和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第五八話 足下が御留守!

 俺は駆けていた。暗闇で足場の悪い洞窟内をひたすらに疾走していた。転ける危険なぞ考慮しない。そんな暇なぞ全くなかったからだ。俺は背後から追って来る無数の怪物共から逃げていた。命懸けの追いかけっこだ。

 

「糞、こりゃあ流石に勾玉は返して貰うべきだったか……!?」

 

 蓮華家の少女に渡したままにしていた勾玉の事を思い出してから俺は今更ながらに後悔する。良く考えたら狐璃白綺(INゴリラ様)が側にいるのならば別に翡翠を返してもらっても問題なかったかも知れない。本当に今更であるが。

 

 化物共の巣窟を奥へ奥へと進む俺は物陰に隠れるとぜいぜいと息を切らしながら追っ手を撒けたかを確かめるために背後を見やる。何度も欺瞞や隠行したお陰だろうか?背後から迫り来る気配は感じられない。

 

「やったか……?あ、待て。今のフラグ………」

 

 自身の失態に気付いてそう言い切るよりも早くにすぐ傍の横路より此方の進路を遮るようにして大蜘蛛の巨躰がエントリーしてきた。多分つい先程まで俺を背後から追いかけていた奴である。

 

「ははは、頭が回るな。先回りかよ……?」

 

 俺が吐き捨てるようにそう言うが早いか、赤く怪しく輝く幾つもの目で蜘蛛は此方を睨み付ける。同時に吐き出されるのは針金のような糸のシャワー。いや、実際それは空気に触れると共に瞬間的に鋼鉄のような硬度を得る特殊な糸で、もし正面から浴びればあっという間に全身串刺しになって人間雲丹になるような凶悪な代物であった。

 

「ちぃ……!?」

 

 俺は糸のシャワーをギリギリで身を翻して避け切ると、そのまま一気にスライディングするように足と足の隙間から身を通り抜けさせる。そしてその勢いで正面に現れた子蜘蛛を二体短刀で切り伏せると、脇目も振らずに再度疾走する。

 

 洞窟を奥に進むにつれて、立ち塞がる怪物の数は明らかに、そして加速度的に増加していた。上層部に相当数の戦力を割かれている筈なのにこの陣容……一体どれだけ前から戦力を集めていたのか、相も変わらず妖というものは考えが遠大なものである。

 

『っ……!?下人、止まりなさい!!』

「うおっ!?ここもワイヤートラップかよっ……!!」

 

 耳元での静止の声に俺は寸前で足を止める。目の前には僅かにきらりと輝く限りなくか細い糸が丁度首元に通るようにして張られていた。このまま突っ込んだら首と胴体が泣き別れする事になっていた。

 

『チチチッ!!』

「っ!?危ねぇ!」

 

 事前に伏兵として潜んでいたのだろう、足を止めた直後に天井から飛び込んで来る大型犬並みの躰の蜘蛛をそのままワイヤートラップの方向に横殴りしてぶっ飛ばす。

 

『チッ………』

 

 首元狙いのワイヤートラップに衝突した瞬間に身体を半分に切断された蜘蛛は、更にその先にも張られていた幾つもの糸に次々と当たっては切断されていき、十歩先の地面に衝突した頃には二十前後のサイコロステーキと化していた。

 

『チッチッチッ!!』

『チチチ………』

「糞、団体様でお出でなすったな」

 

 背後は無論、彼方此方の抜け穴から俺を囲むようにして次々と現れる蜘蛛妖怪共の群れ。顎を鳴らして威嚇する。

 

『罠で足を止めた所を囲む訳ですね。他の罠もそうですが下等生物にしては良く知恵が回るものですね』

「評価している場合かよ。この数と戦うのは無理だぞ?何処か通れそうな隙間はあるか?」

 

 現れる蜘蛛の中には大妖並みの格のものすら数体見受けられた。全体では下手すれば三桁に届くのではないだろうかという蜘蛛の群れ、どう考えても俺一人には荷が重過ぎる。  

 

『……残念ながらこれまでのものとは違って隙間は無さそうですね。あぁ、成る程。これまでの隙間はここで仕留めるための囮という訳でしたか』

「入るのは簡単でも抜けるのは難しいって訳か?魚や獣用の罠では定番だが………俺は獲物かよ」

 

 尤も、下人衆なら兎も角退魔士ならばごり押しで罠を抉じ開けそうではあるが……って!?

 

「くっ!?」

 

 飛び込んで来た人間大の蜘蛛に俺は組伏せられる。糸が彼方此方に張られているせいで回避も後退も出来なかった。そのまま倒れた俺は俺の顔面を食い千切ろうとする蜘蛛と取っ組み合いとなった。ちぃ、爪が痛い!涎垂らして来るな、汚いだろが……!!

 

『気をつけて下さい。残りも来ますよ』

 

 蜂鳥がそういうが早いか、ちらりと覗けば周囲を囲む蜘蛛共が一斉に俺に群がってくる。十数える頃には全身を奴らの顎で食い潰されてしまうだろう。正直言って絶体絶命なのだが………。

 

「ちぃ、ここで死ぬつもりはねぇからな……!!」

 

 俺に圧し掛かり鋭い牙を剥き出しにしながら口付けしようとして来る蜘蛛の顔面を片手で押さえつけながら俺は吐き捨てる。吐き捨てながら俺は短刀を投擲した。………真上に向かって。

 

『下人、一体何を………』

「衝撃に注意!!」

 

 牡丹が武器を敵のいない明後日の方向に投げるという愚かな行動をした事を非難するより早く、俺は警告の言葉を叫んだ。同時に乗り掛かり襲ってくる蜘蛛をそのまま抱き抱える。

 

 次の瞬間、俺に飛びかかって来ようとする無数の蜘蛛の隙間を縫って投擲された短刀はその鋭い刃でワイヤートラップ化した蜘蛛糸の一つを切断した。……そして一瞬後には激しい衝撃と爆風の奔流が周囲を襲った。

 

『キッ!?』

『キキッ………』

 

 洞窟の両側の壁や岩が爆発した事に驚く暇は蜘蛛共にはなかった。何故ならば爆発が彼方此方に張られていた幾つもの糸を連鎖的に切断して、それが更に起爆剤となって洞窟内全体を爆発と四散する瓦礫によって殺戮の舞台に変えたからだ。殺戮されるのは当然ながら蜘蛛である。

 

 凡そ百数える間続いた連鎖爆発の後には、長く続く洞窟内は其処ら中ただただ瓦礫で引き裂かれて爆風で焼け爛れた蜘蛛妖怪共の死骸で埋め尽くされていた。嵐の後のような異様な静寂が暫し洞窟内を満たして……。

 

「……よし、上手く纏めて殺れたみたいだな」

 

 無数の蜘蛛妖怪の死骸の山の中から俺は起き上がると、抱き枕兼肉壁にしたそれの死体を放り捨てて呟いた。

 

 罠にかかって足を止め、前進も後退も出来ずに妖に囲まれた俺の選んだ手段はある意味簡単で逆転の発想であった。即ち、妖共自体を罠の盾にしたのである。

 

 やり方は簡単、蜘蛛共が俺を食い殺すために一斉に襲いかかった所で敢えて糸を切断して爆裂呪術を発動させる。

 

 爆裂呪術自体は元より一つが起爆すればその衝撃と被害で周囲の同様の罠も更に発動していく仕様であり、元来は罠にかかった個人の確実な殺害ないし敵集団を確実に殲滅するために作られたのであろうが………逆に群がる蜘蛛共はその罠によって文字通りに全滅する事になった訳である。

 

『呆れましたね。化物共を肉壁にする案は考えましたが、一歩間違えれば貪り食われるか挽き肉になっていましたよ?それに崩落の危険性は考えなかったので?』

 

 うんしょうんしょ、と蜘蛛共の死骸の山の隙間から這い出て来ながら蜂鳥は不機嫌そうに宣う。俺のやった行為の危険性を指摘しての事だ。

 

「少なくとも崩落の危険性はないですよ。話が本当ならば討伐隊を奥まで引き込むつもりなのでしょう?だったら崩落させてそれ以上進めなくするような事はしない筈ですよ」

 

 肩に引っ掛かる蜘蛛足を投げ捨てて俺は答える。これだけ狡猾な罠を幾つも仕掛けているくらいだ。それくらいの計算はしている……筈だと思う。思いたい。いや、今更ながら確かに賭けみたいな判断だったな………。

 

「さて、短刀は……よし、ここか。分かっていたが頑丈だな。傷一つありやしねぇ」

 

 死骸の山からその気配を感じ取って探り当てると先程投擲した短刀を見出だす。安物の刀なら逆に切断されかねないような糸でも刃毀れ一つなく、ましてや先程の爆発の嵐でも何処も傷んでいないとは………流石ゴリラ様謹製の短刀であった。

 

『時間がありません、先に進みますよ』

「あぁ。……待って下さい。どうせです。何か使えるかも知れません………」

 

 先へと急かす蜂鳥に、しかし俺は少しだけ地面に跪くとそれに手を伸ばす。俺の視線の先にあったのは何処までも細く、そして限りなく透明な……………。

 

「っ!!?」

「おっと、危ねぇ!?」

 

 その一瞬の気配を感じ取り短刀を振りかざす。同時に上がる声は、しかし何処かふてぶてしさも感じられた。半歩下がって短刀の間合いから離れる女、いや化物。

 

「おいおい、いきなり人の目の前に刀を振り向けるなんざ怖いなぁ?もう少し穏やかに挨拶は出来ないのかい?」

「お前鬼だろ」

「あ、そうだった」

 

 がはは、と何が面白いのだか口を大きく開いて大笑いする碧鬼。そんな鬼の態度に僅かにげんなりするものの、警戒は怠らない。いや、怠れない。

 

(本気になられたら十秒も持たないからな………)

 

 次の瞬間には何が起きたのかも分からぬ内に殴打でシミになっていても可笑しくないのだ。自身を簡単に殺せるような相手にどうして安心出来よう?

 

「ふふ、そんな熱い目で見るなよ、恥ずかしくなるじゃないか?」

「乙女かよ。……何用だ?こちとら暇じゃねぇんだよ」

「おっと、それは失礼。俺も御気に入りの活躍の邪魔はする気はないさ。ほらよっと」

 

 そう嘯いて鬼はひょいっと何かを投げつける。それを咄嗟に受け止めるがこれは………。

 

「槍?」

 

 それは槍であった。それも見覚えのある槍である。

 

「これは、確かモグリのせいで………」

「綺麗なお姉さんが落とし物を拾って上げたんだぞ?誉めてくれないのかい?」

 

 一瞬の内に正面から耳元まで肉薄していた鬼に俺は再度短刀を振るう。おっと!と鬼は慌てて後ろに跳び跳ねる。しかも何故か空中をバク転してである。完全に遊んでいた。

 

「ははは、からかい過ぎたかい?そう照れなくても良いだろうにさぁ。全くうぶなんだからよ」

「おい、この槍変な呪いでも掛かってたりしねぇだろうな?」

 

 けらけらと笑う鬼に対して俺は問いかける。鬼という存在の性格の悪さを思えば有り得る話であった。人を騙して嘘をつき、貶め、陥れるのがこいつらである。

 

「いやいや、そこは信用して欲しいなぁ。別に害のある呪いなんか掛けてないさ。安心して使ってくれよ?」

「使わなかったら?」

「泣いて怒る」

「気狂いめ………!!」

 

 俺はあからさまに軽蔑の眼差しを鬼に向けた。何処まで本気かは知らないが、こいつが勝手しないためにはこの疑惑しかない槍を使わざるを得なくなったのだから。橘商会経由で入手した時にはそれなりに高品質な槍である事に喜んだが今では完全に爆弾である。おい、本当に何も呪いなんか掛けていないだろうな………?

 

「まぁ、単なる梃入れ兼差し入れって所さ。感謝してくれて良いよ?」

「誰がするか」

 

 俺の冷たさしかない返答に鬼はニヤニヤと、やっぱり嘘臭さしかない笑みで返した。そしてそのままいつの間にか鬼の姿はゆっくりと消えていく。さてさて隠行でも使ったのかそれとも幻術かそれ以外の方法か。ただ分かる事はと言えば………。

 

「糞、やっぱり疫病神だな。また沢山お出でなすった」

 

 恐らくは鬼の気配に引き寄せられたのであろう、洞窟の奥から多数の子蜘蛛の群れが近付いていた。

 

『横道を見つけました。行きましょう。あの数相手にこの空間では戦い切れませんよ』

 

 耳元で淡々と響く蜂鳥の声。俺は鬼のやらかしに舌打ちすると踵を返してその誘導に従うのだった………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『グオオオオオオォォォォ!!!!』

 

 洞窟内に咆哮が響き渡る。虎とも狼とも狸とも言い難い奇妙で、それでいて醜悪な獣の咆哮であった。同時に吐き出されるのは濃厚な毒の息、洞窟内のような密閉空間においてはそれは余りにも凶悪過ぎた。

 

「っ……!?皆さん、下がって下さい!!」

 

 下人衆の前に出た鬼月綾香は神木で作られた弓を構える。

 

 矢玉はない。しかし構わない。次の瞬間には手元が発光して光の矢が生成されていたからだ。

 

 空を切る音と共に放たれたそれは霊力の塊である。温かい光と共に射られたそれは一瞬後には洞窟内に広がろうとする毒気をその根源である妖気を霊力で打ち消して、中和する。

 

「ぐっ……!?はぁ……はぁ…………」

「綾香様、危険です!お引き下さい……!!」

「駄目です!まだ、まだ私は引けません……!!」

 

 同じく殿を引き受ける下人班長の意見を、しかし綾香は額に汗を流して息切れし、苦しそうな表情を浮かべるが否定する。

 

 繭から、あるいは人質から生まれ出た河童共は原因こそ分からぬもののその大半が文字通り塵殺された。しかしながら最大の難敵は未だ目の前で健在であった。

 

 凶妖虎狼狸……その存在は下人衆ではほぼ対抗不可能であった。弓矢は無論、投げ槍も投石も、炮烙玉ですら目の前の怪物の硬い皮膚を貫く事は叶わなかった。接近戦に至っては自殺行為に他ならない。

 

 攻撃手段はほぼなく、下人衆はひたすら後退する事しか出来なかった。そこに狙っていたかのようにこれまで使わずに温存していた隠し通路より新手の蜘蛛共が現れる。それ自体は通路の大きさの問題もあって精々が小妖程度の格しかないものの、迫り来る凶妖の事を思えば厄介この上ない。

 

 そして綾香はそんな凶妖の足止めを買って出ていた。彼女自身も攻撃手段はかなり限られてしまっているが、その毒息を霊気で構成した矢で無理矢理対消滅させるだけでも下人衆達にとっては大きな助けであったのだ。彼女が殿にいなければ疾うの昔に下人衆は壊滅的な打撃を受けていた事であろう。

 

 確かに綾香の存在は大きい。大きいが……決定打にはならない。

 

 一体何度霊気の矢を射たであろうか?綾香の内にある霊力も、既にかなりの量を消耗していた。しかし退く事は許されない。それは下人衆らに大きな犠牲を支払わせる事になるのだから。

 

 尚、綾香も下人衆もこの時点で白狐の半妖の少女が忽然と所在不明になっている事に気付いていない。それだけ今の状況が混乱し、混沌としている証左であると言えよう。

 

「はぁ……はぁ………罠に嵌まったのは、私の落ち度ですから。はぁ……自分の尻拭いくらいはしませんと。ここで逃げるなんて許せません!!」

 

 息切れしながらも綾香は言葉を紡ぐ。その内容だけでも彼女の生真面目さと善良性が窺い知れた。それは一個人としては美徳というべきものであった。

 

 尤も、だからと言って絶望への傾斜を増しつつある現実は変わらないのだが。

 

『グオオオオオオオオォォォォォ!!!』

 

 虎狼狸もまた、眼前の退魔士が疲弊している事に勘づいたようで最後の駄目押しに入る。風船のように膨らむ腹の内で妖気を強力な毒気に変換し、更にそれを濃縮させる。そして次の瞬間にはその頭を四つに裂いてこれまでにない濃厚な毒の息を吐き出した。

 

 虎狼狸もまた自身が退魔士共の最優先排除対象と定められている事を知っていた。故に眼前の退魔士と有力な下人衆を援軍が来る前に殲滅したかった。……つまりは、この毒息は確実に彼ら彼女らを始末するための切り札であった。

 

「っ……!?不味い!!離れて!!」

 

 傍らにいた同じ殿の下人達にそう叫ぶと共に急いで綾香は光輝く矢を生成すると放つ。しかし、光弾は毒息の一部を浄化するが、直ぐにその光は呑み込まれ、押し流される。

 

「くっ、まだ……!!」

 

 そのまま身体の内に残る霊力を振り絞るようにして二弾、三弾の光弾を生成して射る。だが、それでも足りない。

 

「嘘でしょ……!?」

 

 綾香は思わず呟く。毒息が眼前を埋め尽くす程に押し流れてくる。この毒息はこれまでのものとは違い、殺傷力よりも、寧ろ対霊力に対する中和力を重視していた。即ち、綾香の矢を無力化するために虎狼狸がその腹の中で生成した特性の毒であったのだ。無論、殺傷力を抑えたとは言え洞窟内の人間を殺害するには十分な威力である。

 

「不味い、来た……!!」

「綾香様、お引き下さい……!!」

 

 同じく殿として支援していた傍らの下人達も慌てて後ろを向いて駆け出し始めるが……綾香にはそれが無駄である事を理解してしまっていた。十も数えぬ内に毒息が彼ら、彼女らを呑み込みその命を刈り取るであろう。

 

 そう、このままであれば。

 

「まぁ、それを許してやる義理はないのだけどな?」

 

 次の瞬間、津波のように広がる業火が一瞬の内に毒気を呑み込み、焼き払った。一瞬唖然とする綾香、しかし直ぐに我に返ったように背後を振り向く。目の前の霊術を放ったであろう相手を見る。

 

「たく、お守りに来たらこれだからなぁ。綾香、お前も大概世渡りが下手だな?無理せずに逃げりゃいいだろうによ」

 

 声の主は肩に刀を乗せて暗闇から現れる。対面する凶妖は唸り声を上げる。新手の退魔士が、先程まで戦っていた女よりも格上であると認識したためだ。  

 

「貴方様は………」

「おうおう、意外と奥まで進んでるようじゃねぇか。ご苦労さん。まぁ、後は任せろよ。後ろの雑魚は始末しといたからよ」

 

 援軍の正体に驚く下人に対して、彼は軽口でそう命じる。命じながらニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。背後を見れば下人衆らの退路を遮ろうとしていた蜘蛛妖怪共はその全てが切り伏せられ、その骸を晒していた。

 

「さて、さっさと終わらせるぞ。……婆さんが奥で喰われねぇ内にな?」

 

 くるりくるりと刀を回して弄びながら退魔士、鬼月刀弥はそう嘯いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

「さて、見つけたのは良いが…………予想してなかった訳ではないが面倒だな」

 

 洞窟の一角、警戒すべき方向を限定する意味合いから岩肌の壁際に背を向けて、凭れる姿勢を取りながら、俺は片目を掌で覆って呟いた。当然ながらそれは格好つけでしているのではない。

 

 式神との視界共有………そして視界を繋いでいる先は目的の場所に先行させていた式神である。

 

「ちっ、やはりか………いや、生きているだけ幸運なのか?幸運なんだろうなぁ」

 

 巣穴の最奥に潜入して岩影に隠れる鼠の式神、その視界を通じて確認した光景に俺は舌打ちした。

 

 壁際には見るからに瀕死の隠行衆が蜘蛛糸で張り付けにされている。そこから五十歩程歩いた先にあるのは巨大な翡翠の柱………式神越しでも吐き気がしそうな程に濃厚な霊気が感じ取れる。その傍らにはロボトミー手術でもされたのかと言わんばかりに廃人化した男が跪いている。後頭部は削られていて何か配線のようなものが幾つも伸びて翡翠の柱に連結していた。

 

 ………恐らくはあれが起爆剤であろう。残念ながらあれは駄目だな。抵抗されぬように思考出来ないようにするために物理的に大脳を抉られて術式で無理矢理生かされている。何とも悪趣味な………。

 

「あれはもう贔屓目に見ても最早生命活動しているだけの肉の塊だな。いっそ殺してやる方が慈悲、か……」

 

 同時に思い出すのは救妖衆のある幹部の事だ。朝廷に潜伏し、霊術にも造詣が深いあの化物が此度の一件に関わっている可能性があった。………出来れば鉢合わせしたくねぇな。下手に知恵が回るマッドのお陰で俺の身体に興味を示しかねん。

 

「さて、後は……糞、ここからだと御意見番は何処か分からんな。にしても、なんだあのチンチクリンは?」

 

 式神から見える周囲を一瞥した後、俺は岩の一つに乗り掛かり足組みしているその存在に注目して目を細める。

 

 華奢で色白で、瑞々しくて弾力のありそうな肌、幼く見えるその姿は子供に見えた。十に達しているかどうかという頃合いの何処かその顔立ちに既視感を覚える少女。

 

 尤も、ただの少女がこんな場所にいる筈もなし、ましてやその身にただ一つ纏う神気を放った純白の布地を見れば警戒感以外感じ取るなぞ不可能であろう。式神越しからでも、初めての目撃であろうとも分かる。奴が土蜘蛛だ。間違いない。なんとまぁ、原作その他の媒体では大蜘蛛の姿しか描写されなかったが……人間の姿にもなれたのか。

 

 ……というかマジで布地一枚だけなのか。結構、いやかなり際どい格好だな。丈足りなくて少し足ズラしたら色々と見えそうだぞ。

 

「まぁ、この世界は外見で判断出来ない奴ばかりだけれども………さてさて、どうしたものか、なっ!?」

 

 恐怖を誤魔化す意味合いもあって軽口を叩いた次の瞬間、式神越しに俺は少女と目があった。そして俺がそれに気付いた時には少女は既に妖艶で蠱惑的に、そして冷酷な表情を浮かべていて……一秒後には式神から送られる映像が真っ黒になって途切れる。

 

「不味い………」

 

 咄嗟にその場から跳躍で離れたのは最善の判断であった。 

 

 一瞬後、俺が先程までいた壁際は吹き飛んでいた。無数の礫が周囲を襲い、粉塵が視界を阻む。

 

「っ………!?位置特定するの早すぎるだろ!!?」

「余所見とは余裕があるなぁ、猿?」

「!!?」

 

 空中を跳んだままの状態で先程までの自身のいた場所の惨状を舌打ちしていると真上から声。咄嗟に上方を向けば背中からアシダカグモのそれを思わせるグロテスクな蜘蛛足を生やした少女が此方を見下ろしていた。黄金色の瞳を細めてにやりと嗤う化物。そのままくるりと回転しながら細く白い人間の足で踵落としを仕掛けて来る。当然ながら直撃したら身体の半分を失って即死する事になるだろう。

 

 故に………。

 

「ちぃ!?」

 

 振るわれる踵落としを、俺は槍の柄でその勢いを受け流す事で回避した。より正確に言えばそのまま衝撃波を槍で受け止めつつ円心運動と梃の原理でもって身体を敢えて吹き飛ばす。それによって急加速を得て少女が背中に生やした蜘蛛足による追撃も切り抜ける。

 

 そしてそのまま槍の柄を立たせて迫り来る岩肌の天井に身体を叩きつけられる事を阻止、重力に従って地面に着地する。無論、地面に着地する寸前にこれまた槍で勢いを殺して、であるが。自由落下だと足が折れかねない。

 

「ほう、今回はまた随分と曲芸の巧い猿だなぁ、ん?お前は………」

 

 背中から生える八本の蜘蛛足で地面を支え、ブラブラと傀儡人形のように仮初めの身体を宙に揺らしながら進む化物は、しかし改めて俺の姿を見ると目を細める。

 

「む?これは……もしや貴様、碧鬼らが言っていた件の奴か?」

「あ……?」

 

 俺の顔を確認するとともに何処か不機嫌そうに土蜘蛛は顔をしかめて小さな掌を口元に当てる。一方、俺の方はと言えばこれから凄惨な殺し合いが始まろうかと腹を括った矢先のこの想定外の反応に何を言われているのか良く分からずに思わず首を傾げていた。

 

「面倒な、選りに選ってこいつが……しかし殺す訳には……いや、待て。貴様、その槍を良く見せろ」

 

 ぶつくさと独り言を呟いていた土蜘蛛は、しかし俺が構える槍を見つめると気付いたように尊大にそう命じる。俺はと言えば此方から攻めいる隙もなく、当然逃げる隙もなくその場から動く事も出来なかった。

 

 結果として蜘蛛は自身で命じたように俺が構える槍を存分に鑑賞する事が出来た訳であるが………。

 

「ほぅ、その槍はあの鬼が…………」

「……?何をいっている?」

 

 槍を良く観察して、ふと蜘蛛は愉快げに顔を綻ばせる。本人は兎も角、それを見る側からすれば余り嬉しくない笑みであった。何処か……いや、明らかに嫌な予感しかしなかった。そして、その予感は的中する。

 

「いやなに、貴様に手を出すなと言っていた鬼がいてだな。さて、貴様をどうしたものか手足をもぐ程度で我慢しようかと思ったのだが……」

「……だが?」

「その槍から鬼の臭いがしておるでな。鬼が挑発する際に醸し出す臭いよ」

「………」

「だから前言撤回するって事よ」

「つまり?」

「うむ。故に私ももう容赦する必要はあるまいて。覚悟するが良い、猿めが」

「………いや、それフェロモンかよ!!?」

 

 次の瞬間には俺は半分汚い物を投げ捨てるかのように槍を投擲していた。あの鬼ぃぃぃ!!!??

 

「っ……!!?まさかこの局面で槍を捨てるとは、流石に驚いたぞ!!」

「やばっ、ミスった!!?」

 

 衝動的な槍の投擲が予想外だったのか、蜘蛛は慌てて背中から生える手足で壁際に跳ねて宣う。此方の意表を突く行動への賛辞であったがそれは計算してのものではない。それどころか投げてから後悔して悲鳴を上げていた。

 

「さて、では此方も行くぞ?」

「ちぃ!?」

 

 四本の蜘蛛足で俺の正面に跳び跳ねると残る四本の足が爪を立てて襲いかかる。上から、あるいは横から、斜め方向から突き刺すように変則的に襲いかかる蜘蛛足を俺はそのどれもこれもを紙一重で避ける。いや、紙一重ではない。衣服が切れて、肌には引っ掻いたような浅い傷が次々と出来ていた。それでも直撃していない分だけマシであったろう。俺が避けた爪は洞窟の地面に突き刺さると深々と岩を打ち砕いているのだから。

 

「糞っ……!?いや、速っ……」

 

 蜘蛛足が振るわれる速度は徐々に速くなっていき、同時に俺の身体につけられる傷もまた深くなっていく。

 

「くはは!ほれ踊れ踊れ!!随分とまぁ無様な舞いだが前座には丁度良い、精々私を楽しませて見せろ!!」

「ぐっ、人で遊んでんじゃねぇぞ……!!」

 

 此方を弄ぶようにして振るわれる四本の足によるなぶるような攻撃に俺は忌々しく吐き捨てた。………後、そんな身体をブラブラ動かすな。その格好、下からだとかなり際どいんだよ!!絶対領域死にかけてるからな!!?見える、見えるって!!

 

「くはは、曲芸しながらふざけよってからに!!この状況でそんな事に注意が向くとは……思うたよりも余裕があるではないか?正に野猿だな、えぇ?」

「そりゃあ、どうも……!!」

「っ!?」

 

 嗜虐的な笑みで俺を嘲笑う蜘蛛に向けて、俺は野猿らしい反撃に出た。即ち、俺は次の瞬間に地面の礫を蹴り上げた。

 

 より正確に言えば先程からの攻撃で蜘蛛が打ち砕いた地面の岩で出来た礫を、霊力で強化した脚力で粉塵が生まれる程勢い良く蹴り上げたのだ。細かい砂と、十数個程の礫が黒髪の少女に迫る。その速度は、生身の人の身体であれば死にはしなくても大怪我するのは間違いない程のものであった。尤も、生身の人間相手なら、の話ではあったが。

 

「詰まらん真似を!」

 

 一瞬だけ意表を突かれたように驚いた土蜘蛛は、しかしそれだけの事であった。

 

 襲いかかる礫は、背中に生える八本の蜘蛛足の内のたった一本が振るわれるだけで全てが吹き飛ばされ、打ち砕かれる。しかしそれで良い。元よりも唯の石ころで凶妖に手傷を負わせられる等と自惚れてはいない。

 

 土蜘蛛が礫に意識を奪われた瞬間に俺はそのまま強化していた脚力をもって蜘蛛足の合間を縫ってその背後にまで抜け出ていた。同時に俺は自身の懐からそれを抜き取る。

 

「ぬ!?いな……後ろか!?ちょこまかと………!!」

 

 一瞬視界から消えた俺に驚いて、しかし一秒も掛からずにその気配を感じ取った土蜘蛛は背中から生える八本足で機敏に振り向いた。ほぼ同時に俺も振り向いてそれを……札を投擲していた。

 

「封呪解放……!!」

 

 俺の宣告によってゴリラ様より受け取った封印の札に仕掛けられた呪いが解除される。発火する札。そして………。

 

「何っ!?」

『ギィヤオオオオオオオォォォォォォ!!!』

 

 次の瞬間、発火した札から現れた巨大な鷹の霊獣が咆哮しながら土蜘蛛めがけてその鋭い爪を立てて突っ込んでいた………。

 

 

 

 

 

 

『思いの外良く耐えるものですね』

 

 洞窟内で響き続ける地響き、それが何処から発生しているのかを理解して蜂鳥を操る松重の少女は呟いた。相手が相手だけに下手すれば一撃で即死しかねないものを、あの下人は曲芸師宜しく器用に立ち回っているようであった。

 

『それにしても、これはまた何とも興味深い。………これ程繊細な術式、相当熟達した退魔士でなければ練られませんね』

 

 さて視線を正面に戻した蜂鳥は、眼前の光に満ちた翡翠の柱を見て淡々と、しかし確かに嘆息するように感想を述べた。否、正しくは練り込まれた術式に対してか。

 

 霊脈から誘導する術式にそれを閉じ込める術式、威力を高めるために敢えて閉じ込めた霊気を濁らせる術式にそれらを気取られぬように欺瞞する術式……優に二十を超える異なる作用をもたらす術式を互いに干渉せぬように一つの対象に付与するのは簡単ではない。それが下手すれば吹き飛びかねないような繊細な対象であれば尚の事である。

 

(やはり裏切り者が関わっていますか。名のある退魔士で人を辞めた者は少なくはありませんが……)

 

 唯人とは違い怪異に抗い得る力がある退魔士は、同時に人である事を厭う者も一定数存在する事は否定出来ない。何故特別な存在たる自分達が人間と同じ定命の存在でなければならぬのか?ある種の選民意識が遂には禁忌に触れてでも悠久の命を、より大いなる力を望むようになるのは然程不自然な事でもあるまい。

 

 尤も、『霊欠起爆』のような朝廷が禁忌として秘匿する禁術の中でも最高級のそれをこの完成度で再現するとなると行える者は限られてこよう。そう、例えば陰陽寮廃止にも繋がりかねない悪行と裏切りを重ねた最低最悪の、それでいて扶桑国建国の一翼を担った初代陰陽寮頭とか………。

 

『………流石にそこまでは考えすぎですかね。さて、それはそうと此方もやるべき事をしましょうか』

 

『霊欠起爆』の術式の構成を、しかもこれ程完成度の高いものを直に見れる機会なぞ相当希少な経験ではあるが……だからといって役目を果たさぬのは不義理というものであろう。あの下人が命を懸けて陽動しているのだ。此方も役割は果たそう。

 

 蜂鳥は飛ぶ。目的地は直ぐそこであった。全身の肉が裂けて、骨が折れ、内臓を損傷して、挙げ句には刻一刻とその肉体を河童に汚染されている鬼月の隠行衆の少年………半死半生で、しかも粘性の蜘蛛糸で身体を拘束された彼の肩に蜂鳥は止まる。

 

『そこの隠行衆、まだ声は聴こえますね?』

「う……うぅ………」

 

 最早瞳に光を映さない青年は僅かに呻いて牡丹の声に反応する。最早棺桶に片足どころか腰の辺りまで身体を突っ込んでいるようであるが一応魂はまだ彼岸にはいっていないようであった。

 

『呻く事が出来るのなら十分です』

 

 そう淡々と言って、蜂鳥はその腹を大きく開く。その口内から現れるのは印籠である。下手すれば自身の体積より大きいのではと思える印籠を吐き出した蜂鳥はその蓋を器用に嘴で外すと中の丸薬を取り出した。

 

『さて、始めますか』

 

 丸薬をつついた蜂鳥はそれを呑み込みやすいように小さく噛み潰して咀嚼すると、そのまま無理矢理に少年の口内に嘴を捩じ込み口移しを始める。

 

 洞窟を激しく揺らす震動は、未だに止む気配はなかった………。


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