原作:Fate/Grand Order
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もしもキリシュタリア・ヴォーダイムが、ギリシャ異聞帯に吹く一つの風を見つけていたら。
『確率を測定。キリシュタリア・ヴォーダイムの目標到達地点を設定』
『異星の神、クリプター、カルデアのマスターを仮想敵と設定。異聞帯の生存競争における目標到達までのシミュレーションを開始』
――穏やかとは言い難い風の中で、男は目を覚ました。
目を開いて数秒、それまで起きていたことが夢だと把握する。
男の表情は険しかった。起き上がることもなく、開いた目を再び細める。
「おはよう、キリシュタリア。あまり聞きたくはないが、どうだった?」
「……ああ、おはよう。最悪だったよ。全て失敗したばかりか、誰一人生き残れなかった。流石にここまでの完敗だと、気落ちするな」
その夢は、男がそれまで体験した結末の中でも特段に劣悪なものであった。
道行に不備はなかった筈だ。思い返してみても、道中は完全であったと評価できる。
しかし、最後の一歩。何より力強く、確実に踏みしめなければならない一歩で、躓いた。
あまりにも致命的な躓きだった。
結果として、男は敗れ、競った者たちも全滅し、最後の手段として後を託すべき相手さえ生き残ることは出来なかった。
これでは駄目だ。最終的に何を拾うにしても、この結末だけは認められない。
ほんの一抹の希望さえないこの惨状は、何があろうともあってはならない。
「そうかい。ここまで来て、まだ完敗の出目があるか。それならば、まだ終われないと進言するけど?」
「勿論。このカードは山札の底も底に沈めなければ。出来れば記憶からも捨て去りたいのだが、一度でも体験してしまった以上それが出来ないのが悔しいよ」
男は自嘲するように、傍に座るつば広帽の少年に微笑みかける。
「考慮していない事態になるよりマシさ。……しかしだ。また、彼らが来るその瞬間からかい? ハッキリ言ってそんなところから始める必要は――」
「……一度目が終わった時、その問答はした筈だ。何度問われても、私は同じ答えを返すよ」
「――まったく、恐ろしいよ。僕たちですら億劫に感じる数の試行錯誤を、人間がやってのける意地が。君が僕を見つけてくれたのは、実に幸運だった」
「私でなくとも、他の誰かに機会があればやり遂げるだろうさ。背負うものがあれば、道がなくても止まらない。人間は、そういう生き物だ」
それは、覚悟の再確認。
一体何度、心を折られるようなバッドエンドを見せられれば気が済むのだろう。一体何度、同じことを繰り返せば不可能だと分かるのだろう。
少年がそう思いながら男の挑戦に付き合っていたのも、今は昔。
男は決して止まらない。決して諦めることはない。少年はそれを知っている。
だから、この男に託した。この男の命の炎に、自分の権能の全てと、遠からず訪れる己の終わりを薪にしてくべてやると決めた。
枯れた体であっても、精神はまだ瑞々しく。信念と意地は赫奕と己の道行きを照らしている。
納得できないからと不要な人理救済の繰り返しに挑み、不要と断じられた者たちを再び立ち上がらせ、尚も決意に燃えている。
――何を馬鹿なことを。
人間は立ち止まる生き物だ。この男のように、見えもしないほどの光明に手を伸ばし、道の途絶えた行き止まりを掻き分けて進むようなことは、普通は出来ない。
自分たちが属する世界はそうだった。この男のいた正しき世界では――いや、それもあり得まい。
少年は男がどこか、人間そのものへの信頼を込めた発言を単なる冗談と受け止めた。
異なる世界の見たこともない人間なぞどうでもいい。今、考えるべきは目の前のこの男だけだ、と――。
「夜は長い。まだまだ回数はこなせるだろうが、いけるかな?」
「勿論。可能な限り繰り返すさ」
「了解だ。それじゃあ、お休み。良い夢を」
少年がくい、と持っていた杖を振れば、男は再び目を閉じる。
また、ほんの数分にして何日、或いは何十日と続く長い夢が始まるのだ。
『全異聞帯の確立を確認。一つたりとも綻びはなかった。正常な地表の漂白を以て確率を修正』
――どこか懐かしい風の中で、男は目を覚ました。
目を開いて数秒、それまで起きていたことが夢だと把握する。
男は笑みを浮かべていた。全てを成し遂げた歓喜ではなく、路傍に一輪の花を見つけた時のような小さな笑みを。
「おはよう、キリシュタリア。何か良い事があったようだね?」
「……ああ、おはよう。そうだね、今回は駄目だったが希望を託せた。合格点としては最低ラインではあったけど――」
それは、男の望みが断たれ、しかし寸での所でこの星の全てが終わるようなことはなかった、ありふれた結末。
だが、一つだけ、これまでと違っていた。
「……彼が喚ぶサーヴァントに、ヒナコがいたんだ。流石に驚きを隠せなかったよ。そういうこともあるのか、って」
「それはそれは。彼女は聞いた話じゃあ、なんかこう……大丈夫だったのかい? ここに来る以前に、アトランティスの海嘯とか」
「ふっ……いつか、私も同じようなことを彼女に言ったよ。彼女は西洋の伝承で見られるそれとは別物だ。流水も日光も平気だそうだよ」
「じゃあ素晴らしく最強だ。さぞ縦横無尽の大活躍だっただろうね」
この場にいない、男のかつての同胞が、相手として立ち塞がったのである。
可能性がない訳ではない。だが、人間の、人類史の危機を告げられようと無関心を貫くだろう彼女が、敵ながらこの地での戦いに関わったという事実は、男にとって小さくない衝撃だった。
そうであっても、敵は敵。男のやるべきことは変わらず、それまでと同じように接し、そしてまた、駄目だった。
ゆえにこれで納得する訳にはいかない。これもまた、考慮すべきだが受け入れる優先度としては限りなく低い結末だ。
「……彼女が人理の味方につく可能性があった。大きな発見だよ。どんな小さな可能性でもあり得るのだと勇気付けられる」
「それじゃあ、また行くのかい?」
「勿論。結局のところ、私が実際に歩める未来は一つだけなんだ。間違いなくそう出来るという確信はまだない」
百回のうち、百回成功した。それでは足りない。
千回やって一回でも大敗の結末があれば、その懸念は完璧でなければならない歩調を崩し不和を齎すだろう。
であれば、目指すべきは一万分の一。
全てを省みれば、気が狂っても仕方ないほどの数日間の繰り返し。
それを男は一つたりとも忘れることなく、最善に向けた糧としている。
あくまでもそれは、限りなく現実に起こる可能性が高いだけのシミュレーションに過ぎない。
過去、現在、未来に吹く全ての風を演算する少年の権能が齎す、泡沫の夢。
その予言に拘束力はない。だからなんだと捨て置いて、故意に別の未来を歩めば簡単に吹き飛んでしまうような代物に過ぎない。
ゆえに、そんな予言をひたすらに受け続けることを男は選んだ。
ほんの一歩が違えば、その先の未来は大きく変わる。
蝶が羽ばたき、赤子の寝息にすら及ばない風を起こした。春を告げるようなそよ風に、花が揺れた。――何でもないような風を、たまたま意識した。
そうした、ごく僅かな何かの積み重ねで編まれる未来を、より好ましく確実なものにするために。
「――二度寝三度寝、或いは何百何千……寝坊助は結構だがそろそろ現実見るべきじゃねえか、マスター」
その時、一騎のサーヴァントが、二人の乗る風に荒々しく乗り込んできた。
槍を肩に担いだ、海神の威風を宿した強大な英霊――否、神霊。
男の他に唯一、この風の在り処を知る
「
その歯を見せた挑発的な笑みに、男も笑って返す。
「……それもそうだね。夢に溺れて現実を蔑ろにしたら本末転倒だ。ありがとうカイニス。だけど一つだけ訂正を。おままごとじゃなくて、これから始めるのが本番だ。台本もないし、決まっている訳でもない。ここから彼が予言するどの未来を辿るかは、誰も分からない」
「ハッ、その不確定な未来を盤石にしようとしている人間が何を言ってるんだか。いいぜ、テメェがどういう過程を望んでいるかは聞かねえ。汎人類史のマスターとやらとテメェら、誰が生きて誰が死ぬか、暫くは高みの観戦と行こうじゃねえか」
ここからの無数の偶然により、夢の中で歩んだ道のどれだけが無駄に帰すか、という思考は男にはなかった。
すべてを活かす。ただの一つも無駄なものなどなく、すべてが男が身命を賭して挑む人類の変革に必要な道程。
誰が生きて誰が死ぬか。それは重要ではあるし、可能な限り途中で誰かが脱落するのは避けたい気持ちはあるが――あくまで、他の異聞帯に余計な干渉はしない。
――ゼウスに匹敵するロシアの王が他の異聞を踏み砕くほどの力を持とうと。
――北欧の隠し玉たる巨人王が異聞帯の王を凌駕し暴走しようと。
――中国の王が世界の外側を知りそこにさえ支配の手を伸ばそうと。
――ユガの流転をも掌中に収めたインドの王がこのギリシャを敵と判断しようと。
――イギリスの異聞帯が、南米の異聞帯が、どれほどの予想外を生み出そうと。
すべて、この計画が到達点に辿り着けば終わりだ。
そこまで滞りなくこのギリシャの運営を続け、空想樹を守り切ればいい。
「それじゃあ、行ってくるよ。また明日の夜に」
「ああ。戻ったら結果を聞かせてくれ。他の何を忘れても、地球の最後の希望にして我らの滑り止めが現れることは皆に伝え忘れないことだ。しょうもない油断で君の友が喪われるのは、僕も好ましくないからね」
「そこは抜かりなくやるさ。私のサーヴァントが予言した、とでも付け加えれば皆も気を引き締めるだろう」
男とサーヴァント、二人が風の外に去っていくのを見送ると、少年は杖を風に靡かせるように揺らしながら息をつく。
さてさて、どうなることやら。他人事のようで、しかし懸念を隠さない呟きは、風の外に漏れることなく消えていった。
『カルデアのマスター、ロシア異聞帯に浮上。確率を微修正』
『ロシア異聞帯、消滅。空想樹オロチ伐採。クリプター、カドック・ゼムルプス生存。確率を修正』
『北欧異聞帯、消滅。空想樹ソンブレロ伐採。クリプター、オフェリア・ファムルソローネ死亡。確率を大幅に修正』
『中国異聞帯、消滅。空想樹メイオール伐採。クリプター、芥ヒナコ反応消失。確率を修正』
『インド異聞帯、消滅。空想樹スパイラル伐採。クリプター、スカンジナビア・ペペロンチーノ生存。確率を微修正』
『イギリス異聞帯、空想樹セイファート伐採指令完了報告。クリプター、ベリル・ガット生存。確率を修正』
『カルデアのマスター、ギリシャ異聞帯に接近。確率を修正。目標到達までの進路固定率九十四パーセント』
『キリシュタリア・ヴォーダイムの実働領域に到達したため、シミュレーションのパターン拡張を終了。目標到達確率、九十一パーセント。予備パターンA到達確率七パーセント、予備パターンB到達確率――』
――どことなく不吉な、生暖かい風の中で、男は目を覚ました。 目を開いて数秒、それまで起きていたことが夢だと把握する。
男は表情を引き締める。それが、この風の中で見る最後の夢だと理解した。
「おはよう、キリシュタリア。これでめでたく残機はゼロだ。本番前の最後の予行練習はどうだったね?」
「……ああ、おはよう。それなりに上手くいったよ。……君やカイニスも含め、舞台に上がった者たちで最後に立っていたのが私だけであることを除いて、ね」
悲願は果たされた。たった一人、変革が成った世界で、男は立っていた。
幾度となく歩んできた道だ。目標が達成された結末としては点数の低いものだが、それでも合格点であることには変わりない。
「なんだよ、有終の美は飾れなかったってか。詰めが甘いぜマスター」
最後の一夜の旅を傍で見下ろしていたサーヴァントは、冗談半分に男を嘲る。
ここまでのすべてが駄目であろうとも、本番では間違えることはない。それをサーヴァントは確信している。
この男はそういう人間だ。渡るかもしれないし、渡らないかもしれない無数の石橋を、考え得るあらゆる手段で調べてから渡る男だ。
「確かに。本番では注意しようか」
「おう。死ぬ寸前まで注意しやがれ。その間の御守くらいはやってやる」
ゆえに、あと考慮すべきは男でも、サーヴァントでもない誰かが、どんな道を歩むか。
ゼウスの選択によっては、その他の懸念すべてを擲ってでも空想樹を守らなければならない。
カドック・ゼムルプスやカルデアのマスターの選択によっては、計画の破綻を考慮し保険の優先度を上げなければならない。
スカンジナビア・ペペロンチーノの選択によっては、彼にもこの風を知らせ、後を託すことも考える。
異星の使徒たちの選択によっては、時期尚早であっても彼に出てきてもらわなければならなくなる。
ベリル・ガットの選択によっては――――
「――行くのかい?」
「ああ、ここまで世話になったね。望むべくは、あとは全部終わるまで顔を合わせないことなんだが……」
「勿論、僕もそれを望むさ。もう間もなく、僕はキリシュタリアやカイニスを忘れ、この世界に吹くただの風に戻る。首尾よくいけばそれでよし。そうでなかった時のために――アトランティスの連中くらいは押さえておくさ」
アルテミスだけはクソ面倒だが、と付け加え、少年はこれからの行動に思いを馳せる。
それは、ともすれば永劫の別れになるかもしれないひと時だった。
そうならないためにここまで幾度となくシミュレーションを繰り返してきたが、それでも現実は異なるということを、男は知っている。
カルデアのマスターが、目の前の少年が演算した未来を超えることはあり得るし、正直なところ――それほどの成長を、男は望んでいる。
異星の神など最たる想定不可能要素だ。
これまで歩んできた仮想の戦いのどれとも異なる路を辿ると、男は曖昧に確信していた。
少年も、サーヴァントも、それを知っている。全員が留意していて、限りなく意味はないと思い、それでも男は果てしない繰り返しに挑むと宣言した。
万全を期して、全霊を尽くし――“まだ”夢という余裕があってしまうと、不満そうに笑いながら。
「いいかい、キリシュタリア、カイニス。もう今更言うまでもないことだけど、本番前だから言わせてもらう。来たる時まで僕の名前は絶対に出すな。最低でも、ゼウス様がもう終いだという段階までは、何があっても」
「心得ているよ。カルデアがゼウスを討つならそれでよし、もし私や君の予想が外れて、私がゼウスと雌雄を決することになったら、そこは私がどうにかする」
「ま、あのガキ共がゼウスをどうにか出来るとも思えねえけどな。それより先にクズのアルテミスに吹き飛ばされる気しかしねぇが……」
「手は抜かないが、断言するよ、カイニス。少なくともカルデアは絶海を突破してくる。そうでなくては、困る」
世界を引っ繰り返すことに慣れた敵への信頼。
仮想ではなく、実際に“憐憫”の獣が企てた人理焼却から世界を救って見せたカルデアのマスターを、男は最後の敵と見ている。
願わくば、ゼウスでも異星の神でもなく、あのマスターとこそ、世界の命運を賭して戦いたい。
人の弱さを抱いたまま世界を救い、四つの異聞を淘汰した。そしてこのギリシャをも踏み越えようというならば、やってみるがいい。
「では、カルデアがその期待に応えることを願うとしよう。アトランティスを突破し、オリュンポスに座す勝利した神々をも打倒し、君の喉元に食らいつくと」
「ああ。その上で、私はこの“神を撃ち落とす”戦いに勝利する。勝利して見せる。この先の世界を生きるべきは、異星の神でも、ゼウスの支配する世界でも、汎人類史でもなく、私が変革した世界だ」
それを知っているのは、地球上でこの場にいるたった三人のみ。
男が行おうとしている世界への変革。人という存在に齎される最大最終の革命。
サーヴァントは、それを面白いと笑い、その瞬間まで男の槍であろうと決めた。
少年は、それを面白いと笑い、飽きるほどに神々に愛された世界を託せると判断した。
ゼウスはそれを知らない。まるで幼稚な悪戯を企む子供のように、三人は言葉なく微笑みを交わした。
「せっかくだ、キリシュタリア。存分に楽しめよ。そうしたら、君が引っ繰り返せない淵に立たされた時、最高に爽快な大逆転で以て、絶望をぶっ壊してやろう」
「ああ――望む結末ではないが、そうなったら、最後に君を頼りにさせてもらう。契約としてではなく、友人として」
「は――ただの人間と成り上がりが友人になる日が来るなんて。きっと汎人類史の僕でもなかっただろうさ」
「ちょっと待て、オレはテメェと
「まあまあ。一緒に笑い合った仲だ、そういうのもありだろう、カイニス」
「おまえも本番前に腑抜けてんじゃねえぞマスター!」
「いや、十分真剣なつもりなんだが。君が相変わらず素直でないから指摘をだね――」
漫才を始めた二人を穏やかな表情で見つめながら、少年は杖を置く。
最早夢の出番はない。後は現実に吹く風が、どのような場所に辿り着くかだ。
神を撃ち落とす日。
男にとって運命の日にして、少年にとっての終着点。
秒読みとなったその時に向け、これより同胞たちを大いに冒涜することになるトリックスターの心持ちは、春風のように軽やかだった。
――そうして、絶海に踏み込み、カルデアは神々に挑む。
『アルテミス、機能停止を確認。旗艦ゼウスより委譲された特殊制御権限を発動。尚、臨戦時機能制限規約により旗艦ゼウスへの報告信号は百五十日後に実行するものとする』
『ポセイドン、機能停止を確認。旗艦ゼウスより委譲された特殊制御権限を発動。尚、臨戦時機能制限規約により旗艦ゼウスへの報告信号は百五十日後に実行するものとする』
『デメテル、機能停止を確認。旗艦ゼウスより委譲された特殊制御権限を発動。尚、臨戦時機能制限規約により旗艦ゼウスへの報告信号は百五十日後に実行するものとする』
『アフロディーテ、機能停止を確認。旗艦ゼウスより委譲された特殊制御権限を発動。尚、臨戦時機能制限規約により旗艦ゼウスへの報告信号は百五十日後に実行するものとする』
『現・機能停止艦全機の特殊制御権限受信を確認。これより旗艦ゼウスに代わり臨時命令を発行する』
『集合せよ』
『集合せよ』
『旗艦ゼウス、機能停止を確認。これにより当艦を臨時の旗艦とする。機能レベルを昇格、前旗艦ゼウスに対し、特殊制御権限を発動』
――ああ。全能神ゼウス。親愛なる父上。なんとも久しい。僕のことを覚えているだろうか。
『稼働中のアレスと同一艦を確認。特殊制御権限の実行不可能のため、本作戦には組み込まないものとする』
――誰かって? ……そう、そうでなくてはつまらない。
『母艦カオスを確認。本作戦には組み込まないものとする』
――末期となってようやく面白くなってきた世界だ。一万余年ぶりに舞台に上がる者として、貴方に名乗ろう。
『母艦カオスの信号消失。本作戦の第二段階に移行する』
――我が名は――
『――目標、
やはりか、と男――キリシュタリア・ヴォーダイムは妙な感慨を抱いていた。
全て、順調だった。そして同時に、この最後の最後に引っ繰り返される可能性も思い描いていた。
一つだけ予想外だったのは、その王手を打った人物が、異星の神でもゼウスでも、カルデアのマスターでもなかったことか。
「しかし、些か意外だった。君がそこまで軽率だとは。サーヴァントも連れず、後先考えずにやってくるのは君らしくないと思うが、ベリル」
――ベリル・ガット。
ああ、幾度と繰り返した夢の中には、彼によって変革が閉ざされる結末もあった。
思えば――完敗の結果に至る場合、殆ど何かしらの形で彼が関与していたかもしれない。
ゼウスは討ち果たされた。
そして、目論見通りキリシュタリアはカルデアのマスターと対峙し、人と人との頂上決戦は、汎人類史の希望が一歩勝った。
しかしそれでも、キリシュタリアの野望は終わらない。戦いでは負けたとしても。目の前の人間がどれほど素晴らしいとしても。完成された空想樹は渡せないと、立ち塞がって見せた。
戦場たるオリュンポスの頂点に人知れず現れた第三者、ベリルを自然体のままに警戒しつつ、キリシュタリアは空想樹を見やる。
――
何百回、何千回これに類する夢を見たことだろう。
もう少し何も感じないと思っていたキリシュタリアは、自分が予想以上に口惜しく感じていることに気付く。
何千回失敗しても。何万回成功しても。それでも自分の全てであるなら価値が薄れることなどないようだ。
――炎が広がっていく空想樹。
異星の神に備えての砦であった第三のサーヴァント、巨神アトラスはその炎に耐えながら、どうにか座を守り通している。
その炎は他の空想樹から枝を通して移ってきたもので、他の異聞帯に干渉しないルールと、宙に向かい際限なく枝を広げる空想樹の性質から、どうにも対処できないものだった。
「おいおい、冷静じゃねえのヴォーダイム。まさか何、察してたってか? オレがアンタを後ろからブスッとやりたがってたって」
「まさか本当に、というところかな。聞きたいのだが、何故私の邪魔をする? 異星の神から解放されたくないと?」
「……いやぁ、それはまあ、願ってもないかもだが……」
いつも、大して対話をする前に夢から覚めていた。
だからキリシュタリアは、ベリルの動機を知らない。
彼もまた、異星の神に命を握られている。この計画が成れば、異星の神は地球に降臨出来なくなり、契約から解放されるばかりか神に昇華される。
良いこと尽くめだ。彼には、この計画を邪魔する理由がない。
「分からないよなぁ、ヴォーダイム。その質問に答える前に、こっちから質問。なんでブリテン異聞帯を切り捨てようって思った? アンタ、こっちに来た事なかったろ?」
「……考察さ。ブリテンに異聞帯が現れるとしたらそれは星を道連れにするものだ。異星の神とは異なる、しかし等しく危険な
「そいつは結構! アイツらに乗った甲斐があった!」
ベリルが問いを返すと、キリシュタリアは己の見解を口にする。
それが求めていた以上のものであると分かるとベリルは我慢ならないとばかりに笑った。
「礼に教えてやるよ。どうしてオレが
「――――ッ」
思わず、キリシュタリアは息を呑んだ。
ベリルを狙って、遥か上空から降ってくる膨大な熱量。
たった一人の人間を撃ち抜くのではなく、辺り一面諸共、灰すら残さず焼き尽くすほどの、規格外の光。
「あれは……ロンゴミニアドの……!?」
神々やキリシュタリアとの戦いを通して、既に満身創痍となっているカルデアのマスターもまた空を仰ぎ、呆然と呟く。
ブリテン異聞帯に在りし、最果ての輝き。
あれはかつて、人理修復の旅路で戦った騎士王の成れの果てが有していた槍の光と同じ。
いや――それにすら勝る、神罰にも等しきもの――。
「……なるほど。アレは防がなければならないものだ。回避しようと思って出来るものでもなく、叶ってもあの光は都市部まで全てを貫き、私の野望に万が一すらなくなる」
「ご名答! ならアンタがやれることはただ一つだ。気張れよヴォーダイム。受けたことはねえが、ありゃあ効くぜ?」
ベリル・ガットは確信している。キリシュタリアが全力でアレを防ごうとすると。
そうなれば、隙だらけとなった彼の末路など誰が見ても明らかだ。
ほぼ余力を残していないカルデアの面々も間に合わず、ベリルの犯行は堂々と行われよう。
――そうなる筈だった。
「――――いいだろう。ここに、破神計画の失敗を宣言する」
その落ち着きようにベリルが困惑するほど、静かな声色だった。
まだ手はある、と足掻くことで最後の一手すら間に合わなくなる可能性を、キリシュタリアは捨て去った。人生を賭した悲願への執着と共に。
「そして――これより私は誰にも予想出来ぬ結末を齎す風を呼ぶ。この星の希望を、最大限の形で繋ぐために」
その宣言と共にキリシュタリアは、手袋の内の令呪を輝かせる。
一画を削ったその刻印に、新たなる命令を乗せる。
形ばかりの契約。魔力すら通せない細い糸。魔術という法則を極めた者が片側にいるからこそ成立する、“令呪での命令以外は何も出来ない”繋がり。
彼がこの瞬間まで、アトラスよりも隠し通した第四のサーヴァント。
「神々の対立を憂い、世界に諦観を抱いた神よ。今一度、ここに希望を取り戻したまえ。異聞において忘れ去られたその名に、この令呪を以て意味を与えよう!」
令呪が発動し、この場の全員が気付く。
そして、それの顕現にベリルは痛恨の失敗を悟った。
「おい――聞いてねえぞそりゃ」
自由。
颯爽。
その瞬間まで、二人を除いて誰しもが存在を認識していなかった、巨大な
いずれか、一機でも生き残っていれば、忘却していたその名を驚愕を以て叫んだことだろう。
だが、かつての同胞からの怒号はない。大いなるマキアを経て隠遁したそれは全能神にすら捕捉されず、十二の機神全てが眠りについたオリュンポスに初めて姿を現した。
――小さかった。
全能なる旗艦ゼウスに及びもつかず、大地の生産艦デメテルや愛の教導艦アフロディーテの巨躯と比べてさえ半分とない。
ゆえにこそ自由にソラを往く、自在たる神の
星間都市山脈オリュンポスに、今や彼の座す席はない。
だが、ゆえにこそ、今この瞬間に、伏線もなく舞台を引っ繰り返す者として顕現することが出来た。
艦隊の一機でありながら、自在に飛び回ることを許された遊撃艦にして文明蒐集艦。
遥かなる旅を司る
神としての名は――――
「――
それこそが、この世界に残る最後の艦。
汎人類史に於けるローマ神名はメルクリウス、マーキュリー。
名前の意味は『財貨』。
ゼウスの子にして、彼の言葉を方々の神に伝達する伝令の神。
あても無き旅から死出の旅まで、あらゆる旅路を守護する神であり、異なる文明を繋ぐ最高効率の手段たる商いを守護する神。
生きる理由たる
『――やれやれ。やはりこうなった。だが結局、夢は夢でしかないからこそ、激動する現実というものは面白い』
この異聞帯は、生の一切を保障された。
神の庇護の下大いなる長寿を得て、その代償として明日を夢見る心を失った。
旅の果てを目指す理由はなくなり、商業は生きるための必要不可欠な文化ではなくなった。
進歩の無くなった世界において、ヘルメスが人を守る理由はなくなった。
ゆえに、彼は人の前からも、神の前からも姿を消した。
ただの風となり、ゆるりと終わりへと向かう世界を見届けることにした。
それは、この異聞帯における第三のマキアにて、真体を残した神々が圧倒的な勝利を収めて間もない頃。
いずれゼウスが人々を愛するあまり進歩を断つと結論を出した彼は、第四のマキアを待つまでもなく己の答えを出し、神々や人々の前から姿を消した。
ゼウスはそれを黙認した。遊撃艦として、艦自体が決定した行動方針に一定の自由があったため。そして、姿を消したところでゼウスだけは何処にいるかが分かっていたため。
しかし数百年が経つにつれ、ヘルメスは世界に吹く風と徐々に同化し――ゼウスが人類の支配という答えを出した頃には、ヘルメスという神を覚えている者はいなくなっていた。
その名に意味のなくなった風は、飽き過ぎた世界を吹き続け、どんな感慨もなく神々の対立という異聞のマキアも見届けた。
支配に焦がれるつまらない神々。
進歩を閉ざしたつまらない世界。
希望を忘却したつまらない人々。
ただの風となった彼は、自己停止という機能すら無くなり、何も感じない世界を巡り続けていた。
「確かに。こうなったのはただ無念だが、その一方で納得もしている。これが、今を生きる人の選んだ答えなのだ、とね」
『ふっ。隠居気取りはまだ早いよ、キリシュタリア。今から僕と共にクライマックスに挑むんだ。幕が閉じるまでは“今を生きる人”でいたまえよ』
当たり前となったその風に、意識を向ける者がいた。
“――この風が他とどこか違うのは、中に誰かいるから、かな?”
誰もかれもが自分を忘れた時代に掛けられた言葉。風の中で力も入れず寝転がっていただけの四肢に、熱が巡る感覚があった。
それこそが、ヘルメスにとって運命の出会い。
この異聞帯の出身ではない、汎人類史から来た一人の男。
彼と出会って――ようやく異聞帯のヘルメスは、汎人類史における伝令神と同じことをした。
言葉を交わし合って、契約を交わす。男が求めた要求に応じ、その代償として男が持つものを要求する。
そしてその旅路を見守り、夢の中でさえ旅を齎し、旅の本番で躓くようなことがあれば、それが致命的なものになる前に助け出す。
男はこの神こそを、最後の砦だと定めた。他に契約した三騎のサーヴァントの誰よりも秘匿し続け、どうしようもなくなったその時に、初めて名前を出す。
彼の存在を他に話したのは、カイニスとアトラスのみ。カイニスは信頼する相棒として。アトラスは、本当に最悪な事態になった場合の最終手段を計画するため。
ゼウスは結局、彼の存在を忘却したままカルデアが放った凶弾に墜ちた。
ヘルメスこそが、真実オリュンポスの神々最後の一柱。ゆえに、その尊厳を守るべく――彼は同胞たちの骸さえ、舞台装置のパーツとする。
「では、ヘルメス。君に任せよう」
『請け負った。――集合せよ、世界を愛せし神々』
――カルデアの面々も、この異聞帯において彼らを支えたマカリオスとアデーレ、エウロペも、ベリルでさえ――この一時、その他の全てを忘れて宙の光景を仰いでいた。
光を失い、砕けた真体を持ち上げるゼウスがいた。
デメテルが、そしてアフロディーテがいた。
絶海において大きな関門として立ち塞がったアルテミスとポセイドンがいた。
樹や土、水を伴った、見覚えのない砕けた機神の数々がいた。
『ヘラ様はいないが、そこは仕方ない。やってやれない訳じゃあないしね――』
聖槍の光を隠し、空を覆わんばかりの艦隊に、新たなる旗艦となったヘルメスが命ずる。
『貴きオリュンポスに座す神々よ。旗艦ヘルメスの名の下に、緊急決戦形態への移行を実行する』
――水質操作プラント艦、ポセイドン。
――有害物質分解艦、ハデス。
――物質生産艦、デメテル。
――知性体保護艦、ヘスティア。
――対襲撃型防御旗艦、アテナ。
――対惑星攻撃旗艦、アレス。
――攻勢ナノマシン散布艦、アポロン。
――高空対地型攻撃艦、アルテミス。
――戦闘支援艦、ヘファイストス。
――情報戦型攻撃艦、アフロディーテ。
――星間戦闘用殲滅型機動要塞、ゼウス。
神妃エウロペと融合し、一時的に機神たちを繋ぐネットワーク上から消滅しているヘラを除く、十一柱の神々。
ヘルメスを合わせ、その数は十二柱。ここに、汎人類史でも存在し得ない未踏の『オリュンポス十二神』が成立する。
――汎人類史において、通常オリュンポス十二神という括りにハデスが含まれることはなく、それとは逆にゼウスの子とされるヘルメスが外されることもない。
それは、十二神がオリュンポス山に座す神々を指す一方でハデスが地下――冥界を支配する神であったため。
そして後に神の
そうした事情のなかった本来はポセイドンと並びゼウスに次ぐハデスが艦隊の中で重要視されぬ筈もなく、艦隊から離れる遊撃艦こそ十二神という枠には存在しなかった。
――ゆえに、本来ヘルメスに、かつて白き巨神をも討伐せしめた決戦形態の一部となる機能はない。
しかし、このようにゼウスが命じることの出来ない状況下において――――それを可能とする権能は持っている。
『対生、対魂権能機構、最終調整。性質転換、形成開始。キリシュタリア・ヴォーダイム、その旅路に燃やした魂、全神未踏の鎧と成そう』
幾千か、幾万か。
微睡の中での試行錯誤を生と定義する。現実ではない虚構の歩みに魂を見出す。
無限を目指す観測を並列展開し、実現不可能なリソースを確保し、魂のその奥にさえ手を伸ばす。
この現象をモニター越しに見ているカルデアの責任者、ゴルドルフ・ムジークは、その体系の末席にある家の人間として、その真髄を理解していた。
もしも、この異聞帯に踏み入ることなく残っているシオン・エルトナム・ソカリスがこの場にいれば、着弾まで間もないロンゴミニアドやオリュンポスの神々などという光景を二の次にしていたことだろう。
不可能を可能にする手段を、無限の可能性を以て見出す魔術の祖。
汎人類史ではエジプトの大賢者が見出すことになる、ヘルメスが齎した希望の灯。
『万物は融解し、魂の純度はクォリアの地平に下りる――
錬金術。
“いずれそうなり、魔術師たちに齎される”権能を以て、ヘルメスの真体は変形した。
――この瞬間限りの、決戦形態の核へと。
直上にまで迫った光に、思わずそこに立つ者たちが目を覆う。
たった一人、キリシュタリアだけは、それでもとその光景を目に焼き付けていた。
各々の真体が求められた形となる。砕け、喪失した部分、この場に存在しないヘラが在るべき部分の孔を埋めるための、本来では不可能な変形をヘルメスはその業によって成立させ、神々をパーツとしていく。
白き
赤熱した破片を散らしながらその光を握り潰すと――不気味なほどの静寂が辺りに満ちた。
「――ベリルは一足早く逃げたか。勿体ないな。この威容を見ずに立ち去るのは。そう思わないか? 藤丸立香」
双腕をソラに掲げる、巨大とすら言い難い人型。
全長一万メートルにも達するだろう、この異聞帯における機神たちの最後の輝き。
――その名、『
文明を滅ぼす白き巨神を迎え撃ち、討伐せしめて世界を護ったかつての姿とは違えども。
星の、世界の、人々の希望を繋ぐために、其はこの場に顕現した。
ベリルがこの異聞帯に聖槍の光を落とすのは、キリシュタリアを狙うと同時に、もう一つ理由があった。
現時点でブリテン異聞帯の王が、降臨するだろう異星の神を凌駕すると判断した彼は、異星の神への宣戦布告も兼ねてこのギリシャ異聞帯を空想樹諸共消し飛ばそうとしたのだ。
それが叶わなかった今、ベリルにこの異聞帯に残る理由はない。
素早くコヤンスカヤに依頼し“とんずら”を決め込んだ彼に苦笑しつつ、キリシュタリアはカルデアのマスターに問う。
対するカルデアのマスター――藤丸立香は、未だ目の前の光景が信じられずにいた。
これまで相対した神々が一つになった、ゼウスさえパーツの一つでしかない姿。
これが、この異聞帯の究極戦力なのだとしたら――カオスのような限定的な状況での勝利すら望めない。
「……ふっ。心配なら不要だよ。空想樹がここまで炎上してしまえば、どの道私の目的は叶わない。言っただろう。破神計画は失敗だと」
最早、戦う理由はない。そう言うように、キリシュタリアは何処か芝居がかった所作で両手を軽く上げた。
「だけど、中のアトラスも限界だ。彼が消えれば、燃えていようがその座に異星の神が降りる。幾らか規模を縮小したところで、成長を待てばいいだけだからね」
「っ……それなら、どうすれば……」
「……君たちは逃げるんだ。君たちにとって、ここから先の勝利とは生き延びること――そうして、最早降臨を避けられない異星の神への逆転の目を探したまえ」
「で、ですがキリシュタリアさん、貴方は――」
「私は、少しでも君たちが探すべき逆転の目を増やす。異星の神を可能な限りの低みまで撃ち落とし、舞台を下りる。そこから先は――託してもいいかな?」
それは質問ではなかった。他に選択肢を与えない、強制とも言って良い、藤丸立香やマシュ・キリエライトへの新たなる枷だった。
ゆえに、聞きはしたが答えは待たない。最後、“彼らしくない”友好的な微笑みを向けると――再び巨神を仰ぐ。
その傍に降り立つ、彼の槍。道化の如きアルターエゴの分体を断ち切ってきたカイニスは、同じようにソラを睨む。
「――行くのか、マスター」
「――ああ。ここまでしてくれた代金をまだ三分の一しか受け取っていないということは、ようはこっちに来いってことだろう?」
「だろうよ。チッ……やっぱり神ってのは気に入らねえ」
もう伝えるべきことは伝えた。キリシュタリアはカルデアの面々に背中を向け、もう振り返ることはない。
カイニスも、最後に彼らを一瞥し――激励するような笑みを浮かべた後、キリシュタリアに続く。
マシュが何かを言い出そうとしていた、次の瞬間――
――彼らは、巨神の胸部装甲に立ち、燃え盛る空想樹と対峙していた。
これよりは、この異聞帯最後の決戦。
カルデアはそこには立たず。演者は絶望的であった舞台を引っ繰り返すために現れた神とその同盟者二人。
何をしようとも無駄だと、異星のアルターエゴは判断したのだろう。ゆえに、彼らに対し何をすることもなかった。
どの道、キリシュタリアの命は異星の神に握られている。どうしてこの状況に至って彼に何の沙汰もないのかが不可解ではあったが、多少の気まぐれは下につくものとして呑み込もうと黙認した。
大いに計画は狂ったが、最後にすべきは変わりない。アルターエゴ――ラスプーチンは千子村正に命じ、アトラスを両断する。
異星の神は降臨する。アトラスの内部に顕現し、その腹を食い破るように。
最後の獣が内に現れ、体が消し飛ぶ、数秒前。
ギリシャ神話において天を支え続けた偉大なるアトラスは、その精神力で以て致命傷による意識の喪失を僅かに延ばし、キリシュタリアに合図を送った。
異星の神が、空想樹ではなく――その中にいるアトラスの裡に降臨したのであれば、最大限弱体化させることは出来る。
――アトラスが最後まで滅びることがなければ、それは机上の空論ではなくなる。
詭弁に等しかった。しかしキリシュタリアのその言葉を――アトラス自身は信じた。
風の噂に聞くあの詐欺の神が手を貸しているのならば、その悪戯に命を賭して乗ってやる価値がある、と。
炎によって焼け落ちていく体を度外視して、意識の保持に全てを費やし、究極の刀匠の刀を受けた。
――果たして、数秒を稼いだ。オリュンポスの巨神の両手が伸びてくる。意識を失う直前、令呪の命令が体中に弾けた。
――令呪を以て命ず。巨神アトラス。空想樹の座をヘルメスに譲渡せよ。
異星の神を秘めたアトラスは、その命令で以て空想樹の外に投げ出された。
さしものアルターエゴたちも瞠目する。追い出された神はそのままアトラスだけを餌に顕現し――もぬけの殻となった燃える空想樹に合体巨神の手が突っ込まれた。
空へと伸びる空想樹さえ取り込み、己を構成するパーツへと変化させる。
異星の神などのための玉座など必要ない。同じソラから来たものだとしても、ただ敵でしかない
アトラスを呑み込み、顕現したのは巨大な双角を誇る人間の女性、に見える姿。
投げ出されたその身を宙で安定させながら、激怒の表情を、目の前に聳える愚者に向ける。
――背中に銀河を背負う、枝の巨神。
異星の神が己の糧としようとした圧倒的なエネルギーを全身に巡らせる、オリュンポスの神々の極限。
ここまで運営された異聞帯、『星間都市山脈オリュンポス』という歴史の最終形態が、そこに在った。
「――キリシュタリア。キリシュタリア・ヴォーダイム! これは一体どういうことか!」
「いや何。これだけの席だ。正しいルートで入ってこようとしないということは賊の類かと思ってね。これも空想樹を守ろうとした結果のすれ違いさ」
相変わらずよく回る舌だ、とカイニスは吹き出した。
これならばヘルメスも気に入ろう。結果の伴う詭弁は、汎人類史において彼の大好物だったのだから。
「さて、異星の神。貴女がどうしてオルガマリー・アニムスフィアの姿を取っているのか――それについての考察の答え合わせをしたかったが、生憎もう意味がない」
キリシュタリアはちら、と大神殿に目をやる。
カルデアの面々は彼らなりに納得し、この場を去ったのだろう。
であれば、ここでどんなに正しい答えを出したところで、既にこの世界を退場する者しかいない場である以上無意味なことだ。
そんな言葉を交わし合うよりも、彼らの得になることをするべきだ。
「早速だが、攻撃的な侵略者に対する歓待はこういうものと決まっている。受け取ってもらえるかな、異星の神よ」
「……? 何を――」
訝しむ異星の神が言葉を紡ぎ終える前に、巨神は
大地を揺るがし巨大な都市をも一瞬で粉砕するほどの一撃を、怒りに顔を歪める異星の神は片手で受け止める。
「……問おう。約定を違えた貴様には死ねと命じた筈だが。何故そうも笑っていられる?」
「――その約定を質に出した、と言えば納得してもらえるかな?」
「…………ああ。理解した。貴様のような人間とは、会話の価値も意味も見出せぬ」
次の瞬間巨神の
異星と地球、言わば二つの頂点の激突。
拳と拳がぶつかり合えば、片方が衝撃と共に砕け、破片や空想の枝が舞った。
衝撃で後退った巨体に光が伸び、その顔面の半分が消し飛んだ。
それでも機神は吼える。空想樹のリソースを用いて再生させた両手で異星の神を握り込み――球状に広がる魔力で吹き飛ばされる。
「ッ――おいマスター! これも想定通りか!?」
「……っ、何処までかの予想はしていなくとも、苦戦は見えていたさ。だからこその代金の半分だ」
危険な位置に在りながら、キリシュタリアとカイニスは巨神の上に立ち、共に戦うことを選んだ。
何をするという訳でもない。伝令神が吹かす最後の風に、共にこの結末を描いた者として相乗りするだけ。
――もしも計画が失敗して、異星の神の降臨が確定した時は、機神全てをヘルメスが操り異星の神に痛手を与える。
そのための旅路。そのための夢。
失敗した時、先へ繋ぐものを作るための、キリシュタリアの最後の一手。
現に、異星の神の存在強度は考え得る限り最低限のものとなっている。
それでもここまでの強さ――オリュンポスの神々が圧倒されるほどの力を持つことは正直予想外だったが、しかし、手がない訳ではない。
「こんな戦いの最中だが――ヘルメス。ここまでの協力の代金。片方を今支払おうじゃないか」
ヘルメスと出会い、彼の力を知り、この計画を練った。
協力の代金として、ヘルメスはとあるものを求めた。それはこの作戦の完遂に必要となるだろうものだったため、キリシュタリアも了承した。
暫くして――ヘルメスは要求を二つ増やした。
それはキリシュタリアには理解しがたいものであったが――そちらのうち片方はその時支払えるものだったため、支払い済みだ。
まだ二つ、渡していない。
一つはこの場で使うべき
『了解した。では、発動工程を済ませてくれ。後は僕がやる』
ゼウスの雷を顕現させ、薙ぎ払う。
異星の神は涼しい顔でそれを受け、砲口の位置を特定すると、一撃で粉砕した。
数秒おきに巨神の損傷は増えていく。
まともに降臨させずに良かったと、キリシュタリアは内心安堵した。
もしも本来異星の神が想定した形での降臨が実現していれば、最早何をしようと無駄だっただろう。
だが、今の姿であれば隙が存在する。強大な敵ではあるが、どうにもならない相手ではない。
キリシュタリアは全身の魔術回路を励起させる。クリプターとして己に与えられた最終兵器に、魔力を注ぐ。
――
――
――
――
――
――
――――
「地を照らし、空に在り、天上の座標を示せ。カルディアの灯よ。どうか今一度、旅人の標とならん事を――!」
それはクリプターに与えられた大いなる切り札。
世界に影響を齎すほどに強力ながら、その代償に使い手の命を薪とする。
ヘルメスが協力する上で、キリシュタリアに要求した代物。
顕現した大令呪を巨神が取り込む。それとほぼ同時、異星の神の攻撃が巨神の胸部を貫き、全身に亀裂が入るほどの損傷を受けた。
キリシュタリアの立つ場所のすぐ傍を、光が駆けていく。
立つ場所の激震に体が浮き上がり、カイニスに支えられる。
「あっぶねぇ……! 生きてるかマスター!」
「私は問題ないよ――ヘルメス、君はどうだい?」
『――、―――。ああ、まだ最後の一手くらいの余裕は、あるさ』
「ではその余裕とやらが虚構であることを知って死ね。この星の知性体ならともかく、他星の命モドキなどにこれ以上時間も割いてられん。キリシュタリア・ヴォーダイム、貴様諸共このガラクタを消し飛ばし、この異聞帯を食事としよう」
崩れ行く巨体。しかしその中で、確実に力は巡っていく。
「寝覚めの運動程度にはなった。褒美だ――あと一撃で葬ってくれる」
『この星流の歓待は、気に入ってもらえたかな?』
「ふん。強いていうならば、もう少し歯応えが欲しかったがな」
――ヘルメスがキリシュタリアの大令呪を得たことで、キリシュタリアの意思でそれを利用することは出来なくなった。
だがその代わり、たとえそれが使われてもキリシュタリアの命が失われることはなくなった。
「さて。話はここまでだ」
『そう、かい。もう少し話したかったんだがね。異星の神の弱点、その一つや二つ、見つけられると思ったんだが』
「ふん。舌だけはよく回るような連中に必要以上に喋らせておく必要もない。対話の必要性を感じられない以上、これで――」
――ゆえに。
――なんの代償もなくなった大令呪は、躊躇いなく実行される。
「ッ――――――――」
『――よく回る舌だろう? 汎人類史の僕はこれで色々やっていたらしいが、準備を終えるまでの口八丁なら
大穴の空いた胸部から放たれる、螺旋の魔力。
本来の大令呪よりも確かな殺意、確かな攻撃性を以て最後の一撃は異星の神を貫いた。
再び降り立った大神殿の頂上には、既に誰もいなかった。
異星の使徒たちは、先の戦いを黙認した。
もしかすると、油断というものを教えるためか。
「――倒したのか?」
「いいや。殺しきってはいない。とことんまで弱らせたが、まだ生きている。再生するのには相当時間が掛かるだろうがね」
巨神に取り込まれた空想樹が見る間に消滅していく光景を見上げながら呟かれたカイニスの問いに、人の
真体は崩壊を始めており、先程最後のリソースを使って作り出したこの体が終わりを迎えれば、ヘルメスという神は二度と意識を持つことはないだろう。
そしてどのみち、最早この異聞帯は消滅まで秒読みとなっている。
「しかし――カルデアはうまく逃げただろう。後は彼に任せるさ」
キリシュタリアもまた、空を見上げて続ける。
あれだけ損傷を負った異星の神の再生には時間が掛かる。
その間に、何かしら――真に倒しきる手段を見つけることを、彼は願う。
最早彼はこの世界という舞台にはいられない。これより希望となるのは――カルデアだけだ。
「さて、キリシュタリア。君に提供できるのはここまでだ。代金分の働きは出来たかな?」
「ああ――十分すぎるよ。しかし、今更なのだが……」
キリシュタリアはずっと疑問に思っていた。
ヘルメスが求めた、協力の代金。それはあまりにも――
「これだけ、君の利益にならないものを代金にしたのは何故だい?」
「――なんだ。そんなことか」
キリシュタリアがヘルメスに依頼した、計画への保険。
一つは来たる時まで、夢の中でこの戦いのシミュレーションを繰り返すこと。
そしてもう一つは、計画が失敗し、最悪の状況に陥った時、オリュンポスの神々の究極を以て事態に可能性を見出すこと。
その代償としてヘルメスが求めたものは三つ。
一つは大令呪。
一つは、異星の神との契約そのもの。
異星の神は契約を違えたキリシュタリアの命を剥奪しようとしたが、そもその契約が既に存在しないのだから死ぬ理由がない。
そしてもう一つは――――
「なに、簡単な話さ。初めて旅を守護する神として仕事が出来たんだ。その役目を与えてくれた最初の友の命を救ってやるくらい、いいだろう?」
本心だった。
これ以上先のない、しかし人々のために止まろうとしないキリシュタリアを――ヘルメスは庇護したかった。
行き止まりしかないその道に、選択肢を与えてやりたかった。
それは、この異聞帯のヘルメスが抱いた、初めての望みだった。
「――それは」
「詮索は無しだ、キリシュタリア。それよりさっさと最後の一つを終わらせようか」
世界の終わりを、ただ一人の神となったヘルメスは理解していた。
あとどれだけ時間が残っているか、分かっていた。
だからこそ、早くやらねばならないことがある。
「……わかった。それが契約だからね」
彼との関係の終わり。
友として、それに僅か躊躇を覚える。
だが――それはこの神が何より求めていたもの。
この世界が終わるにしろ、キリシュタリアの悲願が成就して続くにしろ――ヘルメスはここを終わりと定めていた。
「カイニス」
「おうよ。動くなよ――ここまでマスターに手ェ貸してもらった礼だ。一息で終わらせてやる」
「ああ――後は自由だ、キリシュタリア。だが、出来ることなら――楽しめよ」
カイニスが構えて、槍を振り下ろすまで一秒となかった。
一閃。この世界に残った最後の神は、呆気ない終わりを迎えた。
全てが終わり、余裕が出来たら、キリシュタリアたちの手で自分を殺す。
それがヘルメスの最後の望み。
ここまで風として在り続け、最後に大いに好き勝手して、世界を引っ掻き回してから終わることをヘルメスは求めた。
これで、全てが終わった。この異聞帯という舞台は、閉幕した。
「……さて。どうすんだ? マスター」
「どうしようか――何やら彼は、一つ選択肢を増やしてくれたようだが」
最後までそれを口にしなかった神の、キリシュタリアへの褒美が、ちょうど大神殿の縁に落ちて来ていた。
空想樹の断片や、神々の権能の残滓。
巨神から零れたそれが、まるで意図したように重なり合い、時空断層を作っていた。
何処に繋がっているかは分からない。だが、あの悪戯好きな神のことだ。どうせ、果てしなく面白い旅を、二人の友に残していったのだろう。
「……悔いはないけど、やりたかったことを、彼に語ったことがあったんだ。叶うのならば、Aチームのみんなと共に、世界を救いたかったって」
「あ……? なんだよ、突然」
「ふふ……あの粋な友人のことだ。もしかすると、と思ってね」
全ては幻想。全ては願望だ。
その裂け目の先が、そんな理想を叶える世界に繋がっているなどという保証はない。
だが、彼は旅人の守護神だ。人が旅を求める限り、全力でそれを庇護し、全力でそれを笑う。
であれば、そんな旅路を彼が心の隅で夢見てくれたかもしれないと――キリシュタリアは、思った。
「……これ以上は働きすぎになってしまうと思うけど――付いてきてくれるかい? カイニス」
「――ハッ。とっくに過重労働だっての。最後まで見届けてやるよ、テメェの旅。乗りかかった船って奴だ」
「ありがとう、カイニス。では、行くとしよう――次の夢を見に」
――その日。漂白された世界から一つの異聞帯と、一組の主従が消えた。
カルデアのそれからの旅路でその主従と会うことは二度となかった。
彼らに吹いた風が導く先はカルデアの面々とは違うものであり、それとは違う苦難の旅路。
彼らが先頭となって、六人の仲間たちと共に往く旅の果ては――この世界の誰も知らない事柄だ。
死ぬことすら出来なくなった風が、最後に全てを引っ掻き回して友の手で終わるまで。
・オリュンポス十二神にヘルメスがいないパターンを初めて見た
・一章で語られた、キリシュタリアのサーヴァントの予言
・残ったキリシュタリアの令呪二画
・十二神は合体出来る(ゼウスが股間部とかは知らん)
これらの要素から生み出された、キリシュタリアのズッ友の話でした。
判明していない神々の役割やヘルメス自体の設定は全て独自設定となります。
ヘルメスがいない理由が公式で明確に定められている可能性もあるので、その辺りはご了承を。