アクタージュは終わらない【原作の続き】   作:宇津木 恭吾

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SCENE136 猶予期間

 伊皿子琢磨の代役として明神阿良也を使うという話が星アリサの元に届けられたのは千世子の部屋から事務所に戻って間もなくだった。

 

 代役を立てての再撮影。

 多少のスケジュールの調整は必要だが、お蔵入りにされてしまうよりはいい。

 千世子にとってもベストな提案だろう。

 しかし、アリサはこの話を承諾すべきか悩んでいた。

 

 明神阿良也……稀代の演出家、巌裕次郎の最後の愛弟子にして最高傑作。

 舞台において国内に彼の右手に出る若手はいないと言えるほど突出した天才。

 夜凪景や千世子が映画界の宝なら、彼もまた演劇界の宝。

 道を間違えることなく周囲の権力者(大人たち)が導いてあげないといけない存在。

 

 そんな彼がこの映画に出るということは本当に正しいのか? 

 

 巌裕次郎を失った劇団天球の窮状は知っている。

 もちろん実力者ばかりの一座で各役者にファンも少なからず付いている。

 だが、それだけでは足りないのだ。

 巌裕次郎が演出する舞台公演があればテレビや新聞の取材は殺到する。

 集客は大規模となり、大きな会場(ハコ)で長期間の公演を打つことができるから、収益は上がり、次の舞台に向けての計画が立てられる。

 

 自由に好きな舞台が作れる。

 

 それは彼が世間に名を知られていた存在だったからだ。

 勿論、彼の演出家としての圧倒的な才があったからこそマスコミは彼を取り上げた。

 だが、ビジネスとして人を集めるのに必要なのは知名度。

 今の劇団天球の団員全員の知名度を持ってしても巌裕次郎の足元にも及ばない。

 次に行われる公演の会場席数は300強。公演期間は一週間。

 のべ集客予定数は『銀河鉄道の夜』の10分の1にも満たない。

 それが今の劇団天球の実力(知名度)

 このままだと中堅劇団のひとつに成り下がってしまい、劇団経営は厳しくなる。

 

 典型的な天才肌の明神阿良也が冷酷でビジネスライクなプロモーションを得意とする天知と手を組んだ理由もそこにあるのだろう。

『羅刹女』での好演に続き、不祥事で窮地に立たされている今回の映画(マンイーター)の代役を見事にこなせば彼は一躍スターダムにのし上がれるだろう。

 しかし、それはかなりの賭けだ。

 

 明神阿良也は純粋な舞台役者であり映像芝居の経験がない。

 もし、凡庸だったり浮いた芝居をしてしまって映画の空気を壊してしまえば消えない烙印を押されてしまう。

 

『明神阿良也は舞台以外では使えない』

 

 と。

 それは演劇界の宝を演劇マニアにだけ有難がられる骨董品に貶めることだ。

 

「巌先生……あなたには借りを返せていないままなのに」

 

 アリサは思わず声を漏らした。

 懺悔のような鈍く重い響きが一人きりの社長室に広がる。

 

 巌裕次郎の最後の舞台『銀河鉄道の夜』をアキラのスキャンダル隠しのために利用した。

 遺作となることを予期していたその舞台に本意ではないキャスティングをさせることになった。

 にも関わらず、才能がないと見限っていた実の息子に役者として生きられる道を指し示してくれた。

 過去の因縁を差し引いても変えがたい恩義だ。

 それに報いなければならないのに、あだで返すことになるかもしれない。

 

 タバコを口に咥え、火をつける。

 

 紫煙を燻らせながら、昂りすぎた気持ちを沈め、冷静に決断を下す。

 

 

 責任なんて、とりようがない。

 人生で起こるトラブルなんて取り返しのつかないことだらけだ。

 それら全てを避ける道なんて意図的に選びようがない。

 

 権力者(大人)として、私は罪を作ることも罰を受けることも覚悟しなきゃならない。

 子供たちのために戦うとはそういうことだ。

 

 

 それから一週間後、暴行事件を起こした伊皿子に代わってマンイーターの準主演『羽馬木翔真』役を明神阿良也が務めるというニュースが発信された。

 

 

 都内のある練習場にてゲーム原作のミュージカル舞台の稽古が行われていた。

 最近流行の2.5次元舞台というものだが、その造りは決して軽んじられるものではない。

 客層はライト層、普段舞台芸術に縁のない人々ではあるが演じる側はそうはいかない。

 通常の舞台とは比べ物にならないほどの集客人数を誇る大公演を支えるには確かな実力が必要となる。

『羅刹女』の舞台でサイド乙の三蔵法師を演じた渡部(とべ)(けん)もその一人だ。

 

 稽古の合間、役者仲間の一人が渡部に声をかける。

 

「見たか? 伊皿子がやらかした映画のニュース」

「ああ。阿良也が代役を務めるんですよね」

「そうそう。ついに演劇界の秘蔵っ子が映像デビューだ。

 伊皿子のバカも業界的には良い方向に回るのかねえ」

 

 スキャンダル好きの俳優仲間の底意地の悪そうな笑みに辟易としながら、渡部は距離を置こうとする。

 

「なあ、渡部はさあ、こないだまで共演していたよね。

 明神阿良也と。

 実際、どうなのよ。

 映像の方の順応性はありそう?」

 

 舞台芝居と映像芝居は根本的に違う。

 映像は目の前のカメラと画面外のマイクに対していかに自分の芝居を入力するかという種目だが、舞台は会場全てに自分の芝居を響きわたらさなければならない種目。

 単純なスキルとしては舞台の方がより高度な事や難解なことを求められる。

 数時間舞台に立ち続けられる体力、分厚い脚本を頭に入れる記憶力、会場全体に届けさせられる発声と動作の表現力、そして一回きりの本番でフルスペックを発揮できる舞台度胸。

 これらは稽古に稽古を重ねて身につけるものだ。

 それに対して映像芝居は、極論、ズブのど素人にいきなり台本を渡してもカメラの前に立たせても形にならなくもない。

 しかし、だからといって舞台役者が映像役者を必ずしも上回るかというと、そうではない。

 舞台での芝居のために身につけた誇張芝居は映像においてはわざとらしく映る。

 本来、日本人は日常生活で大きく身振り手振りをつけることはないし、二人きりで話すときに声を張り上げたりなんてしない。

 だが、舞台役者はそれをやってしまいがちだ。

 監督がそれを許してしまえば、役者は一人浮いた存在になってしまい、逆に矯正しようとすれば萎縮した凡庸な芝居になることもしばしば。

 極論、舞台で育った役者が映像で芝居をするのであれば今まで培った能力全てを捨てて、ゼロから芝居を学び直さなくてはならない。

 

 渡部は根が真面目な人間だ。

 だから興味本意の質問に対しても、誠実に答える。

 

「俺が阿良也と共演して最初に思ったのは『ああ、これが巌さんの理想だ』ってことです。

 あの人は嘘や見せかけを嫌い、正直さを役者に求めていた」

「へっ、役者みたいなフィクションを作る人間に正直さを求めるとか、まるで禅問答だな」

「ああ。だから俺はそこまで至れなかった。

 明神阿良也の芝居には果てしなく嘘がない。

 メソッド芝居の没入感で舞台の立ち回りをこなす。

 そして、芝居の引き出しがとてつもなく広い。

 自身のカリスマ性頼りの芝居をしたサイド甲の王賀美とは対称的だった。

 人気投票じゃなく役者としての技量で言えば阿良也は王賀美を圧倒していたでしょう。

 映像での芝居をこなすだけの柔軟さはおそらくあるでしょうね」

 

 悟空と牛魔王の二役を演じ分けるだけでなく、舞台の最終盤にて行われた悟空の姿のまま牛魔王の影を浮かばせる絶妙の演出。

 あんなものをあのレベルで演じ切れる役者はそういない。

 

「なるほど、なるほど。

 たしかに役者としての能力は申し分ない。

 だけど、映像で求められるのは技量ではなく、人気投票に勝てるかだろ? 

 極端な話、下手な芝居でも観客が満足すれば成功で、完璧な芝居でも観客が物足りなかったら失敗。

 そういうもんじゃん、映像って。

 伊皿子は態度とかクソだったけど不思議と華があったからなあ。

 純粋無垢な演劇青年がどこまで追いすがれるか」

 

 渡部は「結局、自論を語りたいだけじゃないか」と内心毒づく。

 しかし、同じことを危惧していた。

 舞台で輝く阿良也の真髄を映像では観るのは難しい。

 情緒を持たないカメラのレンズが映し出す映像はすべてを架空の世界の出来事に落とし込む。

 

(ハッキリいって、マズい仕事を選んだと思うぜ、明神阿良也。

 巌さんが教えてくれたことは撮影スタジオには持っていけない。

 丸腰の状態でお前は伊皿子の幻影や百城千世子の輝きと戦わなきゃいけないんだ)

 

 

 

 

 阿良也の家にはテレビがない。

 だからDVDなんかを観たいときには他の団員の家に転がり込む。

 男女関係なく、時間や都合はお構いなし。

 しかし、その無遠慮さに周囲はならされていた。

 

 今、阿良也が観ているのは伊皿子琢磨が出ている映画のDVDだった。

 監督がどのような役者を求めているか、確認するためだ。

 

「……つまらない役者だな。

 華はあるんだろうけど臭いは薄そうだ」

 

 複数の作品を観た率直な感想だった。

 単純な役者としての技量では自分が劣ることはあり得ない。

 だが、映像芝居において自分が今まで使ってきた武器はほとんど封じられる。

 液晶に映るつまらない役者よりも魅力なく映し出される恐れだって十分にあるのだ。

 当然、そんなことは許されない。

 

 映像の世界に進出するのは名声を得るため。

 それはすなわち劇団天球に客を引き込むためだ。

 世間的には無名の役者しかいない劇団が生き残っていくには、それしかない。

 

「阿良也ぁ、準備できたからこっちにおいで」

 

 三坂七生(さんさか ななお)はお風呂場の扉をあけて阿良也を手招きした。

 阿良也は従って風呂場に入る。

 

「じゃあ、はじめるよ……」

 

 阿良也は羽織るように着ていたシャツを脱いで上半身を露わにし、風呂場の床に四つん這いになる。

 七生は阿良也を見下ろしながら、熱い液体を吐き出そうとするソレを細い指で握り込み……

 

「おりゃ──!」

 

 バ──っと熱いお湯を阿良也の頭に目掛けてぶっかけた。

 阿良也の髪に塗布されていた白いクリームが見る見る剥がれ落ちていく。

 

「あはは、まるで犬を洗ってるみたい。

 髪の毛もカットしてあげよーか?」

「切られすぎたら困る」

 

 七生はシャワーを片手に手際よく阿良也の頭を洗い、さらにトリートメントをつけてケアをする。

 その後、軽くタオルドライした後にじっくりとドライヤーで乾かす。

 

「うーん、やっぱ傷んでるね。

 美容室でやってもらった方が良かったんじゃない?」

「いや。多分、アイツは髪を染めるのに美容室なんか行かない。

 少しでも自分とは違う何かになりたくて髪を染めるのは個人的な儀式なんだ。

 きっと家で一人でやる」

「だったら、私を巻き込むなっつーの」

 

 口ではそう言いながらも七生は鼻歌混じりに阿良也の髪の毛をセットしていく。

 

「なかなかいーじゃん。

 画面映えするんじゃない」

 

 阿良也は改めて洗面所の鏡に映し出された自分の金色の髪を見る。

 

「なるほど。たしかに雰囲気変わるね」

「ワルっぽいよ。えーと、次は……」

 

 七生はマンイーターの原作本のページをパラパラとめくる。

 

「あ! 路上で酔い潰れてる女を家に持ち帰って…………おぉ…………うん、すっごい。

 どーする? コレもやっちゃう?」

 

 悪戯っぽく笑う七生にはそこはかとなく妖艶さが漂う。

 好色というわけではないが、男をからかう仕草はお手の物なのだ。

 もっとも、阿良也は動じることなく真面目な顔でうなづく。

 

 

「そうだな。その手のって経験ないし————」

「冗談だって! 

 代役の役者までスキャンダル起こしたらホントにこの映画終わるっつーの!」

 

 阿良也は役作りにあたって様々なことを試している。

 羽馬木翔真は服役していた元殺人犯。

 映画では出所して間もないころ紗奈と出会ってしまい、彼女に溺れるがまま再び人殺しに手を染めていくというだけだが、原作では出所後、世間に戻ろうと足掻く様子についても細かく描写されている。

 出所してすぐ髪の毛を脱色したり、性欲を発散するために女を買ったり。

 そのディテールをなぞるようにして阿良也は羽馬木翔真という人間を掴もうとしている。

 

(舞台の時と同じく、異常なまでに役への没入にこだわってる。

 この調子ならきっと本番までにある程度のカタチに昇華できるはず。

 だけど……)

 

 七生は少なからず不安を覚えている。

 

(今までと同じやり方で大丈夫なの? 

 阿良也の表現力の強さは映像では仇にならない? 

 独学じゃなくて映像系の専門家に相談した方がよくない?)

 

 しかし、口にはできない。

 自分だって映像芝居の経験はほとんどない。

 ましてや映画の主演クラスなんて。

 阿良也を納得させられるような材料を持ち合わせていない。

 だから強く信じるだけ。

 

(私たちの誇る看板俳優が、映像畑の連中なんかに遅れを取るわけない!)

 

 と。

 

 

 

 そして、現在最も日本で注目を集めている俳優とも言える伊皿子琢磨は、早々に保釈されるとすぐに事件現場でもあるナイトクラブ『ミュゼ』にやってきていた。

 VIPルームは他の席とは離れている上に個室。

 そこにお気に入りの嬢であるマキナを連れ込んで一時間ほど呑み続けていた。

 

 

「やらかしちゃったねえ、タクマ。

 これからどーすんの」

「さあなあ。ま、なるようになんだろ」

 

 手元の酒に口をつけて苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「つーか、誰だよ! 

 警察呼んだバカは!! 

 まさか店の人間じゃねーだろうなあ!!」

「大声出さないの。

 大丈夫、うちの店のみんなはタクマの味方だから」

 

 甘く諭すように語りかけるマキナ。

 しかし、伊皿子の昂りは治らない。

 マキナに覆いかぶさり、首元に噛みつく。

 

「あはっ、ちょっとお店の中だよ。

 さすがにまずいって」

「店長が怒ってきたら俺が話をつけてやんよ。

 こっちは留置所に押し込められて溜まってんだよ!」

 

 マキナのドレスを破るように脱がせ、迫る伊皿子。

 その時、VIPルームを仕切るカーテンがサッと開けられた。

 

「おつとめご苦労さま。

 スゴイね。あんなことやらかしたくせに全然しおらしくならない。

 それともヤバイ状況に追い詰められてるのが分かってるから、無茶苦茶やってるのかな?」

 

 場にそぐわない優美な笑みを浮かべて現れた彼女の雰囲気はこの世のものとは思えないほど現実感がない。

 他の席の声を遮断する大音量のBGMも彼女の声を遮れない。

 天使、という異名がこれほど似合う女は他にいないだろう。

 

「……何の用だぁ? 百城千世子ぉ!!」

 

 凄む伊皿子の圧力をものともせず、冷たく言い返す。

 

「死刑宣告しに来てあげたんだよ。クズ野郎」

 

 凄まじいほどに怒っていた。

 天使の仮面は燃え盛る感情を押さえつけるための蓋となっている。

 

 叶うなら思いっきり拳でボコボコにしてやりたい。

 爪で引っ掻いて一生残る傷をつけてやりたい。

 だけど、そんなことは許されないしできない。

 暴力でものごとが上手く運べるような世界に私はいない。

 

 だから千世子は笑う。

 口角を釣り上げて綺麗な白い歯が光る。

 海のように優しく美しい笑み。

 しかし、海の底のように真っ暗で冷たい印象を受ける。

 そんな凄絶な笑みを目の当たりにして、伊皿子は思わず冷や汗を流した。

 

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