供王珠晶に友人がいて、昇山の旅で死んでしまうお話。

※被殺願望杯参加作品

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悲運

 

「主上、このような所においででしたか。夜の露台は冷えますよ」

「……少し夜風に当たりたい気分だったのよ。でもあなたが来たせいで興が冷めたわ」

 

 露台に立つのは(あかがね)色の髪をした大柄な男と、小柄ながら豪奢な衣装を纏った少女。柔和ながら心配そうな顔つきをした男を背に、主上と呼ばれた少女は小さく溜息をついた。あまりに優しすぎる彼は過保護で仕方ないと内心で呆れてしまう。

 少女がほう、と息を吐けば白く凍った呼気が漏れた。冬の頃の夜はよく冷える。少女もそれをよく知っていたから、今回は大人しく忠告に従い室内へと戻った。その後を男が追い、丁寧に扉を閉める。後には雲海から吹き寄せる風だけが寂しく踊っていた。

 

 ──供王(きょうおう)ならびに供麒(きょうき)。それがこの二人を示す号であり、恭州国を治める要であった。

 

 供女王の治世は既に九十年を超えて久しい。それを成した王がほんの十二歳の少女であったというのも、今では国民の誰もが周知している。かつて存在した幼き女王への侮りや最早なく、今では紛れもない名君として讃えられているのが供女王──その(あざな)珠晶(しゅしょう)と言った。

 

 その珠晶は暖かい自室に戻るなり(くつ)を脱ぎ捨て足をふらふらと遊ばせていた。普段の利発で威厳ある態度をよく知っている供麒からすれば、たまに見せる子供らしさも微笑ましいものだ。彼は巨躯を折りたたんで飛んで行った鞜を拾うと、主の座る臥牀(しんだい)の横へと揃えて置いた。

 

「あら、気が利くじゃない。いつもなら履かせようとしてくるでしょうに」

「なんとなく、今の主上はそういう気分でないように見えたもので。余計な気遣いだったでしょうか?」

「まさか。むしろあなたが私の意を汲んでくれたことに驚きだわ」

 

 珠晶は「いつもこれくらい気が利いたら良いのに」とぼやいた。気の強い珠晶に対して供麒は性根が優しすぎるせいか、意見がぶつかることもしょっちゅうある。年月が経とうとこの辺りは些かも変わらなかった。

 そのまま髪飾りや上着を脱いでしまうと毛布の上で横になった。先ほどの夜風で頭ばかりでなく身体も少し冷えたのか、身をくるむように縮まる。

 

「どこかお加減が悪いのですか? やはり先ほどの夜風で身体を冷やしてしまったのでは──」

「……まったく、少し見直したと思ったらこれなんだから。あたしは王様で、めったな事じゃ病気にだってならないわよ。あなたもよく知ってるでしょ?」

「はい……ですが」

「ですがじゃなくて、余計なお世話よ。自分の管理くらい自分で出来るわ」

 

 つんけんと返されるのもいつもの事だ。傍から見れば善意を突っ返されてるようだが、珠晶も別に悪意がある訳じゃない。半身たる供麒はそれを知っているから柔和な笑顔を崩さなかった。

 

「たまに昔を懐かしんでたらこれなんだから。一人で物思いにふける時間くらい頂戴よ」

「それは申し訳ありませんでした。しかし昔のことですか……もしや、そちらの物と何か関係が?」

「あっ……あたしとした事が、油断したわ」

 

 供麒が目をやったのは、臥牀の上に無造作に置かれた布の塊だった。先ほど珠晶が寝転がった拍子に落ちたのだろう。珍しく珠晶がしまったという顔をする。

 供麒が手に取ったそれは布の塊というより、何かを包んだだけのようにも見えた。ずっしりと重たい。気になって布を解いてみれば、果たして出てきたのは無骨な短剣であった。とても珠晶に似合う代物ではない。

 

「まさか主上がこのような物をお持ちとは。しかしこんな物騒な物を持ち出して何を……」

「先に言っておくけど自害しようなんて訳じゃないからね。そんなことするくらいなら蓬山で禅譲してやるし、第一する気なんてさらさらないから」

 

 一息にまくし立ててから少女の姿をした王は呟く。

 

「それはただの忘れ形見よ。あたしの友達のね」

「忘れ形見、ですか」

「想い出の品ってだけじゃないわ。あたしにとってこれは──なんて、あなたに語っても仕方ないわね。忘れてちょうだい」

 

 ひらひらと手を振り、短剣を取り返しながら何でもないように珠晶は語る。

 だけど供麒の眼にはどうしてもそれが強がりに見えてしまったから。叱られるのを覚悟で口が動いてしまっていた。

 

「もしよろしければ、そのお話をお聞かせ願えませんか? お悩みならば不肖ながらわたしも相談に乗りますゆえ……」

 

 言ってから出過ぎた真似だったかとも思う。

 しかし、普段から強気で自信に満ちた主の珍しい様子に居ても立っても居られなかった。寒空の下で考え込んでいたのもきっとあの短剣絡みなのだろう。

 いい加減に引っ叩かれる覚悟をしながら答えを待てば、珠晶は「そうね」とだけ言った。浮かんだのは自嘲するような笑み、常ならば見られない。

 

「誰にも話したことは無かったけど、あなたになら良いかもね。慈悲とお情けでいっぱいにされたら気も紛れるかもしれないし」

「主上がそれを望むのなら、いくらでも」

「もう、冗談よ冗談。そんな面白い話じゃないのは事実だけど、いつまでも心配されてたら寝覚めも悪いわ。あたしも、そろそろ区切りを付けたいしね……」

 

 いつもの気丈さが嘘のような穏やかさ。供麒の勘違いでなければ落ち込んでいるのだろうか。

 珠晶は短剣を胸に抱いたまま、ゆっくりと語り出した。

 

「何十年も前、あたしがまだ登極する前の頃。緋雲(ひうん)っていう友達がいたの──」

 

 珠晶の生まれは恭国首都、連檣(れんしょう)だった。

 

 当時の恭は三十年近くもの長きに渡り王が不在であり、国土は荒廃の一途を辿っていた。田畑は実らず、天災が続き、妖魔が闊歩する末期の状態。誰もが新王を望んでいたが、もはや望みは薄かった。

 国の首都であろうとこれは同じで、珠晶の周囲でも妖魔に襲われ誰それが死んだだの、飢饉に見舞われどうしようもなくなっただの、そういう話ばかりが立ち上る。どこまでも暗く淀んだ時代である。

 

 だから珠晶も例に漏れず悲惨な幼少期を送ったかと言えば、そうでもない。彼女は連檣(れんしょう)においても著名な商人の娘であり、有り体に言えばご令嬢だった。大きな屋敷の窓という窓には妖魔対策の鉄格子が嵌められ、彼女自身にも杖身(ごえい)が常についている。食べ物にだって不自由はしなかったし、常に絹の服を着ていられた。

 

「自分で言うのもなんだけど、あの頃のあたしは恵まれてたけど貧しかった。学校の老師(せんせい)や友人の家族が日に日に欠けて、皆がその日のご飯を食べるにも苦労してるのに、安全なお屋敷で豪華なご飯を食べられる。それがすごい贅沢なのは分かるのに美味しいと思えなくて、やり辛いったらなかったわ。だけど不満を言えば怒られて何様だと思われるから、お嬢様として振る舞うしか他にないの」

 

 当時を振り返って珠晶は皮肉気に笑った。供麒はとても笑う気にはなれなかった。

 そんな様子も意に介さず過去の話は続いていく。

 

「ま、そんな可愛げのない子供だったせいで友達もあんまりいなかったわ。だけど少しくらいは居て、それが緋雲って子だったの」

 

 年は珠晶よりも一つ上だったから、当時は十三のはず。その名の通りに緋色の髪が鮮やかな大人びた少女で、凛とした佇まいはとても同年代に見えなかったと記憶している。珠晶と同じ商人の娘であったが、齢十にして親を亡くした経験が緋雲を否応なしに大人へと変えたのだろう。

 珠晶も同年代の子供に比べればだいぶ大人びてはいたが、緋雲ほど大人らしかったかと言えば首を振るしかない。あの頃はまだまだ精神的に子供だったと今なら言えるが、緋雲にそのような幼さを見ることは全然なかった。

 

「まだ幼い時分にいきなり親を亡くして拠り所を失い、恵まれてたのが一転して転落。普通なら天を呪いながら野垂れ死にか、さもなければ悪い大人に残った財産を食い物にされたのでしょうね。だけど幸か不幸か、あたしの家はその家財を買い取れるだけの力があった」 

 

 連檣において珠晶の父は万賈(ばんこ)とも称されていた。すなわち、手を付けていない商いが無い程に幅広く商売を行っているという意だ。よって誇張なしに珠晶の家は並ぶものなき大富豪であり、他の商人家族が残した家財を買い取ることくらいどうという事は無かったのである。

 

「その縁で、あたしと緋雲は出会ったの。今思えば随分と奇妙な縁だけどね」

 

 珠晶は薄く笑った。やはり供麒には笑うことが出来なかった。

 ──かつてはそんな不幸が当たり前にあったなどと、考えたくはなかったから。

 

 ◇

 

 供王となる以前、実に九十年以上も昔のこと。万賈の屋敷にて。

 程よく調度品の整えられた起居(いま)で二人の少女が向かい合っていた。

 

「あなたが緋雲ね? あたしは珠晶よ、よろしく」

「よろしくお願いします、珠晶様」

「あら、やだ、別に様なんて付けなくても結構よ。あたしと父は何も関係ないもの」

「そうですか、なら珠晶と呼ばせてもらいます。ええ、こちらの方が好ましいですね」

 

 あまり良い出会いでは無かったと思う。

 

 親を亡くして先行きに困った緋雲へ珠晶の父が接触を図ったのだ。緋雲の屋敷にはそこそこ珍しい壺やら堂福(かけじく)やらが収集されていたから、それを欲したのだろう。親ながら子供相手になんと抜け目がないと珠晶も呆れたものだ。

 とはいえ稼ぎのない子供が蓄えを作るのに好都合なのも事実だった。緋雲は親の形見となる冬器(ぶき)と家族同然だった騎獣を除いて、必要ないものはあっさりと売り払ってしまう。それで家財の引き渡しと金の受け取りの為に万賈の屋敷へ赴いた時に、二人は出会ったのである。

 

「あたしがこんな事言ったら怒るかもしれないけど、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってちょうだい。どうにかして力になるわ」

「ありがとう。その言葉だけでも救われました」

「……正直怒ると思ったけど、ぜんぜん怒らないのね。あなたの家族が大事にしてたものを、ほぼ強制的に買いあげちゃったのに」

 

 珠晶本人は身分や金持ちであることを鼻にかけたりはしない。態度こそ偉そうではあるが内心は誰に対しても公平であるし、むしろ自分とその周辺ばかりが贅沢している現状に居心地の悪さすら感じていた。何とかして払拭したいとも常々思っている。

 けれど周囲はそんな事情を汲んでくれない。下手に憐れみを向ければ『恵まれた立場の人間に何が分かる』と怒られるし、かといって相応の態度にしてみれば『それみたことか』と陰口を叩かれる。どうしたって先入観と偏見が付いて回ってしまうし、緋雲もきっとそうだろうと思っていた。むしろ恨まれたっておかしくない。

 

「今後も生きるためには仕方のないことですので。起きてしまったことは覆らない以上、前を向き続けないと破滅する。執着なんて以ての外でしょうに」

「へぇ、親を亡くしたばかりなのに割り切りが早いのね」

「そういう性格なもので。薄情だなという自覚はありますが、むしろ好意を嬉しく思いますよ」

「今の、皮肉のつもりだったんだけど」

「知ってます。でも事実ですから」

「参ったわね、素直に認めてくるなんて……降参よ降参、やなこと言ったあたしが悪かったわ」

 

 子供らしい短絡的な極論でも、莫迦(ばか)な大人の如き逃避でもなく、緋雲は自分の頭で考えて未来を見据えていた。言うは易しいが実行は難しく、珠晶と同じような年の少女がこれほどまでに達観していたことに驚かされた。

 仮に自分が緋雲の立場であれば、もう少し泣き喚いて地団駄を踏んでいたかもしれない──それを思えば落ち着き払った眼前の少女は外見以上に中身が成熟しているように思えた。

 

「こんな縁ではあるけれど、あたしは俄然あなたの事が気に入ったわ。助けになるというのも本心からの言葉だから何かあれば頼ってちょうだい」

「──改めて、あなたと出会えた事実を天に感謝いたしましょう。もはや天運も尽きたかと思いましたが、まだ一握の慈悲は残っていたようで」

 

 拱手(えしゃく)して礼を示す緋雲はやはり落ち着いていたけれど、どこか嬉しそうだったのは間違いない。

 そこでようやく緋瑞の年相応な姿を見れた気がしたから、珠晶もつられて笑みを浮かべたのだった。

 

 それ以来、二人は時間が合うと頻繁に顔を合わせるようになった。

 遊ぶといっても外で駆け回ったりは出来ない。少女二人程度、妖魔にとっては極上の餌でしかないからだ。よって場所は自然と珠晶の屋敷か、あるいは寂れの見えだした緋雲の屋敷のどちらかに絞られる。

 待ち合わせは大抵、珠晶が通う庠学(しょうがく)の門前だった。緋雲もかつては別の序学(がっこう)に通っていたらしいが、金を切り詰めるために辞退して久しいと聞いていた。だからいつも彼女が珠晶を待つ形となっている。

 

 その日も門の前に彼女は居た。珠晶の杖身たちに混ざり込んだ緋色の髪を見て、自然と足が速くなる。

 

「お待たせ、いつもごめんなさいね」

「お構いなく。学べる時に学ぶのが一番ですから」

 

 変哲もない会話が胸に苦しい。段々と着古し汚れていく彼女の服装から目を逸らす。

 ──何の憂いもなく学べている自らと比較してしまい、やり場のない感情を抱くのだ。

 

「今日も瑞蘭(すいらん)を連れてきたの?」

 

 誤魔化すように珠晶は訊ねた。

 緋雲の隣には縞模様の美しい吉量がいる。その名を瑞蘭と言い、緋雲の家族同然な騎獣だった。

 肉親を亡くした緋雲にとっては唯一の家族である。たとえ飼育するのに多大な金が必要だと分かっていても、手放す気はちっともないらしい。いつだってこの二人は共にあった。

 

「ええ、もちろん。この子も珠晶と会うのを楽しみにしていますから」

 

 瑞蘭の頭を緋雲が撫でれば、彼は嬉しそうに首をもたげた。よく懐いている。

 通常、騎獣となる妖獣は主に懐きすぎれば能力を落としてしまう。だけど緋雲は一切気にせず可愛がっていて、騎獣の好きな珠晶からしても好ましい姿勢だった。

 思えば共に騎獣が好きなところでも、この二人は相性が良かったのかもしれなかった。

 

「じゃあ行きましょうか。今日はあたしのお屋敷でいいかしら?」

「そちらさえ良ければ喜んで。家生の方とのお話も楽しいですから」

 

 告げて、緋雲は軽業のようにひらりと瑞蘭の上に飛び乗り、珠晶へ手を差し伸べた。友人の身体能力が非常に高いことを珠晶も知っているから、さして驚きもせず騎獣の上に引き上げられる。高いところは、目線が拓けて好きだった。

 こうしてどちらかの屋敷に向かい、共に過ごしてから解散するのが頻繁に行われていたのである。

 

 

「あたしも緋雲も騎獣が好きで好きで仕方なかったから、特に騎商については良く話したわ。お互い将来は騎商になるか、さもなければ騎獣を捕らえる仕事に就ければいいなんて話もしたかしら」

「騎商ですか」

「ええ、そうよ。それで好きなだけ騎獣に触れて、色んな所を旅して見分して、自由に生きることが出来たら素敵だなんて漠然と考えてた。まさか王様になって(まつりごと)に関わるなんて夢にも思わなかったけどね」

 

「獣は獣でも、宮廷に巣食う豺虎(けだもの)たちを狩る羽目になるなんて、うんざりしちゃった」と、嫌そうな顔で珠晶は呟いた。思わず供麒も顔をしかめる。

 実際、僅か十二歳の少女の登極(当局)は苦難の連続だった。たかが小娘と舐めてかかる官吏たちにどれだけの苦渋を舐めさせられたか、王も麒麟もありありと思いだせる。今でこそ順調だが初めの十年はとても大変だった。

 

「……そのお友達が共に朝廷へいらっしゃれば、主上ももう少し楽になれたのでしょうか?」

「さあね、仮定を考えても仕方ないわ。友人だからと傷を舐め合うだけで潰れたかもしれないし、現に居なくとも何とかなったのだから。……いいえ、そもそも友人だからと仙に召し上げること自体が言語道断ね、それじゃ職権乱用よ」

「はぁ」

 

 珠晶らしいといえばらしい、割り切りの良すぎる考え方だった。

 それが供王としての矜持であり、同時に少女としての強がりでもあったと供麒は知っている。

 

「それに、本当にこの仮定には意味がないの。だってあたしが登極した時にはもう、緋雲は居なかったから」

「……申し訳ありません、出過ぎたことを訊ねてしまいました」

「別に謝らなくても良いわよ。気にしてないとは言わないけど、ある程度は決着を付けたことだから」

 

 だけど、心の底ではまだ(わだかま)りが残っていた。

 どうしても割り切ることの出来ない、底の底に秘された想いが残滓として燻ぶっている。

 その感情を誤魔化すように珠晶は話を変えていく。薄暗い部屋の中、己が掌を見た。

 

「供麒、あなたも知っているでしょうけど、王の両手は血で汚れているわ」

「主上」

「そんな悲しそうな顔しないでよ、ただの事実の確認よ。罪人の処刑でも内乱の鎮圧でも、なんなら暗殺者を退けたでも構わない。王になった時点でその椅子は血に塗れることが決定してるの」

「しかし、主上が手を掛けた訳では」

「同じことよ。あたしが直接冬器(ぶき)で誰かを殺すのと、刑罰の執行書に御璽(ぎょじ)を押すのは同等の意味を持つ。どれだけ自分は無関係だと叫ぼうが、決して逃れることの出来ない事実なのよ」

 

 淡々と語る己が主の言葉を従者は否定できなかった。

 残酷だがこれもまた真実だ。無血で清廉で潔白な王など何処にもいない。あるとすれば、それは必ずや何かしらの矛盾を負う。理想だけに殉じて現実を見れない王の末路など語るまでもないだろう。

 故に、不思議だったのは──思い返せば珠晶は最初からこの責任に向き合っていたことだ。誰かの命の行く末を預かることに対し、物怖じせずに投げ出さず、正面から向き合っていた。当初は過酷な黄海を越えた者の胆力かとも考えたが、もしかしたら。

 

「この短剣の持ち主だった緋雲は色々あって大昔に死んだわ。だけど親しい間柄の死を知ったから責任もって誰かの行く末を左右することも出来る。要するにそういう事で、たまには思い出の品を引っ張り出して初心に帰ろうってだけの話よ」

 

 昔語りはここで終わりとばかりに珠晶は有無を言わさず打ち切った。明らかに話の途中だがここで終わりにしたいらしい。

 しかしどうしてか、今度の供麒は普段よりも若干粘り強く、また鋭かった。

 

「もしや、主上がその短剣を振るう機会がおありだったのですか?」

「……ほんっとうにもう! なんであんたはこういう時だけ察しが良いのよ! いつもみたいによく分からないですって顔しとけばこれで終わりにしようと思ったのに!」

「主上が話すと仰いましたから。あなたの(しもべ)として、最後まで付き合うのが責務と感じましたので」

「そう……まあ良いわ、自分の半身を相手に前言を翻すのも後味が悪いし」

 

 深呼吸して怒気を鎮めると、観念したように溜息をつく。月明かりに照らされた横顔に普段の気丈さは残ってない。

 それから、ゆっくりと吐き出すように語り出した。

 

「あたしが家を飛び出して昇山(しょうざん)した時もね、緋雲はわざわざ追いかけて来たのよ。どうせ待っててくれる家族も居ないから、って。笑っちゃうでしょ、連檣から遠く離れた(けん)まで騎獣(すいらん)に乗ってさ」

「ということは、もしや──」

「ええ、そうよ。緋雲も一緒に黄海(こうかい)に入った。あたしが意地でも帰らない、昇山するって言ったらじゃあ着いてくって譲らなくて。問答する暇も無かったせいで押し負けたわ」

 

 普通、王にならんと志す者は自らに天命があるかを推し量るべく、麒麟の住まう蓬山へと赴く。これを指して昇山と呼ぶが、並大抵の苦労では顔を見る事も叶わない。蓬山と国の間に広がる水のない海──妖魔の住まう黄海が行く手を阻むからである。

 珠晶はこの昇山を果たして王に選ばれた人物であり、大人でも苦労する一月半の道程を僅か十二歳の少女が乗り越えるなど前代未聞だった。

 

 そして、供麒は思い出した。蓬山から王気を感じた故に黄海へと出向いた彼であるが、その時珠晶の近くに居たのは二人だけ。片や護衛に雇った朱氏(しゅし)──黄海に精通した人物だ──と、片や黄海に似つかわしくない奏の風来坊。主以外の少女の姿など何処にもなかった。

 まさか妖魔に、と最悪の想像が頭をよぎる。けれど珠晶の次の言葉は、その最悪すら軽々と超えてしまうものだった。

 

「あたしは……この手で緋雲を殺したわ。まだ死にたくないと言った彼女を、何よりも大切にしていたこの短剣で」

 

 声が微かに震えていたのは聞き違いではないだろう。旧友の血に塗れた後悔を、珠晶は初めて誰かに告げた。

 供麒はしばし迷った。どうするか決めあぐねて、けれど結局、滅多に見せない弱音を吐いた主に対して何を言えば良いのか分からず、ただ寄り添うように主の隣に座った。

 

 一呼吸置いて珠晶は語る。

 

「王の手は遅かれ早かれ血によって赤く染まるもの。だけどあたしの場合は、玉座に座る前からそうだった──」

 

 ◇

 

 人界と黄海を繋ぐのは四つの門、これ以外に黄海へ入る術はどこにもない。

 恭は四つの門の内、令乾門が存在する国だ。一年の内で二日だけ開くその門から、珠晶と緋雲は共に黄海へと入ったのである。

 それからおよそ十日あまり。雇った案内人の事もあり、昇山の度は想像よりも順調に進んでいた。

 

「まったく、どうしてあなたまで着いて来ちゃったのか。令乾門も閉じたからもう後戻りは出来ないわよ」

「承知の上です。年下の友達を一人残して帰るなんて薄情な真似できませんよ」

「初対面で自分は薄情だと言ってたのはどこの誰かしら?」

「さぁて、誰なのやら」

 

 連檣に居た時のような気負いのない軽口を叩けるのが珠晶にとっては嬉しかった。いくら順調とはいえ、気心の知れた友人が居るのはそれだけで頼もしい。もちろん自分を追いかけ黄海にまで飛び込んだ姿勢に思う所はあるけれど、その話はもう散々済ませた後だった。

 

「元気があるのは結構だが、ここはもう黄海だという事を忘れるな。いつまでも人界にいるつもりならさっさと回れ右して帰ることだな」

「まあまあ、下手に落ち込まれるよりは全然良いことじゃないか。第一、今更戻ったところでもう遅い」

 

 ぶっきらぼうに少女二人を咎めたのは朱氏(しゅし)──いわば黄海の旅を熟知した者だ──の頑丘(がんきゅう)で、それを窘めたのは何処の出身かも不明な風来坊の利広(りこう)であった。

 片や蓬山までの案内人として雇った者、片や勝手についてきた風変りな旅人に、昇山の中でも若すぎる少女たちを交えた四人が珠晶たちの一団であった。

 

「お生憎様、ここが黄海だってことはあたしも緋雲もしっかり自覚してるわ。その上で緊張しすぎて身体が硬くならないように力を抜いてるだけよ」

「……ったく、つくづく口だけは達者な奴だ。力を抜きすぎて妖魔に喰われても自己責任だ、俺は面倒見ないぞ」

「あら、それじゃそっちの損よ。あなたはあたしたちを生きて蓬山まで送り届ける、見返りに残り半金を受け取るんだから。死んじゃったら契約の半分だけになっちゃうもの」

 

 だからしっかり案内して守ってね、と笑う珠晶を見て、頑丘はそっと息を吐いた。弱気に囚われないのは評価するが、強気すぎるのも考え物だ。過度な自信と慢心を持てば容易に命を落とす。黄海(ここ)はそういう土地だ。

 朱氏である頑丘は黄海の危険性をよく知っているし、専門ではないが素人を連れて黄海を進むことも不可能ではない。けれど、素人が三人も揃ってしまえば、道行に不安を感じるのも当然だった。

 

「どうも、珠晶がすみません。跳ねっかえりですけどあれで忠告は素直に聞く方なので、どうかよろしくお願いします」

「だったら良いんだけどな。おまえはまだ真面(まとも)そうだから言っておくが、ここじゃ俺たちの言葉が絶対と思って動いてもらう。もしあのお嬢さまが反対したら命はないぞ、上手く制御してくれ」

 

 脅すような言葉にも黙って緋雲は頷いた。仲良しな二人だというのに、聞き分けの良さは正反対だ。

 

「君も珠晶に巻き込まれた口かい? にしても、友人を追って単身黄海に乗り込むとはね、恐れ入る」

「それほどでも」

「ははは、否定しない太々しさはそっくりだ」

 

 爽やかに笑ったのは利広の方。自らの騎獣の横を歩きながら緋雲へと話しかける。

 

「でも、本当にそれだけなのかい?」

「と、言いますと?」

「いや、友人が心配になって追いかけて来るのは理解できる。けれど命の危険を冒してまで黄海に踏み入るには、どうも理由が弱い気もしてね。何か他にも、のっぴきならない訳があったとか?」

 

 このとき、珠晶はちょうど利広の顔を覗き込むような位置取りだった。

 故に笑みが立ち消え、真面目な表情で緋雲に問いを投げた彼の雰囲気が、普段と大きくかけ離れていることに気が付いた。覗かせたのは年齢にそぐわぬ老獪さ、だろうか?

 

「ちょっと利広──」

 

 踏み込んだ質問をする同行人を制止しようとするが、それよりも緋雲が答える方が早い。

 

「友人が心配だったから。案外と自分が王になれる可能性もあるかもしれないから。ついでに言えば、別に失うものなんて何も無いから。これじゃ理由としては不足ですかね?」

「不足ではないが……少し解せないな。損得勘定抜きで命を懸けられる人間はそうそういない。私も、頑丘も、何かしら目的があるから命を懸けられる。しかし君には、そこまで強固な芯の部分を感じない。もしかしたら──なんてね」

 

 言外に何を伝えんとしているのか。見透かすような利広の瞳からは意図が一つも汲み取れない。

 けれど緋雲は察しているのか何も答えなかった。表情は笑っているが瞳がちっとも笑ってない。そのような顔を珠晶(しんゆう)は初めて見た。

 気まずい沈黙。それを打ち破ったのは頑丘だった。

 

「取り込み中悪いが、そろそろ野営の準備だ。各自準備に入れ」

「ん、了解した。悪いね、変なことを聞いてしまって。年寄りの戯言だ」

「いえ、お構いなく。この水の無い海を進むのに口論をしてはやってられないでしょう」

「その通りだ。くだらない問答をしてる暇があるなら手を動かして夜に備えろ」

 

 ぶっきらぼうに肯定した頑丘の言葉でもってこの問答は終了した。どちらもすぐに切り替えて言われた通りの準備に入る。

 その中で珠晶は考えてしまう。つまるところ先ほどの利広は、ほんの数日程度の関わりで緋雲の内面にまで踏み込んだ。これまでの数年親友として付き合ってきた珠晶よりも、無遠慮ながらある意味ではずっと深いところまで。

 波風を立てず仲良くやってきたのは事実。でも両親の喪失や家財の売却という踏み込み辛い過去を持つ緋雲へ、深く踏み込もうと考えたことは一度も無い。賢明だが、臆病だった。

 

「やだ……あたし、嫉妬でもしてるのかしら」

 

 火を起こすための枝葉を集めながら、珠晶は呟くのだった。

 

 

「正直に言えばあたしには今でも緋雲が黄海まで追いかけて来た本当の理由が分からない。利広とあたしとじゃ年季がちょっと違いすぎるわ」

 

 はぁ、と可愛らしく溜息をして珠晶は頭を抱える。偶然に出会った旅人が実は南の大国奏南国(そうなんこく)の太子であり、共に昇山をした時点で五百歳を超えていたと知った時は大層驚いたものである。九十年経った今でも百歳程度の彼女とは物の見え方、考え方も違うだろう。

 

「友情があったから追いかけてきてくれた、そう信じたいのは山々ね。だけど他にあたしには想像もつかない理由があったとしても驚かない。利広の見立てだもの、きっと外れてはいないと思うわ」

「あの方の言ならば、確かに」

 

 今でもたまに恭の王宮へふらりと訪れる風来坊を思い出して苦笑してから話を戻す。

 

「あたしはね、本当に大莫迦(ばか)だったのよ。自分で色々考えて最善を尽くしたつもりだったけど、浅慮で見通しが甘くて、何よりも子供だった。今だから落ち着いて振り返れもするけどあの時はちっとも分かってなかったの」

 

 室内に差す月光が翳った。

 暗い淀みのような風。いつも快活で自信に溢れた女王に似つかわしくもない、後悔に似た感情。

 いや、今の珠晶を端的に示すのならば。胸に秘め続けてきた内心の吐露、懺悔であるかもしれなかった。

 

「その認識の甘さが緋雲を殺した。あたしはそのことがずっとずっと、胸に残ってしょうがなかったのよ……」

 

 ◇

 

 珠晶たちの昇山の旅は一向に順調であった。

 妖魔の出る川が何故か涸れて安全に渡れ、常には襲ってくるはずの妖魔がどうしてか都合の良い時機にしかやって来ない。黄海の厳しさに慣れた者からすればあまりに都合の良い旅路である。

 だがこれは決して偶然ではなく、滅多に起きることでもない。麒麟へ会いに蓬山へ赴く集団の中に居るのだ──本当に王となる者が。これを特別に鵬雛(ほうすう)と呼び、この者がいる限り昇山の旅路は格段と楽になる。

 

 しかし逆に言えば。

 旅の途中で鵬雛を失ってしまえば、恵まれた天運のつけが一挙に禍として降りかかることになる。

 

「あの気の強い嬢ちゃんが妖魔のいる方へ行っちまっただと!?」

 

 剛氏(ごうし)の誰かが叫んだ。彼らは朱氏の中でも昇山者の護衛を主にする者であり、やはり黄海の旅路に詳しい。 

 それがこうも色を変えて叫んだ理由は簡単だ。道の途中に存在した人為的な倒木、その先へと昇山者の何名かと珠晶が勝手に進んでしまったからに他ならない。

 倒された木は他の朱氏が残した”この先に手が付けられない妖魔が居る”という目印だ。だから迂回する手段を考えていたというのに、自分の荷物と今後の旅路に目の眩んだ莫迦たちが突っ込んでしまった。

 

 さらに性質が悪いことに、朱氏たちが揃って鵬雛だと睨んでいた珠晶までが、この一団に着いて行ってしまったことだ。

 原因は些細な事から発展した頑丘との口論であるが、この際理由はどうでもいい。事情を知る者は誰もが厄介なことになったと頭を抱えていた。

 

 その中で曲がりなりにも珠晶を頭として集っていた三人は、今後の岐路を考えている最中だった。

 

「さて、珠晶はみすみす死地へと飛び込んでしまった訳だが、君はどうする頑丘(がんきゅう)?」

「あいつが行きたいと言い、俺は既に半金も貰い解雇された。なら後はどうなろうと知ったことじゃない」

「ふむ、それもそうかもね。そちらはどうするんだい、緋雲?」

 

 利広は試すような口ぶりで敢えて珠晶を行かせた。そこにある思惑を頑丘と緋雲は分からない。

 頑丘は用は済んだとばかりに黙認している。情で動く人間でもないと利広も緋雲も理解していた。

 

「私は──珠晶を追います」

 

 緋雲は迷わなかった。今ならどちらの手段も選べると利広と頑丘は知っていたし、彼女の選択に驚かない。

 

 珠晶の友人として身一つで追いかけてきた緋雲には自らの騎獣と冬器(ぶき)がある。急いで追いかければ十分に間に合うだろう。しかし当然、命の危険も覚悟した上で追わねばならない。そこまでの覚悟をたかだか十三の少女にいきなり求めるのは酷なのだが……最初から黄海という死地に飛び込んだのだ、今更躊躇いなどしない。

 

 だから利広がこれを問うたのも、敢えてやったことなのだろう。

 

「行くのかい? 止めはしないが私たちも同行はしない。友人といえど明らかな愚を犯した者の為に命を投げ出すと」

(ずる)い言い方をしますね、あなたは」

 

 緋雲はただ微笑んだ。

 

「私にはもう、前へ進む以外に道は残ってないんです」

 

 ──あらゆる全てを失ってしまったから。

 

 ◇

 

 朱氏らから外れた珠晶たちの旅が順調だったのも最初のみだ。

 夜中の妖魔襲撃から旗色が悪くなり、逃げるように先を急いだ。馬車や馬を持つ者だけが我先にと駆け抜け、徒歩でしかない従者たちは置き去りにされていく。そうして少しずつ少しずつ、あたかも妖魔に弄ばれるようにして人の数が減っていく。こうして誰かが犠牲になっている間に昇山者たちは蓬山へと逃げのビルのだ。

 

「なのにわざわざ戻ってきたと。まったく、珠晶らしいというか何というか」

「それを言うなら緋雲だって、危険だと分かった癖に追いかけて来るなんて。見捨てたって文句は言わなかったわよ」

「ここまで来て我が身惜しさに逃げるのも寝覚めが悪いですから」

 

 結局、他の者と一緒に先へ進んだはずの珠晶は戻ってきた。自分の中で様々な折り合いを見つけることが出来たのか、見捨てられた従者たちを再編してもう一度蓬山への旅を始めたのだ。まさにその最中、騎獣に乗って追いかけてきた緋雲とも再会し、こうして共に前を向いて歩いていたのであった。

 

「というか、追いかけてきたならもっと早くここまで来ると思った」

「黄海を騎獣で駆け抜ける……なんて真似が出来ないことくらい、珠晶は知ってるでしょう?」

「ま、原因である妖魔があたしたちを狙ってるんだから取り越し苦労だったかもね」

 

 今や珠晶の主導で蓬山を目指している一行だったが、このまま進むには大きな問題を抱えていた。倒木の先が禁足地となっていた理由、他でもない強大な妖魔である。

 この妖魔は他のものより賢く強力であるらしく、毎度人間を一人か二人さらっては甚振(いたぶ)るように殺し、去っていく。ただ快楽の為に殺す厄介な妖魔であり、それが珠晶たちをつけ狙って執拗に追いかけ来るとなればたまらない。

 

「目下のところ、あの妖魔を何とかしないとあたしたちは朱氏と合流できない。ちゃんと脅威を分かっていた人たちのところにむざむざ妖魔を連れて帰れるもんですか」

「なるほど、確かに」

「だから何としても妖魔はここで狩るか、せめて追えない程度に足止めするわ。あなたの冬器(たんけん)も頼りよ、お願いね」

「やるだけのことは、善処しましょう」

 

 妖魔に普通の武器は通じない。特別な呪のかけられた品が必要であり、これを特別に冬器と呼ぶ。一つ手に入れるにも値が張る代物であり、この黄海ですら昇山者たち全員が冬器を持っている訳ではない。

 故に冬器を持つ緋雲の存在は貴重である。まして持ち主が類まれな身体能力の持ち主であり、この黄海でも身軽に動ける人間となれば頼りにするのも無理はない。

 

「作戦は?」

「もちろん考えてるわ──」

 

 

「後で聞いた話だけど、あたしたちを追いかけてきた妖魔は朱厭(しゅえん)というそうよ。赤い大きな猿に似た姿をしてて、狡猾で凶悪なんだとか。ま、今更知ったところで関係のない話だけどね」

 

 当時を懐かしみあっけからんと珠晶は笑った。供麒はゆっくりと相槌だけを打つ。

 

「結論から言えば朱厭の退治は成ったわ。運よく玉と油を手に入れたからうまいこと妖魔を酔わせて火をつけて、後は緋雲の短剣で斬りつけた。ここまでは良かったんだけど……やっぱり語らないと駄目かしら?」

「それで主上が救われるなら如何様にでも」

「無いわね、うん。この内心を吐き出さないことにはきっと、あたしはいつまでも胸につかえを持つことになる。それも御免だわ」

 

 自分でも答えは分かっていたのだろう、返事は何処までも明瞭だった。

 国を背負う王なのだから、いつまでも過去に拘ってはいられない。しかし過去を顧みて区切りを付けることが出来なければ、いずれ後悔は自らの背に追いつく。

 だからきっと、今がその時なのだ。

 

「朱厭退治は確かに順調だった。けど最後の抵抗のせいであたしだけ皆とはぐれちゃって、そして……」

 

 ◇

 

 状況は想定以上に悪い。

 珠晶と緋雲で妖魔への囮になり、酔ったところに火をつけて斬るところまでは良かった。けれどそこで妖魔も命の危険を感じたのか滅茶苦茶に腕を振り回し──運悪く珠晶の服の裾に引っかかった。

 

「珠晶!」

「緋雲!」

 

 名前を呼び合い咄嗟に腕を伸ばした。炎を恐れず前に出るが、届かない。

 朱厭が跳躍する。一息に逃げる算段、珠晶も引きずられて空を舞う。

 その瀬戸際で緋雲が頭上を通過する珠晶の腕を掴んだ。けれど妖魔の爪は想像以上に深く食い込んだのか、外れることなく緋雲まで引きずられてしまう。

 

 向かう先は森の中。火達磨になった朱厭に連れられるまま暗がりの中へと落下した。

 

「──っ、緋雲!?」

「だい、じょうぶ……っ!」

「大丈夫って……怪我してるじゃない!」

「大したものじゃない! 構わないで!」

 

 珠晶と緋雲にとって幸運だったのは、着地の衝撃で服に引っかかっていた爪が外れたことだろう。二人で抱き合いながら少しの距離を転がって衝撃を殺せば、すぐ目の前には子供一人分程度の亀裂がある。落ちていればどうなっていたことか。

 だがそれよりも緋雲が怪我をしていたことが珠晶にとって気掛かりだった。服の右足部分が大きく裂け、赤く血が滲んでいる。朱厭の爪か落ちた時の衝撃か、とにかく早く治療せねば黄海では命に関わる。

 

「それよりも妖魔がまだ死んでない。手負いの獣ほど危ないから油断しないで」

「え、えぇ、分かってるわ」

 

 強い口調に押されてたまらず珠晶も頷く。

 暗がりの先には赤々と燃え上がる妖魔の影がある。まだ死んでいない。火を着けられ、冬器で斬られたというのに大した生命力だ。どこか覚束ない弱弱しい足取り、けれどその瞳は間違いなく二人の少女を射抜いていた。

 

「襲われる前に死ぬと思う?」

「あまり期待しない方が良いでしょう。死なば諸共、道連れにしてやろうなんて考えてるかも」

「だったら──」

 

 危険はあるが迎え撃つしかない。瀕死の妖魔を返り討ちにして息の根を止めるのだ。

 足に怪我を負った緋雲にその役を任せる訳にはいかない。確実を期すなら、安全を取るなら、幸いにも無傷だった珠晶が前に出るしかないだろう。

 

「あたしがとどめを刺すわ。緋雲、あなたの短剣を貸してちょうだい」

「それは……! だめ珠晶、私がやります!」

「その足で言われても説得力無いわよ! いいから貸しなさい、どうにかしてみせるから」

 

 時間が惜しい。こうしている最中にも火に覆われた妖魔が飛び掛かってくるかもしれない。言い合っている猶予など何処にもなかった。

 半ば無理やりに短剣を奪い取ると震える手で妖魔へと切っ先を向ける。怖い。冬器なんて持ったことのない少女の手、刃のずっしりとした重さが想像以上に感じられた。

 

「あたしがやらないと、ここで共倒れなんてご免なんだから……!」

 

 武器なんて振ったことがない。ただの少女が妖魔の身体能力に追いつくなど不可能。でも向こうは既に狙っているから、やられる前にやるしかないのだ。

 

「ここまで強運に助けられてきたんだから、一度くらい自力で何とかしてみなさいよあたし!」

 

 自分を鼓舞して震えを止めた。その瞬間、妖魔と視線が合う。

 息が止まった。足が竦むのを気合で堪える。妖魔も最後の力を振り絞っているのか、痛みと熱に悶えるでもなく珠晶を真っすぐに狙っている。

 

「来るなら、来なさいよ──」

 

 強気に呟いたその時、妖魔が飛び掛かって来た。

 速い。まったく目に追えなかった。気が付いた時には目の前に居て、炎の熱が肌に熱い。

 大きく振り上げられた腕が、その先の爪が、いやに大きく感じられた。

 

「あ」

 

 どこか間抜けな声が珠晶の口から零れる。

 油断はしていなかったが、どこまでも見積もりが甘かった。瀕死といえど少女一人で相手に出来るほど妖魔とは生易しい相手ではないのだ。分かっていたはずなのに大原則を見落とした。危険と勝機を天秤にかけて見誤った。

 反応できない。爪で引き裂かれる。咄嗟に目を閉じ、せめて痛くなければ良いなと考えて、それは無理だろうとすぐに考え直した。緋雲が無事ならせめてもの幸いだが見届けることも出来なさそうだ。

 

 終わりは随分と淡白で呆気ないものだ。諦めて妖魔の一撃を受け入れて──後ろから身体が突き飛ばされた。

 

「な、え……!?」

 

 急な衝撃で地面に倒れ込んだがそれだけ、傷なんて身体の何処にもないし痛くもない。いったい何が起きたと目を見張れば、珠晶の代わりに、緋雲が、爪に切り裂かれて、

 

「緋雲!」

 

 叫んだがもう遅い。胸を上から下に一直線、飛び散った鮮血が炎にかかり蒸発する。

 それと同時に緋雲が短剣を振り抜いた。反射的に珠晶が手元を見れば握り込んでいたはずの短剣がない。突き飛ばされた衝撃に離してしまったのを即座に回収したのか。その一閃が炎を切り裂き、妖魔の皮すら貫いて、今度こそ確実にとどめを刺した。

 どっ、と音を立てて二者が倒れた。慌てて起き上がった珠晶がまだ燃え盛る妖魔から緋雲を離す。急いで止血しようと片手の袖を切り裂いて縛るが、血は一向に止まらない。呼吸が段々と浅くなる。

 

「今止血するから動かないで! ああもう、こんな時こそ落ち着かなきゃなのに……!」

「珠晶……」

「だから動かないで! あと喋っちゃだめ! なんで、どうしてそんな傷を負ってまで、あたしを庇ったのよ……」

 

 あのときあの瞬間、間違いなく珠晶は死を覚悟したし死んだと思った。なのに緋雲が捨て身で庇って、そのせいで彼女は重傷を負ってしまい……何が何だか分からないけど、とにかく行動しなければ緋雲が死ぬ。この一点だけは言われるまでもなく理解していたから手を止めない。

 

 だというのに。

 

「珠晶……私を、置いていって」

「な……何言ってるのよ大莫迦! あなたを見捨てて一人で蓬山なんて目指せるものですか! 必ず生きて、あたしと一緒に蓬山に行って、帰りは雲海から送ってもらうの! そうでしょ!?」

「だから、その目的の邪魔に、私はなっちゃうから……あなたは先に行って」

「そんなこと、出来る訳ないでしょう! あなたの騎獣、瑞蘭がいれば他の人と合流することだって!」

「たぶん、駄目。瑞蘭だってすぐには、辿り着けない。ここが何処なのか珠晶は分かってるの……?」

「それは」

 

 緋雲は友達だ。珠晶を追いかけ黄海にまで来てくれて、今も庇ってくれたというのに。

 ここで見捨てて先へ進むなんてこと、出来るはずがない。だから意地でも助けるのだと意気込む珠晶へ、緋雲はそっと手を伸ばす。血塗れの右手ではなく、まだ綺麗な左手を。

 

「さすがに妖魔に食べられて死ぬのは嫌ですから、ね……せめて一思いに介錯してくれれば、嬉しいな」

「そんなこと頼まれたって──」

「しなきゃいけないんです、あなたは。だって、王になるのでしょう? なら私を犠牲にしてでも、蓬山に行かなくちゃ」

「あたしは、王になんて」

 

 本当に王になれるなんて、思ったことがない。

 強気で自信に満ち溢れた少女の隠していた本音を聞いて、緋雲はただ微笑んだ。

 

「そう思えるからこそ、あなたにはきっと……王の資格がある。私は、そう思うんです」

「そんなの詭弁よ! 王の椅子なんかよりあなたが生きてる方があたしはずっと嬉しい!」

「……ありがとう。あなたになら、私は殺されても悔いはない」

 

 左手に握られた短剣がゆっくりと差し出される。妖魔の血に塗れ、それでもなお白銀の煌きが目に眩しい。

 これで親友の命を奪えというのか。首を振って突き返そうとした珠晶へ、さらに強く短剣が差し出される。

 

「いつまでも此処にいれば、いずれ血の匂いに惹かれて他の妖魔もやってくる。だからお願い、私を殺して、あなたは生きて……こんなところで二人一緒に死ぬ必要なんて、無い」

「だとしても……そんな……」

「こうしてる間も実は結構、苦しくて痛いのですよ……だから私を楽にするついでに、あなたも得をすればいい」

 

 実際、緋雲の呼吸は急速に浅くなっていた。傷口からは今も確かに血が流れ出し、それと共に命の熱まで奪われているのだ。確かな治療道具も技術も存在しない現状、緋雲の死亡は秒読みだった。

 苦しませるくらいなら殺した方が良い。理屈は分かる。分かってしまうから……気が付けば珠晶は短剣を受け取っていた。

 

「あたしは、諦めたくない」

「うん」

「でも、あなたがもうどうしようも無いというのなら──この刃を、振り下ろすわ。友達として」

「普段より……聞き分けが良いですね」

「仕方ないじゃない……! あたしがいくら駄々をこねたって状況は変わらない! それが緋雲を苦しませるというなら、あたしは!」

「私だって、本当は死にたくなんてないけれど……痛いのは、嫌だもの。ごめんなさい」

「謝るくらいなら、最初からこんなこと言わないでよ……!」

 

 心は千々に乱れた。友達を助けようと足掻くのは当たり前に正しいし、これ以上緋雲が苦しまぬよう願いを聞くのだって正しいことだろう。どちらも正しく、なのに願う正しさを珠晶は貫けない。貫けないから、緋雲の語る正しさに従うしかない。

 これほど力が欲しいと思った時が珠晶はなかった。物理的な力でも、誰かを従わせる力でも、あるいは王と言う力でも何でも良い。たった一人、友人を助けられるなら何でも良いのに。

 

 現実にはまだ何も持たない無力な少女だ。

 故に、握りしめた短剣を振り抜く以外に出来ることなんてない。

 

「緋雲……ありがとう。あなたと友達になれて、本当に良かった」

「私もですよ、珠晶……あなたが羨ましいと思ったこともあるけれど、すごくすごく楽しかった」

「出会いの切っ掛けはあんまり、良くなかったものね」

「えぇ、本当に……瑞蘭を、よろしくね。あと、良い王様で、いてね」

 

 珠晶は頷いた。涙が一筋、頬を伝る。

 

「──さよなら」

 

 緋雲の刃が、振り下ろされた。

 

 

「あたしは結局、緋雲を殺した。彼女が望んだとか、それが一番正しかったとか、言い訳は出来るかもしれない。でもあたしがこの手で、この短剣で、殺してしまった事実は変わらないの」

「主上……」

 

 ようやく語り終えた主を前に供麒はどんな言葉をかければ良いか思いつかなかった。

 聞かされた内容は想像以上に重くて痛く、その場に居なかったはずの供麒ですら胸が痛んだ。まして当事者であり親友を殺すことになった珠晶の内心は果たしていかほどであったのか、想像もつかない。

 

「あたしはその後、何とか立ち上がって歩き出したわ。みっともなく泣いて足を止めたら緋雲の死が無駄になってしまうから。その後はあなたも知っての通り、頑丘たちと合流して、色々あって、最後はあなたと誓約を交わした」

「ええ……覚えておりますとも。あのとき確かに、主上からは微かな血の匂いがしたことも」

「しかもね、瑞蘭は結局見つからなかったの。何処に行ってしまったのかも分からないまま、主を亡くした騎獣は黄海に消えてしまった。もしかしたら主に殉じたのかしら」

 

 確かめる術はない。真実は黄海が飲みこんでしまった。

 今更確かめようにも瑞蘭は既に死んでいるだろう。不老の王と違い現実の九十年はかくも重たい。

 

「王とは血で玉座を維持するもの。まして血を流さぬ(まつりごと)なんてあり得ない。あたしはそう考えて今まで王様をやってきたし、この認識はこれからも変わらない」

 

 玉座を預かる者として、強い口調で断言した。

 

「緋雲を殺したのだって、大局で見れば王として必要な流血だったと考えることも出来るわ。つまりは王を生かすための犠牲だったんだから」

「主上、その仰りようは……!」

「……言われなくても分かってるわよ、莫迦。むしろ緋雲のことだけは今もこうして割り切れてない。理屈の上では他の流血と何ら同じはずなのに、こうして今も悩んで惑っているの」

 

 王がこんなことで良いのかと何度も悩んだ。泣きそうになったことなど数えきれない。

 その度に何度も何度も涙を拭って、自分にしか出来ない事を成すために立ち上がった。珠晶は供王だ。恭国の中で一番偉い立場に居て、一番の贅沢が許され、故にこそ誰よりも重い責任を負っていると自覚している。挫けることなど許されない。

 

「あの時下した判断が正しかったのか、あたしは今も迷ってる。もし玉京(ぎょっけい)の神があたしの旅を見守っていてくれたなら、どうして緋雲は助けてくれなかったのか不満を言いたい気持ちもある。どうして、緋雲が死ぬ必要があったのよ……!」

 

 きっとこれが、珠晶の本心。

 誰にも言えずに抱え込んだまま拗らせて、それをようやく、自らを選んだ慈悲の獣に吐き出すことが出来たのだ。

 であれば、気丈な王の本音を唯一聞き届けた者として、供麒の言うことは決まっていた。

 

「迷い、悩んでも、良いのではありませんか……? たとえ王とて後悔をせず生きる者は居ないでしょう。後悔して、次は良い選択をしようと決断するための糧として、大いに迷って良いものと私は思います」

「……どうなのかしら。王様がそんな調子じゃ皆不安になるでしょうに」

「私はいつも主上に心配されておりますが、政務はなんとかなっておりますよ」

「それは普段からぼんやりして覇気がないからでしょう! まったく……あなたを見てると確かに少し迷ったところで平気な気がするわね」

 

 呆れたように腰に手を当て叱る姿はいつも通りの珠晶だった。その当たり前の姿を供麒は嬉しく思う。

 やはり供王珠晶は、歯切れよく喋っている姿が一番だ。

 

「あたしは今でもずっと、緋雲を手に掛けてしまった自分が許せない。この先も忘れることなんてあり得ないでしょうね。この短剣を見返す度に本当に正しいこととは何か、次こそ大切な人を救うことが出来るのか、不安に苛まれるわ」

 

 それでも、と珠晶は言う。

 

「あたしは供王だから。親友を犠牲にして座った玉座と言われようが関係ない、与えられた責任の分だけ仕事を果たすし、それが緋雲との約束でもあるんだから」

「……僭越ながら、私にもそのお手伝いをさせていただければと」

「当然よ、というかもっともっと働いてもらわなきゃ承知しないんだから。さ、この話もここでお終い、あたしもやっとつかえが取れたわ。今日は熟睡できそうよ」

「それは良かったです」

 

 珠晶は丁寧に短剣を仕舞い、衾褥(ふとん)の上で横になった。

 それを見届けてから供麒が退出しようとしたところで、小さな声が背中に追いつく。

 

「ありがとう、供麒。あたしに最後まで話させてくれて」

「あなたの半身でありますから。主がお辛いのでしたら当然のことです」

「そう……じゃ、おやすみなさい」

 

 供麒はそっと、臥室(しんしつ)の扉を閉めた。

 


 

 私は、珠晶が羨ましかった。

 

 同じ裕福な家庭に生まれたというのに、どうして辿る人生はこうまで差がついてしまうのだろう。片や親を亡くし、片や親に庇護されている。片や形見と家族の騎獣以外に全てを売り払ったのに、片やいつまでも失うことなく持ち続けている。すごくすごく、不平等ではないか。

 醜い感情だという自覚はあった。珠晶を責めて解決する内容じゃないし、彼女自身はとても気持ちの良い為人(ひととなり)をしているから、余計に何も言えなかった。

 

 珠晶は私のことを大人らしい人間だと思っていたようだけど、それは違う。ただ諦観していただけだ、本当は。突然の不幸に心が麻痺して、それ以外の不幸に対して鈍感になった。だから思い出の詰まった家財を売り払うことも出来たし、落ち着いていられた。でも感性自体は普通だから、後になってやっぱり思うところが出てしまう。珠晶と遊ぶときだって、綺麗な彼女の服と比較して、自らの格好のなんてみすぼらしい事か。比較してしまい絶望する。

 前を向いていた訳じゃない。執着してない訳じゃない。ただ現状から一歩前に踏み出すことが、出来なくなってしまっただけ。執着したって何も残せないと諦めて、醜い嫉妬をしてしまう自分が嫌になり──綺麗な珠晶の友達という立場が、惨めだけど楽しくて。

 

 だから珠晶が黄海に向かったと知ったとき、千載一遇の機会だと感じた。

 すべてを失った自分でも昇山を果たし、麒麟に会うことが出来れば何かが変わるのではないか。不幸な過去という殻を破り、本当の意味で大人らしく前を向いて歩き出せるのではないかと考えた。

 ……白状しよう。珠晶を追いかけるという親友としてあるべき言葉は二の次だった。もちろん心配ではあったけど、それよりも止まってしまった私の時間が、ようやく動き出すのではないかと興奮ばかり。この旅路が人生の転機になってくれることを期待した。 

 

「不足ではないが……少し解せないな。損得勘定抜きで命を懸けられる人間はそうそういない。私も、頑丘も、何かしら目的があるから命を懸けられる。しかし君には、そこまで強固な芯の部分を感じない。もしかしたら──なんてね」

 

 だから、共に昇山の道を歩いた利広の言葉には驚かされた。

 彼にはどうやら私の内面が見えていたらしい。ともすれば失礼に当たる言葉だが、全部事実だから反論はしなかった。強固な芯の部分──私はそれを見つけるために、この水のない海へやって来た。命を懸けるのが手段ではなく、ある種の目的となっていたのだ。

 珠晶がわざと危険な道を選んで進んだときも、追いかけることに躊躇は無かった。どうせすべてを失くした身空なのだ、やるならば劇的な展開を求めていたし、友達を見捨てることもまた出来ない。退いたところで何も得られない、ならば前に進むのみ。

 

 だのに気付けば、他人のために我が身を(なげう)ってしまった。

 

 妖魔の一撃から反射的に珠晶を庇ってしまい、今や虫の息である。これから先を生きるために、変わりたいと願ったから黄海まで来たのに、死んでしまっては元も子もない。頭では理解してたのに気付けば身体が勝手に動いていた。

 つまり、珠晶の存在がそれだけ私の中で大きかったのだろう。自分の願いよりも先に彼女を助けたいと願ってしまった。こんな空虚な自分より、誰かのために頑張りたいと決意した小さな少女を応援したくなってしまった。

 

「そんなの詭弁よ! 王の椅子なんかよりあなたが生きてる方があたしはずっと嬉しい!」

「……ありがとう。あなたになら、私は殺されても悔いはない」

 

 こんな言葉がするりと出てきてしまったのも、要は絆されたからだろう。

 珠晶はきっと王になれる。私は麒麟なんかじゃないけれど、不思議と確信が持てた。だから彼女の行く先を阻むことは出来ないし、重石になんてなりたくない。見届けられず、変わることも出来ないのは口惜しいけれど、それで良いかと爽やかな気持ちで思えたのだ。

 

 私は最後まで、綺麗な人間にはなれなかった。

 他者を羨み、比較しては自己嫌悪して、変わる切っ掛けさえ友の行動に依存して。どうしようもなく泥臭くて仕方のない人間であったと思うけど、こういう最期を迎えることが出来るなら、せめて報われるのかもしれない。私の大切な友人が、私の死を忘れないでくれるなら、それも良いかもしれない。我が身の悲運を呪いながらみっともなく退場しよう。

 

「──さよなら」

 

 振り上げられたのは、両親の大切な形見である短剣。あれが今から私の命を奪うというなら、そこに不安は何も無い。

 ……いや、少しだけ嘘をついた。やっぱり死ぬのは怖い。死んだ後でどうなってしまうのか分からないから恐ろしい。思わず涙が出そうになって、でも最後くらいは綺麗なままでいたいから我慢した。もう血塗れだけど気にしない。

 

 願わくば、珠晶が良い王となってくれますように。

 そしてもう一つだけ許されるなら。珠晶が自ら手を下したという行いが、空っぽな私に意味を与えてくれますように。

 ああ、それとそれと、これからは瑞蘭も自由に生きてくれれば──


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