ふわふわと夢魂が漂う美しい世界。
現実と夢の隙間に隠された、悪夢達の安息所。
ここは『夢幻世界』。
とある一対の絶大な悪魔たちによって形づくられた、彼女達の楽しい遊び場。吹きこぼれた哀れな夢の集う、何処までも広がる停滞した異界。
蒼き欠けた月が穏やかな光を齎す中で、現よりはじき出された夢たちがふわふわと漂う。その様はまるで幼子が大事に抱える宝石箱のよう。
そんな文字通りの魔境の中に、巨大な真っ白の屋敷があった。
芸術品のような白磁の壁と青い屋根で彩られ、何本もの大木の如き柱で支えられたその屋敷は、遠方からでも見上げねばならぬほど現実離れした大きさである。周囲にはこれまた見事な大輪の花々が冗談のように咲き狂い、夢幻世界に満ちる穏やかな光をはじいて屋敷を極彩色に照らし上げていた。
まさしく幻想的。どんな名画もこの光景の前には有象無象に成り下がる、そんな景色が広がっていた。
屋敷の名を『夢幻館』。
ここはかの悪魔達から夢幻世界の門番と運営を任された、とある大妖怪の根城である。
夢幻館中心部にある一室。
外壁と同じような真っ白い不思議な石材に黒と紫のコントラストが美しいタイル張りの床で構成されたその大部屋で、一人の妖怪が椅子に腰かけていた。
新緑色の髪を長く伸ばし、淡い桃色のかった白いシャツに深紅のベストを羽織り、赤いもんぺのようなズボンを履いている。顔立ちは人外特有の作り物のように端正なものであり、傍には美しく装飾された日傘がおいてあった。
その目はこの世の全ての『赤』をかき集めて凝縮したような、重く、深すぎるルビーライト。
妖怪が口を開く。
「…つまり、私はその『賢者サマ』とやらの話の通りに、夢幻館を動かせばいいわけね?」
すると机の上に置いてある大きな水晶玉から、返答が返ってきた。よく見ればその中には人影が蠢いており、何処かに音声と映像を繋いでいる通信機のようなものと見てとれる。
「そーそー、頼んだよ幽香。」
「でもその前に悪霊の魔女から話を通すって言ってたわ。私たちにはよく分からないけど、多分貴女の知り合いなんじゃない?」
一発で察しが付いた。悪霊の魔女、そんな呼び名を聞いて彼女が思い当たる人物など一人しかいない。
「分かったわ、ソイツから話を聞いてみる。準備が出来たらまた言うわね。」
「任せたわよ。」
それを最後に通信がぶつりと切れ、水晶玉が元の透明に戻る。後に残るのは女が一人、静寂に満ちた空間に佇むのみ。
友を見届けた後、不意にその妖怪は日傘を手に取り、ひゅるり、と振るった。
風が吹き荒れた。
夢幻館中に妖力を纏った暴風が走り回る。
それは窓ガラスを叩き割り、クローゼットを吹き飛ばし、哀れなメイドたちを外に弾き出し、硬く閉ざされた門扉をぶち抜き、正面の前に広がる花畑の一画を地面ごと抉り飛ばして、夢幻世界の空へと消えていった。
その一部始終をぼんやりと眺めていた元凶は、ふいと花畑の方を見やった。
するとどうしたことやら、先の暴風が滅茶苦茶にした一画が時を巻き戻したかのように戻っていく。土は独りでに周りから埋まっていき、そこから一輪の花が息を吹き返す。それに乗じるように鈴蘭、向日葵、椿と、四季など知ったことかと言わんばかりに様々な花たちが咲いていき、あっという間に庭園は元の姿を取り戻した。
壊して、直す。時などいじっていないのに一瞬にて破壊と再生が起きる様は、神の御業への冒涜であろうか。或いは、彼女こそが神なのか。
戯れに小規模の天変地異を起こしたその女は、そのまま日傘を担いで居室を出た。廊下を歩く絶対の主人の姿にメイド達が慌てて頭を下げて出迎える。
玄関の門を開き夢幻世界の入り口がある空を見上げる。淡い光を放つ、少しだけ欠けた蒼い月の浮かぶ空。そこには、薄暗い空の中に混じって
門の傍に控えていた少女が問う。トレードマークたる逆刃の奇怪な大鎌を、今日も死神の如くぎらつかせながら。
「どちらへ?」
「……ちょっと旧友に会いにね。」
簡潔な一言、それと同時に一陣の烈風。周囲を吹き飛ばす風が吹けば、もうそこに主人の姿は無くなっていて。
空に浮かぶのはまるで天地をひっくり返した時にそのまま湖だけが取り残されたような、奇妙な光景。しかし地上から飛び立った女は迷わずそこに飛び込んだ。
地表に向かいながら、女は思う。
(さて、貴女とは久しぶりの再会かしら。簡単には潰れないで頂戴ね?……ねえ、魅魔。)
オリエンタルデーモン。宵闇小町、最強最悪の呼び声高い花妖怪。
その名を、幽香。
ゲルデンへの通達も終わり、
この所紫に頼まれたことやらホムンクルス制作やらに、気分屋の私らしくもないやる気で取り組んでいたせいかかなり精神的な疲労が溜まっていたのだ。それを解消しようと、一旦全部を忘れて趣味の釣りに興じているというわけである。
今日の場所は趣向を変えて、いつもの館そばの湖ではなく館から少々南に離れた場所にある海岸線で糸を垂らしている。
海釣りは嫌いではない。いつもは面倒くさいから近場で済ませているだけで、たまには大海原に住んでいるものを狙うのも悪くないのである。
ちなみに悪霊のくせに海水は大丈夫なのかと聞かれそうだが、残念ながら私に盛り塩なんてちゃちなものは効かない。効かせたくば、高位の神が直々に拵えたものをありったけ持ってくるが良かろう。
と、そんなことをしてる内に一匹釣れた、これで5匹目だ。
「今日は引きがいいねえ。この分なら触媒に使う分だけ取っといて残りは捌いてしまおうか。」
別に霊体に飯なんぞ要らないのだがそこはそれ、これはこれ。どうせ味覚が有るんなら楽しんだ方が得である。私も妖怪の一、そして妖怪にとっては精神の娯楽こそ何よりの生き甲斐なのだ。
私は上機嫌で鼻歌を歌い、釣った魚を生け簀に入れた。
…後から思い返せば、それが契機になってしまったのかもしれない。
突然、頭の中に二重の警報が鳴り響いた。今までの戦闘経験で培った本能と、とんでもない妖力が恐ろしいスピードで飛んで来ることを感知した結界が同時に悲鳴を上げたのである。
「何なんだい、全く……!」
悪態をつくと同時に釣竿を手放し杖を召喚。
私はそのまま、迫りくる妖力を肌で感じながら腕に最速で魔力を注ぎ込む。自分が信頼する本能の感覚でタイミングを測り……
――――今!!
「――――おおぁっっ!!」
体を捻って、手に持った杖を思いっきり薙ぎ払った。
杖先とその空を裂いた
その様に動揺を覚えることはなく、溶岩とガラス質だけになったその場所から即座に魔法で転移し、離脱して体勢を整える。
魔力で強化した私の膂力は、ただ一振りで文字通り山河を叩き割れると自負している。加えて今回は、激突の瞬間に一瞬で張れる中で最も硬い結界を杖先に何重にも展開していた。魔法で対処しなかったのは、あのタイミングなら近接で迎撃した方が余程早くて確実だからである。
何も魔法使いだからって遠距離だけが得意とは言っていない。私はクロスレンジでもそこらの大妖怪なら軽く粉砕できるのだ。
……ならばその一撃を食らって、土煙の向こうでなお平然としているあの女は、やはり普通の妖怪ではないのだろう。
緑色の長髪を惜しげもなく晒し、膨大な妖力を滾らせる女。その出自故か、本人の気性に反して迸る力は清廉にして純粋無垢、そして神聖。
幸運にも私はその女を知っていた。というか以前戦った。
…まあだからこそこうして思いっきり苦虫を百匹まとめて嚙み潰したような顔をしているわけだが。いや本当なんでコイツがここにいるんだ。
「……随分と御挨拶じゃあないか、幽香。」
幽香。
私の知る中でも間違いなく最強級の妖怪であるこいつは、無駄に優雅な佇まいでニコニコと笑みを浮かべている。こいつとは以前旅先で喧嘩を吹っ掛けられて以来腐れ縁が続く関係だ。
「だって貴女の魔力を感じとったんですもの。せっかくの再会なのにお話だけじゃ面白くないでしょう?」
「断るよ、私は今忙しいんだから。生憎と
「あらそう、でもごめんなさい。私、他人の意見を聞くのは苦手なの。」
人の話聞く気あんのかてめえ。そう突っ込んでやりたい所だったが、生憎とそれは不可能であった。
私が口を開く前に、幽香はその拳を振るってきていたのだから。
東洋の鬼にも匹敵するその怪力でもって地面を踏み割った脚が、たったの一歩で私との距離を無に帰し、そこに花妖怪の凶拳が迫る。
「帰りな!」
だが舐めてくれるなよ。ただ奇襲を仕掛けただけで私に攻撃を当てられると思っているなら魔女ってものを侮りすぎだ。
魔法使いは同じ轍を踏まん!
薄々どうせこうなるだろうと思って待機させておいた時空干渉の魔法を発動させ、私と幽香の距離を一気に拡大する。勿論、術の起点となっている私の位置は動かない。結果どうなるか。
哀れ花の大妖は、自分の飛んできた方から逆向きに亜光速で吹き飛んでいった。
とはいえ、あの外道女がこの程度で黙るわけがない。そう長くしない内にまた戻ってくるに違いない。勿論、それをただ座して待つわけがないが。
「……『魔力の胎動』」
星と月の魔力を蒐集し、純度を高めて精製する。そして、五属性の魔力を結集して太陽系を模した自動迎撃魔法を起動させた。
歳星、熒惑、鎮星、太白、辰星。
――――『
私の周囲に五色の宝石のような回転ビットが出現する。それらは本物の宝石に見紛うように光を照り返して輝いていた。
これらは小さくとも元の惑星の性質を宿し、自律稼働で迎撃や防御を行ってくれる優れものだ。感覚としては使い魔に近く、しかし使い勝手は下手な使い魔よりも遥か上である。
いつどこでも武装が取り出せるようにと作った、私の標準的な装備魔法だ。卑怯というなかれ、誰も一体一でやるとは言っていないのだ。更に上位のものもあるが、今は時間が無い。
と、そこへ。
…………ズドォォォンッ!!!
音の何倍という速さで何かが着地、いや「着弾」し、爆音と共に一帯が消し飛ぶ。荒れ狂う衝撃波と爆風が、そこらじゅうの溶岩も砂塵もまとめて散り散りに変えた。
「ふふふ、遊びましょう?」
まあ勿論のこと、風情もへったくれもない幽香のご帰還である。ご丁寧にも無茶苦茶になった地面から大小様々な異様の植物を生やしながら。
「そうれ!」
「裂け。」
――――『大茨』
――――『風浪』
幽香の振るった日傘に応じて飛び出した馬鹿でかい茨を、水流と鎌鼬の刃で残さず切り裂く。そのまま幽香本体にも差し向けるが、開いた日傘で全て受け止められてしまった。コイツが愛用するだけあって、相変わらず頑丈極まる傘である。
「まだまだ、『
「…! 『断崖』。」
今度はこれまた巨大な鳳仙花もどきを呼び出して、実を爆発させて中の火炎弾を流星のごとくぶちまける。だが所詮は植物を介した術だ。黄色に輝く球体から相性の良い金属性の防壁を作り上げ、完全に防いでやった。
まだまだ幽香は飽きる気がしないらしい。憎たらしいほどに優美な様子を崩さないまま更にテンションをあげてきやがったので、遅れをとらぬようこちらも力を引き上げる。
――――一呼吸、おいて。
「「ッッ!!!」」
どちらともない攻撃、そして激突。私と幽香の更なる闘争の舞台が開幕した。
あらゆるを破壊する規格外の暴力と、あらゆるを超越する桁違いの魔技。
二人の超級の怪物による激闘。二人の力の底からすれば未だ小手調べにも満たないが、それでもそれは確かな争いだ。
幽香はそのまま何度か牽制の植物攻撃を仕掛けてきたが、埒が明かないと思ったのか、それとも単純に飽きたのか。抑えていてもその身から漏れ出るほどに絶大なる妖力を滾らせて、生身で殴りこんできたのである。
携える日傘は、少し振るうだけでも壊れそうなほど細く優美な見た目に反して、幽香の唯一愛用する武器だ。それは刃もない細い棍棒もどきだというのに、しかし幽香が持てばただ振るわれるだけで敵を粉砕し切り刻む最凶の剣と化す。
こうなると、オーレリーズによる援護も不可能。そもそも肉弾戦を行っている二人のスピードが速すぎて話にならないのだ。
左足の蹴り、頭突き、アッパーカット、そして日傘の剣戟。
技術など感じられない豪快にして単純な暴力。特に意識はしていなくても、妖力によって無意識のうちに強化されているそれは、いとも容易く生物の出して良いような速度と威力の限度を超えた。
幽香の一撃一撃は、人間どころか妖怪であっても一撃もらえば塵すら残らないような代物。それを魅魔は、幽香の日傘同様に頑強さ折り紙付きの杖で弾いていく。
当然こちらは魔法による干渉と魔力強化による高度な合わせ技だ。筋力で負けるなら搦め手をかき集めてそれを上回る、ただそれだけのこと。
「ハアァッッ!!」「フッッ……!!」
砲弾の如く迫りくる左の拳。極小の壁が覆う手甲を沿わせて、軌道を逸らして空を切らせる。しかし当たれば必殺のその一撃すら幽香にとってはフェイクに過ぎない、本命は大上段から大剣じみて振り下ろされる日傘。
それは間もなく魅魔の頭蓋を消し飛ば――さない。
日傘を完全に振り上げ、切り返して振り下ろす。腕が一瞬だけ硬直したその瞬間に、いつのまにやら背後から飛んできた極太の鎖が腕を縛り付けたのだ。見れば、空間に大穴が開いてそこから錨を吊るすかのような大鎖が何本も飛び出している。
それは幽香の腕を留めるに至らずとも、コンマ一秒にも満たない、されど明らかな間隙を作った。
魅魔が反射で振り上げた神速の杖がかち合う。美しい白銀の三日月はこの世で唯一枯れない花を流麗に絡めとり、手首を粉砕するほどの捻りを加えて思いっきり弾き返した。
絶死の一撃を技巧で弾かれて踏鞴を踏む幽香の周囲に、決して隙を逃すまいと一瞬で何千何万と重なる魔法陣が現れた。術者の膨大な魔力を存分に巻き込み燃料とした破壊の魔砲は、目の前に立つ化け物を葬るべく太陽と星々の魔力を収束させていく。
地盤を余波だけで砕き、熔解させる灼熱の閃光が幽香の周り全方位から降り注いだ。
白光。撃砕。しかし屠るには未だ届かず。
「お返しするわ。」「おっと!」
自分に傷をつけるだけの見事な一撃に対する返答は、単純明快、振るわれる豪腕。魔法の使用による刹那の魅魔の硬直を、幽香の観察眼は見逃さない。
咄嗟に杖で受け止め、空間魔法で慣性を殺し、更に何重にもなる空気のクッション。これだけ張られた対策をその剛撃はいとも容易く貫通し、魅魔の腕にびりびりと衝撃を与えて彼方まで吹き飛ばした。
しかし吹き飛ばされている最中も戦いは続く。追撃をかけようとした幽香の前に、魅魔の信頼する五色のビットが立ちはだかった。
幽香が突進の勢いで押し切ろうとしても、オーレリーズはそれを許さない。ある時は属性魔力による光線と光弾を雨あられと撃ちまくることで初動を潰し、またある時は五色全てが合わさり自動で強大な結界を編み上げて攻撃を弾く。
その隙に魅魔が体勢を整えて、更なる魔法を幾つも待機させて反撃に転じた。
幽香と魅魔の攻防は、既に千日手に陥りつつあった。攻めては守られ、攻められては弾く。二つの翠が踊り狂う様は、その殺伐とした実情に似合わない、ある意味の美麗さを思わせるもの。
しかし、もはや音の速さを桁区切りの彼方へ置き去りにした超速の攻防は、余人に見ることすら許さない。
知らない者が見れば、このままいつまでも戦いが続くと思っただろうが……唐突にそれは終わりを告げた。
魔女の勝利という形で。
「……『月光の槍衾』」
「なっ…!」
何の前触れもなく出現した何百もの光の槍が幽香を四方八方から貫き、その場に縫い留めた。さらに十重二十重の輝く小規模の結界が幽香を締め上げ、完全に動きを抑え込む。即席だが非常に頑丈な檻の完成である。
この魔法は月魔法の槍と結界により相手の魔力を吸い上げて封殺する魔法だ。必然的に力任せで脱出するのは無理がある。
何のことはない、戦闘の間にちゃっかり詠唱しておいたのだ。もっとも少し苛烈すぎる攻撃のせいで、魅魔にしては完成まで時間がかかったが。
「ちょっと、出しなさいな。」
「嫌に決まってるだろ誰が逃がすか。」
内心で、人の折角の休憩時間を台無しにしてくれやがってと悪態をついた。ようやく辺りを見渡せば、既に周辺一帯は見る影もなく変貌していた。
波打ち際の白い砂浜と綺麗な水に煌びやかな陽が映える、あんなにも美しくのどかだった海岸線。そこは既に、流星群が直撃したかのようなクレーターだらけの灰色の大地に様変わりしている。水どころか溶岩すらも残っておらず、もはや灰と塵とクレーターに覆われるばかり。熱くない灼熱地獄、そんな言葉がしっくりくるほど酷い有様だ。
当然釣った魚は生け簀ごと消し飛んでしまった。
「で、改めて何の用なのよ。お前さんがわざわざあそこから出ることなんて少ないだろ。」
「幻月達を通じて、賢者とか名乗る奴から貴女に会えって言われたのよ。何でも、東の方の国に夢幻館を移して欲しいから貴女に話を聞けって。それでどうせ会うのなら、ついでにちょっと遊んでいこうと思って。」
(よし、
魅魔は心に決めた。あいつ絶対にぶん殴る。
しかもあのポンコツ賢者はこいつらまで理想郷に取り込むつもりらしいが、果たしてそれが猛毒に浸された諸刃の剣だと理解しているのだろうか。
「アンタが素直に誰かの言うことを聞くなんて思いもしなかったんだけど、何か取引でもしたのかい。」
「別にそういうのは無いけれど、そこって将来沢山妖怪やら神やらが集まるんでしょう?だったら行って戯れてみたいと思わない?」
思うわけないだろうが馬鹿か。やはりコイツの考えなぞ理解しようとするだけ無駄なのだろう。とりあえず、余計な事をされる前にとっとと帰って貰うことにしよう。
戦闘狂の思考回路を理解することを放棄した魅魔は諦めて帰還させることにした。
「地図はあげるわよ。どうせ私は使わないし、それを持って早く帰りな。」
指を振るい、幽香に指し向ける。結界に囚われたままの幽香の掌には、いつのまにやら一枚の古びた和紙が握られていた。わざわざ相手の手の中に地図を呼び出したのである。
実はこの前出かけている間にもう一度紫が来て、理想郷の場所を記した地図を机の上に置いて行ったのだ。既に『羅針盤』に座標を記録したので魅魔には無用である。
「あら、ありがとう。帰ったら読ませてもらうわね。」
それに驚いた風もなく、素直に礼を言う幽香。
次の瞬間、幽香の気迫と力が一気に増した。桁上がりに妖力が増加し、内側からの恐ろしい圧力によって槍衾にヒビが入る。本来なら決して解除不可能なはずの結界を、力ずくでぶち破るつもりらしい。
「それじゃあ、折角だし続きを……。」
「するわけないでしょう。」
が、魅魔がそもそもそれを許すわけがない。封印ごと夢幻館のある位置まで転移で飛ばしてやった。
「あー、しんど……」
せっかく久々に羽を伸ばそうと思ったらこの有様である。休暇どころか余計に疲れてしまった。そもそもここまで本格的な戦闘は久々である。
「あいつホントに手加減ってものを知らないからねえ……。
予想外のことで気力を使い果たしてしまった魅魔は、杖の石突を地面に突き刺した。同時に、黄金色に光が漏れて空間が歪曲していく。
――――『光錨転移』
魔女はアトリエに飛び、後には地図も役に立たない荒廃し尽くした大地だけが取り残されたのだった。
心を休ませるべく、帰って十秒で彼女が寝室のベッドに倒れこんだのは言うまでもないことだろう。