地上最強のゾイド   作:◆.X9.4WzziA

15 / 17
【第十五章】名無しと名捨ての山

 雨足の勢いは苛烈の極みに達しつつあった。

 先の戦場たる岩場から、大分離れたこの辺り一帯はひと目には平らかな平原地帯。なれどふた目をよく凝らせば至るところに亀裂が走った荒涼たる大地が広がっている。……亀裂の中をよく観察すれば、ぼんやりと妖しい輝きが確認できることに誰もが驚くだろう。それらは金属生命体ゾイドが解き放つ目の輝き。彼らは大小を問わず亀裂の中に潜んで雨露を凌いでいた。

 ふと、とある一角の亀裂がざわめいた。

 たちまち亀裂から飛び出してきた、ゾイド数匹。いずれも背中や脇腹などに銃砲を積んでいない、野良とか野生とか言われる者共。それらが慌てて雨宿りを諦め遁走に至ったのである。

 恐らくは最後だろう四つん這いの蜥蜴とも鰐ともつかぬ一匹が亀裂から這い上がるや、恨めしそうに雨雲の彼方を見上げて睨んだ。

 雨雲の中枢から、不意に轟く爆音。

 落雷が降り注ぐように姿を現した禍々しい物体に、先程の四つん這いは遁走を再開せざるを得なかった。……このゾイドのそれなりにはあるだろう戦闘経験を振り返ってみても、ここまで奇妙な姿の同族は見たことがない。全身銀色に輝くその物体は彼と同様に四本脚でありながら、首には本来ある筈の顔の代わりに暴君竜ゴジュラスの上半身が生えており、その背中に網目状の翼が広がり光の膜を張りながら羽ばたいているのである。化け物だと確信した以上、下手に縄張りを争う考えはなかった。

 そんな雑魚どもの妬みなど一向に気にすることなく、銀色の巨体は緩やかに亀裂の中へと降下していく。その後に続くのは何匹もの橙色の蜂達だ。

 亀裂の下は存外に深く、広い。不意に、辺り一帯を震わす地響き。亀裂内部の壁面が揺れる。

 内部にすっぽりと収まった銀色の巨体。今の状態で頭頂から地上まで十数メートル程度の余裕があり、遠目では確認できないだろう。さて亀裂は前後にも伸びており、どこまで進めるのか見当もつかない。……だが足元はどうか。人間数体分もの幅があろうかという濁流が勢いよく流れており、降り立ってキャンプを構えようなどと考える者はおるまい。

 すると銀色の巨体に追随してきた橙色の蜂達が、次々に亀裂内部の壁面にへばりついていく。最後の一匹だけがふらふらと何かを探すかのように彷徨っていたが、やがて見通しを立てた様子でガッチリと、とある一角にへばりついた。削れた岩がパラパラとこぼれていく。そのすぐそばには2、3平方メートルほどの横穴が広がっていた。

「やむを得んわ、この雨ではな」

 小太りの男が横穴に降り立つ。マノニアだ。無法の旅路は既に何度も往った身だから、日常生活の常識が通用せぬ事態に陥った程度ならば今更腹を立てたりはしない。今回は横になれる場所と用を足す場所の確保……それさえどうにかなれば良い。

 その間にも例の黒尽くめの機械人形達が、橙色の鉢達の整備に取り掛かる。壁面にへばりついたまま大人しくしている蜂の全身を器用に伝い、ぶら下がり。傍目にはハラハラさせられるが、マノニアには別段驚きもしない光景のようだ。

 マノニアは旅行用のカバンを引っ張り出すと寝袋と水筒、そしてエナジーバーを取り出す。咀嚼の音を立てる度に、味覚を感じられることへの喜びが湧いてくる。

 するとそこに、ふわふわと舞い降りてきた虹色の光球。輝きはそのままにたちまち人の形に変貌を遂げた。直立の姿勢でマノニアの真正面にふわりと降り立つ。虹色の魔人ビスマには、微塵の疲労も損傷も伺えない。

 マノニアは最早驚きもしなかった。エナジーバーを頬張りながらも労いの言葉は忘れない。

「見事だったな。しかしジェノブレイカーだけは手強いようだな」

 立ったままの虹色の魔人は妖しく明滅しながら呟く。

『数値ヤ言葉デハ、言イ表ワセナイモノヲ感ジル。[導火線の七騎]ニハ共通シテ感ジラレルモノダガ、[ギルガメス]ト[ジェノブレイカー]ニハソレガ一際強ク感ジラレテナラン』

 はあ、と感心とも溜め息ともつかぬ息遣いでマノニアは聞き入るよりほかない。彼も相応に切れ者だが、ゾイド操縦の腕前は然程ではない。だが少しは年を食っている故か、不世出の実力者が時々口にするこの手のオカルト的強さの尺度にも一応の理解はあった。

『……時ニ[マノニア]。ソコノ[魂]ノ無イ[ゾイド]共ニ、俺ノ知ラナイ武器ガ搭載サレテイルナ? アレハ、何ダ?』

 小太りな小悪党の顔が見る間に強張っていく。だがそれ以上の激変はない。

「ああ、それは音波砲じゃ。護身用に積んでおる。

 下手に弾薬を買い漁っていては簡単に足がつくのでな。音の攻撃なら電気代だけで済むのじゃ、安いものじゃろう?」

 内心、マノニアは強烈に焦っていた。橙色の蜂達に密かに隠し持たせていたレアヘルツ砲の存在を、いつどうやって見抜いたのか? 性能まで把握しているのか?

 立ったままの虹色の魔人は人ならば感心でもしているかのような溜め息を漏らした。目も口もないのに関わらず。

『成程……。人間ハ不便ナモノダナ。俺ナラバ弾丸ナド[無]カラ作リ出セルノダガ』

 そう呟くと、おもむろにその場にしゃがみ込む。

 直後、虹色の魔人の見せた奇妙な仕草の方がマノニアをして驚愕に値した。……虹色の魔人は坐禅を組んだのである。グローバリーⅢ世号が惑星Ziに仏教を伝えたかは不明だが、少なくともマノニアには門外漢の分野である。

「何じゃ、その座り方は」

『ソノ前ニ、[椅子]トイウモノヲ教エテクレタ貴様ニ感謝ダ(※第六章参照)。[ゾイド]ハ座ラナイシ座レナイカラナ。……試シテミテワカッタ。座ッテ落チ着ケバ、驚クホド思考ガ捗ルデハナイカ。

 ソコデ座リ方モ工夫シテミタ。ソレガコノ格好ダ。……[ギルガメス]ト[ジェノブレイカー]ヲ今度コソ倒スタメニハ、俺モ更ナル[進化]ガ必要ダ。ソノタメニ俺ハ[瞑想]スル』

 魔人の全身がたちまち眩く明滅を始める。

 マノニアは呆気にとられたままその一部始終を見守っていた。食べかけのエナジーバーを口に放り込むことを思い出すにはしばし時間が必要だった。この眩しさで仮眠が取れるかという疑問に至るのはもう少し後のことである。

 これも一種の収斂進化と言うべきか? このヒトの形をした分身は本体を強化するため、瞑想という形でプラン構築を試みるに至った。ケンタウロス・ワイルドというこの金属生命体ゾイドは自分の意志で、且つごく短時間で更なる進化を果たそうとしていた。

 

 北方大陸・ラカフートの第一埠頭は凪いでいた。

 埠頭の端には首の長い四足竜がうずくまったまま、じっと水平線の彼方を見つめていた。鉄仮面を被ったかのような威圧的な風貌とは裏腹に、鉄色の胴体は丸っこく奇妙な愛嬌がある。これは一般にはブラキオスと呼ばれるゾイドの一種。水陸を自在に行き来できるので港湾部では重宝される。

 四足竜が被る鉄仮面の内部には赤に青に、奇妙な電子機器の明滅が確認できる。この竜は警戒中だ。視線の先に広がる水平線の彼方から、時折船がやって来る。大半はずっと向こう、南方に浮かぶ中央大陸からの船便への対応。これが殆どだ。残るは主に密輸など、良からぬことを考える連中の侵入阻止。余裕がある時は天候の変化も注意深く観察している。

 だが流石に今日は何事も起こり得まい。……この竜のコクピットは背中に設置されており竜自身が横目で主人たるパイロットの様子をある程度観察できるのだが、この男ときたら制服と防寒着を座席に引っ掛け両足はコントロールパネルの上に投げ出している。見た限り寝てはいなので幾分マシではあるが、来訪者などないとでも決めて掛かっているようだ。それもその筈、ここ第一埠頭で受け入れる予定の中央大陸からの船便は、今日は全て渡航中止となっていた。

(地震だ、津波だとなりゃあ来るのを期待する方が馬鹿げているさ。しかし……)

「おい、起きているか?」

 不意にコントロールパネルが鳴動し、天井を覆うキャノピーにウインドウが展開。皺の深い老人の顔を映し出す。男はさして驚く素振りも見せないが、ともかくは姿勢を戻した。

 うずくまるブラキオスの遙か後方から、同じ格好の四足竜がゆっくり近付いてきていた。

「起きてますよ勿論。でもね、こんな日は気も乗りませんよ。

 で、来るってのは本当なんですか……?」

「ああ、軍警察からの連絡では遅くとも19時までには到着する見込みだそうな」

 滅茶苦茶な話しだ。男は呆れ果てた気持ちを隠さない。

 ヘリック共和国軍は北方を始め各大陸侵略に当たり、大量のゾイドを早急に運搬する必要から、多数の高速貨物船を建造した。「最後の大戦」後、それらの多くは民間に払い下げられて大いに活躍し今日の大陸間物流の礎となったが、それらとて40〜50ノット(時速約74〜92キロ)程度である(※それでも地球の貨物船やフェリーなどと比べたら圧倒的に速い)。……さてここ、ラカフートから中央大陸の北端部まで、3千キロ以上あるのだ。これから来るという「お客さん」が40ノット程度の貨物船で向かっているとしたら、到着まで二日は確実に掛かる。

 折しも中央大陸では昨日、今日と災害級の地震が発生したという。津波があれば緊急出港の可能性もある(転覆を警戒し沖合に避難する)。もっともそれが異常に速い到着予定日時設定につながるとは考えられない。大体、そんな事態になれば地球のクジラやイルカに良く似た金属生命体群がパニックに陥って貨物船と衝突することも考えられるだろう。いずれにしろこれもお役所仕事という奴で、例え到着する確率が限りなく0に近くともその場には待機していろということだ。

 不意に、鳴り響くアラーム。コントロールパネルの向こうからもだ。男は大きく目を見開かざるを得ない。来る筈のない奴が到着する。大きな溜め息を吐きつつ気持ちを切り替え、凝りに凝った両肩をぐるぐる回す。

「信じられないけれど、どうやらおいでなさったようですね」

「……なぁに、しばらくは眺めているだけさ」

 老人の返事は何を意味するのか。男が納得するまで少々時間がかかった。

 水平線の彼方は着々と夕陽が落ちようとしていたところだ。その陽射しを遮るかのように黒雲が漂い、豪雨のカーテンが張り巡らされている。ところが不意に、豪雨が切り裂かれた。

 その様子を天井部で開かれたウインドウ越しに見つめていた男は刮目して身を乗り出した……乗り出さざるを得なかったのだ。彼は船がやって来るものだとばかり思っていた。そういうものから凡そかけ離れたものが、今まさにこちらに近付いてきている。

 豪雨の中から姿を現したのは二枚の翼と六本の鶏冠を背負った深紅の竜。鶏冠より蒼い炎を勢い良く噴出し、海面より十数メートルも上を弾丸のごとく飛び進んでいく。両手にはビークルらしき物体を抱えているが、それ以外にさして重量物を抱えているようには見えない。

「何だこれ!?」

「儂も見るのは何年振りかな。お偉いさんの要請で、中央大陸からゾイドの能力を頼みに渡ってくることがあるのさ。大体は密航者の逮捕や暗殺が使命と相場が決まっておる。もっとも今来てるのは、まるっきりの民間人だがね」

 まるで映画みたいなことを言うな、この爺さんは……男は訝しんだ。だが少なくとも事実は小説よりも奇なり。男が搭乗するブラキオスが鉄仮面の下で様々なセンサーをまばたくように明滅させれば、この弾丸のように飛び進む深紅の竜の移動速度がすぐさま測定されていく。ワイヤーフレームで描かれた深紅の竜。すぐそばで浮かび上がった数値は、凄い勢いで低下している。男が目にした時、数値は時速300キロを割った。

(今ようやく300を切ったということは、ここまで相当な速度を叩き出していたに違いない。いつ、出発した?)

 距離÷時間=速度。所要時間さえわかれば簡単な計算ではっきりする。だがそのために色々調べ直す余裕はなかった。

 天井スクリーンにもう一枚開かれたウインドウ。「サウンドオンリー」の表記がある。

「すみません、係の人! 着陸したいので誘導して下さい」

 随分、若い「男の子」の声だ。だが坊やと言い捨てては失礼極まりなさそうな凛々しさが、声だけでもひしひしと伝わってくる。……しかし、着陸だと。

「着水にしなされ。ここラカフートに滑走路はないのでな。船も出ないから気楽におやりなさい」

 男が何か口走るより速く、老人の方が答えを返した。

 目を丸くする男。するとウインドウの向こうの老人は軽く瞬きしてみせた。……どうやら老人の経験に委ねるよりほかなさそうだ。

 すると「サウンドオンリー」が表記されたウインドウの奥から笑い声のようなものが聞こえた。

「わかりました、やってみます」

 笑い声をかき消すかのように、朗らかな返事。

 地球の話題で恐縮だが、海上自衛隊の飛行艇USー2の着水に必要な距離は310メートルだという。時速90キロの状態から着水するそうだ(※巡航速度は時速480キロ、最高時速580キロ)。飛行するゾイドがどの程度の距離から着陸・着水できるのか、素人の筆者には全く以てわからない。だが少なくとも、310メートルよりは絶対に長い距離を確保せねばならない筈である。

 さて水平線の彼方では。

 桜花の翼を羽ばたき広げる深紅の竜。両足も八の字に。真正面から見れば文字通りの×の字。両腕はぐいと腰に引き寄せ、尻尾はピンと伸ばして。力む全身。高度が下がっていくごとに、海面が波打ち飛沫が舞い始める。背負いし六本の鶏冠から解き放たれたる蒼い炎は既に糸のように細くなっていた。そしてそれが途切れた頃に。

 荒々しく鉋(かんな)で削り出されたようだ。舞い上がる飛沫は留まるところを知らず、そのまま深紅の竜は勢いに任せて滑走を続けた。……停止したところで深紅の竜は大きく息を吐いた。

 竜の胸部コクピットハッチ内では同じように、ギルガメスが肩で大きく息を吐いていた。全身、汗びっしょり。全方位スクリーン左上にウインドウが開き、ラカフート第一埠頭の先端からここまで500メートルを割ったところだと教えてくれた。

 ウインドウがもう一枚開いた。エステルだ。優しく微笑んでくれる。彼女は言うまでもなく竜が抱えるビークルの中だが冷や汗一つかかず余裕綽々。

「お疲れ様。上出来よ」

「もっと早めに着水した方が良かったですか?」

「三人揃って五体満足でしょう? 十分よ。それより、お迎えよ」

 鉄仮面の四足竜二匹が早速海面に飛び込み、深紅の竜のもとにゆっくり向かってくる。

 そのうちの一匹を駆る男の方は溜め息をつきっ放しだ。とんでもないものを見てしまった……それが正直な感想である。只、男はやってきたこの深紅の竜を、映像では何度も目にしていた。それはゾイドバトルの興行だ。何しろ勝ちまくるので配当は低いが、大負けした時は取り敢えずこいつに賭けてウサを晴らすようにしている。勿論、この非常識な上陸を思えば興行に参加するような目的で来たとは思えないが、そこは社交辞令と、有名人への憧憬を抱きつつ挨拶した。

「ゾイドバトルのギルガメスさんですか? 北方大陸にようこそ」

 スピーカー越しに伝わってきた。少年は苦笑せざるを得ない。

 深紅の竜は氷上を滑るように一歩一歩優雅に踏み込んでいく。夕陽は既に沈んでいた。

 

 惑星Ziはヘリック共和国によって完全統一されて久しい。ここ北方大陸も同様である。だが統一がなされても大陸をまたいでの犯罪者侵入・逃走、密輸などの犯罪は日常で普通に起きていたため、管理局が取り締まりを継続している。

 ここラカフートの第一埠頭も同様だ。……コンクリートの広場で腹這いじっと待つ深紅の竜。そのすぐ手前には銃器に挟まれたビークルが置かれている。深紅の竜はかなり抑えめに溜め息を吐き続けている。金属生命体ゾイドの溜め息ではあるものの、苛立ちは誰の耳にも伝わってきた。無理もない、入管の職員が数人がかりでゾイドの体内各所に違法な物品を突っ込んでいないか点検する規則なのだ。コクピットは無論のこと、装甲の裏側や銃口まで点検される。勿論人の手だけではなく、嗅覚に優れた人よりは小さな犬型ゾイドなども用いられる。

 こういう時、職員の傍らにはギルガメスが常に帯同している。今日もそれは変わらない。

「ブレイカー、お願い。我慢してね」

 職員達の挙動は一概に素早いが時にひどく乱暴だ。苛立つ深紅の竜をギルガメスは必死に宥める。それで延々と時間が経過していく。

 一方、その間に書類と面談の手続きはエステルがさっさと済ませてきた。……例の地震で船の出入りが一時的にせよ激減したので、これらの面倒ごとは思いの他あっさり終わった。エステルは案内された管理局の古びたビルから出たところで自身の腕時計型端末を覗いてみると、15分も掛かっていないとわかる。何しろ法的に認められた輸送手段を使っての上陸ではないため、一々面倒な書類を書くことになるかもとは思っていた。だが案内された審査室のブースで面会した管理局の職員は、開口一番伝えてきた。

「軍警察から大体の事情は伺っております。一つ、これだけは教えて下さい。行き先は?」

「ルシラッド山です」

 一瞬、広々とした審査室がざわついた。

「……目的は?」

「古い友達に会いに行きます」

「それが終わったら?」

「まっすぐ、こちらに戻ってこの大陸から立ち去ります」

 不意に職員が視線をそらす。どうも他の職員のサインを伺ったようだ。さり気なくそれを済ますと、他の雑多な質問に移り……それらにも何ら戸惑うことなく、手続きは無事終了した。但し職員はもう一言だけ、言葉を添えたのだ。

「ご武運をお祈り致します」

 エステルは……この美貌の女教師は深々と一礼した。旧友に会うというのに死地に向かう者への手向けの言葉を頂いたその真意を、彼女は眉一つ動かさずに受け入れたのだ。

 

 鋼鉄の壁で守られたラカフートを出て更に一時間ほど、深紅の竜は荒野を駆けた。……門をくぐる直前、竜は振り向いて海の方角を見つめる。海岸線をなぞるように無数の照明が確認できる。向こうは漁港だろうか。

 深紅の竜はすぐに正面を向き直した。我と我が主人の行く先は、暗闇が覆うこの荒野の彼方にある。大丈夫、今日の夜空は満天の星が彩ってくれている。恐れることは何もない。

 ビークルを抱えたままひたすら駆けて、やがて小高い丘の上に辿り着くとゆっくり、腹這いになった。ついた溜め息の大きなこと! 胸部コクピットハッチから少年が出てくる時、彼は驚き肩をすくめた。

 惑星Ziの屋外で野宿するなら高いところを確保する必要がある。ゾイドが真夜中も闊歩するからだ。当座の安全は確保した。竜は身体を休め、少年がこの相棒の全身に油入りのカートリッジを差して労い、その間に女教師が食事を用意し……。つかの間の休息は、のんびりしたいつも通りの野宿となった。師弟はビークル後部トレーラーで食事し、早めに寝るつもりだ。

 深紅の竜も今晩はこの場で夕食だ。ビークルに積んでおいた食用コアブロックにかじりついた。頬張って、口内の消化器官(※禁じ手の攻撃を解き放つ箇所だ)からエネルギーを照射して火で炙るようにしながら食べるのだ。一個かじれば腹八分目以上の補給にはなる。このゾイドにしては十分に味わいながら口内に溶かし、完食するとビークルを抱えられる位置まで近付く。その上で蹲り、ようやく脱力した。

 周囲の温度が下がっていったところで、竜の鼻先に少年が近付いてきた。Tシャツの上に灰色のパーカーを羽織っている。

「ブレイカー、今日は本当にお疲れ様」

 吐息が大分、白い。竜は心持ち首をもたげるとか細く鳴いてキスをねだる。少年は竜の鼻先に自分の頬を重ねてやると。

「何が起こるかわからないけれど、頑張るよ。ブレイカー、君の力を貸して……」

 深紅の竜はささやくような鳴き声で相槌を打った。

 

 ビークル後部のトレーラー内は既に消灯していた。それでも朧気な星明かりが強化ガラスの窓から差し込んでくる。戻ってきた少年はシャワーを浴びるように星明かりを見つめていた。

「ギル、そろそろ」

 後ろで声がしたところで少年は返事し、シャッターのスイッチを押した。星明かりが完全に閉ざされる前に毛布を引っ掛けた寝袋に収まる。……寝袋の右隣りにはふた周りほど大きな寝袋がもう一枚。既にエステルが包まっていた。

 暗闇に目が慣れるよりも早く、ガサゴソと右隣りで音がする。

 どうしたのだろう。少年はぼんやりとしたまま右手を寝袋から伸ばした。

 ヒヤリとした感触は自分の右手にも、そして左の頬にも感じ取れた。……エステルだ。愛する女性が覆い被さるように顔を近付けている。切れ長の蒼き瞳が湛える眼光が闇の中でも冴え渡ってしまい、少年ははっきりと捉えることができてしまった。

 彼女の瞳は潤んでいた。

「どうしたんですか……?」

 思い詰めた彼女の表情に少年の胸も締め付けられる。陽射しの下ではきっと見せたりはしない筈だ。

「ごめんね。いつも……いつも、嫌な思いばかりさせて……」

 唇は震えていた。その余り、もう一言を告げることができないまま、時間が止まった。

 彼女の吐息が漏れるに及んで、少年はようやく微笑みを返した。凡そこの年頃には不相応な大人びた表情を、今なら作ることができる。

「僕は貴方に出会えて良かった。その気持ちは絶対に変わりません」

 一瞬、切れ長の蒼き瞳が見開かれ、すぐに細まる。ひとしずくが落ちると共に、乾かしたばかりの黒髪が夜の帳のように降りてきた。偽りまみれの朝が来るまでもうしばらくの時間はあった。

 

 突き抜けるような青空は、いつまでも見ていられた。

 荒野を滑走する深紅の竜。両腕にはビークルが抱えられている。昨日の長距離飛行に疲れたか、今日は両足をハの字に広げた状態でホバリングし、重力に任せるように滑っていく。砂塵も土埃も、余り舞わない。日照時間が決して長くないためか地面が湿っているようだ。

 竜の胸部コクピット内で、ギルガメスは始終苦笑いを浮かべていた。表情とは裏腹に額に浮かぶ刻印の輝きは太陽光のように力強い。それだけしっかりとシンクロできている証だが、伝わってくる相棒の僅かな動きによっては奇妙な感情を抱かずにはおれないこともしばしばだ。……我が相棒はご機嫌にも鼻歌を唄っている。コクピットに乗ってないと気付かない程の微かな息遣いだが、研ぎ澄まされた今の状態で聞き耳を立てればよくわかる。こんな来たこともない土地で余裕綽々だ。それが心底羨ましい。

 ふと全方位スクリーンが映し出す地平線を、ウインドウが囲む。徐々に拡大された地平線は蜃気楼でぼんやりしているが、その先にはやけに横に長い隆起が確認できる。すぐに画像に矢印がひかれ公用ヘリック語で「ルシラッド山」の文字が踊った。

「山、というよりは山脈に近いのかな?」

 すぐさま全方位スクリーン左上に別のウインドウが開く。エステルだ。サングラスを下に傾け視線を少年の方に向ける。

「真横から見ればね」

 彼女が映るウインドウのすぐ下にワイヤーフレームの地図が表示された。……直進する深紅の竜を示す赤い光点。そのずっと北の方角に、巨大な円形の隆起を見つけ出した。形状について少年の第一印象は。

「切り株……なんですか?」

「まだヘリックどころかZi人もいなかった大昔、生えていたみたいね。化石化して今は山と呼ばれているわ。山の外周はレアヘルツが放出されているから、これ以上のことは近付いてみないとね」

 近付けない程のレアヘルツなどというものは一部の例外(例えば第十二章のマノニアなど)を除き、Zi人の手で作り出すのは現時点で不可能とされる。どうやらここにも古代ゾイド人の遺跡らしきものが存在するようだ。

 彼女が語る以上の威圧感が数分も経ずして待ち構えていた。何もなかった筈の荒野、そして地平線の彼方に、巨大な映画のスクリーンのような薄暗い影が広がってきた。巨大過ぎて接近と共に端から端まで見渡すのが困難になるのは時間の問題だった。

「これが、ルシラッド山……」

 気が付けば、辺りには大小様々な岩が転がっている。いや待てよ……一つ一つを観察するギルガメス。

(ゾイドの……死骸!)

 所謂金属生命体ゾイドの死に至る過程は様々だが、例えばゾイドコアの活動が完全に停止したまま放置されるとやがて石化する。そうして朽ち果てたゾイドの死骸が、この場には至るところに転がっているのだ。五体満足なものは見当たらない。石化前に相応の解体・略奪があったのだろう。

 ギルガメスの胸中がカッと燃えかかったその時、不意に風切る音。

 シンクロによって伝わる痛みは微小と言える程度のものではあった。右手の甲に、チクリと虫に刺されたかのような感触。

 その痛みを裏付けるかのように、右手を頭上にかざす深紅の竜。……おもむろに、手首を返して甲を見ればそこには鋼鉄の矢が突き刺さっていた。左の爪で引っこ抜いてみたが大人の体の半分程も長い。

「ギル、ブレイカー、気をつけて!」

 深紅の竜は両手でビークルを抱えたまま両翼を前方にかざす。しかし少年は戸惑ったままだ。それを諭すかのように深紅の竜は荒い息吹をひと吐きすることで、この若き主人に心情を伝えた。……少年の額に浮かぶ刻印が、明滅。

(……ブレイカーの装甲に刺さる、矢!? 弓も弦も、ゾイドの身体の一部から作り出しているのか)

 恐ろしく強靭な、ゾイドをも射殺せる弓矢。そしてそれを射掛ける実力者がいる。

「『立ち去れ』」

 そこかしこから声が聞こえてきた。すぐ近くにはいない。ずっと遠く……ゾイド二、三匹分も離れたところの「ゾイドだった石ころ」の影に、感じ取った生命反応。

「ルシラッド山の住人の方ですか!? お話しを伺いに来たのですが……」

 スピーカー越しに怒鳴るギルガメス。

 だが彼の呼び掛けはむしろ負のエネルギーに変換されて帰ってきた。鋼鉄の矢が一斉に雨あられ。

 すかさず腰を落とす深紅の竜。足首に刺さったら面倒だ。

「『立ち去れ、立ち去れ』」

 声と共に、矢のスコールが続く。

 すると深紅の竜が己が胸部に鼻先を近付けてきた。……少年は竜の考えを察した。

 途切れる気配もない矢のスコール。風を切り刻む羽音の流れを、ねじ伏せるように泥の大波が高々と舞い上がった。深紅の竜、渾身の踏み込み。続けざま、右の桜花の翼を翻す。返す刀で左の翼を大きく突き出しにじり寄った。

 石ころの裏に隠れた者達は、動かない。だが確実に、矢の流れは断ち切られた。飛び道具は間合いを詰められたら弱い。

 一瞬漂う静寂を、逃さなかった者がいた。竜の両腕に抱えられたビークルのキャノピーが開き、エステルが躍り出た。深紅の竜は慌てて右手をかざして壁を作るがそんなことはお構いなし。

「エステルと申します。こちらは愛弟子ギルガメスと相棒のブレイカー。皆さんに教えて欲しいことがあって海を渡ってきたのです」

 石ころの向こうは初めてざわめいた。

「『何を知りたい』」

「導火線の七騎について!」

 息を呑むような声と共に、再び漂う静寂。

「『名捨て様に、相談するか』」

「『名無し様にもお伺いを立てんと』」

(名捨てと、名無し……?)

 少年も魔女も竜までも、首をひねる。奇妙な名前の有力者が二人はいるというのか。

 心持ちだがこの場が穏やかになりかけたその時。地の底から響く振動。地上まで一気に駆け上がるかのようだ。

 まさか、三回目の地震か? 深紅の竜は驚いて両足を踏ん張るが、すぐに見当違いな読みであると察した。上下に激しく揺れる、あの感触がない。

 そんな安堵の気持ちは一瞬にして崩壊した。少年は悟った……喉元を締め上げるような殺気。

 地を蹴る深紅の竜。飛翔。湿った土が後を追う。

 辺りの地面が陥没。数メートルも地面が下がると共に、柔らかい土が噴水のように舞い上がった。

 深紅の竜は助走なしの跳躍でも100メートルやそこらあっけなく飛んでみせる。高々と空を舞ったところで、主従は地面でうごめくものを両目に焼き付けた。

 土砂の噴水が、止まらない。その中から撹拌するように高速で回転し、現れたものがある。……二本の、角。

「『ああ、名捨て様!』」

『オ主ラ、見事デアッタ……遠クヘ離レロ。アトハ、俺ガヤル』

 土砂の……地の底から響く声。

「『悪い奴ではないかもしれません』」

『ソノ心配ハ無用ダ。……俺ノ遺伝子ガ、アイツヲ倒セト言ッテイルカラナ』

「『わかりました、貴方がそう仰るなら』」

「『名捨て様、ご武運を!』」

 奇妙な声を聞くに及んで、石ころの影に潜んでいた者達は姿を表すと共に一斉に遠ざかっていった。皆、分厚いコートやジャンバーを羽織り、毛糸の帽子を被って防寒の用意を怠っていない。この荒野のどこかに潜み住み着いているのだろうか。そしていずれも長尺の弓を握り締めたまま。連中は遠ざかりはするものの、100メートル程も駆け足で退くや辺りに石ころの影に隠れた。援護する気満々だ。

 その様子を確認しながら、ふわりと地面に降り立つ深紅の竜。二本角の主が、地の底から全身を地上に引き摺り出したのとほぼ同時だ。……舞い散る土砂が一時的にせよ視界を悪くしているが、深紅の竜が紅い瞳を凝らして睨みつければ、その姿は自ずと明らかだ。

 深紅の竜と同等……いやそれ以上の、上背。だがその正体は四肢で大地を踏み締める四足竜。思いのほかずんぐりとしている。見た限り背中には飛び道具の類いが搭載されていたようだが今は根本からへし折れてしまったままのようだ。一方、全身泥まみれの中にあって、腰の辺りにベルトらしきものが轟々と音を立てながら回転する様が際立つ。そしてこの奇妙な胴体を守るように、首の周りには鎧武者のような襟巻きがついている。すると襟巻きからは二本角が、そして鼻先からは殺意に溢れた角度の一本角が伸びており、その焦点が深紅の竜を捉えて離さない。

 何だこの威容は。圧倒される少年。すかさず自らの頬を張って相棒に気持ちが伝染するのを防ぐよりほかない。

 少年の気持ちを見透かしたかのように、泥まみれの角竜はひと吠えして牽制する。地の底から響くその声に少年は声を失っていた。ここにも、喋ることができるゾイドがいたのだ。

『サッサトコノ場ヲ立チ去レ。サモナクバ……』

 土が、踊った。

 深紅の竜は横っ飛び。ビークルは、抱えたまま。

 滑り込んだ巨体が地面をえぐる。……竜は透かさず腹這い、両腕のビークルを抱えたまま通り過ぎた災厄を睨む。

 僅かに己の体格一匹半分先に、そいつはごく短い尻尾を伸ばしたまま忽然と佇んでいた。轟々と、腰のベルトが音を立てて回転をやめない。そのままゆらり、こちらに向けて時計の針が早回しするように方向転換を開始した。

 胸部コクピット内のギルガメスは全身で目一杯強張ったまま。レバーを握り締める両腕がガクガクと痙攣している。

(ビークルが……飛ばせない!)

 敵が突進してきた瞬間ビークルを遠くに投げ飛ばすことができれば、自らが身軽になれるだけでなく二対一に転じることができる。だが泥まみれの角竜が解き放つ突進力はその機会を全く許さない。早速全方位スクリーン左上にウインドウが開き、ビークルのパイロットたる愛する女性の美貌が映り込む。

「ギル、とにかく離れる機会を見出しましょう。それからよ」

 はいと返事する猶予も与えられなかった。

 再び土が、踊った。角竜が繰り出す電撃的突進、二発目。

 深紅の竜も再び横っ飛びの回避。それが精一杯、見切る余裕もないかに見えた。

 だが裏腹に、胸部コクピット内で少年は気合と共にレバーを腰の位置まで引き付けるように全身強張らせる。

 応えて吠える深紅の竜。横っ飛びに強力なブレーキをかけるように左足で踏み込んで軸とする。翻す左の翼。内側より二本の長剣が展開、切っ先で重なり一本の大剣と化す。左の翼の刃から放たれたる渾身の回転斬り。標的はすぐ真後ろ。

 少年は確信した……怒涛の勢いで駆け抜けていく角竜の尻を叩けると。だから真後ろ目掛けて反時計回りを果たした時、想定していたものとは全く別のものが視界に入ったために少年は声を失ったのだ。

 同じように唸りを上げつつ反時計回りを果たした角竜の姿が、そこにはあった。振りかざす二本角が雄叫びの如き唸りを上げて回転している。二匹の竜が、少年が、角が、大剣が、叫び、吠える。そして角竜のベルトはこの間も轟々と唸り声を上げたまま。

 踏ん張る深紅の竜。全身に埋め込まれた突起が悲鳴を上げながら回転、隙間から火花が舞い零れる。

 一方角竜も又、全身の突起が高速回転するものの、深紅の竜に比べれば余裕綽々は明らか。

『見エ見エノ策ダガ、持チコタエルトハ大シタモノジャアナイカ』

 胸部コクピット内でギルガメスは踏ん張る。相棒とのシンクロによって軋む肩、痺れる腕。たった二合でこれ程に力量差を思い知らされたことはかつてない。

(どうしよう、どうすれば良いんだ!?)

 その時起きた思わぬ事態には少年も竜も、視線が釘付けとなってしまった。竜が抱えるビークルのキャノピーが、突如開いた。……中からエステルがすっくと立ち上がる。漆黒のパイロットスーツを着用していること以外全くの丸腰。

「お願い、[名無し]に会わせて! 『エステルが来た』と伝えてくれればきっとわかる筈よ」

 そう訴えかけられた角竜は、激しい鎬合いの最中にあって刮目するように灼けた瞳を爛々と輝かせる。

『小賢シイ』

 ますます唸りを上げる二本角。悲鳴を上げかけた少年が必死に歯を食いしばったその時。

 少年も竜も、そして美貌の女教師も不意に感じ取った。強烈な、耳鳴り。耳に冷水を浴びせられるかのような。だがその直後に、耳の奥まで届いたのは異常に澄み切った振動。そこに、言葉が続く。

《[名捨て]、そこまで》

 そう告げられた[名捨て]と呼ばれる角竜は虚空を睨む。まるでそこに誰かがいるかのように激しく気色ばんだ。

『[名無し]! 俺ノ遺伝子ヲ疑ウノカ!?』

《私の遺伝子は彼らに会いたがっている》

 澄み切った声が止まると共に、地面が垂直に2、3メートルも揺れた。深紅の竜と泥まみれの角竜が堪え切れず、ようやく鎬合う剣と角を離す。

 途端に数歩も後退した両者。すると先程まで小競り合った柔らかな土の荒野が、突如として泡立ち、撹拌し、土砂が噴水のように湧き上がった。

 全方位スクリーンの真正面に広がる異様な光景に対し、ギルガメスはハーネスの許す限り前のめりになって凝視する。これは一体どんな超常現象なのか。……しかし動揺しているのは少年ただ一人のようだ。

『会イタケレバ、来イ』

 そう告げるなり、土砂の噴水の中に飛び込んだのが泥まみれの角竜だ。……滝壺に飲み込まれるように土砂に流されていく。しかしながら短めの四本脚で軽くバランスを取った姿には一片の迷いも感じられない。

「ギル、私達も……」

 美貌の女教師も愛弟子に促しつつビークルに乗り込んだ。すぐさま上半身をハーネスが押さえつける。

 その間にも、深紅の竜はビークルを地面と垂直になるよう抱え込んだ。完全密着してできる限り固定するためにはやむを得ない。……キャノピー内部も天地が90度傾いたが機内の女教師は大きな揺れにも眉一つ動かさない。

 その様子を全方位スクリーンのウインドウで確認した少年は意を決した。両腕のレバーを勢い良く前に倒す。

 甲高く鳴いた深紅の竜。助走も程々に、土砂の噴水に飛び込んだ。土塊が弾け、空に舞う。

 中に飛び込んで数秒も経たぬ内に、少年は土砂の噴水の内部が想像したものとまるで違うことに気付いた。……土砂の中に、一本の穴が貫通しているのだ。そして、穴の壁面である土砂だけが激流のように流れているのである。それならこの土砂の流れに従ってみるまでだ。

 深紅の竜は早速六本の鶏冠を逆立てた。先端より弾ける蒼い炎。桜花の翼は広げず角度調整程度に留めた。腰を落とし、氷上を慣性のみで滑るようにして、土砂の流れに身を任せる。

 流れ行く土砂の彼方は暗闇が続く。深紅の竜は紅い瞳を煌々と照らす。流れを見失うわけにはいかない。

 やがて彼方に浮かび上がった光点は一番星のように眩しい。深紅の竜は尻尾で舵をとって空間が開けたときの様々な対処に備える。

 一気に開けた空間は、天・地・壁面、鋼鉄の間。天井には電灯が点いており、壁面をぼんやり照らす。壁面は磨き込まれており、電灯の反射がやけに眩しく感じられる。

『コッチダ』

 己の体格にして五、六匹程も前に、泥まみれの角竜は仁王立ちしていた。ゆったりとした挙動で真後ろに振り向く。角竜の二本角は深紅の竜に匹敵する長さだが、それを備えて振り向ける程度にはこの部屋は、広い。

 地響きと共に進む二匹の竜。数分も経たぬ内に、行く先は明かりが途絶えた。その先には岩盤が見える。

 不意に、少年は身震いした。強烈な動悸。彼はすぐさま己が左胸を抑えつつ、同じ衝撃を我が相棒も感じていることを悟った。

「ブレイカー、大丈夫?」

 少年の言葉が助け舟だ。深紅の竜は己が胸部コクピットハッチを、すがるように軽く掴む。

 この主従は恐ろしくも神秘的なものを目の当たりにした。……岩盤には竜が一匹、いや正確には竜の頭部と胴体、それに右腕だけとなった代物が埋め込まれていたからだ。それだけでも深紅の竜に匹敵する大きさ。全身が黒鉄の鎧をまとったこの竜は頭部が分厚い強化ガラスらしき何かで覆われているが、幾本ものヒビが走ったまま補修もされていない。大きな顎は剣の如き歯を上下に何十本と揃えていたようだが、今は既に何本もへし折れてしまっている。そして右腕は熊手のように攻撃的な形状ながら、今は力なく垂れ下がっている。

 この時少年は、全方位スクリーンのウインドウ越しに、愛する女性の表情を見てしまった。……戦場においては文字通り鉄の女として振る舞う彼女が、今やこの上なく放心し切ってしまっている。切れ長の蒼き瞳が今や光を失って濁り、虚ろ。

「先生!? どうしたんですか先生!」

 その時、岩盤から声が聞こえた。

《懐かしい脳波だ。再び君に、会えるなんて……》

 黒鉄の竜の頭部を覆う強化ガラスの下で、瞳が赤々と灯り、明滅した。

「ギル、ごめんなさい! ビークルを……!」

 少年が理解するよりも早く深紅の竜がすぐに応じてビークルを鋼鉄の床にそっと下ろす。主人たる少年もそれで納得したのは、愛する女性の取り乱しようが今までにないものだったからだ。あとはこれが罠でないことを祈るのみ。

 ハッチが開く。飛び出す漆黒のパイロットスーツ。怒涛の勢いで駆ける美女。目前に立ちはだかる泥まみれの角竜の足元も鮮やかにかいくぐり、息を呑む間に熊手のような右手の前に到達した。

 そして、ひざまずく。肩の震えが止まらない。

 すると頭上から、熊手のような手がぬっと伸びてきた。その殺意に溢れた構造からは考えられない繊細な動きで、美女の黒髪をかき上げ、頬に伝わる涙を拭う。

 美女は鋼鉄の指にすがりつく。

「こんな姿になってるなんて。でも、再び逢えて良かった。貴方、今はやはり……」

《今は[名無し]と名乗っているよ。ふふっ、おかしな名前だよね?》

 泥まみれの角竜は、二人の有様を見て溜め息をついた。こういう場面が苦手のようだ。しかし、先程までの殺気だった挙動はとっくに収まっていた。

 そして、更に遠くから見つめる深紅の竜。

 胸部コクピットハッチの少年は目頭が熱い。込み入った話しはこれから聞くとして、あの二匹の竜……黒鉄の奴と、泥まみれの奴の姿は、ジュニアハイスクールの教科書で見覚えがあったのをようやく思い出した。相棒に搭載のデータベースを閲覧しようかと一瞬思ったが、今は思い留まった。太古の昔にどんな通り名で呼ばれていようとも、今この場では「名無し」と「名捨て」という名前で親しまれていることは間違いなかったからだ。

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。