碁打ちの霊に取り憑かれた   作:実質勝ちは結局負け

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第二話

「アキラの話によると進藤ヒカル……もしかしたらそいつがsaiかもしれないぜ」

【ではその者にあえば、もう一度対局が出来るのでしょうか?】

「向こうがその気なら打てるだろうな」

【やったぁぁぁ!】

 

 塔矢邸での研究会を終え、自宅へ帰る道途。

 夕陽に暮れなずむ道を自転車で走るなか、夜空は自らの幽霊であるアカボシにsaiの正体の可能性について語っていた。

 

 ──アカボシ同様、もしかしたらsaiも幽霊なのかもしれない。

 

 思わぬ再戦の可能性に喜ぶアカボシを横目に見ながら、夜空の脳裏に非科学的な考えが浮かんでしまう。

 アキラの話によれば、進藤ヒカルとは三回打ったという。

 一回目と二回目は囲碁サロンで打ち、神懸った強さを見せつけられたそうだ。

 しかし三回目。中学囲碁大会に出場した際は、過去の二度の対局に比べてると余りにも不甲斐ない棋力だったそうだ。

 

 アカボシを通してsaiの碁を見ていた夜空からしても、実力に波があるとしてもあれほど打てるsaiとヒカルが同一人物なら三回目の不甲斐ない碁はあり得ないだろう。

 だが。

 もしもsaiが幽霊なら? 

 過去二度の対局は、ヒカルを通してsaiが打っていたとして、三度目はヒカル自身が打っていたとしたら? 

 不安定な棋力に対する答えとして辻褄があう。

 

……まさかな

 

 あり得ないと自らの推論を否定する。

 それでもまだ頭の片隅で可能性を捨てきれない自分がいた。

 

○●○●○

 

「そういえばここにはあんまり来た事ないなぁ」

【碁の勉強は緒方さんやアキラの家ですることが殆どでしたからね】

「あとお前と打ったりとかな」

【はい、今夜も打ちましょう!】

 

 夜空の家や塔矢邸がある北区から南北線に乗ることおよそ二十分。

 夜空は市ヶ谷を訪れていた。

 音楽を好きな人が市ヶ谷といえば武道館と答えるだろう。

 神社仏閣が好きな人なら、靖国神社と答えるに違いない。

 では碁を嗜むものが市ヶ谷といえば何かと尋ねられたら、当然日本棋院東京本館と答えるはずだ。

 

 塔矢邸での研究会から数日後。

 夜空は日本棋院を訪れていた。

 院生や棋士なら研究会や手合など日本棋院に訪れる理由は幾らでもある。

 しかし院生でも棋士でもない夜空にも、この期間だけは日本棋院を訪れる明確な理由が存在した。

 

 平成一二年度棋士採用試験。

 

 この期間の間、日本棋院は姿を変える。

 碁の道を志す若者達が、狭き椅子を巡る争いの場へと。

 

 棋士採用試験。通称プロ試験には予選と本戦が存在する。

 日本棋院に所属する院生なら、直近三ヶ月の平均順位が上位八名までは予選が免除され本戦行きのフリーパスが与えられる。

 従って院生でない外来組である夜空のプロ試験は、予選から始まるのであった。

 

 試験会場は六階にあり、エレベータで上がる必要がある。その道途、夜空は見知ったおかっぱ頭を見つけ後ろから肩を叩いた。

 

「はよー、アキラ」

「うわっ!? なんだ夜空、今日は遅刻しなかったようだね」

「こないだの研究会のことまだ言ってんのかよ……流石に今日すっぽかしたら緒方さんに殺される」

「はは、緒方さん夜空には厳しいからね」

 

 幼さが残る凛とした容姿を崩してアキラは笑った。

 夜空と同じく今年がプロ試験初受験となるアキラ。

 如何に現代最強の棋士である塔矢行洋の子息であろうと条件は同じ。

 アキラも外来組からの予選スタートだ。

 

「今日から三日もここに来なくちゃなんねーのか」

「僕と夜空が当たれば、夜空は四日来ないと行けないよ」

「はー? 五回打ったら三回は負ける癖によく言うぜ」

「そんなわけないだろ! 五回に二回しか負けてない筈だ!」

 

 エレベータの中。六階に向かう途中。

 夜空とアキラは軽口を叩き合う。

 

 プロ試験予選は本日から五日間。

 一日一局。三勝した者から抜けていき、一ヶ月後の本戦へと駒を進めることが出来る。

 夜空に対し自身と当たれば四日、棋院に来る事になるというアキラの言葉。

 それは裏を返せば、夜空に勝てる者はこの試験でアキラしかいないという事に他ならなかった。

 

○●○●○

 

 碁盤と碁笥。座布団とチェスクロック。

 それ以外は何もない和室で予選はスタート。しばらくの間碁盤に碁石が打ち付けられる音とチェスクロックの音だけが響く。

 

 夜空の対戦相手は、内巻きのミディアムボブが印象的な女の子だった。対局前に他の受験者から奈瀬と呼ばれていた事から、彼女は夜空やアキラなどの外来組ではなく院生なのだろう。

 夜空が白の碁石を左辺に打ち込むと、奈瀬は苦しそうに何処か黒の活きる道は無いかと手を探す。

 この時点で形成は夜空の圧倒的有利。碁の筋は悪くないが奈瀬と夜空にはヨミという碁打ちになくてはならない膂力に圧倒的な差が有った。

 

【ガッハッハ 勝ったな! 風呂入ってくる!】

【油断は禁物と言いたいところですが、ここからの逆転は難しいでしょうね……まぁ私くらいになると夜空相手でも此処からでも捲れちゃいますけど】

【はーい意味もなく煽ってくる幽霊には、今日から一週間ネット碁打たせてあげませーん】

【……え? ホントにごめんなさい夜空。それだけは勘弁してください】

 

 脳内でアカボシと会話をしながらも、表面上は無表情にぼんやりと盤上に視線を落とす奈瀬のつむじを見つめる。右回りなんだなとしょうもない事を考えていると、ふと奈瀬の顔が上がった。

 

 サラサラとした髪。碁打ちにしては健康的な肌。

 年は夜空よりも二つ上だろうか、随分と整った顔立ちをしている。

 形の良い下唇を悔しそうに歯噛みして、奈瀬はピンと背筋を整えた。

 空気を浅く吸い込んで、何かを諦めるようにため息をついた。

 

 碁打ちが盤を挟んで向かい合い対局を行う際、交わされる言葉はたった三種類しかない。

 対局開始の合図となる、懇願の意を示す敬語表現。

 感謝を表す言葉の過去形。

 そして最後の一つが投了の意思表示。

 奈瀬が口を開いたその時、まるで測ったかのようなタイミングで室内に試験官の声が響く。

 

「食事の時間ですので、打ち掛けにして下さい」

 

 打ち掛けとは休憩の為に勝負を一時的に中断することだ。

 その声と同時に、夜空を含めた受験者全員がチェスクロックのボタンを半分だけ押す。アナログ式のチェスクロックは双方のボタンを半押しにすることで、両方の時間経過が停止された状態になる。そしてどちらか一方のボタンが完全に押された時、再び時間経過が始まる。

 

 奈瀬はボタンを半分押した後、泣きそうな顔で和室を離れていった。

 

 

 

 受験者で唯一の同伴者であるアキラは対局の間に昼食を食べない流儀であることは、塔矢門下の間では周知の事実である。

 夜空は幽霊一人を連れて、棋院の近くにあるファストフード店で適当に昼食を済ませた。

 

【ゔぅ……お腹ぽんぽんだな】

【チーズバーガーを二つも食べるからですよ、ダブルチーズバーガーにすれば良かったではないですか】

【チーズバーガー二個頼んだ方が、ダブチ一個食べるより80円もお得なんだよ】

 

 アカボシと脳内で軽口を叩いているうちに、棋院内の談話室に辿り着く。

 折り畳み式の長机と年季の入った座布団が並べられた畳の部屋。

 弁当を食べたり受験者同士で会話したりとそれなりに賑わいを見せるなかに、見慣れたおかっぱ頭の姿。

 頁を読み進めていたアキラは夜空を視認すると、本を閉じて紙パックの緑茶を手渡してくる。

 

「ついでだから君の分も買っておいたよ」

「お、サンキュ。アキラにしては気が利くな」

「90円だ」

「……普通こういうの奢りじゃない?」

 

 夜空が呆れた顔で尋ねると、アキラは柔らかく笑った。

 

「──塔矢……アキラ……?」

「? ハイ」

 

 夜空とアキラの対面に座る二人の受験者。その一人がアキラの名前を呟いた。

 年の頃は夜空とアキラより、一つ上か同い年か。毛先を少し遊ばせた髪に勝気そうな顔。迷彩柄のタンクトップの彼からは、体育会系の印象を受ける。あまり碁打ちにはいないタイプ。

 

 迷彩の彼の言葉はアキラだけでなく周囲の耳にも届いたようだ。

 

 ──アイツが? 

 ──塔矢名人の息子が今年受けるのは知ってたけど

 ──あんまり顔知られてないんだよな

 ──そういえばアイツだよ

 

 周囲の喧騒には特に反応せずに、アキラと受験者二人の会話は続く。

 会話の内容からどうやら二人は院生だという事が分かった。しかしこの予選に参加しているという事は、院生内での平均順位が上位八名ではない予選参加組という事になる。

 迷彩の彼は和谷、もう一人は福井というそうだ。

 福井に促され自己紹介を済ませた後、三人の会話に適当に相槌を打つ。

 

「和谷くんカリカリしすぎ、何かあったの?」

「……昨日インターネットで碁やってたら、やたら強いのに負かされたんだ」

 

 和谷は不貞腐れた態度で頬杖をつく。

 

「あの強さは絶対プロだぜ……しかもそいつ『強いだろ、オレ』って書いてきたんだ」

 

 和谷の言葉を聞いて、夜空は紙パックのストローから口を離した。

 

○●○●○

 

 数日後。茹だるような夏の昼間。

 プロ試験の予選を無事三勝、土を付ける事なく突破した夜空は棋院が主催する第20回国際アマチュア囲碁カップの観戦に向かうべく日本棋院を目指していた。

 

【くっそ暑い】

【確かに皆さん暑そうに歩いていますよね】

【アカボシ、てめーは今の日本の暑さを知らないからそんな他人事みたいに言えるんだ】

【そんな事言われても私幽霊ですし、どのくらい暑いんですか?】

【マグマより暑い】

【……それ皆死んでません?】

 

 夜空の背後を涼しい顔をして憑いてくる浮遊霊と適当な会話を繰り広げながら歩みを進める。

 赤色に光る信号機が青に変わるまでの間、自動販売機で買った缶コーラをあおる。

 少し手持ち無沙汰になり、周囲に視線を向けると涼しげな店内のインターネットカフェが目に入り……危うくコーラを吹き出してしまう所だった。

 

【……なぁアカボシ、オレ暑さで頭おかしくなったのかな】

【どうかしましたか?】

【いや、あのネットカフェにお前みたいな幽霊いない?】

【えっ】

 

 道路側がガラス張りになっているインターネットカフェ。

 涼しげで清潔感のある店内には、等間隔にPCが並べられている。

 若くても大学生位の年齢しか居ない客層の中に、一人夜空と同じ位の子供がいた。それだけならまだいいのだが、その少年の背後には平安時代の狩衣の様なものを観に纏い、黒の烏帽子の様なものを被った年齢不詳の男。しかも空中に浮遊していた。

 

【一旦、店入ってみるか】

【……えぇ、そうしましょう】

 

 横断歩道を渡る事なく、ネットカフェへ。

 空調の効いた店内に足を踏み入れると、明るい髪を後ろで結った女性の店員に声を掛けられる。

 

「いらっしゃいませ! お一人様ですか?」

「すみません、オレ客じゃないんです……ちょっと店内に友達がいたから何してるのかなって思って」

「あ、もしかして進藤くんのお友達?」

「はい、ちょっとだけお店入ってもいいですか? すぐ出てくんで」

「もちろんいいわよ」

 

 咄嗟に口から出まかせをいってその場を切り抜けた。

 ありがとうございますと、頭を下げて件の進藤少年の元に向かう。

 特徴的な髪をした進藤少年と幽霊のPCの画面を覗き込む。ネット碁で対局をしていたのだとすぐに分かった。

 

「まーた今日も勝っちまったよ、おまえ全部勝ってくからキモチイーぜ!」

【今の者は大した事ありませんがヒカル、非常に手強い者もおりますよ、この箱の中には】

「みたいだなぁ」

 

 進藤は傍目から見れば虚空に向かって喋っている様にしか思えない。

 しかし夜空には白狩衣の幽霊の声もはっきり聞こえてきた。

 おそらく、十中八九、彼がsaiで間違いないだろう。

 

 

 

「初めまして、進藤ヒカルくん」

「えっ、なっ、誰だ? ……って、お前、後ろのソレ、ば、化けも……ふぐっ?!」

「おーい、いきなり大声出してどうしたんだよ! ……もし君にもオレの幽霊が見えるなら、ここは友達のフリしてくれないか? 

「わ、悪かったなぁー、ひひ久しぶりじゃん」

 

 棒読みすぎて笑いそうになった。




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