ポストアポカリプス時代の配信ライフ ―令和原人っていうのはやめてくれ!―   作:石崎セキ

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海水浴には準備が必要

 トマトが口内で弾け、冷たい液汁(つゆ)が吹きだした。

 川で冷やしておいたトマトは酸味が強かったが、重要なのは火照った身体を冷やしてくれることと、ボラではないことだ。

 

 ――やっぱ塩だよなぁ。

 

 海に行く準備を進める必要があるだろう。

 時間ならいくらでもあるけれど、何か用意する必要があるだろうか。

 

 でも、それよりも先に水浴びをしようと思う。

 さすがに臭う……ような気もする。

 服を脱いで、軽く水を身体に振りかけたあとで、おそるおそる足を水につけてみた。

 正直、水をかぶる作業に何の意味があるのかは判っていないが、プールの時間でやらされていたので大切なことなのだろう。

 

「冷たっ」

 

 配信をしていないのに独語(ひとりごと)を呟いてしまった。

 誰かに迷惑をかけているわけでもないし、そもそも迷惑をかける相手なんていないわけなのだが、言葉が宙に浮いたまま降りてこないような感覚がある。

 

 いよいよ水に入ると、汗ばんだ身体から汚れが流れ去っていくような爽快感があった。

 今まで痒みは感じていなかったけど、こうして洗い流せる環境におかれると途端に頭が痒くなるから不思議なものだ。

 わたしの歩行スピードと同じくらいの水流だから、近くの木に捕まっていれば安心して身体を清められる。

 

 それにしても綺麗な水だ。

 

 これなら生水でも……と思うのだけど、この前に、こんなやり取りがあった。

 

「ねぇ、やっぱり1日1口ずつ試してみるのは駄目?」

 

:だめです

:早まるな

:エキノコックスの潜伏期間知ってるか?5~10年だぞ

 

「でも逆にいえば5年は無敵ってことでしょ?」

 

:なぜ逆に言った?

:行き過ぎたポジティブ

:ただちに影響はない(外科手術が必要)(再発率6%)(放置した場合5年以内の死亡率70%オーバー)

 

「だって曇ってたら火起こせないし煮沸できないじゃん」

 

:摩擦でどうにかできない?

:リスでさえ貯蓄できるのに…

:死なれたら目覚め悪い

:さすがに生水はやめとけ

濾過(ろか)しろ

:なんのためにバケツとってきたんだ

 

「……判ったよ、水については濾過装置を作ろう。持ち運び簡単そうだし」

 

:納得してなさそう

:よかった…よかった…

 

 ここまで透明度の高い水なら少しくらい口にいれても大丈夫なんじゃないだろうか。

 そんな考えから、川の水を生で飲んでみようかと提案したらメチャクチャ批判されたのだ。

 1口ずつ試したら大丈夫だと思ったんだけどな……。

 

 そんな残念な出来事を思いだしたけれど、水浴びくらいなら大丈夫だろう。

 なんたって、死体が流れているガンジス川で水浴びしている人がいるくらいなのだ。

 

 服も洗って木に干すと、いい時間になってきた。

 

 さすがに裸で配信する勇気はない。古代ギリシャ人に(なら)ってカーテンを身体に巻きつけて服の代わりとした。

 服のために作られた生地ではないのでゴワゴワとしているが、贅沢はいっていられない。

 巻きつけているとズレて何度も調整しないといけないので、今度カーテンを確保したら、頭と腕の部分に穴を空けてワンピースみたいにしようと思う。

 

 動きやすい格好ではないので、今日はあまり動き回るような配信をするつもりもない。

 ちょっとした情報収集をするだけにしよう。

 

「おはよう」

 

 今度はあくびが出ずにスムーズに挨拶できた――と、思っていたら。

 

:こんにちは

:こんにちふぁ

:おはよう(13時)

 

「みんなさ、容赦って言葉知ってる?」

 

:知りませんね

:知らない

:【容赦】〔よう―しゃ〕とは容赦の意

 

「最後の人知ってそうだから知らないっていってるやつ全員土下座ね」

 

:【土下座】〔どげざ〕とはなんですか?

:それは本当に知らない

 

「みんなさ、オオカミ少年は知ってるよね」

 

:知ってるけど?

:さすがに狼少年知らないとかモグリだよね

:オオカミ少年なら知ってるよ、美味しかった

:懐かしいな、卒論は狼少年についてだった

 

「え、どっち……?

 ……まあ、今日はっていうか今日もなんだけど、みんなに相談があってね。

 わたしは海に行きたい。味が薄いんですよ、味が。食べ物の」

 

:ぜんぶ丸焼きだしな

:本当に行くのか

:移動中も配信撮るの?

 

「え、撮るよ。何かあったら頼りたいし」

 

 答えてから、わたしのいっていることを信じていない視聴者からのコメントだったのだと気がついた。

 セットがどこまで巨大かを確かめているのだ。でも、わたしは視聴者に本物だと思われていなくてもいい。

 それよりも優先するべきなのは、リアルタイムでわたしに忠告をしてくれることだ。

 

:任せてくれ

:俺ら嘘だけはつかないから

:嘘エアプ民だからな

 

「はいはい、嘘つかないよね、知ってる知ってる。

 自分をコントロールできずに嘘ついちゃうだけだもんね。つきたくてついてるわけじゃないよね。判ってるから」

 

:わからないで

:すみませんでした

:ちゃんと自分の意思で嘘をついてます

 

「それがいちばんタチ悪いんだけど!

 でね、海に行きたいんだけど、みんな判るよね……移動が大変ってこと」

 

:少なくともビルからみた範囲にはないからな

:持ち物とか必要だしね

 

「でもわたしは天才だから思いついたんだ。行きは舟を使えばいいんじゃない? って」

 

 これは自分でもナイスアイディアだと思う。

 下流に行くにつれて海が近づくのだから、そもそも海に行くには川をたどるのが手っ取り早い。

 

:確かにそれなら楽できる

:これは知将

:天才

 

「流れに身を任せるだけだから高度な技術は必要ないだろうし、行きに道のり確認できるだけアドバンテージだよね。

 帰りは大変だけど、それに応じた計画を立てればいいわけだから。

 で、みんなに聞きたいんだけど、舟ってどうやって作ればいいと思う?」

 

:これは普通に行ったほうが楽なやつですね……

:バスタブとか湯船っていうくらいだし栓すればいけるんじゃない?

:重いし普通に沈むと思う

:そもそも壊れてるんじゃないか?

 

「荷物バケツにいれて流すだけでも楽だとは思うんだけど、カーテンとか入れたいから濡れると困るでしょ」

 

 念のため濾過装置も作って持っていきたいし、ひっくり返ったら比喩でも何でもなくすべて水の泡だ。

 

:安定感もないしな

:用意したやつ全部沈むとか嫌すぎる

:木をくり抜いて作れるんじゃないか?

:時間がかかりすぎるだろ

 

「だよねぇ……帰りどうするか問題もあるし」

 

:川遡るとき捨てるのは勿体ないしな

:船だったら人力で引っ張るらしいよ

:筏はどう?

 

「そっか筏があるか。筏ってどうやって作ればいいんだろ」

 

 川といったら舟、という段階で連想が止まっていたので思いつかなかった。

 マジカルバナナだったら一発で負けていた。

 

:浮力あるものがあればいいんだけどな

:発泡スチロールとか……残ってないよなぁ

:浮力ありそうなものって全部脆そうだよね

 

「バケツの口の部分塞げれば可能性ありそうだけど」

 

:塞ぐっていってもどうしようもないよなぁ

:冷蔵庫とかは?箱みたいな形してるし浮くんじゃない?

:いや沈むんじゃないか?

:体重聞いてもいい?

 

「え、体重? 50キロくらい」

 

 別に体重を知られても恥ずかしくないので、答えた。

 

:荷物が20キロくらいだと仮定すると、70キロのものが浮けばいいわけだろ?F=ρVgだからすまんわからん

:有能だと思ったら違った

:そもそも浮力の計算に重さは必要ないのだが

:体重聞いただけ

 

「文系にも判るように頼むよー」

 

:要約=今の時間は無駄だった

:あいつはブロックしとけ

:今は文系と理系の区別ない

 

「え、逆にそれめっちゃ大変そうだね」

 

 わたしは数学というよりも算数からできないから文系という区分に助けられている気がする。

 

:そうでもない

:科目選択式だから

 

「じゃあ理系とか文系とかいうよりも科目で勝負する感じってこと? あんまり変わってるようには思えないけどなぁ」

 

:本質的には、ほとんど変わってないね

:数学苦手なやつは科学とか難しいからな

:文系と理系の対立は弱まったらしい

 

「なるほどねー。あ、ごめん、話逸れちゃったね」

 

:考えてみるけど直接ビルとかみたほうが分かりやすいかも

:あのビルのレストランにクーラーボックスないかな。あれなら浮きそう

:確かにクーラーボックスなら浮くかも

 

「オッケー。確保しに行くからそのときはみてて。

 今日は訳あって確保しにいけないから、明日以降かな。

 あとは雑談でもしようと思うんだけど、話題とかある?」

 

:今いくつ?

 

「17だけどいってなかったっけ?」

 

:親しい人は?

 

「親しい人って……彼氏とかのこと? いないよ、そういうの興味ないから。

 友だちとかって意味なら、そこそこいたけど」

 

:寂しくない?

 

「……お姉ちゃんと会えないのは寂しいかな」

 

:お姉ちゃんとは何歳差?

 

「あ、差とかないよ。双子だから」

 

:お姉さんと顔似てるの?

 

「似てるっていうか、ほとんど同じだね。一卵性なんだ、わたしたち」

 

:顔出すことある?

 

「うーん、どうだろう。別に出すことには抵抗ないんだけど、もうみんなのなかに、わたしのイメージできてない?

 そのイメージを崩さないでいられる顔かな?」

 

 ……………………、

 …………………………、

 ………………………………。

 

 気づいたら1時間が経過していたので、配信を切った。

 これでもかというくらい質問がきたけど、そんなにわたしのことに興味があるのだろうか。

 

 ――お姉ちゃん。

 

 お姉ちゃんは、残された8年を有意義に使ったのだろうか。

 わたしは川の水を覗いた。

 お姉ちゃんそっくりのわたしの顔は、川の流れにかき消されて、水の底に溶けていった。


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