なんとしてでも、推しは推しとして推したい! けどパンツは見たい!   作:黒マメファナ

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曇天、暗転、愛はなく

 目覚めの朝、というにはあまり心地よさのない曇天だった。バイトがなくてよかったと思うような休日、こういう日は一日ゲームか家でライブ映像垂れ流しながら……と思ったところで腕に何か乗っていることに気付いた。

 

「……ん」

「ん? あ、そうだった」

 

 狭いベッドだもんな、俺が床で寝るとか言ったんだけどいつの間にか一緒に寝ていたらしい。疲れて気付いたらってやつだ。

 ──ところで彼女は仕事とかないのだろうか。こんな時間までのんびり寝ていて、起こそうとは思ったけどガッツリ相手が裸なのでなんとも起こしにくい。

 

「……はぁ、推しなんだけどなぁ」

 

 隣で寝てるのはオタクにとっての絶対神、推しメンである千聖さん。他のオタクにバレたら間違いなく殺されるしスキャンダルで千聖ちゃんが業界から干されることになれば俺が死ぬ。推しのことを一生推していたいのに!

 

「ん……」

 

 そんな風に最悪の未来に震えていると目がゆっくりと開いていき紫色の宝石が俺を捉えてくる。そして自分のおかれてる状況を把握したらしい千聖さんは、柔らかい笑みでおはようと俺に顔を寄せてきた。

 

「お、おはよう……」

「もう少しぎゅっとしていて。そうしたら起きるから」

「え、あ、はい」

 

 そういえば千聖ちゃんは朝割と早く起きるけど五分くらいはぼーっとしちゃうんですって何かのインタビューで言ってた気がする。低血圧というやつなんだろう、俺は仄かに家のシャンプーのする千聖さんを言われた通り抱きしめていく。

 

「あの……服」

「なあに? 恥ずかしいの?」

「そりゃもう」

「うふふ、このまま……もう一回する?」

 

 俺は全力で首を横に振る。しません、確かにあの時俺は千聖さんの……しかも直前で初めてだからとかいうとんでも爆弾発言をくらった上にサークルが同じオタ友にもらった一個を使って千聖さんが満足しなくてコンビニ走ったけど。だからって俺がそんな風に一回したら二回も三回も一緒だなんて思うわけないでしょ! 

 

「私がそんな軽い女に見えるの?」

「あ、いや……決してそういうわけでは」

「じゃあ、どうして受け入れたの?」

「……それは」

 

 それに関して明確な答えは出ない。俺は幼馴染さんこと松原花音を想っている。それは事実で、変わらないけれど俺は千聖さんを振り払うことができなかった。振り払えれば、俺はちゃんとオタクだったのだろうか。中途半端にプライベートの千聖さんにかかわったが故なんだろうか。それとも、俺がただ単に女なら誰でもいいクズだったのか。そんなことを考え、言葉を継げないでいると、千聖さんは首に腕を回して、唇を押し付けて、重ねてくる。

 

「……バカ」

「ごめん」

「ここまでして……ここまでしておいて、逃げようとするなんて……」

「だって、どうしたらいいのかわかんないんだよ。あの時の千聖さんと、その前、泣いてた千聖さんも怒ってる千聖さんも、全部……俺には──っ」

 

 また唇を塞がれる。それどころか舌が入ってきて、言葉が全部奪われてしまう。笑ってる千聖ちゃん、オタ活が高じすぎてて呆れたように俺を窘める千聖ちゃん。くだらないとややサディスティックに笑う千聖さん。ちょっと子どもっぽいところもある千聖さん。あの日の雨のような涙を降らせる千聖さん。そして……俺に縋りついて、愛してほしいと喘ぐ千聖さん。その全て、俺にとっては全部白鷺千聖という、()()()()()()()()

 

「やめて!」

「……千聖さん」

「私は私なの! あなた以外の愛なんていらない! あなたに愛されたいのに、どうしてそんなヒドいことが言えるの?」

「それは……」

「千紘」

 

 千聖さんは縋りついてくる。愛がほしいと叫びをあげる。それは推しを推すものとしての距離を保った愛ではなく、触れて、穢してほしいとすら思っているのだろう。わかってはいるけど……それは俺には不可能だ。だって俺は推しは推しという特別な感情以外のものは抱けない。どんだけ、それこそこんなコトまでしでかしても、その思いは変わることがない。

 

「……だから、それでもいいなら」

「それでもいいなら慰めてくれるの? ふざけないで……っ! そんな優しさなんていらないのよ、傷つけたっていいから、ひどくたっていいから……私をあなただけのものにしてよ」

 

 悲痛、哀願、曇天の空に彼女の鈍色の感情が俺の頭を殴ってくる。朝から、こんな気持ちをこんな悲しい気持ちを押し付けられ、押しあてられ、俺にどうしろって言うんだよ。責任を取れとでも言うの? 違うんだ、責任感じゃ千聖さんは満足しない。彼女が求めるのは、そういうのじゃない。

 

「千聖さん……」

「千紘、いや……どこにも行かないで」

「どこにも行かないよ。着替えて待ってて、朝ごはん作るから」

「……うん」

 

 俺は間違えてるのかもしれない。いや間違えている。でも、それでも俺は彼女がアイドルでいられなくなってしまうことの方が怖い。俺が支えることで、俺が彼女を愛することで……俺が犠牲になることで千聖さんがまた笑顔でステージやドラマの舞台に立てるのなら、俺は踏み台になる。

 

「なに作ってるのかしら?」

「目玉焼き、これだけは作れるから」

「焦がさないでほしいわね」

「焦がさないって、ほら!」

「あ……ふふ、まったく」

 

 朝食を一緒に食べて、これからどうする? と問いかけると無言で俺に抱き着いてくる。あの、できたらお仕事があるかどうかだけお教え願えないでしょうか? どうやらそれも拒否しているようで、さてはサボりか? 

 

「まぁ、いいけど」

「……ごめんなさい」

「いいんだよ。でもせめて連絡しといた方がいいよ」

「そうね……ありがとう」

 

 本来、オタクならこういう時にもサボるなんてって言うべきところなんだろうけど生憎俺はもうオタクとは呼べないゴミになり下がった。その証明のように鏡を見たら鎖骨の下あたりに赤黒い虫刺されのようなアトがあった。

 

「私も背中についてるわよ」

「……そっか」

「気にしないで。つけてとねだったのは私なのだから」

 

 俺が千聖さんの肌にアトをつけただなんて一週間前の俺が知ったらまず間違いなく俺を消しにくる。きっと並行世界の俺まで現れかねない勢いだ。ありとあらゆる全ての俺が俺を消しに来るという謎のSFを妄想していると千聖さんに腕を引かれた。ところで帰る気ないですよねその恰好。

 

「なんで俺のパーカーとTシャツなの……自分の服は?」

「下はパンツだけよ」

「訊いてないし聞きたくなかった」

 

 そうやって言うのにパーカーを捲って薄桃色のそれを見せられた。いや知りたくないってば。だけど千聖さんはお構いなしである。元々会話的にそういうタイプだけど恋愛ごとになると特に顕著なようで、引くことを知らぬように押してくる。押してだめなら押し通してくる。

 

「それよりも」

「うん」

「昨晩の感想を聴いてないわ」

「……よく覚えてないです」

「ふうん」

 

 怖いんだけど、なに? と思ったらおもむろにパーカーとシャツを脱ぎ捨てだした。は? なにやってんの? 千聖さんが本格的に頭おかしくなったの? 現れる薄桃色のブラにドキドキが止まらなくて固まってると更にブラのホックを外しだした。

 

「ま、まままま、なにしてんの!?」

「なにって、覚えてないって言うから」

「そこまでして感想を知りたいもの!?」

「しょ、処女だったのだから……当然でしょう?」

 

 恥じらう千聖さん、ちょーいいね……じゃなくてだよ。その感想を訊こうとするともれなく俺が爆発四散するんだ。恥ずかしいとかそういう問題じゃなくてそれをじっくりねっとり観察するっていう自分に自分の身体が耐え切れない。あれだよ、自爆するしかねぇってやつ。

 

「お、落ち着こう千聖さん?」

「落ち着くのはあなたよ千紘」

「なんでそんな冷静に服が脱げるんだ!」

 

 ──とまぁこんなやり取りだけど、いつも通りの千聖さんが傍にいてほっとしたのは事実だった。俺が真のオタクやめて偽ゴミにわか勢になるだけで千聖さんの精神が安定するなら、それでもいいと思ってる。

 華奢で白い肩、細くくびれた腰、しっとりと微笑む桜色の唇、紫色の花。花音と同じ三色菫(パンジー)を思わせる、キレイな彼女。

 

「パンジーの花言葉は、知ってるかしら?」

「さぁ」

「私を想って、よ」

「……そっか」

「黄色のパンジーはね」

「ん」

「つつましい幸せ……ふふ」

 

 ただの少女のように千聖さんは微笑む。その白い背中に腕を回して抱き締めるとまた彼女は花を咲かせる。蜜を垂らして、俺を誘ってくる。今までの全てを解放するように俺に摘み取ってとねだってくる。逃げられない、逃げられるはずもない。俺は養分だ。千聖さんという花を咲かせるための、養分だから。

 

「……帰りたくないわ」

「でも」

「ええ、わかってるの。けれど、すごく幸せな時間だったから……ね?」

 

 結局、千聖さんが昨日と同じ服で玄関の前に立ったのは、夕方頃になってからだった。まだ曇天の空を見上げて、それから千聖さんは最後に踵を上げ、優しいキスをしてから手を振って俺に背を向けた。それを見送っているうちに今更冷静になって、玄関であるにもかかわらずしゃがみこんでしまう。なんてことをしたんだ俺は。忘れたいのに忘れられないその後悔を抱えきれずにうずくまっていると、ふと誰かが俺の前に立っていた。

 

「……か、のん」

「──嘘つき」

「そう、だね」

 

 冷たい目だった。信じられないものを見るような目だった。千聖さんとすれ違ったのだろうか、だとしたら想像くらいつくだろう。昨日と同じ服で俺の家から出てきたということの意味、花音に嘘をついていたということくらい当たり前にわかる。

 

「キミはそんな風に優しくないクセに……優しいフリをするんだ」

「優しいフリをしてるつもりもなかったんだけど」

「昔からそうだよ。優しいフリして、傷つけるんだから」

 

 優しい嘘が苦手な俺はいつだって残酷で、人を傷つけるようなことしかできない。花音はそう言ってるんだ。俺の優しい嘘に傷つけられ続けた彼女は、そうやって俺を詰ってくる。そして、今度はその傷を俺に返してくる。

 

「千紘くんなんか、嫌い」

「……花音」

()()()()()のことなんか嫌い。嘘つきは、大嫌い」

「──っ!」

 

 そう言って、花音……幼馴染さんは俺から優しさすらも奪っていく。クラゲのように獰猛に、触手のように腕を身体に絡ませ、毒を流し込み、その大きな口で俺を貪ってくる。だがそこに愛情なんてものは存在しない。あるのは食欲と、俺を侵す毒の味のみ。

 

「全部嫌い、ほら、結局キミだって……気持ちいいから断れなかっただけでしょ? 千聖ちゃんに優しかったんじゃなくて、千聖ちゃんを、推しと繋がれて気持ちよかったんでしょ? 誰でもいいんだ、誰だって気持ちよければそれでいいんだよ。嘘つき、嘘つき……ウソツキ」

 

 毒の味は抗うことのできないくらいに甘い。快楽という毒に侵され、いつしか彼女の紫色(シイロ)だけが俺の目に映る。ドロドロに煮詰まった欲望と愛情だったものを俺から奪い取り、恍惚の息を漏らして……松原花音は俺を嘲り、嗤う。

 

「はぁ……はぁ……ほうら……気持ちよかったでしょ?」

 

 千聖さんの愛すらその唇で奪ってくる。鎖骨の下にあったものも、胸の下にあったものも、二の腕についていたものも、首筋のソレも。刺され、痛み、喘ぎ、また俺の口に毒を流し込んで、なにもかもを曖昧にしていく。

 

「さようなら……最低な幼馴染くん。もうキミは……()()()()()()()()()()()()?」

 

 この日、俺は本当に何にもなれなくなった。幼馴染さんの復讐を受け、感情全てを食われ、貪られ、全てを丸裸にされた。

 ──残されたものはちっぽけな虚栄心。千聖さんや彩と関わったことで感じた他のオタクへの優越感、パレオちゃんや紗夜さんと仲良くなれたことで感じた優越感、オタクとしての醜いまでの心の奥底で感じていた()()()()()()()()()()()()()()という俺自身が嫌悪していた感情だけだった。

 

 

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