SCENE139 プロット
海の見える古い墓地で薬師寺真美と夜凪景が対峙していた。
二人の傍にある墓石の下には薬師寺真波の母親の骨が埋まっている。
「家の金掴んで出て行った時に、お前とはもう二度と会うことはねえと思ってた」
「別にお婆ちゃんに会いたかったわけじゃないわ。
お母さんに挨拶したかっただけ」
「フン……だが、ここで会ったが百年目だ。
持って行った十円、耳を揃えて返せ」
「ちぇっ。ごうつくばり」
「だまれ。コソ泥娘。
警察に突き出されんだけありがたく思え」
夜凪は財布からお金をあるだけ引っ張り出して渡す。
真美はそれを数えて、
「3円足らんべ」
と文句を言う。
夜凪はそっぽを向きながら、
「もうすぐ映画に大きな役で出るから。
そうすれば人気者になって給料だって上がって」
「ケッ!」
真美は夜凪から受け取った金を地面にぶち撒ける。
「ちょっと! なんてことするのよ!!」
夜凪は地面に這いつくばってお金を拾い集める。
その夜凪の髪を掴んで真美は迫る。
「こんな汚え金なんて受け取りたくねえ」
「汚いですって!?
これは私が女優として働いて稼いだお金で」
「何が女優だっ!!
やくざみてぇな男どもにドヤされて色目使われて!
大部屋に男と混じって雑魚寝して!
挙句、同僚の女優に妬まれて着物破かれて!
なんもキラキラしてねえ!
惨めな仕事じゃねえか!」
撮影所であったことを見てきたかのようにあげつらう真美に夜凪は悔しそうに歯噛みする。
真美は続ける。
「所詮、身を売る仕事なんだよ。
見てくれ綺麗な女はそりゃあ男からチヤホヤしてもらえるべ。
だけどな、見てくれに釣られて寄ってくる男なんてロクでもねえやつばっかりだ。
お前はそういうロクでもねえ奴を喜ばせるために小遣い程度の金をもらいながら自分を切り売りしてるんだ!
いいかげん目を覚ませ!」
鬼気迫る勢いで詰め寄る真美。
周囲のスタッフは離れた場所からでもその迫力に震え上がりそうになる。
しかし、夜凪はその圧を至近距離で受けても、怯まなかった。
「目を覚ませ?
一度だって目を閉じたり逸らしたことはない!!
お婆ちゃんが言ってるとおり、芸能の道には汚いところややくざなところがいっぱいあるって分かってる!!
それでも、この夢を諦めるつもりはないわ!」
「何が夢だべ! こんなこと続けたら堅気の男の嫁には行けんようになんべ!
後悔することになんべ!!」
その言葉を受けて真美の手首を握り、真っ直ぐな目で睨みつける夜凪。
沢山の想いが溢れて見えるかのような煌々とした大きな瞳。
明らかに常人とは違う、特別な力を秘めた瞳。
こんな目をしている人間が普通の人生を歩むはずがないという説得力がそこにはあった。
「堅気の嫁なんかに興味はないけど、否定させてもらうわ。
女優は身を売る仕事なんかじゃないわ。
女優とは……進む道を邪魔するものすべてと戦って、
夜凪が言い放つと
「私は負けないわ。
だって、育ててくれたお婆ちゃんの手を振り払って……何度も伸ばそうとしてくれる手を打ち払ってここまで来たんだもの。
怖い監督さんだって、意地悪な先輩方だって、私を止めることはできないわ」
激しい芝居から打って変わって、心の奥から感情を滲み出させるような重くゆっくりとした芝居をする夜凪。
18歳の若手とは思えない重厚感を醸し出しているが、重さ深さで真美が遅れを取るはずがない。
「……さようか」
ペシリ、と夜凪の手を叩いて手首を解放させる。
「私は……お前のことを母親の代わりに育てんといかんと思っとった。
だが、そんなんは独りよがりだったんだな。
お前がもう生き様を決めてるのなら、婆ちゃんは何も手出ししてやれん」
「……お婆ちゃん」
真美が瞳を潤ませて、言い放つ。
「お前はありふれた生き方を自ら手放した。
だから、二度と甘えたりすんな。
縋って帰ってきたりすんな。
女優として生き……それができんようになったらのたれ死んでしまえ!
ありふれた生き方を選ばんというのはそういうことだ!」
夜凪も涙を流しながら強く首を縦に振った。
監督の犬井がカメラを回していなかったことを後悔する程の熱の入ったリハーサルだった。
周りのスタッフや見学していたキャストが息を呑むほどに密度の濃い芝居だったが、二人はまだ思うところがあるようで、
「夜凪さん。私に言い返してきた時、少し微笑んでいたけどどういう心情で」
「ええと、私はお婆ちゃんの血を継いでいるんだから、そんなに弱くないって伝えたくて」
「そう。でも不適すぎない?
もう少し慎ましくやりなさいよ」
「それはこっちも髪の毛掴まれて脅されて腹立ってますし」
「ふーん。犬井さん、どう思う?」
女優同士が演技プランで揉めていたら監督が仲裁し指示をするのは当然だ。
だが、犬井はまさか自分に意見を求められるとは思わなかった。
真美なら夜凪の言うことなど一蹴して従わせる……というか、そうして然るべきなのだ。
薬師寺真美にはそれだけの権威がある。
にも関わらず、犬井も交えて話し合おうなどとするというのは夜凪を認めているからに他ならなかった。
大河ドラマ『キネマのうた』クランクインから一ヶ月が経った。
既に第二回放送分までが撮了し、現在第三回放送分を中心に撮り進めている。
薬師寺真波の生涯を中心に戦前戦中戦後の日本映画界と同時代のうねりを描く超大作。
故に近年の大河ドラマの中でも業界内の注目度が極めて高い。
何しろ現在の芸能界の礎になった人物や存命の重鎮が登場人物として描かれるからだ。
脚本家である草見に対する重圧は半端なものではない。
だが、胃を痛めているのは彼だけではない。
監督の犬井も当代屈指の豪華キャスト陣をコントロールしながら撮影を進めて行かねばならない。
二人の心労は既にかなりのところまで蓄積しており、喫煙所で顔色を悪くしながら並んでタバコを吸っている。
「今回の撮影は重いなあ……
大河のチーフなんてどれだけ頼まれても二度とやらねえ」
「僕も嫌です。
いっそ脚本家なんてやめてしまおうかな。
ラノベ作家って気楽そうでいいですよね。
担当編集以外に作品に口出ししてくる人いなさそうだし」
「ああ、だったら俺もアニメ監督やろうかなあ。
大御所俳優よりかは売れっ子声優の方がいくらか謙虚だろうし」
はあ……と大きなため息を吐く二人がいる喫煙所の前を衣装姿の夜凪景と吉野桜治郎が通りかかる。
二人は先程のリハーサルについて言い合いをしているようだ。
「なんだい、またアタシの芝居にケチつけようってのかい?」
「ケチつけてるんじゃありません!
色っぽ過ぎるんですよ!
タバコの煙を吹きかけるだけであんな艶かしい仕草しなくても良いじゃないですか!」
「ヒヒッ、夜凪ちゃんはおぼこいねえ。
まあ、本番では鼻血出されても困るし手加減してあげんよ」
「手加減とかそういうのじゃなくってぇ……」
二人が通り過ぎ、廊下の角を曲がったのを見送ったところで草見が口を開く。
「女子高生が紫綬褒章貰いそうな大女優と芝居で張り合って、歌舞伎界の
「怪物だよ……
最初オージの色気にやられた時はどうなることかと思ったけど、本番ではそれをおくびにも出さなかった。
芝居が上手いだけの小娘だったのに、今は図太い芯みたいなものが入ったように見える」
「真美さんとも上手くやってるみたいですね。
最近、家出る時から着物着てるらしいんですよ彼女。
和服の動きに慣れたいかららしいですけど、その着物も真美さんと歌舞伎座に行った時に買ってもらえたとか」
「歌舞伎鑑賞に連れてかれて着物買ってもらうって……祇園の芸妓かよ、アイツ」
呆れたような声を上げる犬井だが、夜凪への評価は極めて高い。
オーディションの時から同世代の実力派と並べても頭二つくらい抜けていたが、ここに来ていよいよ手をつけられなくなっている。
カメラに映すと存在感が凄まじい。
当初の犬井の演出プランでは『キネマのうた』序盤における薬師寺真波は未完成な女優志望の少女として、荒くれた戦前の映画人の日常を映し出す視点の一つにする予定だった。
この作品の主役はあくまで時代。
薬師寺真波も視聴者に時代を伝えるためのパーツの一つにするつもりだった。
しかし、夜凪は目立ち過ぎる。
時代ではなく、時代の海を泳ぐ夜凪景を視聴者は観て求めることになるだろう。
「凡百の役者の方がよほど使いやすいぜ。
そして惜し過ぎる」
「惜し過ぎる?」
「薬師寺真波の少女時代は五話で終わりなんだよ」
そう。薬師寺真波は鳴乃皐月、夜凪景、環蓮の三人の女優によって演じられる。
どの女優もそれぞれの世代で最高峰といっても過言でない実力の持ち主だ。
だが、この作品の主演女優はあくまで環蓮。
皐月も夜凪もその前身を演じ、環にバトンを繋ぐ以上の役割を求められていない。
「18の女の子を長々と主演枠に置いておくのは無理がありますからね。
むしろ五話まで使わせたのも中嶋プロデューサーの力技でしょう。
真波が18歳になるまでは環蓮ではない若手にやらせたいと言って通したのは」
「ああ、当初案では子役と環が二人だけで演じる計画だった。
別に珍しいことじゃない。
中高生役を三十路過ぎた俳優がやるなんてザラにあることだ。
むしろPがなんでそんな博打を打ちたがるのかよく分からんね」
「まあ……あの人はあの人で野望みたいなものがあるんでしょう」
草見はタバコを灰皿のフチで押しつぶした。
「犬井さん。これは僕の妄想なんですけど————」
「んなもん聞く義理はねえよ」
「薬師寺真波が演じる夜凪景をもっと観てみたい。
せめて戦中編の白洲との別れのシーンまで」
草見がそう言うと犬井は頭を掻いた。
「十三話まで、だな。
天下の大河ドラマの1クール分を主演させろと?
環にお預けさせて、単発ドラマの一本も主演したことのない駆け出しの女優に」
「だから妄想です。
ですが、僕の仕事は妄想で世界を作り、それを文字に書き起こすことなんですよ。
そして夜凪景を見る度に妄想が止まらなくなる。
戦中編は薬師寺真波にとって不遇の時代そのものだ。
戦意高揚を目的とする映画の製作に懐疑的だった彼女は仕事を与えられず、心を通わせた人々が戦地に赴き、散っていく。
強い環蓮が揺れることなく、その時代を渡っていく姿を妄想して僕は戦中編を描いた。
だけど、今は別の薬師寺真波を見てみたいんです」
生まれて初めて映画館で映画を観た少年のように目を輝かせて草見は語る。
一方、犬井は死んだ魚のような目をさらに曇らせる。
「夜凪が出張り過ぎれば作品のバランスが崩れかねない。
視聴者に夜凪の印象を植えつけ過ぎれば、後を引き継ぐ環が霞む。
あくまで主演は環蓮。
それに……背も態度もデカくてムカつくけど、アレも並の役者じゃねえ。
夜凪の潜在能力がいくら高かろうと、現時点で環から役を奪うにはまだ足りん」
草見はため息を吐き、もう一本タバコを取り出して口に咥える。
「羨ましいですね。
今の夜凪景を主演で使える監督や脚本家が。
あの調子で経験を積んで行けば数年のうちには女優として完成されてしてしまう。
きっと今以上にいい役者にはなってるんでしょうが……今の彼女の魅力は失われる」
草見の呟きは的を射ていた。
夜凪の成長速度は著しい。
逆に言えば未完成の原石が魅せる可能性の魅力はジワジワと失われている。
少女役としての夜凪景の消費期限は近づいている。
「そろそろ動き出すかもな、夜凪景の主演映画」
「誰が撮るんですかね?」
「さあな。下手な監督でないことを願いてえよ」
その日の撮影が終わり、夜凪は柊と一緒に帰り支度を進めていたのだが、
「夜凪さん、ちょっといいかな?」
夜凪に声を掛けたのはサラリーマン面した身なりの男だった。
夜凪は記憶をたぐれず首を傾げる。
すると、柊が大慌てで耳打ちする。
(チーフプロデューサーの中嶋さん!
このドラマのスタッフでいちばん偉い人!!)
「ああっ!? し、失礼しました!!」
「ははは、僕の顔なんてみんな覚えていないから安心してください。
犬井さんとか草見さんとかスタッフまでキャラクターが濃い現場だからなあ」
のほほんとした様子で笑い飛ばす中嶋。
夜凪はホッと胸を撫で下ろす。
「夜凪さん、これからちょっとお時間よろしいですか?
お見せしたいものがあるんです」
連れて行かれた会議室で綴じ紐で閉じられた横書きのA4冊子を渡された夜凪はその中身を食い入るように読み込んでいる。
隣に座っていた柊は冷や汗を流しながら口を手で覆うようにして、
「ほ……。本当にこんなことが行われていたんですか?」
と中嶋に尋ねる。
夜凪と柊が読んでいたのはキネマのうたの六話目以降のプロットだ。
そこに描かれていたのは伝説の女優の成長などではなくひたすらに暴力的で凄絶な時代の闇だった。
「ええ。一般的に知られてる戦前、戦中の映画界と言うのは戦意高揚のための国策映画が撮られていたというくらいでしょうが、事はもっと複雑です。
当時は上層部以上に大衆が戦争の熱に浮かされていた。
明快で奮い立つような戦争映画を求めていた。
リアリティを無視したご都合の良い低俗な映画を。
その中で映画人たちは心を砕きながら映画を撮り続けます。
何故ならば、内地で映画を撮り続けられる身分というのは恵まれた立場だったから。
戦場に駆り出された若き映画人の多くは命を落とし、帰還しても障害を残してまともな生活ができない者も多かった。
同胞に対する後ろめたさと撮らない意志を示せば自分が戦地に送られるかもしれない。
実際、戦地に送られた監督と内地に残って映画を撮っていた監督との間の軋轢は戦後もしこりのようにして残ることになります」
さらにプロットを読み進めた夜凪が声を上げる。
「……え、桜治郎さんが演じる白洲監督……軍で虐待に遭ってたんですか!?」
「ええ。白洲雅紀の遺品である手記にも書かれています。
『真波さんとの関係を疑われていた俺は軍の上官に『何度真波とヤったんだ! 言ってみろ!』と罵られ裸で四つん這いにされたところを精神注入棒で殴られた。
戦争という人類の祭典はプリミチブな快楽を求めるケダモノを喜ばすために開かれるのだろう。
奴らには俺の映画は分からない。
真波さんの真なる美しさに気づくこともない。
ここに愛でるべき美しきものは何もない。
俺のいるべき場所じゃない。
日本に帰りたい。
映画を撮らせてくれ。
真波さんと約束しているんだ。
君を誰よりも美しく撮る』と」
中嶋は手記の内容を一言一句淀むことなく諳んじてみせた。
得体の知れない迫力や執念じみた感情に触れて夜凪と柊の背筋が冷えた。
「……もちろんそのあたりも描写しますよ。
親族の許可は取ってある、というか希望されています」
現実感のない凄絶な話だ。
きっと製作発表を見聞きした人間のほとんどが『キネマのうた』は薬師寺真波の女優人生を描いた華々しいもので、戦争下の暮らしは背景程度にしかならないものだと思っている。
今、夜凪が感じている以上の動揺を視聴者たちは抱くことになるだろう。
「戦争が終わった後も、映画界の受難は続きます。
軍部にとって代わりGHQが占領地とした日本の思想教育に干渉します。
戦争を賛美する映画の次は自由と平和、そして資本主義社会を至上のものとして扱う映画を撮るように指導されたのです。
つい先日まで日本の侵攻を映画の中で褒め称えて来た監督が先の戦争の意義を否定する。
さらには抑圧されて来た労働組合運動が解放されると同時に急進化、肥大化を遂げ、映画会社の屋台骨を揺るがし、ストやデモで映画が撮れない事態に発展します。
それにうまく迎合できた監督は以降の映画黄金時代を堪能できましたが、そうでなかった人は……
戦争の悲劇なんて簡単な言葉で片付けられるものではありません」
復員後、白洲監督はかつての盟友だった監督たちに離縁状なるものをばら撒く騒動を起こす。
『俺が戦場で地獄を味わっている間に内地でぬくぬくとしながら愚民を慰める陳腐な映画を撮って、今度は何百万の同胞を殺した侵略者に媚びへつらった浅はかな映画を撮ろうとしている。
君達を映画人とは認めない。
故に今後のお付き合いを固辞させていただく』
当然、気狂いもの扱いをされて業界から追放された。
酒やヒロポンに溺れて身上を食い潰す日々。
そんな白洲に真波はこっそりと米や味噌を届けていたという。
「真波さんと白洲さんは恋人だったんですか?」
「どうでしょうね。
映画界のトップスターと気狂い扱いされ干された映画監督。
許される恋ではなかったでしょう。
分かっていることは、薬師寺真波は生涯独身で、真美さんの父親は明かされていないこと。
白洲監督は後に資産家の娘と結婚したことで監督業に復帰することができ、数々の名作を撮り上げたこと。
作中におけるそのあたりの流れはどうしても想像の域を出ないものになりますが、あくまでこれはドラマなので」
たくさんの情報を頭に一気に詰め込んだ夜凪は気怠そうに椅子の背もたれに身を預ける。
疲労した頭の中で、ひとつだけ浮き立つように感情が盛り上がってくる。
「真波を……最後まで演じたい」
ポツリと漏らした一言。
聞きようによっては環に対する宣戦布告にも取れる発言に柊は冷や汗を流すが、中嶋は待ってましたと言わんばかりに、
「じゃあ、直談判しましょうか。
環さんに」
と笑顔で応えた。
※戦時付近の映画界の事情については諸説あります。