アクタージュは終わらない【原作の続き】   作:宇津木 恭吾

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(扉絵イメージ)

 謹賀新年。

 大河ドラマ『キネマのうた』に出演する女優陣は神社を参拝する。

 薬師寺真波を演じる三女優は赤を基調にした振袖姿。
 天真爛漫で可愛らしい鳴乃皐月。
 英姿颯爽とした佇まいの夜凪景。
 豪華絢爛に周りを圧倒する環蓮。

 そんな三人に続くは脇を固める女優たち。

 萌葱色の振袖姿の新名夏は周囲の視線に挙動不審。
 銀色煌めく着物風のドレスを身にまとうハリウッドスター、イルマ・テイラーを見た人々は驚天動地。
 若草色の色留袖を普段着のように着こなす薬師寺真美はまさに万世不朽の

 百花繚乱の衣装を纏いて、女優たちはカメラに目線を向ける。

『あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!』



SCENE143 影響

(さあ、降りてきなよ。

『ダニエル・ワーグナー』)

 

 真っ暗闇の空間に古めかしいスーツ型の紳士が現れる。

 嫌そうな顔して開口一番に文句を言い放つ。

 

(やれやれ……まさか、また日本に出稼ぎに来るなんてな。

 しかも、マリファナ中毒のクソガキに再び呼び出されてなんて最悪だ)

(いやだなあ、マリファナは卒業したよ。

 アイドル演技と一緒に灰皿で燃やしてやった。

 それにこれは出稼ぎじゃなく凱旋さ。

 先輩を演じられる俳優は俺しかいないってことを思い出させるためにね)

(はっ! バカバカしい。

 映画監督なんて大した役じゃない。

 医者や警察官を演じる役者のほうがよっぽど素晴らしい)

(ただの映画監督じゃない。

 俺が演じているのはダニエル・ワーグナーだ。

 そして、現代人が知っているダニエル・ワーグナー像は俺。

 こんなセクシーでインテリジェンスの溢れる男を演じられるのは俺くらいさ)

(傲慢なウォップ(アメリカ野郎)め……)

 

 

 レオナルド・ランパードは若い頃はアイドル俳優扱いだった。

 日本以上にアメリカの芸能界は役者の格付けに目ざとく、封建制の階級社会もかくやと言ったものだ。

 

 映画俳優はドラマ俳優より格が高く、ドラマ俳優の中でもティーン向け作品の出演者は半人前。

 歴史物に出てくる偉人を演じられてようやく一人前。

 今でこそアカデミー賞で俳優賞を受賞するようなオスカー俳優としてピラミッドの頂上に君臨する彼も下積みの時代があった。

 さほど上手くもない自称演技派の俳優にバカにされ、サラリーマン感覚の監督やプロデューサーに使い捨てにされ、スターとヤルことしか考えられないほど単細胞な女優もどきに口説かれ、苛立ちを募らせる日々。

 気分を紛らわすためにナンパした女を抱き、酒を呷り、共演した女優を抱き、マリファナを吸い、先輩俳優の彼女を抱き、顔が腫れ上がるまで殴られて……そんな荒んだ青春時代を送っていた。

 

 そんな彼に訪れた最後のチャンスが第一次大戦前後のヨーロッパの映画界を描いた『長き夜の果て』の出演。

 

「もし、この作品でまともに評価されなかったらマリファナをガン決めして、女を抱きまくって死んでやろう!」

 

 と、考えていた。本気だった。

 本気で死ぬつもりになって、本気で死にたくないと全力であがくことにした。

 

 ダニエル・ワーグナーの作品や伝記はもちろんのこと、愛読書や影響を受けた映画を片っ端から漁り、自宅アパートの電化製品を投げ捨て、当時の部屋を再現して日常生活を送り、体重を10キロ減らし、奥歯をペンチで抜いて顎を細め、前髪を引き抜き、真っ暗な部屋の中で脳内のダニエルと何日もの間語り合った。

 

 そんな時間を経て撮影現場に現れた彼を見たキャストもスタッフも最初、レオナルドと分からなかったという。

 監督は以下の言葉を残している。

 

「私はダニエル・ワーグナーに会ったことはない。

 だけど、ダニエル・ワーグナーのことは現代の誰よりもよく知っている。

 撮影現場にずっと彼はいたからね」

 

 その映画が公開されて以降、レオナルドをアイドル俳優と揶揄する人間はいなくなり、九死に一生を得たのだ。

 

 

 

 脳内のダニエルと語らったレオナルドはスッと役に入る……というよりも、ダニエルに身体を預ける。

 

(先輩、後は頼むぜ。

 いつもどおり、ダニエル・ワーグナーとして踊ってくれ)

(やれやれ。二度もお前にこき使われるなんてな)

 

 多重人格の人間の人格が入れ替わると人が変わったようになる。

 レオナルドの作り出した脳内のダニエルは一つの人格ともいえるレベルに作りこまれており、しかも好きに出し入れできる。

 つまり、レオナルドはオンオフをコントロールしている多重人格者なのだ。

 常識では考えられない超人めいた芸当ではあるが、別に驚くことではない。

 彼は人類70億人のなかでトップクラスの演技力を持つ人間なのだから。

 

「…………おい、どういうことだよ?」

 

 レオナルド、正しくはダニエルの人格が操るレオナルドが思わず声を漏らす。

 

(どうしたんだい? 

 現代の珍しい機材に感動でもしているのかい?)

 

「くだらないことを言っている場合ではないぞ! 

 どういうことだ!? 今は西暦何年だ!?」

 

 本番直前だというのに逃げ惑うようにスタジオを走り、壁にかけたカレンダーを食い入るように見つめる。

 日本語表記だが数字は万国共通。

 21世紀にがっつり入り込んだ数字が月日の上に書かれている。

 

(どうしたのさ? ヤバい薬でもやってるように思われるじゃないか)

「やってないのか!? だったら薬が必要だ!! 

 私は今どうかしている!!」

 

 大声で喚くレオナルドを周囲は怯えるように遠巻きに様子を窺う。

 だが、一人の女優が彼の元に歩み寄る。

 

「どうしたの? ダニエル。

 オバケでも見えた?」

 

 ダニエルもレオナルドも日本語を喋れない。

 だが彼女の言葉はすんなりと理解できた。

 

「ああ、今、私の目の前にいるヤツだよ。

 どういうことなんだ? 

 ————真(・)波(・)?」

 

 ダニエルの脳裏に焼きついた80年前の記憶。

 薬師寺真波という存在。

 それが目の前にいる。

 

 夜凪景という少女のかたちをして。

 

 

 

 ハリウッドスターのレオナルドとイルマが加わっての撮影の注目度は凄まじい。

 この二人が日本の地で、しかも日本製作のドラマに出ることなんて二度とないだろう。

 ゆえに撮影スタジオにはいつもより多くの関係者が出入りしていた。

 非番のキャストや現場に出ないスタッフが何かと理由をこじつけて。

 それどころか、まったくキネマのうたに関係のない役者やプロデューサーまで現れる始末。

 

 スイッチング室はカメラの映像やマイクで拾った音声が集約される場所であり、役者たちからは離れているがガラス一枚隔てたスタジオ内で役者たちが芝居を繰り広げている。

 部屋の中央に座った犬井はすこぶる機嫌が悪そうに、

 

「これだから日本人はミーハーだって馬鹿にされるんだ。

 えらい人が寄ってたかってみっともえねえ。

 なにがオスカー俳優だよ。

 1シーンにNG7回も出しやがって。

 有り難がって観にくるほどのもんかよ」

 

 とうそぶいた。

 もちろん、えらい人たちには聞こえないようにだが。

 

「レオナルド・ランパードにこれだけNG出したのって世界であなただけじゃない? 

 ギネスに申請してみてはどうかしら?」

「…………そういう冗談も仰るんですね」

「新たな一面を見ていただけたかしら? 

 それより、あなたも大変ね。

 中嶋さんの無茶に付き合わされて」

 

 と犬井をねぎらったのはまさかの薬師寺真美だった。

 

「こんな有様ですみません」

「あなたが謝ることじゃないわ。

 どうやら偉くなると撮影現場が戦場だったことを忘れる馬鹿者が多いみたいね」

 

 そう言ってクスリと笑う真美。

 

(意外だ。絶対こんなうわついた空気を嫌うタイプだと思っていたんだが)

 

 犬井は怪訝な顔で真美を見つめた。

 

「年寄りはこういうの嫌いだと思った?」

「……あんまりイジメないでくださいよ。

 普通嫌がるものでしょう。

 戦場だってご自分で仰ったじゃないですか」

「そうね。撮影現場は戦場よ。

 だからノコノコと出てくるのは危険なのよ。

 あそこにいる彼女が狙っているのは共演者の首だけじゃないわ」

 

(彼女?)

 

 犬井は真美の視線が向かっているモニターを見る。

 そこに映し出されていたのは夜凪景だった。

 虚ろな目でぼんやりとした様子で体をふわふわと揺らしている。

 

「まったく……カット始まらねえと最近ずっとあの調子だ。

 さすがに疲れがたまってきてんのかな」

 

 犬井がそうボヤくが、真美は満足そうに微笑んだ。

 

 

 

 次に撮影するのは桜治郎演じる白洲がレオナルド演じるダニエルと衝突し、やけになって酒をあおる。

 そこにやってきた夜凪演じる薬師寺真波が説教し立ち直らせるというシーン。

 既にカメラリハーサルは終わっており、まもなく本番だ。

 

「大丈夫? 心ここにあらずって感じだけど」

「んー?」

 

 桜治郎に声をかけられた夜凪は上目遣いで彼を見上げる。

 無垢な少女と男への甘え方を知っている女が一つの顔に同居しているように見えた。

 

「……あなた、誰よ?」

 

 反射的に発された桜治郎の問いに夜凪は答えず、不敵な笑みを浮かべる。

 そして、

 

「カメラ回しまーす!」

 

 助監督の掛け声がかかり、本番が始まった。

 

 

 

 ドカドカと床を踏み荒らすように歩いてきた桜治郎は椅子に腰かけると乱暴に酒の蓋を開け、そのままラッパ飲みを始める。

 その光景を見た夜凪が驚いた顔をして酒瓶を取り上げようとする。

 

「白洲さん! 何をやっているの! 

 まだ撮影終わってないでしょう!!」

「終わったんだよ!! 

 ダニエルは面と向かって俺をいらないって言いやがった! 

 こっちが下手に出てりゃあ……調子くれやがってぇっ!!」

 

 歌舞伎では女形を得意とする桜治郎だが、男らしい芝居ができないというわけでは決してない。

 むしろ彼の演じる男は美しくも泥臭く、涼やかそうで煮えたぎるほど熱い。

 男と女。どちらの性も演じられるということはその違いについても熟知しているということだ。

 どうすれば男らしくなるか、どこに力を入ればそれが増すかを理解している。

 

「俺はな! 映画監督なんだよ!! 

 ドイツのお貴族様の執事じゃねえ!!」

 

 男特有のプライドの高さや脆さをも自在にコントロールし、観るものを引き付ける。

 ハリウッドスターを見るために集まっていた部外者たちも「ほぉ」と声を上げて桜治郎の芝居に見入っていた。

 だから、次の瞬間、彼らは全員あっけにとられた。

 

 夜凪は台本通り、酒瓶をむしりとり、胸に抱きかかえる────ことはしなかった。

 奪った酒瓶の底をつかんで、桜治郎の頭に派手にぶっかけた。

 アドリブだ。

 

 

「はああああああああっ!?」

 

 

 スイッチングルームで映像を見ていた犬井が吠えた。

 犬井だけではない。

 現場にいる誰もが予想外すぎるアドリブに度肝を抜かれた。

 逆に当事者である桜治郎は驚きはしなかった。

 

(俺は、何をされた?)

 

 完全に役に入り込んでいる。

 酒瓶に入れられたダミーの水をかけられたくらいでは強靭な桜治郎の芝居は解けない。

 

 

「ちっ……つめてえなっ! 何しやがんだ! 真波ぃっ!?」

 

 夜凪は瓶を無造作に投げ捨てる。

 水を滴らせながらつかみかかってきそうな勢いの桜次郎に対して、逆にシャツの襟を掴む。

 

「酒を飲んで駄々こねてる馬鹿に、かましてやったのさ! 

 ちょっと喧嘩したくらいで職場放棄とは偉くなったもんだね! 

 白洲監督閣下さま!!」

「なにぃっ!!」

「あなたは何度も私に言ったわ! 

 逃げるな、受け止めろ、泣くな、立ち向かえ。

 そうやって私を追い立てていたあなたがなんてみっともない真似を!! 

 恥を知りなさい!」

 

 ピシャリと言い放った言葉は、真剣で斬りつけるかのような鮮やか。

 言葉と感情をぶつけ合うだけなのに、鮮血が舞い散る殺陣を見せられているようなやり取りに周囲は固唾を飲む。

 

「俺は……日本の映画監督だ。

 誇りがある。

 ドイツの巨匠だろうがなんだろうが、ご機嫌取りばっかしたくねえ」

 

 ぽつりと呟く桜治郎。

 すると、女傑から一転。

 慈母のような包容力を溢れ出させ桜次郎の顔を手拭いで拭く夜凪。

 

「私はダニエル監督のご機嫌を取るために白洲さんが共同監督に選ばれたのではないと思っていますよ」

「だったら、なんで……」

「あなたが映画監督だからです。

 ドイツの巨匠ダニエル・ワーグナーの感性を理解できる数少ない人間として選ばれたのでしょう。

 彼を支え、気持ちを理解することで映画をもっと深く探求できる」

 

 夜凪は桜治郎の頬を両手でつかむ。

 星を閉じ込めたようにキラキラと光る眼で訴える。

 

「そしていずれは……ヨーロッパの一等国の映画祭を席巻するような映画監督になってほしい。

 私はそんな想いであなたの仕事を見ています」

 

 

 アドリブのせいで当初のリハーサルからかなり動きが変わってしまった。

 演出家の犬井は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。

 

(水ぶっかけるとか! メンドくさいアドリブやりやがって! 

 カットのつなぎどうしろってんだ! ちくしょお! 

 …………だが、悔しいことに良い芝居してやがる。

 まるで、俺を挑発しているみたいだ。

『あなたにこの芝居の価値がわかりますか?』って)

 

 製作者の立場からすれば今の夜凪のアドリブは悩ましいものだ。

 しかし、それに関係のない部外者はただただ目の前で放たれた名芝居に心を打たれた。

 

 

「おいおい……あのオージと芝居勝負して張り合ってるぞ」

「王賀美にも食われなかったんだ。

 そりゃあやるとは思っていたけど、ここまでとは……」

「ああ、環蓮を押しのけて役を奪い取っただけのことはある。

 間違いなく彼女は来るぜ」

 

 

 ハリウッドスターに釣られて集まった大物俳優やプロデューサーたちが夜凪を絶賛した。

 喩えるなら絵画の展覧会を訪れた金持ち達が名画を目の当たりにし、我がコレクションに加えたいと欲望を掻き立てられているような光景。

 映画・ドラマ業界の有力者達の頭に夜凪景とその凄まじい芝居が刻み込まれたのだ。

 その様子を真美は狙い通り、と言わんばかりにほくそ笑んで見ていた。

 

「撮影現場は戦場。

 きっちり首を落としに行かないとね。

 母さんならそうするわ……景」

 

 静かな独白は誰にも聞かれていないと真美は思っていた。

 実際に小さな声は誰の耳にも入っていなかった。

 

 だが、薬師寺真美が夜凪の芝居とそれに対する周囲のリアクションを見てほくそ笑む様子をじっと見つめていた者たちがいる。

 スイッチング室の後ろでひっそりと気配を殺して佇んでいる環とイルマだ。

 

「噂には聞いていたが、ずいぶんとご執心だな。

自分の出番もないのに現場に来るなんて」

「タマキが言えることじゃないけどね」

 

 環もまた夜凪の芝居を見て、思わず唸ってしまっていた。

 自分自身が思い描いていた薬師寺真波がそこに立っていたからだ。

 

「激情的だがしっとりとした内面を持つ芯の強さ。

 自分のことを無敵だと信じ切っているかのような、はたまた隙だらけで危うくも魅せられる立ち振る舞い。

 ああいうタイプの女優、てか女は最近は見ないね。

 まさしく昭和の女だ」

「だとすると、ケイは今、マナミになっているってわけ?」

「かもしれないな。そばに見に行くぞ」

 

 環はイルマを連れてセットの組まれたフロアに降りた。

 しかし、

 

 

「このおバカおバカおバカおバカ!! 

 いきなり水ぶっかけるとかバッカじゃない!」

「ご、ごめんなさい……

 でも、白洲さんに腹が立って……」

 

 夜凪が申し訳なさそうな顔をしながら、桜治郎にほっぺたを引っ張りまわされている

 間の抜けた光景を見た二人は、

 

「いつものケイね……」

「だな……」

 

 人格が夜凪であることにホッと一息ついた。

 

「タマキ。素人の私たちがこんなトラブルバスターごっこしてても埒が明かないわ。

 やっぱり専門のお医者さんに診せるべきよ。

 日本人は精神科にかかりたがらないらしいけど、私たちみたいな仕事をしている人間はかからないほうがおかしいのよ」

「私じゃなくて夜凪に言ってやれよ」

「言ったわよ。だけど、取り付く島もない。

『私、調子いいので』って」

 

 そりゃ調子はいいだろうさ、と環はうそぶいた。

 

 若手の女優には荷が勝ちすぎると判断されたから環が演じる予定だったシーンを夜凪は期待以上のクオリティで演じ切っている。

 その迫力は桜治郎にも引けを取らない。

 レオナルドも夜凪を見て異様なほど動揺している。

 だが、普通の現場にはない独特の緊張感と不安が充満しているのを肌で感じる。

 

 無事に夜凪の今日の分の出演シーンが撮り終わった時、環とイルマは安堵のため息をついた。

 

 

 

「撮影現場っていうより、オカルトホラーの劇中真っ只中ってカンジだな」

「笑えないわよ。

 夜凪だけの問題じゃない。

 周りの役者にも影響を与えかねないし、そうなったら洒落にならないわよ」

「影響(influence)…………」

 

 環は口に出してその単語を反芻する。

 

(景の様子がおかしくなったのは撮影に入ってからだ。

 何かのスイッチが入ったってことだろうけど、それはひとりでに起こったことなのか?)

 

 直接問いただそうと、夜凪に声をかけようとした。

 だが、

 

「景」

 

 環より一瞬早く、夜凪に声をかけた人物がいた。

 薬師寺真美だ。

 夜凪は少し緊張気味に真美の方を向き背筋を伸ばして応える。

 

「真美さん、おつかれさまです」

「ええ。あなたも。

 この後、来れる?」

「はい! すぐ支度します!」

 

 まるで付き人のように夜凪は間髪入れず返答し、一人足早にスタジオを出て行った。

 環が真美に向き直ると視線がかち合った。

 

「随分な可愛がりようじゃないですか。

 後進を育成するタイプでないと思っていたんですが」

「育成なんてしないわ。

 あの娘は自分で勝手に育っていく。

 私は私よりも先へ進める人を後押ししてあげるだけよ」

 

 意味深な笑みを浮かべる真美に環は問う。

 

「薬師寺先生。夜凪を壊すおつもりですか?」

 

 あまりに直接的で攻撃な物言いだ。

 真美が夜凪の状態に気付いていてもいなくても無礼の一言で流されそうなものだが、そうはしなかった。

 

「壊す……ことになるかもしれないわね。

 このまま行けば、夜凪景は芝居の中で自分を見失い、彼女が構築した世界の奥底に本来の自分を置き去りにする」

 

 挑発的な笑みすら浮かべながら真美は言った。

 そして、環は悟った。

 急速に夜凪の芝居の質が変わっていった原因を。

 影響を与えた人間を。

 

「それがどれくらい危険なことかわかっています、よね?」

 

 環は怒りを押し殺しながら声を発した。

 一方、真美は優雅な笑みを絶やさない。

 追い討ちをかけるように一言を叩きつける。

 

「役に入り込んで現場で死ねるのは、女優としての本懐でしょう」

 

 悪びれもなく、素直に言い放たれた言葉が薬師寺真美という人間を表していると環は痛感した。

 そして、何が何でも夜凪に役を譲るべきではなかった、と自己嫌悪にも似た後悔に胸が灼かれた。




みなさまお待たせしました。
お待たせしすぎたかもしれません。

今年もできる限りのペースで頑張っていきますので応援よろしくお願いします。
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