「ぐぬう、これも失敗かい……!」
工房の机を前に、魅魔は唸っていた。
机の上には何時ものような天体関係の道具は無く、代わりに人体を中心とした、生体操作関係の魔導書が山積して何本ものタワーを形成している。更には、泡立つ液体の入った試験管や、得体の知れない生物の死体が、所狭しと机を占領していた。
事の発端は数ヶ月前の、あの八雲紫との会談だ。
当然ながら、紫に煽られてあれだけの啖呵を切った以上、何が何でも目標の人造人間を作るつもりだった。普段から、何においてもすぐ飽きる程度の活力で動く彼女からは、信じられない程にやる気を出していた。
――――が、やる気に必ず結果が付いて来るなら、勉強なんて概念は生まれないわけで。
案の定、魅魔はこうして、高すぎる目標の壁に首を垂れていたのである。
「ああ、もう!そもそも私の専門は天体だっての。いきなり私に並ぶような人造人間が出来るかい!」
苛立ちを振り払うように、ガジガジと頭を掻いた。それもその筈、今回使うような生命体に関係する魔法を、魅魔は不得手としているのだから。
正確には、殆ど触らない内に、他の魔法ばかり優先していて、結果余り扱えないようになったというべきか。
それでもただの人造人間なら片手間で完成できるが、今回魅魔が自身に課した目標は、『見た目も構造も人間だが、自分に並ぶ最上位クラスの魔力を持つ魔法使いの人造人間』という、余りにも前代未聞のものであった。
彼女は天体の運営や利用を命題として、邁進してきた魔法使いだ。決して、人体の扱いに秀でた
しかも無駄に気炎を上げたせいで、紫に仕返しを仕掛けてやるのをすっかり度忘れしたのである。次こそは忘れまいと心に決めた。
「うーむむ…。このままじゃ埒が明かないわね。一旦研究を切り上げて、仕事の方を先にしようか。」
乱れた精神のままでは、碌に研究なんて進むはずがない。魅魔は一旦気持ちを切り替えて、紫の依頼を優先し、知り合いの力ある存在達に話をつけに行くことにした。
口元に手を当てて、歪んだ顔を仕切り直す。次の瞬間には、いつもの飄逸にして大胆不敵な、大魔女の姿が戻ってきていた。
「さて、話を聞いてくれるような連中ねえ…。東洋の方は既に紫が動いているだろうしね。私は西洋と異界の方に渡りをつけることにしようか。」
催促されずとも自分からこうして動くあたり、なんやかんや魅魔自身もこの仕事に乗り気だった。そそくさと『天蓋羅針盤』を起動し、交流のある人物を探してみる。
暫く視線を走らせた後、北欧中心部にある光点を見つけだした。
「ふむ、西洋には…、ああ、あいつがいたか。どうせ日がな一日寝ぼけてるんだろうし、叩き起こしてやるかね。」
哀れ北欧の妖怪は、真っ先にトラブルメーカーに目を付けられたのであった。
月光の杖を取り出し、魔法陣を描き出す。魅魔の足元に鮮やかな陣が浮かび、空間が捻じ曲がる。
―――『光錨転移』
次の瞬間、魅魔の姿が光共に消え去った。
「……魅魔は上手くやってるかしらね。」
ふと、
現在、私は日本の丁度真ん中当たりに位置する山奥、そこに存在するボロボロの廃神社の境内に腰かけていた。ここは私の理想郷の拠点、その最有力候補である。
そして私の隣では、とある人間の少女が一生懸命身の丈程もある大幣を振っていた。
元々、彼女が不安定な状態にあったことはかなり前から気づいていた。それでも口を出さなかったのは、正の方向であれ負の方向であれ、彼女が自力で立ち直ってくれることを望んでいたからである。
妖怪に対して、下手な精神への働きかけは何よりも毒となりうるのだから。……結局、それでも盲目に魔道と復讐に傾倒していくのだから、無理矢理に目を覚まさせる羽目になったが。
今回伝えた依頼は、魅魔にとっても、
ただ、そこまで魅魔が本気でかかってきてなおこの子が生き延びられる、それぐらいの能力を身に付けてくれないと、いずれこの先で彼女は悲惨な目にあうだろう。
こうして茨の道を進ませたのはそれが理由だ。
そして魅魔には明かさなかったが、何よりも大きいのは魅魔とこの子の姓が持つ因縁だ。彼女にとっては、この子は恐らく世界で一番殺意を持つ相手であるはず。
何せ彼女をの力を封じ込み、貶めたのはこの子の祖先なのだから。
その時が来れば、魅魔はきっと手加減などするまい。だからこそ、こうしてこの子を鍛えている。
「紫、どうしたの?」
「何でもないわ、心配してくれてありがとう。」
隣にいた少女が声をかけてきた。
めでたい紅白柄の巫女服に身を包み、紫のかったつやのある長い黒髪を真っ赤なリボンで纏めている。瞳は一片の曇りもない黒で、磨り減るほどに磨き上げられた黒曜石を思わせる。
安心させるように声をかけて、彼女の、
博麗靈夢。
彼女は赤子の頃、布にくるまれてこの廃神社に置き去りにされていたのだ。
今でもはっきりと思い出せる、この娘と出会ったあの時を。
私が運命と出会った、あの瞬間の情景を。
秋神が紅葉を色づけ始める季節、空が不気味に輝く逢魔時。
私は、理想郷を作り上げる際に最重要要素となる二つの結界、その設置のための土地を探して、日本の山奥を飛行していた。
ここは地図にものっていない人間の秘境や、私の旧友の鬼を始めとする日本屈指の妖怪たちが縄張りにする霊峰、更には複数の異界とも隣接する地点だ。故に早くから目をつけており、この辺りの領域を擁するように結界を張るつもりでいた。
スキマによる観測なら一瞬で終わるが、折角の大事な理想郷の核となる地だ、自分の両の目で見つけてみたかったのだ。
そして、このボロボロの廃墟と化して、しかし未だに霊力を残すこの神社を見つけたのである。
鳥居は基礎ごと崩れ落ち、賽銭箱はヒビだらけ、本殿はもぬけの殻、飾られている高貴なはずの紫の布は襤褸雑巾と見紛うほど。屋根や壁は、何の冗談かと思うぐらい、穴の空いていない所を探し出す方が難しい始末。
こんなとっくの昔に廃棄されたような神社に、どうして未だに霊力が残っているのか。
奇妙に思った私は、力の発生源と思われる本殿の階段を覗き込んだ。
そしてそこで、彼女を見つけた。
布に包まれて眠る、籠に入れられた赤子だ。
見間違いようもない、ただの人の子。
しかしその身に秘められた霊力は、この大妖怪の体に僅かながらも圧力を与えてくる程のもの。
決め手となったのは、この子が薄く薄く身に纏う、結界だった。恐らく無意識で外敵を排除しようと、生存本能で張っていたのだろう。
――誰にも教わることなく、自力で。
それだけで、この子の才能が万に一つも見られない、類稀なものであることは疑いようもなかった。
真っ白な布には、幾つもの防御術式が刻まれていた。この子の親が、この神社の元の神主が、せめてもの愛として遺したものか。
「立地としても、この場所に文句は無い…。決めた。」
ここを結界の拠点とし、その役割をこの子に担って貰おう。
具体的にどうするかなどは、何も浮かばなかった。それでもこの子に己の悲願を託す気になったのは、敢えて言うなれば、天啓というやつなのかも知れない。
ボロボロの賽銭箱を見やる。
ヒビだらけのそれに、しかしはっきりと筆文字で刻まれたその名は、『博麗神社』。
博麗の血を引く、天衣無縫の人の子。
私の夢を託すに相応しい、靈の力に愛された巫女。
「……靈夢。」
今日から貴女は、博麗靈夢よ。
こうして私は、私だけの巫女を見つけた。
始めは、この子の世話にはかなり手間取った。
なにせ私は妖怪、子育ての経験なんてあろうはずがない。何もかも手探りで、それでも考えては思いついたことを片っ端からしてあげた。
この子が住むための神社を直して。
出来るだけ新鮮な食事を沢山与え。
棚の奥にあった着物を手ずから直し、巫女としての紅白衣装も用意してあげた。
幼少期に、自分が与えられる限りのものを与えた。
そして今、彼女を理想郷の調停者としての役割を果たせるように仕立てるべく、私は彼女に戦闘技術を叩き込んでいる。
「靈夢、もう一度。今度は結界にヒビを入れるだけじゃなくて、完全に打ち壊せるようにしましょう。」
「えー、まだやるのー?」
「頑張ったら、今日のおやつは豪華にしてあげるわよ。」
「ほんと?じゃあ頑張る!」
今この子にさせているのは、私がそれなりの強さで張った結界を、霊撃で完全に破壊する修行だ。
手加減しているとはいえ、一流の陰陽師ですら傷一つ入れられない私の結界に、既に大きなヒビが入っている。
この子は天才だった。
いや、最早それすらも通り越して、鬼才と言う方が正しいかもしれない。
私が見出した時から、人の身とは思えないほどの化け物じみた霊力を保有していた。
まだ三歳の、普通なら言葉も覚束ないような幼児の内に、一瞬で初めての技を習得した。
そこから、大抵は手本を見せるだけで、或いは手間取っても一週間ほどで、私の力を、技術を、経験を、まるで砂地が水を吸い込むかのように吸収していった。
もはや低、中級妖怪程度なら、片手間で相手できるほどに身体も技巧も鍛えられ、その刃は上級の妖怪にすら届きうるほどだと思わせる。
天性のセンスと人間としての最高峰に当たる身体と霊力、それらを土台として練磨された力は、それほどのものだった。
更には、博麗の血に隠された
私が調べてみても、存在だけしか知りえないそれは、しかし彼女の先代を妖怪に対抗する急先鋒に仕立て上げるほどのもの。
靈夢の天才的な感覚は、齢一桁にしてそれすらも掴みかけている。
ただ欠点を挙げるなら、その天才性故に怠けやすいことと、何故か真っ先に習得して然るべき『飛行の術』が一切使えないことか。
前者はまだ分かる。
あらゆる困難の何もかもを、ほぼ努力せずに突破出来てしまうのだから、そんな性格にもなるだろう。
だが後者は致命的だ。
飛行できるか否かで、選択肢は大幅に減少する。少なくとも、放置できる問題ではない。
いざとなれば、代替の飛行手段を用意する。それは運の良いことに、博麗神社に元々残されていた。
「靈夢、少し裏の方にいるわ。もし結界を壊せたら呼んで頂戴。……さぼらないようにね。」
「うぐ!?は、はーい…。」
何でばれたんだと言わんばかりにしょんぼりする靈夢はさておき、神社の裏手の方に回る。そこには、四季折々の木々草木によって彩られた空間に鎮座する、大きな池があった。淡青の水はとても綺麗で、少しの濁りも浮かんでいない。
陽を照り返して燦然と光るその池に向かって、声をかける。ここに彼が居れば、顔を出すはずだ。
「玄爺、出てきて下さる?」
ほどなくして、ザバザバという音と共に波紋が浮かび、水底から一匹の亀が姿を現した。
普通の亀よりもかなり大きく、立派な白い髭と眉を蓄えている。その目には、理性なき獣には有り得ない、聡明で理知的な光があった。
「この老いぼれを呼び出すとは。何の用ですかな、八雲殿。」
「ええ、以前から貴方に言っていた、靈夢を乗せて飛行して欲しいということ。どうやら、本当に貴方の力を借りることになりそうですわ。」
「ふむ、そうですか。余り気は進みませぬが、しかしお嬢様の為となれば、動かないわけにもいきますまい。いやはや、人を乗せて仙術を使うなど、何百年ぶりですかの。」
彼の名は玄爺。
ここ博麗神社に古くから居つく妖怪亀であり、そして世にも珍しい、仙人となった亀である。
彼もまた何千年と生きた大妖怪の一角で、その見事な仙術を用いて、昔からこの博麗神社の守り人のようなことをしていたとか。神社がとっくに廃棄されても、荒らされないように守っていたそうだ。
靈夢は本来ならば博麗神社の巫女の跡取り、何日も放置されていたというのにあの子が害されず飢えもしなかったのは、先代が消えた後も彼が世話を焼いていたからである。
そして今、神社の再建を行う代わりに、何かと靈夢の為に動いて貰っているのである。
今回呼び出したのも、その一環だ。
「恐らく、靈夢が飛行出来ないのは、才能の不足によるものではないでしょう。体が成長すれば、制御が楽になって飛行術も使えるはず。それまでは、貴方に靈夢を背に乗せて飛んで頂きたい。」
「なるほど、畏まりました。対応できる術の準備をしておきましょう。それでは。」
「ええ、よろしくお願いします。」
パシャンと水が跳ね、玄爺はまた水底に戻っていった。
今回彼にお願いしたのは、飛行出来ない靈夢の代わりに、空中での足になって貰う事。靈夢を背中に乗せて、仙術で飛んでもらうのだ。
機動力については心配していない。彼の仙術は、私をして見事だと思わされるものだし、彼も靈夢には無茶を強いないだろう。後は、靈夢ができるだけ早く飛行術を修得することを祈るしかない。
「…他の妖怪たちについては、こちらでも動いておかないとね。天魔や鬼共、後は彼岸の閻魔にも根回ししないと…。」
これからの苦労を思って、思わずはあっ…と溜息をついてしまう。色々言われていても、所詮は私も一人の妖怪の身。こうも仕事が続くと、やっぱり疲れちゃうのだ。
「紫ー、割れたよー!?」
「ああはいはい、今行くわ!」
そして今は、子育てという別方面の苦労もあった。人間の親というものは、つくづく偉大なものだなあと思い知らされる。
スキマ妖怪・八雲紫。休みが欲しいです。