現役ハリウッドスターが日本の大河ドラマに出演するというニュースは瞬く間に日本中を駆け巡った。
レオナルド・ランパード。47歳。
ニューヨークの俳優養成所で修行した後、18歳で映画デビュー。
若い頃はルックスの良さからアイドル的な扱いを受けていたが20代後半から出る作品を選び始め、今では演技派ベテラン俳優の筆頭格。
なおプライベートでは五度の結婚と五度の離婚を繰り返している女たらしでもある。
イルマ・テイラー。34歳。
舞台俳優だった母とテレビディレクターだった父の間に生まれ6歳から子役としてドラマや映画に出演。
シリーズの世界興行収入が10億ドルを超える大ヒット作『ゴールデンガールズ』のヒロインを演じていたこともあり、20歳以上ならば映画好きでなくとも彼女の名前と顔は知っている。
現在は地球環境保護の活動に力を入れている慈善家でもある。
両者ともに世界的なスターであり、日本国内向けのコンテンツに出るには大物過ぎる存在だ。
そんな彼らが何故、こんな無謀なオファーを快諾したかというと……
「ダニエル・ワーグナー監督の役を僕以外に演じられないだろ?
日本のテレビマンはとてもよく分かってる」
キネマのうたにおいてレオナルド演じるダニエル・ワーグナーとは戦前に活躍したドイツ人の映画俳優であり映画監督。
かつて若き日のダニエルを『長き夜の果て』という映画で演じ、ヨーロッパの映画祭で高い評価を受けた。
それがきっかけで彼は演技派への転身を行うことができた。
俳優人生のターニングポイントとなった思い入れ深い役である。
「20年前より僕はちょっと人生に詳しくなった。
離婚調停のやり方とか慰謝料の値切り方とかね。
きっともっと深いところでダニエルを演じられるはずだよ」
一方、イルマ・テイラーが演じるのはドイツ人女優ヒルデガンド・グラーフ。
戦前からドイツ国内で女優として活動していたが、戦後アメリカに渡ってからの活躍が華々しく、ハリウッド女優としてのイメージが強い。
またアメリカで10歳年下のミュージカル俳優と結婚して、三人の子どもをもうけている。
ちなみにイルマ・テイラーはヒルデの孫にあたる。
「親愛なるおばあちゃんを下手な女優に演じさせられないわ。
それに日本で過ごしてみたかったの。
ちょうど『ゴーストスレイヤー』の劇場版も公開されるみたいだしね」
彼女が言った『ゴーストスレイヤー』とは日本の深夜アニメ作品『お願い! 成仏してください!』の英語タイトルである。
このインタビューの報道後、
「ハリウッドスターが俺らと同じアニメ観てる!」
と
通常、一作につき数億円という出演料を要求するハリウッドスターにとって日本の大河ドラマのギャラなどボランティア同然。
仕事を受けてもらえるかどうか以前に話を聞いてもらうことすらできないはずの彼らのキャスティングに成功したのは、役と彼ら自身の繋がりを中嶋が理解していたことが大きい。
「日本のドラマプロデューサーがダニエル・ワーグナーとヒルデガンド・グラーフを演じる役者を探している」
この情報を彼らの耳に入れるだけで、あっさりと交渉のテーブルに着くことができた。
キネマのうたのリハーサルが行われるスタジオ内でレオナルドとイルマはトレーニングウェアに着替えてストレッチ運動をしている。
ハリウッドスターというだけで傲慢なイメージを持っていたスタッフやキャストは作品作りに真摯なその姿勢に好感をもった。
「イルマ。どこのホテルに泊まるんだい?
僕はウェインストンホテルなんだけど、一緒にレストランでディナーでもどう?」
「わざわざ日本まで来てあなたの顔を拝みながらご飯を食べたくないわ。
ミョーギ様(※ゴーストスレイヤーに出てくるイケメンキャラ)のフィギュア買って部屋で愛でながらルームサービス頼まなきゃいけないんだから邪魔しないで。
せっかくなんだから日本人を誘えば?」
「ああ、最初はそのつもりだった。
レン・タマキ……とってもクールでイカしたイイ女だ。
彼女との共演とそこから始まる恋人関係を期待して日本に来たのにな。
ガッカリだ」
「ンー……たしかに急な話だったものね。
まあ、年格好はあの子の方が近いんだろうけど。
どう? レンの代わりに
「日本人のティーンなんて小学生みたいなもんだろ。
あんなのに欲情できるようになったら俺は進んで刑務所に入所するね」
軽口を交わし合うレオナルドとイルマを少し離れたところで見ている夜凪と桜治郎。
「あんた、英語分かる?」
「あんなに勢いよく喋られると……あ、でも環さんがなんだとか小学生がどうだとか」
「環ちゃんに小学生の隠し子がいるとか?」
「違うと思います」
戦前の薬師寺真波を語る上で欠かせない一大イベント。
それは日独合作映画『望郷』の撮影である。
太平洋戦争直前、ドイツ人監督ダニエル・ワーグナーが来日して日本人のキャストやスタッフとともに映画を作るという壮大なプロジェクトが日本政府の肝入りで進められていた。
日独の友好関係を国民にアピールする目的で始まったこの映画撮影はダニエルと日本人スタッフとの確執や主演のヒルデガンド・グラーフのホームシックなどもあって困難を極める。
しかし、ダニエルをサポートするためプライドを捨てサポートに徹した共同監督白洲雅紀の献身とヒルデの女優魂に火をつけた薬師寺真波の熱演と交流。
二人のおかげでダニエルとヒルデは本来の力を取り戻し、無事映画を完成させる。
政治的な思惑や自国賛美が行きすぎているという面は否めないが、ダニエルと白洲という稀代の演出家によって組み上げられた世界をヒルデと真波という天才女優達が彩った。
戦前の映画史に燦然と輝く傑作であり、薬師寺真波にとっての出世作となる。
レオナルドとイルマがスタジオセットに上がる。
80年前の日本家屋を再現したセットにはしゃぐ二人に夜凪は声をかける。
「ハ、ハロー! ナイストゥミーチュー!
マイネームイズ、ケイ・ヨナギ!」
英語で外国人に話しかける経験など全くなかった夜凪にとって初めてのグローバルコミュニケーションである。
「HAHAHA! 上手によくおしゃべりでき
かわいいお嬢ちゃん」
レオナルドは大きな手で夜凪の頭を撫で回す。
イルマは呆れたような目でレオナルドを一瞥し、夜凪に声をかける。
「ニホンゴでオーケーよ。
ワタシがツウヤクしたげる」
「わ! 日本語お上手ですね!」
「ヤクシャならフツーでしょ。
イングリッシュオンリーならこのヤクはできないんだし」
ゴージャスなルックスでありながら笑うと少女のように愛らしい。
イルマの暴力的なまでの魅力に夜凪は思わずくらりとする。
二人の会話に桜治郎も加わる。
「じゃあ、あんたがたはドイツ語もペラペラなのかい」
「モチロン。
Wer jetzt weint irgendwo in der Welt,
ohne Grund weint in der Welt,
weint über mich」
「「おおー」」
夜凪と桜治郎が拍手する。
すると対抗意識を燃やしたのか、レオナルドが割って入り、
「俺もドイツ語はペラペラだよ。
×××××× ××××☆、××☆、●●●」
「「ほおお──ー」」
再び拍手する夜凪と桜治郎だが、
「アイテにしちゃダメよ。
このスケベ、ゲルマンオンナにベッドで褒められたコトいってるダケ」
「セクハラっ!?」
「あらぁ、道理で艶っぽいと思ったわ」
二人の反応を見て手を叩いて笑いながらも実力を値踏みするレオナルド。
(ケイの方はまだまだ子どもだな。
セクハラをヒステリックに非難するというより恥ずかしさから逃げるように声を上げた。
よく言えば純粋無垢。
悪く言えば素人くさい。
タマキの代わりが務まる器には思えないんだがなあ……)
キョトンとした顔をしている夜凪から桜治郎に視線を移す。
(それに引き換え、こっちのカブキボーイは見た目以上に深いな。
言葉を理解していないくせに感情を読み取られた感じだ。
間違いなく上手い役者だろう。
それに、色白で切れ長の瞳は欧米人のイメージする大和撫子に近い。
女性的な仕草や喋り方をしているからか……どうもムラムラ来るな)
「気に入ったよ、オージロ。
今夜、一緒に食事でもどう?」
イルマが通訳する。
「オージロとファックしたいって」
「ファッ!?」
「光栄ね。でも、プレイボーイは好みじゃないの。
ご飯だけなら美味しいところ連れてってあげるわ」
余裕を持ってコミュニケーションを取る桜治郎を見て夜凪は焦る。
(私だけ子供扱いみたい……
ハリウッドスターと歌舞伎界のスター。
どちらも私が今いる場所より遥かに先で戦っている人たち……)
夜凪は自覚している。
役者として自分が一番格が低く、人間としても人生経験が少ないことを。
しかし、それは落ち込むための重荷にはしない。
しっかりと踏ん張るためのための重しに使う。
想像する。
薬師寺真波もそうだった————と。
『望郷』で主演のヒルデと助演の真波。
日本人女優としては筆頭の位置に大抜擢された真波だったが、映画先進国の大女優という遥か格上のヒルデを見て憧れと悔しさを抱く。
だけど、その悔しさを闘志の火にくべて……燃やす。
流麗なドイツ語を話すイルマを見つめる夜凪の感情が80年前の薬師寺真波とシンクロしていく。
だんだんと夜凪の思考が薄れていき————スイッチが替わる。
「悔しいわ。とても」
感情を滲ませながら呟いた夜凪の声をイルマの耳が拾う。
どうしたの、と声をかけようとしたが踏みとどまった。
夜凪の表情が変わっていく。
それも砂時計の落ちる砂が積み上がっていくようになだらかな変化。
(彼女なりの集中力の高め方なのかしら?
不気味だけど、凄みを感じる。
……どうやら、理由もなくタマキから役を奪ったわけではないようね)
面白くなりそう、とイルマは口元を緩めた。
◆リハーサル中◆
会議室にて映画スタッフ集まっての会議中、現場に多くの注文をつけるダニエルに対して白洲が激昂する。
「いい加減、郷に入ったんだから郷に従えよ!
ここは日本だ!
アンタの住んでるヨーロッパじゃない!」
白洲の日本語を通訳が訳し、それを聞いてダニエルが反論する。
「だがこのシーンの舞台はヨーロッパだ。
ヨーロッパの建物、景色、雰囲気をフィルムに落とし込めなければこの映画は失敗する」
今度はダニエルのドイツ語を通訳は日本語に訳す。
「だからって無理難題吹っ掛けんじゃねえよ!
そもそもアンタの指示はボンヤリとして分かりにくいんだよ!」
再び通訳が————
◆————————◆
「カット。やっぱり通訳がいちいち入るとダメだな。テンポが悪くなる」
犬井が顔を顰めながらそう言うと草見は顎の不精髭をさする。
「セリフ量を短くしてみましょうか?」
「いや、それだとシーンの雰囲気が壊れる。
言葉が違う外国人との絡ませ方は悩ましいな。
無理やりサムライに英語喋らせる監督の気持ちが分かるぜ」
頭を悩ませる二人に桜治郎が提案する。
「だったらアタシが通訳のセリフを食い気味に反応しようかい?
そしたら、スピードは上げられる」
「どうやるんだ?」
「まあ、見た方が早い。
レオナルド、さっきのセリフを頼む」
桜治郎はそう言ってポキポキと首を鳴らした。
◆リハーサル中◆
ダニエルのセリフを通訳が訳す。
「だがこのシーンの舞台はヨーロッパだ。
ヨーロッパの建物、景色、雰囲気を————」
「んなもんホン見れば分かる! バカにすんな!
おうおうおう、だから用意した!」
セリフを文節の最後まで聞かずに、聞こえた部分に逐一反応していく白洲。
ダニエルは一瞬、素で驚くもすぐ立て直し続ける。
「雰囲気をフィルムに落とし込めなければ」
「だからって無理難題吹っ掛けんじゃねえよ!」
「この映画は失敗する! 君たちのせいでな!!」
ヒートアップしてアドリブを入れるダニエルだが白洲はこともなげについていく。
「弱気なこと言ってんじゃねえ!
ぼんやりとした指示しか出せねえアンタのせいだろ…………と、まあこんな感じよ」
◆————————◆
ケロッとした表情で犬井たちに笑いかける桜治郎。
通訳の訳を聞き終わってから言い返していたため、冗長になっていたシーンが一気に締まり、迫力ある掛け合いになった。
おおぅ……とその場にいたスタッフやキャストが感嘆の声を漏らす。
中でも真っ正面から桜治郎に向き合っていたレオナルドは拍手喝采だ。
「マーベラスっ!! 思った以上にキミは素晴らしいアクターだ!
思わずコッチも熱くなってしまったよ!」
そう言って桜治郎の肩を抱くレオナルド。
桜治郎も満更では無さそうに首を傾げながら微笑みかける。
「すっごいわね……物凄くテクニカルだけど小手先だけじゃなくハートがこもった芝居だったわ。
ただ間を詰めるだけと言っても呼吸一つ分タイミングを間違えばチグハグになる。
芝居のテクニックというよりサーカスの技に近い。
日本の俳優ってレベル高いのねえ」
イルマが感心したように呟く。
誰に聞かせるつもりもない独り言なのでもちろん英語だ。
しかし、
「桜治郎さんは特別よ。
あの人は300年の歴史を体現できるこの国の宝物なんだから」
「What?」
イルマは驚いて声の方を向いた。
語りかけてきたのは夜凪だった。
「ケイ? あなた英語分かるの?」
夜凪は一瞬キョトンとした後、何か閃いたような顔を見せる。
そして、
「言葉が分からないと会話は出来ないのかしら?
ミス・ヒルデガンド」
挑発するように微笑みかける夜凪。
その漆黒の瞳が玉虫色に輝いたかと思うと、イルマはその中に吸い込まれてしまうような錯覚を覚えて思わず後ずさる。
ガタガタン!
セットに置かれていた机にぶつかり大きな音を立てた。
それに驚いた周囲の目が一斉にイルマに向けられる。
「……so,sorry! ちょっとトイレいってきマス……」
その場から逃げるようにイルマはスタジオから出ていった。
トイレの洗面所で顔を洗い、呼吸を落ち着かせるイルマ。
(ケイ・ヨナギ……さっきまでとは別人。
役に入りきっているとかそんな生易しいものじゃない。
アレはまるで————)
「タオル貸そうか? それともシャツの裾を捲り上げて拭く?
聞き覚えのある声にイルマは振り向き、予想通りの相手との再会に声をあげる。
「レン! 久しぶり!」
「ああ、モントリオール以来だね。
相変わらず派手に美人だな」
流暢な英語で応えた環はイルマのハグを受け止め、頬にキスをする。
「どうしてここに? 役を降ろされたって聞いたけど」
「降ろされたんじゃない。
譲ってあげたんだよ、将来有望な後輩ちゃんに」
「ウソ。あなたってそんな殊勝なキャラじゃないわよね」
「バレたか……まあ、出演話数をちょっと分けてあげただけってのは本当。
中盤以降はご期待通りずっと私のターンだから」
環とイルマは日米の違いはあれど同年代のトップ女優ということで日本のテレビ番組の企画で出会って以来親交がある。
イルマがこのオファーを受けた理由のひとつに環と共演できるというのもあった。
「で、どうだい。
夜凪にあいさつはしてもらったかい?」
環の質問にイルマは再会の喜びが吹き飛んでしまったかのように唇を噛んだ。
「酷い挨拶だったわ。
礼儀知らずにも程がある。
あの子がハリウッドに来たら靴の中に画鋲入れてやるわ」
「何された?」
環の追及がシンプルでそこに真剣みを感じたイルマは冗談を控えて、先ほど起こったことを語る。
すると環は目頭を指でつまむようにして項垂れた。
「英語使わずに会話を成立させるってもう特殊能力じゃねえか……アイツ、もうアメコミヒーローにでもなっちまえよ」
「なんなの、あの子……初めて年下の女優が怖いと思ったわ。
芯は強そうだけど、そこまで攻撃的でもないし器用そうでもないと思ったんだけど」
イルマの感想を聞いて環は大きくため息をついた。
落胆のため息だ。
「ジャンケンついでにこっちの方の勘も外れていたなら良かったんだけどなあ……
イルマまで同じように感じていたなら、これは確定かなぁ」
「どういうこと?
あの子、なにか問題あるの?」
一瞬、イルマは巻き込まない方がいい、と考えたが事の重大さを考えると頼れる人間は多ければ多いほど良い。
「あの子、夜凪景は典型的なメソッド型の女優なんだ」
「それが何? こっちじゃメソッド芝居なんて車の免許より普及してるわよ」
「度合いが違うんだよ。
普通のメソッド型の役者は芝居をするために役そのものになり切ろうとするが、アイツは役そのものになりきる目的が芝居にない。
おそらく自分じゃない何かになるために、役になり切ろうとしている」
「変身願望? 自己暗示による催眠?
そんな状態で芝居なんてできるの?」
「少なくとも今はできている。
役に完全に入り込んだ夜凪の芝居の凄まじさは今までも尋常じゃなかった。
だけど、今回……薬師寺真波という役に結びついてしまったことでヤバさが加速している。
あなたが今日やられたこと、私もこないだやられたよ」
「え? あなたたちお互い日本語で話しているでしょう?」
はあ、と環はため息をつき、手をグーの形とパーの形にする。
「
イルマはキョトンとするが、環は、
「ロック・ペーパー・シザーズ!」
英語でジャンケンの掛け声をかけてパーを出す。
釣られてイルマはグーを出していた。
「ああっ! 今のずるい!
もう一回!!」
その後、五回続けてジャンケンをしたが環からイルマは一勝も取れなかった。
「なんなの……日本のドラマに呼ばれたと思ったらオカルトドッキリ番組に連れてこられたの?」
と、狼狽えるイルマ。
「種明かしすると、私にとってジャンケンってただのマインドリーディングなんだよね。
ジャンケンって手を振り上げる時には何を出すか決めているわけだし、そこには必ず意識が干渉している。
表情や仕草からシンプルな三択の思考を読み取れば勝てるんだからヌルゲーだよね」
「ゴメン、何言ってるか分からない。
あなたの異常な能力のこと理解できない」
怯えるイルマをクスクスと笑う環。
「あなたのいうとおり、説明してもできた奴はいないよ。
だから、私の特技は芝居よりもジャンケンってくらい自信があったんだけど……」
「まさか、ケイが?!」
「見事に読み負けたよ。
他人の感情を掴むというテクニックは役への読解力に繋がる。
その一点で、私はアイツに負けたから役を譲ったんだ。
ああ、誤解しないで。
女優として負けそうとかはつゆほども思ってないから。
ただ、私は————」
環は大らかではあるが誇り高い。
夜凪に役を譲るのは断腸の思いだった。
しかし、それでも勝ったのが、
「
だって、あの子最近おかしいんだよ。
喋り方や声のトーンが薬師寺真波そっくりで、顔つきや雰囲気も別人に見える。
アレはもう芝居というより変身だ」
環は鎌倉での共同生活を経て夜凪の人柄や能力を把握できたつもりだった。
しかし、撮影が始まって久しぶりに顔を合わせた夜凪は別人のように攻撃的な態度で自分を煽り、彼女が持ちようのないマインドリーディングの技術で環を上回った。
「レン…………ケイはたしかにすごい才能があるかもしれない。
だけど、それは……ああ、こういう言い方は良くないと分かってるの。
でも、他の言葉が思いつかないから言うね。
ケイのその状態は病気だよ。
役者は表現者の域を出てはいけない。
自分以外の何かを求め、自分の存在を置き去りにしていったら、鉄骨を抜かれたビルみたいに崩壊するわ」
イルマは断言した。
そのことが環を逆に落ち着けさせてくれた。
「ありがとう、イルマ。
一人で抱えるのがしんどかったからさ、同じように心配してくれるだけで救われるわ」
「あなたを救っても仕方ないでしょ!
ケイをどうにか降板させないと————」
「できると思うか?
夜凪でも大概な頑固者なのに、今のアイツは薬師寺真波だ。
戦前のヤクザまがいの映画業界で成り上がった女傑。
私らの言うことなんか聞きやしない。
それに……」
芝居から引き離すなら徹底的にやらなきゃならない。
だからジャンケン勝負の時に女優業の引退を持ち出した。
だが本当のところは夜凪の才能をこんなところで摘みたくない、と環は思っている。
「なんとなく、レンの考えてること分かったわ。
たしかに精神衛生的な面から見ても強引なやり方は良くない。
あなたが見守り役で来ているのもそういうことなのね」
環は深くうなづく。
「観光気分で訪れた地球の裏側の島国でトラブルに巻き込まれるだなんてあり触れたチープな導入よ。
台本見せられたら即出演拒否するわ」
そう言って、イルマはトイレの出口に向かい、立ち止まった。
「でも……私もリングに上がっちゃったのよね。
80年前からタイムスリップしてきた亡霊と対決。
タッグパートナーになってくれる?」
「ああ、まきこませてもらう」
環とイルマが互いの手を握り合った。
一方、スタジオで待つ夜凪は爛々とした瞳でレオナルドや桜治郎を見つめている。
「楽しいわねぇ。
歌舞伎界のスターやハリウッドスターと仕事ができるなんて。
スタッフの皆さんも話が分かるし、本当にいい時代ねぇ」
撮影現場にはオバケが出る、などと松倉たちは脅してきていたがそれどころではない。
オバケそのものになりつつある夜凪の異変に気付いている者はまだ少ない。
来週はジャンプ休刊日なので一週お休みします。
それでは皆様良いお年を!