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『大下剋上! 夜凪景が環蓮から役を奪う!』
来年の大河は近代劇と聞いていたが現場は戦国時代真っ最中のようだ。
新進気鋭の若手女優、夜凪景が環蓮から役を奪った。
長らくドラマウォッチャーをやっているが不祥事や病気による降板以外の形で主演級の俳優が撮影中に交代するなんて聞いたことがない。
来年の大河ドラマ『キネマのうた』について詳しくない諸兄らのためにかいつまんでドラマの内容を話すと、日本の戦中戦後の映画界を代表するスター薬師寺真波を中心に激動の昭和の時代を生き抜いた映画人達の物語である。
火事で両親を失った薬師寺真波が映画女優になることを夢に抱き、魑魅魍魎蠢く昭和の映画界に飛び込んでいく。
過酷な労働環境に加え、戦争のせいでとる映画の内容も制限される時代。
薬師寺真波は持ち前の前向きさと映画に対する愛を燃料にスターへの道を邁進していく物語だ。
主演の薬師寺真波役に抜擢されたのは説明無用の大女優、環蓮。
ヒット作請負人の彼女にとって遂に訪れた大河主演。
しかも伝説の大女優という役どころ。
現代日本ナンバーワン女優の座に繋がるレッドカーペットの上を優雅に環は歩いていた。
しかし、そのレッドカーペットの上に裸足で飛び乗って環を斬りつけた少女がいる。
それが夜凪景だ。
最近はテレビCMにも出演しお茶の間の人気も高まっている彼女だが、あまりにも大胆不敵な登場である。
そもそも、夜凪はこのキネマのうたにおいてちゃんと役を得ていた。
少女時代の薬師寺真波、つまり環蓮が演じるには厳しい若い時代を演じるという大役。
このオーディションには若手実力派の主演クラス女優が多数受けに来ていて、それらを薙ぎ倒して夜凪が薬師寺真波の役を勝ち取っている。
「女優という仕事を最もプロフェッショナルにこなしていたのが彼女です。
他の女優達が刀一本で乗り込んできた兵士だとすれば、彼女は何十本という刀を床に刺して片っ端から引き抜いて戦っているような鮮やかさと凄まじさがありました。
オーディション会場が夜凪のワンマンショーになってしまいましたよ」(大河ドラマ関係者)
「夜凪さんが芝居で競い合って負けるわけないじゃん。
羅刹女からしばらくの間、ちゃんとお芝居してなかったからフラストレーション溜まってたろうし。
競争相手はお気の毒様ってところだね」(夜凪景の友人M氏)
夜凪景の芝居を評価する声は大きい。
この記事を書くにあたって私も羅刹女の舞台を観てみたのだが……これは規格外も規格外だ。
筆舌に尽くし難いとは言いたくないが、彼女の芝居の凄まじさを表現できる語句は私の辞書にない。
間違いなく10年に一人出るか出ないかの天才だろう。
これらを踏まえて今回の騒動を見つめ直す。
まず、環が降板するというわけではない。
当初、六話から環演じる薬師寺真波が登場する予定だった。
それが十三話まで延び、夜凪が代わって演じるというものだ。
役を分けてもらった、という見方ができなくもないが、やはりこれは役を奪ったと書いた方が正確だろう。
通常の1クールドラマの放送分をキッチリ夜凪に演じ切られてしまえば、その後を演じる環はどうしても夜凪の後を引き継ぐことを本人も視聴者も意識せざるを得ない。
複数シリーズがあるドラマの主役がシーズン1と2で役者が交代するようなものといえばイメージがしやすいだろうか?
間違いなく、環が想定していた大河主演とは違うものになりつつあるのだ。
決して上機嫌ではないだろう。
決して穏やかな話ではない。
しかし、何故だろうか? 私は高揚を覚えている。
まだまだ未知数ながら才能の片鱗を見せつける天才少女が最高の女優に挑みかかる。
そんなフィクション染みた光景がリアルに起こっているのだから。
時代のスターはこうでなくちゃいけない。
数多の娯楽が氾濫し、刺激になれ不感症になりつつある大衆を熱狂させるのは神様が描いたような筋書きを体現する者。
夜凪景の下剋上は環蓮を倒すだけでは決して終わらない。
彼女の戦いは始まったばかりなのだ。
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「夜凪のヤツ……二学期になっても登校してないと思ったらこんなことになってたんだ」
スマホの画面を見る
クラスメイトであり同じ映像研究部の仲間でもある夜凪景は一学期の途中からほとんど学校に来ていない。
連絡先も知っているし、メッセージを送れば遅くなってもキッチリ返してくれる関係ではある。
だが、夜凪の芝居を生で観てしまったひなは彼女の芝居への集中を邪魔したくないと思うようになっていた。
よって、友人にも関わらず、近況をネットニュースで知ることとなった。
「すごいよね! あの環蓮から役を奪うなんて!
夜凪さんの出番が増えるの楽しみだなあ!」
「ほう、新名夏も出るのか。
いいなー、夜凪の周りはカワイイ女の子沢山いて。
あ、オレも芸能界に入ればワンチャンあるか」
ひなと同じ部室にいる
のんきな様子にひなはため息まじりに苦言を吐く。
「あんたたちねえ、もうちょっと親身になったこと言えないの?
この記事は比較的好意的だけど、ここまで注目集めてるって心配じゃん。
マスコミって有る事無い事好き勝手に書いて芸能人いじめたりするし」
「ご、ゴメン……」
と吉岡は反射的に謝るが遼馬は気怠げに首の骨を鳴らして、
「心配することねえって。
こんなもん夜凪の耳には届かねえよ。
こういう他人の事を書き並べる記事を読んで楽しめるのは、やることなくて暇な凡人だけだ」
夜凪はそうじゃない、と言外に伝える。
「まあ、そうだけど」と勢いを削がれたひなはソファにもたれ込む。
吉岡は壁にかけてあるカレンダーを見て、難しい顔をして呟く。
「五話までの出演が十三話まで延びたということは撮影期間も数ヶ月は伸びてるんだろうな。
いつになったら夜凪さん、まともに学校に来れるんだろう」
「二学期は厳しいんじゃね?
で、三学期になれば大河のオンエアが始まる。
大河の主演女優ともなったら流石に普通に学校に通うのは無理があるだろ」
遼馬の言葉に吉岡は口をつぐんで俯く。
沈黙が部室内に充満すると、三人全員が同じ考えに至る。
もしかしたら夜凪はもう学校に来ないのでは?
人気実力ともに若手ナンバーワンと称される夜凪にとって高校卒業の肩書きは不要だ。
彼女が芝居を愛し求めているように、ドラマや映画を作る制作者達も彼女の芝居を愛し、出演を求めてくる。
迫る大学受験に向けて勉強をしながらも将来自分たちがどのような仕事に就くのかもイメージできない普通の高校生の三人とは住む世界は違わなくても人生の歩き方が違うのだ。
重くなっていく部室の空気。
そこに、
「おはよーございまーす、あら先輩方お揃いで」
元気の良い声が部室に響く。
声の主は一年生の新入部員の男子の三人のグループ。
「あーっ! 負けたあ! 終礼後ダッシュしたのにぃ」
「うちらの教室から遠くね? ズルくね?」
続いてやってきた新入部員の女子二人がかしましく声をあげる。
一気にうるさくなった部室。
それは火の消えかけていた暖炉に薪をくべるような必要な事だった。
ひなは笑顔で後輩達を出迎える。
吉岡はカバンの中から書いてきた脚本を取り出す。
遼馬も他のメンバーがソファに座れるように席を開ける。
杉北高校映像研究部は新しい部員が5名増え、来る杉北祭に向けて映画製作を進めていた。
この部に夜凪景が所属している情報は広く知れ渡っていたため、夜凪とお近づきになりたいというミーハーな入部希望者も多数いたが、それは3年生の三人が振り落とした。
今残っているのは純粋に映画を撮りたくて入部したメンバーである。
賑やかになった部室を見渡してひなはここにいない夜凪を想う。
(一学期の始業式で夜凪言ってたよね。
「友達いっぱい作って映研に勧誘する」って。
あれもちゃんとやりたい事だったんだよね。
こんな風に映画を作る会議なんかしちゃったり、学校のいろんなところで撮影したり、部室に泊まり込んで編集して、文化祭で映画を上映して……
そんな青春映画みたいなこともやりたかったんだよね。
私も、夜凪とそんな高校生活送りたかったな)
想像で創り出した光景が目に映り、潤みそうになるのを堪える。
背筋を伸ばして前を向く。
そこにも自分がやりたくてやらなきゃいけないことがある。
「杉北祭は去年のリベンジだかんね!
今年こそ停学者を出さずに上映するぞー!」
「目標低っ!」
「去年はいったい何があったんすか!?」
(夜凪が今度部室に顔を出した時、どんな顔するか楽しみ。
きっと驚いてキョドキョドして、私たちは笑っちゃうだろう。
そして、ひとしきり笑った後に言ってやるんだ。
「おかえり、夜凪」って)
一方、この騒動を
車載テレビではワイドショーが垂れ流されており、その中のコーナーの一つで例の記事が取り上げられたのだ。
「まったく……環から主役の印象を奪えとは言ったが、こんな物理的な奪い方するかよ。
フツー……」
墨字は愚痴りながらも、夜凪が普通じゃないことなんて今に始まった話じゃないと思い直して、余計に肩を落とす。
(にしても、強引すぎる……というか、アイツにしては刺々しいやり方だ。
環もよく譲る気になったな。
あれでなかなかプライドが高い女だ。
自分の役を手放すようなお人好しじゃねえ)
今の状況と墨字がつかんでいる夜凪の女優としてのスペックやパーソナリティに微妙な齟齬がある。
何かが原因でその齟齬が生まれているはずだが、答えに辿り着けない。
「愛娘が可愛いのは分かるけど、今は俺の仕事だぜ。
こっちに全力投球してくれなきゃ寂しいじゃん」
ヌルリ、と後方の座席から声がかけられる。
他人の脇の下をすり抜けて蛇のように絡みつく喋り方だ、と墨字は印象を持っている。
当然、印象はすこぶる悪い。
「全力投球だよ。
こんな現場に長々と関わりたくねえ。
三球三振でさっさとゲームセットしてえんだ」
「へへ、現場じゃなくて俺のことが嫌いなんだろ。
言葉は正確に使っておくれよ。
どうも職業柄気になっちゃうんだ」
ヘラヘラと笑う中年の男。
派手ながらも整った顔立ちにどこか少年的な妖しさを残す佇まい。
堅気の人間にはちゃんとある社会人としての輪郭が曖昧で、その浮世離れぶりが鬼才ぶりを際立たせている。
100万部発行のベストセラー恋愛小説『夏空エクソダス』でデビューした後にもスマッシュヒットを連発。
若い世代に人気を博しているライト文芸の作家だ。
ここ数年のデビュー作家の中ではずば抜けた売れっ子であるにも関わらず、
「カネ目当てで書いているんだから儲けて当然」
と露悪的な態度を崩さない。
(ロクに本を読んだことのない連中にウケのいい作品を小手先だけで書き上げる。
それはそれで大した技術だが……それを自分で卑下しているあたりタチが悪い。
ペンネームに『浅薄』なんて言葉を入れ込むセンスの悪さも含めてアーティストとしては最悪の類だな)
墨字は態度から出る嫌悪感を隠そうとしない。
だが、浅葱はそんな墨字の様子を楽しんでいる。
剥き出しの嫌悪感もまた自分への理解が深いことの現れだからと。
「いやあ、本当に嬉しいなあ。
まさか黒山墨字に僕の作品を映画化してもらえるなんて。
感無量だよ、もうこんな副業辞めちまってもいいかなあ」
「ああ、それをお勧めするよ。
ゴミを売る商売なんてこの世に必要ねえからな」
「必要さ。ゴミを売った金がなきゃ本物は作れない。
あなたもそれを分かっているから来てくれたんだろ」
「ああ、来させられたんだ」
墨字の目標は夜凪景を主演に置いた大作映画の製作。
しかし、大作映画を撮るにあたっては莫大な製作費が必要となり、それは個人の力ではどうしようもない。
故にスポンサーから製作費を出資してもらう必要があるのだが、観客を呼べない映画に金を出すスポンサーはいない。
墨字はスポンサーたちにこの映画が儲かる事を示さなければならないのだ。
その為に夜凪を星アリサに預け、CM仕事で知名度を向上させ、高視聴率が見込まれる大河のオーディションを受けさせた。
日本の映画興行において、成功を左右する最も大きな要因は主演俳優の人気。
絢爛豪華たる主演陣の中でも夜凪なら際立った存在感を見せつけて、本格派女優としての地位と人気を確立することだろう。
夜凪は主演女優としての条件をクリアできる。
そうなると次に資質を求められるのは監督である黒山墨字だ。
黒山は海外の映画賞を総なめにする日本映画界随一の鬼才だ。
しかし、その作品は全て上映時間一時間以内の中編以下の作品。
しかも自主制作のようなスケールの小さい小品ばかりだ。
本当に長編大作を撮れるのかという不安を払拭しない限りはスポンサーのゴーサインは出ない。
その為に天知が持ってきたのが今回の案件だ。
浅葱薄荷原作のヒット小説『夏空エクソダス』の映画化。
この企画自体はだいぶ前から進められており、墨字ではない少女マンガ原作の映画を何本もヒットさせている人気監督を中心にプリプロダクション、つまり撮影前の下準備が進められていた。
ロケ地に始まりキャスト、スタッフ、撮影スケジュールまで決まり、クランクインを目前となったある日、事態が急転した。
原作者の浅葱が物凄い剣幕で製作にストップをかけたのだ。
それまで一切この映画化に興味を抱かず、原作使用料を払ってくれれば好きにしていいというスタンスだったにも関わらずだ。
挙句、監督に対して、「君は映画を撮るの向いてない。転職した方がいい」なんて暴言を吐き、降板させた。
一時は企画の立ち消えすらあり得たが、それを聞きつけた天知が黒山を代役に置くことで浅葱を納得させたのだ。
当然だが墨字にとって気乗りしない仕事だ。
作品がどうのという話ではなく、浅葱という人間がどうにも受け付けられない。
天知曰く、「君たちはよく似ている」とのことだが悪質な冗談だと受け止めている。
浅葱はTVに映る夜凪を観て、遥か遠くに想いを馳せた顔で呟く。
「夜凪景……か。
改めて美しい名前だよなぁ。
この名前がつけられた時にこうやって芸の道に進む運命が定められたのかもしれないな」
その言葉を聞いた墨字は舌打ちして、浅葱を糾弾してやりたい衝動に駆られたが、ため息をついて呆れるまでで留めた。
黒山墨字と浅葱薄荷。
二人の出会いと繋がりは後に大きなうねりとなって周囲の人間を呑み込んでいく。
キネマのうたの脚本はリハーサルの日にその週の撮影分を配られる。
後の展開はプロットによって知り得ているが、詳細は判明しない。
場合によっては当日までごく一部のスタッフにしか明かされていないキャストが記されていることもある。
その日、脚本を受け取った関係者の多くはキャスト欄を見て、驚愕の声を上げた。
その様子を中枢スタッフである中嶋と犬井は見てほくそ笑む。
「中嶋さんの手腕には驚かされるよ。
まさか日本の撮影現場であんなのをお迎えできるとは思わなかった」
「話題性重視というわけではありませんが、まずは視聴者の興味を引かなくてはね。
二人の視線の先には今日から撮影現場入りする一人の役者達が立っていた。
生真面目に三日前に来日して、体調や身だしなみを整えた上で現場に臨むあたり、驕りは今のところ感じさせない。
彼らの名前を呼ぶスタッフは喜びと緊張で顔を引き攣らせている。
「レ、レオナルド・ランパードさん!
イルマ・テイラーさん!
本日よりインします!
よろしくお願いします!!」
絵に描いたような長身の白人紳士とブロンド美女が稽古場に連れ立って入ってくる。
拍手で迎えながらも今までとは違う緊張感が現場を包む。
薬師寺真美とはまた異質の緊張感だ。
レオナルド・ランパード。
イルマ・テイラー。
両者ともオスカー候補に何度も上がる実力派であり、10億ドル近い興行収入のヒット作にも出演している押しも押されぬハリウッドスターだ。