スリザード・クラブ (蛇寮非魔法族出身者の会)   作:非魔法族

10 / 28
第3話 ハロウィーン(3) vs・フィリウス・フリットウィック

 アクロマンチュラが迫りギガントロールの咆哮が聞こえる中、セラはこの場から逃げ切る打開策が思いつかずに絶望と焦燥に駆られていた。

 

 ――城の地下で山トロールが目撃されました――大広間にいない生徒の皆さんは――無闇に動き回らず――安全を確保できる場所に留まってください――教員が保護に向かいます――

 

 事務的ながら切迫したマクゴナガル先生のアナウンスが廊下に響いているような気もするが、セラの耳にはぼやけた雑音のようにしか感じられなかった。「死」の一語が頭の片隅に滴るや否や、こぼしたインク壺のように頭の中を塗り潰していった。思考を覆うその黒い背景に、不思議と過去の記憶が鮮明に浮かび上がって高速で走り始めた。その思い出を演ずる顔はしかし、セラにとって最も大切な、唯一の親族である母の顔ではなく――スリザード・クラブの六学年上の上級生、シーナ・シンクレアとソフィア・ソールズベリーの顔だった。

 

 

  ★

 

 

「なんで今、追撃をしなかった」

 

 床に転がったセラに、長身の魔女が無表情で杖を向け呪いを放った。薄紅色の光がほとばしり、セラは呻いた。

 

「……っ……!」

 

 ホグワーツ一年生セラ・ストーリーは、この日もマグル生まれのスリザリンスリザード七年生二人に魔法の手ほどきを受けていた。この日の訓練は、制限時間つきで一対一で模擬戦闘を行うというものだった。とはいえ一年生のセラが七年生の修羅と互角に戦えるはずもなく、実質的には「一定時間なんとか逃げ延びる」になっていた。

 訓練はスリザード・クラブが居座る2E教室で行うことが多かったが、そこでは手狭な時は、五階の「4C教室」(中央の円い教卓のほかは何もない円形の空き教室)、西塔の「景色の間」(大自然の風景を立体的に映し出して外にいる気分にさせてくれる部屋)、地下の「水蛇回廊」(上下左右に曲がりくねる湿った通路で水晶の窓からは湖の中が見える)、六階の「旧図書館跡」(天井までそびえる空の書棚が整然と立ち並ぶ不気味ながらも物悲しく寂しい空間)、八階の「必要の部屋」(利用者の要望に最大限応えてくれる魔法の大部屋)など城のあちこちが会場になった。この日のセラは「必要の部屋」に連れていかれた。部屋には大小様々な柔らかい障害物が配置されていて、鬼ごっこや隠れん坊にはおあつらえ向きだった。もっとも鬼ごっこや隠れん坊なら、鬼に捕まったところで何も怖くはないのだが。

 

「答えろ」

 

 七年生シーナ・シンクレアはセラの顔を覗き込み、温かみの一切ない声と眼つきで淡々と声を発した。セラは逡巡した。この魔女に問われたときには、論理的で整合性のある答えを返さなければならない。感情的な訴えは求められていない。

 

「勝てない相手には――隙が生まれた時に、逃げろってシーナが――」

 

 再び薄紅色の光がほとばしり、セラは再び小さく声を上げた。

 この七年生がセラに痛みを与えたり吹き飛ばしたりするときは、もう一人の七年生のように、単にいたぶりたくなったときではなく、教え込むにあたってそれが最も効果的だと判断したときであった。その行動にためらいは一切なかった。シーナ・シンクレアという魔女は、自動人形(オートマトン)であるかのように感情を一切込めずに、セラ・ストーリーを特定の入力で状態を変える順序機械(オートマトン)であるかのように淡々と取り扱う。欲に忠実なだけのソフィア・ソールズベリーよりなおたちが悪いといえた(もちろんソフィアと決闘する時には、シーナと相手をする方がずっとマシだとセラは感じた)。

 

「私はセラに、勝てない相手には常に逃げろと言った覚えはない。長期的に生き延びる可能性を最大化するであろう行動を、常に執れと言ったことしかない」

 

 シーナは無表情を完璧に維持したまま言った。この魔女はホグワーツよりもさらに北、スコットランドの北の果て(ハイランド)の山合いの田舎町で生まれ育ったが、しかしその地の冬の風は、彼女ほどに冷たくも厳しくもないと思われた。

 

「杖を取り落とした今の相手(わたし)のミスを利用しなかったら、また相手(わたし)はすぐに杖を拾ってセラを追い詰められる。セラの手札に『姿現し』はないのだから、ほとんど距離は稼げない。一方で今、セラが相手を追撃していれば、相手はそれに対処せざるを得ない。避けるか殴るかしかできない。次の相手の手札の最強カードが最も貧弱になるような手札を常に切れ。躊躇うな」

 

「残念だったね。せっかくあなたの『風よ(ヴェンタス)』が変に逸れたお陰で、シーナの杖に当たったのにねえ。そこで背中見せて距離を取っちゃったら、状況が元に戻っちゃうじゃない。――まあ、杖を持ってなかろうと、シーナに間合いを詰められて殴られたら終わりだから、一撃で仕留める必要があったけどね」

 

 部屋の壁に架かった高い梯子に腰掛けたプラチナブロンドの魔女が、穏やかな笑顔で、自らの巻き毛を片手で弄びながら、もう片手の手で二人に呪いを放って言った。シーナは振り返らずに「盾の呪文」で弾いたが、反応が遅れて呪いを喰らったセラは吹き飛んで障害物に無様にぶつかり、プラチナブロンドの魔女は笑みを深めた。

 この七年生ソフィア・ソールズベリーの今の役目は、二人の身に危険が及ばないよう戦況を注視しつつ、気まぐれに適当なタイミングで戦場や二人に魔法をかけることで、戦況の不確実性と緊張感を高めるというものであった(もっとも、セラとシーナに公平に降り注ぐ呪いは、シーナの方は意に介さず防いでいたので、セラにとっては単に敵が一人増えたに過ぎない状況になっていた)。

 そしてソフィアは常に柔和な笑みを浮かべており、その(たたず)まいは一見すると慈愛溢れる聖女の趣があったが、その実、人の屈辱・悔し涙・憤怒の表情を見ると満面の笑顔になり、時には腹を抱えて涙する、歪んだ嗜虐癖の持ち主であった。ソフィアもシーナも、生粋のマグル出身にもかかわらずスリザリンに送り込まれただけあって、骨の髄までスリザリンの気質だった。マグルの基準では言うに及ばず、英国魔法界の基準に照らしても、人格者なる言葉とは無縁に思われた。

 

「でもシーナ、あなたさっき手を抜いてなかった?今日はちょっと手ぬるくない?もしかして魔力も体力も温存しようとしてる?」

 

「そんなことはない。最近のソフィアは、無言呪文を連続で二発撃つと、杖先が下に逸れる癖が出てきたことを、昨日私は発見した。温存しなくても勝つのは、余裕だ」

 

「……ふうん。ご丁寧な助言と挑発をどうも。……今日こそ泣かせてやるから。あなた気づいてないかもしれないけど、盾の呪文を張ったときに足もとがスカスカになっているの」

 

セラの訓練が終わると、今までは準備運動とばかりに七年生二人はいつも本気の決闘を始め、セラは飛び火しない遠くの位置から見学させられるのだった。――とはいえ、シーナ・シンクレア対ソフィア・ソールズベリーの戦闘は、生徒同士のお遊びと片づけるにはあまりに高度なものであったので、セラがそこから学べる技術はあまり多くなかった。というのも、この二人は七年間片時も離れずお互いの身も心も知り尽くしており、ほとんど毎日決闘しており、魔法の腕も戦闘のセンスもほとんど互角であったからだ。お互いがこのタイミングで何の呪いを放ち、どうかわし、どう防ぎ、どんなフェイントを用い、どんな搦め手を用いるか、幾千ものパターンが互いの頭に入っていたし、今まで用いていなかった攻撃がどのように繰り出されるかの予測もある程度ついていた。二人の数十手先までの読み合いを経た攻防は、魔法戦闘の技能を比べる勝負というよりはむしろ、集中が先に一瞬でも乱れた方の負けという勝負、あるいはただのじゃんけんの繰り返しの様相を呈していた

 

「その発言は、敗北を喫した私をなじりながら弱点に気づかせてくれるソフィアの流儀を踏まえて普通に考えればブラフだが、私にハンディを与えられたことは我慢ならないはずだから今日に限れば本当だろう、と推測する裏をかいてブラフだ、と私が疑うところまで見越して、罪悪感を負わせて嘲笑うための本当の助言なんだろう」

 

「ねじくれてつくづく可愛くないやつ。素直に受け取れば良いのに。頭を下げて感涙したらどう」

 

「ソフィアはつくづく可愛いやつだ」

 

「知ってる。そういうところは素直でよろしい」

 

 このような時間は休憩できるのでセラにとってはありがたかった。

 

「けれど、そこに転がっている可愛らしいセラをあなたも少しは見習いなさい」

 

 休息は束の間だった。シーナがセラに顔を向けた。セラは深海を思わせるシーナの瞳から目をそらした。

 

「でも――そんな、どっちがより優れた選択かなんていつもすぐに判断できるわけではないし――それに、どれを選んでも絶望的なときは、二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなったときはどうすれば――」

 

 セラは再び呪文が飛んでくるのを覚悟して反射的に目をつぶったが、シーナは何もせず淡々と言葉を紡いだ。

 

「もちろんそんなのがいつも判断できるわけではない。それに分析的な思考は当然、一瞬の判断が要求される場面ではあまりに遅いことが多い。そういうときはもっと瞬発的な別のシステム、直観や感情に頼れば良い」

 

「セラは今、私を倒したいと思っているだろう。仮にどっちを選んでも絶望的だとしたら、背中を見せたまま死にたいか、一矢を報いて死にたいか、どちらが良いか――つまりはそういうことだ」

 

 セラの瞳の暗い輝きを見て、シーナは頷いた。この七年生は常に無表情で冷徹だったが、しかし決して人の感情を解さない、解そうとしない性格ではなく――むしろ人の感情を完璧に解した上で、自らの振る舞いを合理的に組み立てる性格であった。

 

「それと、私は別に、セラの勝てない相手ではない。私もソフィアもただのホグワーツ生だ、ダンブルドア校長でも『例のあの人』でもない。私が今のセラ・ストーリーと本気で殺し合いをした場合、千回に九百九十九回は私がセラを三分経たずに殺すだろう――それでも一回は私が何かの拍子に、無様に殺されるはずだ。私がホグワーツを卒業する頃には、百回のうち一回、あるいは十回のうち一回殺されるくらいになっているかもしれない」

 

 シーナの声が心なしか和らいだ。セラは決意を新たに、杖を握りしめ立ち上がった。

 そこからの数十分間はまた、セラはシーナに無情に狩られ続けた。ソフィアはけらけら腹を抱えて笑っていた。

 

 それから数ヶ月後。夏も近づき、七年生がいよいよN.E.W.T(いもり)試験・「めちゃくちゃ疲れる魔法テスト」を控える中のある日の夜、セラとシーナはソフィアの監督のもと、六階の「旧図書館跡」で戦闘の訓練を行っていた(「必要の部屋」は非常に便利な部屋だったが、それゆえに頻繁に用いる生徒が一定数いたため、シーナもソフィアもあまり好んで使おうとはしなかった)。

 セラは息を切らしながら、書棚の一角に背を預けていた。シーナは音もなく、あるいはわざと音を立てて歩き、時折呪文を放ちながら、セラを部屋の隅に冷静に追い詰めようとしていた。この広大な部屋は、暗がりの中で背の高い空の本棚がどこまでも続く、不気味で殺風景な空間だ。三つ右の通路を黄色い閃光が走った。セラは鼓動の速まりを感じた。

 セラの成長の速度は七年生二人が素直に称賛を惜しまなかった。そのためこの頃になると、杖腕とは逆の手で杖を構え使う呪文を大幅に制限するハンディを除けば、七年生はほとんど本気を出していた。とはいえそれでもセラが一矢を報いるのは厳しかった。

 正課では六年生で習い始める無言呪文を当然まだ使えなかったセラは、魔法を使おうとすれば相手に位置がバレてしまう。七年生のように、途中までブラフの詠唱をして別の無言呪文を放つなどといったテクニックも使うことができない。

 だからセラは、逆に自らの声を鳴り響かせることにした。天井までそびえる棚が密集する今の地形では、声が響いて音源の位置を特定されにくくなるはず――。棚の死角に隠れて生まれた隙に、自らの喉に「響け(ソノーラス)」を唱えた。闇雲に駆け出し、闇雲に呪文を乱射し始めた。静寂が粉々に打ち砕かれた。

 

笑い続けよ(リクタスセンプラ)」「落ちろ(ディセンド)」「鳥よ(エイビス)」「襲え(オパグノ)」「くらげ足(ロコモーター・ウィーブル)」「妨害せよ(インペディメンタ)

 

 セラを淡々と追い詰めようとしていたシーナは一転、部屋中に反響する大音声(だいおんじょう)とともに雨霰降り注ぐ呪文に虚を衝かれた――表情は相変わらず無感情の色のままだったが、わずか一瞬、杖先に迷いが現れた。入口近くの棚の上に腰掛けていたソフィアは、セラとシーナの様子に腹を(よじ)って笑い出した。

 

静ま(クワイエ)――

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)

 

 詠唱を終える前に飛んできた、通路一面に広がる極太の赤い閃光を間一髪で防ぎ、シーナは若干体勢が崩れた。セラは躊躇せず追い打ちをかけた。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)

 

 シーナは硬直して吹き飛び、「衰えよ(スポンジファイ)」のかかった棚に無様に激突して床に倒れた。セラの目が見開かれる。ソフィアも、笑うのを止めて神妙な顔つきになった。シーナに杖を向けると「終われ(フィニート)」と呟いた。

 シーナはさっと立ち上がると、ローブの埃を手で払った。そして呟く。

 

「良かった。……良かった。負けた。セラは私を殺した。これで心置きなく、卒業できる」

 

 シーナは笑って泣いていた。弾けるような笑顔で、両目から溢れた水がはらはらと静かに頬を伝って注いでいた。彼女の笑顔も泣き顔も、この一年間でセラが初めて見るものだった。その表情が自然な情動によるものなのかそれとも彼女の計算によるものなのかは分からなかったが、セラにとってはどちらでも構わなかった。七年生は近づき、屈むようにして両腕でセラの背中を包んだ。セラの頬に、温かいシーナの頬が触れた。

 

 

  ★

 

 

 そこで脳裏の映像が掻き消えた。セラは体のこわばりが緩んでゆくのを感じた。

 セラは苦笑した。何も恐れることはない。あんな怪物より二人の方が、遥かに頭が良いし、怖いし、強かった。ただ私を殺す気がなかっただけだ。いつもシムに偉そうに講釈を垂れておいて、これでは情けないではないか。足止めして距離を取ることに注力してしまっていたが、なぜもう一歩攻めなかったのか。

 

「ニク……クワセロ……!」

 

 大蜘蛛が鋏を鳴り響かせながら、再び糸の塊を吐き出した。

 

 ――少なくともあの蜘蛛は、確実に私より弱い。私は上級生なのだから、倒せる。

 

逆詰め(ワディワジ)

 

 猛然と迫る輝く糸は、セラの体に触れんとしたまさにそのときに、時間を巻き戻したかのように、逆に蜘蛛の口へと吸いこまれ口内を直撃した。蜘蛛がのけぞり苦し気に動きを止めた。

 

風よ(ヴェンタス)

 

 隙を逃さず吹いた突風が、蜘蛛の体を横転させ床に転がした。蜘蛛は八つの脚をばたつかせる。脚の隙間から、胸の軟らかい外骨格がのぞいた。

 セラはすかさず杖を逆手(さかて)に構え直し、下方に突き刺した。

 

沈め(デプリモ)

 

 重力の向きに集約された衝撃が爆ぜ、床と板挟みになった蜘蛛の体が鈍い音を響かせる。蜘蛛はひとたび痙攣すると、そのまま動かなくなった。セラは息を整えて数歩あとずさる。果たしてギガントロールの巨大な顔が廊下の角から現れた。セラは杖と視線を遥か上、巨人の顔に向ける。

 

目隠し(オブスキューロ)

 

 ギガントロールの顔に黒い帯が巻き付き視界を塞いだ。驚きの声を上げ、ギガントロールは目隠しを引きちぎろうと両手を顔に当てた。セラは冷静に杖を床に向けた。

 

滑れ(グリセオ)

 

 ギガントロールは足を滑らせ、再び轟音を立てて床に仰向けに倒れた。立ち上がろうとするも、床が滑ってうまくいかない。

 

 ――有効だった手を二度も繰り返すのはたしかに愚か者の所業だが、愚かな相手に同じ手を二度使わないのも愚かだ――

 

 セラの頭の中で七年生の淡々とした声が響いた。彼女が「出現」させ「増殖」させた大量のフラミンゴの群れ相手に、いちいち攻撃手段を変えようとして手詰まりになったときのことが思い出された。

 

来い(アクシオ)

 

 念じるは三つ先の曲がり角。山トロールの棍棒が唸りながら矢のように飛来する。ギガントロールはすぐに気づいて顔を後ろへ向けた。自身の体に比べればずっと小さな棍棒には一切動じず、棍棒に向けて長い腕をふるった。

 

 ――同じ手といっても、もちろん中身まで全く同じ手を使えと言っているわけではない――

 

肥大せよ(エンゴージオ)――粉々(レダクト)!!

 

 セラは棍棒を膨張させながら、粉々呪文(こなごなじゅもん)・生きていない物体を一瞬にして粉砕せしめる強力な呪いを唱えた。棍棒はギガントロールの拳に当たる前に砕け散り、もうもうと舞う大量の木屑(きくず)へと変じた。

 

浮遊せよ(ウィンガーディアム・レビオーサ)

 

 セラの杖が滑らかにしなるのに合わせて、木屑がギガントロールの頭に一斉にまとわりつく。

 

燃えよ(インセンディオ)!!

 

 棍棒の破片と屑、つまり表面積が大幅に増加したセルロースを糧に、炎が巨人の頭を包んで暴れ狂った。木が灰と化しても魔法の炎は燃え猛り続ける。ギガントロールが炎に耐える硬い肌を持っていたとしても、内部にはダメージを与えられるかもしれない――

 

「ガアアアアア!」

 

 ――と思った矢先、セラが追撃をする前に、ギガントロールは両手を顔に叩きつけ、息を強く長くひと吐きするだけで火炎を消し去った。

 生暖かく激しい臭気が、新鮮な空気を押しのけ廊下に流れ込む。セラは思わずせき込んだ。

 山トロールの持つ不快極まりない体臭は、巨人の血と混ざったことで薄まったように思えていたが、それは思い込みに過ぎなかったらしい。

 頭部から煙を上げるギガントロールは憤怒そのものの形相だった。その目は焼け爛れていたが、鼻と耳は正常に機能しており、セラの位置を瞬時に正しくとらえた。

 せき込みが収まったセラが顔を上げた頃には、ギガントロールは黄ばんだ牙がのぞく口を大きく開け、覆いかぶさるようにセラにかぶりつこうとし――

 

「セラ!!」

 

 背後数メートル先で少年の声が響いた。

 

  ★

 

 フリットウィック先生とスプラウト先生とともに三階の廊下へ駆けあがったシムの視線は、廊下の端に至ると、頭が燃え上がった怪物と杖を構える魔女の姿とをとらえた。走りながら、少女が五体満足であることを認識して安堵が体中にあふれたのも束の間、セラがせき込み始め、炎が消えた怪物の頭が彼女に近づこうとしていた。

 シムが思わず魔女の名前を叫ぶと同時に、薬草学教授のスプラウト先生が(ふところ)から鉢を取り出し、杖で宙へと放った。「怒り葡萄(ラースフルヴァイン)」・長大で強靭な(つる)を爆発的に伸ばす稀少な魔法植物の鉢、生徒に決して開放しない「四号温室」に茂る魔法植物の鉢だった。

 鉢が宙を滑る間にも、「怒り葡萄」の蔓はぐんぐん伸びた。うねる無数の蔓はギガントロールの顔とセラの間に割って入ると、ギガントロールの頭をしなやかに押しとどめ、セラを包んで引き離し後方に運び去った。蔓がスプラウト先生のもとまで到達すると、スプラウト先生はセラを抱き留めた。

 

「よく頑張りました」

 

 そして呪文学教授のフリットウィック先生が一歩前に進み出た。精々セラの(へそ)の高さくらいまでしかない小さな老爺は、全く臆することなく巨大なギガントロールを見上げて杖を抜いた。ギガントロールは長い腕で「怒り葡萄」の蔓を叩き割ったところだった。

 

「伏せて目を閉じて!」

 

 フリットウィック先生のキーキー声が響くと同時に、蔓がシムの体をからめとって床にうつ伏せにした。それに呼応してスプラウト先生が「万全の護り(プロテゴ・トタラム)」を、()()()()()()()()()()()()()()()生徒を護るためにかけた。

 

太陽よ閃け(フルゲソレム)

 

 呪文学教授の杖が黄金色(こがねいろ)に煌めき、光の球が浮かび上がった。甲高い音が空を(つんざ)くとともに、彼の身長ほどもある極太の、灼けつくような白い閃光が、金の光球から飛び出て空を駆けた。閃光はギガントロールの体を下から上へ舐める。光が触れるそばから、怪物の岩のような肌が、まさに岩へと変化していった。閃光が消えると、ギガントロールは物言わぬ岩の彫像へと変化していた。熱せられた彫像は湯気を盛んに上げていた。

 光を浴びる前に前方に駆け出さんとした慣性はそのままに、硬化したギガントロールがフリットウィックやシム達の方に倒れ込もうとする。巨岩の影が四人を覆うのと時を同じくして老翁は再び杖を振った。

 

撃ち砕け(フリペネダクト)

 

 衝撃を叩きつける「撃て(フリペンド)」と無生物を破砕する「粉々(レダクト)」を混ぜ合わせた魔法なのだろうか、青と黄の二重に螺旋を描きながら進む光は、彫像の胸に当たると像を廊下の壁まで轟音とともに吹き飛ばした。光が直撃した部位の周辺は、大小さまざまの(れき)や砂に砕け、廊下に線を引いて積み重なった。

 

 

  ★

 

 

 轟音が止んで土埃(つちぼこり)がおさまり、顔をもたげたシムが目にしたのは、怪物の頭と脚のみが廊下に転がり、砂石が廊下に散らばっている光景だった。

 シムは唖然となった。ホグワーツ教授とはここまで――。若者に深遠なる神秘の(すべ)を授ける()達の腕を、今までも決して過小評価していたつもりはなかった。しかし、いざその実力を目の当たりにするとなると、また話は別だった。

 世界最強の魔法使いアルバス・ダンブルドア校長は言うに及ばず、彼が選ぶホグワーツ教師陣はすべて――一部の例外を除けばすべて――古代魔法の牙城で教鞭を執るにふさわしい、各々の魔法分野のエキスパートである。こと戦闘に関しては苛烈な鍛錬と過酷な実戦経験を積む「闇祓い(オーラー)」に及ばなかったとしても、また身体能力に関しては若い魔法使いに及ばなかったとしても、教師陣の魔法の腕が英国最高峰であることに疑いの余地はない。

 そして、このフィリウス・フリットウィック教授は「呪文学(チャーム)」――杖魔法の二本柱、対象に何がしかの性質を付与する魔法の専門家だ。一方で世界最強の魔法使いアルバス・ダンブルドアの研究の専門は対象を変化させる「変身術」や「錬金術」であり、彼がその長い教師生活で教鞭を執ったのも「変身術」と「闇の魔術に対する防衛術」のみである。ほとんどあらゆる魔法に傑出している()の老賢者は、言うまでもなくチャームの腕前も世界最高レベルであるのだが、そのダンブルドアにチャームの知識で並びうるものが今の英国にいるとすれば――それはフィリウス・フリットウィック教授に他ならなかった。

 さらにこの小さな老翁は、英国中の強者が鎬を削る決闘大会で長年チャンピオンの座を保持していた過去すら持っている。そのうえ、小鬼(ゴブリン)――杖の術をヒトから奪われているものの、長年ヒトと血みどろの戦争を繰り返せるだけの力を持っており、また現代でも経済という形で魔法界の大動脈を直接的に握っている種族――の血も引いている。つまるところ、フィリウス・フリットウィック教授は、紛うことなき、ホグワーツにおける最高戦力の一角なのだ。

 

「いくらなんでも、そんな――」

 

 セラもまた両の目を見開いており、やっとのことで口を開いた。フリットウィック先生は二人を見やると、後悔を滲ませた様子で(かぶり)を振った。

 

「すみません、この光景は生徒に見せるにはふさわしくないですね。もっと穏便な方法をとるべきでしたが、とっさのことで、確実に皆さんを護るには……。いや、しかし今後の捜査のためにも生け捕りにすべきでした。これはトロールの亜種なのでしょうか、巨人(ジャイアント)にも似ていそうですが……」

 

「いや、そうではなく、たった二発で――」

 

 セラがなおも言い淀む。あろうことか、このレイブンクロー寮監は――叡智を誇る寮の寮監は――小細工を弄することなく、ただ正面から呪文を二発唱えるだけで眼前の巨大な怪物をねじ伏せたのだ。

 

(セラはこのとき、ホグワーツ創設者が一人ロウェナ・レイブンクローの伝記を思い起こした。ロウェナは比類なき頭脳と独創性とで名を轟かせた魔法使いであったが、しかし彼女は決して書斎に四六時中籠るような気質でも、争いを好まない性格でもなく、彼女が魔法族や魔法生物と戦闘を繰り広げた記録は、ゴドリック・グリフィンドールには遥か及ばないにしろサラザール・スリザリンと同じ程度には多く、その短い生涯の中で残されていた。そのうえ、ロウェナ・レイブンクローの戦闘スタイルは、「棒立ちのまま、ただ杖をまっすぐ構えて(まじな)いを唱え、相手がまだ倒れていなかったら、倒れるまで数度繰り返す」のみという、戦法というにはおこがましい、知性も独創性もまるでない単純極まりないものだった。それはひとえに、ただそれだけで敵に打ち勝てるほど、彼女の莫大な魔法力と呪文(チャーム)の練度とが傑出した域にあったことを意味していた。戦闘において彼女が頭を使う余地があるとすれば、それは他のホグワーツ創設者と模擬戦闘をする時くらいのものであった。――ただし、ロウェナの知性と魔法をもってしても、あまりにも場数を踏んだ天性の戦士ゴドリックにも、彼女にすら優位に立てる狡猾さと深淵な闇の魔術の奥義とを併せ持つサラザールにも、一切の戦闘を嫌うが防護があまりに堅牢なヘルガにも、勝てる機会は少なかったと伝えられている)

 

「ああ、トロールには太陽の光を浴びると石に変化してしまうという重大な弱点があって、それを知っていただけです。……ひょっとしたら「幻の動物とその生息地」にはあえて記載されていなかったかもしれません。トロールは夜行性でお日様とは無縁ですし、生半可な『太陽の光よ(ルーマス・ソレム)』では効き目がありませんから、トロールと遭遇した未熟な魔法使いが無闇に試してはかえって危険ですしね」

 

 フリットウィック先生は授業のときのように、笑顔でキーキー声で説明した。

 

「もちろんあれがトロールである自信はなかったので、ただ光を浴びせる『太陽の光よ(ルーマス・ソレム)』ではなく単純に攻撃呪文として強力なものを撃ってみましたが、うまくいって良かったです」

 

「……そういえば、トロールが出てくる非魔法界の物語にも、そんな設定があったかもしれません。たしか『闇の魔術に対する防衛術』でも言ってた気もしますし……。それにしても、どうしたらそこまで多くの魔力を呪文(チャーム)に乗せられるようになれるのですか?やっぱり生まれ持った魔法力の違いが大きいのですか?」

 

 セラは真剣な眼差しで問いかけた。全く荒唐無稽だと思ってはいても、スリザリン寮に身を置いている限りは常に純血思想の存在を意識させられてしまう。案の定で純血か否かの線引きが無意味だとしても、「魔法使いとしての素質がどの程度先天的に決まってしまうのか」という疑問は、また別に残る。日ごろ魔法の研鑽に励む中でどうしても気にかかっていた。図書館で文献を漁っても、その分野に関する研究がほとんど進んでいない以上、ほとんど答えが得られていなかった。

 

「魔力を適切に練り上げて、適切なタイミングで放出するだけです。修練あるのみですよ」

 

 フリットウィック先生はあっけらかんとした調子で言ったが、その高い声には歳月の重みが確かにこもっていた。セラの顔から緊張が緩んだ。

 

「もちろん人によって生まれつき魔法力の多寡はありますが、魔法の腕とそこまで相関はしないだろうと私は思います。……まあ、明らかに凡百の魔法使いとは次元が違うような、魔法力が規格外に莫大な人もいないわけではないですが、そんな存在は歴史書の章を跨いで名を刻むような英雄か魔王だけですから、気にしてもしょうがありません」

 

 先生はしみじみとした様子で言った。

 

「魔力の扱い方についてのコツをきちんと言語化できないのは、教師として歯痒いところです。音楽やスポーツを教科書の記述でマスターできないのと同じですね。だからこそ教師という職業が必要になるわけですが。――普段の授業を見たところ、ストーリーさんは杖を振るときに力みが若干抜け切れていないかもしれません。もちろんホグワーツ生としては申し分ありませんよ」

 

 セラの目が貪欲に光り、フリットウィック先生に呪文学の補習を願い出ようとしたときに、スプラウト先生がたしなめるように「フリットウィック先生」と声をかけた。フリットウィック先生は顔を引き締めて頷いた。

 

「すみません、今はそんなことを言っている場合ではありませんでした。……本当に大丈夫でしたか?ストーリーさん」

 

 フリットウィック先生が心配そうにセラを見上げる。セラは気が抜けたように微笑み、頭を下げた。

 

「ええ、なんとか。ちょっと脚を痛めてしまいましたが。助けて下さりありがとうございます」

 

 応急処置を施したセラの脚は、また傷口が開いて血液がローブを伝い大理石を濡らしていた。(すす)が顔を汚し、ギガントロールの臭気がローブに染みついてしまってもいた。先生は「癒えよ(エピスキー)」で再度応急処置をしたのち、「清めよ(スコージファイ)」でセラも周囲も綺麗さっぱりにした。

 

「医務室に行きましょう。見たところ、マダム・ポンフリーなら二分で治してくださるでしょう」

 

 そこでシムはあることを思い出して口を挟んだ。

 

「……あの、もう少し先に山トロールがもう一体気絶しているはずです」

 

「いけない、ありがとうシム。死んではいないと思うので、もしかしたらそろそろ起きてしまうかもしれません」

 

「……そうでした。いったいホグワーツにどうして……。少し見てきます」

 

 フリットウィック先生は廊下を駆けて行った。その小さい姿を見送りながら、スプラウト先生が躊躇いがちに声を出した。

 

「ところで、お二人はどうしてパーティにおらずこんなところにいたのでしょうか?どちらに行くつもりでしたか?」

 

 声色には僅かに疑わし気なものがこもっていた。シムはドキッとなる。ここの辺りに近づいてはいけない場所があっただろうか。四階の「禁じられた廊下」くらいしか思い至らないが、そこの扉はそもそも、セラも開けることができないような代物(しろもの)だった。スリザード・クラブの教室の存在を正直に先生に言うべきだろうか、しかし――。

 シムが思案しているうちに、セラが肩をすくめて答えた。

 

「パーティには歓迎されないですし、二人でささやかにハロウィーンを楽しもうとしてました。大広間から離れてこのあたりの適当な空き教室を見繕ってたところです。校則違反でなかったと思いますが、大きなご迷惑をおかけしてしまったのは申し訳ありません」

 

 スプラウト先生は悲しそうな笑みを浮かべた。

 

「そうでしたか。いえ、ホグワーツに危険生物の侵入を許してあなたたちの命を危険に晒してしまったことは、私たち教師の大失態です。あなたが謝る必要はありません」

 

 フリットウィック先生が戻ってきた。キーキー声で「まだ気絶していました。拘束を厳重にしたので、心配はいりません」と告げた。スプラウト先生は彼に会釈すると続ける。

 

「あなたがここに留まったのは非常に非常に危険でした。自らの身を危険に晒すことには点を与えるわけにはいきませんが――しかし、他の選択がほとんどとれない状況であった以上、二人の冷静な判断に十点を与えましょう」

 

 フリットウィック先生も声を合わせた。

 

「それに四年生の身で、これらの生物を同時に相手取るのは尋常ではありません。スリザリンにもう十点与えます」

 

 二人は頭を下げた(シムもセラも、スリザリンの点が増えても特に嬉しくはないということを口に出さないだけの分別は当然あったし、先生が生徒を褒賞する手段は寮点くらいであることも当然分かっていた)。

 そしてフリットウィック先生が杖を一振りすると、杖から銀色の何かが飛び出した。先生は呟いた。

 

「スリザリン生二名、セラ・ストーリーとシム・スオウを三階で保護。前者はごく軽い負傷、後者は無傷。山トロール、アクロマンチュラ、及び巨大なトロールのような魔法生物を発見。すべて撃破または無力化」

 

 するとすぐに、廊下の端から銀色に光る鳥が音もなく飛んで来た。優雅で雄大な鳥だった。

 鳥は先生の前に来ると(くちばし)を開いた。鳥は鳴くのではなく、人の声を発した。

 

 「ご苦労、フィリウス、ポモーナ。ポモーナは医務室と大広間に生徒を連れて行き、フィリウスはトロールの処理と城の捜索に戻ってほしい。すべての生徒の無事が確認されたので、生徒の捜索はしなくてよろしい」

 

 瑞々しく若々しい鳥の姿とはギャップのある、枯れて深みのある老いた男の声だった。シムはこの声をホグワーツに初めて来た日に聞いたような気がした。嘴を閉じると銀色の鳥は霧散した。セラが口を開く。

 

「……守護霊(パトローナス)には、伝言を託す機能があったのですか?もし良ければ、後で教えて頂けないでしょうか」

 

 フリットウィック先生の顔が一瞬こわばり後悔の色が浮かんだのをシムは見逃さなかった。生徒の前で、あるいはスリザリンの生徒の前で、使うべき術ではなかったと思っているのかもしれなかった。

 

「守護霊のこのような利用法は、校長先生が発明されたものです。秘密の術というわけではありませんが、なにぶん習得が難しいですし、あまり――」

 

「誤解されているかもしれませんが、フリットウィック教授、私たちは二人とも非魔法族出身で、スリザリンの大半には同じ人間だと思われていませんし、当然『例のあの人』に傾倒するような生徒とは交流がないです。それに私は守護霊の呪文を習得しています」

 

 セラが「守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)」と唱えると、杖から銀色の霞が吹き出し、何かの形をとろうとし――消えた。

 

「……ちょっと疲れていて、有体ではないですが」セラは口ごもった。フリットウィック先生は顔をほころばせた。

 

「ふむ、守護霊も習得しているのですか。――いえ、それはともかく、私は生徒に、とりわけあなた方に何かしらの偏見を抱いているわけではありません。そもそも闇の魔法使いは守護霊の術を一般に用いないので、広く知れ渡ったところで問題もなかったですね。――もちろん、いずれにしても、教師としてふさわしい態度ではありませんでした」

 

「それでは、後で伝言の託し方を教えて頂いてもよろしいでしょうか?さすがに明日明後日にまたトロールが襲撃してくるとは思えませんが、また同じような事態があったときに、すぐに先生に知らせることができた方が良いと思うので。今回はシムがいてくれて、しかもすぐにお二人を見つけれてくれたので良かったですが」

 

「ええ、そうですね。有体守護霊が作れる人にとっては難しいものではないですし、校長先生にお伺いすることにします」

 

 老爺は頷いた後、廊下の先を見つめた。

 

「さて、そろそろ私は行かなくては――スプラウト先生、後はよろしく頼みます。二人とも本当に無事で良かった」

 

 フリットウィック先生はギガントロールの石像と石の破片を集めて飛ばしつつ廊下を駆けて行った。スプラウト先生は「ひとまず医務室に向かいましょう」と声をかけた。シムはセラに肩を貸しながら先生と廊下を歩いた。

 

「いったい校内は今どうなってるんですか?」

 

 シムは問いかけた。大広間にたどり着く前に両先生に会ったことや、マクゴナガル先生の校内放送を踏まえると、三階の騒ぎなど関せずハロウィーンの晩餐が続いている、というわけではないのだろう。

 

「ハロウィーンパーティが始まってしばらくして、生徒が大広間に駆け込んで、()()()山トロールが闊歩していると報告してくれました。パーティは中止し、大広間に生徒が何名か――グリフィンドール五名とレイブンクロー五名とスリザリン二名がいないこともわかったので、教職員がトロールと生徒の捜索に乗り出しました」

 

 シムとセラは顔を見合わせた。

 

「マクゴナガル先生、『数占い学』のベクトル先生、『古代ルーン文字学』のバブリング先生、『マグル学』のバーベッジ先生、『魔法生物飼育学』のケトルバーン先生、それからハグリッド、それぞれが手分けをして城中を回っています。つい先ほどバブリング先生から地下室でトロールではなくアクロマンチュラ一匹を捕縛したと連絡がありましたが、ここにもトロールや大蜘蛛が紛れているとは」

 

 スプラウト先生はやれやれと首を振った。

 

「生物たちが自ら侵入したのか、あるいは何者かが手引きしたのかも分かりません。闇の魔法使いがこの城に潜んでいるとは考えたくはありませんが、城にさらなる脅威が残っていないことが確認されるまでは――少なくとも今夜いっぱいは、生徒は大広間に留まってもらいます。大広間は校長先生と『防衛術』のクィレル先生、それから『天文学』のシニストラ先生――あの方の守護魔法は夜空のもとで最大の威力を発揮しますが、空を模した魔法がかかった大広間でも近い効果が得られるそうです――三人が守ってくださっていますから、心配は要りません」

 

 スプラウト先生は優しくシムの顔を見て言った。続いてセラの顔を見る。

 

「あなたは今夜はマダム・ポンフリーに医務室に閉じ込められてしまうかもしれませんが、マダム・ポンフリーが医務室を守っている限りは、まったく安心して眠って大丈夫ですよ」

 

 そして三人は二階の医務室に着いた。幸いセラの怪我はごく軽いものだったので、校医マダム・ポンフリーは杖の二振りでセラの脚と腕を元通りに治し、ホットココアを飲ませ、体力と魔力の回復のために今夜いっぱいは病棟のベッドでゆっくり休むよう言った。スプラウト先生が医務室の扉を開けた。

 

「ストーリーさん、お大事にね。スオウ君、行きましょうか」

 

 スプラウト先生が医務室の扉を開けたとき、シムは躊躇した。一年生から七年生まですべてのスリザリン生が集う大広間で安眠できる気は全くしなかったし、セラとこのまま言葉を交わさず別れるのも嫌だった。

 スプラウト先生はふと動きを止めると、廊下の天井の辺りを見つめた。先生は振り返って言った。

 

「……ポピー。この子も色々と疲れているでしょうし、やっぱり大広間の寝袋よりここで休んだ方が良いんじゃないかしら?病棟のベッドに空きがあればですけれど」

 

 シムにとっては僥倖だった。マダム・ポンフリーは戸惑ったように言った。

 

「昨日から休ませていたウィーズリーの双子は、パーティの余興のためだとかいう呪文に失敗したあの馬鹿二人は先ほど大広間に送りましたし、今は病棟に誰もいません。ただ――」

 

 そこでシムの腹が大きく鳴った。視線が集中し、シムは目を伏せた。

 

「……僕もセラも、まだご飯を食べていませんでした。もし食べるスペースがあれば、医務室で食べても良いですか?」

 

 シムは「検知不可能拡大呪文」や「水平呪文」などがかかった白い魔法の鞄をおろして中を覗いた。走ったり落としたりしたというのに、食べ物が装われた皿は綺麗に整列している。密閉性も抜群のようで、トロールの悪臭が混ざってしまった気配は全くない。美味しそうな匂いがシムを包む。

 マダム・ポンフリーは再び溜息をついた。

 

「病棟のテーブルでさっさとお食べなさい。食べ終わったら二人ともすぐ眠ること」

 

 シムとセラは病棟の隅のテーブルにつき、黙々と白い鞄から取り出した皿を並べた。セラは魔女かぼちゃジュースを一息に飲み干したあと、ミートパイをつまみ始めた。シムは顔がこわばったままセラの首のあたりを見つめた。セラは微笑んだ。

 

「先生をちゃんと呼んで来てくれて本当にありがとう、お陰で死なずに済んだよ」

 

「セラ」

 

 シムは呼びかけたが、セラは気にせず続けた。

 

「美味しいね。私も、先生が言わなかったら君を残してくれるよう頼もうと思っていた。君一人をスリザリン全員が集まる寝床に放り込むのは――」

 

「セラ」

 

 シムがセラを遮った。

 

「セラ、本当にごめんなさ――」

 

「いいんだ」

 

 今度はセラが遮ってきっぱり言った。シムの喉から脈絡のない言葉が涙とともに溢れ出した。

 

「でも、セラは僕のせいで怪我を、ちゃんと警戒してたら、セラが庇って、廊下で、それに僕が足手まといじゃなかったら、余計な躊躇を、それに、それに僕はセラを見捨て、もしセラが死ん、死んでたら、僕、僕は――」

 

「いいんだ」

 

 嗚咽で言葉を継げなくなるシムをまっすぐ見て、セラはなおも言った。

 

「シムが力不足を恥じることはない。君はまだ魔法界に来て、ホグワーツに来て二ヶ月しか経ってないだろう。十分によくやってくれた。……私こそ散々偉そうに君を訓練しておいて、あんな怪物にすら対処がままならないなんて、恥ずかしいにもほどがあるよ。シムにも、それからシーナにもソフィアにも合わせる顔がない」

 

 セラは天井を見上げると両手で顔を覆った。視線を正面に戻して続ける。

 

「それに君が謝る必要もない、むしろ謝るのは私だ。あそこで私を置いて行かせては、どうしたって君に罪悪感を負わせてしまうと分かっていながら――もちろん君が私を切り捨てることに躊躇いがないという線もなくはないと思ったけど、どうやらそうではなかったのは嬉しいよ――無理にそうしてもらったんだ」

 

 セラの諭すようなあやすような色の声を聞くと、情けなさで涙も引っ込んでしまった。シムは目と鼻を拭う。

 

「……セラはどうして、そんなに、大人なんですか」

 

 セラは困ったように笑った。

 

「そんなの、一年生(きみ)の前で良い格好をしたいからに決まってるじゃないか。いま一人でご飯を食べていたら、私も気が抜けて泣いてたと思うよ」

 

「……だから、そういうところですよ」

 

「君だって、上級生になれば分かるさ。何年後になるかは分からないけれど、いつかはスリザード(なかま)がまた入ってくるだろうし――」

 

 セラは遠い目をした。そしてすぐに真剣な顔になると、シムに頭を下げた。 

 

「謝るといえばもう一つ、あのとき大広間に一人で向かわせた君が、別の怪物に遭遇する可能性もあった。私はその可能性に気づけなかった、怪物二体に遭遇しておきながら。これは完全にミスだ。……廊下に大蜘蛛が転がっていたのを見た?私はあれにも出くわしてしまって。結果的には大丈夫だったとはいえもしもシムが――」

 

「結果的には大丈夫だったんですし、そんなこと気にしないで下さいよ」

 

 セラもシムも、互いを見ながらばつの悪そうな笑顔を浮かべた。

 

「まあ、お互い反省するところはあるし、お互い謝るところはあるし、それでもお互いがお互いを助けたし、本当に訳の分からないことが起きたけどお互いちゃんと生き延びた、今日はそれで良いだろう。色々考えるのはやめだ。今日はもう疲れたよ」

 

 それからまた二人は黙々と料理にかぶりついた。先ほどまでの光景が脳裏にちらつき、恐怖と安堵が繰り返しシムの体を駆け巡ったが、諸々の感情をなんとか肉や野菜と一緒に腹へ呑み込んだ。デザートのパンプキンパイを平らげ、皿を片付け、それぞれ病棟のシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。寝息などで安眠を妨げないため、病棟の両端のベッドが割り当てられていた。セラがシャワールームから出た頃にはシムはもう眠り込んでしまっていた。マダム・ポンフリーが灯りを消し、セラも眠りについた。

 

 

 




まとまった数十時間を中々確保できずにすっかりご無沙汰になり、気づけばハロウィンも過ぎてしまいました…。長くなったので切りましたが、ハロウィーンの第三話は残り一回で終わりです。プロットの変更はなく全六話構成の予定です。

・前話で登場させたヴィーラトロール(ヴィーラとトロールの混種で、完全なヴィーラの姿にも完全なトロールの姿にもなれる)というオリジナル要素について、元々山トロールで書いていたところを直前の思いつきで変更してしまったのですが、オリジナル要素として強すぎて、魔法戦争時のヴォルデモートの実験の産物である的な設定・クィレル先生とのつながり・セラとの今後の関係・危険度の高さなどをきちんと扱って書いてゆくと本筋とかなり逸れていってしまうことに気づいたので、投稿した後ですが削除して山トロールに修正しました、すみません。物語の書き方を勉強中ですが、温かく見守って下されば幸いです

・体罰の類を肯定する意図はありません

・「逆詰め(ワディワジ)」:原作の感じだと「穴に詰める」トリガーがないと発動しなそうですが、それがなくても元の穴に詰められるという仕様変更でお願いします

・フリットウィック先生の邦訳版の口調について、第6巻のわずかなセリフでは普通の口調に思えるものの、第7巻を読み返すと「~じゃよ」の老人口調で驚く。

・「フリットウィック先生はゴブリンの血を引いている」設定の出典がどこにあるのか把握できていないので、もしご存知の方がいましたら教えてくだされば嬉しいです(05年ごろにローリング氏の公式サイトで読者質問への回答という形で掲載されたよう?)。原作で先生の身長の低さがやたら強調されていますが、11歳のハリーより頭一つ小さいくらいのゴブリンが先祖に一人いたところでそこまで低くなるのかなとはちょっと気になります。先生の呪文は「閃光(フルガーリ)」(光る縄で縛る魔法)とは関係ありません。

・トロール:日光で云々の設定は原作世界には無いです

・「粉々(レダクト)」:これとか「爆発せよ(コンフリンゴ)」とか「爆破(エクソパルソ)」とかは生物に使っても効果がないと筆者は解釈しています

・先生の数:ホグワーツの先生の数が明らかに足りない(もしくは時間割のコマがスカスカになる)問題を重箱の隅をほじくって真面目に考えるなら、「ふくろう試験に出ない科目が多数ある」(「飛行術」も初回以降描写がありませんし、純粋な座学が歴史だけというのもなんですし、ゲーム版では他の科目の教室があるようですし、原作者が上級生向けの不定期開講科目「錬金術」の存在を明言していますし)か、「主要科目を担当する先生は多数いる」(マクゴナガルは、ホグワーツの職に応募して"Transfiguration department"の長だったダンブルドアから"Transfiguration department"での内定をもらった※ようなので、少なくとも変身術に関しては教員が複数いると解釈できそうです)か、その両方かなと思います。色々設定を膨らませると楽しそうですが、本筋と逸れてきそうなのでこの二次創作では特に触れない感じでいきます。
(※https://www.wizardingworld.com/writing-by-jk-rowling/professor-mcgonagall

・双子:忍びの地図を持ってるからという単なるストーリー上の都合で病棟送りに
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。