アクタージュは終わらない【原作の続き】   作:宇津木 恭吾

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SCENE134 霹靂

 深夜3時。

 3時間後には家を出なくてはならない状況で千世子は帰宅した。

 シャワーを浴びた後にスキンケアと寝る前のストレッチ。

 睡眠時間は一時間半。

 過密したスケジュールの撮影期間は苛酷極まりない。

 映像演技は舞台よりも楽に思われがちだが、感情のスイッチのオンオフを繰り返しながら長時間に渡って拘束される事はまた違った労力の使い方をする。

 まして、千世子はついこないだまで羅刹女の稽古と舞台公演で張り詰めた日々を送っていた。

 

「休みが取れたら丸一日眠りたいなあ」

 

 ベッドの上でポツリと呟く。

 

 千世子にとって睡眠は体力の回復以上に思考や感情のリセットとしての意味合いが強い。

 どれだけ楽しくても、やりがいがあっても、体と精神の疲労は積もる。

 それが蓄積し、弾けてしまった時に人は自らの身体や心を壊すか、もしくは自分の中の良識を壊して他者を害するようになる。

 どちらにしてもそんなことはあってはならない。

 千世子は自分に言い聞かせる。

 

「せっかく面白くなってきたところだもんね。

 台無しになんて……させるもんか」

 

 まどろみ、意識は落ちていった。

 

 

『マンイーター』の撮影は快調に進んでいった。

 過密スケジュールの中でも疲れを見せずに無邪気な笑顔を振りまきながら、芝居に入れば悪魔や天使に変わる。

 共演するキャストやスタッフたちは彼女のその様子を見て、「今、自分はとんでもない作品に関わっているのかもしれない」と感じていた。

 

 

 

 撮影の合間。監督の木下はロケ場所の片隅でタバコを吸っていた。

 そこに伊皿子がやってきて二人横に並ぶ。

 タバコに火をつけた伊皿子はサラリと木下に声をかける。

 

「百城千世子、思ったよりいい女っすね」

「ああ。骨がある。

 真面目だが融通が効かねえわけじゃねえ。

 売れ線のスターなんて使いどころがねえと思っていたが、実際やってみると売れる理由がわかるってもんだ」

 

 当初は乗り気でなかった木下が今は一番千世子に期待をかけてると言っていい。

 監督として彼女の才能に惚れ込み始めていた。

 しかし、伊皿子は、くっくっくっと声を殺すように笑う。

 

「違いますよ。

 俺が言いたいのはヤリたくなるような女だな、ってこと」

 

 切れ長の目の端に瞳を寄せてスラリと立つ千世子を見やる。

 周りにはスタッフがたくさんいるのに、誰もいない海辺に立っているような際立つ存在感と透明感。

 日常性を徹底的に殺した非凡な美しさを持つ女がそこに立っている。

 

「濡れ場のシーン、派手にひん剥いたりしゃぶりついたりしてやりたいっすね。

 そっちの方が監督も好みでしょ?」

「アホか。スターズがそんなもん許すか」

「だから撮影中だけ。

 公開するときに編集で帳尻合わせればいいじゃないっすか」

「お前のスケベ心の片棒を担げと?」

「じゃなくて……ほら、俺って本物志向だから。

 中途半端だと芝居に乗り切れないんすよ」

 

 気取った様子でタバコの煙を宙に吐き出す。

 木下は辟易とした。

 

(何が本物志向だ。

 だったら禁煙しろ)

 

 伊皿子が演じる羽馬木翔真(はばき しょうま)は刑務所の生活でタバコを受け付けない身体になっており、序盤のシーンでもタバコを吸おうとしてむせ返っている。

 だが伊皿子本人はロケ車の中でも外でもダラダラと四六時中タバコを吸い続けている。

 

「あんまりヤニの匂いつけんなよ。

 百城が気の毒だ」

「ほらぁ、鬼の木下がそんな気遣いするなんて珍しい。

 ああいう誰もが崇める高嶺の花っぽい女を自分色に染めたくなるタチなんすよね。

 俺って」

「お前の女の趣味なんて興味はない。

 ちゃんと芝居してくれ。

 それ以上に望むことなんてねえ」

 

 タバコを潰して話を切り上げる木下。

 その背中にイラついた気分が漂っていることを伊皿子は察していた。

 

「フン。ポルノ上がりのロートルが真面目ぶりやがって。

 天使さまと映画を撮れるのがそんなに嬉しいのかよ」

 

 本人の前では決して出さない侮蔑の言葉を垂れ流して、伊皿子は千世子を見やる。

 

 彼女を中心にスタッフやキャストが引き寄せられている。

 ただの客寄せパンダでも賑やかしのアイドルでもなく、主演女優として撮影現場を切り盛りしていた。

 その場所が、伊皿子にはとても遠くに見えた。

 

「ホント……いい具合にムカつくわ。あのガキ」

 

 

 

 

「じゃあ本番行きます! よーい……スターッッ!!」

 

 カチンコの音が鳴り、芝居が始まる。

 薄暗いバーのカウンターで千世子と伊皿子が並んで座っている。

 

「お前……俺が殺人犯って分かって近づいたのかよ」

「うん。ダークウェブって怖いよね。

 殺人犯の名前とか住所とか普通に書かれてんの。

 で、手近だったからアンタに声かけたってワケ」

「ハハ……狂ってんだろ、お前」

「父親と兄貴を嬲り殺した連中に輪姦(まわ)されて、正気なんて邪魔なもの抱えてるワケないじゃない」

 

 千世子の端正な顔に狂気が宿る。

 皮を一枚剥げば真っ赤に燃え盛る溶岩でも出てきそうな凄惨な笑み。

 伊皿子は顔を背ける。

 

「次、殺しをやったら俺は死刑になる。

 お前は俺を殺そうとしているようなもんなんだぜ」

「何か問題あるの? 

 優等生のお兄ちゃんの首を絞めて殺したクソ野郎が死んだって誰も悲しまな————」

 

 パァンッ!! 

 

 乾いた音が響いた。

 伊皿子が千世子の頬を本当に打ったのだ。

 大きく千世子の首から上が跳ね上がり、糸が切れた人形のように椅子から転がり落ちる。

 

「なっ!?」

 

 木下が思わず声を漏らした。

 当然、他のスタッフも青ざめた。

 

 何億円ものCM出演料を誇る百城千世子の商売道具である顔を殴るなんて許されるわけがない。

 

 他の共演者も戸惑う中、頬を抑えてうずくまる千世子、そして険しい顔で彼女を見下ろす伊皿子。

 

「……ったぁ……あはは、痛いところ突かれて怒っちゃった?」

 

 頬を赤くして涙目になりながらも顔を上げて笑う千世子。

 追い討ちを掛けるように伊皿子は千世子の髪を掴み無理やり立たせる。

 

「人のこと……見下してんじゃねえよ!!」

 

 髪を掴むのも怒鳴るのも脚本にはない。

 伊皿子のアドリブ……いや、悪ノリというものだ。

 進行を役者に委ねる舞台でも、演出に遊びの部分があるコメディ作品でもない。

 緻密に積み重ねたスタッフの計算を狂わせてうまくハマることはまずない。

 

「あんのクソ野郎……!!」

 

 木下が手に持った台本を握り潰しカットの声を上げようとした瞬間————

 

「お客様。おやめください!」

 

 バーカウンターの向こう側にいたバーテンダー役の役者がカウンターを飛び越えて伊皿子の腕と肩を掴んだ。

 伊皿子は動こうとするも思った以上に抑えている男の力が強かったらしく、大きく舌打ちをしてバーの外に出て行った。

 

 異様な緊張感に包まれる現場。

 沈黙を破ったのは木下の怒鳴り声だった。

 

「カットだ……伊皿子ぅっ!! 

 テメエ! 何やってんだ!?」

 

 椅子を蹴り倒して木下は伊皿子を追った。

 同時に現場は蜂の巣を突いたように騒然とする。

 

「百城さん!! 大丈夫ですか!?」

「うん。当たる瞬間に思いっきり首を回していなしたから。

 派手に当たったように見えるけどあんまり痛くないの」

「ドヤ顔で技巧派のボクサーみたいなこと言わないでください!」

「とにかく氷! 冷やしてください!」

 

 スタッフが一斉に駆け寄り、千世子の手当てをしようとする。

 当の千世子は案外ケロリとした顔で伊皿子を止めたバーテンダー役の役者、栗原彰人(くりはら あきと)に声をかけた。

 

「ありがとうね。伊皿子さん止めてくれて」

「い、いえ。この役ならきっとああいう風に行動すると思いましたから」

 

 千世子と目があってドギマギしながら謙遜して答える姿は純朴感があった。

 バーテンダー姿が堂に入っている分ギャップがあって、思わず千世子は笑ってしまう。

 

「あはは、栗原くんはちゃんと役者さんだね。

 新人さんなのにどこかの誰かと大違い」

 

 伊皿子に対する皮肉だと思った栗原は曖昧に笑って応えた。

 

 

 

 

 

「だから言ったろ。

 本物志向だって」

「ふざけんな!! 映画がオシャカになるかどうかの瀬戸際だぞ!! 

 テメエのナルシズムに現場を巻き込むなよ!!」

 

 木下は怒る。

 

 スラリと引き締まった肢体に甘いマスク。

 それでいてただの二枚目に収まらない迫力。

 役者として、それなり以上のものを持ってやがる。

 だから、人間的にイラつかされる事があっても目を瞑ってやってきた。

 しかし、限度ってもんがあるだろ! 

 

 今にも殴りかかってきそうな木下を制するように伊皿子は両手を胸の前に晒した。

 

「でも良いもん撮れたでしょ? 

 殴られても笑うところなんか、まさに原作再現じゃないっすか。

 あの新人が割り込んできたのはいただけないけど」

「役者風情が演出に口出すんじゃねえ!! 

 そういうのがやりてえならテメエで映画撮れよ! 

 さっさと戻って百城にワビ入れろ!! 

 じゃねえとマジで降板させるぞ!!」

 

 木下の剣幕にさすがの伊皿子も折れ、

 

「ハイハイ。

 分かりましたよ」

 

 不満そうに鼻を鳴らしながら建物に戻っていった。

 

 

 

 

 その日の撮影終了は22時。

 予定時間を大幅に繰り上げたので千世子はマネージャーの車が到着するまでどこで時間を潰そうかと考えていた。

 そこに伊皿子がつけ込むように声をかける。

 

「百城。早く終わったんだ。

 呑みに行こうぜ」

「私、未成年なんですけど」

「業界の人間にそんなの関係ねえだろ。

 普通にメシも旨い店だからさ。

 ワビ代わりって事で」

(お詫びって言うなら関わらないでほしいなあ)

 

 千世子は心の中で毒づくが、伊皿子は構わず強引に迫る。

 そこに割って入ったのは栗原の呼び声。

 

「百城さん。お迎えの車が来たみたいですよ」

 

 千世子は、しめた! と思い、

 

「じゃあ、伊皿子さん。

 失礼しまーす、お疲れ様です」

 

 サッと挨拶して背を向ける。

 伊皿子の舌打ちが背後から聞こえたが気にする事はない。

 

「栗原くん、ありがと。

 で、車はどっち?」

 

 千世子が尋ねると栗原は申し訳なさそうに手を合わせて、

 

「ごめんなさいっ! 

 百城さんが伊皿子さんに強引に絡まれてると思って……その、ウソつきました!」

 

 と謝った。

 業界人には珍しい真っ直ぐな純朴さが滑稽ながらも好感が持てるものだったので、千世子は自然と笑みをこぼしていた。

 

「やるじゃん。

 きっとキミ、出世するよ」

 

 そう言って肘で胸を小突くと栗原は顔を赤らめた。

 さらに千世子はそばにあった自販機でホットのおしることコーンポタージュを買い、栗原に突きつける。

 

「どっちが良い?」

「あ……ご馳走になります! 

 おしるこよろしいですか?」

「うん」

 

 それから千世子の迎えが本当に来るまでの数分間、二人は路地裏で隠れるように飲み物を飲みながら話をして過ごした。

 

 栗原が秋田出身で、高校卒業と同時に家出するみたいに東京に出てきた事。

 バイト先のバーで業界と繋がりのある人間から勧められて芸能事務所に入ったこと。

 今回の映画が役者としての初仕事だということ。

 

 車がやって来たので乗り込む。

 帰り際に千世子は栗原に声を掛ける。

 

「今日はありがと。

 この恩はちゃんと返すからね」

「いえ、そんな……百城さんとお話できただけで十分ですから!」

「夜のお店の人じゃないんだし、私の話にそんな価値ないよ」

 

 ふふ、と微笑んで千世子は去っていく。

 走り出した車の中で、窓の外を見ていると、

 

「あ……」

 

 道端でタバコを吸っていた伊皿子と目があった。

 彼は千世子に向かって吐きかけるように煙を吐くと、視線を栗原の方に向けた。

 不愉快さが滲み出ているような伊皿子の様子に千世子は嫌な予感がした。

 そしてその予感はすぐに当たることとなる。

 

 

 

「ふぅ……嫌になるなあ……」

 

 布団の中で千世子は嘆息した。

 明日の撮影では本格的にラブシーンを演じることになる。

 当然、相手は伊皿子琢磨だ。 

 

 復讐のために色仕掛けで殺人犯を籠絡する女子大生。

 路地裏でのディープキスから始まり、男の部屋になだれ込んでベッドシーンに移る。

 局部は見せない、といってもそれは映像の上での話。

 演じる上では否が応でも肌を合わせなくてはいけない。

 ましてあの伊皿子ならば本物志向を建前にガッツリ触ってくる。

 

「……夜凪さんだったらどうやるんだろ?」

 

 ガバッ、と身を起こして枕元のスマホを取り、夜凪に電話をかける。

 すると6回目のコールで彼女は電話を取った。

 

「もしもし?」

「もしもし! 千世子ちゃん!? 

 こんな時間に何かあった!?」

 

 深夜なのに高いテンションの夜凪。

 いつもどおりの彼女でそれだけで面白く感じてしまう。

 

「最近、どう?」

 

 と千世子が尋ねると夜凪は自分がCMの撮影に行ったことを語り始めた……というか、CMで使用したシェアウォーターの素晴らしさを。

 

 

「でね! シェアウォーターを練習後に飲むようになった駅伝チームは以前に比べて体調不良者の数が激減したの!」

「ふーん、そーなんだー。

 詳しいね」

「勉強したから! 

 シェアウォーターの開発者の人にいろいろ聞いたり、昔のCM片っ端から観たり。

 おかげでシェアウォーターのためならどんなCMでもやれるってくらい商品のことが好きになったわ!」

 

 どこかズレている。だけど真理に近い。

 夜凪は知識や経験の不足をものともせず、感性で役者という仕事を理解している。

 だから千世子は聞いてみたくなった。

 

「あのさ……夜凪さんはさあ、本当は好きじゃないけど好きになることってできるの?」

 

 うーん、と夜凪は考えて、答えを返す。

 

「やっぱりそれは無理だと思うわ。

 嫌いってのには理由があってそれを忘れたりごまかしたりできないから嫌いなんだと思うわ。

 だけど……もし役者としてそれを求められたらある程度はできる……かなって思う」

「どうやって?」

「私じゃない誰かにやってもらう。

 私が嫌いなものでも好きな人はいるわけだから」

「別の人格を作り上げるってこと?」

「うん。大変だけど、嫌いなものを克服するよりかは楽でしょ」

 

 サラリととんでもなくハイレベルなことを言ってくる。

 だが、そのぶっ飛び方が千世子には心地よかった。

 

「さすが夜凪さん。

 参考になったよ。

 じゃあ、明日早いから切るね」

 

 通話を切ったスマホを枕元に置いて千世子は眠りにつく。

 

 伊皿子さんを嫌いなのは私。

 彼だって魅力のある俳優だし、根強いファンがいるから今も映画の主演が張れる。

 彼を愛している人が必ずいる。

 

 だから彼を愛せ。

 唇も肌も全部預けても許せるくらいに。

 

 

 

 

 

 翌日。最初のシーンを撮影中のことだった。

 次のシーンの準備のため、役者の様子を見に行った助監督が青ざめた顔で木下に報告した。

 すると、木下は血が吹き出しそうな勢いで、

 

「伊皿子がまだインしてない!? 

 おい!! どういうことだ!?」

「わ、分かりません! 

 さっきから連絡入れてるんですがさっぱり繋がらなくて」

「主演男優がいなけりゃカメラ回せねえよ!! 

 どうにか連れてこいコラ!!」

 

 八つ当たりのように助監督のスネを蹴る木下。

 誰も制止することができない彼の肩に千世子は手を置いて、

 

「こんな日もある。

 落ち着いていきましょう」

 

 ニコリと笑う千世子に木下は少しほだされ部下への暴力を止めた————ちょうどその時、空気が揺れたような気がした。

 そして不安と嘆きの色がどこからともなく広がって来て、現場を埋め尽くそうとしている。

 

 千世子は熱心に視線を落としているAPのスマホを覗き込んだ。

 画面に映し出されていたのはニュースの速報記事。

 大きく見出しで、

 

 

『俳優の伊皿子琢磨、新人俳優をビール瓶で殴りつけて逮捕』

 

 

 と書かれていた。

 

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