和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 貫咲賢希様よりポプテ風四コマ漫画

【挿絵表示】


 これ、多分最後のコマのゴリラ様だけ普段の画風に戻って真顔浮かべてそう


 尚、次話は年末年始が仕事と私用があるので少し遅れる事ご了承下さいませ。予定では12月31日か1月1日に投稿予定です


第三四話● 親の心娘知らず、立つ鳥痕を濁さず

 橘商会の会長、橘景季は自身の専門外の事であれば兎も角、決して商売人として無能ではない。寧ろ相当優秀な部類に入るだろう。

 

 宮中の権力抗争に破れての都落ち。落ちぶれた公家衆として衰退する筈だった橘家は、しかしその血筋から来る信用と人脈で当初は基本的な米に元々の一族の出生地であった漁村の海産物や塩を、直ぐ後にその延長として舶来品を取り扱う商家として再興した。以来数百年、扶桑国内でも十の指に入るだけの豪商としての地位を確立するに至る。

 

 ……しかし栄枯盛衰は世の常であり、停滞は即ち衰退へと繋がるものである。現状維持と既得特権の死守のみに奔走して胡座を掻いていた橘家は、実の所父親が事業の失敗の衝撃で血管が千切れて急死し橘景季が若くしてお飾り当主となった時には債務が利潤を上回り、しかも国内外問わず競合する古豪商家に新進気鋭の新興商家によってその権益が相当切り崩されていた。それを一代にして、再び盛り返した景季の実力は決して馬鹿にされるべきではない。

 

 大商家の当主として就任した彼が最初に行ったのは名称の改称だった。海塩屋という名称から橘商会に名称を変更した。それは経営の心機一転を決意しての事だ。

 

 無論ただ看板をすげ替えただけでは意味がない。内部改革にも彼は熱心だった。彼の事業再編や資産管理方法の変更、内部の贈賄や癒着等の腐敗の一掃はそれだけでも彼が非凡な商人である事を証明していた。

 

 特に人材収集と教育は目を見張るものがあっただろう。元より舶来品の取り扱いが主力な事もあったが、彼は現地の事情や文化に詳しい、あるいは技能を持つ大陸人や南蛮人を積極的に雇い入れ、しかも必要であれば商会の幹部に躊躇なく引き抜いた。一部の者達は扶桑国風の「屋号」から南蛮風の「商会」という名称に変更したのはこのためであったと語る者もいる。

 

 同時に同じ扶桑国人の教育も大きく転換した。これまで多くの商家では五人に二人が残れば幸運と言われた丁稚奉公で店員を雇用していたのを、彼は南蛮の言葉で言う所のマニュアル化を中心により先進的な指導教育体制を採用して、同時に待遇を改善した。

 

 別に雇用人を思っての事ではなく優秀な人材の確保や多くの商家で問題となっていた奉公人の逃亡や汚職、引き抜き防止、教育費用の低減と期間の短縮のためである。

 

 一族直系の彼を傀儡として操ろうとしていた一族の保守派、それに父や祖父の代からの商会幹部の反対を膝詰めで説得し、あるいは強制的な引退等で強引に推し進めたその行動力、改革案の鋭い先見性と思い切りの良さ、その急進的過ぎる改革をもっても尚商会を分裂させずに纏め上げ、これまでの商売相手の信頼を失わず繋ぎ止め、それどころかその規模を拡張せしめた統率力に話術……橘景季の商売人としての実力を疑う者は最早内外に殆んどいない。

 

 ……無論、商売人として一流でも、それ以外の分野……特に私人としても完璧である保証はない。どのような人間にも欠点というべきものはあるものだ。彼もまたその例外ではない。

 

 彼の欠点は大きく分けて二点挙げられよう。一つは彼の妻である。

 

 橘景季は腐っても豪商橘家の跡取りな事もあって幼少時代から幾人も許嫁の候補はいたし、彼が二十歳になる前に急遽当主に祭り上げられた際には同じ豪商だけでなく、公家や大名家からも見合いの申し出があり、一族の者達も誰それが良かろうと勧めたものだ。……彼はその全てを断ったが。

 

 最終的に改革と大掃除、橘商会の復権の後、彼が妻に迎えたのは幼い頃から商会本店で奉公人として、看板娘として働いていた南蛮移民の少女である。これはある者は南蛮系の従業員の信任を得るためとも、下手に有力者の娘を妻にする事で他家の影響や口出しを許すのを阻止するためだとも噂しているが……何にせよ何処の馬の骨とも知れぬ女を妻にした事が少なくない者達の顰蹙を買ってしまったのは事実だ。

 

 そして今一つの理由、それは………橘景季がその商売人としての狡猾さ、計算高さからは信じられなくなる程に自身の一人娘に対して余りにも駄々甘過ぎた事であった……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 師走の月のある昼頃、仕事の合間の時間を縫って商館から併設された橘家の和洋折衷の屋敷の廊下を一人の男が誰かを探しながら進む。

 

「佳世~何処かな?顔を見せておくれ~?パパが素敵な贈り物を持って来たぞ~?」

 

 髭面の中年の男がニコニコ顔で腰を曲げて、猫なで声でそんな事を言いながら屋敷中を彷徨き回る姿は正直な所ドン引きものであった。しかし、屋敷に勤める女中も、雑人も、男に対して誰も何も言えないし言わない。ただ顔をひきつらせるだけだ。下手な事を言って解雇されたくない。娘の事になるとこの優秀なキレ者商人の理性と知性は全く信用出来なかった。

 

 橘商会を一代で再興させた橘景季の、これが私人としての姿であった。その手にあるのは大陸様式の絵柄で彩られた絹布、着物なり何なりに使えば良く映えるだろう。懇意にしている大陸商人からの贈与品である。売ればこれだけで平民の家族が十年は食べていけよう逸品だ。

 

 しかしながら、普段から時間があれば理由もなく娘にあれもこれもと高級品や珍品を買っては贈る景季にとって、これは特段に特別な品という訳ではない。つい先週も彼は大粒の真珠を贅沢に使った首飾りを娘に贈っていたのだ。

 

「会長、そろそろ御時間です。近衛中将殿との商談が……」

「佳世~?何処に隠れているんだい?御願いだから姿を見せておくれ~!」

「あぁ、もう!この人はこれだから……!」

 

 手首に巻いた南蛮式ゼンマイ時計の針を一瞥した後、大陸人と扶桑国人の混血である秘書は頭を抱える。

 

 この会長は決して馬鹿でも無能でもないのだ。商人としては確かに優秀なのだ。ましてや出島の遊郭で客と遊女の子として雑用として働かされていた自分を雇い、色眼鏡で見ずに実力を見定め、今では帳簿の管理を任せる程に信用してくれている恩義のある大人物だ。それは分かる。分かるが………。

 

(とは言え限度があるだろうに………)

 

 はぁ、と何処までも疲れた溜め息を吐く秘書。他所の私財と店の金を混同する豪商達とは違い、ちゃんと私的な支払いは個人資産に限定してはいる。その辺りの分別はある人なのだ。……それでもやはり幼い娘がいきなり理由も話さず千両箱を一個丸々中身ごとおねだりして二つ返事で蔵から持って来させるのはどうなのだろうか?せめて用途くらい尋ねて欲しいのだが。

 

 ましてや彼が正に娘に贈ろうとしている三反分の絹布。何処ぞの大大名なり大臣なりの夫人やら娘やらにでも売り込めば最低でも百両以上の値はつくだろうそれを彼は微塵も思わず娘に贈ろうとしているのだ。これまで贈った分すら満足に使いきれていないというのに……親馬鹿にも程があるというものだ。

 

「むむむ、可笑しい。普段ならそろそろ出てきても良い筈なのに。一体何故だ?何かあの子が腹を立てるような事でもしたか……?」

 

 何時まで経ってもやって来ないし見つからない娘の姿に景季も流石に訝むように険しい表情を浮かべる。その表情は普段商談をしている時のように険しく引き締まっていた。つまりは、今の彼は大口の商談をしている時や他家の謀略への対処を考案している時と同じくらい集中して真剣に娘の行方を考え込んでいた。

 

 要は、完全に能力の無駄遣いであった。

 

「あら?女中が言うから来て見れば……貴方、これは一体何事ですか?」

 

 そこに廊下の奥から異国風の紋様が描かれた和服に身を包む夫人が姿を現す。蜂蜜色の髪に碧みがかった翡翠色の瞳が垂れ目がちに夫を見つめる。異国風の整った顔立ち……橘夫人の事、橘彩衣である。

 

 出自としては南蛮移民の二世であり、亡き両親こそ扶桑国外の生まれであるが彼女は扶桑国生まれの扶桑国暮らし、ましてや扶桑国以外の言葉も話せない存在であり、顔立ち以外は生粋の扶桑国人とは殆んど変わらないと言えた。その美貌から商会の看板娘として働いていた時は大人気で、幾人もの貴公子から側室や妾の誘いがあった事、それらを受け流して景季の求婚を二つ返事で受け入れた事は世間でも有名であった。

 

「あぁ、彩衣か!?佳世が何処にいるか知らないか?探しているんだが見つからなくてな………」

 

 挨拶代わりのハグを当然のようにした後、景季は心底心配そうに娘の行方が何処かを尋ねる。その言葉にうんうんと妻は頷いた後、ぱぁっと看板娘時代に多くの顧客達を魅了した笑みを浮かべて夫の疑問に答えた。

 

「安心して下さい、貴方。何も問題はありませんよ?………あの子なら少し御忍びデートしているだけですからね!」

 

 何の問題もないように宣った夫人の言葉に次の瞬間場の空気が凍った。何なら夫は硬直しながら手元の絹布をぼとりと力なく床に落としていた。……その表情は完全に感情を消し去っていた。場に流れる重苦し過ぎる沈黙。

 

 そして秘書は遠い目で嘆息し項垂れ、確信するのだ。「あぁ、今日一日これで潰れたな」、と………。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 そして、そんな光景に居合わせた屋敷の雑人の一人が、冷たい表情で静かにその場を立ち去り、自室に隠していた伝書鳩に伝言を括って放した姿を、誰も目にする事はなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 師走時にしては晴れ渡った空模様だった。冷え込みはするがそれも都の結界の内側であれば其ほどのものでもない。寧ろ程好く涼しくて外出日和とも言えよう。都に住まう民草にとっては良き天気である事だろう。そう、都の民草にとっては。

 

「憂鬱だ………」

 

 それが、この日の朝に目が覚めてからずっと俺が感じていた感情である。遂にこの日が来てしまったかと俺は逢見家の屋敷の端の縁側で項垂れる。

 

「しかし、旦那。そう悪い話でもねぇんでしょう?費用は全て彼方持ちだそうじゃねぇですかい?普段なら出来ない贅沢が出来る良い機会じゃねぇですかい?」

 

 そんな俺にそう訝るように語りかけるのはいつぞやの地下水道での案内役であった。

 

 名を孫六と言う、俺よりも何歳か年上のこの日焼けした痩せ気味の、しかし筋肉質な男はあの地下水道での一件以降、地下水道が立ち入り禁止になって職にあぶれていた所をゴリラ様が雑用として雇う事になり、今では家族と共に敷地の隅の掘っ立て小屋に住み込みながら働いている。身に着ける服装は当時と同じ木綿ではあるが、支度金が出たようで襤褸切れのような汚れまみれのお古から一応新品のそれに代わっている。

 

 ……この引き抜きは恐らくは俺の身体に関してが理由であろう。彼の立場からしてその発言が信用出来ないとしても一応の保険として手元に確保している、といった所か。というか今更ではあるが年上相手に旦那旦那言われても違和感しかないな。

 

「気楽に言ってくれるな。自由奔放お嬢様の護衛役だぞ?そんなの気を抜いてやれるか」

 

 先方からデ……宇右衛門に送られた達筆な手紙の内容は婉曲的で形式的で、長々としていたが九割方省略すればようは「御忍びで町遊びしたいので護衛一人貸してくれ」である。しかもこれまた事細かに条件設定しての実質俺の名指し指名である。加えて先日の地下水道の件での迷惑料も兼ねたレンタル費用に千両箱丸ごと投げつけて来られてはあの守銭奴の豚がノーを口にする筈もない。

 

「が、頑張って下さい伴部さん!」

 

 あわあわと、心配そうに、慰めるように白狐の半妖が宣う。

 

「ん、あぁ……それよりもお前さんこそ頑張れよ?何せ今日の姫様はカリカリしてるからな」

 

 宇右衛門も馬鹿ではなく、自分の玩具の無断使用に不機嫌になろうゴリラ様の対策はしていた。いつの間にかゴリラ様は朝廷の園遊会に出席する事になっていて、今更それを拒否する事も出来ずここ数日相当イライラしていた。俺の仕事と園遊会の日が同日なのも偶然ではあるまい。よりによって白はそんなゴリラ様の付き添いをする事になっていた。不運な事だ。八つ当たりされかねない。

 

(何もなければ良いがな………)

 

 ……原作ゲームの鬼月葵という人物は他者を束縛するのも、無理矢理従わせるのも、掌で弄ぶのも、物を独占するのも大好きで、その癖自身は他者に束縛されるのも、人に従うのも、掌で踊らされるのも、自身の物に少しでも手を出されるのも酷く嫌悪する性格だった。

 

 その性格の幾分かはその境遇から来るもので、しかし残る幾分かは恐らくは生来の気質に来るものだ。当然だ。彼女は天才で、名家の血筋で、聡明だ。故に周囲を極々自然に見下しているし、他者が馬鹿で愚かで詰まらなく見えているのだ。ましてやあの境遇では……。

 

(原作なら今頃流血沙汰だったかもな……)

 

 傲慢だからこそ他者の計略に陥れられる事が許せないし、周囲が詰まらないからこそそんな中で気に入った玩具には執着するし、必死に愛情を求めた相手に酷く裏切られたからこそ相手を思わず一方的で身勝手に、強引に愛して、束縛して、独占して、支配する。

 

 それは原作のゲームを見れば明らかだ。作中のゴリラ様は陰謀に対して傍若無人にかつ世間体を気にせず暴力で解決していたし、主人公に対して恋愛感情を抱いていない頃でも玩具に対しての面倒見は悪くはなかったし、何よりも主人公を愛するようになると彼の思いなぞ一つも考慮せず、信用せず、ただひたすらに彼が自身を裏切れないように捕らえて閉じ込めて、生殺与奪を握り、一方的な愛だけを押し付けた。

 

 そんな彼女が渋々と、イライラしながらも何らの実力行使に出ないというのはそれだけで奇跡に等しい。正直俺はいつ惨劇が起こるかびくびくしていた程だ。ゴリラ様も、意外と丸くなったものである。

 

「………」

「伴部さん?どうかしましたか……?」

「いや、……少し嫌な思いがあるかも知れないが気にするなよ?」

 

 原作ゲームと今現在ゴリラ様との違いに考え込んでいると白が首を傾げて尋ねるので俺は直ぐに意識を現実へと戻してからそう忠告する。流石に他所の白丁に何か仕出かす輩がいる可能性は低いが、半妖である事もあり一応注意喚起をしておく。

 

「は、はい。分かりました……」

 

 俺の勧告に緊張気味に白は表情を強ばらせてこくり、と頷いた。これは少し脅し過ぎたかな?

 

「ひゃっ!?や、止めてくだひゃい!ふにゅ………」

 

 俺は緊張感を解きほぐすのを兼ねて彼女の頭をワシャワシャと撫で回し、その狐耳で遊ぶ。むず痒いような、くすぐったいような表情で白は怒る。尤も、本気ではなくて、少し楽しそうではあるが。

 

「流石旦那。半妖の頭でそんな風に遊べるたぁ剛毅な事ですぜ?」

「そんな大層な事じゃないぞ……?白は虫も殺せないような善い子だよ」

 

 孫六の言葉に白とじゃれあいながら俺は答える。半分妖という事で彼は白を若干怖がっていた。まぁ、それ自体は仕方のない事ではあるが……少なくとも今の段階でのこの白狐は邪悪ではない。時間をかけてでも良いので彼にも慣れて欲しいものだと俺は思った。バッドエンドルート宜しく彼女を不必要に迫害して、虐げて、闇落ちさせてやる必要はない。只の半妖として人並みに幸せに生きてくれればと思う。

 

「………さて、そろそろふざけるのもここまでだな。御迎えだ」

 

 俺は白とじゃれていた手を止めて呟いた。屋敷の庭の向こう側、遠目から此方にやってくる逢見家の雑人の姿を見てそれを察したからだ。

 

 太陽の昇る位置からしてそろそろと思ってはいた。ぶっちゃけかなり不本意ではあるが……仕事なんて基本そんなものだ。労働は美徳であっても楽しいものではない。

 

「あぁ、そうだ。今の内に渡しておくぞ?ほれ、この前は済まなかったな。大事に食べろよ?」

 

 思い出したようにそう言うと、俺は懐から菓子袋を取り出すと白に手渡す。中にあるのは金柑の飴で、この前あの商会の御嬢様相手の言い訳の出汁に使った礼である。チョイスは冬なので風邪に備えてだ。

 

 ……因みに代金は今日の仕事のために宇右衛門に手渡された臨時収入からだ。千両も貰ったのに一両どころかその半分も俺の手元に来ないとかブラック企業かな?え?臨時収入あるだけ喜べ?やっぱり封建社会って糞だわ、革命起こさなきゃ(使命感)。

 

「って何馬鹿な事考えてるんだろうな、俺」

「はい……?」

「いや何、世の中金が全てだなって話さ」

 

 首を傾げる白狐と案内役に俺はそう言い捨てて、此方にやって来たお迎えの雑人に一礼すると共に歩き始める。まぁ、働かざる者食うべからずって事さね……。

 

 

 

 

 

「あ、伴部さん!今日はお日柄も良くて、外出に絶好の日ですね!」

 

 逢見家の屋敷の裏口で、いけしゃあしゃあと少女は宣った。目立たぬように紋章もない牛車、そこから降りた橘佳世は雑人に呼ばれて顔を出した俺に対してにこりとあざとい笑みを浮かべる。

 

 御忍びで都を練り歩く彼女の姿は、所謂垂衣姿と呼ばれる出で立ちであった。

 

 市女笠を被り、そこに縫われた白い垂衣が少女の印象的で特徴的な風貌を白地の下に薄く隠していた。冬の寒さから首元を守るようにマフラーのような懸け帯が巻かれていて緑を基調とした和装に身を包む。靴は舶来品を取り扱う商会の娘らしく草履ではなくて毛皮のブーツだった。一見すれば着飾ったそこそこ裕福な家の町娘と言った所か。全く、とまでは行かぬが少なくとも堂々と橘紋の牛車に乗って市場に繰り出すのに比べれば百倍マシな姿であろう。何よりも……悔しいが良く似合う。

 

「はい。そのようですね」

 

 取り敢えず当たり障りのない返答をするオレである。するとむぅ、と栗鼠のように頬を膨らませて商家の御嬢様は拗ねる。

 

「そこは良くお似合いですね佳世って言うのが正解ですよ!何なら顔を赤くしたり嘆息しながら言えば完璧です!」

「良くお似合いで御座いますよ、佳世様」

「もっと感情を込めて下さいよ!」

 

 むー、と非難の眼差しを向ける佳世。そしてそのまま俺の出で立ちを見て一層不満げな表情を見せる。

 

「その姿は何ですか?折角の私との二人っきりのデートなのに風情も趣もありませんよ?」

「私用ですので。後デートではなく物見でしょう」

 

 そして俺の役目は公式にはお目付役兼護衛兼荷運びだ。

 

 そして護衛役という表向きの役割のある俺の出で立ちは実に目立たぬように工夫されたものだった。笠を被っているのは当然として認識阻害の外套で顔立ちや声が欺瞞されていた。印象に残りにくくする事で仮に佳世の身分がバレたとしても俺が何処の誰なのかが分からないようになっている。まぁ、下人相手にさっきから馴れ馴れしい口調で話しかける彼女への配慮だ。

 

 尚、彼女は二人っきりと宣ったが実際はそんな馬鹿げた事もない。下人風情と二人きりなぞ論外だ。実際は宇右衛門が隠行衆を監視に放っているし、恐らく彼方さんからも遠目から尾行している護衛がいる事であろう。何かあれば大問題なのだから俺一人に全てを任せるなんて有り得ない。事実俺は『自身で要請した』ものとは別にうっすらと、本当にうっすらとだが視線を感じていた。意識してなければ気づけない程のものではあるが………。

 

「序でに言いますと御嬢様のお名前は柚ですし、自分の呼び名は権兵衛ですのでお忘れなきよう」

 

 この世界では名前は重要な意味を持つ。そして階級社会である。有力者とその子弟の名を下下の者らは重ならないように避けるし、逆に親しき者はそれに肖る。

 

 当然ながら都において佳世の名前を持つ少女は限りなく少なく、ましてや御嬢様等と口にする訳にはいかない。「柚」、それが今日限りのこの御嬢様の名前だ。

 

「権兵衛って適当過ぎませんか?名無しの権兵衛から取りましたよね、そのお名前?」

「ですが一般的で可笑しくない名前ですので。印象にも残りません」

 

 英語圏でのジョン・ドゥや独語圏ハンス・シュミットと同じように何処にでもいるありきたりな名前として名無しの権兵衛という言い方が前世の日本であったし、それはこの世界でも同一である。

 

「ですけれど余りに味気無さすぎですよ……」

 

 不満を隠す気もなく呟く佳世である。そんな事言われてもねぇ、文句ならデ……宇右衛門らにでも言って欲しい。俺は命令に従うだけで、細々とした計画を立てたのは彼らだ。

 

(とは言え、このままだと何時まで経っても拗ねるだろうしな……)

 

 小さく嘆息する俺の脳裏に過るのは千両箱の中の小判を数えながら俺に命令していた宇右衛門の姿である。この御嬢様に傷一つ付けずに御忍びでの物見を最大限お楽しみ願うのが俺に課せられた仕事だ。当然ながらあからさまに不満げな態度をされたら俺が困る。後々監視役から報告も受けるだろうしな。

 

 だからこそ、ご機嫌取りのためにこんな接待も必要となる。

 

「御嬢様。いえ、柚。失礼を」

 

 極自然に監視役から陰になるだろう場所に移動した後、俺は恭しく膝をついて次いで海の向こうの騎士のように彼女の白く細い腕を手袋越しに掴んだ。

 

「えっ……?」

 

 非礼と言われても言い逃れ出来ないその行動を、流石に想定していなかったようでびくっと佳世は驚いて、若干呆けた表情で此方を見つめる。

 

 普段ならば下手すれば打ち首とは言わずとも鞭打ち位なら有り得た暴挙……幸い今回の仕事が仕事なので手に触れる程度であれば許されていた。前日に入念に手入れと洗浄……いや、消毒させられたけど。手袋していてもそこまでするか。

 

「御要望を全て受け入れるのは難しい事お許し下さいませ。代わりに今日は最大限お楽しみ頂けるように可能な限りの歓待はさせて貰います。どうぞ御容赦を」

 

 態と演技がかったような態度で彼女の手の甲に顔を近づける。……流石に口付けまではしないがね。

 

 何はともあれ彼女は俺を(玩具として)気に入っており、そして同時に設定集や短編SSでの彼女が恋愛小説や舶来の騎士道物語が好物なのも知っていた。ならばこのように半分道化染みているとは言え彼女の好みのやり方で嘆願すれば恐らくは……そして幸いな事にその読みは正解であった。

 

「……むぅ、約束ですからね?」

「はい、お誓い致しましょう」

 

 暫しの沈黙の後、渋々と、しかし若干楽しそうに、浮わついた声で御嬢様は答えた。一応平静を装っているが多分内心は子供らしく興奮していると思う。余り好感度を上げるのも良くないのだが、仕方無い。兎も角も、機嫌を直してくれて一安心であった。

 

「それはそうとその外套も似合いませんね?その被り物だけでもお脱ぎになったらどうでしょう?」

「いえ、結構です」

 

 取り敢えず、あからさまにかつ自然な所作で口より先に手が伸びて来ていたので、俺はさっと彼女のその腕を擦り抜けるように回避したのであった………。

 

 

 

 

 

 

「行くみたいだな」

「追うぞ……」

 

 遠目に二つの人影を確認した男二人がそう話し合い歩み始める。

 

『隠行衆』は『下人衆』とは違い思想面での洗脳、あるいは衆愚化なぞされていない存在だ。それどころか血筋の面でも貧民や奴卑の類いが大多数を占める下人共とは違う。

 

 工作や偵察、調査、尾行、暗殺……流動的な状況でそれらを果たす『隠行衆』は孤立した、あるいは連絡の出来ぬ状態で個個人に高度に柔軟な思考と臨機応変な能力を求められる。

 

 故に思想教育なぞ行われず、また比較的霊力が高い使い捨てするには惜しい者を、また出自も中流以上の自作農や一族の傍流の傍流の分家から提供される事が多い。あるいは退魔士の家の中には一族の者が其処らの農村の娘や奴卑の間に作ったような隠し子を放り込んでいる例もあるという。

 

 何にせよ、『隠行衆』は『下人衆』とは能力も、その資産価値も、ましてや待遇も大きく違う。彼らは使い捨て出来る程安い存在ではない。故に『隠行衆』の多くの構成員は『下人衆』を軽蔑している。にも拘わらず……。

 

「監視役は良いが、まさか下人の補助なぞとはな……」

 

 都の平民としては一般的な出で立ちに隠行術で気配を隠す隠行衆、その片方が小さく舌打ちする。監視役は分かる、しかしまさかこんな事になろうとは……!!

 

「全く、厚かましいものよ。葵姫様もそうであるがどうやって取り入ったのだかな」

 

 今一人もその言葉に同調する。詳しい話なぞ知らぬ。下人衆も隠行衆も情報を統制されている点は同じだ。

 

 しかしながら常識的に考えれば殊更特別な技能もなき無才の下人を鬼月家の本家直系にして次期当主候補の鬼月の葵姫が直属の家臣として手放す事を嫌がるなぞ有り得ぬし、ましてやどういう過程を経たのか知らぬが豪商の娘の護衛として引き立てられるのも有り得ぬ事だ。となれば下人の身でありながら畏れ多くも自身を売り込んだと思うのが余りに常識的な予想であった。

 

 たかが下人の分際で出過ぎた事を……隠行衆が嫌悪感を抱くのは当然であり、そんな不穏分子を野放しにする主家の判断に不満と不安を抱くのもまたこの身分と血筋と出自が全ての扶桑国の人間として普通の思考であった。無論、それはそれとしてプロとしての仕事は全力で行う積もりではあったが。

 

「予定通り庶民共の街区に進んでいるな。……街角を曲がった。我々も行こう」

 

 隠行衆の片方がそういって相方を急かして早歩きで進み始める。しかし………。

 

「どうした?返事がないが………」

 

 相方の反応が無い事を訝しんで視線を背後に向ける隠行衆の男。しかしながらそこにはいる筈の同僚は影も形もなかった。

 

「っ……!?」

 

 咄嗟に土壁を背にして男は懐から短刀を引き抜く。周辺警戒を強化するために簡易式神の展開準備に入り、視線は周囲を見渡し、五感はあらゆる気配を探る。流石は鬼月の隠行衆と言える。混乱する事もなく一瞬の内にここまで行動に移せたのは称賛に値する。

 

 だが………所詮はそこまでだ。

 

「がっ………!?」

 

 男は小さな悲鳴を上げる。正確には彼は周囲に異常を知らせるために大声を上げた積もりであった。しかしそれは叶わない。喉の奥から吐き出した息はヒューヒューと切り裂かれた喉の傷口から吹き出すばかりだ。

 

「恨みはないが仕事でね。己の運の悪さを呪ってくれよ?」

 

 耳元で囁くように響く声。男はこの瞬間自身が背後から拘束されて喉元に何かを突き刺されたのだと理解した。しかし、背後は土壁だった筈なのに………?

 

「あっ……ぐ…………」

 

 遠退く意識の中で男はどうにかして事態を報告しようと考えを巡らせるが、既に痛みと出血と酸素不足により思考を纏める猶予もなかった。

 

 尤も、簡易式を送る事を思い付いても無意味ではあった。彼が気付くことはなかったが隠行衆の両手は既に手首から切断されていたし、そうでなくても下手人の腕にかかれば簡易式の一つや二つ報告前に無力化されていたであろう。

 

 ……どちらにしろ、全ては手遅れだ。隠行衆の男は白目を剥いてだらり、とその手を下げた。絶命だ。

 

「…………」

 

 影はズズズ、と手元に抱く隠行衆の亡骸と共に土壁の中へと沈んでいく。影と隠行衆が土壁の中に消えていった後、そこに残るのは地面に落ちた数滴の赤い血の跡だけであった………。


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