アクタージュは終わらない【原作の続き】   作:宇津木 恭吾

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SCENE131 銀座

 夜凪は冷や汗を垂らしながら背筋を伸ばしてタクシーの後部座席に座っている。

 隣には無表情で真っ直ぐ前を見つめている薬師寺真美、助手席には彼女の付き人の女性が座っており、護送されているような気分になっていた。

 

(どういうつもりなんだろう? 

 別室でお説教されるかと思いきやタクシーに乗せられて……

 どこに行くか聞いても「黙ってついてきなさい」の一言で返されちゃったし。

 運転手さんに指示していた行き先は銀座の百貨店らしいけど……)

 

 首都高速を走っていたタクシーは銀座出口を降り、昭和通りに入った。

 夜凪は普段縁のない高級ブティックや老舗百貨店が立ち並ぶ景色に思わず目が取られる。

 

「銀座はあまり来ない?」

「え……ハイ。

 家から遠いですし、高級そうなお店には縁がないので」

「ふうん」

 

 特に表情を変えることなく真美は左腕につけた時計に目をやり、助手席に座っている付き人に声をかける。

 

「さて……時間がないわね。

 城島(きじま)。先方に話は通してる?」

「はい。既に夜凪さんの写真や身長体重などは送ってあります。

 着いたらすぐにお召しになれるように」

 

(おめし?)

 

 二人の間でやりとりされる言葉の意味がわからずに夜凪は首をかしげる。

 しかし、彼女は元々楽天的である。

 

(説明しないということはする必要がないと真美さんは考えているのね。

 映画だってあらすじを知らない方が情報を取り残さず分析しようと集中して観られるし。

 どーん、と構えていればいいのよね)

 

 タクシーのシートにもたれ掛かってリラックスし、腹を括った。

 

 

 

 

 高級百貨店の代名詞ともいえる日本を代表する老舗百貨店、越後屋(えちごや)デパート銀座店。

 海外のスーパーブランドを中心とした高級ブティックやアンティーク家具を取り扱うインテリアショップが多数出店していたり、レストラン街も老舗天ぷら屋や高級和牛を扱う焼肉屋だったり、とにかく庶民が買い物に来るには敷居が高い場所である。

 しかし、母親が大女優な上、自身も子供の頃から子役として大金を稼いでいる薬師寺真美にとっては近所のスーパー以上に使い慣れた馴染みのお店である。

 迷うことなく最短距離でお目当ての店に辿り着き、店員に夜凪を預けて一人喫煙所に向かった。

 

 さて、取り残された夜凪はというと、涙目になりながら硬直していた。

 

「シェアウォーターのCMで観た時から姿勢の綺麗な女優さんだと思っていましたよ。

 最近の若い人はモデルであっても腰を立てて着物を着られる方が少なくてねえ。

 それにお肌もぷるんぷるん。

 もういっそ全部着せてしまいたい気分ですわ」

 

 上機嫌で接客する上品そうな初老の女性店員。

 その手に乗せられている袋帯はお値段248,000円。

 目の前に広げられている友禅染めの訪問着はお値段350,000円。

 

 着物は一般的に高価なものであるとされているが呉服屋『知恩(ちおん) 銀座店』に置かれている品はその中でも格別。

 創業300年とされる老舗の逸品には人間国宝級の職人が携わっており、まさしく着る文化財である。

 

 普段着ている衣服とは桁が二つ違う。

 それらを「適当に見繕ってあげて。お代は私持ちだから遠慮なく」と子どもにミニカーでも買い与えるかのように言い放った。

 普段なら「うちの生活費何か月分……」などと計算する夜凪なのだが、あまりに現実感のない展開に恐怖に震え上がっている。

 店員の説明もろくに理解できていない。

 すると城島がため息混じりに告げる。

 

「煙草から帰るまでの間に着付け始めないと、間違いなく機嫌を損ねますよ。

 薬師寺先生……ご存知の通り、気が短いですから」

 

 その言葉には常日頃から真美に振り回されている城島の実感がこもっていた。

 

「そんなこと言われてましても……着物の良し悪しなんて分かるわけ……」

 

 涙目の夜凪に助け舟を出すように店員は笑いかける。

 

「もちろん。初めて着物を買うようなお嬢さんに目利きが出来てしまうほど着物の世界は浅くないですよ」

 

 その言葉は夜凪を不勉強を受容すると同時に確固たる矜持を示していた。

 

「だから好き嫌いを仰ってください。

 こんな色が好き、こんな柄は嫌い、みたいに。

 良し悪しで言えば、良いものしかウチでは取り揃えていませんので」

「は、はあ……」

 

 とはいえ、普段から私服がダサいといろんな人から言われている夜凪。

 安い物でも数十万円になる着物選びに自分のセンスを混ぜて大丈夫かと不安になる。

 

「案の定、まだ決めていないのね」

 

 落胆の声が背中から掛けられて夜凪はびくりと振り返る。

 

「あ……あの、こ、こんな高級なもの買っていただくわけには」

「あなたのために買うんじゃないわ。

 連れて歩く人間にみすぼらしい格好されるのが嫌なだけ」

 

 みすぼらしい……とファストファッションのショップで買い揃えた自身のジーンズとシャツを見直す夜凪。

 

「時間が惜しいわ。

 おすすめのを一式、この人に見立ててあげて」

 

 そう言って真美はクレジットカードを店員に渡した。

 恭しく両手で受け取った店員は「かしこまりました」と言って店の奥に消えていった。

 

「また、あなた同じ失敗をしたわね」

「え?」

「吉野の坊ちゃんに色目使われた時と一緒よ。

 梨園の男の色気にコロリとだまくらかされてのぼせ上がるのも、老舗の呉服屋で着物を買い与えられることに戸惑って萎縮するのも、根は一緒。

 あなたは庶民的過ぎる。

 それは清貧なんて高尚なものじゃなく、知見の浅さから来るものなのよ。

 ハッキリ言ってみっともない」

 

 つい先ほど桜治郎の色香にやられて正気を失っていた醜態をハッキリと指摘された。

 加えて真美の遠慮なしに突き放すような物言いは反論しようとする心を折る。

 後頭部を殴られたような気分で夜凪はうなだれた。

 

「みっともない……」

「あ、ついでにバッグと草履も頂くわね。

 こちらの柄にしましょう」

 

 ヒョイと小ぶりのハンドバッグを掴み上げ、店員に指示する真美。

 合わせてお値段59,800円。

 

「や、やっぱりこんな高価なモノ買っていただくわけには! 

 もうすぐCMの仕事のお金が入るし、自分で…………」

 

 払う、と言い切る前に値段が頭をよぎり、硬直してしまう。

 真美はこめかみを押さえながらため息を吐く。

 

「買いたくもないものにお金を使わない方がいいわ」

「じゃあ、それこそ真美さんに買っていただく謂れが」

「そうでもないわ」

 

 扇子で口元を隠し、目配せで夜凪の視線を店の壁に誘導する。

 そこにはイメージモデルとして起用されている真美がデカデカと写されているポスターが飾られている。

 普段から着物姿の真美を見ているのもあって「ナチュラルだなぁ」程度の感想しか出てこない夜凪だが、

 

「これで分かったわよね」

 

 と、言われてしまう。

 夜凪なりに真美のスポンサーのお店ということから付き合いが深いことや、もしかしたら関係者割引みたいなのがあるのかもしれないとか解釈してみるが確信には至らない。

 結局、終始主導権を握られたまま買い物は進み、夜凪は着物姿に変身した。

 

「あ……あの、ありがとうございます!」

「どういたしまして。

 さて、まだ時間あるしここで夕飯も摂ってしまいましょうか。

 天ぷらでいい?」

「てんぷら!?」

 

 着物を買ってもらった上に天ぷらまでご馳走になる。

 恐ろしいほどにお金を使われている夜凪の息が苦しいのは着慣れない着物のせいではないだろう。

 

「イチイチドギマギしないの。

 目上の人と外に出たらご飯奢ってもらうくらい当たり前でしょ」

「それは奢ってもらうことはありますけど……」

 

 こんな高級なお店に連れて行ってもらったことはない。

 と、口にしかけた瞬間、真美はニヤリと口元を緩めた。

 

「あっ……」

 

 そういうことか、と夜凪は理解する。

 

 薬師寺真美と食事に行ったということを今後誰かに聞かれたときに何を食べさせてもらったのかは自然な流れで話題に上がる。

 その時に「銀座の越後屋で天ぷらを食べさせてもらった」と答える。

 すると尋ねた人は「さすが大女優だけあって豪気なものだ」と思うことだろう。

 

「あなただって名だたる方々とお仕事してるんだから一緒に食事くらいしているでしょう。

 巌先生、王賀美さん、環さん、黒山くんに……アリサちゃんも。

 今の反応でその人たちが大したところに連れてってくれなかったことが分かるわよ」

「そ、そんなこと……あ、王賀美さんには高そうな焼肉奢ってもらいました!」

 

 打ち上げの席のことだけど、とは口にせずドヤ顔で答える夜凪。

 すると真美は目を丸くして、

 

「あら……なかなかやるじゃない。

 その歳で大物俳優とデートなんて」

「で!? でーとじゃありません!!」

「冗談よ」

 

 焦って反論する夜凪を見て上機嫌にフフン、と鼻を鳴らして真美は先に進んだ。

 後を追おうとするが慣れない着物の歩幅に戸惑う。

 ぞんざいに歩けばせっかくの着付けが崩れてしまうので静々と歩かなくてはならない。

 振り返らない真美はどんどん先に進んで距離が開いていく。

 

(真美さん歩くの速っ! 

 どうやってるの!?)

 

 じっくり見ると真美は足先を内側に入れるように歩いている。

 さらに鼻緒を足指で掴むようにして草履とかかとが離れないようにしている。

 そして右手でかすかに着物の裾を軽く抑えてはだけないように……

 

 持ち前の学習能力で真美の歩き方を真似てみる夜凪。

 すると、若干の窮屈さは残りつつも思い通りに身体が動き始めた。

 真美は首だけで見返り、その姿を見つめる。

 

 スラリとした長身に濡れた鴉のような艶やかな黒髪。

 化粧っ気は薄くても華やかな顔立ちと瑞々しい若さの溢れるルックスは老若男女問わず好感を抱かせる。

 そんな美少女が着物姿でしゃなり歩けば道ゆく人の視線を集めるのは当然。

 高級百貨店だけあって客層も落ち着いている分、無遠慮にスマホのカメラを向けられるようなことはなかったが目にその姿は焼き付けられたことだろう。

 

「早速、知恩さんの宣伝しちゃったみたいね」

 

 と、真美は一人呟く。

 

 

 天ぷら屋でも正面に座った真美の食事の作法ひとつひとつを見て真似る夜凪。

 隣にいる城島はそんな夜凪の様子を訝しんで見ていたが当の本人は気にすることもなく淡々と食事を進めているので声をかけることもない。

 食事を終え、真美が時計を確認すると18時30分になっていた。

 

「ちょうど良い時間ね。

 じゃあ、お目当ての場所に行きましょうか」

「お目当て?」

「そうよ。別に私はあなたに着物を買ってやったりお食事食べさせるために連れてきたんじゃないの。

 あくまで準備なのよ」

 

 こんな金のかかる準備が必要な場所ってなんなのだろう? 

 

 ドンと構えると決めていた夜凪だがさすがに不安が勝つ。

 相手がもし男性なら身の危険すら覚えるほどに贅沢をさせてもらっているからだ。

 

 店を出た真美はすぐにタクシーに乗り込んだ。

 そして、ワンメーターも行かない距離で車を止めさせる。

 移動のためというよりも道ゆく人に囲まれないようにするためのタクシーの使い方。

 そのあたりも生涯を有名人として過ごした真美の生活様式が窺える。

 

「ここは……」

 

 夜凪は目の前にそびえ立つライトアップされた巨大な建物を見上げ、息を呑む。

 

 近代的なビルの立ち並ぶ銀座の中で異彩を放ちつつも風景の溶け込んでいる大きな瓦屋根に白い外壁の和風建築物。

 年間を通じてほぼ毎日上演が行われる130年の歴史を誇る日本芸能の聖地。

 その前には日本的な絵柄の絵看板が立っていて、今月と来月の演目が描かれている。

 

『歌舞伎座』

 

 その名の通り、唯一の歌舞伎の常設劇場であり、世界で最も稼働率が高いとされる大劇場である。

 

 

 

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