和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第二七話 ジェンガは場所を弁えて

 中近世における家事労働は便利な家電製品が溢れ返る現代に比べて、少なくとも肉体的には比較にならぬ重労働だ。

 

 火を熾す事も、炊事も洗濯も、全てが機械に頼る事が出来ず、あまつさえ家事だけをしていれば良い訳ではない。畑仕事は当然のように女も駆り出され、内職があり、子育てもある。農家の女は三十で老婆となる……というのは些か誇張も含んだ表現であるとしても、特に社会的に下層に位置する貧農の女の生活が現実のそれとは比べ物にならぬ程苦労を重ねたものである事は想像に難しくない。

 

 その意味において、少年の母はとても逞しく、勤勉だった。

 

「あら、お帰りなさい」

「……うん、ただいま」

 

 真夜中に賦役の荷運びを終えた少年を、暗い小屋の中でたった一本の蝋燭の灯火を頼りにして草鞋編みの内職をしていた母は元気良く出迎えた。同時に囲炉裏の火を焚き始める。

 

「良いよ、別に。薪がもったいないでしょ?直ぐに布団に入って寝るから良いよ」

「子供がそんな心配しなくて良いわよ。私達も丁度寒かった所だしね。ほら、さっさと火に当たりなさい。もう、随分と身体が冷えちゃってるのだから………」

 

 雪がかかった藁の上着を少年からふんだくり、雪を払って壁にかける母。

 

 こうなっては反発しても仕方ない。渋々と母の言葉に従い灰が然程溜まっていない小さな囲炉裏の側に腰掛けて手を向ける。ほんわかと温かな熱が冷えきった身体を優しく温めてくれた。

 

「粥の残り物、直ぐに温め直すから少し待っていなさい」

「自分でやるから良いよ。母さんもそろそろ寝たらどう?どうせ朝からずっと働きっぱなしでしょ?身体が持たないよ?」

「それこそあんたに言われたくないわね。十やそこらで朝から夜中まで働いている子供よりはマシよ?」

 

 少年の心配するような言葉に北国特有の農民でありながら肌の白く、線の細い母親は心外とばかりに口を尖らせる。囲炉裏に小さな鍋を垂らして夕食の残り物の粥に水と塩を足して煮込んでいく。

 

「皆拗ねていたわよ?あんたが何時まで経っても帰って来ないのだから」

 

 障子一枚隔てた隣の部屋を一瞥して母親はぼやく。その表情を見るに少年の弟妹達は結構ぐずったのだろう。

 

「人数が少ないと寒いからね。特に今日は良く冷えるし……」

 

 貧農の家で人数分の布団と敷布団があるなぞ有り得ない事で、寝ている間に囲炉裏等で部屋を暖める事もまた有り得ぬ事、湯湯婆等も存在しえない。

 

 ともなれば厳しい北土の冬を凌ぐのにはボロい布団の中に家族で身を寄せあって暖を取るのが一番安上がりな訳だ。少年も弟妹達に何度も人間カイロにされた。

 

「すぐそんな言うのねぇ。そのひねくれた考え方は止めなさい。あんたはもう少し素直に人の善意を受け入れた方が良いわよ?……最近は帰りが特に遅いんだから」

 

 木彫りの椀に煮込んだ粥を掬って差し出す母。少年は何とも言えぬ表情を浮かべるとそれを受け取り、「頂きます」と呟いてゆっくりと啜る。

 

「……食べ終わったら草鞋編み、手伝うよ」

「良いから寝なさいな、身体もくたくたでしょうに。というか材料ももう殆どないわよ。あの人が大体編んじゃったから。あんたが帰って来た時に私が編んでたのが最後の分よ」

 

 ははは、と元気良く笑う少年の母親。その快活な笑い声は一見線は細くとも、肝が据わった大人物を思わせた。

 

 既に隣の部屋で寝入っている少年の父であり、女の夫である男は朝から夜中まで黙々と乾燥させた藁を編み続け、既に数十足分の草鞋を仕上げていた。

 

「……余り親父を無茶させないでくれよ。まだ怪我も治ってないのにさ。傷口が悪化したらどうするのさ」

 

 非難するように口を尖らせる少年。妖に食い千切られた右足は幸いにも化膿はせずに済んだが予断は許さなかった。大量に流した血もあり、相当体力を消耗していて、しかもこの厳しい冬の寒さで残る体力もジリジリと削られていた。そんな中で内職をさせるなぞ……。

 

「別に私が尻蹴飛ばして働かせている訳じゃないわよ。あの人が自分でやってるの、一番食べる立場でただ飯食べる訳にはいかないってね」

 

 冗談めかして語る母に、僅かに口元を緩める少年。しかし……その脳裏に過ぎ去るのは皆が寝静まった真夜中に米櫃の中の残りを焦燥に満ちた険しい表情を浮かべて見つめる母の表情だった。

 

 少年は母と父が以前よりも更に自身の食べる量を削っている事に気付いていた。唯でさえ毎日綱渡りのように備蓄した食糧で冬を越せるか悩んでいる所に、一月前の父を襲った不幸……それ以来両親が夜な夜な手元の僅かな蓄えを挟んで頭を抱えている事もまた、少年は覗き見して知っていた。

 

「………」

 

 母が作っていた途中の草鞋を完成させるために部屋の端で作業を再開すると、自身を見つめていない事を確認し少年は粥を見つめながらぼんやりとこれからの事を、この冬の事を考える。

 

 例年よりも強く、早く来た極寒の季節を自分達が乗り越える事は限りなく難しい事に少年は気付いていた。そして、両親もまた本能的にその事に気付いている事だろう。このままでは家族揃って飢えと寒さに死に絶える事になるだろう。

 

(そう、このままだと、な)

 

 そして、それを避ける方法は既に幾つか思い浮かんでいた。そしてそのどれもこれもが碌なものではなかった。しかしながら、だからといってこのままでは全滅であろう。故に決断が必要だった。生き残るための決断が。

 

(生き残るため、か………)

 

 どんよりとした思考に意識が誘導されていくのを少年は感じ取っていた。しかしながら朝から真夜中まで続いた辛い労働、いつまで耐えても変わらない辛い現実、前世を知るが故に分かるこの世界の理不尽への怒りと欲望、それらが少年に一つの非道な選択を示していた。

 

(そうだな。一人なら……一人だけなら…………)

 

 どうせ二度目の人生で、所詮は二度目の家族で、ましてや似たような悲劇なんてこの世界では幾らでも見つかるがために、少年は次第にその選択に引かれていた。そして、少年は自身の心の弱さに負けてその決断を下そうとして………。

 

「にーちゃん?」

 

 酷く拙く、幼く、耳馴染みのある口調で小さくその言葉は紡がれた。

 

 ふと、我に返った少年が恐る恐ると振り向けば障子が小さく開いていて、寝惚け顔の女の子が立っていた。恐らく十もなっていないだろうボロいお古の木綿着を着た典型的な貧農の家の幼女がじっと少年を見つめていた。

 

「雪……音?」

「にーちゃん!」

 

 少年と視線が合うとにひっ、と笑う幼女。その名前は雪音と言った。今日のように深々と雪が積もる日に生まれた、故に雪の積もる音から雪音。

 

「……済まん、五月蝿かったな。起こしちまったな?」

 

 少年が半ば誤魔化すように小さく謝ると障子を開いててくてくと駆け寄って来る幼女。そしてそのまま囲炉裏の前で胡座をかいていた少年の足の上に玉座のようにちょこんと座り込む。

 

「ちゃむい」

 

 少年の太股に座り込んで、子供言葉で文句を垂れる幼女。その仕草は何処か気紛れな猫を思わせた。そして、そのまま少年の足の上で目の前の囲炉裏に手を差し向けてその暖かな空気に触れる。

 

「にひひ、あったきゃい!」

 

 そう朗らかな表情で叫んで、そしてそのまま少年の手元の粥入りの椀に手を伸ばす幼女。

 

「ん?……こら!雪音、何してるの!お兄ちゃんが寒いでしょう!?それにご飯も取らない!!」

「えー!?や、やぁ!!」

 

 草鞋を漸く作り終えた所で末の娘の存在に気付いた少年の母。彼女は自身の末の娘の所まで小走りに駆け寄ると椀に伸びていた手を叩き、少年から引き離そうと引っ張る。幼女がそれに対して愚図りながら少年の冷えた着物を掴んで踏ん張る。  

 

「もう!何やってるのよ!?あぁ、■■の着物が伸びるでしょ!?」

「やぁ!やーぁ!!」

 

 娘の抵抗を叱りつける母とそれに抵抗する娘。幼女がイヤイヤと少年の着物をがっちり掴んで離さない。

 

「いぎっ!?痛い痛い……!?か、母さん。別に良いよ。そんな事しても離れない……というか俺の着物の方が先に千切れそうだし」

「全く、この娘は!!遊んでばっかで世話ばかりかける癖にこういうのに限って目敏いんだから!!折角仕事から帰ったお兄ちゃんが温まってたのにそれを邪魔して、ましてやご飯までせしめようなんて!!」

「ちがうもん……にーちゃんをあったかくしようとしただけだもん」

「言い訳はお止めなさい!」

 

 半泣きで少年に抱き着く幼女の言い様に母は鋭い叱責の言葉を吐き捨てる。すると幼女は一層不機嫌になって涙を少年の着物で拭き出す。そんな幼女……雪音に対して少年は困った笑みを浮かべながらその頭を撫でて、仕方無さげに助け船を寄越した。 

 

「あー、よしよし……母さん、俺は大丈夫だからさ。そうだよな?雪音は俺を温めようとしてくれただけだよな?」

「うー………」

 

 少年が宥めると、漸く半泣きの幼女は愚図りつつもこくこく頷く。そしてグスン、と兄である少年を盾にするようにして母をジト目で窺う。

 

「はぁ、毎回の事ながら弟妹に甘いんだから」

「仕方無いよ、まだ小さいんだから。遊びたい盛りだろ?」

 

 呆れる母親に苦笑しつつ、少年は手元の椀の中の粥を一掬いして妹に差し出す。

 

「ほら、少しだけだぞ?成長期だからな、兄ちゃんのを少し分けてやる。……弟達には内緒だぞ?」

 

 そう注意して少年は妹に自身の夕食を少し分ける。両親が自分達の食事を可能な限り我慢していても尚、育ち盛りの弟妹達の胃袋を満たすにはまだまだ足りない事も、弟妹達がそれを我慢する事が出来る程精神が大人ではない事も少年は理解していた。故に自身の食事を少しだけ一番下の妹に与える事もまた、長兄としては仕方無いと思っていた。

 

 少年の言にぱぁ、と花が咲いたような笑みを浮かべる幼女。そして差し出された匙で粥を一口、二口口にして、心底幸せそうな表情を浮かべる。そう、余りに薄くて粗末な雑穀の粥を口にして。飽食の世界を知る少年にとってそれは余りに哀れな光景にも思えた。

 

「いひひっ、にーちゃん。ありがとー!!」

 

 三口目を食べた後、口元に食べ残りをくっ付けたままに幼女は兄に向けてそう笑みを浮かべた。何処までも純粋で、屈託のない、表裏のない好意と親しみに溢れた笑顔だった。

 

「………あぁ。どういたしまして」

 

 返事をするまでに生じた一瞬の沈黙の間に少年は自身を恥じた。ほんの少し前まで自身が考えていた考えがどれだけ意地が悪く、下劣な事かを自覚したからだった。そうだ、妹を、家族を捨てて自分が助かろう等と………。

 

「えっ……?」

 

 そこまで考えているとふと正面に感じた温かい温もり。それは自身に正面からぎゅっと抱き着く妹だった。彼女は上目遣いで首を傾げて少し前まで寒い外で働いていた少年に向けて尋ねる。

 

「おれい。ぽかぽか、あったかい?」

「………あぁ。とっても温かいよ」

 

 少年が優しく答えると、再びにひひっ、と悪戯っ子のような笑い声を漏らす妹。恐らく自身の事を一寸も疑わず慕う血の繋がった目の前の子供の姿に、このままだと彼女がどのような運命を辿るかを思い、少年は歯を食い縛る。そして、選択する。その道を。

 

「……にーちゃん?」

 

 兄の何処か不穏な気配に僅かに不安そうにそう呼び掛ける幼女。少年はそんな妹に何処までも優しい慈愛の笑みを見せて抱き締める。きゃー!と小さい、しかし楽しげな悲鳴を上げる妹。

 

「そうだな。……このままだと皆が大変だもんな?」

 

 だから、弟妹達を守るために長兄たる自身がどうにかしなければならないのだ。だから……だから…………。

 

 自身を抱擁する兄の手が震えていた事に、雪音はその時気付く事は無かった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 密室状態の地下水道において最も注意するべき点は音である。視覚も嗅覚もかなり有効性が低下する中で聴覚は寧ろ密室であるがために良く響き、自身の存在を露見させてしまうからだ。

 

 故に、目の前に、直ぐ傍で何がいようとも、叫んでも、喚いても、悲鳴を上げてもいけなかった。そう、視界の先にどれ程おぞましい化物共がいようとも。

 

(とは言え、これは流石に虫酸が走るな……)

 

 下水道の十字路の陰に隠れながら俺は内心でぼやく。十字路を横切るのは暗くて良く見えないが恐らくは車より大きな蚰蜒(ゲジゲジ)に電車のように長大な百足、そして牛並みの体躯の蜚蠊(ゴキブリ)……はっ、前世ならば女と言わず大の男でも発狂する事請け合いな面子だな。

 

 因みに中近世をモデルとして、虫の類いが比較的前世よりも身近なこの世界でも流石にこの面子が巨大サイズでエンカウントしてきたら割とキツイ。この暗闇はある意味幸運だった。赤穂紫が傍らで震えながら息を潜める事が出来るのも明瞭にこいつらを見ずにいられるからだ。

 

 これが真っ昼間の明るさなら確実に叫んでいた事だろう。彼女は割と箱入り娘なので虫の類に耐性は余りない。

 

『……もう良いぞ。これだけの距離ならば多少の音は聴こえまい』

 

 耳元で音の反響を指向させる事で俺にだけ声が聴こえるようにした老人の声がする。俺は視線だけでその声に頷くと震える少女の肩に触れる。

 

「紫様、奴らはもう遠くに行きました。進みましょう。こんな所にいてはまた遭遇します」

「わ、分かりました………」

 

 俺がそう催促すると震える声で紫は頷く。そして……俺の装束の袖を掴む。

 

「……離れ離れになったらいけませんから……ね?」

 

 その物言いに俺は沈黙する。嫌悪感と罪悪感故にである。

 

「だ、駄目……でしょうか?」

 

 俺の沈黙に不安感を覚えたのだろう。説得するような、それでいて媚びるようなその声は余りに哀れに思えた。

 

「…………」

 

 俺は一瞬その声に理由の知れない懐かしさを感じた。同時に彼女がどれだけ恐怖しているのかも感じ取れた。きっとこの場が明るければ彼女のその表情を見る事が出来て一層惨めに見えた事だろう。とは言え、袖を掴まれては進みにくいし、彼女の精神衛生を無下にする訳にもいかない。故に………。

 

「あっ………」

 

 小さく驚くような声が漏れたが気にする事なく俺は彼女の手を握る。そして恭しく答える。

 

「非礼を御許し下さいませ。袖では走りにくく、はぐれやすいものですので」

「………はい」

 

 俺の謝罪に僅かな沈黙が流れ……そしてポツリと認可の言葉がおりた。正直内心ほっとした。彼女がプライドが高く、気難しくても本質的には善良な少女である事は知っていたがこの世界の価値観ではたかが下人が名門退魔士一族のお姫様、それも他所の家の少女の手を掴むのは余り宜しくないのだから。

 

「感謝致します。……それでは行きましょう」

 

 俺はそう謝意を口にした後、隠行術を使いながら再び地下水道を進み始めた。

 

 隠行術は霊術というよりかは技術であり、読んで字の如く隠れて動く技術である。より正確に言えば音のならない走り方や呼吸方法、気配を消したり意識を逸らしたり、あるいは印象に残りにくくする視線や所作、立ち振舞いや出で立ち、臭いや光の反射等の対策方法がそのメインとなる。霊力を必要とする内容もあるにはあるが、最悪それがなくても単純な技術のみでも最低限の隠行は可能だ。イメージが湧かないと思うなら何処ぞのバスケ作品のミスディレクションの超高等レベル版と思えば良い。

 

(霊力を殆ど使わずに済むのは嬉しいな。紫は兎も角俺が霊力なんて使えば直ぐにガス欠だ)

 

 いや、あの妖母の繰り出す軍勢の前ではあっという間に一流の退魔士すら霊力が枯渇しかねない。可能な限り戦闘を回避するのはこの場では最善の策だ。無論、全ての戦闘を回避出来る筈もない。つまり……。

 

「っ……!?紫様、出番です!」

「えっ……は、はい!」

 

 次の瞬間横合いの通路から現れた大型犬並みのサイズの蝙蝠は此方の存在を認識する前に放たれた斬撃で頭が消し飛ばされて絶命する。煉瓦造りの床でピクピクと頭のない身体だけ痙攣させる化物を横目に俺達は足音を消しながらその場から走り去る。微量ではあるが妖の血が周囲に飛び散った以上、臭いが強い地下水道でも安心は出来ない。可能な限り距離を取る必要があった。

 

 正直、危なかった。蝙蝠型ならば音波を使いこの暗闇の中でも此方の存在を直ぐに察知出来た筈だ。出会い頭で遭遇するとなればさっきのように仲間を呼ばれる前に一撃で仕止めるしか手はない。やはり彼女の存在はこの場から逃げ切るのに必要不可欠だな。

 

 その後、十回程出会した妖を紫が一撃の下に斬り殺し、その倍の回数を俺達は爺の索敵を頼りに隠れて誤魔化した。

 

「最初は不安でしたが……思いの外順調に進めていますね?」

 

 幾度かの戦闘、そして順調な脱出の進み具合に紫は少し自信と余裕を取り戻したように嘯く。そこには明らかな驕りの感情が見てとれた。

 

 無論、彼女の言もある意味では嘘ではない。実際ここまで遭遇した化物は小妖、あるいは中妖でも下位に属するものばかり。彼女にとっては脅威とはなり得ないものでしかなかった。だが………。

 

(おい、だからフラグ立てるな)

 

 そういう油断した台詞は典型的な死亡フラグなので口にしないで欲しい。というか実際ゲームだと君油断して殺られるかヤられちゃうからね?

 

「油断は禁物です。まだ先は遠い。それに奥に進む程に妖との遭遇する機会が増えています。御注意を」

「えっ……は、はい………」

 

 俺が諌めるように言葉をかければ少しばつが悪そうな、気まずそうな口調で弱々しく答える紫。多分、この場が明るければ目を泳がせて俯きながら答える表情が見えた事だろう。自身が調子に乗りかけていた事に気付いたらしい。

 

「………」

「………」

 

 それから双方共に言葉を交える事もなく黙々と歩き続ける。ただ手だけは離れ離れにならないように強く握り、耳元では式神越しに爺のナビゲートを受け続ける。そして……俺達は進む先にそれを見つけた。

 

「あの光は……」

 

 通路の奥から見えたその光に真っ先に気付いたのは紫であった。それは提灯の光であった。そしてそれを手にするのは人の形をした影であった。

 

「逃げた案内役でしょうか?それとも以前捜索に入った者達かも知れません。どちらにしろ少し見てきますので貴方はその場で待っていて下さい!」

 

 人を見つけて安堵したような、ぱっと明るい表情を浮かべて人影の下に向かう紫。恐らくは漸く見つけた光に、自分達以外の人間という事で思わずの行動だったのだろう。こんな真っ暗で陰鬱な空間にずっとさ迷えば仕方もない行動ではあった。しかし……。

 

「っ!?駄目だ!あれから今直ぐに離れろ!」

「えっ……?あっ………」

 

 俺は直ぐにそれを静止するよう叫ぶ。俺の荒々しい声に肩を震わせて俺の方を見る紫。そして確認するように再度正面を見る。そして、漸く彼女はその人影の姿をはっきりと確認すると足をすくませて、顔をひきつらせた。

 

 それは最早人間とは言えなかった。全身の表皮が剥けて赤い血が滲んで、部分的に白い骨すら見える男は身体中から飛び出した糸蚯蚓を纏いながら寄生虫が蠢く腐った瞳を見開いてぽつりぽつりと此方に向けて歩いていた。

 

「ひっ……!!?」

「しっ!静かに!!」

 

 叫びそうになった紫の口元を手で押さえて、俺は彼女を引き摺り通路の横道に飛び込む。提灯に騙されそうになるがあれが殆ど視力を失っているのは間違いなかった。故に注意するべきは物音だ。

 

「アっ……あ゙っ……ばっ゙……どご……でグヂ…どご……デグづ!!?」

 

 オ゙ヴエ゙エ゙エ゙エ゙ェ゙ェ゙ェ゙、と最早人の放つ声とは思えぬ音を出しながら男は嘔吐する。赤茶色の吐瀉物と共に吐き出されるのは大量の小さな糸蚯蚓であった。煉瓦の床の上にのたうち回りながらびくびくと動く糸蚯蚓の粘液を纏った表面が提灯の光にテラテラと怪しく輝く。

 

「どご……デグち……ぐらい゙……ざムい…い゙だい…ざむい゙………」

 

 吐き出すだけ吐き出した後、男はふらふらとうわ言を呟きながら通路を進んでいく。全身の穴という穴から体液を垂れ流して、全身の皮膚という皮膚から寄生した糸蚯蚓が飛び出して動き回るのを気にせず、あるいはその思考能力すら失ったのか、ふらふらと、ふらふらと歩み、去っていく………。

 

 どれだけ経っただろうか、足音が遠ざかり、提灯の光も小さくなって漸く俺は彼女の口元から手を離す。

 

「あ、あ、あ、あれ……あれは………!!?」

「あの出で立ちを見るに我々より先にこの地下水道に入った霊力持ちの傭兵でしょう。どうやら妖に寄生されているようです」

 

 あれだけの糸蚯蚓に寄生されていれば唯人ならばとっくに死んでいても可笑しくないが……下手に霊力持ちで体力があったせいかまだ死ねずに地下水道をさ迷っていた……と言うところか。

 

(……残念だがあれではどの道助からないな。止めを刺してやるのが慈悲なんだろうが……リスクは冒せない、か。放置するのが最善か)

 

 腐っても、殆ど死んだも同然だとしても、ギリギリ生きているしかも人の形と人格を残した人間を殺すのは今の赤穂紫には荷が重すぎる。かといって外見が祟り神モドキなあれを俺が始末するなぞそれはそれで危険があった。短槍では接近した瞬間俺に向かって寄生虫共が一斉に飛び出してきかねなかった。

 

 一方、余りに衝撃的過ぎる光景に恐怖が蘇ったのか、気付けばガクブルと俺に抱き付いて震えるおかっぱの少女。

 

「わ、わ、私達も……あの糸蚯蚓の大群に呑み込まれていたら……あ、あんな姿になっていたのでしょうか……!?」

 

 俺に向けて確認するように若干呂律の回らない口調で尋ねる紫。

 

「さて、どうでしょうか。私もそこまで詳しくは分かりません。しかしその可能性は十分にありました」

 

 少なくとも俺はな。君は服を白濁液で溶かされて触手プレイからの産卵プレイさせられるだけだから安心して。……いや、一ミリも安心出来ないけど。

 

「いやっ……あんなのっ……!?いや、いやっ!あんなのになりたくないっ!!いやぁ……!」

「御安心下さい。幸い我々は無事です。そして、この地下水道の出口も決して遠くはありません。これまで通りにすれば紫様は助かります。ですのでどうぞ御安心を」

 

 それは赤子を宥めすかしているようにも思えた。ガクブルと子供のように震える年相応の、いや若干退化したような少女を俺は発狂し、泣き叫ばないように落ち着かせる。

 

『やれやれ、全く困った小娘な事だの。霊力や剣技は悪くはないが、精神が弱すぎる。あの程度の妖相手に錯乱するなぞ……目視した瞬間に精神を汚染する類いの化物でもなかろうにな』

 

 耳元を隠行しながら漂う式神から小さくぼやく老人の声が響く。大の男ですら悲鳴を上げそうなものを心の準備もなく見てしまったたった一三歳の少女相手に余りにも辛辣な評価……とは言えなかった。この老人にしても、ゴリラ姫にしても、あの程度の妖なぞもっと小さい頃に何体も作業的に「駆除」した経験があり、しかもそれは何ら特別な事でもなかったのだから。

 

(退魔士としては性格的に不適合、か。………全くもってその通りだな)

 

 必要ならば下人は無論、村一つ平気で生け贄にして見せるのが退魔士という輩共だ。ましてやあんなもの……というには一般人には刺激は強いが……に怯えていては到底大妖や凶妖とは戦えない。ビジュアルがおぞましいだけの雑魚なぞ普通の退魔士にとってはボーナスステージだ。

 

 赤穂紫は、その点で余りにも真っ当な少女過ぎた。彼女は感覚が余りにも普通の人間過ぎ、故に家族から退魔士として生きる事を反対されたのだ。

 

『余り時間を浪費は出来ん。とっととその娘を落ち着かせて進ませよ』

「師よ、無茶を言わないで下さい。人の感情はそう簡単なものではありません」

 

 若干苛立ちを含んだ翁の言葉に俺は小さく答える。

 

 言霊術なり幻術なり使って無理矢理思考を操るなら兎も角、そうでもなければ錯乱一歩手前の人間を落ち着かせるのは容易ではない。卑の意志を継いでそうな一流の退魔士達には分からぬかも知れないが、唯人の精神は基本的に弱く脆いのだ。そして紫の心は限りなく唯人のそれに近かった。

 

 故に俺は同じ場所に滞在し続ける危険を承知でその場で彼女が落ち着くのを待とうとする。無理に怖がっている少女を引き摺って連れていっても役に立つとは思えなかった。途中で急に発狂されても困るしな。

 

 ………結果的にはそれは悪手であったが。

 

「紫様、大丈夫です。貴女の実力であればあのような有象無象の妖なぞ落ち着いて、冷静に対処すれば何も恐れるべきものはありません」

「で、でも……!!」

「御気持ちは分かります。紫様が妖退治の経験が少ないので不安を感じているのも承知しております。足りない部分は私が誠心誠意お助け致します。ですので紫様もどうぞそのお力で私をお助け下さいませ。協力すればこの程度の場所なぞ………っ!!?」

 

 周辺の警戒に放っていた鼠を象った式神が殺られたのを察知して俺は紫を背後に隠して警戒態勢を取った。

 

「えっ……?な、何ですかっ!?な、何が……!!?」

「静かにっ……!後ろに控えろ!!」

 

 俺の突然の行動に不安に駆られて口走る紫。俺はそんな彼女を強く叱責して黙らせる。そして、耳を澄ます。

 

(何だ?何があった……?糞っ!!式神が何を見たのかすら分からねぇ……!!)

 

 それは余りにも一瞬の事であった。夜目が比較的利く溝鼠の式神と視界を共有していたにもかかわらず、何があったのかすら俺は認識出来なかった。何か音がしたかと思えば視界が真っ黒になり、コンマ数秒後には式神は殺られていた。

 

 仮面と暗闇で紫には分からないだろうが、俺もまた急変した事態に動揺して、恐怖を感じていた。俺だけが知る事であるがこの地下水道に潜むものの正体が分かればさもありなんであろう。

 

『少し待て。此方も索敵を……なんて事じゃ………』

 

 ポツリと紡がれる翁の言葉。それが何なのかほんの数秒後に俺は思い知らされた。

 

『ヴオ゙『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!!』オ゙オ゙『ギィヤ゙ア゙ア゙ア゙ァ゙『グヴヴゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙!!!!』ァ゙『シヤ゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!』ァ゙ァ゙!!!』オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙『ガア゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙!!!!』ォ゙ォ゙!!!!!』

 

 それは幾十、あるいは幾百、いや幾千を超える悲鳴とも怒声ともつかぬ叫び声だった。獣の咆哮だった。無数の声の重なりが突如地下水道の奥底から鳴り響くと、それは通路全体に反響した。

 

 そして……地下通路の奥、視界の遥か向こうから凄まじい速度で溢れ出る影が見えた。

 

 無数の闇の中で輝く瞳は、明確に此方を睨み付けていて、そしてそれは通路を埋めつくしながら濁流となって此方に向かってくる。

 

「……はは、マジかよ」

 

 殆ど精神がへし折れそうな光景を見た俺は、一言そう呟くと即座に腹を括り、短槍を構えていた………。

 

 

 

 

「ベイビー大洪水」………ファンの間でそう称されるのが『妖母』の可愛いベイビーズの物量の暴力である。ゲーム内では特に地下水道クエストでの最早前に出るどころか逃げる事すら許されない連続戦闘の事を指し、挿入ムービーや外伝小説、漫画では文字通り濁流となって画面やコマ、あるいはページを覆い尽くす妖達の姿ないし咆哮として表現される。イメージがつかないなら機械に支配される某仮想現実世界な映画三作目の人類最後の都市防衛戦でも想像すれば良い。

 

 何にせよ、この妖共の濁流はファンの間ではほぼほぼ諦めるしかない確殺イベント扱いされている。其ほどまでに理不尽で、終わりの見えない程の物量を叩きつけられる事になるからだ。

 

 しかしながら、これはゲームではない。ならば地下水道に限れば希望が僅かであれない訳ではなかった。つまり………。

 

「紫様ぁ!!」

「ひっ!?は、はいっ!!」

 

 俺の叫び声に反応した紫が次の瞬間顔を歪めながら斬撃を放つ。空を切る音と共に衝撃波が妖の濁流に叩きつけられ先頭にいた数十体の妖共が肉片と化す。しかし………。

 

「だ、駄目です!!勢いが止まりません……!!」

「いいから撃ち続けろ!!!」

 

 そういって俺は懐からそれを取り出す。正直使いたくはなかったが……!!

 

「背に腹はかえられない、か!!」

 

 そして俺は懐から今回のクエストのために用意した次の道具を取り出した。

 

 妖の肉から絞り出した油脂に硝酸と塩酸を混ぜて調合して作ったニトログリセリンモドキ、それを綿に染み込ませて竹筒の中に石礫を混ぜて作ったダイナマイトは、ぶっちゃけると俺のオリジナルアイデアではなく、輸入された西方帝国刊行の書物を基にした爺の研究成果でゲーム内でも少しだけ触れられている代物だ。暴発しやすいので使い物にならない欠陥品の薬品とされたのを俺が引き受けて即席の武器とした。尤もそれすら技術チート系二次創作のアイデアのパクリだったりするが……正直本当に暴発しないか懐に入れている間戦々恐々としていたのは秘密だ。

 

 投擲すると同時に霊力で加熱されたダイナマイト内部のニトログリセリンは此方の想定通りに黒色火薬ではなし得ない程の大爆発を起こす。腹に来る爆発音……。

 

『グオォォォ!!?』

 

 その衝撃の余り地下水道の天井が一部崩落して何体かの妖が押し潰される。更に俺はそこに追加で閃光玉を投げ込み化物の大群を目潰しして一瞬足を止めさせる。

 

「紫様!足だけを狙って下さい!」

「わ、分かりました……!?」

 

 俺の要請に従い、紫が斬撃を放つ。それは先程までのそれとは違い敵を細切れにして確殺するものではなく、四肢を切り落とすものであり、足を止めて切り捨てられた妖の大半は尚も生きていた。そして、生きながら背後の妖達に踏みつけられる。同胞を平然と押し潰して俺達に襲いかかろうとする化物共。

 

「ちぃ!足りないか!?ならもう一発……!!」

 

 ダイナマイトモドキを追加で投擲。妖ではなく地下水道の天井を狙う。身体強化によって全力で投げつけられた竹筒は天井に衝突すると共に内部のニトログリセリンが反応、爆発と共に生じる衝撃と破片が仲間を踏みつけ乗り越えようとしていた化物共を上部から襲い急所たる頭蓋や首、背骨を襲い、更に崩れた煉瓦と土がのし掛かる。その上を更に踏みつけようとした妖達も即座に少女の持つ刀によって切り裂かれてその機動力を喪失した。

 

「こんなものか!?紫様、逃げましょう……!!もう十分です!!」

 

 良い具合に妖共の動きが止まったのを見て俺は叫ぶ。地下水道は其ほど大きい訳ではない。人間ならば兎も角妖が大群を以て進めば隙間なぞない。

 

 故に一度その突進の足を止めて先頭の奴らを切り殺し、爆殺し、何なら自身も巻き添えを食らう覚悟を決めて天井を軽く崩落させてしまう事で通路を詰まらせれば一時的であれ化物の濁流を止める事も不可能ではなかった。無論、所詮は時間稼ぎに過ぎなくはないが。しかし、今の状況では一分一秒すら砂金のように貴重であった。

 

『真っ直ぐ走れ!そして儂が合図をしたら右に抜けるのじゃ!!正面からも来るぞ……!!』

「笑えねぇな……!!」

 

 俺は紫の腕を乱暴に引っ張り駆ける。耳を澄ませば正面から無数の異形の鳴き声が向かってきていた。同時に、背後からも同じくおぞましい音が接近する。くっ、もう突破されたか……!!

 

「は、背後から来ています……!!」

「知っている!俺が合図したら斬撃を……!!」

『今じゃ!右に!!』

 

 目と鼻の先までしか見えぬ闇の中、その合図に従い俺は一気に右に飛び込む。幸運にもタイミングは合っていたらしい。壁に正面衝突して鼻が折れずに済んだ。

 

「今だ!斬撃を、撃てるだけ撃て!!」

 

 紫は口ではなく、行動で俺の声に応えた。次の瞬間に鳴り響く空を切り裂く音は計十度。背後と正面双方から殆ど衝突するように合流した怪異の群れは仲間同士を踏み潰しながら横路に潜り込もうと密集した所で数十体単位で肉片と化した。しかも大柄の個体も幾体か含まれていたらしく、死骸が邪魔して後続の妖共はそれを乗り越えるのに手間取っていた。

 

「よし、上手くいった!これで………」

『余所見をするな!横道から来るぞっ……!!』

 

 耳元で叫ばれるその言葉に反応して正面を向いた時にはもう遅かった。地下水道の横道から現れるのは巨大な女郎蜘蛛だった。それに反応しようと身構えるが次の瞬間には白い糸が俺の視界を埋め尽くす。

 

「下人……!?」

 

 紫の絶望に満ちた悲鳴が上がる。俺は彼女に今すぐこの場から逃げるように叫ぼうとした刹那、首元に刺すような感覚を感じ取り、急速に全身が痺れ、意識が遠退いていくのを感じた。恐らくは神経毒であった。

 

「がっ……!?くっ……ぞ…………」

 

 そのまま煉瓦の床に倒れ伏す俺が、その意識を失う直前に目撃したのは、無数の妖に囲まれる中、恐怖に涙を浮かべた少女が此方にすがるように駆け寄って来る姿であった………。

 

 


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