国に。

 

 

 残ったのは境界の大妖。

 

 彼女は金細工の盃に清酒を注ぎ、一人月光を水面に浮かべて月見酒を楽しんでいた。

 神社に咲き誇る早咲きの桜と水辺の蓮花が、寂れた神社と調和し、一つの異空と見紛う美麗を醸しだす。酒の肴にはぴったりだ。

 

 さしずめ、大仕事の前の最後の一献。惜しむらくは、この風情を楽しむ者が自分一人であることか。

 

 

 ―――否、()()ではなかった。

 

 

『相も変わらず、寂びた奴だね。出店を開いてもいないくせに、背中で閑古鳥が啼いてるよ。』

 

 明朗に響く童女の声が、中空から聞こえた。

 

 紫はそれには驚かない。なんたって彼女は()()()()()()()()()。友人の酒の匂いに、彼女が釣られぬわけがない。

 

「そう思うのなら姿を見せたら?どうせコレ目当てなんでしょう。」

 

 そう言いつつ、盃を空に向ける。

 

 「当たり」と言わんばかりに、風が吹いた。

 

 

 

 霧が萃まる。

 

 冬の澄んだ空気に、妖気が混じる。

 

 気配が現れ、虫のように小さいものから、大山のそれへと変わりゆく。

 

 色が、匂いが、気が混じり合い、集まり合い……やがてそこには、一人の少女が立っていた。

 

 

 橙色の髪を晒し、袖口と裾が襤褸となった白い袖無しとスカート。

 腰と腕輪、持っていた大きな瓢箪には重い銀鎖が繋がれていた。

 

 その先の分銅は、彼女の在り方を物語る。

 赤の三角錐は『調和』、即ち『密』を。黄の球は『無在』、即ち『疎』を。そして青の立方は『不変』、即ち彼女自ら、『自分自身』を。

 

 そして何よりも目立つ、頭から伸びた、捻じれ狂う二本の角。リボンの結ばれたそれと闇夜の中で赤く輝く眼は、彼女の種を明確に告げている。

 ―――妖怪最強の種族、『鬼』。

 

 そして彼女は、その更なる頂点。

 

 (あつ)まる夢、幻、そして百鬼夜行。妖を統べる、鬼の頂点。百万鬼の首魁にして、その頭領。

 

 

 ――――伊吹萃香。

 

 

 

「良く分かってるじゃないか。流石は私の親友だね。」

 

 開き直ってからからと笑う鬼に、スキマ妖怪は溜息をつくばかり。

 この伊吹萃香、鬼の御多分に漏れず酒が大好きな上、その反則的な能力で何処で酒宴をやろうが必ずかぎつけるのだ。そして必ず、そこの酒を飲み尽くすのだから始末に負えない。

 

「まあどうせ来るとは思ってたわよ。準備は終わったのかしら?」

 

「おうさ、取り敢えず華扇は向こうにいるし、間の雑事は天魔にぶん投げたよ。」

 

 それは準備とは言わない。

 くそ真面目の茨木童子と天狗の棟梁の苦労が浮かばれる。

 

 想像はつくだろうが、紫はこの鬼を始めとした「妖怪の山」に巣くう面々も取り込んでいる。なにせ日ノ本でも随一の妖怪一大勢力だ、手を回さない理由がない。

 鬼と天狗の両トップ、酒吞童子こと伊吹萃香と実質的に山を仕切る天魔が、彼女と交流があったことも幸いした。

 

「それよりも酒くれ、酒!」

 

「これ結構貴重なものなのよねえ、じゃあそっちのも一口頂戴。」

 

 それぞれが酒器を出す。紫は上品な椀を、萃香は豪快な大杯を。

 紫の注ぐ酒は自前で造った、とても貴重な純米の清酒。対して萃香は一抱えもありそうな紺塗りの大瓢箪――「伊吹瓢」から、酒虫で造った無限の酒を入れる。

 

 互いに対等を示す五分五分に酒を注ぎ、コクリと乾した。

 

「か~……やっぱキクねえ、アンタの酒は!濁酒(どぶろく)も悪かないが、アンタの清酒は二味も違う。」

 

「こっちも美味しいわ。流石は鬼の至宝。」

 

 己に気兼ねなく酒を交わせる相手は、二人には貴重なのだ。続けてもう一杯も飲み干し、二人して月を眺める。

 

 

「……アンタがこの話をした時は、遂に自分を弄り過ぎて狂ったのかと思ったけど。」

 

「しょうがないわよ。大言壮語だとは理解していたわ。」

 

 人妖問わぬ、桃源郷。種の諍いを廃した楽園。

 

 阿呆な話だ。

 紫も如何にこれが途轍もない道程かを分かっていた。人間の大敵たる鬼の萃香に至っては、この話を聞いた瞬間大笑いをした後に、数百年ぶりに素面となって真剣に紫の診察を始めようとしたのだから、その無謀さは推して知るべし。

 

 

 ……それでも、此処まで来た。

 

 

「今更退けない。此処まで来たのに、頓挫させる気は無いわ。」

 

「安心しなよ、親友の一世一代の暴挙だ。ここで存分に付き合ってあげなきゃ鬼の名が廃る。」

 

 やっぱりこういう時、この万年酔いどれの親友は頼りになる。

 

 報酬はこの酒百斗分ねー、と笑いながら言う友人に、妖怪の賢者は是を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 萃香も帰り、時は草木も眠る丑三つ時。

 

「―――準備はいい、靈夢?結界を張るだけで良いからね。」

 

「何時でも大丈夫。」

 

 境内に立つ、博麗の巫女と妖怪の賢者。

 

 巫女は目を覚まし、遂に結界をこの地に降臨する準備が整った。

 

 

 二人は胸の前で手を組み、自らの霊力と妖力を練り上げる。

 そして内包する力を完全に活性化し―――全開にした。

 

 

 コオオオオオォォォ―――……!!

 

 

 最高の人間と最古の妖怪。二人の放つ圧力の高まりが共鳴し、空間を震わせ、澄んだ音が世界に響く。途方もない気配を受けて、人も、妖怪も、獣も虫も、その一瞬だけ足を止めた。

 蒼く可視化されるほどに濃密な、霊気と妖気。

 

 しかしこれは準備運動、前座の前座に過ぎない。これほどの気をもって、ようやく大結界を築き上げるに足るのだから。

 

 

 紅白に身を包んだ幼い博麗が、スッとお祓い棒を正眼に構える。そして目を瞑り、祈りを捧げるように天へと向けた。

 

 瞬間。

 

 

 ()()()()()()

 

 

 博麗神社の境内を中心に、ビシリ、ビシリと大地が罅割れ、霊光が溢れ出す。地脈も地形も巻き込み、巨大な断裂が迸った。

 

 大地を横切る青銀の焔は、妖怪の山を、広大な竹林を、霧立ち込める湖を、人の隠里を、外の世界から隔てるように駆け抜ける。

 

 やがて構築されたのは、恐ろしく巨大な円陣。博麗神社を起点と終点にして結ばれた、何百里にも渡る霊力の境界。

 

 

 目の前で境界が閉じられ、完全に完成したことを見届けた靈夢は、お祓い棒を降ろす。

 そして手を振るい、陣を描いた。

 

 ――空に浮かぶ、朱の八角。

 

 蒼ざめて輝く境界が、白に染まる。そして極光は大地から天へと伸びた。大地の境界が、天地を別け隔てる結界と成る。

 

 

 天頂にて極光が結ばれ完成するは、超常規模の大天蓋。想像を絶する空のドーム。星空を背景に、淡く輝く半球が完成した。

 

 

 

 振り向いて言った。ここからは、お前たちの仕事だと。

 

「終わったわ、これで良いのよね?」

 

「十分よ、お疲れ様。」

 

 スキマが開き、ふわりと揺れる金毛が突如として現れる。

 

「靈夢、よくやってくれた。下がれ、後のことは私達に任せろ。」

 

「分かった。」

 

 八雲の従者、九尾の藍の言葉に靈夢は素直に頷き、慌てて境内から下がる。

 

 これはあくまでただの結界。何の効果も持たない、ただ馬鹿でかいだけの領域だ。

 隔てることも、引き込むことも出来ない、ただの境界。

 

 だからこそだ。無垢な境界という名のキャンバスには、好き放題にオーロラを描ける。そして妖怪の賢者ならそれが可能。

 その土台は娘が用意してくれた。彼女が好きに弄び、書き込める結界を作れたのも、靈夢の力あってこそだ。

 

 

 ……故に、ここから先は彼女らの出番。

 

 楽園を護る管理者の仕事、境界の支配者の本領だ。

 

 こと境界についてはこの世で右に出る者のいない、スキマ妖怪がその全力を振るう。行使するのは何百年にも渡って営々と組み上げた、究極の術式だ。加えて、裏の管理者によるサポート付き。

 これでしくじるはずもない。

 

「始めましょう。」

 

 ピッ、ピッと、紫の形の良い指が印を結ぶ。この日の為に百年間とかけて完成された、前代未聞の大秘術。世界を幻想と実体に別け隔てて異界となす、最高最悪の大術式。

 幻想を内に、現実を外に。その位差をもって造られるは、幻の者達を誘う、伝説の夢の国。

 

 

「『夢郷……」

 

 指が振り下ろされる。

 術式が解放される。

 

 

 

 

 ――――『幻と実体の境界』

 

 

 

 

 

 斯くて、世界が別たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――おっ、きたきた。」

 

 何時もの湖の畔に立っていた魅魔。

 

 満月の魔力を存分に浴びていた彼女は、今この瞬間、遠く離れた東の国で、文字通り世界が激変したことを感じ取っていた。

 

 

「魅魔様!これって……」

 

「おや、お前も気づいたかい?」

 

 慌てて起き出して魅魔に問い詰めるのは、彼女の弟子である魔理沙。

 

「うん。でもこれって、あんまりにも……」

 

「強すぎる?」

 

 こくんと頷く。

 

 今もこうしてビリビリと肌を震わせる、絶大な妖力。考えるまでもない、紫のものだ。

 大結界を張るために全力で解き放った妖圧が、何千里と離れたこの場所まで伝わっている。

 

 そしてその大結界は、今どんどんとその範囲と効力を拡大させており、その余波は此処まで届いていた。世界中の人外達がその力を貸した成果だ。

 その結果が、忘却を惹きつける強大な引力。

 

「辛かったら寝てても良いよ。力に敏感なお前にはきついだろう。」

 

「……ううん、起きてる。勿体無いもん。」

 

 まだ幼く、それでいて過敏な少女には少々辛かろうが、それを気合で魔理沙は捩じ伏せた。

 

 こんな力を、そして大魔法を肌で感じるのは初めてのことだ、そして次の機会は何時になるか分からない。

 叡智を求める魔法使いなら、見逃すには余りにも惜しすぎる。

 

 そんなことを幼心に考えて、どっかりと腰を据えた。

 

「――魔法使いとしてのスタンスが順調に芽生えてきたみたいで、私は嬉しいよ。」

 

 口角を上げながら、魅魔は宙に手を伸ばした。

 

 

 そして手から伸びた、虹色の煌めき。

 

 細い細い、まるで糸になるまで引き延ばした虹を、数百と束ねたような光。七色の糸束は宙に伸び、天蓋に広がり、魔法陣を描き、月と星が支配する夜を更に虹の楽園へと変貌させた。

 

 その正体は、恐ろしく高密度に圧縮された純粋の魔力。

 触れれば熔け落ちてしまいそうなそれは、紫たちへの援護射撃だ。

 

 術式を解析し、更にその効力を大幅に上乗せしてやる。

 

「ふおおおぉ……!!」

 

 遠方の所業だけでもお腹いっぱいなのに、更なる極限の御業に目を輝かせる魔理沙。

 未熟な自分には、何が起きているのか分からない。だが『凄い』ことは察せられた。

 

「――これだけやれば、大陸の大半はカバーできたかしら。」

 

 術式を展開、延長し、魔力を注ぎ込んで範囲と効力を引き上げる。その影響領域は、アトリエを中心に魅魔達のいる大陸のほぼ全域にまで拡大された。

 ここまでやればもう十分。後のことは他の連中にやらせよう。

 

「魔理沙。私はもう寝るけど、まだしばらく此処に居るかい。」

 

「うんっ!」

 

 元気の良い返事に、お休みとだけ返してアトリエに戻った。

 

 

 

 

 

 

「やってるねえ、やってるねえ。」

 

 所変わって、日ノ本は妖怪の山。鬼を筆頭に、天狗、河童、山姥など多くの妖怪が一大勢力を築く大霊峰。

 

 ぐびぐびと瓢箪から酒を食らっているのは、それを統べる四天王の一人である、伊吹萃香。

 

「ちょっと萃香、貴女も手伝ってよ……!」

 

 そんな頭領にツッコミを入れたのは、今も結界維持に躍起になっている一人の女鬼。

 桃色頭から二本の角を伸ばし、蔓椿のあしらわれた服装を着た美人だ。

 

 同じく鬼の四天王の一角にして、奸佞邪智の鬼。鬼の中でも随一の神算鬼謀を有するブレイン。

 

 茨木童子こと、茨木華扇その人だ。

 

 そんな彼女は今、紫の結界に妖力を注ぎ足している真っ最中。なんせ日本の妖怪の中心とも言えるこの場所を、結界が取りこぼしでもしたらシャレにならないのだ。

 繊細に微調整を繰り返しながら、この山での結界の維持をより強固なものにしようと奮起しているのである。

 

「いや、悪い悪い。友人や部下が一斉に躍起になってんのを見るのは久しぶりでね。酒が進む進む。」

 

「そうでなくても貴女は四六時中吞んでるでしょうが。」

 

 まあそんな中で、自分たちのトップがのんべんだらりと好き放題吞んでいるようなら、文句の一つも出ようというわけだ。

 

「はいはい、悪かったよ。―――これでどうだい。」

 

 

 轟音をあげて、萃香が妖力を渦巻かせる。洪水を思わせるように逆巻く鬼気があぶれ出し、結界の…華扇が操る方陣に吸い込まれていく。

 

 それに加え、駄目押しに他所から強引に霊力を奪い始めた。

 

 地脈。大地の血管であるそれに流れる膨大な力を、自らの能力でもって収束する。より細く、そしてより強く。萃香からしてみれば児戯にもならぬ手遊び。

 収束したものの行き先は簡単。出口を華扇に向けて繋いでやるだけでいい。

 

 周辺の生命が少しばかり枯れるかもしれないが……まあそこはご愛嬌というやつだ。

 

「わわっ、ちょ、馬鹿!いきなり流し込まないでよ!」

 

 ただ当然、繊細に調整している焚火にガソリン投げられたような身からするとたまったものではないわけで。

 

 あたふたする副官を肴に、鬼の大将は極彩色に染まる空を見上げた。

 

「さあて……妖怪も神も抗えない理相手にどこまでやれるか、この伊吹萃香様が見届けてやろうじゃないか。」

 

 

 頑張りなよ、紫。

 

 親友への激励は、酒と一緒に吞み込んだ。

 

 

 

 

 

「藍、貴女の機能を一時的に止めるわ。式の演算領域を返してもらうわね。」

 

「御意。」

 

 式神が膝を着き、平伏して動きを止めた。彼女を動かしていたリソースも含め、ありとあらゆる余力をつぎ込む。

 

「……隠岐奈!」

 

『任せておきなさい。』

 

 秘神のサポート。結界の制御、力場の強化、境界の固着。その全てを彼女が補う。

 

 

 

 駆ける。駆ける。駆ける。

 

 結界の力が、星の全てを覆いつくす。

 

 

 迸る。迸る。迸る。

 

 理が裏返り、吞み込まれて逝く。

 

 

 忘却の果てに行き着く先。

 

 夢の理想郷は、今ここに。

 

 

 

 

 ――――一つの世界が、閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 それは、世界の裏側に潜む、知られざる者達にも伝わった。

 

 

 

 永遠の魔法に閉ざされた、蓬莱の庵。

 

 銀の薬師と、月影の美姫。

 

「っ!!姫様、屋敷の奥へお下がり下さい。これは……」

 

 天地を覆う強大な気を感じて、薬師は窓から空を見上げた。

 

 突如として自分たちを囲う感じたこともない力に焦る従者を、主は宥める。

 

「ふふっ、大丈夫。心配しないで、永琳。――これは誰かの須臾の願い。それを形作る為の、夢と幻の海淵。そのために私達を引きずり込んでるのね。」

 

 黒髪の姫は、くすりと笑んだ。

 

「誰とも知れぬ夢想家さん。貴女は望みを叶えたの?」

 

 

 

 彼岸の奥底に鎮座する、是非曲直庁。

 

 黒白の閻魔と、地獄の女神。

 

「―――始めましたか。全くあの者は迂遠が過ぎる。その割にやることが大それているのだから困ったものです。」

 

 身の程を弁えぬ罪深い妖怪に、黒ですね、とため息をつく緑髪の閻魔少女。

 

「まあまあ、いいんじゃない映姫ちゃん。貴女が新しい異界の閻魔に異動になるだけよん。」

 

 頭の固い閻魔に茶々を入れるのは、彼女らのトップ。地獄そのものと言える地獄神だ。

 ちなみに今は異界担当ということで赤カラーである。

 

「さてさて、紫ちゃん?ちゃんと許可してあげたんだし、つまらなくしちゃったらどうなるか分からないわよん?」

 

 神に気に入られるほど面倒なことも、この世にはそうそうあるまい。

 三界一のトラブルメーカーは、ぺろりと舌を出して笑った。

 

 

 

 月の裏側、静かの海。

 

 月の使者と、玉兎。

 

「地上にて、大規模な空間位相差の変化を確認。次元の部分的反転と概念力場の発生を観測しました。」

 

 基本不真面目な玉兎の中で、月人に並ぶ優秀さと勤勉さを兼ね備えたエリートから報告が送られる。

 

 観測結果を示す数々の数値、グラフのデータ。それを見て、月の使者の指揮官達は自らの手に余ると判断した。

 

「すぐに嫦娥様を始め、月の都本土に緊急連絡を。指示内容によっては探査機の投入及び地上観測部隊の派遣を行います。」

 

 久々に大わらわになる静かの海の地上観測所。どうか何も起こりませんように、と穢れを厭う彼女らは願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様。と言うべきかい?」

 

 翌朝一番に、魅魔が話しかけたのは黒い大穴。否、スキマ。

 

 とくれば、当然その大穴にふんぞり返っているのは胡散臭いスキマ妖怪であるはずなのだが、果たして目に映るソレを彼女だと判別できる者が何人いるだろうか。

 

 グッタリとスライムのように蕩けた、ただの残念美人を。

 

「……ええ、もうホントに疲れたわ。何百年ぶりかしらね、この疲労の感覚。」

 

「つい最近私も味わった感覚だよ。たっぷり堪能するといい。取り敢えず、『おめでとう』とは言っておくよ。」

 

「ありがとうねぇ…」

 

 何時もの軽口もキレがない。まあ当然か、とは魅魔も思う。

 

 数千年越しの悲願達成。その第一関門を突破できたのだ。何百年という準備期間の苦労や、結界を張るために絞り出した全力を思えば、脱力もするだろう。

 

「魅魔。済まんが紫様は酷くお疲れだ。長居は遠慮して欲しい。」

 

 とそこへ、甲斐甲斐しくやって来た良妻賢母な九尾の狐。家事の最中だったのか、ご丁寧に割烹着を着ている。

 

 そして彼女から「式」が外されていた。信じ難いが、最早式神の維持すら不可能なほど消耗したらしい。

 

「おっと悪かったわね。まあゆっくり休ませてやりな。」

 

「承知している。」

 

 魅魔は振り返った。

 

 背中に広がるのは、青空に包まれる山河、竹林、人里、そして神社。完成した理想郷。この高所からはその全貌が一望できた。

 美しい。誰かが見れば、きっとそう言う。

 

 

 主人の布団を取り替える藍をよそに、魅魔は一番聞きたかったことを口にした。

 

「それで紫。―――この場所の名前、決まったのかい?」

 

 そう、この「理想郷」「楽園」の名。

 何時までも一般名詞のままでは格好もつかないだろう。

 

 そして名付け親は、この地の母であり、管理者である、八雲紫こそが相応しい。

 

「……そうね、もう考えてあるわ。」

 

 安直だけどね、と笑う。

 

「忘れ去られた者達がいずれ行き着く、最後の楽園。皆が笑って過ごせる箱庭。現実に否定された幻想達の、平穏の拠り所。」

 

 

 

 故に。その名を。

 

 

 

「――――『幻想郷』。」

 

 

 




 明けましておめでとうございます。(激遅)

 副題の意味が一発で分かった人は凄い(小並感)
 ともあれ、これにて序章を一旦完結です。遅いわ。

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