伊皿子琢磨の逮捕に芸能界は震撼した。
今はどの事務所にも所属してはいないが、数年前まではTVドラマやヒット映画の主演を務め、今でも幅広く活躍している俳優の暴行事件。
各ワイドショーでもセンセーショナルに取り上げられた。
「元々、伊皿子さんってのは素行が悪くて有名だったんですよ。
マネージャーが殴られたり、恋人にモラハラしたり色々あったから事務所を辞めさせられたんです。
こういうことになるのも必然だったでしょうね」
芸能リポーターがしたり顔でそう答える。
年配の司会者は大袈裟にうなづきながら私見を述べる。
「酒の席のこととはいえやりすぎちゃったね。
オレも昔、先輩に殴られたりしたことあったけど今はそういう時代じゃないからね。
で、出演作の方はどうなるの?」
「現在公開しているものは上映中止。
撮影中のものも中断でしょうね。
撮り直しは難しいんじゃないですか?
主演クラスの差し替えとなるとほとんど撮り直しになるでしょうし、ドラマと違って映画は代わりに流すものが山ほどありますからね」
「いやはや、スタッフやほかのキャストが気の毒だねえ。
飲んでも暴れちゃいけない。
肝に命じておきたいと————
星アリサはテレビを消した。
彼女は千世子の部屋を訪れていた。
今回の騒動について得た情報を伝えるためだ。
「伊皿子が殴った相手は栗原彰人。
西都エージェンシー所属の新人俳優。
あなたも知っての通り、マンイーターの」
「端役のバーテンダー。
本来セリフすらなかった子」
千世子はソファの上に膝を抱えて座っている。
普段の彼女の爛漫さは影を潜め、瞳も暗く濁っている。
アリサはため息をついて話を続ける。
「事件当日、撮影終わりに伊皿子が栗原を飲みに誘った。
栗原も伊皿子に誘われたことが嬉しくて喜んでついていったそうよ。
憧れていた俳優の一人だからだとか……」
「悪趣味だね。もしくは世間知らず。
あんなのに憧れなくてもいくらでも立派な人いるのに」
「……伊皿子が連れて行ったのはナイトクラブ『ミュゼ』。
店長とも懇ろにしていて、店のホステスの何人かと関係があったりしたとか。
行きつけのお店というより、タニマチみたいね。
最初はお気に入りのホステスを穏やかに栗原と話していたけど、撮影の話に入ると伊皿子が機嫌を損ねて、栗原を手元の瓶で殴った————」
「ちょっと待ってよ。
撮影の話ってアバウト過ぎでしょ。
交友関係洗うくせにそこはボカすの?」
力のなく気怠げに笑いかける千世子。
アリサは観念したように、聞き知った情報を語り始めた。
事件発生時————
伊皿子は栗原を相手に演技論や最近の映画界への不満などを語り続けていた。
酒飲みの与太話程度のものだったが、純朴な栗原は「有名俳優である伊皿子が自分のために語ってくれてありがたい」と食い入るように話を聞いていた。
「お前、なかなか見どころあんなあ。
どうだ、リサ?
今のうちに喰っといたら。
売れちまったら相手にしてもらえねーぞ」
そう言ってスカイブルーのドレスを着たホステス嬢の背中を押して栗原の膝に座らせる。
栗原は顔を赤らめて、
「お、俺は役者として成功するまでは恋人は作らないので」
「ハア、バカかお前。
売れない役者なんて女に食わせてもらってナンボだろうが。
それともまさか、百城に気があるとか言わねえだろうなあ」
伊皿子は冗談のつもりでそう言った。
しかし、栗原は図星だったようで言葉を返せずに俯いた。
「マジかよ……ブワッハッハハハハハハ!!
とんでもない夢見てる奴がいたよ!
聞いたか! おい!!
あのスターズの天使に新人俳優がガチ惚れなんだってよ!
大スクープだぞ!!」
嘲笑う伊皿子。
周りの女達も合わせるように声を上げて笑う。
一気に居心地が悪くなった栗原は強めに声を上げる。
「そういうのじゃなくて!!
あの人の芝居に対する姿勢がすごいっていうか、大スターなのに気取らず、こんなハードな映画で汚れ役をやるのがカッコいいっていうか」
「俺の相手役が汚れ役ってことか?」
笑顔を瞬時で取り下げ、ギロリと栗原を睨みつける伊皿子。
「そ、そういうつもりじゃ」
「あー! ガッカリだよ、お前には!
そういう規模とか有名無名なんかで選り好みするようなやつは絶対成功しねえよ!
役者なんかやめちまえ!!」
弁解しようとしても伊皿子は聞く耳を持たない。
さらには俯く栗原の髪を掴んで引き寄せ、耳元でささやく。
「明日の撮影で百城を抱くから見に来い。
お前の憧れの女をムチャクチャにしてやるよ」
と栗原を煽った。
それだけで飽き足らず、耳を覆いたくなるようなゲスな言葉で千世子を貶める。
抵抗できない栗原を心底愛しそうに眺める伊皿子。
(ああ、スーッとする。
こうやって人を踏みつけにすることが普通に許されるから芸能稼業はやめられねえ。
イキがった若い奴を屈服させることで俺の役者としての深みも増す。
栗原ぁ……お前も俺の芸の肥やしにしてやるよ)
役者をするような人間は自分なりの哲学を持っている。
王賀美陸は『何があろうと王賀美陸であることをやめない』。
かつての千世子は『天使であるためなら自分の顔なんていらない』。
と人生の指針ともなるもの。
伊皿子琢磨においては『倒した人間の数だけ自分は強くなれる』というものだ。
彼の家庭環境は恵まれたものとは言えない。
潰れかけのバーを営む父と家計を支えるためスナックで働く母との間に産まれた三人兄弟の末っ子。
出がらしのようになった愛情と利己的な兄達からの暴力と搾取ではまともには育てなかった。
小学生の頃から髪を染め、中学に上がると同時に不良集団の仲間入り。
顔立ちは良く発育も良かったためそこで上位のカーストを得るのは難しくなかったが、どこか満たされなかった。
地元のクズ相手に粋がっても先が知れてる。
もっと、もっと上を目指せる場所に行かねえと。
何かを渇望するように中学卒業後、高校には進学せずに上京した。
生計を得るためバーの仕事を始めたのは父親の仕事を見ていたからだろうか。
年齢をごまかして働き始めた彼は程なくして芸能関係者の目に止まる。
そこからの展開も早かった。
事務所に所属するとほぼ同時にドラマの端役の仕事が決まり、一年も過ぎないうちにヤンキー漫画原作の映画でキーマンを務め、スターダムを駆け上って行く。
親兄弟にばら撒いても使い切れないほどの金。
男の欲望を掻き集めてかたどったような美女。
うっかり街も歩けなくなるくらいに熱狂的で膨大なファン。
目の前にいる邪魔者を全て喰らい尽くした伊皿子が観た景色は絶景だった。
(たしかにちょっとやり過ぎた。
悪い遊びを覚えて周囲の役者と揉め事ばかり起こす俺はクリーンになろうと足掻いている現在の芸能界にとっては扱いにくい代物だろう)
栗原の顔をガラステーブルに擦り付ける。
彫りが深くともあどけなさの残る顔が歪む。
度し難いことに伊皿子は女を抱いている時のような興奮を覚えていた。
(だが、それだってもっと強くなれば黙らせられる。
あの王賀美だってそうだった!
だから俺は)
「あのー……もういいっすか?
伊皿子さん」
「あ?」
栗原が発した一言に伊皿子は虚を突かれた。
瞬時に手首を取られ、二人の位置関係は逆転する。
伊皿子が栗原に右腕を捻りあげられていた。
「これでも、柔道黒帯っす。
先輩のやることは絶対ですけど、顔を怪我させられるといろんな人に迷惑かかるんで」
淡々と語りかける栗原に凄みを感じてしまった伊皿子は怯えてしまった。
それがマズかった。
伊皿子を解放し、背を向けて店を出ようとする栗原。
そんなこと許しはしない。
伊皿子琢磨が名もない新人俳優にあしらわれるなどあってはならない。
近くにあったビール瓶を掴み、栗原の後頭部目掛けて振り下ろす。
不運なことに栗原は察知して振り向いてしまった。
そのため、硬いビール瓶が額に打ちつけられ割れたガラスの切っ先は鈍い刃となり、彼の顔面を切り裂いた。
アリサはあらためて胸を撫で下ろす。
同じことが千世子に対して行われなくてよかったと。
しかし、当の本人は安堵なんて感情は心の片隅にもなかった。
「顔を……切られたの?」
「ええ、額から鼻筋を通って左頬まで。
縫合手術は行われたらしいけど、二十針は縫われたみたい。
跡は……残るでしょうね。
かわいそうだけれど」
「そんな……」
千世子は膝を抱えていた腕に食い込む程拳を握りしめた。
栗原くんは悪くない。
いや、たとえどんな落ち度があったとしても役者の顔を傷つけることが許されるわけない!
「千世子。あなたは何も関係ない。
伊皿子が癇癪を起こして後輩に暴行した。
それだけよ。
誰に話を聞かれてもそう答えなさい」
感情を差し挟む余地がないようにアリサはピシャリと言い放った。
事実、千世子はこの事件に関係ない。
だが、共演者であることは隠せない。
ゲスな勘ぐりで千世子を結びつけるマスコミ記者はいるだろう。
そうなった時に千世子を誹謗風評から守るのは毅然とした態度しかないのだ。
我慢ならないよ。
どうして伊皿子のようなヤツに何もかも台無しにされなきゃならないの!!
あんなクズが真っ直ぐに夢を追いかけていた栗原を傷つけることなんてあっちゃいけないのに!!!
おかしい、おかしい! おかしいっ!!
「千世子ぉっ!!!」
雷を落とすようにアリサは怒鳴った。
我に帰る千世子を見てふぅ、と一息つく。
「映画……どうなるの?」
「それを決めるのは製作委員会。
今頃、頭抱えながら会議していることでしょうよ」
製作委員会とは一言で言えばスポンサー集団である。
何億とかかる映画の製作費を賄うには複数の企業が費用を分担して行うこの方式が現代の主流となっている。
興行を実際に行う映画会社を始め、原作小説の出版社、キャストの所属する芸能事務所、放送局や新聞社などが出資し、利益や利権という形で還元される。
お金がなければ何もできない。
映画製作もそうだ。
事件を起こした伊皿子を降板させるとなると、伊皿子が出演していたシーンは全て
その金を出すかどうか、それが製作委員会の争点だった。
都内のインテリジェントビルにある会議室に製作委員会の企業を代表する面々に加え、監督の木下、原作者の芥子山が集められていた。
「では伊皿子が不起訴になろうと、降板は確定と」
「当然。あんな暴力的な男を使われてはイメージが悪すぎます」
「そうね。ウチの子たちも何されるか分かったもんじゃない」
「伊皿子を推されていた木下監督や芥子山先生もそれでいいですね?」
木下は不機嫌そうに顔を歪めて、
「異議ありません」
と短く答える。
一方芥子山はうーん、と首を傾げながら一考し答える。
「個人的にはそこまで気にするこっちゃないと。
一般人じゃなくて役者同士の喧嘩でしょ。
俺だってお偉い先生に殴られたり酒かけられたりしたことあるよ」
パーマをかけた金髪に色の濃い丸渕メガネ。
スカジャンにシルバーアクセサリーと若ぶった格好をしているが40代後半の芥子山は見た目以上に浮世離れした感覚の持ち主だ。
「先生。ニュースになった事件である以上イザコザで片づけられませんよ」
「別にスクリーンから伊皿子が飛び出してくるわけじゃあるないし何が問題なの?
嫌なら観なきゃいい。
それができるのが映画でしょーが。
そもそも俺の作品ってそういう作品だぜ。
天使様が加わって勘違いしたかもしれんけど」
「その百城さんが最大の壁なんですよ。
正確にはバックにいる星アリサが。
あの人の宝物である天使を犯罪者と共演させたいと思いますか?
まだ濡れ場も残ってるんでしょう?」
「リアルでいいんじゃない?
紗奈はそういう女だ。
自分の目的のために殺人犯に身体を捧げ、その手を血に汚していく。
箱入りお嬢様の社会勉強にはうってつけだ」
芥子山は笑ってそう言った。
企業人であるスポンサーの人間と自由業である作家の芥子山の間では価値観に大きな開きがある。
ある意味、その狭間にいるのが監督の木下なのだろう。
だから、机を叩いて声を上げた。
「芥子山さん! そういうのはリアルとか言わねえんだよ!
俺がアンタの本を使って撮らせてもらってるのは人間のドラマだ!
悪人を演じる役者が出るから作品になるんであって、悪人をそのまま使っても何も描けないんだよ!」
予想外の反応に芥子山も気圧された。
「意外〜。木下さんは俺に考え近いと思ってたんだけど」
「たしかに俺だって昨今のコンプライアンス云々はうぜえと思ってる。
だが、考えなしのバカのために百城千世子を汚す気にはならねえ。
アイツはホンモノの女優だ。
若い分、危なっかしいところもあるがいずれは映画界の財産になる」
「べた惚れだね。
だったらなおのことじゃない?
伊皿子琢磨を降板させる。
それって、この映画をお蔵入りするってことでしょ」
スポンサーの顔を見渡しながら芥子山は言った。
誰も言葉を返さない。
「俺だって業界長いんだ。
そんくらいのこと分かる。
木下さん、撮りたくないの?
百城千世子のマンイーター」
木下は閉口する。
断腸の想いで自分は諦めた。
ここでゴネ方を間違えれば監督業からの引退すらあり得る。
派手な功績がないロートル監督の代わりなんていくらでもいる。
「アンタとは違うんだよ。俺は……」
諦めた、と言おうとした瞬間だった。
コンコン、とドアを叩く音がした。
そして返事を聞くこともなくドアノブが回る。
「どうも、なかなか議論が白熱しているようですね。
私も混ぜてくださいよ」
ドアから入ってきた男はモデルのように長い手足を振りながら入り口から会議室の奥まで縦断する。
その場にいる人間で彼を知らない者はいなかった、というよりも映画のプロデュースに携わっている人間で彼を知らない者はいない。
金の匂いを嗅ぎつけてどこからともなく現れる。
その優秀さは誰もが認めるところであるが、手段の選ばなさも知れ渡っている。
「天知……さん! どうしてここに!?」
「もちろんビジネスです。
マニアックな小説原作のB級映画が伊皿子琢磨の不祥事のおかげで今や世間の注目の的。
小学生でも分かる先物買いですよ」
コツコツと自らの頭を指で叩く天知。
当然、面と向かって揶揄された芥子山と木下はいい気がしない。
「悪かったねえ、マニアックなものしか描けなくて」
「構いませんよ。
むしろちょっとくらい捻くれた方がいい。
天知の飄々とした態度はピリピリしていた木下の神経を逆撫でするには十分だった。
「勝手にしゃしゃり出てきてなんだテメエは!
この映画はもう終わったんだよ!
今更噛む余地なんてねえ!」
激昂する木下に天知は笑いかける。
「終わった? まさか。
Show must go onの精神でいきましょう。
主演男優が使えなくなったなら代役を立てればいい。
スケジュールが合わせられない人には降りていただいて私が補って余りある人材を連れてきます。
羅刹女の舞台を経て、一つ上のステージに上がろうとしている新生百城千世子の檜舞台をご破算にするなんてとんでもない。
一億、二億のはした金を惜しむところじゃない」
淡々と熱弁を振るう天知に毒され、木下の気持ちが揺らぐ。
「本気でこの映画を作り直せるとおもってるのか?」
「作り直すのはあなたですよ、木下監督。
私はお膳立てをするだけです。
もっとも、あなたが降りるなら代わりは用意しますけど」
「は……ああ!? 誰が降りるって言った!
ちゃんと役者と金の問題さえ解決できんなら
いくらでも撮ってやんよ!」
挑発的な物言いにまんまと載せられてしまった木下。
天知はニヤッと満足そうに笑う。
「では、撮り直していく方向で決定ですね。
せっかくだからスクリーン数も増やしちゃいましょう。
芥子山先生の素晴らしい作品をより多くの人に知らせたいですしね」
「おべんちゃらはいいけどさ、本当に代役なんているの?
こんな事件を起こした作品に関わりたい役者……売れっ子は難しくない?」
「問題ありません。
とっておきのがいるんですよ。
まあ、映画やドラマの出演経験はない新人なんですが」
天知がそう言った瞬間、再び会議室は紛糾した。
都内某所にあるカラオケボックスの一室。
『あああんっ! もっとおおおっ! あなたが欲しいいのおおおおお!! アハンウフんおっほおおおおお!!!』
渾身の腹式呼吸による発声で小説に書かれている濡れ場を朗読する男。
それを間近で聞いて辟易としている男。
「気持ち悪くなってきたから黙ってくれ」
「なんだよっ! お前が読んでくれって頼んできたんじゃねえか!!」
「小説の文字って頭に入らないんだもん。
だけど
素直に
「いや……それ普通にセクハラになんぞ。
芥子山作品はエッッロいからなあ。
こんなん読みたがるなんてお前も案外好きモンだな」
演劇界の巨人
その座長である
「別に。読んどけって言われたから」
「誰に?」
「悪徳プロデューサー」
そう言って、伸びをして部屋から出ていく。
カラオケの狭い通路を歩いていくと女子高生らしき集団とすれ違った。
「え? ちょっと待って? あのひと……」
「だよね……ヤバいヤバい!」
「どした? 有名人?」
「アンタ羅刹女観てないの? サイド乙の方!」
「観たよ、三回観た……って、ええええええ!?
マジで!? ありえなくない!?」
「たしかに舞台と全然雰囲気違ったけど、顔は同じだったよ!!」
「ヤバ! もっかいみにいこう!
てか声掛けよう!!」
背後の声が自分を噂しているものとはつゆ知らず、彼は自分の世界に入っている。
「…………文字だけじゃダメだな。
やっぱり人を食った方が手っ取り早い」
ポツリと小さな声でボヤく。
明らかに普通の人間とは異なる雰囲気を纏う彼が「人を食う」なんて言うと恐怖に近いものを感じさせる。
当然だが、本当に人間を食べるわけではない。
他人の人格や人生を理解してその感情を自分のもののように扱えるようにする彼流の役づくりの表現である。
「あのー……間違ってたらゴメンなさい」
女子高生が彼の目の前に回り込んで、意を決して尋ねる。
「
「……そうだけど?」
若手ナンバーワン舞台俳優。
巌裕次郎の最高傑作。
演劇界の至宝。
明神阿良也を称賛する言葉は枚挙にいとまがない。
だが、彼はまだ舞台以外の世界を知らない。
映画やドラマには出たことがない新人俳優である。