和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 今章最終話になります。後は章末一、二話で次章予定となります。

後、R-18ファンアートを見つけましたのでご紹介させて頂きます。……ゴリラは肉食動物だった?
https://www.pixiv.net/artworks/99171105


第九九話●

「彼の事だもの、安穏と此度の任が終わるなんて楽観出来る訳がないわ。保険が必要よね?」

 

 鬼月の二の姫は豪勢な調度品に満ちた自室にて脇息に肘を乗せて、扇子を扇ぎながらそんな事を宣う。悠然と、尊大に、胸を張って、冷笑するように嘯く。

 

「とはいっても私が採れる選択肢も多くはないわ。この前の時みたいに私の魂を裂くという手もあるのだけれど……彼、余りああいう手段は好きじゃあないみたいだものね」

 

 そして二の姫は嘆息する。己の寿命を削る事は伏せていても、宿主への負担から彼が面白い顔をしなかったのを葵は覚えていた。

 

 大問題であった。葵にとって、彼の事は全てに優先されるべき事柄である。己の寿命を削る代償なぞどうでも良い事であるが、彼が認識し得る範囲で彼に不快な行動を取る事は葵にとっては論外な選択肢であった。つまり、もう彼の前ではあの手段は使えないという事…………。

 

「まぁ、この程度の我儘なんて可愛いものよ。……それよりも重要なのは彼を不快にさせぬ範囲でどのように彼を助けるか。それが問題よ」

 

 残念ながら彼女の有する三柱の本道式とて有象無象とは格が違うにしても無敵でも万能でもない。

 

 颯天は元は神格を有していた霊獣とは言えその格式は別段高くない。零落した蜘蛛と互角に戦えれば御の字といった程度に過ぎない。そも、あの馬鹿は彼を傷つけようとした前科があるので信用出来なかった。

 

 澄影は颯天に比べればまだ利口ではあるが、その本領は諜報にあって真正面からの戦闘には向かない。その戦闘能力は大妖の中でも下位であろう、最初の奇襲で敵を仕留められなければお終いと考えた方が良い。

 

 そして彼女の使役する最後の式は……残念ながらこれもまた今回の役目には適さない。使えない。御蔵入りだ。

 

 となれば、別の切り口から最愛の人を支えるべきであろう。そして、幸いにも彼女にはそのための道具も、信頼もあった。……辛うじて。

 

「ふふふ、今回は仕方ないわね。どうせまた何もかも自分で背負うつもりでしょうね。身の程知らずの我が儘な事。……けど、夫の求めに恭しく応えるのもまた良妻の務め、構いはしないわ」

 

 脇息から手を離し、胸元を持ち上げるように張り出してからの苦笑。そして彼女はそれを取り出す。正確に言えば手元の扇子でくいっと取り寄せる所作をする。同時に部屋の奥から飛び込んでくるのは唐櫃で、巻き付けられた鎖を留める南京錠はその手を翳せばカチリと解ける。

 

 ……因みにこの南京錠の鍵は元から存在しない。唯の南京錠に見せかけたこの呪具は葵の霊力によってのみ解錠する仕掛けで、寧ろ鍵穴に何かを嵌めた途端に錠に封じられた魑魅魍魎共が解かれて襲い掛かる悪辣な罠であったりする。

 

「ふふふふ」

 

 そうこうとしている内に、冷笑と共に彼女が扇子を上方へと上げれば唐櫃の蓋が飛び上がった。そしてこれまた封印の呪具である絹の布地に包まれたそれが葵の元にまでふらりふらりと宙を浮きながら向かい、最後に差し伸べたその掌にドシリと降下する。その絹地の包装を解けばそれが若草を思わせる鮮やかな緑色の輝きを覗かせる。

 

 彼女の頭程の大きさの、膨大な霊気と妖気を放つ翡翠の塊が御披露目される。

 

「野本郡の地下、霊脈から溢れ出る霊気を数十年かけて結晶化させたもの。……確かあの蜘蛛が霊欠起爆をやらかそうとして育てていたものだったかしらね?」

 

 その表面を撫でながら、葵は嘲るようにして翡翠の塊の出所を思い出す。

 

 野本郡における河童と土蜘蛛の殲滅……それの終結後に回収された翡翠の結晶は幾分にも分割されて、半分は朝廷に、残りは従軍した各退魔士家に報償として分配された。彼女の手元にあるのはその内の鬼月家の、更に彼女の取り分である。

 

 葵の手に乗せられた翡翠は、恐らくはその塊一つで城が買えるだろう希少性があった。事実、唐櫃と絹地で二重に封印されていたその放出される霊気と妖気は解放された途端に周囲の物品を震わせる。恐らく半刻もその力に当て続ければ容易にこれ等を付喪神にしてしまうだろう。

 

「五月蝿い。お黙りなさい」 

 

 彼女が心底冷たい口調でそう言霊を唱えれば、騒がしい付喪神共は畏れ戦いて即座に沈黙したが。

 

「……さて、話を戻そうかしら?私は今更楽観視なんかしないわ。けれど私や私の式では彼を助けるには問題があるのも事実。まぁ、それは私の力不足なのだから文句は言わないわね?」

 

 其処で一旦言葉を区切り、そして葵は正面を見据えて微笑む。ひょいひょいと軽々しく、まるで御手玉のように翡翠の塊を投げ上げ、弄びながら彼女は命じる。

 

「だからこれを彼に託す事にするわね?使い方は色々あるし、そのための下拵えはしておいたから安心しなさい。……問題はこんな代物、ホイホイと持ち歩いていたら危ないって事」

 

 世の中には欲深い者、後先考えぬ浅はかな者なぞ幾らでもいるものだ。誰も彼もが彼のような心を持っていない事を葵は知っている。だからこそ、彼女は彼に惚れ込んだのだから。

 

「尾行させておく『澄影』の腹の中にこれは入れておくわ。箱に入れて厳重に封印をした上でね。……あれも所詮は妖、そのままだと食べかねないもの」

 

 葵は部屋の一角を一瞥して宣う。何れだけ賢かろうが、何れだけ忠誠心が高かろうが信用には値しない。人間ですら信用出来ぬのにそれより理性の低い妖なぞ尚更の事。

 

「それとこれは箱の封印解錠の鍵。此方は貴女が持ってなさい。賢明な彼の事よ、本当に困った時になれば貴女を側に控えるように命じた真意に気が付く筈。その時にこの鍵を渡しなさい。……間違っても、他の者に鍵を渡しては駄目よ?呪いが掛けられているから」

 

 渡した相手だけでなくて、貴女にも何かあるかも知れないわよ?と嗜虐的な笑みを浮かべて葵は脅す。忠告された眼前の少女はその言葉に怯えて狐耳を思わずペタリとさせる。

 

「ふふふ、安心なさいな。貴女がちゃんと言う事を聞けば何もないのだからね?」

 

 眼前の白丁の反応にくすくすくす、と扇子で口元を隠して朗らかに笑う鬼月の二の姫。そして、ある程度笑い切ると彼女は妖艶に微笑んで白丁の頬を撫でる。撫で上げて、呟く。

 

「そう言う事だから、良いわね?その鍵を持ってる間は何があっても彼の側を離れちゃ駄目よ?彼を助けるための大切な保険なのだから。……分かってくれるわね?」

 

 耳元で囁かれた艶かしくもおぞましい声音に、眼前の白丁は、小さく頷いた。そして…………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「確かに姫様の仰る通りには致しましたが……本当にこれで良かったのでしょうか?」

 

 鬼月の屋敷にての一幕を思い出して、白狐の白丁は憂うように小さく息を吐いた。

 

 非戦闘要員たる半妖の少女は下人らが戦いを繰り広げる森中から山二つ越えた先の山頂部の天幕に待機していた。周囲には彼女を守るために複数の結界が結ばれ、妖を忌避するように塩が撒かれていた。更に言えば、恐らくは不可視の本道式も何処かに鎮座している筈だ。

 

「伴部さん……大丈夫なんでしょうか?」

 

 天幕の直ぐ傍の岩の上に座り込んで、白狐の少女は小さく呟く。

 

 下人がその事に気付いたのは軍団兵らとの一悶着が終わり、作戦会議を開いた最中の事だった。後はあれよあれよと白は事前に命じられた通りに下人の詰問に答えて、懐に携えていた鍵を差し出した。

 

 そして下人が天幕から飛び出して怒鳴るように叫べば何もない所から唾液まみれのその木箱が雪原に放り投げられて、その中身が開示される事になる。その時の下人の小言を、白は良く覚えていた。

 

『遊びじゃねぇんだぞ……!!?』

 

 苦々しげに、腹立たしげに紡がれるその言葉に、白は何も言えなかった。実際、相手が気付くまで切り札となり得る道具の存在を伏せ続けるという行いは修羅場でそれを強いられる立場からすれば憤慨するものであろう。

 

 尤も、それだけ己の主人が彼を高く評価し、信頼しているという意味でもあるのだろうが……白からすればやはり何処か捻れた好意である事を認めざるを得ない。

 

「その片棒を担いでいる私が言えた義理じゃないんでしょうけど……」

 

 そして再度小さく溜め息。己の根源を思えばこうして今生きているだけでも驚天動地なのだ。無力で、爆弾にすらなりかねない己の存在が許容されているのは間違いなく桜色の主君の望外の寛容によるものであり、そうである以上は白は主君のあらゆる要求要請を受け入れて、それを果たす以外の道はありやしないのだった。

 

「けけけ、随分としおらしい物言いなこったな、子狐?悪逆無道な黒狐の妹には似合わん態度だぜ?」

「ひゃあっ!!?」

 

 独り言を呟いていた最中、突如として耳元で囁かれたその粘ついた言葉に思わず白は飛び起きて悲鳴を上げる。そして距離を取る。いつの間にか傍らで柄の悪い蹲踞で座り込んでいた蒼い鬼から。

 

 嘗て都で声高々に笑いながら骸の山を築き上げていた、四凶が一体から。

 

「ど、どど…どうし、て……?」

 

 どうして結界の内に?と言おうとして白は直ぐにそれが無意味な質問である事に気付く。この格の鬼にとってはその程度の事は容易であろうから。

 

「ひひひっ、そんなに怯えんなっての。餓鬼じゃあるめぇによ?いっそ嗤えて来るぜ。えぇ?純粋無垢な演技なんざしてくれてよ?猫の、いや狐の皮を被るってか?」

「なっ!?皮?違っ、演技なんかじゃ……!?」

 

 以前からちらほらと、主君から話に聞いていたおぞましい鬼との相対。その濃厚な妖気に気負い怯えつつ、しかし碧鬼のその言葉に白は反発する。彼女にとって、それは余りにも不本意な評価であったから。

 

 己が過去の罪は理解している。もう純粋無垢であるなんて口が裂けても言えない。しかし、皮を被って演技しているだなんてあんまりだ。まるで主君やあの恩人の下人を騙しているようではないか!!

 

「や、止めて下さい!そんな、私はそんな事しませんよ!!するつもりなんてありません!!人の事を、そんな風に言わないで下さい!!」

 

 目元を潤ませながらも、白は必死に反論する。それだけは認められなかった。己の大切な人達を、悪意を以て欺いているだなんて、それだけは言われたくなかった。だから反論する。それが凶妖相手には余りにも危険で無謀な行いと分かっていても。感情に身を任せた所業だとしても、恐怖よりもその怒りが優っていたから。

 

「……へぇ」

「ひぃっ!!?」

 

 尤も、次の瞬間には己に向けられる濃厚な死の気配に白狐は思わずその場でへたりこんでしまったが。何なら恐怖の余り少し失禁していた。

 

『……!!』

「おっと、止めてくれよ?危ないじゃあないか?」

 

 直後にひょいと首を曲げて、何かを掴み上げるような所作をする碧鬼。そして掴み上げた不可視の何かをそのまま振りかぶって放り捨てる。数瞬後には百歩程離れた先の木々が数本へし折れて崩れ落ちていた。

 

「なぁに。殺しはしねぇよ。てめぇはあいつのために中々に良い仕事をしてくれたしな?なぁ、狐っ子?」

 

 己が放り投げた存在にそんな事を嘯き、そして傍の白に同意を求める鬼。しかしながら白の方は一瞬向けられたその圧倒的な死によって足が震えて、息を荒げて、そして頭の中が真っ白になってしまい碌な反応も出来ない有り様だった。そして、そんな白狐を見て、鬼はその手を振り上げて……。

 

 直後、背後で強烈な光が鬼共を照らし上げる。

 

「えっ……!?」

「おっ、やったか?」

 

 周囲を激しく照らし上げるその光に白は唖然として、そして鬼はニタニタと楽しげに笑う。嗤う。

 

「と、伴部さん!!?ど、どうして!?まだ、そんな……!!?」

 

 一拍置いて、白は叫ぶ。叫んで動揺して、混乱して、悲鳴を上げる。顔を青ざめさせる。その光は、彼女にとっては余りにも想定外だったから。より正確に言えばこの状況で翡翠が使われる事が、である。

 

 事前の計画では凶妖二体を激突させて、残った方に式神で臨界状態となった翡翠を突っ込ませ、その間に下人らは安全地帯にまで後退する手筈であった。そしてその安全地帯とは正に今白が待つ天幕であり、しかしながら周囲を見渡しても、未だ其らしき人影は見えなくて……。

 

「そ、そんな……!?と、伴部さん!?今、今探しに……!!?」

「おっと、止めとけ。山での独断専行は大体二次遭難の元だぜ?」

 

 慌てて駆け出そうとして、しかし足に力が入らずに直ぐに倒れこむのを鬼が衣服の襟首を掴んで支える。支えながら助言する。

 

「だって……!!」

「安心しな。ありゃあ爆発の光じゃあねぇよ。『霊欠起爆』だったらもっと汚ねぇ光さな」

 

 まるで見てきたかのような物言いで鬼は宣う。しかしながらそんな言葉で納得出来る白ではない。

 

「だったら!あの光は……!!?」

「寧ろ逆だな。あれは吸引の光だ。……あのおっかない姫様もちぃとは学んだようだな」

 

 恐らくは鬼月の二の姫は仮に本来の用途で使えばあの下人が相打ち覚悟で自爆しかねないと恐れたのだろう。あの光は翡翠が溜め込んだ霊気を解放してのものではなかった。

 

 寧ろ逆だ。あれは周囲の霊気に妖気、神気をも吸い込むものだった。

 

「事前に幾分か溜め込んでいた霊気を抜いていたか?けけけ、まぁそういうこった。何れだけ最悪の結果でも命は無事な筈だぜ?」

「ほ、本当……なんですか?」

「マジさ。マジのマジさな」

「そう、ですか……」

 

 鬼の発言に対して白は確認の言葉を取り、漸く納得してその場にへたりこむ。そしてグスグスと嗚咽を漏らし始める。安堵の涙であった。それだけ彼女が待ち人らの事を心配していた証明だった。

 

 ……無論、鬼はあくまでも『嘘』を言っていないだけであったが。確かにあの光は爆発の光ではないし、あの光であの下人が死ぬ事はない。しかしながら彼の下人の命の危機は別に一つではないのだ。

 

「にひひひひ。さてさて、此処からどう………」

 

 そして鬼が此れから先の事態を夢想して喜悦しようとした所で、だが突如として無表情となる。無表情となって薄暗い東の空を見つめる。

 

「風情のない奴が来やがったな」

「え……?」

「そういうこった。俺はこの辺りでトンズラさせて貰うぜ?……へっ。良い歳してお漏らしは恥ずかしいな?」

 

 好き勝手にそんな事を言い捨てた次の瞬間には、鬼の姿は影も形もなく消え失せていた。

 

「えっ?あれっ……!?何処に……って言うかぁ!!?」

 

 突如として現れて、勝手気ままにいなくなった鬼の姿を探して周囲を探す白。しかし、一瞬遅れて鬼の指摘を理解すると直後には条件反射的に湿っている下腹部を押さえて、現実を理解すると共に叫んでいた。

 

「ふぇぇ……そんなぁ」

 

 現実を直視して、後々の事にまで思いを巡らせる白狐は思わず涙声を上げて天を仰ぐ。嘆息する。そしてその直後に彼女は空にそれを見つけた。

 

 此方にゆっくりと降り立ってくる人を乗せた簡易式の姿を、見つけた…………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

「生き、てる……?」

 

 雪原に倒れ伏した俺は、意識を取り戻すとともに呟いていた。脳裏に過る直前の記憶は至近に映るおぞましい老婆の風貌に視界を満たす翡翠の光………。

 

「死んで、ない……のか?」

 

 入鹿らは兎も角、あの距離にいた俺は間違いなく爆発の巻き添えとなると考えていたのだが……!?

 

「ぐっ!?身体が重、い……!?」

 

 立ち上がろうとした俺は直ぐにその場に崩れ落ちた。全身に殆ど力が入らなかった。足腰が立たない。

 

「やま、んばは……っ!!?」

 

 必死に周囲を見渡して俺はそれを見出だした。というよりもそれは本当に直ぐ傍にあった。

 

 干からびた肉の皮が其処に打ち捨てられていた。まるで塩を掛けられた蛞蝓のようにも思えたそれは、しかし良く見ればそれが何なのかが分かる。その側には半分雪に埋もれた翡翠の塊が落ちていた。

 

「まさか、こいつが、か……!!?」

 

 恐らくはゴリラ様が細工でもしたのだろう。翡翠の塊は爆発の代わりに周囲の妖気霊気の類いを根刮ぎ吸い込みやがったようだった。その結果が倒れる山姥の皮だけの骸に碌に力も入らぬ俺の惨状という訳だ。

 

「っ!?そうだ!!入鹿は!?彦六郎はっ!!?」

 

 直後、俺は今更のように彼ら彼女らの安否に思い至り更に周囲を見渡す。残る気力を振り絞ってふらつきながらも立ち上がる。

 

「入鹿!!?」

 

 先ず見つけたのは比較的近場に倒れていた入鹿だった。恐らく同じく翡翠によって霊力を失い機能停止したのであろう、翁の傀儡式の側に倒れこむ半妖の女の元に俺は必死に向かう。

 

 どうやら意識は失っているものの、命に別状はないようだった。小さな吐息を吐いて、その胸は上下する。俺は安堵して溜め息を吐『(o≧▽゜)oワタシモブジヨ!パパ!!』

 

「いや、お前の事は気にしてないから」

 

 俺は入鹿の頭の上に登ってウインクを決める白蜘蛛に淡々と言い捨てる。さて、こいつらは無事として、後は……。

 

「うっ……ぐ……!!?」

「彦六郎か!?何処だ!?」

 

 その微かな呻き声を拾って、俺は耳を澄ます。そして必死に駆け出す。暫しして見つける。雪の中から突き出た腕を。 

 

「其処だな……!?直ぐに向かう!!待っていろ!!」

 

 俺は全身の気だるさも痛みも無視して、前のめりになって其処に辿り着く。そのまま現場に到着すれば、後は素手で雪を掻き分ける。掘り起こす道具はないから仕方なかった。このまま雪の中に埋めたままにして凍死にはさせられなかった。

 

「げ、げに……ん?」

「待ってろ!!直ぐに助けてやる!!」

 

 微かな、しかし確かな声に俺は口元を緩めて叫ぶ。俺達に同行した軍団兵の連中は彦六郎以外は皆死んだ。せめてこいつだけは助けてやりたかった。俺のせいでこれ以上誰も死なせたくはなかった。だから、だから……!!

 

「っ!!?」

 

 雪を掻き分ける動きが止まったのは指が凍傷になったからでも、爪が半ば捲れてしまったからでもなかった。そんな事のせいではなかった。其くらいの怪我ならば何時もの事だった。それよりも状況は一層悪かった。

 

 残念ながら、雪は緩衝材にはなり得なかったらしい。雪と冷気が傷口を塞ぎ、出血を抑え、痛覚を鈍化させたのが幸運だったのか不幸だったのか、俺には分からない。

 

 一つ分かる事は、彦六郎は決して助からぬ傷を受けて尚容易に死ねなかったという事だ。

 

「よ、よぅ……下人。どう、だ?うまく、やったか?」

「あ、あぁ……」

 

 暫し彼の下半身の惨状を無言で凝視していた俺は、掛けられたその言葉の意味を必死に理解して応じる。弱々しくも応じる。

 

「へへ、そう、か。……なら、ひきかえした甲斐がある、な」

「余り喋るな。……直ぐ手当てをする」

 

 普通の治療ではどうにもならぬ事は分かり切っていた。しかし俺にはこの状況でも尚出来うる事があった。入鹿の時のように行けるかは分からない。しかし……!!

 

「や、めろよ……」

「っ!?」

 

 俺が指を噛んで傷口を作ろうとするのを、彦六郎は諌める。恐らくはその意味を全て理解した上で、諌める。

 

「……死ぬぞ?良いのか?」

「よくはねぇ。が、化物になるのも、ごめんだ……。いいだしっぺが、ひとり、いきのこるのもな?」

 

 其処まで呟いて、彦六郎は嘔吐した。真っ赤な吐瀉物を吐き出した。最期の時は近かった。軍団兵は此方を見る。その意味を解して俺は耳を彼の口元に近付ける。

 

「もし、てめぇがうまくいきのこったら………」

 

 彦六郎のその先の言葉を俺は聞き入れる。一言一句逃さず、記憶する。

 

「げほっ!?」

 

 そして最後の言葉を紡ぎ終えると共に、軍団兵は咳き込んだ。血を吐いた。そして、それでお終いだった。

 

 最早、その瞳に光はなかった。

 

「…………」

『(´・ω・`)?パーパ?』

 

 その呼び掛けに俺は視線を移す。俺の足下にいつの間にか白蜘蛛がいた。此方を見上げて、首を不思議そうに傾げる。どうやら、事態を理解していないらしかった。蜘蛛の余りにも低すぎる視線からでは、彦六郎の姿は良く見えない。

 

「……勝手に彷徨くな、阿呆」

『(。>д<)キャイン!?』

 

 取り敢えず白蜘蛛の頭にデコピンしておく。後ろにすっ飛んで涙目で頭を撫でる白蜘蛛。その姿に肩を竦めて呆れて、俺は眼前の軍団兵を改めて見据える。その瞼を閉じさせる。立ち上がる。

 

「ほれ、さっさと行くぞ。取り敢えず、入鹿の奴を回収して……後はどう言い訳するかだよなぁ?」

 

 白蜘蛛を掴み上げて肩に乗せて、俺は周囲を見渡す。凶妖二体撃破、妖化しての事ではないにしろ、どう取り繕うべきか。全く、終わった後も厄介だ………っ!?

 

「っ!?そう上手くは行かないかっ!?」

 

 周囲を見渡した俺はその存在に気付いて身構える。己の鈍感さを恨む。視界の端に其れが映っていた事にこれ迄気付かなかった事実に呆れる。

 

 凡そ二百歩程、木々の間に其れは佇んでいた。片腕を失った、乱れ髪の藁の防寒具を着こんだ赤顔、背丈にして二丈はあろう巨人が此方をじっと見つめていた。

 

 なまはげが、此方を凝視していた。

 

「っ……!!?」

 

 気が付くと同時に圧倒的な存在感が俺にのし掛かった。全身から汗が噴き出して、息が詰まりそうになる。

 

(お、い……!?マジか?さっきより強くなってないか?)

 

 権能の特性を付せても、明らかに眼前の存在は強化されていた。意味が分からなかった。どうして?しかも、今の丸腰の俺にはそれに対抗する手段は正しく一つしかなくて………。

 

(年貢の納め時か?)

 

 今度の今度こそ、俺は覚悟を決める。覚悟を決めて、そして………なまはげは此方に背を向けた。

 

「はっ?待て……!!?ぐっ!?」

 

 なまはげのその行動に俺は一瞬呆気に取られて、しかし俺はそれを止めようとする。これ以上、何処かの村を襲わせたくはなかったから。

 

 だが、それは叶わない。俺の身体は限界だった。一歩踏み出した直後には俺は雪の上に崩れ落ちる。

 

「ま、待てぇ……!!」

 

 俺が呻きながらも呼び止める声に、しかしなまはげは振り返る事すらしなかった。ただ、淡々とその場を去るのみだった。

 

「畜生……!!」

 

 己の不甲斐なさに苛立ち、しかし何も出来なかった。俺はただただ自身の無力に打ちひしがれる。

 

 そして、なまはげがいなくなった所で、何も事態は好転した訳でもなかった。寧ろ、逆だった。

 

 なまはげが立ち去った事で、これ迄その存在に怯え隠れていた物共が漸く現れたのだから。

 

『キキキッ!!』

『チチチチチッ!!』

 

 その鳴き声に俺は周囲を見渡す。そして確認する。周囲の木陰から機会を窺っていた虫妖怪共が次々と姿を現したのを。

 

「こいつら……!!」

 

 恐らくは翡翠の効果となまはげに恐れて隠れていたのだろう、山姥の餓鬼共の生き残りが次々とその姿を現した。ゆっくりと、そして着実に彼らは包囲網を敷いて俺達を追い詰める。

 

「止めろ!!」

 

 手近にあった彦六郎の死骸に群がる虫共を止めようとするが無駄だった。直ぐに俺の行く手を遮るように虫共は立ち塞がる。その内に残りが彦六郎の死骸に噛みつき、引き裂き、食い荒らす。死者への尊厳なぞ知らぬとばかりに、食い散らかす。

 

「ふざけやがって……!!く、入鹿!!?」

 

 その乱行に頭に血が上る俺は、しかし背後の気配に気付くとそちらに向かって必死に這いずる。虫共の魔の手は意識を失っている入鹿にも近付いていた。死者と生者、どちらを優先するべきか、残念ながらその序列は明白だった。だから彦六郎を俺は見捨てるしかなかった。

 

「来るな!来るんじゃねぇ……!!」 

 

 殆ど這いずりながら、俺は手元の雪を、近場の枝木を放り投げて入鹿に迫る虫共を牽制する。全身の激痛に耐えて必死に入鹿の元に辿り着く。迫る虫を殴り付けて遠ざける。叫んで、怒鳴って威嚇する。多少は効果があるのか、虫共は一旦引いて此方を睨み付ける。

 

「ざけんなよっ!!糞がっ!!近付いたらぶっ殺してやる!!あぁ!!?どうした!!?びびってんか、害虫共!!?」

 

 ぜいぜいと、息切れしながら俺はひたすら叫ぶ。武器もない今となってはそれだけが頼りだった。死角からゆっくりと近づこうとするので俺は彼方此方と睨み付けて、入鹿を守る。だが、限界は直ぐ其処だった。

 

「あっ……!?」

 

 直後、バッティングマシーンの豪速球のような速度で何かが迫ってきた。鈍い痛みと共に視界が揺れた。そして倒れこむ。

 

「あっ……がっ!?」

 

 雪原に倒れた俺が意識を失う前に見た最後の風景は、嬉々として此方に迫り来る虫共の集団だった……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 下人の意識を刈り取ったのは、蚤だった。郡都を襲撃した時と同じ蚤妖怪の跳躍。違いがあるとすれば大柄な個体は既に殆どなく、下人に飛び込んだのは二回り程小さな個体であった事だろう。

 

 無論、それだけが下人が頭が吹き飛ばずに気絶しただけで済んだ理由ではない。蚤の突入する角度が浅かった事もあるし、何よりも下人の肉体が、その頭蓋が唯人よりも強固であった事もその理由だ。

 

 堕ちた地母神の血の侵食、それによって下人のその皮の下を変質させ続けた結果である。これがなければ下人の頭は間違いなく陥没していた事であろう。皮肉としか言い様がなかった。下人は意識こそ失いつつも死ぬ事はなくそのまま傍らの狼女に覆い被さる形で倒れる。

 

 ……尤も、このままではその命が多少延命されるだけの事であるが。

 

『キキキッ!』

『ギッ!キギッ!!』

 

 散々抵抗する人間の皮を被った何かが漸く倒れた事に妖共は嘲るように鳴く。そしてぞろぞろと周囲を囲み、それを狭めて、左右の仲間を牽制する。誰がこの獲物達を最初に喰らうか威嚇し合う。果ては幾体かは生意気にも引き下がらぬ仲間相手に共食いまでする始末である。

 

 暫しの喧騒、そして蟷螂の中妖が他者を押し退けて威圧して、前に出る。最も美味な頭蓋の中身と心臓を喰らう権利を獲得する。周囲の羨望の眼差しにふんぞり返って蟷螂は下人の元に一歩進み……直後足に感じた痛みに下がった。

 

『キッ!?』

 

 何事だと蟷螂は足下を見る。そして見つける。白い蜘蛛の姿を。

 

『(ノ・`з・)ノココカラサキハキチャダメヨ!!』

 

 両手を一杯に広げて威嚇らしき姿勢を取る白蜘蛛。一瞬蟷螂も、他の妖共も唖然として……そして蟷螂はその鎌を振るう。

 

『(゜ロ゜ノ)ノヒャン!?アブナイ!!(*`Д´*)ブー!レディニランボウシチャダメナノヨ!!』

 

 慌てて身をくねって白蜘蛛は鎌を避けた。避けてから、改めて白蜘蛛は威嚇する。自身の姿を大きく見せようと両手を上げて、顎を鳴らして威嚇する。

 

 余りにも弱々しい、蟷螂の斧であった。中妖はテケテケと嘲る。周囲の妖共も釣られるように嘲笑う。白蜘蛛はそれに対して怖じける事なく憤慨する。

 

 蟷螂は蜘蛛を無視するように進もうとする。慌てて白蜘蛛はその足を齧った。

 

『(#゚Д゚)ノクルナッテイッテルデショーガ!?(。>д<)ウキャン!?』

 

 齧った足が振り回されてそのまま雪原に叩きつけられる白蜘蛛。

 

『(;∀; )イタイワァ(≧ヘ≦ )!キチャダメッテイッテルデショ!!?』

 

 頭を撫でて涙目を浮かべる白蜘蛛は雪原に線を引く。

 

『(>д<)ノコノセンカラサキハツウコウキンシヨ!ワカッタ!?』

 

 当然のように蟷螂共は線を乗り越える。

 

『( ´゚д゚)‥‥(#゚Д゚)ノマテヤコラ!』

 

 呆然とする白蜘蛛。しかし直ぐに憤慨すると蟷螂に再度噛みつく。

 

『(#`皿´)ワタシオコッタワヨー!!(。>д<)ウキャン!?』

 

 そして今度は顔面を蹴りつけられた。雑魚を無視して蟷螂は更に進む。

 

『ヽ(;▽;)ノヤメナサイッテイッテルデショー!!?』

 

 顔面の痛みに涙目になりながらも、必死に白蜘蛛は威嚇する。無意味な威嚇をし続ける。それでも蟷螂は、周囲の妖共は白蜘蛛を気にもせずに進み続けて、その度に白蜘蛛は後退を強いられる。遂には倒れる下人の頭の上によじ登ると周囲を囲む妖共相手にキョロキョロと睨み付けて無意味な抵抗を尚も続ける。

 

『(;ω;`*)ワタシハアキラメナイワ!パパトイモウトハワタシガマモルノヨ!!』

 

 己が食い殺される事態を予感しつつ、それでも白蜘蛛は己の『父』と『妹』を守るために懸命に抗おうとする。健気に威嚇をする。

 

 ……残念ながら、白蜘蛛は無力過ぎた。

 

 蟷螂が顎を開く。そのまま威嚇する蜘蛛ごと人皮を被った下人の頭に噛みつこうとする。蜘蛛は逃げない。最後の瞬間まで家族を守ろうとする。必死に守ろうと抗う。全ては無意味だ。そしてそのまま蟷螂はその顎を近づける。近づけて……首が捻切れた。

 

『ギッ!?』

『(;∀; )!?ソノトキフシギナコトガオコッタ!?』

 

 蟷螂自身も、そして白蜘蛛も驚愕した。違いがあるとすれば蟷螂はそのまま即座に絶命したが、白蜘蛛はその先に起きた事も目にしていた事だ。

 

 周囲を囲んでいた妖共は、次々にその首を捻られて、断ち切られる。何が何なのか分からぬ内に、怪物共はあっという間にその場に骸を晒す。そして、隠行していた幾体かの式神もまた同様に引き裂かれて唯の紙切れなとなって姿を現す。

 

『(゚Д゚≡゚Д゚)゙?ナ,ナニ!?マサカコレハワタシノヒメラレシチカラガカイホウサレタ!?』

 

 周囲で生じる突然の事象にキョロキョロと頭を動かして白蜘蛛は驚愕する。宣う。……残念ながら彼女の推測は完全に見当外れであったが。欠片も事実を当てていない。そんな都合の良い話がある筈もない。

 

 男が、天より舞い降りた。大型の木菟を模した簡易式から鈴杖を携えた男が、降り立った。

 

 魔眼の下人衆頭が、現れた。

 

「これはまた……随分と大立回りをしたものだね」

 

 周囲を、特に皮だけと成り果てた山姥の骸に、引き千切られて打ち捨てられたなまはげの巨腕を一瞥して鬼月思水は短く呟いた。そしてそのまま彼は見下ろす。頭から血を流し、意識を失い踞る己の部下を、見下ろす。

 

「……やれやれ、どう収拾したものかな。此では屋敷での私の努力が水の泡だ。困らせてくれるものだね」

 

 淡々と、冷淡に、冷徹に、思水は嘯く。嘯いて、膝を突く。  

 

『ヽ(;▽;)ノヤメテネ!パパトイモウトニヒドイコトスルノハヤメテネ!?』

「貴女は……神格の幼体ですか。これはまた珍妙な」

 

 下人の頭の上で思水相手に涙目になって訴える白蜘蛛に、寧ろ思水はその存在自体に唖然として、呆れ果てた。その存在を一切想定していないようであった。その縁にも。

 

「御安心を、神霊たる白蜘蛛よ。決して私は貴女の縁者を害しに来た訳では御座いません」

『(;∀; )ホントー?』

「勿論ですとも。……特に彼については」

 

 穏やかに、礼節を以て、内心で脳内に溢れる顔のような謎の記号に困惑しつつも、衆頭はそのように応じた。応じて、見た。踞り倒れる己が部下を。

 

 契約を交わした、共犯者を。

 

「取り敢えず回収するべきものはあの皮に腕、それと……困った姫君な事だね。あんな大物を簡単に手放すなんてね」

 

 人形の式を二十程展開し、思水は場の掃除を始める。始末した雑魚妖共の死骸の処分、山姥の皮になまはげの腕は慎重に回収する。翡翠の塊も同様だ。下人の手持ちの武具の類いも拾い集めさせる……。

 

「おや?」

 

 いつの間にか半ば雪に埋まり放置されていた傀儡が消えていた。面と衣装はその場に打ち捨てられている。足跡は分からない。音も気付けなかった。隠行か。

 

「鮮やかな手際だ。物的証拠は見つけられない」

 

 良く調べれば傀儡式の存在を証明する物は何も見つけられなかった。恐らくはこのような事態に備えて傀儡式に予備動力源でも詰めていたのだろう。

 

「用意周到な事だ。随分と警戒されているものだね」

 

 その存在を証明するには足下に倒れる下人と半妖の記憶を読むくらいしか手は無かろう。それも唯の記憶の読み取りではない。廃人にさせる程に強力なそれを。

 

 そして、それを許す二の姫ではあるまい。

 

「構わないさ。見逃そう。……今の所は、ね」 

 

 頭から血を流して倒れている部下を抱き起こす。その下の半妖は式神に運ばせる。行きに使った木菟の上に乗り込む。飛翔させる。

 

「帰るとしよう。……赤穂の客人も、蛍夜の姫君も、白狐の白丁もだね。大層心配していたんだからね」

『(*´∇`)ノワタシモカエルワァ』

「承知致しました。どうぞ此方に」

 

 掌を広げて促せば、白蜘蛛は悠然とその上に乗り込む。そのまま腕に抱く青年の懐に蜘蛛を捩じ込む。

 

 そして思水は再度胸の内に抱く黒髪の青年の顔を一瞥して、その頭を一撫でする。

 

「……全く、罪深い子だ」

 

 口元を緩めて小さくそう呟いて、しかし直後には普段通りの立ち振舞いに戻った下人衆頭は、眼前の部下のその顔に般若の面を被せていた……。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

『これはこれは、高名な松重の翁殿ですな?名声はかねがね聞いております』

 

 雪が積もる深い深い森の中で、蜂鳥に向けて、鸚鵡は恭しく一礼した。完全に礼節に則った優美な一礼だった。

 

『これはまた丁寧な御挨拶、深く痛み入りますの。初代陰陽寮頭祟神憑嗣殿。……それとも鵺とでもお呼びしましょうかの?あるいは今は別の御名前をご利用で?』

 

 首を捻って探るように問い掛ける蜂鳥。その悠々とした声音にもかかわらず、真っ黒な式神の瞳もあってその態度は無感動で無感情のようにも思われた。対して鸚鵡はクルクルと鳴いてから改めて眼前の蜂鳥を見据える。

 

『さてね。呼び名について特に拘りはない。翁殿のご自由にお呼び頂いて結構ですよ。……して、何用でしょうかな?生憎と今は彼是と立て込んでおりましてね』

『出来の悪い弟子の出迎えですかな?』

『まぁ、そんな所ですね』

 

 はははは、と。ほほほほ、と。互いに朗らかに笑う。嗤う。嘲笑う。何処までも空虚な社交辞令の応酬であった。互いに相手をどう思っているのか、何を企んでいるのか分かりきっている癖に。

 

『にしても、嘗ての陰陽道の開祖にして英雄殿が随分と堕ちたものですな。よもや蝦夷の男を指南して、妖魔共と動きを共にするとは。随分と実験や研究も停滞しておりましょう?』

『いやはや、そうも心配されてしまうとは我ながら情けない。無論、不自由がないと言えば嘘になります。……ですが何事も見方の問題でしょう』

『ほぅ、見方とな?』

 

 鸚鵡の言葉に蜂鳥は続きを問う。

 

『全く陰陽寮も朝廷も、昔に比べて頭が固くなったものです。上古の昔とは比べる迄もありませんが、それでも人の統べる地は未だ少なく、人という存在は脆弱なのは貴方も御理解頂けるでしょう。だからこそ、貴方もまた我々先達の記した禁忌の智の研究に没頭した。違いますかな?』

『ふむ。そう言われてしまえば否定は出来ぬの』

 

 蜂鳥の返答に、鸚鵡は微笑んだように見えた。そして朗らかに、理知的に彼は続ける。

 

『嘗て扶桑の地に建国した太祖の理想は既に堕落しました。大陸王朝も、西方帝国も崩壊し未だにその混乱から脱してはいません。海の向こうの地は唯人も、異能者も、魑魅魍魎も区別なく、万人の万人による血を血で洗う抗争が延々と続く始末。にもかかわらずこの国は余りにも安穏とし過ぎている』

 

 そうだ。扶桑国よりも一層発展し、当時の人界の旗手であった二国の繁栄も今や昔の事だ。

 

 嘗ての西方帝国の領域では野放図となった魔女や吸血鬼が各々に魔王を称して何十万という『家畜』を支配し、教団を頂点とする騎士団国家群が互いに所領を争いつつ魔女狩りと異端審問に狂奔する。崩壊した大陸王朝も同様だ。『皇帝も国家も消耗品として永劫に再誕する』と謳われた巨大官僚機構を失った王朝は分裂し、今では五毒の鬼と合従する人界十六の列国が中原の大霊脈を求めて終わりなき戦乱に明け暮れる。両国共に霊脈の恩恵を受けた豊かな穀倉地帯は荒れ果てて、街は廃墟と化して、人口は激減した。

 

 そんな中で朝廷は太平を装った。空亡を封じた事で、海の障壁がある事で、あるいは中原の騒乱から距離を置く大陸沿岸の商国家群、亡命した旧帝国指導部が建てた南方植民地の臨時帝国と誼を結んでこれを盾とする事で。

 

 確かに海の向こうの戦乱は五百年以上経って未だ遠い。魔王共も、五毒の鬼共もあの空亡程に理知的でなければ自制的でもない。奴らが一つに纏まって教団や十六国を屈服させる事は不可能だろう。百年、二百年経ても同様だ。扶桑国に対して直接的な脅威とはなり得ない。だからこそ、朝廷は此れへの介入を見送った。

 

『つまりは、課題を先送りした訳ですよ。無論、それ自体は当時の疲弊した国勢からして已む無き事……問題はひたすら先送りを続けた末に、課題そのものすら顧みなくなった事です』

 

 中小の騒乱ばかりで過ぎた五百年。辺境で局所的な惨劇こそあれ基本的には国内領域においては太平の中に過ぎ去った歳月は朝廷から危機意識を奪い去った。特に重要な点は退魔士に対する扱いだ。

 

 これ迄人界守護のためにと許容されてきた人倫人道に反する秘術や呪術の封印や放棄を強いて、新たな研究すらも厳しく監査されて管理されるようになった。上洛等、その地位に求められる責務も増えて中小の退魔士家は見掛けの資産や収入は増えても実質的に財政難に陥っている家も多い。鬼月家のような豪勢に散財しても平気な家は数少ない例外だ。

 

『狡兎死して良狗烹らる、という訳ですね。困ったものだと思いませんか?内裏の連中が暢気に政争に明け暮れていられるのは最早嘗てのような大乱を引き起こせるような統率を有する大妖怪が存在し得ないと考えているからです。……当の総大将は未だ祓われてすらいないというのに』

 

 都地下深くの無間地獄に埋められて沈められた大乱の首魁は、しかしその存在を滅ぼされる事なくただただ封印されているだけに過ぎない。にもかかわらずこの体たらく。

 

『何を仰りたいのですかな?』

『革命ですよ』

 

 翁の怪訝な問いに、鸚鵡は流暢に嘯いた。

 

『革命、とな』

『私が忌まわしい妖共と共にしているのは一時の方便。大事の前の小事に過ぎない。全ては扶桑国の、そして扶桑国に点在する百を超える退魔の家々の真の繁栄のためです』

 

 今の朝廷の在り方を打ち壊す。安穏とした、堕落した体制を倒壊させる、と初代陰陽寮頭は力説する。

 

『妖共の跋扈によって一時的に朝廷は機能不全を引き起こすでしょう。それは仕方ない。長年溜まった膿を出し切るためには犠牲は付き物。その後は我々の出番ですよ。我ら退魔士家が腐敗した殿上人共を一掃する。帝を奉り、朝廷のあるべき姿を取り戻すのです』

 

 それ即ち退魔のための、退魔士のための国造り。何らの制約を受ける事なく、退魔士が己の最善のために努める事の出来る社会の建設。

 

『そう、我らの強いられる不当な扱いを是正するのです。我らはより一層民草より崇められ、そして我らの負う賦役はより軽くなりましょう。朝廷から命じられる責務に金銭の心配をする必要は、最早ない。研究は、理究は進み我らはより易く、より安全に化物共を討ち果たせるようになりましょう』

 

 演説するかのように放たれる言葉。それはある意味で多くの退魔士家の不満に訴え、希望を刺激する余りにも甘美な誘惑であった。今世の退魔士家の求める光景そのものだ。

 

『初代真杉の代より続く松重の一族の末裔よ。どうです?貴方もまた私と同じく人界繁栄のために敢えて外道を求道した身、ならば我らは協同出来る筈。……私と共に真に正しき道を歩むつもりはありませんか?』

 

 そうして提案される初代陰陽寮頭の勧誘に、翁は無言でそれを聞き入り続けた。そして演説が終わり一拍、二拍も時を置いて……翁は指摘した。

 

『滑稽な話ですな、陰陽寮頭よ。己が信じてもいない御題目を他者に信じさせようとするのは如何な物でしょうかの?』

 

 翁の紡ぎあげた言葉は何処までも冷淡だった。

 

『……ふむ、やはりこんな演説では心揺さぶられる事はないか』

 

 翁の言に、その応答に、これ迄朗らかに口上を述べていた鸚鵡は途端に化けの皮が剥がされたかのように冷たくなる。それは、先程までの態度が完全に演技に過ぎない事を証明していた。翁は更に補足するように宣う。

 

『成る程、退魔の家々の不満と希望を刺激する蠱惑的な内容であったのは認めましょう。歴史も知らぬ若い連中であれば騙されてもくれましょうな。ですが……そのような空虚な物言いでは儂のような古い人間には届きますまいて』

 

 退魔の一族が、霊力持ちが扶桑国を、朝廷を牛耳る。一見すれば中々魅力的にも思えよう。物を知らぬ若造共を相手とするならば。

 

 霊力持ちが、異能の識者らが唯人を支配する。しかしそれは既に遥か昔に失敗した愚行である。それこそ帝国の庇護を失った魔女共の実情や公家に出し抜かれた壹岐家の醜悪な身内争い、朝廷成立以前に断続的に生まれては滅びた奴隷王朝の歴史を思えば、一目瞭然だ。

 

『人は一人では生きられぬもの。そして、霊力を有する者は尚更の事、それは貴方が誰よりも良く知っておられる筈でしょうな?』

 

 霊力持ちが政務を司る事も、ましてや国を牛耳る事も困難であり、非効率な行いであった。

 

 当たり前の話だ。霊力を有する者はその分魑魅魍魎に狙われやすくなるもの。故に常に己を研鑽せねばならぬ。何処に政務に明け暮れる余地があろうか?宮中の奥深くに隠れるか?そんな体たらくで国の隅々まで支配出来るものか。護衛を侍らせるか?同じ霊力持ちであれば殺され国を簒奪される恐れがあろう。唯人ならば?さて、化物共を呼び寄せるばかりの疫病神な主君に尽くす兵がどれだけいる事やら。

 

『古の時代、幾人かの英傑が建てた国も、悉くが滅び去った。ある王は護衛の同じ霊力持ちに殺された。ある王家は代を重ねた末に堕落し妖魔を祓う術を失って、災厄をもたらすだけの存在として家臣共から暗殺者を仕向けられて滅ぼされたそうですな?』

『結果、代を重ねて技量を磨く事が出来た霊力持ちは、唯人共から傭兵として雇われていた流浪の集団のみ、そしてそれが後の朝廷に仕える退魔の一族を成す、か』

 

 翁の説明に、百貌の怪物は途中から続くように答える。宣う。そして、暫く黙りこむ。

 

『いやはや全く、懐かしい話をしてくれるものです。……ふむ、やはりこの手の話で御老人を騙すのは難しいものだね』

『ほほほ。ご冗談はお止しになって欲しいものですな。世間話の最中に式神越しに言霊術を仕掛けてくる相手の言葉なぞ、響く筈もありますまいて』

 

 正確に言えば言霊術による催眠、洗脳。しかも二重に式神を経由してるのにもかかわらず。事前に認識しておれば対策は容易であろう、だが若い退魔士では気付けずに少しずつ丸め込まれていたかも知れぬ。

 

『ほう、気付いたのかい?流石だね。陰陽寮の次席の地位にいただけはある』

 

 何処か態とらしい感嘆を述べる鵺。対して翁の態度は冷たい。

 

『貴方様の悪伝には事欠きませんからな。昔から随分と厄介者であったとか?』

『ははは、其処まで知っているか。ならばこんな小細工が利かぬのも道理。やはり騙すのは読書離れしている若人に限るね。……君の可愛い孫娘のようにね』

 

 最後に敢えて付け加えたような文言、それは明らかな挑発行為であった。翁の心を揺さぶるための一言。

 

『あれは実に愚かな孫娘でありますからな』

 

 尤も、その程度の言葉で翁が動じる筈もなかった。

 

『朝廷と陰陽寮に不満があっても、よもや背後関係も知れぬような妖しいモグリの下に師事するなぞ。無論、在野の求道者に才人がいない訳ではありませぬがの。それで騙されてしまえば唯の間抜けでありましょう』

 

 翁の言葉は身内故の謙遜ではなくて、事実の羅列であった。己が同年代よりも少しませていて、少し有能であったというだけで尊大になって増長し、良く考えずに外街のモグリにのめり込んでコロリと騙された。これを間抜けと言わずに何と言おうか?

 

『どうせあのまま年を重ねても何処ぞで下手を打ち妖に食い殺されていたのがオチでありましょう。ある意味では良い薬でありました』

『実の孫娘に対して随分と辛辣な評価な事だ。……身内の情と言うものはないのかい?元を正せば貴方も原因だろうに』

『それがあれば、今でも儂は陰陽寮に勤めていたでしょうな』

 

 皮肉以外の何物でもなかった。松重の孫娘が道を外したのは本を正せば祖父の罪であるのだから。そして翁とてその程度の事を理解していない筈もない。それこそ摘発される前から事が露見すれば身内がどう扱われるのかくらい想定した事だろう。その上で翁は外法に手を染めたのだ。翁はそれを悪びれるつもりは毛頭なかった。

 

『やれやれ、冷たい祖父な事だ。……そうだね。このまま尾行されるのも面白くはないのでそろそろ御別れと行きたいが……最後に一つ言付けを御願いしても良いかな?』

 

 何時しか蜂鳥と鸚鵡を囲むように幾体もの妖が森の中から姿を現していた。百貌の怪物が生み育て、使役する改造妖の集団……しかしそれらは蜂鳥を襲う事はない。少なくとも今は、まだ。

 

『……言付け、ですかな?』

『えぇ。師として、嘗て可愛がっていた大切な弟子に対しての精一杯の助言ですよ。「手段があるのなら恥や外聞なぞ捨てる事だ。命あっての物種だよ」とね』

 

 鸚鵡は謳うように嘯く。尊大に宣う。一方でその伝言を聞き及んだ翁は思わず鼻白んだ。その伝言の意味を解せば当然だろう。誰であろうが罵倒するであろう、どの口でほざくかと。厚顔無恥と言って良い。

 

 尤も、それは己もかとも翁は感じたが。

 

『……まぁ、宜しいでしょう。特に迂遠な呪詛の類いを混ぜこんでいるようでも無さそうですしな』

 

 蜂鳥の返答に、鸚鵡ははっきりと分かる程に機嫌良く微笑む。

 

『有り難う。恩に着るよ。……では、立ち話もこの辺にするとしようか。さようなら』

 

 次の瞬間には、漸く認可を得た妖共が咆哮と共に一斉に蜂鳥に群がった。無抵抗のままにグチャグチャと引き裂かれて、八つ裂きにされる蜂鳥。一瞬置いてその仮初めの姿は形代の呪符へと戻る。同時に巻き起こるのは襲い掛かっていた妖共の悲鳴であった。

 

 朝廷が理究衆の管轄で入念に封印した上で飼い殺す凶妖『鴆』の羽はその一枚が土に触れるだけで山一つを死の世界に変え、霊脈を腐らせる劇毒であった。朝廷や陰陽寮ではその毒を数千倍に希釈したものを厳しく管理すると共に貯蔵しており、それを必要に応じて退魔士や軍団兵に配布する事もある。翁が式神に塗付していた毒は、それを食い千切った物に対して確かな罰を与えた。

 

『ふむ。随分と懐かしい手を使うものだ』

 

 眼前で目を飛び出させて泡を吐いて、全身を黒く爛れさせてのたうち回る獣共を見て、しかし特に何も感じる事なく翁の罠を評する。

 

 この程度の罠ならば大乱の頃ならば、更にそれ以前から良く使われていたものだ。生贄の生娘に毒を仕込んだままに妖に差し出す事だってあった。

 

 ……まぁ、その手段を考案したのも、霊脈を無思慮に汚す馬鹿鳥を捕らえたのも自分なのだが。

 

『オニイチャン!!オニイチャン!!』

 

 そんな物想いに耽っていると、式としている鸚鵡が突然に身体の利用権を奪い去って首をブンブンと振るい出した。突然の行動に思わず鵺も驚くが……直後に共有した視覚から式が暴走した理由を認識する。

 

『あれは……』

 

 曇天の暗い空に移るのは数体の簡易式の姿であった。より正確に形容するならば人を乗せた木菟を模した簡易式の群……それに騎乗する者達が誰であるのか、容易に答えは導ける。

 

『カワイイボウヤ!!カワイイボウヤ!!ワタシノカワイイボウヤ!メニイレテモイタクナイッ!!……うん、そうだね。確かに彼だね』

 

 目を見開いて嘴を全開に広げて唾を飛び散らせて、首が折れるのではないかと思える程激しく振るう式の反応に鵺は宥めるように応じる。鵺からしたら発声能力は高いのでこの小妖の事は伝言役としてはそれなりに気に入っていた。興奮の余り首が折れて死ぬなんて馬鹿な理由で失いたくはないのだが……。

 

『ウスイホンハジツマイモノコソシコウ!!ギマイモノハジャドウ!……悪いけどそれは何を言っているのか分からないなぁ』

 

 付け加えるならば、興奮していて稀に意味不明な単語を羅列するのも困り物ではあった。

 

『オニイサマアアアァァァッ!!タベチャイタイボウヤ!!……やれやれ少し静かにしたまえよ』

 

 流石に喧しくなって来たので少し力を入れてその身体の支配権を無理矢理奪い取り黙らせる。全く、あの堕神は己の眷属に一体何を教え込んでいたのやら。

 

『にしても……坊や、か』

 

 小さく嘆息した後に鸚鵡は再度天を仰ぐ。天を飛び、己の直上を過行く式神を見る。その背に乗る、『彼』を見る。そして口許を緩める。意地悪そうに、歪める。

 

『広義で捉えれば、私もまたそれに当て嵌まるのかな?』

 

 クツクツクツ、と鸚鵡は嗤う。何代か前に依代としたモグリの記憶を思い返して、嘲笑う。因果なものだ。数奇なものだ。気紛れの実験の一つに過ぎなかったのに、それがこう繋がっていくのか。

 

『だとすれば、随分と親孝行な息子な事だね』

 

 上空を過ぎ去る式神を見送った鸚鵡は、愉快そうに宣いながら闇夜に飛び去るのだった。

 

 何時か来るであろう未来の事を思って、悪辣に嗤いながら……。




 メチャクチャどうでも良いけど、ゴリラ様が翡翠塊をヒョイヒョイ投げ上げしてるのを想像すると脳内で目指せポケモンマスターの曲と共に『ポケットモンスターゴリラピンク』なんてフレーズが思い浮かびました

 

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