カウレス曰く、まず最初に”それ”に気がついたのは、自分の姉だったとのこと。
聖杯戦争は原則、人の目についてはいけない。神秘の漏洩は魔術師にとって最も許されざる罪。
だから誰もが、すでに起こった戦闘から読み取れる要素を、過去の文献から探る。
聖杯戦争の最中に事件に気を配る、というのはあくまで”昨日、どこそこで戦闘が行われた”、そういった情報を探り当てる程度にしか役に立たない。
そういう意味では新聞は注視されるほどのものではなかった。
だが、一つだけ。新聞が役に立つ場合が存在する。
相手が神秘の秘匿という大原則を知らない、あるいは知っていて無視している場合だ。
最初にフィオレが気がつけたのは、つまりそういう理由。
遠い過去の文献ではなく、ここ数日の情報を取り扱う新聞を読む癖が彼女にはあったから、最近発生しているその案件に気がつくことができた。
新聞の一面を飾っている内容は、ルーマニア全土で発生している殺人事件について。
場所は首都ブカレストに始まり、今現在では北上したのかシギショアラにまで到達している。
特に、”黒”の陣営を目を引いたのは、その全ての犯行で心臓が抜き取られていること。
それを指して、ジャック・ザ・リッパーの再来などと噂されているらしい。
彼らだけは知っている。
”黒”の陣営、その最後の一騎。未だミレニア城塞に合流していない”黒”のアサシンの真名がジャック・ザ・リッパーであることを。
「つまりこれは、魂喰いってことか?」
「だろうよ。姉さんもそう思ったはずだ。そうじゃなきゃ、行く意味がないからな。……まあ、姉さんの場合はそれだけでもなさそうだけど」
サーヴァントというのは、魔力喰らいだ。
現実に肉を持たず、魔力で肉体を編まれただけの彼らは、ただそこにあるだけでも魔力を消費し、あらゆる行動で備蓄した魔力を消費する。
ただ、その魔力が消費されるような事態にはそう簡単には至らない。
単純な話として、マスターという魔力源があるから、最後の手段である備蓄魔力にまで手を出す必要性がないのだ。
では、マスターがサーヴァントをまともに戦わせてやれない場合はどうなのか。
その場合もやはり、マスター以外の魔力源を見つければいい。
それこそが、魂喰いと呼ばれる行為。
心臓という、人間の生命の源であれば、それが魔術師ではなくとも多少の魔力補給にはなる。
「そのことはわかった。でもなんでわざわざそれを俺に言いに来た?」
”赤”のセイバーがモードレッドであるという通達がなされた時点で、ミレニア城塞の中に蔓延する空気は”キャスターを外に出してはいけない”ということで一致している。
当然そのことはユグドミレニアのマスターであるカウレスも理解しているものだと思われるのだが。
「簡単な話だ。お前の弟子、セレニケと一緒にいるんだろ? だったら、携帯……は魔術師らしくないからいいけど、何かの通信手段ぐらいあるんじゃないか? 気をつけろ、って一報ぐらいは入れられると思ったんだけど」
「弟子……ああ、愛歌のことか。わかった、すぐにでも連絡を入れとくよ」
昨晩、シギショアラで事件が起きたということは、今もシギショアラにいる、ということとイコールではない。
ジャック・ザ・リッパーのステータスがわからない以上、あるいは一晩走り続けてすでにトゥリファスにまで来ている、という可能性がゼロとは誰にも言えない。
「でも、アーチャーがいるなら、フィオレを気にする必要はないんじゃないか?」
「……いや、今回の事件の被害者は魔術協会の魔術師らしい」
「ああ、乱戦の可能性」
「そういうことだ」
ユグドミレニアのスパイは、当然魔術協会に潜んでいる。
そこから触媒の流れを探り、敵のサーヴァントの真名を探り当て、あるいは魔術協会側の動きに先んじて準備をすることを目的としているのだが、今回そのスパイが送って来た情報は、現在魔術協会側からルーマニアに密かに送り込まれた魔術師が殺されたということ。
それに伴い、ユグドミレニアは異常な情報収集能力を持つとしてスパイがいるのではないか、と疑われているらしい。
が、ここで重要なのは魔術協会側の魔術師がやられたということ。
普通に考えるならば、魔術協会と敵対しているという状況。”黒”のアサシンは己が”黒”の陣営への帰属意識、魔術協会が擁する”赤”と敵対している、と思ってもいいのだが。
ここで、こちら側に一報も入れないという事実がその考えの足を引く。
事ここに至るまで、”黒”のアサシンに関わる情報は一切なかった。
裏切った、と考えるのが普通のことで、でも単純に裏切り……”赤”の陣営についたというのならば、
つまり、アサシン陣営はどちらにも組していない、と考えるのが一番自然な結論。
その場合、”黒”のアサシンは”黒”と”赤”の両方が倒すべきだと思っている相手ということになる。
神秘の漏洩に近しい行為を行なっているのだから、最優先で。
フィオレが気がついた以上、”赤”の陣営が気がついていない、と考えるのはあまりに愚鈍。
「じゃ、行ってくる。連絡は頼んだ」
「おっけー。セレニケはどうする? そっちの援護に向かって欲しいっていうなら一緒に伝えとくけど」
「あー……そうだな、一応来てもらうように言っておいてもらってもいいか? 来てくれたなら撤退は楽になるだろうし」
「はいはい」
取り出すのは携帯。
あ、お前も電子機器使えるのね、というような顔のカウレスは放置して、愛歌に対する電話をかける。
『はいはい、何かしら』
「愛歌。なんか”黒”のアサシンが昨日シギショアラで発見されたんだと。こっちに来てる可能性もあるから、早めに戻って──って、はい……?」
なんだか、信じられないような言葉を聞いた、そんな顔をした。
「それで」
一体どういうことだ、とダーニックは困惑する。
「どういうことも、愛歌が”黒”のアサシンをマスターごと拾って来たとしか……」
一言でまとめればそういうこと。
聞けば『母親から子供の育て方を聞ける機会ってそんなに多くないじゃない?』と。
”黒”のアサシンが”黒”に協力することを条件に、これ以上魔術師を襲わなくても良いようにする、と。
そういう条件での契約は、つまるところ最初にダーニックが想定していた形に落ち着いた、とも言える。
「マスターは一般人。なるほど、それならば魔力供給ができずに魔術師を襲ったことも理解できる」
ついでに言えば、それも結果として魔術協会側からのスパイを排除することに繋がっているので、ユグドミレニアとしては利益しかなかった。
聖杯戦争についての基本的な知識もないというのに、生き延びてここまでやって来たこと、”黒”の陣営に有利な働きを成したこと。
そう言った点は、まず間違いなく評価に値する内容。
魔術師ならば、評価するに値しない部分。だが、魔術が扱えない状態の自分が彼女ほどスマートに行動をすることができるのか、と問われれば疑問を呈する。それほどの動きをアサシンのマスター、六導玲霞は行った。
故に、彼女の視点というのは、どこかで役に立つ瞬間が来るかもしれない、ダーニックにもそう思える。
現在は、アサシンとの契約を維持したまま、ホムンクルスからの魔力供給ラインを成立させるために魔力供給槽のある部屋に向かっているというアサシンのマスター。
昨晩の時点でシギショアラの魔術師を狩り尽くしたことで、トゥリファスにまで移動して来た彼女たちは、今夜にでも魂喰いを始めないといけない程度には残り魔力が少なくなっていた。
「フィオレたちが戻り次第、全員に通達せねばなるまいな」
最初の想定とは違う形で始まり、最初の想定よりも少し良い状況で決戦を迎えられる。
そのこと自体は喜ばしいが、確実な連携という点では外部の人間が二人、それも片方は魔術師ですらない存在がいるという状況の危うさ。
彼女に対する精神異常を防ぐ礼装を用意しなければ、と考えを張り巡らせるダーニック。
現在、”赤”の陣営で真名がわかっているのは
既に敗退しているので真名を知ることに意味がないのが
”赤”のランサーの真名はわからないが、
わからないのは、キャスターとアサシン。
この二騎は後方支援であり、むしろこちらのキャスターのように前線に出てアーチャーを串刺しにする方が異常なのだ。
だから、わからないというのは想定通り。
想定通りではあるのだが、だからこそそれが怖い。
ミレニア城塞は、彼の知る限り最高峰の工房だ。
キャスターの力添えもあって、もはや神殿クラスといってもいいかもしれない。
大聖杯が手元にある以上、こちらは打って出る必要性はなく、向こうは最終的に大聖杯を手に入れるためにはミレニア城塞を攻め落とさなければならない。
ミレニア城塞は、半世紀の準備とキャスターの数ヶ月分の工房としての強化がある。
城塞には数多の強力な魔術、結界が施され、サーヴァントであろうとそう易々とは攻略できないだろう。そう信じている。
だが、だからこそ安心などできないのだ。
セイバー、ランサー、ライダーの三騎は各々のクラスで最上位に名を残すレベルの存在。
もう、ここまで来ては認めるしかあるまい。魔術協会は、こちらの六十年を上回る触媒を用意している、と。
こうなるのであれば、触媒を自分で集めさせるのではなく、ダーニック自身が集めればよかった、などと思ってももはや後の祭り。
相手のキャスター、アサシンも最上位の存在である、と仮定して考えた方が気が楽だ。
最上位のキャスター、最上位のアサシン。
それがどういうものなのか、ダーニックには想像がつかない。
ダーニック自身、今の時計塔では最上位たる『
こちらの魔術工房をたやすく粉砕できたとしても、そうおかしくはあるまい。
暗殺者で言えば、どれだけの魔術工房だろうとまるでないもののように扱って平然と命を刈り取る。そんな可能性もある。
あるいは、大聖杯を奪い取るために、それをできるようにする準備を整えている、なんて可能性も。
聖杯戦争に勝利するための要素の悉くがこちらが上であるというのに、触媒一つで六十年分の研鑽を無味にされてしまってはただの阿呆である。
確かに潰したはずの、これから先のユグドミレニアの繁栄を邪魔する障害が、今また姿を見せて来たような錯覚をダーニックは覚えてしまった。
『ダーニック、それにランサーも』
その瞬間、届いたのは三つの情報。
一つは、”黒”のアサシンの魔力供給ラインが正式につながった、ということ。
”赤”が更なる侵攻を進めるよりも先に成り立ったことで、次の戦闘からはアサシンも戦闘に加えることができる、ということへの安堵が生まれる。
二つ目は、フィオレ、カウレスのフォルヴェッジ姉弟が帰還した、ということ。
これで、”赤”が攻め込んで来たとしても、合計八騎のサーヴァントで応対することができる、という第二の安堵が生まれる。
そして最後に──
「は?」
”赤”の陣営が、一両日中に攻め込んでくるだろうこと。
それだけならば別にいい。いつ攻め込んでくるにせよ、移動は必ず必要になるのだから。
だから、驚いたのは別の理由。
「空中を、拠点ごと移動している?」
その攻め込み方にあった。