なんとしてでも、推しは推しとして推したい! けどパンツは見たい! 作:黒マメファナ
本屋で立ち読みをする。本屋なんて普段はあまり立ち寄らないからあれなんだけど、今日は探し物をして、でも購入するのはなんとなく恥ずかしくて立ち読みをしていた。
なになに、異性に髪を触れられても平気なのは好意の証? え、っと……つまり千聖さんは? いやいやそんなわけないでしょ。好意って言ってもそういう好意じゃないってところかな。
「……何を読んでいるのかと思えば」
こんな恥ずかしい時に知り合いが現れるなんて俺もついてない。しかもツンとした表情がデフォルトの苗字に氷が入ってる氷の風紀委員さん。
なにかと俺を敵視してくる厄介なお姉さんだ。同い年だけど。
「ついに美人二人に挟まれて勘違いしはじめましたか」
「うるさいです……ちょっと思うところがあったっていいじゃんか」
「よくありません。あなたのような男がいずれストーカー行為や盗撮、そういった犯罪行為を犯すのです」
アイドルである妹をキモオタの手から守るために地獄の番犬と化した彼女はそう言って冤罪で俺に噛みついてくる。たぶん俺はもう門の前にいる扱いなんだろうなぁ……誤解が解ける日はいつ来るのだろうか。
「心理なんて、人それぞれです。もちろんパターンもあるでしょうけど、それが全てではないはずです。鵜呑みにしてしてしまっては逆に嫌われてしまいますよ」
「……はい」
同じ人間は誰一人として存在しないのだから、型に当て嵌めると痛い目に遭う。風紀委員さんはそう言い切った。ド正論だと思う。けど俺にはそうしないといけない理由もある。本やパターン化に振り回されない方法はただ一つ、経験だ。俺にはその経験値が圧倒的に足りないから。
「もう一つありますよ」
「そうなんですか?」
「多面的に相手を見ることです」
「えっと……?」
「少し、お茶をしましょうか」
風紀委員さんは穏やかな顔で俺を誘ってくれた。ヒントを教えてくれるってことなんだろうか。なんだかんだ妹想いだし実はいい先生タイプなのかも? そんなくだらないことを考えていたら睨まれた。やっぱこの人鬼教官とかになるタイプだ。
「私から言えるのはただ一つ、情報を集めることです」
「情報」
「そう、あなた一人の情報で判断するのではなく、他者の主観を取り入れて情報を精査することが重要です。自己形成や考え方には四つの分類がありますから」
そう言って風紀委員さんは紙に十字の線を引いてローマ数字でⅠからⅣまでの数字を割り振った。これはジョハリの窓、というものらしい。
Ⅰには、自分でも把握してかつ他者にも把握されてる開放の窓。Ⅱには、自分は把握してないけど他者には見える盲点の窓。Ⅲには自分は知ってるけど他者は気付いていない秘密の窓。最後のⅣは自分も他者にもわからない未知の窓。この場合で大事なのはⅡだと彼女は丸で囲った。
「この部分の見え方は人によって違います。だから相手の盲点の窓にヒントがつまっているのです」
「つまり……自分で気付いてないから隠しきれない、ってこと?」
「ええ」
要するに今回で当て嵌めると、俺が見てる俺を見てる千聖さんだけでは不十分であって、情報が見えない。だから俺が迷う。それに俺に対すると千聖さんは情報を隠そうとすることもあるしね。だけど他の人から見たら俺が気付かないことに気づいてるのかもしれない。色んなヒトから見た白鷺千聖さんが必要ってことだよね。
「そういうことね」
「遠回りしましたね」
「なんのことでしょう?」
くすくすと笑われてしまった。この人も十分サドなんだよなぁ。というか回りくどく話す時の心理をひとまず教えていただきたいですね。もっとさ、なんか色々あるでしょ。というか千聖さんも幼馴染さんもたまーにそういう話し方するんだよね。
「さぁ? 気になるなら本を読んでみたらどうでしょう?」
「それを否定したのはあなたでしょう?」
「ええ、そうやって間違えてしまうのを私は見ていますから」
「サド!」
この人絶対性格悪いよ! ひょっとすると千聖さんよりサドじゃないかな? それについてヒントを貰いたくてノコノコついてきたんだけど。
風紀委員さんはひとしきり笑ったあと、簡単なことでしょう? と言葉を投げてきた。
「簡単かなぁ……?」
「ええそれはもう」
「えぇ……」
「まぁ、あなたの場合は自分に当て嵌めて考えてみてはいかがでしょう?」
自分が? 自分はどんな人に限らず長い時間会話してると疲れちゃう残念陰キャコミュ障なので、当て嵌めようがないんだよなぁ。あ、でも推しとのトークに当て嵌めてみたらいけるかも? スタッフに剥がされようとも話し続ける理由は当然……推しとの時間を楽しみたいからだけど。
「楽しいから、それで答えではありませんか?」
「うーん、でも俺と話していて楽しいんですかね?」
確かに当て嵌めて考えてみるとそうなるけど待って欲しい。推しはトークも上手で笑顔が素敵なアイドルさん。それを完璧に当て嵌めると俺のようなキモオタに話をしていて楽しい、という構図になる。いやそうはならんでしょ。すぐどもるし、別にイケメンでもないし表情なんて意識してないからだらしないし、明るくもない。ゴミじゃん。一秒でも短くしたいよそんなやつ。
「……物凄い自己否定ですね」
「いやいや、他者から見た自分を分かってるだけですよ」
学校では何故かドルオタなの広まってて男女共になかなか話しかけられることないし、そりゃ最低限のコミュニケーションは取るけど休み時間とかむしろボッチでいいよってくらいだし。こんなやつに楽しいからずっと話していたい、とか言うやつがいるなら正気か? と問いかけたくなる。
「なるほど……あなたの状況がなんとなく飲み込めました」
「え?」
「あなたはあなたを誇れないのね……アイドルの前以外では」
「……やめてください」
その言葉は氷の槍を投げられたように心の底を貫き、冷やされていく。俺の事、あなたにわかってほしいわけじゃない。あなたのように自分にしかないアイデンティティを持って、それをどこでも堂々と誇れるような……眩しい人に。
「そう、見えますか?」
「イヤミですか」
「……いいえ。けれど、すみません」
惨めにされて平気でいられるほど、俺はマゾじゃない。あなたのようなまっすぐな人に同情されて平気でいられるほど……俺は自分が好きじゃない。いつだって針の筵に座らされてる気分だ。
「……失礼します。お代は私が持ちますので」
「あ、ちょっと……」
気まずくて沈黙したところで風紀委員さんは伝票を持って会計を済ませて出ていってしまった。こういう時に最近サイフなしで払えるようになった時代が憎いね。俺が準備をする頃には、彼女は店を出ていってしまった。
「氷川さん……」
「なにフラれてるのよ」
「痛っ、なに……って、千聖さん!?」
「あたしもいるよー!」
「ひ、日菜ちゃん!」
やらかしたことで意気消沈したまま帰るかと思っていたら後ろから頭に手刀を受けた。振り返るとそこには俺の永遠の推しである千聖さんと、もう一人、パスパレのギター担当でさっきの風紀委員さんの妹でもある日菜ちゃん。二人ともどうやら仕事帰りだったようで、誘導されて別の席に座った。
「ねね! キミっておねーちゃんのカレシなの!?」
「違うわよ日菜ちゃん。落ち着きなさい」
「まーそっか、パスパレのイベントに来てる人だもんね」
その言葉に驚いていると、あたし、面白い人の顔はみーんな覚えてるんだーとあっさりとんでもないことを口にしてきた。
どうやらこの天才ちゃんは二度連続で来るか面白かった、または興味が出たオタクのことを覚えているらしい。それは知らなかった。日菜ちゃんのとこに割と認知勢がいるのは知ってたけど。
「というか日菜ちゃん? さん? はあんまり雰囲気変わらないね」
「どっちでもいいよー。あたしは千聖ちゃんと違って営業スマイル? すると疲れちゃうし、頭でぐわーって考えてしゃべれないもん」
「素なんだ……アレ」
つまり思ったことしか言ってないのか……失敗談に追い討ちをかけてるの、狙ってなかったんだ。怖い……絶対サドだよこの子も。知り合うなら彩ちゃんとかそういうサド成分薄い子と知り合いたかった。
「それより、何を話していたのかしら?」
「そそ、あたしもそれが気になってたんだよねー」
「あ、えっと……その」
やば、これ嘘ついてもバレるやつだ。と言ってもホントのこと言うのはまずい。千聖さんなら優しくいたぶるように教えてくれそうだけど、例によって俺はマゾじゃないので。
「なぁに? いつにも増して歯切れが悪いわね?」
「あー、うん。ちょっと……千聖さんには知られたくないことだったから」
「なるほど……そういうことなら訊かないでおいてあげるわ」
「え? いいの?」
「ええ」
絶対気になることでしょう? なんでそこで引けるの? え? どういうこと? どうやら日菜ちゃんもそう思っていたらしく、首を傾げていた。しかし千聖さんはいつもの余裕を口許と口調に帯びさせたまま頬杖をついた。
「それに関しては私が思った以上に欲張りになってしまっただけだもの」
「……えっと?」
千聖さんは意味深なことを言うだけ、ちっとも要領を得ない。やっぱり、まるでこの時間そのものを引き延ばそうとしているような、そんな感覚があった。日菜ちゃんはその言葉になにかを察知したのか、なるほどねーと笑い立ち上がった。
「あたし、先に帰るね」
「いいの?」
「うん、あ、そうそうキミ!」
「はい」
「次のお渡し会はあたしのとこにも来てね! それじゃ!」
日菜ちゃんはそれだけ言うと楽しそうに去っていった。いや、あなたのところに行っても話すことないんだけど……嵐のように去っていく彼女の背を追いかけることはできなかった。
「千聖さんは……帰らなくていいの?」
「私と二人きりは嫌かしら?」
「そうじゃなくて……まぁ千聖さんがいいならいいけど」
嫌なんてとんでもないよ。推しとこうしてゆっくり話せる贅沢なんて俺の身に余る光栄だけどさ。だからそれ以上の疑問を挟まずに俺はキレイな所作でカップを口に運ぶ千聖さんを見ていた。
「随分とこうして過ごすのも違和感がなくなってきたわね」
「そう、だね」
「まだあなたにとって
「大丈夫だよ」
「ならよかったわ」
なんでそんなこと訊くんだろう。俺はずっと千聖ちゃん推しだよ。千聖ちゃんの笑顔と対応に惹かれて、話す度に受け応えが楽しくて、名前を覚えてくれてさ。今度のイベントだって勿論、楽しみで仕方ないんだから。少しだけ不安そうな顔をしていた千聖さんは俺の言葉に少し口許の力を抜いた……ような気がした。
「あなたは……やっぱりバカね」
「なぜ、脈絡なくない?」
「なくはないわよ、少なくとも私の中では⋯⋯ね」
あざとウィンクをされてしまった。やべ、鼻血でそう。顔がいいんだからそうやって至近距離でウィンクとかしないで、心臓止まっちゃうでしょ。今のオタクの流行りは尊死だけど俺は古のオタクの魂を持ってるので萌死するんだからね?
「さて、それじゃあ帰りましょうか。送ってくれるわよね?」
「……喜んで」
立ち上がり、千聖さんは俺の隣をまるでスキップでもしそうなくらいのご機嫌で歩き始める。
俺と過ごす時間が楽しいなんて、そんなことあるわけがない。風紀委員さんに言ったはずの自己評価が揺らいでしまうほどに、千聖さんの横顔は輝いていた。寂しい町外れの街灯がスポットライトであるかのように、俺の視線を注目させる。
「千聖さん」
「なぁに?」
「楽しそうだね」
「ええ……ふふ、とっても楽しいわよ?」
「どうして?」
「気付いているくせにそういう訊き方をするのね」
いたずらに笑われてしまった。気付いているのに……ってことは、本当に? でも、どうして俺となんだろう。
俺は別に楽しませるようなことを話せてるわけじゃないのにさ。というか千聖さんはなんでそんな楽しそうなんだろう。
「考えて、わからないのかしら?」
「……うん」
「まぁ、あなたはそういう人よね」
なんだか、呆れられてしまった。楽しそうだったのに、怒らせてしまったかなと思ったけど、どうやら機嫌が悪くなるほどではなかったようで、千聖さんはそうね……と思案顔をしてみせた。どんな表情でも映える、ってのはずるいなぁ。
「少し、教えてあげてもいいかしら……」
「千聖、さん?」
細い指がまさかの俺の指に絡まった。ちょ、ちょっと? 千聖さんそれはやばくない? そりゃ握手は何回かしたことあるけどさ、こんなガッツリなんて、俺の平常心が大丈夫じゃないからね? さては俺をまたもごもごさせようとして悪戯をしてるんだな、と思っていつも通りの楽しそうな顔を……あれ? なんか、雰囲気、違うくない? なにその顔、知らない。なんでそんな、そんな……そんな顔するの。
「……私は、私は、本当は……」
「──二人とも、何してるの?」
「……っ! か、花音……」
千聖さんがなにかを言おうとした瞬間、幼馴染さんに声をかけられた。あれ、なんか肌寒いような、なのに火傷をしてしまいそうなくらいの……怒りを感じるんだけど。
──ってやば、今日も行くかもって言われてたんだった! 恐る恐るスマホを見ると着信とかメッセージがいっぱいになってた。なのに本屋に立ち寄ってからこんな時間まで……そりゃ怒るよね。
「ごめん、連絡しなくて」
「……心配したんだよ? 本屋さんにも探しに行ったのにいないし……ちょっと迷子になっちゃったし」
「それはホントにごめん」
「うん、無事だったから
ん? 言い方が変な気がする。それは、ってまるで違うことが大丈夫じゃないような。
ぱっと千聖さんが気まずそうに離れていった。あ、ああそういうこと。いやいや俺じゃない! 俺はなんにもしてないから! 誓って! 推しに手を出すなんて愚行は絶対にしないから!
「どういうこと? なんで?」
「ええっと、俺からはなんて説明したらいいか」
「……今度、ゆっくり訊くからね」
「ええ」
あれ? 幼馴染さんは誰に話してる? 二人? ああもうこういう時に返信先にアットマークでもつけてくれたら楽なのになぁ。けど話はそこで終わってしまって、千聖さんを送って彼女と二人で家へと向かうことになった。なんだろう……さっきはすごく、居心地が悪い。
「今日は泊まってくね」
「はい? なんで?」
「最近ずっと御両親に挨拶できてないし……それに」
「それに?」
「ううん、キミに話してほしいこと、いっぱいあるから」
どうやら俺は彼女にも事情を説明せねばならないらしい。拷問だ、新手の拷問でしょこれ。何が楽しくて最近身近な二人の言動がわからなくて女性の行動による心理本を読んでいたら風紀委員さんに鼻で笑われて一緒にお茶をして、千聖さん……とついでに日菜ちゃんに偶然会って、家まで送ってった途中、だなんて言わなくちゃいけないんだろう。恥ずかしいからいっそ殺せ。
「……そっか」
「わ、っと……え、えっと……? なに、どうしたの?」
俺の部屋で向かい合い、それを知った幼馴染さんは、首で頭を支えることをやめたように、俺の肩に置いた。表情は見えず、ただ彼女の風呂上りのしっとりとしたあたたかな髪から彼女が選んでくれた俺の家のシャンプーの香りがするだけの時間に、その距離に思わず両手が行き場を失ってしまった。疲れちゃったんだろうか、それからしばらく彼女はただ一言も話すことなく、俺にもたれかかっていた。
「……あげない。誰にもあげないから」
「え?」
「やっと……取り戻したんだから、もう絶対、絶対に……」
つぶやいた言葉の意味は俺にはちっとも、ほんの一ミリもわからなかった。けれどやっぱり凍るような冷たさなのに、触ったら火傷をしてしまいそうなくらいの怒りと、何か別の感情だけは、痛いほど俺に刺さっていた。