なんとしてでも、推しは推しとして推したい! けどパンツは見たい! 作:黒マメファナ
俺はやらかした。いや、逃げられなかったと言ったほうが正しいのかもしれない。
水族館から出て、俺は花音に捕食されてしまったんだよ? 紗夜さんにもパレオちゃんにも合わせる顔がない。
というかもうそれが断れなかったってことが、めちゃくちゃショックだった。あれだけ啖呵を切っといてこれか、と。オタクとしてどころか男として最低だ。最低最悪でホントに嫌になった俺は、ファストフード店に行かなくなった。SNSも見なくなったし、このままだとイベントにも顔を出せないだろうというところだった。
「……電話、花音?」
それはショックを受けて半ば放心状態の俺のもとに毎日やってきて俺を捕食する花音からの電話だった。噛みつかれた首や背中が痛むようだった。だけど出なかったらどうなるかもわからない状態で、俺は少しだけ声のトーンを落として電話に出た。
「もし、もし」
『白崎さん? 千聖だけれど』
「ちっ、千聖……ちゃん?」
まさか花音のスマホから千聖ちゃんが電話をかけてくるなんて。びっくりしながらもしかしたら花音になにかあったんじゃないかと警戒して千聖ちゃんの出たわという声を聴いていた。誰かほかにいるのかな。というか今花音はバイト先だよね?
『いいから、何も訊かずに今すぐファストフード店に来なさい』
「……えっ、ええ」
何も訊くなって言われてもそれは無茶ぶりでしょう。だって気になるような発言ばっかりだよ? その状態で来たら説明されるよね? ね?
しかもその先なにか言う前にもう電話は切れていた。ええ、もう行くしかないじゃん。いや多分俺が来ないと始まらないんだろうけどさ。せめて何が待ってるのか教えてくれたっていいことない?
だいたい千聖ちゃんなんてプライベートなんて一度しか見かけてないのになんで呼び出されなくちゃいけないんだろう、いろんな文句や不満が出てきてはいたけど。なんだかんだいいながら俺はファストフード店へとやってきた。
「遅かったわね」
「……なにがって、彩?」
「私もいますよ」
パレオちゃん……はいないっぽいけど、紗夜さん、彩、千聖ちゃんがその席にはいた。後はスマホを貸した花音は……まだバイト中かな?
俺はひとまず座ってポテトでも食べなさいと千聖ちゃんに言われて大人しく紗夜さんの隣に座り、揚げたてっぽいポテトに口をつけた。
「……えと、いったいなにが」
「何が、ではないわ」
「紗夜さん」
「話を聞かせてほしいのは私の方よ」
「私も!」
え、彩も? そりゃ確かに紗夜さんには事情を説明していたんだからその後なんにも反応しないってなると確かにあれだけどさ。彩はあんまり関係なくない?
そういうと、彩はちょっと迷ったようなそぶりを見せて、紗夜さんと顔を見合わせた。なに、なになに? どうしたの?
「……私と丸山さん、そして鳰原さんは、あなたたちがホテルに入っていくのを見てるのよ」
「えっ、ちょっと待ってそれって」
ストーキングしてたってこと? そう問いかけると気まずそうに彩は目をそらしてきた。彩とか紗夜さんはいいけどさ、パレオちゃんはまだ十三歳だよなにしてんの? いや十八歳未満は立ち入り禁止のホテルに入っちゃった俺が言うことじゃないけどさ。
「そのまま、あなたとは連絡が取れなくなるし、私は事情を知っていたのにどうしたんだろうと……心配したのよ」
「……ごめん」
紗夜さんの声がだんだんと歪んでいく。ごめんね紗夜さん……ちょっと迷ったけど向かいの千聖ちゃんがやりなさいと目で訴えてくるからまるでキレイな川のせせらぎのような、背中に流れる髪を撫でつけた。
「どうして……?」
「それは」
「断れなかったのでしょう? あの子の毒にやられた、というわけね」
千聖ちゃん……うんなんか雰囲気違うから千聖ちゃんって言うと変な感じするから千聖さんで。千聖さんはため息をつきながら頬杖を突いた。
彩はすごいしょんぼりとしてる。紗夜さんもちょっと泣きそうになってるし、きっとパレオちゃんもだ。ああやっぱり俺はたくさんの人を傷つけてるな。
「それで、あなたは責任を取ろうというわけね」
「断れなかったから」
「……バカね」
「千紘くんは、いつもバカだよ」
「彩?」
彩がとんでもないことをしれっと口走っていた。いつもバカって、ひどくない? 紗夜さんもそれには同意しますとか言っちゃう始末だし……なんでそんな二人とも嬉しそうなんだよ。俺のことを、最低だとか、ののしったりはしないの?
「最低だとは思っています」
「うん、結局断り切れずに、まさかイベントも来るのやめるの?」
それは……パレオちゃんがいるから。あの子を悲しませるくらいなら、俺は喜んでオタ卒するよ。でもそれはダメらしい。俺がうなずこうとしたら紗夜さんに脇腹をつつかれた。ひど、人のこと散々にキモオタだとか性犯罪者だとこの間パレオちゃんと初対面の時にはついにロリコンって言いだしたくせに。
「いいのよそのままの
「……紗夜、さん」
「いくらキモオタだろうと妹に手を出しかねない男だとしても、ロリコンでも、白崎千紘はあなたでしょう?」
「なにそれ」
なにその迂遠な告白は。それで俺がいいって言うわけないじゃんか。ただでさえ、花音のことが解決してないのに。それに、俺は紗夜さんのことまだなにも知らない。知る気がなかったともいうんだけど、俺はもっと外に目を向けないとダメそうだから、取り合えず友達からでいいかな?
「わ、私も!」
「彩はもう友達だし俺の最高の推しだよ」
「推し……最高の……えへへ」
「なに絆されてるの彩ちゃん? 私、まだいいって言ってないわよ?」
彩の保護者がここにいらっしゃった。千聖さんは目を閉じて腕を組んで、彩にお説教モードに入っていたけど、俺の顔をちらりと見て説教を切り上げた。
花音のこと、これからのこと。千聖さんもアドバイスしてくれるのだろうか。
「私は口を出すだけよ?」
「そうですか」
なんだか楽しそうな気がするんだけど気のせいですかね千聖さん? そんなことを考えていると千聖さんはじっと考えごとをしてから、ひとまずはと彩の方を見た。彩が身構える。いやまた説教タイム始まるの?
「な、なに……?」
「今日は……オレンジ、だったかしら?」
「──っ!?」
謎の発言に彩の謎のリアクションに紗夜さんと俺が首を傾げた。どういうこと? なんのオレンジ? だが、彩は大慌てでスカートを抑えて……まさかオレンジってまさかのまさかですか?
「ええそうよ、オレンジのチェック柄よね?」
「な、なんで知ってるの!? 見えた!?」
「ええ着替えてる時に」
「……あ、そっか。って千聖ちゃん! なんで千紘くんがいるのに!」
そうですよなんで俺がいるのに唐突に下着の色の話をしだしたんですか。おかげでちょっと想像しちゃったじゃん! 紗夜さんがむっとしたように足踏んでくるし! ここで紗夜さんまで感化されて下着の色言わないだけマシかな!?
「オタクは推しのパンツを見てなんぼよ」
「初めて聞きました」
「特にイベントではなく私服で出てくるタイミングを虎視眈々と狙うのが真のキモオタというものよ!」
「いやスパッツ履きましょうイベント中くらい」
履かないわよと返された。え、俺としてはああいうイベント時でも完全防備だと思ってた。違うの?
彩はえっと……と目をそらす。あ、そうなんだこれからはローアングル狙いしようかな。
「ふん」
「痛いよ紗夜さん!?」
「通報しますよこの変態さん」
「推しのパンツは見たいよ?」
「死んでくださいこのっ、性犯罪!」
「痛からっ!」
脛は、脛はやめてください紗夜さん!
俺は紗夜さんの肉体言語によるわからせられてしまいそうだ。千聖さんがかわいいわね紗夜ちゃん、なんて和やかに言ってるんだけど助けてほしいなぁ。
「うーんそうね……あなたがいじめられている顔、見てると楽しいわね♪」
「千聖さんもサド側なの!?」
知りたくなかった驚愕の事実なんだけど。というかそろそろいいですかね? 話が進まないんだよこのままじゃさ。オレンジの意図を教えてくださいよ。彩がめっちゃ見てくるけど気にしなーい気にしなーい。
「簡単よ、推しのパンツと幼馴染の呪い、あなたが大事に大事に脳内保存するのはどっちかしら?」
「……推しのオレンジ」
「バカ! えっち!」
「見たいもんしょうがない!」
開き直ってやった。あのだんだん本格的に気になってきた。幾らか払えば追加コンテンツでパンツ公開される? そのギャラリーどこで解放される? そして千聖さんは目の前ににんじんをぶら下げてきたんだ。
──お前は一体何者なんだと。訊かれるまでもない質問なんだよな。彩ちゃん推しの厄介認知キモオタだよ、覚えておけ!
「そうよその意気よ……ほら、彩ちゃん」
「え、なに?」
「ここでパンツを見せるのよ」
「なんで!?」
「ご褒美よ。白崎さんがオタクである以上ご褒美にはそれ相応であるべきだわ」
「だからって私がスカートめくってみせるの? そんなの見せたがりの変態さんしかしないよ?」
えーっと、千聖さん、何を言ってるんだろう。どこからか毒電波拾ってきたのかと思うくらいにパンツゴリ押ししてくる。見たいけどいやそうまでして見たいわけじゃ……ああでもいや、気になってきちゃったな。
「……紺色よ」
「対抗しなくてもいいよ?」
「見たくないかしら?」
「正直見たい」
「……ふふ、正直すぎるわね?」
そう言って紗夜さんは少し失礼しますとトイレの方に向かった。あのちょっとドキっと期待してしまった自分がいる。うーん、男として贅沢させてもらってるなぁ。あとそういえばいつも脱いでるのに花音の下着は気になってないや。あんまりありがたみがないから? 違うな全然余裕がないからだな。
「お待たせしました、はい、後で消しますので私のスマホだけで」
「……なに、してるの?」
「スキニーでしたから、ここでめくることができませんでした」
いやだからそれに対してなにしてるの? って俺は問いかけたんだけどもしかして紗夜さんは日本語が通じないのかと思うからやめようね。
紗夜さんのスマホの画面にあったのは紺色のパンツ。多分トイレで撮影してきたんだと思う。よくよく見たら紗夜さん、耳まで赤かった。
「彩ちゃん、アイドルで相手が推しなのにファンサで負けているわよ」
「……そんな変態じゃないもん」
「もう見られてるのだから一度も二度も同じよ」
「同じじゃないよ~!」
彩、あのね? そんな無理に見せないでいいからね? あとそろそろ花音が来る時間だから雰囲気をシリアスにしておきたいよね? 俺今からとびっきりひどいこと言う予定なんだからさ。
「千紘くん……」
「花音、お疲れさま」
「うん」
ぞわっとするほど暗い目をした花音がやってくる。さっきの楽し気な会話が聞こえたせいか、それともまた別の理由か。
ひとまず席を移動する。二人の空間を作り出し……と言ってもスマホが通話状態になってるんだけど。紗夜さんの番号に繋がってる。
「浮気?」
「浮気だね」
「……そっか」
「うん」
先制攻撃だったのか、俺があっさりと肯定すると花音は下を向いた。そもそも、たとえ幼馴染という呪いであっても、恋人という呪いであっても……ましてやカラダのつながりという呪いを受けても、それでも俺は花音にはハッキリ伝えなくちゃならない言葉があるんだ。
「俺は……花音が」
「聞きたくない」
「でも」
「聞きたくないよ! なんで? どうして私が……私、わたしが……っ!」
ズキリと胸が痛んだ。花音の紫色の瞳、毒の色と同じ、けれど宝石のようにキレイな瞳から涙が零れ落ちた。
幼馴染だからだよ。俺にとって松原花音は、いつまでもずっと……幼馴染さんのままなんだ。
昔から一緒にいてくれて、お互いにないものを補い合って、そして成長して価値観が合わなくなって離れていった。そういう悲しい幼馴染なんだ。
「私は……嫌い?」
「好きだよ」
「じゃあ……だったら……」
「俺は
「……っ! やだ、やだよお……」
ごめん、俺はもう花音を傷つけることしかできない。傷つけることでしか嘘をつかずにいられない。
そして、俺の推しはさ。いつもどこでもまっすぐ進んでいくんだ。夢に向かって、希望にむかって。俺もそれに憧れて自分というものに向き合って頑張っていこうと思えた。今日だってそんな推しに倣って……ただただ前に進むよ。
「別れよう、花音。今まで……嘘をつき続けてごめん」
「……ちひろ、くん……」
「しばらく、家に来なくていい。気持ちの整理がつくまで、会うのはやめよう」
甘えたい時、気持ちが溢れた時、寂しい時、悲しい時、嬉しい時、幸せな時、花音はいつも同じものを俺にくれた。同じものを分けてくれた。だから俺から最初で最後の俺からのお別れと……ほんの少しの愛を込めたコレを送るよ。
──触れ合い、しっとりと数秒の静寂。涙の味がして、もう泣かないでと抱きしめてあげたいのをぐっと堪えて俺はじゃあねとその場を離れた。
「……お疲れさま、千紘くん」
「彩……お疲れって、フォローなら傷ついてるほうにするもんだろ?」
「ううん、千紘くんはすっごく頑張ったもん」
彩は背伸びをして、俺の頭を撫でてくれる。頑張ったねと彩は慈愛に満ち溢れた表情をしてくれる。
ああ、やめてよ。堰き止めてるんだから。花音をフっておいて、推しに慰めてもらうなんてカッコ悪すぎるし、最悪すぎる。だから俺は女誑しとか言われるんだ。こんなふうについつい甘えちゃうなんて……本当に最悪だ。
「おれが……俺が、花音を、傷つけたんだ」
「うん」
「泣かせた」
「うん」
「本当は、本当はアイツともっともっと、愛しあえたのかもしれないのに」
「うん」
涙雨の中、彩は俺を家まで送ってくれた。ずぶぬれになってしまって、俺は放っておけなくて帰ろうとした彼女を押し留めた。
風邪ひいたら、俺は更に傷つく。俺のせいだってなっちゃうからさ。
「……先、いいの?」
「うん、俺は着替えあるからさ」
「そ、そっか」
「タオルとか後で置いとくね」
やがて彩がシャワーを浴びてる間に千聖ちゃんがどうぞと傘を差しながら彩のジャージを渡してくれた。釘を刺されたけど匂いは嗅ぎません。というかそんな変態的行為をするほど精神面に余裕がないんだけどね?
「……ごめん、ごめんね花音」
ソファに座ってぼーっとしてるとまたあの顔を思い出して、また視界が歪んでしまう。幼馴染として一緒にいたかった。恋人とかじゃなくて、二人でくだらないことで笑いあえる関係を、崩したくなかった。
俺が立ち直れたのは花音のおかげだ。花音が愛を届けてくれたから、俺は大丈夫だった。花音という安心を地盤に彩との関係、フットサル仲間や紗夜さんやパレオちゃん、そんな人間関係が出来上がっていたんだから。
「千紘くん」
「あや……あはは、ごめん止まんなくて」
「ううん、泣いていいよ」
「や、やめて……それは」
ジャージ姿の彩に抱きしめられ、俺は戸惑う。彩は確かに友達だ、なんていったけどそれ以上に推しなんだから、触れ合うのはせめて握手くらいにしときたい。
だけど彩は俺のことを離そうとはしなかった。泣かないで、なんて言葉はかけられずただじっと俺を慰めてくれる。
甘えちゃだめなんだよね。ダメなんだけど、彩の甘い匂いに誘われて俺はひたすら彼女に無言で頭を撫でられ続けた。
──すっかり暗くなって彩はジャージ姿、これは泊りだよね。なんて言い訳しよう。と思ったのは、やっと涙が枯れてきた頃だった。