「いや~もう一学期も終わっちゃうわね~」
豪勢なお弁当に入った春巻きを美味しそうに頬張る千棘ちゃんが、しみじみとした口調で呟く。
終業式を週の終わりに控える月曜日の昼休みは、喋り声が教室中に反響し合って賑やかで仕方ない。この慣れ親しんだ雰囲気とも一か月半ほど離れてしまうと思えば、確かに私も寂しさをちょっぴり感じる。
「そうね、目まぐるしかったせいで早く感じたわ」
紙パックに入った牛乳を口にしながら、るりちゃんも千棘ちゃんの発言に同調する。
「ええ、私なんかはついこの前に転校してきたものですから、すぐ長期の休みが入るのは勿体ないばかりですわ」
如何にも上品なお嬢様のような口調で言うのは、先日突然に転校してきた
「勿体ないって何が?」
「それは当然! 楽様と一緒に学園生活を謳歌する時間が、あんまり短くなってしまうからですわ!」
「……貴様、お嬢の前でまたそんなことを……」
るりちゃんの問いかけに、橘さんは立ち上がり手を胸に当てて、一条君の(形式上ではあるが)恋人である千棘ちゃんの前で堂々と言い放つ。鶫ちゃんは興奮気味の彼女を、千棘ちゃんと共に冷めた目で見つめる。
「あら、私はありのままを答えただけですわ」
「全くこの子は……」
微笑みを崩さない橘さんは彼女らの視線を意に介さないので、これには千棘ちゃんも呆れたようにため息をつく。
橘さんがこのクラスに来てからというもの、こんなやり取りが日常茶飯事と化している。特に、この場に件の一条君が入れば、カオスは更に広がるけれど。幸い、今日の彼は少し離れた所で、舞子君と昼食を取っている。
一条君と千棘ちゃん、それに橘さん……。どうも彼らの間には一条君のペンダントを巡って、幼い頃の約束(?)も絡んでいるようだし。暫くは彼らの拗れた三角関係が続くに違いない。
そのような関係性に巻き込まれたら、きっと一筋縄ではいかない苦労をするだろうな。苦笑いを浮かべる私は、まるで他人事のように考えてしまう。
そういえば、紫恩君はどこにいるのだろう。教室を見渡して彼を探し求めるが、その姿はどこにも見当たらない。お手洗いにでも行ってるのだろうか。
食事中ではあるけれど、私は机に置いていたスマホを取り出して、保存した写真を眺める。その中には、この前和香さんから頂いた、お姫様役の幼い紫恩君もいる。
見れば見るほど、今の爽やかでかっこいい彼に、昔の可愛さで溢れる姿がちらつくお陰で、それだけ愛しく感じられて笑みがどうしてもこぼれてしまう。
「――――小咲!」
「わわ?! お、驚かさないでよるりちゃん……!」
「そっちこそ、夏休みの話してるのに、画面見て何ニヤついてんのよ」
「え? 夏休み?」
すっかり自分の世界に入り込んでいた私を、隣のるりちゃんが肩を叩いて現実に引き戻す。あんまり吃驚して飛び跳ねた私は、恍け顔で聞き返してしまう。
「そう、夏休みに何しようかって話。お互いにどんな予定があるとか、どこかに出かけようかとか……」
確かにそれは考えるべき事案だ。
高校に入って最初の夏休み……。あらゆる豊かな想像が出来そうで、私は期待ばかり紙風船のように膨らましてしまう。
「あ、そうだ小咲、あんたは葉山君と二人で、今度開かれる夏祭りに行ったらどうかしら?」
私は口に入れようとした水筒のお茶を危うく吹き出してしまいそうになる。
勿論私も夢想はしたけれど、まさかるりちゃんに言い当てられるとは思いも寄らず……。彼女の大ぴっらに突き刺してきた呟きは、当然のように周りにいる子たちの声色を高くさせる。
「いいじゃない小咲ちゃん! 二人で行ってきなよ!」
「私も賛成です、小野寺様!」
「まあ! 良いではないですか! 私は楽様と二人きりで行きますけど」
橘さんの余計な一言のせいで、彼女ら三人はまたプロレスじみたやりとりを再開させる。
実際に前向きな言葉を貰えれば、人知れず勇気が少しづつ湧いてくる。
「そうと決まれば小咲、善は急げ、だわ。今すぐ彼の予定を埋めてしまいましょう」
「ちょ?! ちょっと待って! 私の心の準備が……!」
せっかちなるりちゃんは私の状態なんかお構いなく、私を引きずるようにして一条君たちの元へと向かう。彼女のような行動力があれば、と羨ましくも残念にも思う。
「一条君に舞子君、葉山君どこにいるか知らない?」
「いや、オレらは知らないけど……」
「あら、何も知らないのね」
るりちゃんと私が急にやってきたものだから、一条君は卵焼きをくわえたまま意表を突かれた表情でいる。舞子君もどうやら首を横に振るので、どうやら二人とも紫恩君がどこに行ったか知らないようだ。
「たまに紫恩の奴、昼休みの間どっか行くよな」
「そうだね~今日も購買までは一緒だったんだけど」
言われてみれば、と私も頷き返してしまう。
一条君の言ったように、紫恩君は時おり昼休み中、教室へ一度も戻ってこない。今までそこまで気にしてなかったことが、今日になって途端に気になって仕方なくなる。
「何やら、誰かと電話する、とは度々聞いてるよ」
舞子君のその言葉は、私をさらなる思考の渦へと巻き込んでいく。
「誰か……相手って誰なんでしょうね」
「それって紫恩のお姉さんじゃねえの?」
「あ~その線はありそうだね~」
「ありそうって……誰とまでは聞いてないわけ?」
「いや、こればかりはオレらも聞いてないよ」
私に代わりに口を開いたるりちゃんのおかげで舞子君らとの会話は続くけれど、私の方はというと、モヤモヤばかりがどんどん肥大化していく。
電話の相手は、和香さん。とてもそうは思えない。
だって先日の春との通話で、紫恩君には幼馴染の女の子がいる、と知ってしまったから。しかも、彼女は春ととっても親しく、私も何度か会ったことのある子なのだ。
「そしたら、また後で誘ってみなさいよ」
「う、うん……」
るりちゃんの切り替えろとでも言いたげな表情に、私は引っかかるような頷きしか返せない。こんなことで猜疑心に苛まれるなんて、私はどれほど小心者なのだろう。
紫恩君にとって、昼休みの間中ずっと話すほどの相手とは、誰なんだろう。
◇ ◇ ◇
「もしもし、オレだけど」
あなたの透き通る声を少し聞くだけで、私は森の中にいるような平穏を感じてしまう。学校のお昼休みだなんて、思わず忘れてしまいそうだ。
「はい、もしもし」
「やっと出た。そっちから話したいことあるって言ったくせに」
「ふふ、ごめんね? 移動に時間かかっちゃって」
そう言って不満げにするけれど、結局こうして電話の相手をしてくれる。
私の幼馴染である葉山紫恩とは、そういう人だ。
「それで、今日はどうした?」
「う~~ん、特にないかな~」
「何それ、またイタ電?」
「ウソウソ、紫恩の声が聞きたいな~って」
「
「やっぱりばれちゃうか~」
涼とは、私の名前。
そう呼ぶのは、家族以外には彼とそのお姉さんくらいだ。
他の人たちからは、
紫恩の声が聞きたい、というのは本当なんだけどな。
素直になれない私は、自分の弱いところを彼だけには突かれたくない。そのためか、誤魔化しばかり上手くなっていく。
「この前、私の最後の大会に和香さんと来てくれたでしょ? その時のお礼、ちゃんと紫恩に言っておこうって」
冗談のように「見に来てよ」と言ったはず。なのに、彼らは本当に遠出をして来てくれて、存外に喜んだ自分に驚いたのも、とっくに懐かしく感じられて吐息が漏れてしまう。
「ああ、そのこと……幼馴染の集大成なんだし応援に行かないと、流石に姉さんからどやされるからね」
最後の一言は、ちょっとばかし減点かな。
けれど、言い訳のような言葉なんかよりも、実際に来てくれた事実が、厳格であるべき私の採点を甘くさせてしまう。
「ふふ、でも応援来てくれて私は嬉しかったな」
「それはどうも。兎にも角にもさ、三年間の部活動お疲れ様」
「うん、ありがとう」
部活動に関わる誰しもにとって、色んな人からかけられる、ありきたりな言葉のはずだ。それでも、あなたから貰うと、一味違った満足感や高揚感が得られる気がする。
「これで晴れて私も受験生になっちゃったな~」
「涼なら大丈夫だろ、勉強できるし」
「どうかな、ちゃんと万全は期しておかないと」
確かにさほど勉強面に不安がある訳ではない。成績は学校全体でも上から数えた方が早いのだから。
私にはもっと他に不安があるのだ。
「それにほら、春の勉強も手伝わないといけないし」
春とは、中学で同じ寮生活、同じクラス、同じ部活を通して知り合った、私の親友のことである。
――――びっくりしたよ! まさか葉山先輩と風ちゃんが幼馴染だなんて……!
可愛くて仕方のない春は、透き通るような白い頬を桜色に染めて、そう驚いてくれてたっけ。
「ああ、なるほどね……その子も凡矢理来るの?」
彼女の苗字は、小野寺。
彼女のお姉さんである小咲さんは、紫恩のクラスメイト。
「そうだよ~何? 私より級友の妹が気になる?」
「何でそうなるかな。涼の親友だというし、それで気になっただけ」
「ふふ、分かってるよそれくらい」
紫恩に面倒くさいと思われるかもしれない。
それでも、どれだけ彼が『小野寺』に関心があるか探ってみたかった。
知らない振りをするみたいに探ろうとしなくても、とっくの昔から分からせ続けられたくせに。
特別焦っているわけじゃない。私はそういう落ち着きのない女の子じゃない。
けど、私は紫恩との時間を早いうちに作り出したくなる。
「夏休み入ったらさ、またそっち戻るから。紫恩には勉強、教えて欲しいな」
「前振り長かったな、こちらはいいんだけどさ」
さも当たり前のように了承してくれる紫恩は、客観的に見れば、お兄さんみたく頼りになる幼馴染だ。嬉しくもあるはずなのに、その見方がつい私を意地悪にさせる。
「ほんと? じゃあよろしくね、紫恩先生」
「あんまりふざけると厳しくしますよ、涼君」
「ふふ、大丈夫だって、心配しないで」
「それは一体どういう意味の大丈夫なのさ」
さあ、どういう意味でしょう。
彼にふざけたことはしないよってことかな?
それとも、もしかしたら、彼に断られてしまうかもって心配してた自分に対して?
耳元の向こうからキーンコーンと、能天気なチャイムの音が甲高く聞こえてくる。
「それで、用件は済んだ? そろそろ戻らないと」
もうそんな時間なんだ。あなたが私との世界から離れて、あの人のいる世界へと戻ってしまう。
――――葉山先輩、お姉ちゃんの言う通り、優しくて良い人だったな~!
春は紫恩たちと別れた後、そう嬉しそうに話していた。
「ううん、もう一つだけある」
息を吸って吐く。普段意識せずともできる動作なのに、わざわざ意識しないといけない。
――――そういやお姉ちゃんさ、下の名前で最近呼び合うんだって、葉山先輩と。
自分の本命を言うには、いつだって緊張してしまう。
「今度の夏祭り、私と行こうよ」
他の何かに奪い去られてしまう前に、大事な予定は出来るだけ早く埋めてしまわないと。