スリザード・クラブ (蛇寮非魔法族出身者の会)   作:非魔法族

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第3話 ハロウィーン(1) トリック・オア・トリート

「やっぱり君は授業がとても順調みたいだね。ひょっとしたら一年生の中でも一番良いくらいじゃない?」

 

 十月の最終週の土曜、午前中に2E教室で相変わらず容赦なくシムに魔法の訓練を施し、テレビをくぐって談話室でシムと共に昼食をとり、シムの授業の質問に答えた後で――「魔法薬学」のレポートを執筆する上で生じた彼の疑問のうち三つを答え、二つは分からないから図書館か先生のもとに行くよう素直に指示し、「変身術入門」の56ページに記載された式の行間を解説し、「呪文学」で少し上手くいかなかった「直れ(レパロ)」の改善点を指摘した後で――のんびり紅茶をすすりながらセラは言った。

 

 シムは肩をすくめて正直に答えた。

 

「スリザリンは優秀な生徒も多いですし、一番とはいえないと思いますよ。……それに他の寮には、飛びぬけて秀才の誉れが高い生徒がいますしね。セラもたぶん図書館で見たことがあるかもしれませんが」

 

「なるほど。レイブンクロー生かな?」

 

「いえ、グリフィンドールです。……それも()()()()()()の」

 

 案の定、セラの目が好奇心で光った。

 

 ホグワーツ一年生のうち、日々の授業で一番飛び抜けて頭角を現していると(ささや)かれるのは、スリザリンのマルフォイでもノットでもグリーングラスでもムーンでもなければ、レイブンクローのゴールドスタインでもターピンでもパチルでもなければ、ハッフルパフのマクミランでもなければ、あのハリー・ポッターでもなかった(スリザリン生達は今のところ、飛行術の才とマルフォイに絡まれる才とマルフォイを口論で打ち負かす才を除けば、英雄ハリー・ポッターに突出した才能を見出していなかった)。

 

 それはグリフィンドール寮のマグル生まれの少女、ハーマイオニー・グレンジャーという名の生徒だった。漏れ聞こえてくる限りにおいては、彼女は甘いスプラウト先生の「薬草学」やフリットウィック先生の「呪文学」で毎回得点を荒稼ぎしているようだったし、厳格なマクゴナガル先生の「変身術」でさえも頻繁に加点されているようだった。

 その加点が先生方の贔屓などではなく、実際に彼女の優秀さと勤勉の賜物であることは、グリフィンドールと合同になる魔法薬学の授業を見れば明らかだった。彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、スネイプ先生に大鍋を覗き込まれたときに()()()()()()()()()()()()()()()()。スネイプ先生は黙って鼻を鳴らして通り過ぎるのみだった。要するに彼女はほとんど毎回完璧な調合を成し遂げており、彼女がスリザリン生なら、やはりこの授業でも得点を荒稼ぎしていただろうと思われた。

 

 シムは空いた時間のほとんどを魔法の練習や勉学に割いていたが――これは悲しいことに、自寮の同級生たちと交友を温めることに時間を割くのが絶望的だという消極的な事情が大きく絡んでいたが――グレンジャーのあまりに傑出した好奇心と記憶力と知能と勤勉さと魔法の才能とは、やはり嘆息せざるを得なかった。

 

「座学だけでなく――教科書を最初から最後まで一言一句暗記していて、君が図書館に行くときにはいつでも本に埋もれていて、スネイプ先生以外の先生の質問には必ず挙手をして答えるし、スネイプ先生にいくら無視されても挙手を続けて、『魔法史』の授業を内職も睡眠もせずに受ける()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そのうえ()()()飛行術以外は突出しているのか……」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーに関する噂と、実際に彼女を見た限りにおいての印象とをシムから聞くと、セラは感服した様子でシムの話を簡潔にまとめた。セラはグレンジャーに興味津々の様子だった。

 

「しかも、あまり協調性のないタイプで、出しゃばりで、杓子定規な『真面目な優等生』タイプで、ガリ勉タイプで、先生にとても好かれるタイプで、ということは当然グリフィンドール寮では孤立気味で、陰口を叩かれやすいというわけか。なるほどね――」

 

 だからこそシムはそれまで、ハーマイオニー・グレンジャーという生徒の話を、すすんでセラにしようとは思わなかったのだ。才能に溢れ、ストイックで、きわめて知的で、孤立していて、非魔法界出身の女子の生徒――そのような生徒に、セラ・ストーリーが興味を持たないはずがなかった。

 

「レイブンクローかハッフルパフに行っていたら良かったのにね。あるいは――」

 

 セラはそこで急に口をつぐんで黙り込んだ。シムはセラが言おうとしたであろう言葉を引き取る。

 

「――スリザリンなら、セラに面倒を見てもらえて良かったでしょうけど、それでもスリザリンに組分けされうる要素は、あの生徒の性格にはたぶん全くないですよ。組分けに時間がかかっていましたが、おおかたレイブンクローと迷っていたのでしょう。ハッフルパフの可能性もありそうですが」

 

 シムはグレンジャーに対して、会話をしたことがないにもかかわらず少し苦手意識を抱いていた。

 グレンジャーを目にするたびに、自分の代わりにこの少女が、スリザリンに組分けされた世界を想像させられるからだった。そしてそちらの世界の方が――ともに利発で才気溢れる二人の魔女が出会っていた世界の方が、セラにとってはなお良かったのではないかという予感がつい頭をよぎってしまうからだった。

 実際に今、セラは言葉にこそ出さなかったが、ハーマイオニー・グレンジャーがスリザリンに来ていればと感じていそうだった。

 

「……ああいや、もちろん私は今の状況にとても満足しているし、君と出会えてとても良かったと思っているよ。――ただ、そのグレンジャーという子もスリザリンに入っていたなら、スリザード・クラブが三人になってさらに賑やかになっていただろうとは思うけど」

 

 心を見透かしたかのようなセラの何気ない調子の言葉に、シムは自分の幼さが余計に恥ずかしくなった。三人のスリザード・クラブ。三人いれば、今よりお互いの遠慮がなくなり、今よりさらに楽しく日々を過ごせるのかもしれない。――あるいはセラとグレンジャーがとても仲良く喋るなか、自分がひとり蚊帳の外に置かれて居心地が悪くなるかもしれない。シムは悲観的なイメージのほうを頭から振り払った。

 

「今は何よりシムを鍛えなきゃいけないし、他の一年生にかまうつもりなんて当然ないよ。――まあ、グリフィンドールで孤立しているようなら、スリザリンから攻撃されかねないようなら、図書館で見かけたときにでもちょっと話してみようかなとも思うけど――」

 

「……スリザリンの生徒と親しく話すようでは、彼女の寮内での孤立はさらに深まる一方じゃないでしょうか」

 

 シムは慎重に客観的な言葉を選んだ。シム自身、一定のシンパシーを感じるグレンジャーに話しかけてみたいと思わないこともなかったが、やはりスリザリンとグリフィンドールの二寮の断絶は大きかった。スリザリンでの立場が無い自分が、グリフィンドールで浮いている上にスリザリンから敵意を向けられているグレンジャーに、表立って話すことがあればお互いの立場をいっそう悪くしかねない、とは分かっていた。

 

(スリザリン一年生にとって、「穢れた血」という語はもっぱらハーマイオニー・グレンジャーを揶揄する固有名詞となっていた。もちろんシムを指す場合もあるために区別が紛らわしかったが、その後に続く三人称――(He)あいつ(She)――で判断をすることができた)

 

 もっとも話しかけたところで、スリザリン的な気質が一切なさそうな彼女とはそもそも気が合わない予感もしたが。

 

「それは全くその通りだ。もし仮に彼女と私が仲良くなってしまうことがあったら、グリフィンドールでの居場所がないうちに、スリザリンの上級生にたぶらかされたなんて話が広まってしまったら――寮に馴染める望みは絶たれてしまうかもしれないね。さすがにそんなことは、私の本意ではない」

 

 セラは名残惜しそうに遠い目をして言った。しばらくの沈黙ののち、セラは突然立ち上がり、鞄をつかんだ。

 

「――そうだ、古代ルーン文字の本の返却期限が今日までだったのを、今の話で思い出した。マダム・ピンスに怒られるのは面倒だからちょっと行ってくる。ついでに『数占い学』の本も借りてくることにしよう」

 

 イルマ・ピンス――飢えたハゲタカを思わせる風貌を持つ図書館の主だ。書物と、厳粛な図書館の空気とをこよなく愛しており――少なくとも生徒達や生徒の読書体験よりは遥かに大切にしており――鋭い眼を図書館中に光らせ、飲食や午睡やわずかな私語も許さず、本を汚したり折ったりしようものなら烈火のごとく怒り出す。大切にしているはずの本に魔法をかけて、生徒を図書館から追い立てることすらあった。

 ただでさえ陰鬱で厳粛なホグワーツ図書館の雰囲気を、その司書はいっそう緊張感のあるものにしており、シムはこれでは生徒の読書嫌いが進む一方だと感じていた。

 しかし非魔法界の図書館とは異なり、ホグワーツ図書館の禁書区画には()()()()()()()()()()()、ホグワーツの敷地内でも「禁じられた森」に次ぐほど危険である可能性すらある。そのため彼女の神経質な態度は、この城の図書館においてはまったく適切なものかもしれないとも感じるのだった。

 

(セラはシムに、危険を見極められないうちは絶対に禁書棚の本に手を触れるなと忠告していた。セラ自身、一年生のときにかなり危ない目に遭ったようで、その後に上級生二人から受けた折檻がトラウマになっているようだった)

 

「……もしそのグレンジャー嬢がいたら、どんな子かやっぱり見てこようかな。ふさふさした茶色の髪で、いつも大量の本を背負っているグリフィンドール生なんだよね。一目で分かりそうだ。…………他の生徒に見られないようにすれば、少し挨拶をするくらいなら――」

 

 彼女は地球が描かれたポスターをくぐって談話室から出て行った。シムは宿題レポート用の羊皮紙を取り出し、「変身術入門」をぱらぱらめくって、65ページの紙を眺めた。

 そして三十分ほど経って、セラが再びスリザード談話室に戻ってきた。シムは「変身術入門」の65ページから顔を上げた。セラは残念そうに首を振った。

 

「ちょうどグレンジャーさんを見かけたから、彼女が出てくるときに廊下でちょっと挨拶しようと思ったのだけど、失敗してしまったよ」

 

「……どうせ、『目くらまし』をかけて驚かせたとかですか?」

 

 シムはセラと最初に会った日のことを思い出した。

 

「折角なら印象的なものにしたいしね。先回りして彼女の前に立って、足から少しずつ現れる形にしたら、首まで復元したあたりで、ヒッと悲鳴をあげて逃げられてしまって。単にスリザリン生が悪戯しようとしたと思われたかもしれない」

 

「…………何やってるんですか。普通に挨拶してもセラなら十分印象的ですよ」

 

 シムは呆れ顔で言ったが、しかし続くセラの「グレンジャーさんと関われなくなってしまったから、彼女の寮での立場をさらに悪くするようなことは起きないよ」という言葉を聞いて、もしかしたらセラは、あえて非常識で馬鹿な真似をして避けられることで、グレンジャーと関わってみたいセラ自身の気持ちと折り合いをつけたのかという気もしたが、声に出すのはやめておいた。

 

 

 ★

 

 

「ところで、セラはハロウィーンパーティは毎年出ているのですか?あれって参加しないといけないのでしたっけ。ハロウィーンの日はちょうど訓練がない日でしたよね」

 

 それから少しして、ふと思い立ってシムはセラに問いかけた。いつにも増して豪華な晩餐が供されるほか、ゲストが呼ばれることもあるというハロウィーンパーティを翌週の木曜に控え、校内は少し浮足立っていた。

 城の窓から見える、森番のハグリッドさんの小屋のそばの畑では、怪物のような大きさのお化けかぼちゃが幾つも丸々と育っていた。

 

「私がそんなまっとうな陽の当たる学生生活を送っていると思う?いつも通りここでご飯を食べているよ、参加しなければならないことはないからね。一部のレイブンクロー生とか、よほど大事な用がある人とか、よほど虐められている人とかでなければ、もちろんみんな参加するとは思うけれど」

 

 全スリザリン生が集まる食事の席は、居心地が悪い以前の問題として、先生方の目が光っているということをさしひいても二人にとってあまり安全な場とはいえなかった。毒を盛られるようなことは流石にないとしても、食事中に何かしらの悪戯やトラブルが起こる光景は、グリフィンドールのテーブルを中心にいたって日常的なものだった。

 魔法の訓練を行う日もそうでない日も、二人は夕食を(休日は昼食も)ここスリザード談話室で摂っており、朝食は早い時間に大広間に降りて摂ることにしていた。

 訓練の後の夕食を除けばセラは自分が食べたいときにご飯を食べ始めており、たまたまタイミングがかち合ったときだけシムはセラと談笑して食事することができていた。

 

「私が一年生のときには七年生のシーナとソフィアがいたから、三人でささやかなハロウィーンパーティをして楽しかったけれどね。……いや、不意打ちで『ペロペロ酸飴』を食べさせられたな……」 

 

「そうだったんですね。そういえば、マグルの歴史も議事堂もクソもない魔法界だと五日後のガイ・フォークス・ナイトは当然やらないみたいですけど、三人とも非魔法界出身だとそっちも盛大に祝いました?」

 

「そっちはやらなかったな。わざわざカトリックのテロリストの人形を燃やすなんてどうも私の趣味じゃないし、その日の訓練で私を燃やしかけるだけで二人は十分満足だったろうし」

 

 セラは肩をすくめた後、押し黙るシムを見て「『炎凍結術』がかかってさえいれば炎を避け切れなくても全く痛くないし、私はもちろんそんな訓練は君にやらないよ」と付け加えた。

 

「ただ今年は、日陰者の私の都合に君を巻き込むつもりはない。どう、初めの一年くらい、陽の当たる大広間に降りてハロウィーンパーティに参加してみるかい?それなら私も参加するよ」

 

 セラは意地の悪そうな笑みを浮かべた。答えを聞くまでもない質問であった。

 

「まさか。僕もここで食べますよ。そもそも夜の大広間には陽が当たりませんしね」

 

 即答したシムにセラは頷いた。

 

「じゃあそうしよう。三年前みたいにパーティの準備をする時間はないけれど、豪華な晩ご飯だけでも十分だろう。……そうだ、シムはまだキッチンに行ったことがなかったよね?折角だから一緒に料理を貰いに行こうか」

 

「お、良いんですか!ぜひ行ってみたいです」

 

 ホグワーツの厨房では沢山の屋敷しもべ妖精が甲斐甲斐しく働いており、生徒や教職員の胃袋を毎日満たしてくれる。生徒が厨房に入るといつでも妖精達は歓迎して沢山のお菓子や軽食を渡してくれるので、一部の生徒は足しげく厨房に通っていた。

 そしてセラは厨房の妖精達と何かしらの話をつけているようで、毎晩スムーズに夕飯を確保することができていた。

 

(料理の残りをわざわざ生徒二名のために予め取り分けておくことは、妖精達の仕事を余計に増やすことにほかならなかったが、労役を苦と思わない彼らは嫌な顔一つしないでやってくれるようだった)

 

 ただし談話室に食事を持ってくるのはいつでもセラで、シムは一度も厨房を目にしたことがなかった。上級生に行かせるのは忍びない、自分に運ばせてほしいとシムは何度も主張したが、セラは「目くらまし術」が使えるようになるまでは駄目だと頑なに拒んでいた。生徒が厨房に行くことは校則違反ではないが、わざわざ夕食時に厨房に行くのを見られて他の生徒に不審に思われるのを避けるために、そしてスリザード・クラブの使う2E教室の存在が他の生徒にバレるのを避けるために、セラは必ず「目くらまし」を使って厨房から2E教室まで移動していた。

 

(シムは「目くらまし」が使えないので、他の生徒の姿がないか注意を払いつつ2E教室まで毎日通っていた)

 

「授業が終わったらいったん談話室(ここ)に集まって、それから一緒にキッチンに降りよう。晩餐が始まったあとなら、キッチンの仕事の邪魔にはあまりならないはずだ」

 

 セラの言葉を聞きながら、談話室で食べるハロウィーンのご馳走にシムは思いを馳せた。

 

 

  ★

 

 

 そしてハロウィーンの当日、木曜の一日の授業を終えて2E教室へ向かい、テレビをくぐってスリザード談話室に降り立ったシムは息を呑んだ。

 明るい緑色を基調にした穏やかな普段の談話室は一変して、すっかりハロウィーン仕様に模様替えされていた。

 薄暗い部屋を橙色の灯りが照らし、黒と宵闇の紺色を基調にした壁には、幽霊や墓やお化けかぼちゃなどのハロウィーンにまつわる絵が描かれている。その絵はおどろおどろしさを残しつつも、ポップに楽しげに仕上がっている。

 

 そしてシムの正面には、魔女がソファに坐していた。魔女が身にまとっていたのは普段と一切変わらない山高帽とローブだったし、箒や大鍋こそ持っていなかったが、それでもあまりに魔女然としてハロウィーンにふさわしい姿だったので、部屋の雰囲気を醸成する中核を担っているといえた。

 魔女は手を膝に組んで穏やかな様子でもたれ、どうやらうたた寝をしているようだった。その安らかな彼女の寝顔は、それまでシムが目にしていた、飄々とした様子、鷹揚とした様子、警戒した様子、集中した様子などとは無縁のものだった。せっかくの安息を邪魔しないでおこうかと思っていると、

 

「ああ、つい寝てしまってたみたいだ。いらっしゃい」

 

 セラは目を醒まして微笑んだ。緑の瞳が神秘的な光をたたえていた。「三年ぶりにハロウィーンぽく変えてみたよ。わざわざ飾り付けするのは大変だから、壁紙と照明を魔法で変えただけだけどね」

 

 そしてセラは、右手に握った杖で左手をたたきながら、にやりと笑った。

 

「早速だけど、せっかくハロウィーンだし、ご馳走を食べに行く前に言っておかないとね。――シム、トリック・オア・トリート

 

 呪文を唱えるかのような調子で、澄んだアルトボイスがセラの唇から漏れる。左手を差し出す魔女の、怪しく光る瞳をまっすぐ見つめてシムは肩をすくめた。

 

「あいにく、お菓子を買いに行く暇がなかったもので。代わりにと言ってはなんですが――」

 

 シムは杖を取り出し、戸棚に向けた。息を吸い、集中して詠唱する。

 

浮遊せよ(ウィンガーディアム・レビオーサ)

 

 セラに何週間か前に教わり、直近の「呪文学」の授業でも習った「浮遊術」は、このときも無事に成功した。戸棚から緑色の鉛筆が五本(この談話室には非魔法界の文房具が豊富に揃っていた)、飛び出して滑らかに宙を滑った。鉛筆がシムの胸元に並ぶ。

 シムが再び杖を振ると、五本の鉛筆が動いて「H」の字を形作った。一旦ばらばらになると、今度は「A」の字を形作る。シムが杖を振る度に陣形を変え、最終的に鉛筆は「HAPPY HALLOWEEN」の字を順にすべて示し終えた。セラは黙ったまま、感心した目つきで眺めていた。

 

(なお、「P」の字を自分から見て「P」となるように形作ってしまい、この向きではセラからは左右反対に見えてしまうことに気づいたが、何食わぬ顔をして「L」からは左右反対に形作るように気を付けた)

 

 そしてシムは宙に浮かぶ五本の鉛筆を一本ずつ杖で叩いた。鉛筆は地に落ちると、次々にトカゲへと姿を変じた。いくぶん細長く直線ばった、鉛筆の面影を色濃く残したトカゲだったが、シムは気にせず杖を振る。トカゲは床を這い始めて壁を登り、もとの戸棚に戻ると、ポンと音を立てて鉛筆に戻った。

 

「――これでお目こぼしいただけますか」

 

 シムは杖を降ろして問いかけた。華々しいとも洗練されているともいえいないパフォーマンスなのは自覚していたが、これが今のシムに出来る精一杯の魔法だった。

 シムは内心どきどきしていたが、セラは大きく頷きながら感激した様子で拍手した。

 

「すごいよ。魔法を学んでたった二ヶ月で、ここまでのものを見せてくれるとは思ってもなかった。普段からここで君の魔法は見せてもらっていたけれど、改めてさすがだ。呪文学も変身術も杖魔法の二本柱が両方、基礎がちゃんと出来ている。一年生の期末試験なんてこの調子で余裕だろう。――嬉しいよ、ありがとう」

 

 セラの手放しの称賛と満面の笑みを見て、シムは自分の今までの努力が十二分に報われたように感じた。心に温かなものが流れ込んだ。

 

「ありがとうございます。頑張って練習した甲斐(かい)がありました。――それでは僕の方も、トリック・オア・トリート

 

 シムが大仰な調子で悪戯っぽく唱えると、すっとセラはソファから立ち上がった。

 

「大人気ないかもしれないけれど。私も本気で、頑張ることにするよ」

 

 セラは後ろ手でソファを叩いた。ソファが膨れ上がり、セラの背丈と同じ高さの古竜へと転じる。(わに)のような顔と扇のような盛り上がった背中――棘竜(スピノサウルス)と名づけられた恐竜、そのミニチュア盤だ。

 恐竜はシムに顔を伸ばし、鋭い歯が無数に並ぶ顎を広げる。あわやシムの首に噛みつこうとしたときに、肌に黒い羽毛が生え竜の動きが止まる。恐竜がきょろきょろ横を見回して首を引っ込める間にも、羽がすっかり生えそろい、鰐のような顎は(くちばし)へ、背中の扇が翼へと変じ――恐竜は巨鳥の姿へ、()()()()()()()()()()()()()()、鳥の姿へと変身した。

 黒い巨鳥が翼を広げると、翼は鳥のそれからコウモリのそれへと変わった。かと思うと間もなく巨鳥の体が弾けて無数のコウモリが噴き出す。コウモリはひとしきり部屋を飛び回ると、セラの背後で一塊(ひとかたまり)になった。黒の塊はみるみるうちに変色して橙色の塊になり、気づけばけたけた笑うお化けかぼちゃになった。セラが最後に杖を振ると、ポンと音を立ててかぼちゃが消え、そこには元のソファが鎮座していた。セラは右手を左に振って丁寧に一礼した。

 

「お菓子の代わりに、お返しにこれでいかがでしょう」

 

 ひたすら圧倒されていたシムは、セラの言葉で我に返り、夢中で拍手をした。

 

「さすがです。……いや、さすがです。……ありがとうございます」

 

 シムはそれを言うだけで精一杯だった。

 

「ありがとうね。……こういう大掛かりな変身術は、本当に本当に大変で。私は今素知らぬ顔を作っているけれど、すっかりへとへとになってしまったし、もちろん即興ではなくちゃんと練習をしなきゃできない。シムもさっきのあれは、準備してくれていたのだろう?」

 

 ばつが悪そうに笑うセラに、シムも笑顔を返す。

 

「ええ、それはもちろん、たっぷりと。――お互い格好つけたがりだし、格好がつかないですね」

 

 セラは「人を楽しませるために、格好悪さを気にせずに格好をつけられるというのは、素敵なことだと私は思うけどね」と柔らかな声で言った。そして二人は、いつも通り食器を青い箱から取り出し、白い鞄に入れた。そして談話室を出て、夕食を調達するために厨房へと向かった。

 

(食器は談話室のものを使っていたので、食事を調達しに行くときだけ厨房に向かえば良く、食事を済ませた後は「洗浄呪文(スコージファイ)」のかかった青い箱に食器を入れるだけで済んだ。なお、屋敷しもべ妖精は基本的に城のどこにでも物を移送できるのだが、恐らくスリザード談話室の存在は知らないようで、セラも教えるつもりがないようだった。城の大抵の部屋は屋敷妖精が夜の間に掃除をしていてくれたが、この談話室はセラとシムが二人で掃除をしていた)。

 

 「目くらまし」をかけて周囲の景色と同化した二人は、一階までたどり着くと、おいしそうなご馳走の匂いと生徒たちの歓声が漏れる大広間には目もくれずに地下に降りた。地下といってもこの廊下は穏やかで明るい雰囲気であり、スリザリンの寮に近い区域――薄ら寒くじめじめして陰気な雰囲気――とは対照的だった。沢山の果物が載った銀の大皿が描かれた絵の前でセラは立ち止まった。

 

「ハッフルパフの寮の入口はここからそう遠くないみたい。キッチンが近くて羨ましい限りだね。そしてここが、キッチンの入口だ」

 

 皿の中の果物の一つ、洋梨の絵をくすぐって現れたノブを捻り、セラは厨房の扉を開けた。

 

 

  ★

 

 

 大広間と同じほどと思わんばかりの広大な厨房には、大勢の屋敷妖精がひしめいていた。

 ハロウィーンのご馳走は既に出し終わっていたので、大方の妖精はデザートの時間までしばし休憩をしており、一部の妖精は鍋などを魔法で清めていた。二人は屋敷妖精から熱烈な歓迎を受け、たくさんのご馳走とお菓子を押し付けられた。それらを白い鞄――「検知不可能拡大呪文」と「水平呪文」と「保温呪文」がかかっていてスープだろうとなんだろうと問題なく料理を運べる――に詰めながら、パンプキンパイの匂いが漂う厨房を後にした。

 

「……正直僕らは仕事の邪魔だろうと思っていたのですが、あんなに優しくもてなしてくれるものなのですね」

 

「うん。だから私は毎日彼らの好意に甘えて、あつかましく夕食を毎日貰いに行っているというわけだ。屋敷妖精を持つ魔法族の家庭はまったく幸せだね」

 

 二人は三階の荘厳な大廊下を歩いていた。

 大廊下は迷路のように分岐し曲がりくねっているが、いずれのルートを通っても目指す大階段は遠い。シムは空いたお腹をさすりながら、セラと食べるハロウィーンの晩餐にわくわくしていた。

 

(なお、スリザード・クラブが使う2E教室は三階にあるが、三階からは直接向かうことができない。一旦大階段で四階まであがり、廊下をさらに四回曲がり、丁寧にお辞儀をしないと開かない扉をくぐり、その先の廊下を三回もしくは日によっては七回曲がり、階段を降り、途中の踊り場で止まり、右手に見える壁の特定のブロックを叩き、出てきたドアノブを回して隠し扉を開け、隠し階段を降りるという、ホグワーツの基準から見ても複雑な道のりを辿らなければならなかった)

 

 しかし、二回廊下を曲がり、教室もなくただひたすら長くまっすぐのびる道を歩いている途上で、二人は立ち込める異様な臭いに立ち止まった。セラが辟易した様子で口を開く。

 

「……食欲が湧かなくなってしまうような臭いだね。屋敷妖精はちゃんと掃除をしてくれているはずだけれど……」

 

「……汚い駅の公衆トイレを限界まできつくしたみたいな臭いですね……。ついでに父の汚れた靴下もブレンドした感じの……」

 

「靴下が臭うのは君のために働いてくれているからこそだから、お父さんに直接は言わないべきだよ」

 

 何気ない調子で言ったセラは、ふと上を向いて蒼ざめた。

 

「悪臭……悪臭……そもそもトイレは近くにない……まさかこれは…………!」

 

 そのとき前から低い唸り声が、幅の広い廊下じゅうに響き渡った。足を引きずる音――それも馬鹿でかいサイズの足を引きずる音も、床を伝って響いた。廊下の数メートル先の曲り道から、悪臭の原因が姿を現した。それはヒトにも似た姿の、しかし端的に言えば「怪物」の姿だった。




邦訳版にあわせてハロウィーン表記。この二次創作はあくまでセラとシムの物語なので、ハーマイオニーはちゃんとハリーと仲良くなります。

セラのハロウィーンの変身術:家具を豚に変えるレベルでも相当ムズいとなると、いち生徒の技量でできるレベルを超えてしまっているかもしれないけれど、ストーリーの本筋に絡まない部分なので勘弁。戦闘でこのレベルの複雑な変身術は使えません。

(追記: 失念してましたが在学中アニメーガス習得する生徒がいるくらいだし別に全然大丈夫そうですね)
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