靈異伝 ~A Sacred Lot
東の国の、奥深く。
桜並木が花吹雪く、楽園の小さな神社。
ごく限られた者にしか知られていない、もの寂びた秘境。
その幼き管理者にして守護者たる『博麗の巫女』は、現在―――
「……暇ね~」
――猛烈に暇を持て余していた。
いや、決して責められたことではないのだ。
この辺り一帯を鎮護する任を負っているとはいえ、彼女の出番などそれこそかなりの緊急事態に限られる。人間として最高峰の存在だからこそ、人間の味方であっても軽々とその腰を上げることは許されない。
付け加えるなら、博麗の巫女が動くとは、それ即ち人間の大の危機ということ。彼女の出番など、無い方がいいのだ。
とは言っても、流石に何日も境内で日向ぼっこをしていたら、いかなのんびり屋でも飽きるわけで。
「何か面白いことでも起きないかしらねー……」
こういう思考に靈夢が走ってしまうのも、仕方のないことだろう。
結界が作られた後にやっていることと言えば、神社の掃除や整備、神社に手を出すこまごまとした木っ端妖怪やそれにも満たぬ幼体を祓うことぐらい。
数年もそんな生活が続けば、心は乾き、体は自然と新しい刺激を求めてしまう。
「爺には毎日せっつかれてるけど、そもそも修業はもうやることが無いのよねー。」
玄爺の口酸っぱい説教を脳内であっさり切り捨て、何か刺激になるものはないかと、くるくる頭を回転させる。
贅沢に甘いものが食べたいな――
何処か遠出をして獣でも狩ってこようか――
久々に紫達と会おうかな――
ごちゃごちゃと頭に言葉を浮かべていた、その時のことだった。
「……え?」
ピリッと、勘が鳴った。
何かが起きた。そう直感が囁いている。
それも、生まれてこのかた感じた直感とは明らかに異なる、特大の警鐘。
即座に飛び起き、気配を探る。霊力の流れを監査し、五感全てと第六感を一瞬で活性化させた。常人には到底不可能な全方位への極限集中も、彼女なら息をするように容易いこと。
知覚範囲を大きく広げ、見つけだした方向は……
「神社の裏手?」
神社の裏側の方、それもかなり離れたところだ。方角としては北東、即ち鬼門である。
「そんな所に何かあったかしら。少なくとも前に覗いたときは何も無かったと思うけど……?」
一応ここら一帯の地形は把握している。確かそのあたりにはただ岩山が幾つか連なる程度だったはずだ。
(鬼門……もしかして地獄?でも何処か違う感じもする。中らずと雖も遠からず、ってところかしら。)
だが丁度いい。そもそも今は絶賛暇の特大セール中だったのだ。こんな面白そうな状況を見逃すわけにはいかない。
「決まりね。見に行ってみよっと。」
お祓い棒を引っ掴み、大量の霊符に鎖を通して袖の下に仕込む。ジャキジャキと音を立てる封魔針は何時でも放てるように腰に括り付けておく。
白の巫女装束と紅袴をピシッと伸ばし、いつもの戦闘スタイルを整えた。
のだが、何かが不足している気がする。
はてな、と首を傾げた。
普通ならこれで十分なはず。なのに自分の勘は、今回はこれでは足りない、と言っているようだ。今までこれに頼って生きてきたから、無視は出来なかった。
「……あ、そうだ。あれを持っていこうかしら。」
不意に思いついたのは、今まで気にはなっていたのに、一切触れる機会が無かった代物。
明確な祭神の存在しないこの神社において、適当に御神体として祀られている、博麗神社最大の至宝。
ごそごそと本殿の中に入り、最奥の
「あったあった。これさえ持っていけば大丈夫でしょ。」
――――『陰陽玉』。
無限に力の湧き出す、博麗の秘宝。日ノ本全ての妖怪を滅して余りあると謳われた、まごうことなき至高の霊玉。
「大事に祀ってあるだけで、使ったことはなかったのよねー。ついでだし持っていこうっと。あるものは活用しないとね。」
未熟なうちは、何故か紫に触れることを禁じられていたのだ。一人前になってからも結局使う場面が無くそのまま御神体として扱っていたが、折角出番があるなら使ってみたい。
紅白の球体を抱え、今度こそ鳥居を抜けた。
ゆったりと朝の甲羅干しに浸っていた最中、不幸にも己の仕える主人が境内を飛び出すのを見咎めた老亀は慌てて声を掛ける。
「御主人様、どちらへ!?」
「ちょっと外に出てくるだけ!心配しなくていいよ!」
止めようとするも、時すでに遅し。
とんでもない脚力と霊力放出を発揮してジェット機ばりに己の体をかっ飛ばした主には追いつけず、あっという間にその姿は森の奥底に消えてしまった。
「ああもう、あの方は!!目を離すとすぐに御勤めから逃げなさる……」
博麗の持つ務めを綿々と継いでいくことは玄爺の役目。だが支えるべき主人がこれでは先が思いやられると、彼は頭を抱える他なかった。
ここは、宇宙の奥底。
全ての異界、星々、あらゆる位相を支える、無限の無限乗に拡がる暗黒の領域。
暗闇と魔力に満ちた大気が支配する、魔法の世界。
――――『魔界』。
そんな魔境の中の魔境で蠢く、幾つかの影。
魔界首都こと『パンデモニウム』―――魔界の中枢とも言える一等の大都市。その最奥に、彼女らは居た。
神殿の一室に並べられた、場違いな純白のテーブルと椅子。そして最高級の魔法の茶器。
見てわかる通りに、誰かさんの「お茶会」の最中である。
「……神綺様。地上から不正規ルートでの侵入が確認されました。」
クセ一つ無い美しい金色のロングを靡かせたメイドが、主に報告を行う。
「あら、お客様かしら。聞かせて頂戴、夢子ちゃん?」
その主は、六枚の純白の翼を背中から伸ばし、真っ赤なフリル付きの奇怪なドレスを纏う少女だ。威圧感のある見た目に反して、ぽわぽわとした天然な空気を漂わせている。
「はい。以前人間に封印されたゲートです。先日出現した新たな異界との融合により綻びができたようで、更にそこから人間の侵入者が発生したとのこと。」
「やんちゃな子なのねー。」
クスクスと微笑む少女からは、緊張など微塵も感じられない。
「ゲートの綻びは安定しており、再封印よりは放置が宜しいかと。侵入者は排除致しましょうか?」
物騒なことを言うメイドに、主人はあらあらと笑うだけ。しかし事実として、最強の魔人たる彼女を動かせば侵入者の排除には一秒とてかかるまい。
そんな中、唐突に三人目の声が飛び込んできた。
「―――いえ、此度は私が向かいましょう。」
その声の主は、お茶会に座していたもう一人。同じく巨大な六枚羽を持つシルエット。但しその薄蒼の存在からは、精気というものが欠片として感じられなかった。
そのことに、二人は少しだけ驚く。
今の今まで声を発さなかった彼女が、急に口を出したのだ。いやそもそも、彼女がこうして何かしら能動的な動きを見せることがまずほとんどありえないこと。
「サリエル?貴女が出るなんて、どうしたのいきなり?」
「貴女様が直接向かわれるほどのことでは……」
彼女はこの世界の絶対神と、唯一同格とも言える存在だ。事実メイドも、己が主へのものと同じく別格の敬意を払っている。たかだか不慮の事故一つ、侵入者一人の対処の為に動くような者ではない。
だから彼女が動いたのは、使命感でも何でもない。
「なに……ほんの少し、今の
ただ『天使』らしからぬ己の欲。
望郷の情故に過ぎなかった。
魔界の暗闇の渦の中で。地獄の滾る釜の底で。
己が望みに従うべく、神々はほんの少しだけその身を熾す。
それは彼らにとって、須臾にも満たぬ一片の戯れ。されど人には、世界には余りにも重すぎる試練。
そして、飛び回る夏の虫は、火を火を思うことはできない。
禍いに自ら飛び込む少女は、己を取り囲む運命と禍難の鎖に、未だ気づくことはなかった。
これは幻想郷の、最初の試練。
産声を上げた理想郷を守るべく、少女が駆け、神と仏が剣を振るう、知られざる神話となった大事変。
――――星が、燃える。
――――始まりの、異変。
――――東方靈異伝。