スリザード・クラブ (蛇寮非魔法族出身者の会) 作:非魔法族
第1話 ふたりぼっちのスリザード・クラブ (1)シム・スオウ
「スリザード・クラブにようこそ、シミオン・スオウ君」
背後で澄んだアルトボイスが響き、シムの心臓は跳ね上がった。2E教室には自分しかいなかったはずなのに、自分が教室に入ってから扉が開く音もしなかったはずなのに。魔法と分かってはいても、魔法を散々目にしても、心臓は慣れるものではないらしい。
恐る恐る振り返ると、先ほどまで誰もいなかった空間にひとりの魔女が立っていた。彼女を見ると、シムの心臓は再び跳ね上がって一瞬止まり、胃のあたりに痺れを感じた。ただの生理現象であるのだが、これも魔法なのかと錯覚しそうになった。スリザリンに組分けされたことに起因する絶望がほとんど吹き飛んだ気さえした。
★
「スリザリン!」
遡って九月一日の夜。夜空を模した天井をいだく、ホグワーツ魔法魔術学校の大広間。一年生シミオン・スオウの被る組分け帽子がようやく声を轟かせ、右端の長テーブルから歓声が爆発した。襟元が緑色のローブを着た集団だ。シムは自分のローブを見下ろした。先ほどまで黒かった襟元が不思議なことに緑色に染まり始めていた。これも魔法のなせる業なのか。本日何度目か分からない感嘆の息を漏らした。
帽子を脱いで歩きだし、スリザリン寮のテーブルに着くころには、次の生徒ディーン・トーマスは既にグリフィンドールに組分けされていた。一年生のために空けられていた席は、既に多くが埋まっており、手前に少し残っているのみだった。
体格の良い男子生徒が、自身の向かいの席を手で示し、座るように促した。シムは目礼し、腰掛けた。自分の席からは四寮すべてのテーブルが見え、左手には教師陣が並ぶ上座と、新入生が組分けされる様が見えた。まだ寮が決まらない生徒はわずかだった。リサ・ターピンがレイブンクロー、ロナルド・ウィーズリーがグリフィンドール、最後にブレーズ・ザビニがスリザリンに組分けされ、再びスリザリンのテーブルが歓喜に沸くうちに組分けの儀式は終了した。
長い銀髪と髭をたたえた「老魔法使い」のイメージそのままの人物、今世紀最も偉大な賢者にしてホグワーツ魔法魔術学校校長アルバス・ダンブルドアが立ち上がる。校長が二言三言の挨拶を述べ終わると――文字通り「二言三言」であるその挨拶に、他のテーブルの生徒が喝采を送る一方でスリザリン生は鼻を鳴らしお義理程度の拍手を送った――宴が始まった。空の大皿に突如出現した食べ物に圧倒されながら、シムはローストビーフやヨークシャプディングなどを自分の皿に取り始めた。
「スリザリン生には珍しく、それなりに時間がかかったものだな。ロングボトムとやらほどではなかったが。どこの寮と迷っていた?」
組分けが長くなるほど食事が始まるのが遅くなるから、それに対する嫌味なのだろうか。シムは一瞬身構えたが、上級生は単に軽い談笑のつもりのようだったので安心した。
「レイブンクローと迷っていたみたいです」
「フン。まあ悪くはない寮だな。もちろんスリザリンこそが最も秀でた寮ではあるが。歓迎しよう、シミオン・スオウ」
彼は鼻を鳴らし、優雅ながら傲然とした調子で言った。口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
どうもこのテーブルに座る生徒たちは、他のテーブルの生徒たちとは雰囲気が異なるとシムは感じた。少し見渡した印象では、スリザリンの生徒は概ね三種類に分かれるようだ。一つ目は、労働とは無縁の
「スオウ――英国の姓ではないね。見たところ君は、アジアの血を引いているの?」
今度は左隣に座る女子生徒が、持ち上げたピッチャーから自らのゴブレッドに注ぎながら訊いた。ピッチャーには「魔女かぼちゃジュース」のラベルが張られていた。非魔法界のかぼちゃジュースと違うのかどうか気になった。
「ええ、まあ。祖父が日本の出身で。といっても、僕は生まれも育ちも英国ですけれど」
ロンドン近郊の祖父の家で日本食が供されるときを除くと、シムは自身と日本との繋がりを感じる機会はあまりなかった。
「日本か。確か日本には……マホウトコロという魔法学校があったな。マホウトコロについて聞いてもいいか?」
向かいに座っていた上級生が再びシムに問いかけた。マホウトコロ。極東にも同じような魔法学校があることにシムは驚いた。
「えっと……日本にそんなのがあるんですね。初めて知りましたよ。僕の知る限り、祖父はふつうの学校、マグルの学校の出身だったと思います。父も祖母もですが」
一瞬の沈黙が降りた。
「ああ、そうだったか。無礼な質問を許してくれ。なに、スリザリンには半純血の生徒も沢山いる。純血も半純血も同じスリザリンの家族だ、気にすることはない」
上級生はそれ以上問い詰めようとはしなかったが、右に数席離れた少年から気だるげな声が上がった。
「『
青白い顔をした、顎の尖った少年だった。組分けで帽子を被るか被らないかのうちに、スリザリンに組分けされた新入生だ。名はマルフォイといったか。顔立ちは幼いものの、貴族の雰囲気を身にまとっていた。ホグワーツに来て二時間も経っていないというのに、不思議と周囲の上級生から恭しい扱いを受けているようにも見えた。
シムは、この質問に対して何となしに違和感を覚えつつも、嘘をつくことはないと思い、正直に答えることにしてしまった。シムは魔法界で育たなかった。それゆえ英国魔法界におけるひとつの大事な常識を知らなかった。それは――
「
――魔法界ではマグル差別は根強く、そしてとりわけ血統を重視するスリザリン寮では、マグル生まれは侮蔑され排斥されるということをだ。
シムの周囲で沈黙が水を打ったように広がった。空気が突如張り詰め、囁き声が湧きあがる。
マグルがスリザリンにくるのかよ――この寮は清潔だと父上がおっしゃっていたのに――残念ながらたまに出るんだよ――奴だけだと思ってたが――何年ぶりだ――?
シムは頭から血の気が引いてゆくのを感じた。体がこわばる。シムがたとえどれだけ鈍感だったとしても、自分がいま特大の地雷を踏みぬいたと気づかないわけにはいかなかった。
フローリシュ・アンド・ブロッツ書店でぱらぱら読んだ本で、四寮の特質には知っていたつもりだった。「――スリザリン。偉大なる魔法使いマーリンが所属していた寮。機知・大望・決断力・自己防衛・血統などの特質を尊ぶ。この寮の者は野心を抱き力を求める傾向にある。偉業をなす者が多い一方、悪名を轟かせる者も多い――」
生来慎重なシムは、初めて飛び込む魔法の世界について入念な下調べをしなければと思いもする一方で、しかし余分な前情報を仕入れず新鮮な心持ちでホグワーツを見聞きしたいという思いも強かった。そうしてスリザリンについてそれ以上の情報を得ようとはしなかった。
シムがもし事前に「ホグワーツの歴史」を読んでさえいれば、期待で前夜寝付けなかったがためにホグワーツ特急で眠り込むなどという失敗さえしなければ、目を覚ました後に乗り合わせた少年ともっとホグワーツについて話してさえいれば、組分け帽子の歌が違っていれば――あるいはもう少し、慎重な返事ができたかもしれない。一般的な11歳の少年と同じ程度に両親を愛しているシムには、親が魔法族である嘘偽りは吐けなかったであろうが、それでも少しはスリザリンらしく狡猾なかわし方ができたかもしれない。いや、ここまで拒絶されるとわかっていれば、そもそも組分け帽子がスリザリンを勧めた段階で、もっと激しく拒否をしたに違いない。
マルフォイ少年は、侮蔑と嫌悪の色を顔に浮かべていた。向かいに座っていた上級生はもう笑っていなかった。
「ああ。なんというべきか――。残念だが、お前は、スリザリンでは、歓迎されない。
そして上級生は、あからさまに顔をそむけ、横の生徒と会話を始めた。「監督生」のバッジを胸につけた女子生徒がたしなめた。
「新入生歓迎会で、そのような言葉はやめなさい、フリント」
「おや。スリザリンの監督生ともあろう人が、『血を裏切る』のですか?ファーレイさん』
マルフォイが尊大な口調で言った。ファーレイと呼ばれた監督生の女子生徒はため息をつく。
「私は監督生として、スリザリンに組分けされた新入生はみんな、面倒を見る義務がある。組分け帽子が認めた以上は、みんな同じスリザリン生でしょ。同じスリザリン同士で溝を作ってもしょうがないよ」
そしてファーレイはシムの方を見た。「まあ、なんというか――ご愁傷様ね。また後でね」
ファーレイは申し訳なさそうな目つきをしたが、特にそれ以上シムに話しかけることはしなかった。シムの体は硬直から解けたが、焦りと混乱で相変わらずうまく物を考えられなかった。無意味な言葉が脳をめぐる。
なにしろ魔法界に初めて飛び込むのだ。途中で何か大失敗をして学校生活がどん底に落ち込む悲観的な想像をしないではなかった。しかし学校に来て初日に、自分にどうにもならない属性のせいで、ここまであからさまに冷遇されるとは、さすがに想定していなかった。テーブルの左端から順に辺りを見回していった。目が合った生徒はみな、軽蔑の眼差しを返すか気まずそうに視線をそらした。絶望が増すのを感じながらテーブルの右端まで視線を移したとき、最も端に座るひとりの女子生徒が自分を見つめていることに気づいた。
緑の眼をした長い黒髪の女子生徒だった。遠く離れていたためほとんど顔の造形を認識できなかったが、それでもシムは彼女をしばし見つめてしまった。少女の顔から笑みがこぼれたかと思うと、彼女は目をそらして食事に戻った。シムは慌てて我に返り目線を外した。なぜかその女子生徒の周囲には生徒がおらず、隣の生徒とは二席ほど距離が離れていた。とはいえ、ただの孤立の一語では表現できない、独特の堂々とした空気が彼女の周りに漂っているようにも思えた。
シムはその後、何か周りの生徒から侮辱や罵倒をされることはなく、単にいないものとして扱われた。味のしない晩餐を噛みしめているうちに、再び校長が立ち上がって注意事項を述べ――立ち入ると死ぬ廊下があるなど言われた気もしたが、回らない頭の聞き間違いだろうか――、旋律もリズムも定まらない校歌を歌って解散となった。がやがやした騒音の中で、女子の監督生・ファーレイが杖を自らの喉にあて呪文を唱えた。そしてマイクを使っているかのような音量で彼女は声を張り上げた。
「一年生!座って待っていなさい。上級生があらかた出たらスリザリン寮に案内するから、見失わないようについていくこと」
ファーレイの所作や言葉のアクセントは上流階級のそれではなかったが、しかしスリザリン寮をまとめるにふさわしいだけの統率力と威厳を備えているように見えた。ファーレイは肩まで伸びた茶色い髪と鋭い目をした少女だった。他の寮生とスリザリンの上級生がほとんど大広間から消え、静寂が戻りつつある頃に、ファーレイは再び声を張り上げ先導し始めた。大広間から出て、階段を降りながらファーレイは話す。
「スリザリンとハッフルパフの寮は地下にあります。……地下?と最初は思うかもしれないけど、グリフィンドールやレイブンクローみたいに食事のたびに塔のてっぺんを昇り降りする必要がなくてラクだし、風の音もうるさくないし、夏の陽射しも暑くないし、良いものだよ。まあ冬は正直寒いけど、寮の中は暖かいから」
まだ九月であるが、地下の廊下はひんやりしていた。剥き出しの石の壁が並び、あまり気味の良い雰囲気ではなかった。角を何度か曲がったが、翌日に大広間から迷わずたどりつける自信もシムにはなかった。
「どの寮も、他の寮生には分からないように入口が隠されていてね」
そしてファーレイは廊下の突き当りで止まった。一見何の変哲もない石壁だった。
「ここが、スリザリン寮の入口。この壁に石の扉が隠されていて、合言葉を唱えれば開くの。合言葉は二週間に一度変わるから、掲示を見逃さないこと。他の寮生に教えることも禁止ね。……スリザリンのねぐらに間抜けに入ってゆく生徒がいるかはともかくとしてね」ファーレイは石壁に向き直り叫んだ。
「
すると石壁がするする開き、緑の光とともに部屋が姿を現した。
長い荘厳な部屋だった。壁や天井は粗削りの石でできていたが、暖炉や椅子やあちこちに手の込んだ彫刻が施されていた。緑のランプと銀のランプがいくつも垂れ下がり、幻想的に室内を照らしている。上級生がまばらに何人か座ってこちらを見定めている。
「ここが談話室。スリザリン生達が共に語ったり学んだり遊んだりする場ね。奥に見えるあちこちの扉は共同寝室。もうそれぞれのトランクが届いてるはず」ファーレイは一年生全員を見回し、息を吸った。
「それでは改めて、おめでとう!私は監督生のジェマ・ファーレイ、スリザリン寮に心から歓迎します。スリザリンの紋章は最も賢い生物たる蛇、寮の色はエメラルドグリーンと銀。ここの談話室の窓はホグワーツ湖の水中に面しているのが分かるかな。神秘的な沈没船みたいな趣で良いでしょう?」
「さて、スリザリンについて知っておくべきことがいくつかと、忘れるべきことがいくつかあります。」
「まず、いくつかの誤解を解いておきましょう。もしかするとスリザリン寮に関する噂を聞いたことがあるかもしれないね。たとえば、全員闇の魔術にのめり込んでいるとか、先祖が有名な魔法使いでないと口をきいてもらえないとか、その手のやつ。確かに、スリザリンが闇の魔法使いを出したことは否定しないけど、それは他の3つの寮だって同じこと。他の寮はそれを認めないだけなの。それに、伝統的に代々魔法使いの家系の生徒を多く取ってきたのも本当だけど、最近では片親がマグルという生徒も大勢いるの」
周囲の何人かがシムに視線を向けた。シムは努めて何でもないようなそぶりでファーレイを見続けた。ファーレイは、かの偉大なるマーリンがスリザリン出身であることと、スリザリンは名誉と伝統を重んじ、常に勝利をめざす寮だということ、スリザリンの評判と悪評について話した。
「まあ、ワルっぽい評判というのも楽しいものだよ。実際どうかはともかくとして、ありとあらゆる呪いを知っていると思わせるような態度を取れば、誰がスリザリン生の筆箱を盗もうなんて思う?」
ファーレイの口元に浮かんだ凄絶な笑みを目にし、思わせるような態度ではなく、実際に多くの呪いを知っているのではないか、そして使うことが正当化される場面で実際に使うことに躊躇いがないのではないかとシムには思えた。
「でも私たちは悪人ではない。私たちは紋章と同じ、蛇なの。洗練されていて、強くて、そして誤解されやすい。」
ファーレイの口調は、スリザリン寮に対する誇りであふれていた。
「たとえば、スリザリンは仲間の面倒を見るけど、これはレイブンクローだったら考えられないこと。あのガリ勉集団は、自分の成績のためなら互いを蹴落とすような連中だからね。でもスリザリンでは皆がきょうだい。グリフィンドールが廊下で攻撃してこようとも、仲間といれば心配ないわ。あなたが蛇になったということは、私たちの一員になったということ。つまり、エリートの一員。」
その「私たち」の一員にシムは入っているのだろうか。ファーレイは頷いてくれるかもしれないが、おおかたのスリザリン生は違うだろう。
「だってサラザール・スリザリンが、彼の選ばれし生徒に何を求めていたか知ってる? 偉大なる者の種なの。あなたがこの寮に選ばれたのは、文字どおり偉大になる可能性があるから。もしかすると、周りにとても全く特別でなさそうな人がいるかもしれない。でも、組分け帽子がこの寮に入れたということは、何かしら偉大な部分があるということなんだから、それを忘れないように」
「まあ、こんなところかな。ホグワーツに来たばかりで昂っているかもしれないけど、きっとよく眠れるよ。湖の水が窓に打ち寄せるのを聞いているととても落ち着くから。――長くなったけど、ご清聴ありがとう」
ファーレイは一礼をし、次いで周囲から拍手が起こった。
「ちょうど寮監のスネイプ先生が来たみたいだし、スネイプ先生からもひとこといただきます」
いつの間に音もなく現れたのだろうか、ひとりの男が立っていた。長い脂ぎった黒髪、鉤鼻、虚ろで冷たい目、土気色の顔をした陰気な男だった。新入生たちの間に緊張が走った。この男に逆らうことは許されないと、本能的に感じさせられた。
なぜこの人物が教師をやっているのだろうとシムは思った。偏見かもしれないが、子供が好きなタイプにも、教えるのが好きなタイプにも思えない。控え目にいっても、教師よりは暗殺者の方が向いてそうである。
男は呟くような調子で挨拶を始めたが、言葉を発する者は誰もいなかったため、細部を聞き漏らすことは起こりえなかった。
「寮監のセブルス・スネイプだ。諸君がスリザリンに来たことを改めて歓迎する。ファーレイが述べた通り、我がスリザリンは他寮のウスノロどもよりはマシな生徒が多いと請合おう。諸君が望むのならば、有意義な七年間をこの寮で送れるだろう。寮対抗杯も六年連続で獲得しているが、今年度もスリザリンらしく団結し勝利に邁進したまえ。反対に、スリザリンの名を汚す行動をとる者がいれば――我輩の不興を被ることになる」
寮監は睨みながら生徒たちを見回した。多くの生徒が恐れから首をすくめた。
「我輩の受け持つ魔法薬学のクラスは金曜日にある。その時にまた会うこととしよう」
そしてすぐにマントを翻し、一年生の反応を窺うこともなく寮監は去っていった。ジェマが後ろ姿に「ありがとうございました」と声をかけ、生徒たちの緊張が解けた。一年生はそれぞれ寝室へと送られた。銀のランプに照らされた静かな部屋で、緑の絹の掛け布がついた四本柱のベッドが五つ並んでいた。
シムはなんとなく、この部屋に集められた生徒たちは「純血」の名家出身ではないような気がした。だが彼らは特にシムに話しかけることはなく、着替えて寝入った。明日以降の生活に思いを馳せて憂鬱になりながら、シムもベッドにもぐりこんだ。
翌朝、予想と違わぬ学校生活が幕を開けた。スリザリンの一年生の間では、既に明確な序列が出来上がっているようだった。その頂点の一角がドラコ・マルフォイで、彼は王族であるかのように我が物顔でふるまっていた。そしてシムは序列から外れた
とはいえ夕食になるまでは、複雑怪奇なホグワーツ城を四苦八苦しながら移動し、授業の内容を詰め込むだけで精一杯だったので、余計な事を気にせずに済んだ。
夕食を終え、改めて自分の置かれた状況を認識して気が重くなりながら廊下を一人で歩いていると、途中でシムはふと立ち止まった。
自分の目の前に、四つ折りにされた紙が一枚浮いていた。それも、魔法界の教科書で用いられる羊皮紙ではなく、マグルの世界で散々目にしてきた白い西洋紙であった。不思議に思いシムが手を伸ばすと、その手に向かって紙が飛び込み、自然に開いた。紙には大人びた達筆な字が滑らかに躍っていた。
Mr.シミオン・スオウ
入学おめでとう。そしてスリザリン寮に入寮おめでとう――とは手放しには書き辛い。身をもって体験したように、君のような非魔法族出身の者は、スリザリンではきわめてマイノリティで、きわめて難しい立場にある。寮の結束を重んじるスリザリン寮にあって、唯一の異端といっても良い。
そこで、スリザリンでは代々、非魔法族出身者が結成する、自己防衛のための互助組織「スリザード・クラブ」がある。君が望むなら、スリザード・クラブはいかなる協力も惜しまない。あす火曜の夜七時、三階の2E教室に来てほしい。他の生徒に、とりわけスリザリン生には、見られないように注意すること(ホグワーツ城で未知の場所にたどり着く最短経路は、言うまでもなく「尋ねる」ことだ。三階の貴婦人の肖像画が快く教えてくれるだろう)。2E教室は鍵がかかっているが、扉の前で合言葉「ワールド・ワイド・ウェブ」を唱えれば開く。健闘を祈る。
スリザードクラブ代表 S・S
署名の横には、直立するトカゲのシルエットが描かれていた。手紙を最後まで読み終えると、トカゲのシルエットが首をもたげ、口を大きく開けた。シムはぎょっとして声をあげそうになった。魔法界では写真の人物が動くのだから、手紙の文字や絵も動くのは当然なのか。シムが認識を改めているうちに、つづいて手紙の文字が滑り出し、大きく開けたトカゲの口をめがけて次々に飛び込んでいった。トカゲは口を閉じ、咀嚼するかの如くもごもごと顎を動かすと、すっと消えた。紙には一切のインクのしみなく、ただ「夜七時 2E ワールド・ワイド・ウェブ」の字が残されたのみであった。
シムはしばらく白い紙を見つめた。思い返せば、自分がスリザリン初のマグル生まれだとは言われていなかった。自身と同じ境遇の生徒達がいて、助けの手を差し伸べてくれるとは。辺りを見回しても、人影は何もなかった。この消える手紙を書いて送り届けた人物は、高度な魔法を――少なくとも一年生用の教科書を読み流したシムに方法が思いつかない程度には高度な魔法を――きちんと使えるらしい。立ち込める陰鬱な雲を裂いて、一筋の希望の光が差した心持ちになった。
いや、これは虐めの罠で、のこのこ向かったシムを大勢が待ち伏せしてるのではないか。そんな一抹の不安も覚えたが、しかし手の込んだ罠であるにせよ、状況が既にどん底である以上これ以上悪くなりようがないだろうとシムは思い直し、紙を畳んで鞄に仕舞った。翌日、一日の授業が終わり、夕食を急いで済ませると、周囲に警戒しつつ2E教室に向かうことにした。
肖像画に教えてもらった道のりは複雑だった。一旦四階まであがり(「禁じられた廊下」に出くわさないかと怖くなった)、丁寧にお辞儀をしないと開かない扉をくぐり、階段を降り、途中の踊り場で止まり、右手の壁を叩き、出てきたドアノブを回して隠し扉を開け、階段を降り、ようやく辿り着いた通路の奥に2E教室が見えた。ほっと溜息をついて腕時計を確認した。6時50分。少し早いが、先に待っていても構わないだろう。扉の前で「ワールド・ワイド・ウェブ」と合言葉を唱えた。
室内にはまだ誰もいなかった。通っていたマグルの小学校の教室を思い出す、やけに簡素で現代的な教室だった。この二日間でシムが見てきた、城の雰囲気と違わぬ荘厳で中世的な石作りの教室とは趣が大きく異なっていた。こじんまりした室内に、木の机と椅子が数十個、そして黒板と窓。黒板の枠も窓の枠も、意匠の凝った装飾などはない。
ホグワーツ城に似つかわしくない空気に、懐かしさとともに空恐ろしさを覚えてたたずんでいると、
「スリザード・クラブにようこそ、シミオン・スオウ君。」
背後で澄んだアルトボイスが響き、シムの心臓は跳ね上がった。2E教室には自分しかいなかったはずなのに、自分が教室に入ってから扉が開く音もしなかったはずなのに。魔法と分かってはいても、魔法を散々目にしても、心臓は慣れるものではないらしい。
恐る恐る振り返ると、先ほどまで誰もいなかった空間にひとりの魔女が立っていた。彼女を見ると、シムの心臓は再び跳ね上がって一瞬止まり、胃のあたりに痺れを感じた。ただの生理現象であるのだが、これも魔法なのかと錯覚しそうになった。
長い黒髪と緑の眼の、大人びた背の高い女子生徒だった。組分け後の晩餐でシムを見つめてきた生徒であった。長テーブルの端で遠目で見ただけでも危うかったが、改めて近くで彼女を見ると、これはもうかなわなかった。
彼女の風貌とたたずまいは、どこまでも涼やかであり、理智的であり、慎ましげであり、密やかに生きることを好むようであり、しかし大いなる野心を秘めてそうでもあり、そのための力と自信を持っているようにも見えた。冷静で抜け目無さそうであるか、優雅で貴族的であるか、残忍で粗暴そうであるか、おおむね三種類に分かれるスリザリン生の風貌に目の前の少女を無理に当てはめるならば一番目にあたるであろうが、しかし並の生徒の枠に収まるものではなかった。彼女をひとことで形容すれば、「魔女」と呼ぶのが相応しいだろう。ローブがここまで似合う神秘的な生徒は、ここまで魔女らしい生徒は他にいないに違いない。
つまるところ、目の前の魔女の引力に抗うには、まだ十一歳のシムはいささか幼すぎた。いや、たとえ年月を重ね他の女性との交流を重ねたとしても、この魔女も成長してゆく以上は、やはりかなわないのかもしれない。
ぽかんと口を開けていると、魔女はくつくつと悪戯めいて笑った。慌ててシムは口を閉じた。
「すまない。驚かせるつもりだったんだ。魔法をまだ見慣れてない新入生をついからかいたくなってしまうものでね――」
「私はセラ・ストーリー。スリザリンの四年生で、非魔法族の出身だ。来てくれて嬉しいよ。無事にここまで辿り着いて良かった」
セラは右手を差し出した。指は細く長かった。手を握り返し、その冷たさにどきりとしながらシムは答えた。
「シム・スオウです。こちらこそ招待くださりありがとうございます。よろしくお願いします」
「よろしくね。初対面だし、いろいろと世間話をして親睦を深めたいところではあるけど、なにせ門限まで時間がたっぷりあるわけではないからね。大事なことから話していこうか」
そしてセラは語り始めた。
セラ・ストーリー:
Sから始まる姓名でしっくり来る組み合わせを選んだ後に、イギリスのスポーツ選手にサラ・ストーリー(Sarah Storey)という方がいると知りました。特に関係はありません。
ローブ:
組分け時に部分的に寮の色に変わるオリジナル設定。普通の学校の制服ぽい映画のデザインも好きですが、かなり魔法使いチックな原作のデザインも良いですよね。原作だと生徒の寮をどうやって判別するのか気になりますが。
組分け帽子の歌:
一年次は純血について触れていませんが、五年次は「祖先が純血ならば良し」と思い切り歌い上げてますね。
ジェマ・ファーレイ:
Pottermoreでスリザリンに組分けされたときに歓迎してくれるらしい監督生。少し短くしましたが、挨拶の全文はジェマ・ファーレイでググるとでてきます。スリザリンの特質を十全に備えた模範生のイメージ。学年はわかりませんが、グリフィンドールのあいさつはパーシーがやっているので、パーシーと同じ五年生の設定。