ふたりでいると   作:享郎

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しらないくせに

 人だかりが幾重にもできた道沿いには、活気に溢れる屋台が立ち並んでいる。

 衣服と肌が汗で張り付いてしまいそう。風もちっとも吹かない夏の夜。前後左右あらゆる所に熱気が立ち込める。

 何だかその真っ只中にいる私の頬が、若干紅潮してしまっても仕方ない気もする。

 

「涼、何か食べたいものある?」

 

 天然水みたいに透き通る声の主へ顔を振り向く。

 

「私、紫恩の食べたいやつが食べたいな」

「何それ、困るんだけど」

「ふふ、何でもいいんだよ?」

 

 どうしようもない我儘を言う私に、紫恩はしかめ面をしてくる。

 一方で、言葉尻のソファみたいな柔らかさが、不機嫌な振りをしているだけだと安心させてくれる。

 

「たい焼きにしようか、そしたら」

「賛成~」

 

 私は緩い口調で同意を示す。教室で言うと端から端くらいの所にあるたい焼き屋さんへ歩き出さんとする、紫恩の左手をさっと掴む。

 彼は握り返そうとせず、訝しげな視線を向けてくる。

 

 女の子に手を繋がれたのなら。

 いくら幼馴染だと考えていても、もう少し意識してくれたっていいはずのに。

 

「……手を繋ぐ、とは聞いてないんだけど」

「はぐれちゃお互い困るでしょ? それにもし、私が迷子になったら、和香さんに言いつけようかな」

 

 こんな逃げ道をなくすような言い方でしか、紫恩と手を繋ぐ理由を作り出せない自分が嘆かわしい。

 これが昔だったのなら。

 もっと気軽に、もっと素直に。

 彼の手を掴めたはずなのに。

 

「全く、しょうがないな」

 

 紫恩は手間のかかる妹をあやすように、私の振る舞いを受け入れてくれる。彼らしい優しさのこもった気遣いが、私の心を弾ませてから痛めつけてくる。

 

「ほら、そうと決まれば早く行こうよ」

 

 余計に考えすぎる自分を振り払い、私は紫恩の手を強めに引っ張って、たい焼き屋さんがある屋台へと足早に歩を進める。彼もやれやれといった感じで、文句の一つこれ以上言わずついてきてくれる。

 

 紫恩の手は高校生になっても、女の子みたいにほっそりとしていて、気持ち少しひんやりする。陽だまりみたいなあなたの性格とは、全く異なっていて可笑しい。

 

 学校にいるあなたは……あの人といるあなたは、私の前では見せてくれないような、もっと色んな表情を見せていたりするんだろうか。

 

 私はポケットにしまい込んだチェキに触れる。

 お手軽サイズで賢いこの子は、残しておきたい景色や表情を、いつでも実際と同じほど鮮明に映し出してくれる。

 

 たい焼き屋さんの列に並び始めた所で、彼の背負うリュックをちらりと見る。

 私がチェキを持ち歩いているように、紫恩はポラロイドをよく使ってるみたいだけど、今日はあのカメラを持ち歩いているのかな。

 

 祖父ちゃんから貰ったんだ。花火が弾けたような笑顔で、幼くて愛らしい紫恩が頭に浮かぶ。

 

 あれくらいはしゃいだ表情だって、たまには私にも見せてくれたっていいのにな。

 

「今度は何さ? じーっと見てきて」

 

 紫恩は呆れるというより困ったように笑う。

 いつから彼の横顔を見つめていたのか、私にさえ分からない。

 

「……何でもないよー。私、こしあんね」

「あーはい、分かりましたよ」

 

 照れ隠しは上手くいったみたい。

 紫恩はそれ以上何も言わずに私の手を離して、二人分のお代をそそくさと支払いに行く。

 

 列から少し離れた私は、彼が戻ってくるまでの間、辺りを何となく見回してみる。

 こうして紫恩が、私という幼馴染の異性と、二人きりで夏祭りに来ているのを、彼らが黙って見過ごすはずがない。

 

 ねえ、そうでしょ、小咲さん? 

 尾けてることくらい、知っていますからね。

 

 くるりと目を向けた先にある茂みが、不自然と思えるくらいに動いた気がする。

 そうやってコソコソ隠れたりしなくても、堂々と話しかけに来てくれて構わないのに。

 

「お待たせ、何か面白いのでも見つけたの?」

 

 両手にそれぞれのたい焼きを持って、紫恩が私のすぐ前にまでやってくる。

 

「そうだね、もう少しすればまた見れるかも」

 

 紫恩はさっぱり何が何だかといった感じで、頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。可愛い。本人に言ったら、不機嫌にさせてしまうかも。

 

 そっちに来る勇気がないのなら。先ほどの茂みを一瞥して、私はこしあんの方を紫恩から取り上げると、空いた彼の左手をそのまま連れ出すように掴んだ。

 

 

    ◇    ◇    ◇

 

 

 夏休みに入って月終わりの今日は、凡矢理の町でも毎年恒例となっている夏祭りが開かれている。

 

 綿菓子を美味しそうに頬張る、小学生の女の子たち。

 射的でキャッキャといちゃつく、大学生のカップル。

 道の脇のベンチに座って、穏やかに話をする老夫婦。

 ここに来た人たち皆が、日々の生活から逸脱して、思い思いに夏のひと時を過ごしている。

 

 いいな。素直に口から洩れてしまう。

 何が悲しくて、何が楽しくて。好きな人が他の女の子と一緒にいるのを、私は尾け回してきたんだろうか。

 

「うう~どうすればいいの~……」

 

 情けない独り言をごちるだけで、私はずっと彼らの視界に入らない所で隠れ続けている。一体どうしてこうなってしまったんだろうか。

 

 

 るりちゃんと一緒に歩いていた時、紫恩君が屋台の曲がり角で、一人ぽつんと立ち尽くしていた。

 あれ、幼馴染の彼女と一緒じゃないんだ。

 

 先日、夏祭りのお誘いを放課後に勇気を出してしてみた。けれど、「先約がいるから」という理由で断られてしまったのが、今でも記憶に新しい。

 そのしこりが夏休みに入っても、完全には消え去ってくれなかったので、彼の姿をそこで見たときには思わず期待してしまった。

 もしかしたら、彼は今、一人きり……。

 

 けれど、現実はそう甘いものではない。るりちゃんに背中を押されて紫恩君に向かおうとした瞬間、曲がり角の奥から件の彼女が姿を現した。

 急いで私はるりちゃんごと、手前にある屋台の脇へと逃げ込んだ。

 

「ごめん、待たせちゃって」

 

 赤茶のセミロングで左側を三つ編みにしている彼女は、彩風涼(あやかじすず)ちゃんという子だ。

 中学では春の親友みたいで、何度か家に遊びに来てくれたこともあったので面識があり、私は彼女を「風ちゃん」と呼んでいる。いや、そう呼ばされたのかもしれない。

 

「長かったね、道に迷ったりした?」

「違うよ、混んでるから仕方なかったの」

 

 揶揄うような口調の紫恩君を、風ちゃんは微笑みと共にさらりと躱す。

 風ちゃんは、さざ波さえ立たないくらい非常に穏やかで、いつもニコニコとまるで聖母のような女の子なのだ。

 彼らはそのまま道の先へと歩き出していってしまう。

 

「追うわよ、小咲」

「え、ちょっ、るりちゃん?!」

 

 私が後ろめたくなる前に逆方面へ向かおうとするのを、るりちゃんがぐっと引っ張り出してきた。そのせいあって、私たちは彼ら二人の様子を尾行していった。

 

 

 あれから、もうどれくらい経ったのだろう。

 確認しようという気力さえ起こらない。

 るりちゃんだって、一緒に彼らの後を追っていたのに。この屋台のものを食べたいとか、あの屋台に並んでみようとか。基本的に食べ物に釣られてしまって、今はもうお互いはぐれてしまった。

 

 気づけば、私は芝生の上にへたれ込むように座り込んで、道行く人々の様々な様子を眺めてばかりである。肝心の二人も、ついさっき考えごとをしてたら見失っちゃった。

 

 幼馴染にしては、随分と仲良さそうだったな。

 風ちゃんの右手が、紫恩君の左手と重なる。茂みに隠れて見たあの瞬間が、うんざりするくらいフラッシュバックしてくる。

 

 幼馴染の距離感なんて、私には分からないのにね。自嘲するような笑みがこぼれてしまう。

 

 もういっそのこと、今日は帰ってしまおうか。

 今頃もぐもぐ何かを食べてるだろう、るりちゃんを置いていくのは忍びないけど、はぐれちゃったし仕方ないよね。

 

 私は重くなった体に鞭打つように、精一杯力を込めて立ち上がる。よし、立ち上がってしまえれば、あとは暫くの間だけ家まで歩くだけだ。

 

 そう気持ちを切り替えていたのに、目の前に立ち塞がった人物が、動き出そうとした私を食い止める。

 

「お久し振りです、小咲さん」

 

 赤茶の三つ編みがふわりと揺れる。穏やかな笑みを浮かべて、風ちゃんは私の前にいきなり現れた。

 

「紫恩なら、もう一緒じゃないですよ。今日はもういいよって、さっき解散したばかりですから」

 

 風ちゃんは、凍結したようなこちらの思考を先取りしてくる。

 穏やかなまま崩さないその表情が、決してこちらを逃さないとも言いたげで、袋小路にどんどんと追い込まれていく感覚を覚える。

 

「だから、大丈夫ですよ。安心して、今は二人で話ができますから」

「え、あ、はい……」

「そんな畏まることもないですよ」

 

 一体何を、話すというのか。

 わざわざこんな、私と一対一の状況を作り出しておいて。

 風ちゃんからやってくる次の言葉に、私は思わず身構えようとする。

 

「いつも春にはお世話になっております」

「え」

 

 ところが、全く想像もしていなかった風ちゃんの切り出しに、私は困惑と驚きに包まれてしまう。

 

「中学からの付き合いになりますが、学校でも寮でも部活動でも、いつでも可憐で眩しい笑顔を明るく照らし出してくれて……。それだけ素敵な彼女と親友でいられることに、とても感謝しています」

 

 風ちゃんがどれだけ良い子なのか。春からだって、電話越しでも一緒の時でも力説される。彼女らが築いてきた関係性が、それだけ素晴らしいものなのは分かる。

 

 けれど、状況と全く嚙み合わないその発言が、何をもたらしてくるのか。私には全く見当がついていない。

 

「春とは普段、沢山お話するんです。彼女からは、よくよく、小咲さんのことも聞かされますよ。小咲さんのこと話す春、声も弾んで、本当に可愛い顔するんですよー。見せてあげたいくらい」

 

 そうなんだ。妹の微笑ましい姿が聞けて嬉しいし、確かに春がどんな顔してるのかも気になる。

 ただそれでも、問題はそこじゃない。

 

「それでですね、小咲さんのことを話していると、ある時からですね。えっとそうだな~……二年前の秋くらいから! その会話の中で、ある男の子が登場しましてね」

 

 二年前の秋、と聞いた瞬間、私はピクリと肩を震わせてしまう。彼に渡したハンカチの柄でさえ、鮮明に記憶が甦ってきてしまう。

 

「びっくりしましたよ~。その男の子は、私が見知った人でしたから。彼とのこと、春と随分とお話されてるそうじゃないですか。あの男嫌いの春が、何不自然なく、初対面の彼とお話できるくらいに」

 

 もう、これはもう、風ちゃんには何もかも知られてしまっているんだ。鈍い私でも勘づいてしまう。

 

「……困りましたねこれは」

 

 温柔敦厚とした表情から、ちょっとだけ弱々しそうな微笑を、風ちゃんは浮かべる。既に私たちとの間では、お互いを相容れさせない白線が引かれたようだ。

 

「ふ、風ちゃんはさ」

 

 後に引けないのだと悟った私は、改めて風ちゃんの紫恩君に対する真偽を確かめようとする。

 

「何でしょう」

「その、紫恩君のこと、どう思ってるの?」

 

 こちらに目を合わせていた風ちゃんは私の言葉を聞くと、斜め下の方へと視線をずらしてしまう。

 

「どうでしょう、どうなんでしょうか。あの人のことになると、自分でさえも自分を、掴めきれないんです」

 

 所在なさげに聞こえてくる声の一方で、彼女の頬にはうっすらとサーモンピンクが滲んでいる。

 風ちゃんは多分、私よりもずっと賢い。これは駆け引きだったりするんだろうか。

 

「ただ一つ、言えることはあります」

「一つ?」

「はい、それは――――」

 

 一度目を閉じた風ちゃんは、少し息を吸って吐き、また目を開いて私と目を合わせる。

 

「紫恩のこと、知ったようで何にも知らない、そんな誰かのものにはなってほしくないんです」

 

 これまでの聖母じみた雰囲気とは一線を画して、真剣で意志のこもったエメラルドグリーンの瞳が、一直線に私を射してくる。

 

 それでもう、私にも伝わってしまった。分かってしまったのだ。

 風ちゃんも、紫恩君を想う一人の女の子なのだと。

 

 「失礼しました」と丁寧な言葉に戻してから、「それではまた」と名残惜しげにそう言って、風ちゃんは私の元から去って行ってしまう。

 まだ賑やかさの残る夏祭りの世界に独り置かれた私は、呆然としたまま風ちゃんの歩いていった先を見つめる。

 私を柔らかく支えてくれた芝生が、足の裏から固く反発してくるようだった。

 

 

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