ポストアポカリプス時代の配信ライフ ―令和原人っていうのはやめてくれ!―   作:石崎セキ

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アイヒマン実験の詳細は、スタンレー・ミルグラム『服従の心理』(山形浩生訳,河出文庫,2012年)に依りました。


挿話:そこにあの子がいなかったとしても

 同窓会は(にぎ)わっていた。

 高校が主催する『十年会』には、卒業してから10年、アラサーの元生徒が出席する。

 進学校だけあって、敦志(あつし)よりも高級なスーツを身にまとった生徒が多くいた。

 

 そのなかに、美しい女性がいた。

 敦志は彼女の担任ではなかったが、彼女のことをよく覚えている。

 

 

   ◇

 

 

 巷では教師は聖職であるといわれるが、敦志にとって、教師はただの仕事であった。

 

 だいたい、教師になるための特殊な訓練はない。いくつか実習があって煩わしいが、基本的には、大学で所定の単位をとれば卒業のオマケについてくるような代物だ。

 特別な信念があるわけでもないし、担当教科にしたって教科書レベルの理解で十分だ。優秀な生徒であれば、敦志よりもよほど日本史に詳しいだろう。

 それでも生徒がバカにすることなく敦志の話に耳を傾けているのは、教師としての立場があるからだった。

 

 アイヒマン実験、というものがある。

 

 この実験に登場するのは3名。先生役と生徒役、そして実験を見守る実験者である。

 生徒役と実験者はグルで、実験の対象は先生役。

 生徒役がテストに誤答した場合、先生役は手元のスイッチで電撃を流す。

 実際には電撃は流れていないのだが、先生役は、そのことを知らない。そのため生徒役の悲鳴を本物だと思っているし、電撃が危険であることも知っている。

 実験者は、生徒役が誤答する度に電撃を強くするように告げる。

 

 電撃のレベルは30まで設定されている。

 レベル1は15ボルトで、レベル30は450ボルト。

 

 15ボルトのスイッチには「軽い電撃」と書かれている。

 75ボルト(レベル5)になると「中位の電撃」。

 こうして60ボルトごとにランクが上がっていって、375ボルト(レベル25)以上は「危険:過激な電撃」、435ボルト(レベル29)以上は「×××」とだけ書かれていた。

 

 生徒役が悲鳴をあげるのは120ボルト(レベル8)から。150ボルト(レベル10)で実験の中止を訴え、330ボルト(レベル22)で完全に沈黙する。

 さて、何パーセントの先生役が450ボルトまでやりきっただろうか。

 

 実験にはさまざまなバリエーションがあるのだが、その1つでは、65パーセントという数字がでた。

 

 過半数の先生役は、実験を最後までやりきったのだ。

 そのなかには現役の看護師も含まれていて、彼女は210ボルト(レベル14)で十分に感電の恐れがあると知っていた。

 ちなみに、実験が中止されたときの平均的な電撃は360ボルト(レベル24)。生徒役が完全に沈黙しても電撃は流され続けたのだった。

 

 ところが、実験者が同じ室内におらず電話で指示した場合、最後までやりきった先生役の数はガクッと減った。20.5パーセントになったのだ。

 

 この実験で明らかになったのは、人は権威の命令に従ってしまう傾向があるということだ。

 教壇に立った時点で、その人物は権威となる。

 教師が威圧的に振るまうのは、自分を権威だと思わせて、生徒をコントロールしようとしているからにほかならない。実際、生徒には横暴に振るまう教師であっても、職員室ではいつもニコニコとしていて、温厚な性格の人間である場合が多い。

 

 ところが、生徒のなかには、教師を遥かに上回るカリスマを持つ者が稀にいる。

 

 普通のクラスでは、3人か4人くらいが強いパワーを持っていて、各々にグループが分散されている。

 いわゆるスクールカーストというやつだ。

 彼らが教師に好意的であるか否かがクラスの雰囲気の要になるので、教師は彼らと積極的にコンタクトを取ろうとする。

 しかし、その生徒は違う。

 スクールカーストという枠組み自体の上にいるような。

 

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 死さえ超越しているような。

 死に一切の怯えをみせず、かえって死を歓迎するような。

 

 自分が初任で担任を持たされていないことに、心底安堵した。

 ところが、不思議なことに。

 双子の妹からは、まったくそうした気配を感じなかった。

 

 彼女は、()()()()()()()()

 感情表現が少し苦手なだけの、普通の生徒だった。

 

 それが、死んだ。

 交通事故だった。

 彼女が合葬された共同墓地には沢山のクラスメイトが訪れたという。

 

 そして。

 

 彼女の姉は――あっけなく、そのカリスマ性を失ったのだった。

 

 彼女は、すっかり普通の人間のようになってしまった。

 成績は上位をキープしていたものの、死にたくない、ということをしきりに周囲に()らすようになった。

 

 簡単なことだ。

 要するに、彼女はただの人だった。

 

 死を恐れない姿勢は、若さゆえの驕りで。

 その傲慢さこそが神秘的なベールを作り出していたのだ。

 

 

   ◇

 

 

 もう28歳になる双子の姉は、敦志をみると微笑んだ。どうやら覚えているようだ。

 思い出話に花を咲かせたあと、彼女は突然いった。

 

「わたし、25歳で死のうと思っていました」

 

 敦志が理由を訊ねると、彼女は顔を赤くして答えた。彼女がこう切り出したのも、酒のせいなのかもしれなかった。

 

「恥ずかしいんですけど――あのときのわたしは、子どもでした。大人になっても何も変わらないと。そんな退屈な世界で、醜くなってまで生きたくないと思っていたんです」

「でも、死んでない」

「はい。だから、その――妹に申し訳なくて。あの子は、わたしが25歳で死ぬと思いながら死んだんです。あの子を待たせることになる……」

 

 うつむく彼女に、敦志はどのように声をかけていいものかと逡巡した。

 迷った結果、敦志は陳腐な答えをいうことになる。

 

「大丈夫だよ。現世の土産話は多いほうがいい」

「そうですね」

 

 彼女は涙ぐみながらも、晴れやかな笑顔でいった。

 

「たくさんのお土産を、あの子に持っていってあげないと」


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