安眠の魔女ザロウは友人の勧めに従い、人間として生徒として学校に紛れ込んでいた。どこのクラスにでもいるような冴えない陰キャ男子である漆モズは、ある日そんな魔女へ蛮行を働く……。

 捉え方によっては恋愛小説です。

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眠姫ザロウと漆モズ

 ある時目が覚めると、自分には体があって、心があって、周りには世界があった。朝を感じて目が覚めた時に、ああ今日も一日が始まったなぁと思うことと同じように、私は極々自然にこの世に生まれたのだ。ある日突然、どこからともなく、夢から覚めるみたいに。

 その時からずっと親はいない。別れたわけではなく、いない。それに私には幼少期が存在しない。生まれた時からほとんど今のままだった。つまり私は、人間ではない。何かのクローンや実験体でもない。私たち「魔女」という存在は、みんなそういうものなのだ。

 突然生まれて、最初から大人で、ずっと死なない。

「ザロウがまた寝てる」

「いつもだろ」

「また笑ってる」

 授業中眠る私を見て、近くの席の男子たちが口々にそうささやくことを、夢の中で私は聞いていた。夢から現実を見聞きすることが出来る。だから皆が私のことを「眠姫」と呼んでいることも知っている。起きている間の私を、そのあだ名で呼ぶことは誰もしないことも。

 眠ることは良い。とても良い。別に何に苛まれているわけでもないけれど、それでも眠りは全てに勝る「救い」だと感じる。お腹が空いても体が傷んでも、眠ってしまえば感じることはなく、眠っているといつだって、体がふわふわして気持ちいい。その上現実のことなら夢で見られるのだから、むしろ起きている理由がない。だから、私の生きる意味は寝ることだった。

 授業終了のチャイムが鳴ったので、私は目を覚ました。目を覚ますことも特技だった。夢で現実が見られるのだから、いつ起きるのかだってもちろん自由だ。前の席の男子が振り返って、にやにやしながら私に言った。

「ザロウ、問四の答えわかった?」

 私が自分のノートに求められた答えを書くと、その男子は手を叩いて喜んだ。問四というのは、私が眠っている間に出題され、とっくに黒板からは消された問題のことだった。

 私が眠っている間に起こったことを、こうして普通に知っているように振る舞うと、多くの人がすごいすごいと喜んでくれる。だからいつ眠っていても、最近は誰からも起こされなくなった。先生からも、誰からも。

 私を誘ったほかの魔女が言っていた、学校はなかなか楽しいところだと。その魔女にとっては、むしろ楽しくないことの方が珍しそうだと私は思ったけれど、とにかくこうして「人間の若者」のフリをして入り込んでみると、学校の中にはそうするだけの価値が確かにあったように思える。

 私は私が眠ることを良しとする人間のことが好きだった。一緒に眠ることの出来る人間はもっと好きだ。その人が眠そうにしていれば、なおのこと理想的である。

 

 

 

 

 

 クラスのマドンナなんて言い回しは古すぎる。誰からともなくそう言った。それを言葉にすることさえ野暮だという雰囲気と共に、誰もがそれに無言で賛同した。

 結果、私は眠姫と呼ばれるようになった。生徒の皆が一番恐れているであろう怖い先生が授業をしている時に、よだれをたらしながら爆睡したことが由来の一つだった。他に由来があるとすれば、まあ容姿かなと思う。

 授業中に眠り、怒鳴られて、眠ったまま「起きてます」と私が言うと、教室が張り詰めたような静かさを厳格に保ちながら、しかし異様な熱狂に湧いたことを覚えている。それからしばらくの間、私の居眠りについての騒動があって、私の親のフリをしてくれた魔女がどんな上手なやり方をしたのかは知らないけれど、とにかくそのうち騒動は収まった。誰も私を起こそうとしなくなった。学業や生活に支障がないのなら、まあ良いかと。

 だから私は、何があっても起きない眠姫と呼ばれるようになった。けれどそれを直接私に向けて言う人はいない。むしろそれを言うのは男子だけであって、彼らは私を含む女子という女子にその呼び方を隠しているようだった。もしも校内の誰かが「王子」と呼ばれていたら、私はきっと夢の中でそれを笑うだろうから、男子たちの気持ちはよく分かった。

 とにかく、全ては良い流れの中だった。私の眠りは元々そうだけれど、今はさらに不可侵だ。誰も文句を言わず、邪魔せず、眠姫だと言っては、ちょうど良い距離感が出来ている。学校が特別良いところだとは思わないけれど、どちらかといえば間違いなく良い場所だった。特に、どこへ行っても寝心地が良いことはとても嬉しい。

 けれどある日、一人だけ妙に踏み込んでくる男子が現れた。その日の放課後は図書室で一眠りしてから帰ろうと思い立って、まさにその通りにしていた時、唯一そこにいた男子が席を立ったのだ。彼は図書委員としてそこに座っていたのだけれど、彼にそうするべき義務があるわけではなかった。つまり私と同じだった。

 ぼさぼさ髪の彼が私の寝顔をじーっと覗き込んでいることを、私は夢で見る。変な人だなぁ、とは思ったけれど、大抵の男子は多少なりとも、私の顔を見ることが好きなようだから、きっと独り占めしているつもりなんだろうと納得しておいた。

 するとそのうち彼は、私の唇をふさいだ。触れるか触れないかの、臆病なキスだった。私は自分の、眠姫というあだ名を思い出す。

 私は、目を閉じたまま小さく口を動かした。

「なあに?」

 ドキリと、生き物を傷付けるために作られたギザギザの槍で心臓を射抜かれたような、痛々しい彼の表情まで夢の中からよく見えた。人間はよくそういう顔をする。

 瞼を持ち上げて、物理的な目玉を通してその顔を見ると、彼にはますます酸素が足りなくなっていったようだった。

「……わたしのこと好き?」

 見開いた目の強ばった顔でその男の子はうなずいた。条件反射のような、防衛本能のような、どこか上の空の返事だ。漆モズくん……彼は同じクラスの男子だった。

 教室の窓際にある私の席とは真逆の位置に配置されている彼は、私のそばに座る男子がそうするように、いつも分かりやすく私に興味を示している。寝顔は覗くし、それ以外の顔も覗いてくる。モズくんに関しては、向かい側の遠い位置から、誰よりも熱心に。

 私はついさっきまで、モズくんのことがわりと好きだった。彼の素晴らしいところは、いつも眠たそうな目をしていることで、それはとても素敵なことなのだ。大抵の男子は、みんなぎらぎらしている。それも嫌いではないし好きだけれど、でもたぶん仲良くはなれない。

 だから私はモズくんみたいな、人の寝込みを襲う時まで眠たそうな人が大好きだ。特に今日気に入った。

「一緒にかえろう?」

 手をとると、大きな虫か異星人にそうされたみたいに、彼は震え上がりそうなくらい全身を固まらせた。変な人……ともう一度思った。

 下駄箱までの階段を降りるうちに、モズくんは小刻みに揺れる声で言った。

「ご、ごめん」

「うーん……?」

「さ、さっき……の」

「さっき……?」

 夢の中と違って、起きている時は、目玉を通して見える物しか見えないけれど。それでもモズくんが、階段を降りながらチラと見える職員室前の廊下を、血走りそうなほど強く、通り過ぎるまでの少しの間凝視していたことがわかった。

「わたしにちゅーしたこと……?」

「う、……そう」

 わかりやすく反応してくれるのでよく分かった。モズくんは、私に告発されることを恐れているらしい。手を引いているのはそのためだと思っているのかもしれない。それとも、男女が手を繋いでいるところを先生に見られたら、タダでは済まないと思っているのかも。

「おこってないよ……?」

 そんなに私のことが怖ければ、別に逃げられたってそれでもいい。私は握っていた彼の手を離す。その手を握っていたことには何の意味もなかったのだ……と口でいくら言っても無駄だろうから。

「モズくん、わたしのこと好きなんでしょう……?」

 活力の欠片もないその目を、後ろめたそうに伏せてから、彼は独り言を呟くように頷いた。自白、という言葉を連想させられる。

「わたしもモズくんのことが好き」

 好き。そう口に出してみると、自分の顔が勝手に綻んでいくことを感じた。眠っている時みたいに、ふわふわして、気持ちいい感覚だ。

 でもモズくんはにこりともしなかった。

 

 

 

 

 

 次の日の昼休み、モズくんを誘って外へ出た。学校の中庭みたいな場所には、ベンチと花壇と自販機があるのに、そこを訪れる人はあまりいない。椅子と飲み物なら学校内のどこにでもあって、だからこれは花が好き人の少なさか、外が嫌いな人の多さを表していた。

 私は冬の太陽が好き。夏の太陽は嫌い。モズくんが私にキスしたのは冬だった。二人で座って花を見る。揺れる花たちと、自分の肌で風を感じていると、うつらうつら、眠たくなってくる……。

 モズくんの手を握ったまま、彼の肩にもたれかかると、昨日と同じように彼は固まってしまった。いつも、今も、眠そうな顔をしているのに、眠くはないみたい。

「わたしね、モズくんより好きものがあるの」

「……うん」

「お昼寝」

「…………うん。知ってた」

「だよねぇ……。……お昼寝ってさあ、贅沢な感じがするよねぇ」

 目を閉じて言うけれど、まだ夢は見ない。それでも彼が困っていることは感じ取れた。モズくんはいつも眠そうな目をして、ぼさぼさの髪もお昼寝が好きそうな風に見えるのに、けれど彼が学校で眠ったことは一度もない。お昼寝には興味がないのだと思う。……けれど何事もきっかけだ。

「……ザロウは」

 声音から察して、モズくんは私の名前を呼ぶことに、結構な抵抗があるらしかった。私のことは皆呼び捨てにする。私がそう頼んでいるから。学校は楽しいと教えてくれた魔女が言うには、そうした方がより楽しく過ごせるという話だった。

「ザロウは寝ることが好きだね」

「大好きだよぉ。……知ってた?」

「……知ってた」

 校庭から男子の声が聞こえてくる。歓声のような、雄叫びのような、大人のような、子どものような声。みんないつも楽しそうにしているけれど、何をして遊んでいるのかは知らないし、興味もない。私は、運動はあまり好きじゃない。モズくんと同じだ。

「わたし、眠るね」

「…………うん」

「チャイムが鳴ったら起きるから」

「……うん」

 冬になっても花は咲くし、冬の太陽は暖かい。頭上の空で鳥が鳴いて、風は頬を撫でるようで、雪は今年も降らないのだと思う。いつのことだったか、隣の席の男子に聞いてみたら、雪を見たことがないと言っていた。

 モズくんの肩は寝心地がいい。大きすぎなくて、ぴくりとも動かない。私は夢の世界に旅立って、上から自分たちを見下ろした。意識がふわふわ浮いている。

 ……しばらく眠っていたけれど、モズくんは私に何もしなかった。銅像みたいに座っていて、たまに周囲をきょろきょろ見るとか、何度も瞬きをするとか、そのくらいしか動かない。

「キスしないの……?」

 夢の中で私がそう問いかけると彼は目を見開いて、眠る私の顔を穴が開きそうなほど見つめたあと、スっと下を向いたきり再び動かなくなってしまった。

 その日の放課後には、私とモズくんが付き合っているという噂がクラス中に広まっていたように感じたし、もしかするともっと広い範囲で有名になっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 あれから私は、夢の中で何人かの首を絞めた。怖い顔した男の子たちが、モズくんを怖がらせていたから、やめてって言ったのに。それでもダメな時は、そうするしかなかったのだ。

「モズくん、かえろう?」

 学校鞄に荷物を詰めているところへ声をかけると、落とした箱の中身を確かめるみたいにおそるおそる顔を上げた彼と目が合った。

 恋っていう物が何なのか、私にはよく分からない。「好き」はよく分かる。でも「恋」はそれとは違うから、それぞれ別の言い方をしているはずで、だから私には恋が分からない。それと同じように、付き合うとか付き合わないとか、そういう話にも興味がない。

 興味がないけれど、私はいつもモズくんと一緒に帰る。そうしてお近付きになって行きたい。彼のことが好きだから。

「……うん」

 いつ何時も少しの間を置いてから返事をする彼は、けれど私に「嫌だ」と言ったことがない。短い沈黙の間に彼が何を考えているのか私には分からないけれど、それはお近付きになるために知らなければならないことなんだろうか……?

 モズくんとは家の方向が同じだ。まさかそれを踏まえて、彼が私へキスしようと決めたわけでもないだろうから、私たちは運命的な力で同じ方向に歩いていくことになる。下駄箱で靴を履き替えて、何人かの同級生たちに紛れて門を出る時、モズくんはいつもどよんと淀んだ目をしている。うたた寝を邪魔されたようなその目以外、モズくんの中には見たことがない。

 信号を渡って、細い道を通って、学校の制服を着た人がどこにも見えなくなってから。滲むような声が私を呼んだ。

「ザロウは」

 掠れた古い白線の書かれた足元のアスファルトに向けて語りかけるように、彼は重りを垂らすような言葉を並べる。

「ザロウは、俺が嫌じゃないのか……?」

 重たい瞼を閉じないように気をつけながら答える。

「どうして……?」

「どうしてって……。俺は、……犯罪者だから」

「ええ、そうなの……?」

 知らなかった。夢の世界は千里眼の力じゃない。学校外でのモズくんの動向は知る由もないけれど、だから彼が何をしていても分からないなと考えた時に、彼を怖がらせる人が学校の中だけにいるとは限らないことも一緒に思い出した。私はそこまでは守ってあげられない。

「そうだよ、そうに決まってる。一番知ってるのは……」

 言って、まるで眠っている私にそうするように、彼は私のことをじーっと見つめてきた。よくわからなかったから、わざとらしく首を傾げてみせると、ちょっと嫌そうな顔をされてしまって、モズくんのそんな顔は初めて見たなぁと感じた。

「あの時図書室で、俺は……」

「……あっ」

 彼の言わんとしていることに気が付いて、思わず言葉が喉を通り抜けていった。

「そんなこと?」

「そんなって」

「ちゅーしたら犯罪者なの……?」

「ちがう、……いや、そうだ。全部犯罪だ」

「全部……?」

 キッと私の方を向いたモズくんが、見たことのない目をしていた。なんというか、猛禽類のような目。形ではなくて、雰囲気がそうだった。

「皆いつも、ザロウの寝顔をじろじろ見ている。無遠慮に、舐め回すように、皆見てるんだ」

「うん、知ってるよ」

「知ってる……? なら知っていて、その、……見せているのか?」

「そーだよ」

 六コマある授業とホームルーム、それに昼休みや給食や掃除の全てを終えて、私たちがこうして下校する頃。太陽はじりじり傾いては沈んで行って、その角度が、空をオレンジに近い赤に染める。眠たくなる色だ。心地よい色だ。

 モズくんの顔はそれと同じ色に染まっていて、きっと私もそうだった。電柱も、家々も、みんな夕焼け色。私は月の夜よりも、今の時間がずっと好き。

「見たいなら、見たらいい。そうでしょう……? 眠たくなったら、寝るみたいに」

「…………」

 納得はしてもらえないようだった。

 モズくんはどうやら、自分にも他人にも厳しいタイプらしい。おこってないと言ったのに、だから今日まで自分を責めていたのかもしれない。

 したいなら、すればいい。自分はそういう風に生きているつもりだったけれど、気紛れで声をかけてしまったせいで、モズくんに辛い思いをさせてしまった。眠姫というあだ名は、眠りから覚めないからこそ眠姫だったのに。誰からキスをされても目を覚まさないからこそ、眠姫だったはずなのに。ついうっかり興味を持ってしまったばっかりに、モズくんを苦しませることになってしまった。

 モズくんは、「眠っているザロウ」にキスをしたのだ。そういえば前にも、私が学校に通うより昔にも、似たようなことがあったけれど、それを思うと私は……。

 過去を振り返っても、私はやっぱり、したいことをすることしか出来ない。興味が湧いたら目を開けてしまう他にない。

「……モズくん、わたしのこと嫌い?」

 彼は首を横に振った。やや力なくふるふると。

「わたし、おこってないよ。モズくんにも、誰にも。でもわたし、モズくんが好き。他の誰でもなくて、モズくんが好き」

「……寝ることの次に?」

「うん。モズくんとお昼寝したい。……だめ?」

 そう、私はモズくんと眠りたい。もう何回もそのタイミングを失ってきた。もう何回も、夕焼けは沈んで、月に交代してしまった。今にも私はモズくんと眠りたい。彼の隣は寝心地がいい。夕焼け色ならもっといいに決まっている。

「……ダメ」

「どうして……?」

「ごめん、ザロウ。俺は、君のことが好きじゃない」

「……そんな」

 その時私は、自分が甘ったれていたことを思い知った。天狗になっていた、舐め腐っていた。男の子たちは誰しもが、わたしのことを少なからず好きなのだと思っていたのだ。

 けれどそこには多少の、情状酌量の余地がありはしないのだろうか。皆が私を無遠慮に見つめて、彼に至っては唇を重ねたのに。

「どうして……? さっき、嫌いじゃないって」

「嫌いじゃない。でも、俺は人を好きになれない」

「なれるよ……!」

 環境音ばかりが舞台の装飾となっていたこの場に、自転車に乗った男が走ってきて、訝しげな目でこちらを見ながら通り過ぎて行った。

「キスして、好きだよって言って、一緒にお昼寝しよう? それが好きになるってことだよ」

「違う。好きになるってことは、相手の幸せを願うってことだ。俺がそんなこと、そんなことを、俺には……」

「……ああ、モズくん」

 夕日は、街の向こうへ沈んでしまった。建造物でほんの少しデコボコした地平線が煌めき輝くばかりで、私たちの頭の上にある空は暗く紺色だった。

 私たちは今、運命的な力で同じ場所にいる。そのことを思い出すには十分すぎる言葉を、彼は夜の中で私にくれたのだ。

「わたしたち、一緒だね」

「え……?」

「わたしもそれ、わからない。ごめんね、わたし、モズくんの幸せのことは、考えてなかった。……好きなだけなの、一緒にお昼寝したいだけ。でもモズくんが言ってるのは、愛だね」

 モズくんに初めて好きと言った時みたいに、自然と笑みのこぼれる自分がいた。その私が彼の頬にキスをする。彼はまた、串刺しにされたように硬直した。

「あの日のモズくんの気持ち、分かるよ。わたしも、好きな人にはちゅーしたくなる。愛してなくても、大好きだよ」

 一言一句本当だった。魔女だって人間だって同じように、おやすみの前にはキスだと決まっているのだから。

 

 

 

 

 

 自分は人を好きになれない。なぜなら自分は人を愛せないからだ。

 モズくんがそんなようなことを言ってから、一番近い休日の夕方。私は彼を家に招き入れた。もちろん一緒に眠るために。ずっと昔には、誰かの家に入れてもらうことはよくあったけれど、自分の家に誰かを入れるのは初めてのことだった。

「一人暮らし……?」

「そーだよ」

 親の役をしてくれる魔女は、必要な時にしかそれをしない。今日はどう考えても不要だった。

 こっちこっち、と寝室へ案内する。魔女にとってもお金は貴重だから、部屋の数は少なく狭く、寝室は自室も兼ねている。

「……なんか」

「うん……?」

「いや、なんでもない」

「なにー……?」

「……失礼だけど、その、生活感がないなぁ……って」

「あー、寝てばっかりだからかなぁ」

 テレビやパソコンは無く、冷蔵庫や食器類、机や椅子など何もない。必要ないから置いていない。そういう物がきっちり揃った「まさに家だ!」という場所で眠りたくなったら、その時は友達に頼んでどこかへ行くことにしている。

 それでもベッドだけは譲れないので、節約した分、自室兼寝室に大きなものを置いてある。私はそこに腰掛けて、隣をぽんぽん叩いてモズくんを呼んだ。彼は踏み絵でもするみたいな顔をして呼ばれた位置に座った。

 待ち合わせ場所で待ちくたびれたみたいな顔をして私の隣に座るモズくんのことが、私はやっぱり好きだった。

「それじゃあ、寝よっか」

「…………」

 無言で頷く彼の体に抱きついて、押し倒すようにベッドへ二人倒れ込む。かけ布団にもぐりこんで、ふかふかの布団の感触を貪りながら、衝撃でギシギシ鳴るバネの音を聞いた。それは私にとって眠る前の前奏のような……季節を問わない風鈴のような物として聞こえる。

 暖かい布団の中で、目を閉じてモズくんにすり寄ると、私の好きな匂いがした。どんな匂いなのかと言われると、モズくんの匂いとしか言いようがない。

 胸に耳を当てなくても、彼の心臓の鼓動を感じた。

「……やっぱりモズくんと寝るの好き」

 人と人とが抱き合うと、頭の中でいろいろなこと現象が起こって、人は幸せになれる。そんな話を聞いたことがあるけれど、それはまったくその通りだと私も思う。そこが居心地の良い場所であるのなら、居眠りをするためにどこへ行こうとも、その場その場にそれぞれの良さがあるけれど。どこへ行ったとしても、誰かと触れ合いながら眠った方が気持ちいいということは変わらない。

 その誰かが、好きな人ならなお良い。私はモズくんの目が特に好きだ。暗くて、眠そうで、何を考えているのか分からなくて、けれど私が眠ることを良いことだと捉えていそうなその瞳がいい。もしも私と永遠に夢の中に閉じ込められてしまったとしても、それを許容してしまいそうな彼が好き。

 けれど、その心臓の高鳴りだけは好きになれなかった。眠ることは安らかでなければならない。ふわふわして気持ちよくて、生きているのか死んでいるのか分からないくらいに。

「したいことしていいよ」

 耳元でささやいたのに、彼は聞こえていないフリをしているみたいだった。

「したいことすれば、きっと眠くなるから。モズくんがしたいことをして……?」

 心地よく重くなった瞼を閉じたまま言って、すぐそこにある唇をふさいでみせる。舌でその内側を撫でる。言葉で言うよりもそうした方が良いことを知っているから。好きにしていいよ、何でもしていいよ、と私の気持ちを教えてあげる。

 ……ただ彼は芯まで怯えたように微動だにせず、やがて私は突き放された。あれ、と目を見開いて彼を見ると、いつも通り濁った瞳がそこにあった。

 起き上がった彼がぼそりと言う。

「……だめだ」

「だめ……?」

「ダメだった」

 その声音から、また何か彼が苦しんでいることを悟って、わたしは微笑んでみた。彼が自分自身を許せないなら、その分私が許してあげればどうだろうと考えたのだ。それは自分が惰眠を貪るためのことでもあったけれど、どうせなら彼にだって気持ちよく眠ってほしいという気持ちにも嘘はない。

「だめじゃないよ」

「ダメなんだ」

「どうして……?」

「……本当は今日、嫌われるつもりで来た」

「……ふーん?」

 したいことをしてもいいと言っているのに、その上から嫌われようとはなかなか難しいなと私は思った。極論、殺されたって嫌いにはならないのに。魔女は死なないから。

「俺がなんて呼ばれてるか知ってる……?」

「え? うん。あだ名?」

「そう。モブ」

 確かに彼は多くの同級生から「モブ」と呼ばれていた。それは夢の中で見たから知っている。彼はモブと呼ばれることをあまり良く思っていないらしいから、私は言わないようにしていたけれど。

「モズくん、そのあだ名嫌いでしょう?」

「そりゃ、まぁ。でも、皆が言う通り俺はモブだ。なのに女子の部屋に来てる。初めてだ。それも、一緒に眠るためと知った上で。……だからどうせ同じことだと思った」

「おなじ……?」

「台無しにしても同じだって。あの時魔が差して、それを本人に見られた瞬間、本当なら俺は終わっていたんだ。なら改めて今終わっても変わらない。そう思った。……けどダメだった」

「モズくんは……終わりにしたかったの?」

「そうだよ!」

 彼は暴力的なまでの勢いで、私の上に覆いかぶさった。ベッドが激しく軋むことと同じように、「きゃあっ」という声が勝手に喉から飛び出る。

 モズくんは男の人としては小柄だけれど、それでも私よりは少し大きい。見上げればそこにある彼の瞳は、暗く鈍い印象はそのまま、泣き出しそうになっていた。

「俺はザロウをめちゃくちゃにするつもりでここへ来たんだ! もう二度と居眠りなんか出来なくなるくらい、めちゃくちゃに……!」

「……そうなんだ」

「そうだよ。そうだったけど、でも無理だった」

「どうして……?」

「……ザロウの寝顔が好きだから」

 のしかかるような姿勢で私を見下ろしたまま彼は語る。もしかすると、クラスの有名な眠姫を「人間だ」と信じている彼から見れば、今の私は虚勢を張って説得を試みるか弱い人間の女の子に見えているのかもしれない。

「気付いてるか知らないけど、ザロウは眠っている時幸せそうに笑うんだ。外の世界で何があっても、いつも幸せを隠しきれないような顔して眠っているんだよ。俺はそれが好きだった。今でも好きだ、好きだけど……」

「うん。……だけど?」

「だけど……好きだからこそ、ぐちゃぐちゃに壊してみたい。幸せそうな顔が、想像もできないほど歪むところを見たい。不幸の底の底みたいな顔に……」

「うーん。……あー、なるほどぉ……」

 不幸の底の底みたいな顔をしているのは、どう考えたって今のモズくんの方だった。

 難儀な人だ、と思った。モズくんは、「変な人」の一言では済まない性分を背負った、たまに見かける難儀な人間であるらしかった。今までにも何人か見たことがあるタイプだけれど、ぐちゃぐちゃにしたいっていうのは初めてだ。

「そう思ったから、そうしてやろうと思ったけど、でも実際来てみたらダメだ。ダメだ。二度とあの顔が見られなくなるのは、やっぱりダメだ」

「そう……? ……でもやっぱり、ぐちゃぐちゃも見たい?」

「…………」

 モズくんは何も言わなかったけれど、身にまとった雰囲気だけで首肯しているも同然だった。

 私に覆いかぶさっていた彼があっけなく離れて、ベッドの上からも出て行ってしまう。それから、部屋の扉から一番離れた隅っこに三角座りをして、警察でも何でも好きにしてくれ……と呟いた。

 変なの、と私は思う。だって、私のことをぐちゃぐちゃにすることを今さっき諦めたのなら、彼がそのこと自体黙っておけば、明日からのモズくんと今日までのモズくんは、私にとって何も変わらなかったのに。その方がモズくんにとっても良かったのでは……?

 聞いてほしかったのかな、と考えてみる。でもそれは違うのだろうなとすぐに分かった。聞かせた側のモズくんが見ての通り、まったく幸せそうじゃないからだ。なら、本人の言う通り、全部を終わりにしたかったのかな、と考えてみる。……それは、私が嫌だなぁ。

「モズくん、モズくん」

 膝にうずめるようにしてうつむいた彼は顔も見せてくれない。いっそそのまま眠ってしまうことが彼に出来るのなら救われるだろうけど、たぶん人間にそれはなかなか出来ないことだろう。

「わたしね、人間じゃないんだ。魔女なの。不老不死の魔女。眠っている間に起こったことが分かるのはね、わたしの魔法なんだ」

 モズくんは顔を上げてくれない。ふざけていると思われているのかもしれない。

「同じように魔法でね、寝て起きたら、何でも元通りになるの。魔法を使ってない時の夢みたいにね、全部が夢の中の出来事だったみたいに、起きたら何もかも無くなるんだよ。だから、だからね、モズくんにぐちゃぐちゃにされても、わたし、明日もまた笑って眠れるよ」

 塞ぎ込んでしまった彼はぴくりとも動かない。私は彼と一緒に眠りたかっただけなのに。そのためなら多少の要求だって受け入れようと思ったのに。どうしてこう、上手くいかないんだろう。

 そんなふうに、もう一人で眠ってしまおうかなと目を閉じかけた瞬間、私の体はひどく優しく柔らかな勢いで、けれどベッドに叩きつけられた。ふかふかのベッドに叩きつけられたってどこも痛くはないけれど、代わりにギシギシと鳴る音はここぞとばかりに大きかった。

「適当なこと言うなよ」

 ……あ、モズくん、怒ってる。一言聞くだけでそう分かった。

「本当のことしか言ってないよ」

「じゃあ殴られてもいいのか」

 拳を振り上げたモズくんが震える声で言う。天井に向かって掲げられた腕も震えている。どちらも、怒りのあまりワナワナと震えているのかもしれない。直感的には、そうではないように思えたけれど。

「いいよ……? モズくんの好きにして? 目が覚めたら元通りになるよ」

「……俺だって」

 ちゃんと人を好きになりたかった。抑揚のない声で、彼はそう言った。それから私が初めに殴られた場所は顔で、うわあ、本当にめちゃくちゃにされるんだ、と思った。

 けれどそれなのに、いや、もしかするとそれは私の気のせいだったのかもしれないけれど。……モズくんの拳にはまだ、こびり付いたような優しさが残っていた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百舌鳥(モズ)

……スズメ目モズ科モズ属に分類される小鳥。木の枝等へ獲物を生きたまま串刺しにする「モズの早贄」という習性が知られているが、なぜそのようなことをするのか、詳しい理由は未だ明らかになっていない。

 



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