スリザード・クラブ (蛇寮非魔法族出身者の会)   作:非魔法族

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第2話 鍛錬と探険 (1)ペトリフィカス・トタルス

 あくる日の夜六時、一日の授業をすべて終え、緊張と昂揚とを胸にシムは2E教室へ向かった。セラは既に準備をして待っていた。教室の机と椅子が片づけられ前方に寄せられており、床には黄色い毛布が敷き詰められていた。足を載せると毛布もろとも足が少し沈み込んだ。怪我をしないように、柔軟化呪文「衰えよ(スポンジファイ)」の呪文と同じ効果を持つルーン文字の文句を教室の四隅に刻んだのだそうだ。壁を触ってみると、壁も軟らかく弾力を持つようになっている。

 

「ルーン文字は、特殊な方法で書いて魔力を注いでおくと、文字自体が術となって魔法が発動するし、しかもしばらく効果が持続するからね。便利だから、三年になったら『古代ルーン文字学』を履修すると良いよ」

 

 そしてセラはシムの頭に透明な金魚鉢のようなものを被せた。鉢がすっぽり頭と顔を覆ったが、問題なく呼吸ができるし、視界や聴覚が歪むということもなかった。魔法のヘルメットらしい。

 

「魔法族は頑丈だから大丈夫と思うけど、いちおう頭は念のためね」

 

 セラはシムから再び距離をとり、窓の近くに立った。昨日と異なり、セラは長い髪をそのまま流すのではなくポニーテールに結わえていた。履いていた靴も、ホグワーツ生の黒い革靴ではなくスニーカーのようなものだった。

 

「まず初めに、こちらに害意を持って襲ってくる相手は、こちらの準備を待ってくれるわけじゃない。名乗りを上げて攻撃してくれるわけじゃない。だから訓練中では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 セラの眼差しは真剣だった。シムはためらいがちに首肯する。

 

「この訓練の目的を改めて言うと、自分の身を自分で護れるようになってもらうことだ。大げさなと思って身が入らないのは困るから言っておくと、これはホグワーツにいる間だけではなくて、その後にさらに大事になってくる。スリザリンに限らずホグワーツ生の一定数は、卒業した後に後ろ暗い道を歩み出す。誰だって犯罪に巻き込まれる危険は当然あるし、私たちならなおさらだ。――たった十年前の内戦のさなかには、非魔法族や非魔法族出身者(わたしたち)はただ()()()()()()()()()()拷問され凌辱され惨殺された。テロリストの残党は沢山いるし、今後もずっと平和とは限らない。生活に悩むことのない今が、魔法の腕を磨く一番のチャンスだ」

 

 シムは廊下で目にしてきた、明らかにガラの悪い連中を思い浮かべた。偏見だとは思いつつ、しかしやはり、今後の彼らがお日様に胸を張れる人生を送るようには思えなかった。

 

「魔法警察や闇祓い(オーラー)はいるけれど、公衆電話をダイヤルしたらすぐに駆け付けてくれるというわけじゃない。是非はともかくとして、魔法界では()()()()()()()()()()に越したことはない」

 

「もちろん、危険なのはヒトだけじゃない。『闇の魔術に対する防衛術』で教わるように、非魔法族が認知していないだけで、こちらを喰おうとする危険な魔法生物だって英国中にごろごろいる。話が通じないから厄介だし、話が通じるような生き物はさらに厄介だ」

 

「それに、図書館の禁書棚や夜の闇(ノクターン)横丁に一歩でも近づけば実感できるけど、危険な魔導書や呪いの魔法道具だってごろごろ転がっている」

 

「――あとはなんといっても、闇の魔術に限らずそもそも()()()()()()()()ヒトを誘惑しヒトの身も心も周りをも狂しうる、危険極まりないものだ」

 

「それらすべてから、適切に身を護らなければならない。校訓にもある通り、『眠れるドラゴンをくすぐるべからず』なのは言うまでもない。危険にそもそも近づかないことと、逃げる選択肢を取れるなら戦わずに逃げることは、とてもとても()()()大事だ。ただ、目の醒めたドラゴンが目の前で鼻から火を噴いているなら、そのときの対処も知っていなくてはならない」

 

「そして、常に危険が身に迫る察知もできるようにならなくてはいけない。不意打ちはスリザリンの徳目だ。不意打ちをされる方が悪い。――だからさっきも言ったように、訓練中では『今日は終わり』と私が言うまで、一切気を抜かないこと。あとは、魔法ができることは本当に()()()()()()()()だから、相手が使ってくる術について、思い込みは捨てること」

 

「――私は君の学校生活を、私の目と杖の及ぶ範囲で護るつもりだけど、それでもこのクラブは依存や介助の関係作りをめざすわけじゃない。なるべく早く、自分の足で歩ける魔法使いになってくれると嬉しい」

 

 シムは頷く。セラの背中に隠れて生きるつもりなどは毛頭なかった。

 

「とはいえ、入学したばかりの今は呪文をあれこれ教えてもしょうがない。昨日も言ったように、まずは魔法の訓練()()()()()、呪文を()()()()()()()ことから始めてもらう。これが防衛術の基本だ。杖による魔法は幸い、『かわせる』ものばかり。そして『死の呪い』でなくても、ほとんどの呪文は()()()()()()()()()()()()()。だから魔法戦闘においては、魔法の腕と同じかそれ以上に、反射神経と身体能力がものをいう」

 

「かわす技術は、防御魔法よりずっと大事だ。たとえば、生物に問答無用で死をもたらす、『死の呪文』のような強力な呪いは『盾の呪文(プロテゴ)』を貫通してしまう。けれども()()()()()()()()()()()()。下手に防いだり反撃したりしようと思うくらいなら、まずかわすこと。避けるか、物陰に隠れること。これが鉄則だ。魔法の腕が一切なくても、この技術を鍛えるだけでかなりのケースで身を護れる」

 

「効果のほとんどない呪文をひたすらかわす練習をしても良いけど、それだとお互い面白くないし――今日はこの呪文をかわしてもらうことにする」

 

 セラはシムから距離をとって向き直ると、

電光石火で杖を抜き、「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)」と叫んだ。シムの髪が逆立ち、すぐ右を青白い閃光がかすめた。

 

「『全身金縛り術』。または『身体凍結の呪文』。この光線に当たると、しばらく体が固まって動けなくなる。後遺症は何も残らないけど、敵のこの呪文を浴びてしまったら、もう終わりなのは分かるよね」

「何でこの呪文を選んだかというと、一つには、かわせたかどうか結果が分かりやすいから。一つには、詠唱が遅いから。『ペトリフィカス・トタルス』だ――。実戦的な防衛呪文の中に二節のものはそうそうない。もちろん無言呪文なら話は別だけど、落ち着きさえすれば、しっかりかわせる。それにこの呪文は閃光もそこまで速くなくて、光が見えてからでも十分避けられる。――あ、光を伴いながら術が飛んでいるだけで、レーザーとは違って()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。術の飛ぶ速さは、その種類と術者の力量次第で変わる」

 

 先ほどの発音も青白い光も十分速すぎた、そうシムの聴力と動体視力が訴えていたが、言葉に出すだけの気概はなかった。

 

「そして一つには、安全だから。『失神呪文』を人に何度もかけるのは私はちょっと怖いけど、この呪文は脳に干渉しているわけではないしね。分類こそ呪い(カース)だけど、こうやって床を柔らかくしておけば、何度喰らっても害はないはず。『終われ(フィニート)』一発で解呪もできるしね。そういうわけで早速、石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

「……え?」

 

 セラは説明口調のまま、実に自然な動きで杖をシムの胸にまっすぐ向け呪文を唱えた。シムの両腕が体の脇にピチッと貼りつき、両足がパチっと閉じ、仰向けに倒れる。体の自由が全く利かない。

 

「――だから訓練中は一切気を抜くなとあらかじめ言っておいたのに。今から呪文をかけると予告して撃つ、そんな親切な人はいない」

 

 シムのもとに歩いてきたセラは、一枚板に固まった彼のそばに転がる杖を拾い、無造作に放り投げた。

 

「あと、なんでこの呪文(ペトリフィカス・トタルス)を使うかというとね、最後の理由は」

 

 そして屈みこんでシムの顔を間近で覗き込み、酷薄な笑みを見せた。

 

「こうやって身動きが取れないときに、相手にいたぶられるのは、怖いよね?屈辱だよね?二度と同じ目に遭うものか、次は絶対避けてやる、そう思うよね?早く上達してくれるよね?……だからだよ」

 

 セラは立ち上がり、右足をシムの背中の下に入れると、そのまま()()()()()()()()()。シムの体が宙を舞い、数メートル離れた床に落ち、スポンジ状の床と毛布に衝撃が吸収される。シムは呆然とした。もっとも顔つきは、セラが呪文を唱えた段階から呆然とした状態で固まったままだったが。

 

「今から『金縛り』を解除するから、五を数えるうちに、杖を拾いあげて構えること。『姿現し』できない状態で杖を失ったら、魔法戦闘ではほぼ負けだ。何があっても、自分も杖も両方吹き飛んでも、位置関係をすぐに把握して()()()()()()()()()()。五を数え終わったときに杖を構えていなかったら、またすぐに術をかける。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。最初の訓練はこれだ。ある程度形になるまで、ひたすらこれを繰り返す。じゃあ、始めるよ」

 

 淡々と言い終わると、セラは「終われ(フィニート)」と唱えた。シムの体が緩み、再び手足の自由がきくようになる。ほっとしたのも束の間、セラの「(イチ)!」という声を耳にしてすぐに我に返る。「二!――」必死で教室を見回す。「三!――」杖はどこだ――セラの左2メートルの位置にあった。「四!――」よろめきながら立ち上がり、駆け出す。魔法のかかった床は実に走りにくい。「五。石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 杖まであと一歩というところで、青白い光がシムの体に命中し、手足が再び体にまっすぐ貼りついてシムは床に転がった。

 

「まず、杖がどこに放られたかを、体が固まっているうちに確認しておくこと。うつ伏せに倒れてしまっても、せめて耳で当たりをつけること。次に、解呪したらすぐに体勢を立て直すこと。最後に、間に合わないと思ったら、避けることに専念すること」

 

 セラは言いながらシムの方に大股で歩いてゆき、右脚を振りかぶると豪快にシムの体を蹴飛ばした。足が当たるか当たらないかのうちに、シムの体が宙を舞い、床に転がる。セラの右の靴は橙色の光を帯びていた。

 

「ずっと杖で魔法を使っていると疲れてしまうからね。この靴は生物に触れる瞬間に『宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)』の効果が発動して対象を吹き飛ばす。蹴っているわけではないから、ほとんど痛くないでしょ?」

 

 ――なにも身体的な痛みだけが、痛みというわけではないのでは。シムの言葉は、『金縛り』に遭っている口からは出てこなかった。

 

「君が固まっていない間は私は歩かないから、難しくないはず。じゃあ、準備は良い?――終われ(フィニート)

 

 シムは今度はセラの「一」の合図を待たずに立ち上がることができた。「二――」杖の位置も確認済みだ。「三――」駆ける。杖を拾う。「四――」まっすぐ立って杖を構え、セラに杖先を向ける。上出来だ。「五――。石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

「……え?」

 

 硬直して倒れ込んだシムの顔を、セラがしゃがんで再び覗き込む。

 

「『杖を構えていなかったら、また術をかける』と言ったけれど、杖を構えたらそれで終わりなんていつ言った?杖を構えようがいまいが、私は五を数えたら呪文を撃つ。杖を構えて、避けるところまでがこの訓練」

 

 セラは再びシムの体を右足で蹴り上げ、落ちてきたシムの体を回し蹴りで横に飛ばした。

 

「もう要領は分かったよね? ……私は入学直後で右も左も分からないうちから、七年生二人がかりで厳しく鍛えられた。学内でもとびきり強力な七年生、二人にだよ? しかも、こんな優しく甘く安全なものじゃなかった。泣いて許しを乞うても屈辱に身を震わせても、片方はニヤニヤ笑うだけだし片方は無表情を貫くし――。そうやって日々受けた恩を、ようやく返せる日が来た。――なんて素晴らしいんだ」

 

 雲ひとつない晴れやかな笑顔でセラは言った。セラの使っている英語とシムの知っている英語は、どうやら全く違うもののようだ。さもなければセラは「恩を返す」と「恨みを晴らす」とを混同しているとシムは思った。

 

「そろそろ始めるよ。――終われ(フィニート)

 

 屈辱にまみれた悪夢の訓練が再開した。セラはそれから一切休むことなく、シムの体を「金縛り」にし怒声とともに蹴り上げた。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――なんで今のが避けられない! 落ち着け!」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――杖の方向をよく見ろ!」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――それでもスリザードか! 焦るな!」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――同じことを言わせるな、さっさと顔を洗って出直せ!」「石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――寮監は髪を洗え!」

 

 なぜ自分はこの悪魔か鬼を、天使か聖母のように思いこんだのだろうか。シムは昨日の自分を(いぶか)しんだ。そもそも組分け帽子は、なぜ彼女をレイブンクローに送るかどうかで迷ったのか。

 シムは最初の数回を経て、体勢を素早く立て直して杖を構えるまではよくできるようになったが、その後セラの呪文をかわすのが難しかった。少し体を捻った程度では光に当たってしまうし、かといって怯えて思い切り走ろうとすると杖の照準も併せて動かされる。そうして床に倒れるたび、セラは無情にシムの体を蹴り飛ばす。

 

「そうやって分かりやすく動いたら、狙ってくださいと言っているようなものだろう!」「もっと私を観察しろ!」

 

 はっとなってシムはセラの杖の動きを観察した。この呪文は詠唱が長いから避けやすいと、セラは最初に言ってくれていたではないか。次は動かずに棒立ちになり、セラが呪文を唱えるさまを注視した。セラの詠唱は速かったが、それでもこの呪文の文言はやはり長い。「ペトリフィカス」で杖を回し、「トタルス」で照準を合わせる。シムは、セラが音を発した時点で焦って逃げまどっていた。照準はそのときなら自由に動かせる。シムは直感的に確信した。「トタルス」のときに跳んで良ければ良い。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)……それで良い」

 

 シムは紙一重でセラの青い光をかわしていた。セラは杖を下ろし、微笑む。「大抵の呪文はもっと短いから、詠唱を始めた段階で反射的に避けた方が良いのは言うまでもない。けれどもパニックを起こして闇雲に走り出しては、避けられるものも避けられない。落ち着いて、横っ飛びになって呪文を避ける。相手の杖から目を背けてはいけない」

 

 シムの心を満たした安堵は、セラがすぐに顔を引き締めたのを見て流れ落ちた。

 

「早速続けよう。間を置かずに唱えるから、続けて避けられるようになること。同じ呪文は連発すると威力が弱くなってゆくから、焦らなければいけるはず。――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 シムが避けるたび、セラは続けざまに狙いを定めて呪文を浴びせた。セラの言う通り、二発目以降の青い光は鈍くなり、速度も遅くなるように感じたが、それでも続けて避けると体勢を立て直すのが間に合わず、二発目か三発目では『金縛り』にされ蹴り飛ばされた。

 

 そうして三時間は過ぎたと思った頃、ようやくセラは再び杖を下ろし壁の時計を見た。

 

「もう四十五分は経ったのか。――私もさすがに疲れてきたな」

 

 そしてシムに顔を向けて、柔らかに笑う。

 

「初めてなのに、本当によくやった。弱音を吐くかとも思ったけれど、そんなことはなかった。さすがだ。――ごめんね、手荒なことをしてでも、君に憎まれてでも、手早く君を鍛えなきゃいけないと思ってのことだよ」

「シム、君は観察力も優れているし、改善点を見つけてすぐに次に活かせるところも良い。鍛えれば身体もついてゆくはず。この調子で頑張って。期待しているよ」

 

 いったい誰が、目の前の魔女を悪魔か鬼だと思うのだろう。シムはぼんやり思った。セラがシムの心理をどこまで計算しているかは分からないが、飴と鞭の使い分けが実にうまい。いや、飴というよりはむしろ、糖蜜パイか。

 

「こちらこそありが――」

「――石になれ(ペトリフィカス・トタルス)

 

 口を開きかけたシムを青白い光が襲った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――だからそれじゃ、スリザリンではやっていけないよ」

 

 悪魔は無表情でシムを見下ろした。このときのシムの飛距離は、最高記録を更新した。

 

 ★

 

 それから10分のち、セラから「今日はもう終わりにしよう」と言葉がかかり、シムは訓練から解放された。教室を元通りに直した後、二人は教室の裏の談話室に入った。

 セラが杖を振ると、談話室の壁の黒い箱が開き、皿が飛び出て円テーブルに並んだ。具材がたっぷりのシチューとスープだった。続いて「冷却呪文」のかかった白い箱から、水差しとコップも飛び出て並ぶ。

 

「外出禁止時刻はまだまだだからね。ちょっとゆっくりご飯を食べても十分間に合うよ」

 

 セラの顔には疲れの色が見えたが、口調は快活だった。ようやく息が整ってきたシムは、疲労困憊の口調で言った。

 

「今日は訓練をありがとうございました。――ところでその、ここに並んだ水や食事に、なにか薬が仕込まれているとかじゃないですよね……?」

 

「……ああ、『今日はもう終わり』と言ったら、それから先は絶対に不意打ちをしない。そして、訓練をしない日にも邪魔は絶対しない。せっかくのホグワーツの美味しい料理に、混ぜ物をするなんて冒涜もしない。これらだけはマーリンに誓おう」

 

 その言葉を聞いて、シムは水を何杯も飲み干した。こんなに水が美味しいのは、久方ぶりだ。まだ息が切れていて、すぐにシチューを食べる気にはならなかった。シムはふと気になったことを尋ねてみた。

 

「……ところで、生徒や先生全員分の料理を用意したり、この広い城中を隅々まで掃除するのって、いくら魔法があるとはいえ人手が相当要りますよね? スタッフの方々ってどこにいらっしゃるのですか? 全然見かけないですが……」

 

「ああ。ヒトではなくて、屋敷しもべ妖精(ハウスエルフ)という生物がごまんと働いていてね。私たちに見えないところで、彼らがすべてやってくれている」

 

 セラ曰く、杖なしで魔法を使い、一切合切の家事労働を肩代わりしてくれる魔法生物。「ヒトたる存在」に分類され、ヒトと同程度の知性を持ち、人間の自然言語によるコミュニケーションをとれ、魔法法に縛られ、しかしヒトより法的に下位に置かれる生物。苦役を苦と思わず、一切の見返りを求めず、いかに蔑まれようと罵られようと虐待されようと、ヒトに――少し正確にはヒトの屋敷に――奉仕し続ける。仕えるヒトの命令には絶対に従う。控え目に言えば召使、有体に言えば奴隷だが、奴隷とは違い解放を望まず、解放されることを最も恐れる。ご主人様の命令に従うことこそが至上の幸福と感じる。

 

「……そんな因果な生物が、屋敷妖精、屋敷しもべ妖精だよ」

「それは――そんなのって――そんな都合の良い生物が――」

 

「――色々な感想があるようだね。それじゃあまず、スリザリン的な感想から聞こうか」

「……そんな都合の良い存在がいるなんて魔法界は凄いですね、これからもありがたくお世話になることにします。僕ら魔法族は無償で全部やってもらえてハッピーだし、彼ら屋敷妖精も僕らに奉仕出来てハッピーなんですよね。誰も不幸にならない! 屋敷妖精がいないなんて、非魔法族は可哀想ですね!」

 

「率直だね。それではハッフルパフ的な心境は」

「……それでもやっぱり少し胸は痛みますね。彼らにとっては幸福とはいえ、それに甘えてこき使い続けて良いんですかね……。魔法族だって、料理にしろ掃除にしろ、ちょっと杖を振れば自力で片付くことでしょう?」

 

「なるほど。レイブンクロー的な考察は何だい」

「本能レベルでロボット三原則が根付いている知的生命の労働力を魔法族が享受することの是非は哲学者や倫理学者にとって議論の格好の題材になりそうですねベンサムなんかは諸手を挙げて賛成しそうですし逆にカントは断固として反対しそうですがそもそも家畜と屋敷妖精の違いがどこにあるかを考えると知能で線引きをしてしまってい」

 

「君のレイブンクローへの偏見がよくわかる口調をありがとう、そのくらいで十分だ。最後にグリフィンドール的な意見は」

「……今日も奴らのおかげでメシがウマいぜ!」

 

「……」

「……」

 

「……それはグリフィンドール的なの?」

「……セラが無理矢理当てはめたんじゃないですか」

 

「……まあ、とにかく、さっきシムは非魔法界を引き合いに出したけれど、魔法界でもすべての家に屋敷妖精が住んでいるわけではなく、ごく一握りの大邸宅だけみたいだ。そして英国の屋敷妖精の大部分はこの城にいると聞く。主人に逆らえないのを良いことに手ひどい扱いを受けている屋敷しもべ妖精も多いだろうけど、ダンブルドア校長なら、無償で奉仕したい屋敷妖精の欲求は尊重しつつ、虐待や不条理な命令はしないだろう」

「じゃあ、屋敷妖精の多くがホグワーツ(ここ)で暮らしている現状は、彼らの種族にとって一番良いともいえそうですね」

 

 二人はそれからシチューとスープを食べ終えて寮に戻った。翌日の木曜は訓練のない日で、セラが約束した通り、水曜と木曜の授業の宿題を片づけているシムの身に何も災難は降りかからなかった。さらに翌日の金曜は再び訓練のある日だった。グリフィンドールへの清々しいまでの堂々たる逆贔屓(ひいき)が行われる魔法薬学を受ける間も、夜の訓練のことがシムの頭を渦巻いていた。午後は授業がなかったが、スリザードの教室に向かわず、図書館で宿題を済ませることにした。夜になり、恐怖を殺した覚悟の顔色で教室に入ってきたシムを見て、セラは挨拶をすることなく呪文を放った。

 

石になれ(ペトリフィカス・トタルス)……うん、良い動きだ」

 

 セラが絶対に不意打ちをしないと誓ったのは、「今日はもう終わり」と言った後に限る。「これから始める」の合図はないので、教室に入った瞬間に不意打ちされる可能性がなくはない――つまり確実に起こる。シムはこの展開を予想していたので、無事に右に跳んでかわすことができた。

 得意顔を抑えてシムは教室を見回す。昨日と異なり、椅子が何脚か片づけられずに床に幾つか点在していた。

 

「今日の訓練も呪文をかわすことだけど、『全身金縛り術』だけでなく種類を増やして行うことにする。()()()()()()()()()、まずはいきなり撃ってみるから、落ち着いて頑張ってかわしてみてほしい。――もう少し教室の中央に寄って。心の準備ができたら言ってくれ。今は撃たない」

 

 シムは教室の真ん中に立つと、数回深呼吸してから合図をした。窓にもたれていたセラは、背筋をまっすぐ伸ばすと、シムの胸に杖を向けた。その杖をシムは凝視した。

 

来い(アクシオ)

 

 セラが叫んだ瞬間、シムは左に跳ぼうとした――が、セラの杖先からは何も光が出ない。戸惑って硬直するシムの背中から衝撃が襲う。

 シムは前につんのめった。シムの背中に激突したのは椅子で、そのまま猛スピードでセラの手元まで来ると止まった。椅子は『衰えよ(スポンジファイ)』がかかって軟らかくなっていたとはいえ、その質量はおおむね健在でシムの体に衝撃を与えるには十分だったし、シムの心に衝撃を与えるにも十分だった。

 

()()()()()()()()()()()()()()なんて誰も言っていない。魔法を学ぶときに、杖を持った敵と相対するときに、勝手な思い込みは捨てること」

 

 セラの言葉が教室に響いた。

 




初日の訓練の内容を3行程度ですませるつもりだったのですが、一万字近くなってしまったので独立させました。続きもじきにアップします。

2E教室:
最初の話で「10数個の机が並ぶこじんまりした教室」と書いちゃってましたが、30~40人規模の教室です

古代ルーン文字:
原作の感じだと、単にルーン文字で書かれた文献を翻訳できるようになるのが目標っぽいですが、ゲド戦記の神聖文字みたいに、文字を刻んで魔法を使えるみたいな設定に。便利すぎて不都合生じそうだと後で修正します。

衰えよ(スポンジファイ)
二次創作御用達のゲームオリジナル呪文

宙を踊れ(エヴァーテ・スタティム)
映画オリジナル呪文。映画には正直あまり馴染みがないので最初は妨害せよ(インペディメンタ)で書いていたのですが、インペディメンタはどうも五巻以降の「吹き飛ばす」効果より四巻での「動きを鈍くする」効果の方がメインっぽいので断念。吹き飛ばす/鈍らせるを使い分けられるのか、威力が強いと(エクスペリアームスが武器を飛ばすついでに体を吹き飛ばす感じで)「吹き飛ばした後に鈍らせる」感じになるのかどっちなんでしょうか。

眠れるドラゴンをくすぐるべからず:
この後ろ向きな校訓が、もし創始者の時代から存在するものならば、ゴドリック・グリフィンドールが尊ぶ勇気とは決して蛮勇をさすものではなくもっと深いものなのだろうな、
みたいに多分深い理由は全くない細かい事柄にもいちいち解釈を見出すオタク遊びは楽しいですよね。

戦闘に関してのあれこれ:
反射神経めっちゃ大事そう、呪文の光がそこまで速くなさそう、連続して同じ呪文使わずに違うの使いがちみたいな原作の戦闘を解釈するための独自設定連発。

屋敷しもべ妖精:
セラは特定の妖精と深い交流をしているわけではないので、妖精の複雑な感情の機微について体得しているわけではありません
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