なんとしてでも、推しは推しとして推したい! けどパンツは見たい! 作:黒マメファナ
梅雨入り宣言以降、まるで示し合わせたように鈍色の空が続く日々。雨季がないとダメってのはわかってるんだけど、じめじめされるとなんだかなぁという気分になってしまうのは、人間のわがままなんだろうか。
そんな曇り空の中、俺は紺色の傘を畳んで手に持ちながら行きつけのファストフード店へとやってきていた。
「あ! 先輩だ! いらっしゃいませ!」
「ひまりちゃんは元気だね……見習いたい」
「見習ってくれていいですよ~?」
やっぱやめとこ、というと元気に出迎えてくれていたひまりちゃんはどっちですか~? とおどけまじりに頬を膨らませる。花音は……まぁいないよな。いたらいたで気まずいことこの上ないけど。そしてこの状況はアイツの精神衛生にいいわけじゃないし。
「花音ちゃん、最近誰とも話さずに帰っちゃうから」
「そっか……」
「いっつも暗くて……だからかな、私は、なるべく花音ちゃんのこと、敵みたいに扱いたくないな」
休憩中の彩の言う通りだと思う。確かに千聖さんや、パレオちゃん、紗夜さんから見て花音は許せないことをしたと思う。でも、そうだとしてもそうやって多人数で花音ひとりを排斥して、それが正義だって言うなら俺は……俺が独りでいた方がマシだ。
「千紘くんはあんまり口出ししない方がいい……のかな。私もあんまりそういう友達の恋人が、とか経験ないからわかんないけど」
「さすが生粋のアイドル」
「ほめ言葉……として受け取っておくね?」
あれ、本気で褒めたつもりだったのになんかやらかしたっぽくて彩が怒り交じりの笑顔だ。えっと、なにがまずかったのだろう。私だって、と彩はアイドルらしからぬ怒り顔になって、俺のポテトを奪い取ってくる。
「私は、アイドルだし、アイドルになりたいけどさっ! もうっ、千聖ちゃんがキミに怒るのもわかる気がする」
「……千聖ちゃんも彩ちゃんも、みんなアイドルだよ。それで俺は」
「ドルオタでしょ。わかってるよ……千紘くんの言いたいことくらい」
でもそれじゃあダメなんだよ、と彩は少し泣きそうな顔をする。どうして? そうすることが正解だろうなんて部外者で消費者である俺が言うことではないけど、それでも、彩はそれが自分にとっていいものだと信じていたんじゃないの?
「記号で呼ばれて嬉しいなんて人はいないよ」
その言葉は俺に深く突き刺さるようだった。俺はあんまり自分の名前が好きじゃない。そもそも千聖ちゃん推しなのに名前が似すぎてるっていうのが自分の中であまりにマイナスポイント過ぎるから、ドルオタでもなんでもいいって部分がある。だけど、それは俺が特殊なだけ。
「私は、丸山彩でいたい。少なくとも千紘くんにとって、数いるアイドルの一人じゃ……嫌だから」
「……彩」
「って、ここまで言えばさすがの千紘くんもわかっちゃうよね」
否定しないのか。そんなわけないよって明るく笑い飛ばしてはくれないんだ。こんなに人から好意を向けられて、嘘であってほしいと願ったことはない。それは千聖さんが俺に涙を流してまで、そして自分の純潔を捨ててまで伝えてきた感情と、同じだから。同質とかベクトルが一緒とかじゃなくて
「マジなの……?」
「うん……まじ」
「どうして?」
「それはフラれた方が縋り付くときのセリフだと思うんだけどな~?」
いやだって、パレオちゃんは俺の中に他のオタクとは違う光を、彼女のご主人様であるチュチュ様やもっと前、彼女がかわいいを素直に伝えてみたいと考えるきっかけとなったパスパレと同じような光を見た、と理由を語ってくれた。紗夜さんはシンプルにフットサルをしている俺が輝いていたからと語ってくれた。この二人の理由はなんとか呑み込めたけど、千聖さんと彩はまるで理解できない。俺はオタクとしてアイドルと話していただけなのに。
「キミが頑張る人だったから」
「……え?」
「フットサルの話とか、バイトの話とか、キミは頑張れる人なんだなぁって思ったから」
それだけ? と首を傾げた俺に対して彩は、それだけが大事なことなんだよと笑顔を見せてくれる。彩にとってはそれだけのことがアイドルとしてじゃなくて、ただ丸山彩として俺に笑顔を見せたい。頑張ってるところを見てほしいって思うきっかけだったと告白された。
「……わからないと思う。私だって、わかんないもん」
「でも、頑張ってる人ならいくらでも」
「うん。でもアイドルとしての私ともバイトしてる時の私とも関わりのある男の子って、千紘くんだけだよ?」
「じゃあ、もし他にいて、それが俺より魅力的だったら?」
「そりゃあ、きっとその人を好きになってたんじゃないかな?」
でも、それが恋なんだよと彩は笑う。出逢いというものは大事で、もしなんて意味はなくて、現実にその条件にあてはまったのが俺だったから俺を好きになった。花音だって千聖さんだって、なんなら紗夜さんやパレオちゃんも、同じだったんだと思う。
──もちろん、俺だってそうだ。
「うん、だから千紘くんは、千紘くんの選択に任せちゃえばいいんだよ」
「……そっか、彩は、知ってるんだね」
「というかわからない人はいないと思うな」
うわ、俺だけが隠してるつもりだったって言うのは恥ずかしいな。まさか俺が
「えっと?」
「握手! して!」
「わかった」
「──ごめんね」
「え……っん!?」
握手した手を引かれ、バランスを崩したせいで彩と顔の距離が縮まり、それを待ちかまえていた彩によって唇が塞がれてしまう。一秒、二秒、ここでようやく状況を把握したことで逃げようとしたのに彩は俺の首を抑えてきて、三秒が経過する。
そしてさらにそこから二秒経過したところで彩はその力を緩め、俺は新鮮な酸素を求めながら彼女との距離を素早く空けた。
「……千聖ちゃんは」
「はぁ……ん? なに?」
「子役の時、キスシーンもしたことあるんだって。初めてなんて特に気にしてなかったらしいから、ファーストキスはその時の男の子じゃないかな」
「さ、さぁ……」
「でも私は……初めてだったよ」
そ、そういうことね……彩って結構負けん気が強い一面があることはアイドル活動の姿勢から伝わってくるところだけど、こういうことでも発揮されるんだ。びっくりするほど、アイドルの彩ちゃんのような元気でかわいい感じじゃなくて、女性の色香を感じる表情だった。
「ねぇ? 私と付き合おうよ」
「は? 何言って……」
「だって私と付き合えば、
なんてことを言いだすんだ、と思ったけど、それが決して自分のためだけに言ってるわけじゃないってこともわかった。彼女は、自分が悪者になったとしても俺をこの泥沼から引っ張り出そうとしてくれてるんだ。ひどいことだったとしても、それが未来の俺のためならと残酷な選択肢を突き付けてくるんだ。
「あはは、そんな優しくないよ。ただまるでどっちがカノジョになるかって
「彩……」
「パレオちゃんだって紗夜ちゃんだって、千紘くんの幸せのために一生懸命なのにさ、なんで千紘くんを傷つけてる二人しか選択肢じゃないの? 私だって……千紘くんが好きなのにね」
その言葉に、俺はとてつもない痛みを感じた。俺もその二人に選択肢を狭めていた一人だ。二人の純潔を奪ったのだから、そのどちらかは責任を取らなきゃ……そんな風に考えていた。そんな俺の決意をまるで毒で侵し、溶かすように。熱に当てた飴細工のように溶かしてするりと逃げ道を用意してくる。
「……ありがとう、彩」
「千紘くん……」
でも、でもね。それじゃあ雨は止まない。逃げ道をくれる人がいたから逃げたんじゃ、俺はいつまで経っても同じことを繰り返す。誰かを傷つけて、誰かに傷つけられて、痛みの雨が降る雨季とカラカラになるまで何もない乾季が繰り返されるだけ。そんなのは、天気で十分だ。
「俺は……逃げれるからって逃げるようなヤツじゃなくて、彩の好きになった頑張る俺のままでいたい」
「……でもそれじゃあ」
「うん。彩とは……付き合えない」
なんてことをしてるんだ。相手はあの彩なのに、どうしてこんな……そんな風に自分で自分を殴りつけたくなるくらいの言葉だった。いつも元気をくれた彩、きっかけはファストフード店でばったり会ったこと。バイト先だなんて知らなくて、花音を迎えに行った時に同じタイミングで出てきた子が彩だった。最初期のイベントは個別ブースがなくて五人全員というのが通例で、特に雨の中チケットを手売りしていた千聖ちゃんと彩ちゃんは俺のことをよく覚えてくれていた。
「私のストーカー……とかじゃないんだよね?」
「違う違う! 断じて彩ちゃんにお近づきになりたかったとかそういうのじゃない!」
「うん、私の幼馴染くんだしねえ」
「それに千聖ちゃん推しだし」
「……む」
そんな出会いから、彩は俺に気軽に、まるで友達のように話しかけてくれた。そんな彩のことをアイドルとドルオタとしてではなく友達同士のように感じていたのは、事実だった。そんな彩と恋人になったら、なんて考えたことがないかといえば嘘だ。彩はそれくらい
「俺も彩が好きだよ」
「だったら」
「でも俺は彩を独り占めしたいわけじゃない。応援して応援されて、そういう俺にしかなれない彩の特別になりたい」
「……そっか」
触れたいと思った。泣きそうな彩に触れて、慰めてあげたいと思った。だけどそれじゃあもうダメなんだ。今触れたら彩にもっと未練を残すことになる。逆に彩を悲しませることになるんだから。だけど彩はんっ、と俺に向かって両手を広げてくる。いや、だって……そんなことしたら。
「慰めてよ……」
「でも」
「どっちにしても、私は絶対忘れない。たとえ会わなくなっても、十代の頃にアイドル辞めてもいいくらい好きな人に出会ったことも、こんな風にフラれたこともぜっっったいに忘れないから」
「……彩」
こんなところで誰かに見られたらどうしようと思いつつも、外は雨がひどくなっていたせいか、狙いすましたかのようにそこは二人だけの空間になっていた。晴れていたらまだまだ明るい時間帯なのに暗くなっていて、店内の優しいBGMを聞き流しながら、俺は思った以上に小柄な彼女の体躯を腕の中に押し込んでいった。
「忘れない……絶対忘れないから」
「ありがとう……彩」
彩が曇天に優しい雨をくれた。でも俺の胸を突き刺すような優しさだった。そのせいか雨はなかなか止まず、俺は傘を持ってない彩を同じ紺色の中に入れて隣を歩いて帰ることにした。
「泣いてたの、バレちゃってたみたい。店長に帰れって言われちゃった」
「でもそのおかげで濡れずに帰れてるよね」
「千紘くんと相合傘でね」
「その言い方はやめてよ」
わざと彩は俺にカラダをくっつけてくる。まさか彩にこんな小悪魔めいた一面があるだなんて、と最初は驚いたけどよくよく考えたらこれ、人の揚げたてポテトをねだってくることの延長線上にあるんだってことに気づいた。
「つまり……あれが始まったあたりから」
「うん。私に乗り換える気になった?」
「それは……ごめん」
というか何度もフラせないでほしいんだけど。俺だってすごい良心の呵責を覚えながらなんだから、というとだったら諦めていいよって言ってくれればいいんだよと言い出した。なんというか、彩はメンタル強いな。昔は花音が強い、って思ってたけど。そう笑っていたらまた彩はまっすぐな瞳で俺をじっと見上げてくる。
「……なに?」
「ううん。キスしたんだなぁって思って」
「思い出させないでもらえる?」
「ところで千紘くんの初キスって誰?」
「……花音だけど」
中学生の時、入院してたそのお見舞いに来てくれた花音がうとうとしてるから帰らせた方がいいだろうなぁと肩をゆすったら寝ぼけた花音にそのまま……という事故が俺の初めてのキスでしたね。
「うらやましいな」
「花音が?」
「うん。もちろんこういう風に千紘くんに会えたのはいいんだけど、もっとたくさん、長い時間キミを好きになってみたかった」
そういってまた少し泣きそうになった彩を……と、そこから先のことは割愛させてもらうことにする。そしてそこで、やっぱり俺は彩のこと一瞬でも好きだったんだなぁって思ったってことを浮き彫りにされた。パレオちゃんや紗夜さんに怒られそうだけど、たぶん俺が人生で二番目に女性として明確に意識したのは間違いなく彼女だと思う。
「一番がよかったな~」
「一番だったらどうだったの?」
「……うーん、行先が千紘くんの家だった、とか?」
「そろそろスキャンダルでオタクに殺されそう」
「夜道には気を付けてね」
シャレになってないからやめてくださいませんかね。
というか危なかった。ここで俺が彩の純潔まで奪ってたらそれこそこっから先の展開がシャレにならなくなるところだった。そこは彩も同じ心のブレーキを持ってて助かったよ。だが、この一日だけでたぶんキスした回数は千聖さんも花音も越えてしまったので……うん、この事実は墓場まで持っていくことにしようかな!