纏わりついてくる湿気が、急ぎ足の私をどんどん汗ばませていく。
今日は千棘ちゃんの誕生日らしい。教室から恭しげに出てきた鶫ちゃんから、そう伝えられた。
彼女曰く、誕生日サプライズパーティーを開くので、友人関係にある私たちにも来て欲しいとのことだ。それは喜ばしいし別にいいのだ。
問題なのは、千棘ちゃんのプレゼントを用意しようと思った矢先に、るりちゃんの発した提案だった。
――――放課後、二人でプレゼント選んできなさいよ。
私と葉山君に棒読みを流し、るりちゃんは大胆過ぎる策を無造作に放り投げてきた。突然二人で行けばいいなんて、端から見れば不思議に映るかもしれないのに。
――――構わないよ、一人で選ぶより気が楽だし。
それなのに、葉山君は明るい調子で直ぐに了承してしまった。私があれだけ狼狽えに狼狽えてたのに、彼は一言でそれら全部壊してしまう。
かくして放課後に葉山君と二人で、千棘ちゃんのプレゼントを選びに行くことになったのだが、服選びに手間取った私は、約束した時間に絶賛遅刻中である。
息を若干切らしがちになりながら、待ち合わせ場所のカフェの前まで私は辿り着く。辺りを右に左にと動かすが、彼の姿はどこにも見当たらない。
もしかして、彼もまた遅れているのだろうか。それとも、単独でプレゼント選びに行ってしまったんだろうか。
スマホを取り出して画面を見る。約束の時刻より十五分遅れ。彼からは着信が一件だけ五分前に来ている。
慌ててスマホを手から落としそうになる私は、折り返しの電話を入れようと着信ボタンを押す。コールして即座に「もしもし」と葉山君の透き通った声が耳に届く。
「ごめんなさい葉山君!! 遅れちゃって……!」
「よかった、電話出なかったから心配してたよ」
完全なる私の過失なのに、葉山君はこんなときでも駄目な私を気遣ってくれる。胸がきゅっと掴まれてしまう。
「……ありがとう、葉山君は今どこ?」
私は呼吸を落ち着かせつつ、カフェのガラス張りを使い、乱れた前髪を整えようとする。うん、ばっちり。満足げに私はニコリと笑みを作る。
それにしても、葉山君からの返信が来ない。どうしてだろう。やっぱり怒って――――。
「お、やっと気づいたね」
ガラス越しの内装に目を向ければ、すぐ手前の席に腰掛け、口元に手を覆って笑う葉山君がいる。
私は羞恥のあまり、今すぐ彼の前から逃げ出してしまいたい。いっそのこと、地球の外へと放り出されてしまいたくなった。
◇ ◇ ◇
平日の夕方にもなると、ショッピングモールは、学校帰りの学生や仕事終わりの社会人を中心に、息巻く店員さんたちも含めて、忙しない上に賑やかになる。
この場所は、待ち合わせから数分歩いた程に位置しており、凡矢理の町でも指折りの広さと人気を誇っている。
そのような所へ私は今、葉山君と一緒に、お友達である千棘ちゃんの誕生日プレゼントを選びに来ている。
「さっきのあの顔は、さすがに笑っちゃったな」
猫のぬいぐるみがすし詰めにされた棚を眺めつつ、葉山君は思い出し笑いを隠そうとしない。そんなに面白い顔をしていたの。気恥ずかしさや煩わしさが私の身を包む。
「もう……! いい加減いじらないでよぉ」
「ごめんごめん、もう言わない」
本当かしら。猫のぬいぐるみと睨めっこする彼を、私は疑いの眼差しで盗み見る。彼は案外と意地悪なのだ。
けれど、こうして好きな人と、二人で買い物なんて不思議だ。
夢じゃないし、まるでデートみたい。
デートなんて、実際には口に出す勇気もないけれど。
こういうのもいいな。葉山君はぬいぐるみを棚に戻し、別の場所へ目移りしていく。
楽しそうならいいか。私は機嫌を直して彼の後をついていく。
私もそろそろ、プレゼント選ばないと。
女の子同士だし、コスメとかがいいだろうか。前に見たリップやグロスとか。
朧気にそう考えながら、文房具エリアまでやってくると、私は思わず立ち止まる。
「どうした小野寺? 何かいいのあった?」
前を行っていた葉山君もこちらに気づき、わざわざ戻って声をかけてくれる。私の見つめる先には、藍色の花柄で可愛らしいペンケースがある。
「ううん、今まで使ってたのが、少し悪くなって……。新しいの、そのうち欲しいなって」
これはどちらかと言うと、千棘ちゃんへのプレゼントよりは、私の欲しいものになってしまう。
そういえば、私の誕生日も8日後に控えている。
「……そうなんだ」
「えへへ、ごめんね? つい目に入っちゃって」
「いや、こういうの見つけるのも楽しいでしょ」
足を止めてしまい申し訳なく思っていたが、どうやらそれは杞憂だったみたい。
葉山君のこういうところ、私はやっぱり好きだな。
見合わせた葉山君に合わせるよう、私もふと笑みがこぼれてしまう。
「そしたらさ、小野寺」
「うん」
葉山君は目を合わせたまま、首を少し右に傾げる。
「オレ、もうプレゼント決めたからさ」
「え、決めたの?! どんなのにするの?」
女の子の友達に対して、葉山君はどんなのをあげるんだろう。
興味津々な私は、彼へ顔をずいっと覗かせる。
何をこんなに期待しているんだろう。誕生日プレゼントをもらえるのは、千棘ちゃんのはずなのに。
「向こうのハンカチ。無難なのでいいかなって」
「そっか……」
「小野寺は決めた? 桐崎へのプレゼント」
少し安心してしまったのも束の間、彼はカウンターのように尋ねてくる。アメジストの瞳が入り込んでくる。
「わ、私は、さっき一度見たリップにしようかな」
焦る私は思いついたままに、自分が千棘ちゃんに渡すプレゼントも決めてしまう。
「じゃあ、お互い買ってから、入口で集合にしない?」
「……分かった、いいよ」
「よし、それならまたすぐ後で」
それだけ言葉を交わすと、葉山君は本当に向こうまで行ってしまう。正直、心臓が跳ね上がっていきそうだったので、一度間を置けてほっとする。
私も回れ右をして、これまで通った道を辿り、リップの売ってあったお店まで戻る。千棘ちゃんに合いそうな色だけ考え、決めたものをレジまで持って行く。
きっと彼の方が早いに違いない。プレゼント用の袋を片手に、私は待ち合わせの入口へ早歩きで向かう。こんな状況さっきもあったな、と苦笑してしまう。
ところが、入口まで到着してみると、葉山君の姿がそこにない。今度は私が葉山君を待つ番か、とすぐ傍の座席へ腰を落ち着ける。
思えば、彼を待ってるなんて、これまであまりなかったかも。こういうとき大抵、私が待たせてしまっていたから。
葉山君、私みたいに何か気になるの見てるかな。
それとも、プレゼントの包装に案外時間がかかってるのかな。
好きな人を待つって、こんなにソワソワするんだ。
そんなことを考えているとあっという間に、葉山君は私の前までやってくる。
「お待たせ、思ったより時間かかっちゃって」
「ううん、私もちょうどさっき来たとこだよ」
「そう? なら良かった」
葉山君はそう言って、白い歯をのぞかせる。
彼の背負うリュックサックが、若干膨らんでいるように感じる。ハンカチ以外に何か買ったんだろうか。
「買うものは買ったし、桐崎の家に向かう?」
私がリュックサックの中身を気になり始める手前、彼から本日の目的地に向かう催促が来てしまう。
スマホのホーム画面をちらりと見る。まだ予定の時刻までは時間がある。
「……ねえ葉山君」
「ん?」
「ちょっとだけ寄り道しない?」
私はもう少し、あなたと二人でいる時間が欲しい。
◇ ◇ ◇
「おおーー!! 気持ちいい眺め……!」
「良い所でしょ? 昔、偶然見つけてね」
ショッピングモールを後にしてから、駅へ真っ直ぐ向かわずに、私と葉山君は商店街沿いの狭い路地へと入っていき、凡矢理の町を一望できる場所に来ている。
葉山君は柵に手を置き、突き上げてくる風を浴びながら、興奮した様子で景色に見入っている。それだけで寄り道した甲斐があった、と私は嬉しくなってしまう。
すると、彼は思い立ったようにリュックを下ろし、いそいそとカメラを取り出す。林間学校でも見たやつと同じだ。確か名前は……ポラロイドだっけ。
「これだと思ったら撮っておかないと」
何やら微調整をしつつ独り言を呟く葉山君は、本当に写真好きなんだって、つい頬が緩んできてしまう。撮れた写真を満足そうに見つめる彼も、私は好きなのだ。
「小野寺! 見てみなよ!」
葉山君が手招きするので、私もうきうきと近付くと、写真にはここからの景色が見事に映し出されている。
「凄い……!! これだけ綺麗に、映るんだね!」
一軒家やマンションの色合い、風に揺らされる木々の躍動感、澄み渡るほどの青空。こんなに素敵な場所なんだって、私は改めて実感してしまう。
「でしょ? にしても、よくこんな場所見つけたね」
葉山君はポラロイドに目を向けたままでいる。
「ここね、私の秘密の場所なんだ」
「へえ……よかったの? オレに教えて」
「もちろん! 葉山君にはいつもお世話になってるし」
全くの真実を伝えると、彼は画面から目を離し、私の方を向いてくる。どことなく不思議そうな顔をしている。
「このこと、私と葉山君だけの秘密ね! 他の人に言ったりしたら、ダメだよ?」
「……そういうことなら」
二人だけの秘密。私も随分と思い切った。
葉山君は珍しく先に目線を私から外し、再び写真に目を移してしまう。
もう一歩踏み込んでしまえ、私。
「うん! 約束だよ?
アメジストの瞳が、大きく揺れるのを感じる。揺れた先に、私の瞳と一直線に交わる。
今度は完全に意表を突かれたように、葉山君は表情を固くさせたままだ。
「……アハハ、やっぱり照れるね、下の名前で呼ぶの」
「どうして、いきなり下の名前?」
静けさと恥ずかしさに耐えきれず、私は照れ笑いで誤魔化そうとすると、彼から問い詰められてしまう。
「そ、それは、千棘ちゃんたちが、下の名前で呼びあってて……私もつい、ほら! 結構親しくなったし、葉山君のこと、そう呼んでみたくなって……」
ただ単に羨ましかったのだ。
ニセの恋人同士とはいえ、お互いを下の名前で呼び合うのは、それだけ親しいと示してるし、他の異性の誰かとは違う特別なものを感じてしまうから。
私もそんな特別を、愛しいあなたとの間で、感じてみたかっただけなんだ。
自分から吹っ掛けておきながら、このまま幽霊みたく消えてしまいたくなる。
「オレのこと、そう呼びたいの?
私の名前……。そう呟くのも出来ないくらい、息が止まってしまいそうになる。
私の名前に葉山君の込める温かな感情が乗り、彼の喉奥から私の耳に届いてくる。
あなたから自分の名前を呼ばれただけ。ただそれだけで、これほど激しくもあり、優しくもある気持ちを抱く。想像をしていた以上に。
「う、ん。紫恩君さえ、良ければ、そう呼び合いたい」
「……わかった。これから、小咲、と呼ぶから」
完全に勢いだけで突っ込んだのに、こうしてまた一つ、叶えたかった目標が実現するなんて。普段と違うシチュエーションは、私に少しばかし勇気と度胸を与えてくれる。
「あ、待って! その、下の名前で呼び合うの、二人でいるときだけがいい……! 皆の前だと、恥ずかしい……」
酸素が足りなくなりそうな頭を動かして、踏み止まるところは踏み止まろうとする。
こうして呼び合うのは、二人だけの特別な気がして、まだ公にしたくはない。
「それも、そうか……じゃあ、二人だけの秘密だね」
「うん! 約束しよう。紫恩君!」
「ああ、約束だ。小咲」
二人だけの約束が増えていく。
陽だまりにいる紫恩君が、もっとずっと親しくとも愛しくとも感じられて、私は喜色満面といった表情を浮かべる。
そろそろ行かないと。リュックを肩にかける紫恩君の背中を、私は張りつくようについていく。
きっと彼からしたら、私なんて友達の枠を超えてないかもしれない。
それでも「紫恩君」と呼べて「小咲」と呼ばれる関係は、それだけ二人の距離が縮まったのを表しているはずで。
友達以上に感じる関係がその枠を飛び越えていった先に、私たちには一体何が待ち受けているのか。
二人でいるこの時間が続いてほしい。
駅までの道のりの中、紫恩君の後ろ姿にそう願いをかけ続けた。