碁打ちの霊に取り憑かれた   作:実質勝ちは結局負け

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第三話

「改めまして進藤くん、オレの名前は天野夜空。君と同じで碁打ちの霊に取り憑かれてる」

 

 キャスター付きの椅子に座り、周囲に声が聞こえない程度のボリュームで話す。

 漫画やアニメの世界でもないとあり得ないような、ファンタジーな状況を語る夜空に、ヒカルは戸惑いを隠せないようだった。

 

「実際には初めましてじゃないんだけどね、後ろの幽霊……saiとコッチのアカボシはネット碁で一局打ってるから」

【サイ! 初めてネット碁やった時に、打った奴の名前って確か】

【ええ、ヒカル。アカボシという名前だったかと思います、まさか本当に私と同じ様な者が居たとは思いませんでした】

【やっぱり君達も脳内で会話出来るのか】

【え、夜空にもオレとサイの会話聞こえてんの?!】

 

 互いに幽霊とはテレパシーの様なもので会話出来るとは思っていたのだが、ヒカルとサイの会話が夜空とアカボシにも聞こえている事は夜空にとっても驚くべき事実だった。

 テレパシーの様なものが通話だとすると、ヒカルと夜空は互いの電波を拾ってしまうらしい。

 

【これで話せるならちょうどいいか、一つずつ状況を整理していこう】

 

○●○●○

 

 藤原佐為。それがヒカルに憑いている幽霊の名前だという。彼はかつて本因坊秀策にも取り憑いていたようで、秀策が残した棋譜は全て彼が打ったものだそうだ。

 夜空の幽霊である赤星因徹は徳川の世に活躍した棋士であり、アカボシはサイが秀策として活躍する以前に死んでしまったのだが、秀策が師事を仰いでいた本因坊丈和とアカボシは生前に壮絶な戦いを繰り広げていた。

 二人にとって丈和は共通の知り合いと言うことになる。

 丈和とアカボシの対局は吐血の一局として、現在にも語り継がれる名局である。

 因みにヒカルはサイとアカボシの時代背景について、1割も理解できていない様で

 

【ちょーザックリまとめると、アカボシは秀策の先輩って事?】

【ザックリまとめ過ぎだけど、そういう事かな】

 

 と言った感じだった。

 他にはサイがヒカルとして過去に2度、アキラと対局した事。夜空がアキラとは幼馴染であり塔矢門下である事など色々話した。

 同い年である事、同じ囲碁の霊に取り憑かれている事など夜空とヒカルの共通点は意外にも多く、打ち解けるのに時間はそうかからなかった。

 

【えぇっ! 夜空、隣町の付属中行ってんの?! チョー賢いじゃん】

【別に賢くないよ、暗記系の科目は全部アカボシにやらせてるから、算数と理科だけは自分で勉強したけど】

【はぁ?! イイなぁ、こっちのサイなんてテストで役立つの歴史と漢字くらいだぜ】

【ヒカルもサイに勉強させるといいよ、オレなんてアカボシのお陰で英検も漢検も準一級だ】

【アカボシ……貴方、この子の為になりませんよ】

【あは、は、やっぱりよくないですよね、ネット碁を打たせて貰う代わりに、文系科目代わりにしてあげてるのって】

 

 サイに嗜められているアカボシだが、後で詰碁の本でも買い与えてやれば喜んで夏休みの宿題も引き受けるだろうという確信が夜空にはあった。

 将来的に英語韓国語と中国語も覚えさせて、マルチリンガルの幽霊にしようと夜空は密かに企んでいる。

 自らページを捲ることが出来ないアカボシに本を読ませようとすると、一ページずつプリントアウトして床に敷き詰めないといけないのが手間であるが、勉強するよりはよっぽどましだった。

 

「それにしても、対局申し込み途切れないのな」

「そうなんだよ、断っても断っても……ん、akira? なぁ夜空、コレってもしかして塔矢かな?」

「んー、どうかなぁアイツ今、アマチュア囲碁カップの観戦行ってるだろうからログインしてないとは思うけど」 

【ヒカル! 夜空も! 今アキラと言いましたね? 塔矢アキラもこの箱の中にいるのですか?】

【だ──からちげーよ! アキラなんて良くある名前だろ? あ、対局オッケーして来た】

 

○●○●○

 

 とかく暑い。猛暑である。

 日差しだけでも暑いのに、アスファルトから放射した熱が更に拍車をかけている。

 小さな頃に家族旅行で行った沖縄で、サータアンダギーを食べた時よりも喉が渇いていた。

 中学の夏服に身を包んだ、赤みがかった茶髪の少年──和谷義高(よしたか)は日差しから逃げる様に日本棋院の自動ドアを潜った。

 大手合の日でもないのに、棋院にかなりの活気があるように感じるのは、棋院主催で行われるアマチュア国際囲碁カップに出場する選手一同が集まっている為だ。

 院生対局で使用する研修部屋や検討室ではなく、多目的ホールに向かう。

 等間隔に長机と碁盤が並べられた広い空間には、既に世界中の対局者たちが盤を挟んで向かい合っていて、前方の壇上からは試合前の口上が述べられている。

 

 ──近年世界の囲碁レベルは着実に上がっており、また今大会の参加国は五十ヶ国を超えました。では今日から四日間、一日二局計八局、思う存分戦い楽しんで下さい。

 

 壇上で目を細めにこやかにスピーチをしている壮年の男性を見て、和谷は条件反射的に背筋が伸びた。

 森下茂男(しげお)九段。

 和谷の師匠であり、過去にタイトル戦のリーグを突破し挑戦者にまでなったトップ棋士の一人。

 森下の元でとても厳しい(愛情に溢れた)指導を受けている森下門下である和谷にとって、あんなに愛想を振り撒きながら人と接する師匠の姿は新鮮な驚きがあった。

 

「和谷!」

「……師匠(せんせい)

「お弟子さんですか?」

「ええ、今日手伝いに呼んだんですよ」

 

 手持ち無沙汰に会場を彷徨っていると、開会の挨拶を終えた森下に呼び止められた。

 和谷と森下の関係を訪ねて来たのは、先程森下の隣で通訳をしていた男性。

 選手でも主催側の人間でもない和谷がここに来たキッカケは森下から手伝いを頼まれたからだが、目的は別にあった。

 

 saiとAKABOSHI……ワールド囲碁ネットにいる、正体不明の打ち手二人。

 その正体について何か知る事が出来るのではないか、それが理由だった。

 

 ここ一ヵ月の間で彗星の様に電子の世界に現れたsaiは、まるで本因坊秀策が現代の定石を学んでいるかの様に強くなっている。

 一方AKABOSHIは、WIN(ワールド囲碁ネット)で一年も前から最強の打ち手として名を馳せている。

 

「なんて顔してんだ? おい」

 

 怪訝そうな顔をしてるのが森下は気になった様だが、すぐに気を取り直し和谷に仕事の詳細を伝えて来た。

 曰く、対局が終わった外国人選手と空き時間に対局する役目らしい。国際アマでも上位クラスに和谷では歯が立たないが、下の方はまだまだといったレベルらしい。

 せっかく日本に来たのだから、時間の許す限り鍛えてあげたいという事だそうだ。

 

 ──つまり、暇つぶし要員ということか。

 

 その後和谷はインターネットの中にすごく強い奴が二人いると森下に話したのだが、また今度話は聞く今は仕事だと袖にされてしまった。

 それから国際アマ日本代表の対局を観戦したが、盤面を見る限り、彼はsaiでもAKABOSHIでもないと確信した。

 

 ──この人は違う。あいつらの強さはこんなものではない。

 

 それにしてもあれだけ強いと、和谷以外にも二人の正体不明の棋士を探している者がいるかもしれない。もしかしたらこの会場にも、和谷のようにsaiと打った奴やAKABOSHIと打った奴がいるかもしれない。

 

「……sai……AKABOSHI……」

 

 和谷の隣で同じ盤を観戦していた人が、呟いた声を聞いた。

 その瞬間、まるで測ったかの様なタイミングで、

 

「和谷、ちょっとこっち来い!」

 

 どうやら仕事のようだ。

 

 

 

 

「このまま打ち続ければ、大会に支障をきたしかねません、日を改めて再戦を申し入れます」

 

 指導対局を終えた和谷は、森下や途中から会場に訪れた緒方、午前中の対局が終わった世界のアマチュアの選手達に混ざり互いがsaiとAKABOSHIについて知っている事を話す。

 そしてアマチュア日本代表を激励に来た塔矢アキラを緒方がインターネットの前に座らせ塔矢が自らのアカウントでWIN(ワールド囲碁ネット)にログインしたタイミングであのsaiが塔矢に対局を申し込んできた。

 序盤、saiが4の十四、二間高目ガカリに打ち込むと塔矢は緊張した面持ちで投了と再戦を申し込んだ。

 sai側が指定してきたのは、今度の日曜日午前十時。

 塔矢はsaiに了承すると、青い顔で会場を去る。

 和谷はその背中を戸惑いと苛立ちが両立した目で追った。

 

 ──今度の日曜日に再戦? あっさりOKしやがって。

 

 プロ試験本戦の初日よりも、saiとの対局を優先させた。

 一敗くらい何て事無いとでも言いたげなアキラの振る舞いに、和谷は拳を握り締めた。

 

「みなさん午前の対局は全て終わっており別室に昼食の用意も整っています。お時間もありませんのでどうぞそちらの方へ……」

 

 別室には弁当とペットボトルのお茶が用意されていた。

 皆がそれぞれ一つずつ手に取ろうとしていたその時、自前のノートパソコンを広げていたアメリカ代表の選手がひどく昂ったスラングを交えて叫んだ。

 

「What the fuck!!! Sai and AKABOSHI are playing?!?!」

 

○●○●○

 

「おい和谷、この二人が話に出てたsaiとAKABOSHIなのか?」

「はい、師匠(せんせい)おそらく、いや間違いないと思います」

 

 偶然に始まった夢の様な対局に皆食事を忘れてノートパソコンの前に群がる。

 誰かが部屋の隅にあった碁盤と碁石をパソコンの横に持って来る。森下と緒方が盤を挟んで急遽観戦が始まった。

 

 先手……黒がsai。

 後手……白がAKABOSHI。

 

「互いに左右上隅の星、左右下隅の小目」

「5手目黒が、14の二。6手目に白が2の十五。互いに星と小目に対してケイマに打ったか」

 

 緒方、森下が液晶画面を見ながら、交互に打ち込んでいく。

 小説や映画を分析する時に三幕構成という手法がよく使われる。物語を設定と対決と解決の三つに分けるといったもので、囲碁にも似たようなものがある。

 それが序盤の布石、中盤の戦い、終盤のヨセだ。

 今は序盤の布石で、互いに自分の陣地を作るための骨格となる部分を作っていく。

 ケイマとは将棋の桂馬の様に自らの石と縦に一路横に二路か、横に二路縦に一路離れた位置関係の場所に打ち込むことを指す。

 

「黒が9の十七か……この手は」

「俺から言わせれば少し古い感覚だな、今だと上辺の星にカカリに行くか、右下隅の小目にトンデ隅を固める」

「えぇ、森下先生の言う通りだ。悪い手では無いが着手が古い……saiがもしプロだとしたら、9の十七は打たないだろう」

 

 ──やはりそうか。

 

 どうやら和谷は自らがsaiに持つ印象は、トップ棋士二人と相違無いらしい。

 

 大きな攻防こそないが、形勢はやや白……AKABOSHI有利で進んでいく。

 

「黒の1の五に対して、白は2の六ときたか」

「……良い手だ。この一手で左上隅の難解な変化をAKABOSHIは回避してきた」

 

 白の2の六は、星に対してケイマに打たれている。これによって白の連携できる為それによって複雑な変化を回避したのだ。

 しかしsaiも負けてはいない。

 白が上辺を荒らしにくるとそれを防ぐだけではなく三子も取って、一気に白有利だった形勢を互角まで持って行った。

 相手の攻めを返す刀で三子も取ってしまうsaiの勝負強さと、碁打ちとしての卓越した囲碁センスに和谷は息を飲む。

 

「白は3の十と左辺に手を付けて来たな、かなり攻めた一手だ」

「互角に見えますが、AKABOSHIから見ると少し形勢が悪いということでしょう」

「白も悪く無いようにみえるが……かなり先までヨミを入れると悪いのか?」

「この段階では私も互角かと思いますよ、森下さん」

 

 碁打ちの間では普通に打っていては負ける時に、リスクを犯してでもより深く相手の陣地に打ち込む一手を勝負手という。

 成立するかしないかギリギリの所まで踏み込むのが、プロが打つ勝負手である。

 緒方や森下の目から見ても互角と思える形勢であっても、saiやAKABOSHIの目からすると有利不利がはっきりと分かれているのか。

 ネットに潜む最強の棋士達の形勢判断に、和谷は驚きよりも興奮が勝っていた。規格外の棋力を持つ神々が戦いに、和谷の心は完全に掴まれていた。

 白の勝負手は18手に及ぶ攻防の末、地を稼ぐことは出来たものの、黒に右辺での厚みを持たれてしまった。

 その後白は善戦するものの、黒が絶妙なバランス感覚で白の攻めを凌ぎ、下辺から左辺中央にかけて黒が大きく地を稼いだ事が決め手となり終局。黒の中押し勝ちとなった。

 達人同士の戦いにおいて勝負は一瞬というが、それと同じ様なものを和谷はこの一局から感じ取っていた。




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